かんぴょう
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かんぴょう(干瓢、乾瓢)とは、ウリ科ユウガオの果実(ふくべとよばれる)をひも状に剥いて乾燥させた食品(ヒルガオ科のユウガオ(=ヨルガオ)とは同名異物である)。水で戻して煮て寿司の具材や、煮物、和え物などとして使われる。低カロリーで食物繊維に富む。
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[編集] 製法
気温の低い、日の出前の早朝に作業を行うことが一般的である。産地における皮むきには足踏みレバーの付いた電動の器具を用いる。ユウガオの実を、縦の軸に刺し、モーターで回転させて、横から皮むき器を当て、まず硬い外皮を取り去る。次に、ぶれの出ないように、柄を半固定したかんなの様な刃物を当てて、桂剥きのように帯状に長く剥く。
竹竿に掛けて、室内で乾燥させてから、包装する。
[編集] 産地
20世紀以後の主要な生産地は栃木県南部であり、日本の干瓢生産の8割以上を占めている。しかし、以前は関西が栽培の中心であった。歌川広重の東海道五十三次では水口宿(現在の滋賀県甲賀市)の絵には干瓢を干す姿が描かれている。
[編集] 用途
全国的には、巻き寿司の干瓢巻き(木津巻き)、太巻きの具、ちらし寿司の具、煮物の昆布巻きや揚げ巾着の結束に用いるのが一般的な用途である。
産地では、この他に、煮物、炒め物、きんぴら、卵入りの干瓢汁、酢の物にも用いることが多い。
[編集] 木津巻き
寿司屋の符牒で干瓢巻きのことを木津巻きというのには、下記のように諸説があるが、いずれもゆかりの地名から取っているとされる。
- 摂津国木津(現在の大阪市浪速区)が干瓢生産の発祥の地といわれ、また干瓢生産が盛んであったからである。
- 山城国から木津川を下り摂津の木津へ運ばれ、そこで誕生したのが干瓢巻。大正時代から昭和にかけて大阪の市場では山城の木津干瓢はブランドとなっていた。故に、関西では「干瓢のことを木津」とも呼んでいた。
- 1712年(正徳二年)に近江国水口藩から下野国壬生藩に(現在の栃木県下都賀郡壬生町)国替えになった鳥居忠英が、干瓢の栽培を奨励したことが、今日の栃木県の干瓢生産の興隆につながっている。その水口藩内の産地が木津であった。

