通天閣
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| 情報 | ||||
| 旧名称 | ||||
| 用途 | 展望台 | |||
| 旧用途 | ||||
| 設計者 | 内藤多仲 | |||
| 構造設計者 | ||||
| 施工 | 奥村組 | |||
| 建築主 | 通天閣観光 | |||
| 事業主体 | {{{事業主体}}} | |||
| 管理運営 | {{{管理運営}}} | |||
| 構造形式 | 鉄骨造 | |||
| 敷地面積 | ||||
| 建築面積 | ||||
| 延床面積 | ||||
| 階数 | ||||
| 高さ | 100m | |||
| 着工 | ||||
| 竣工 | 1956年 | |||
| 開館開所 | {{{開館開所}}} | |||
| 改築 | ||||
| 所在地 | 〒 大阪市浪速区恵美須東1-18-6 |
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| 電話 | {{{電話}}} | |||
通天閣(つうてんかく)は、大阪府大阪市浪速区にある新世界界隈の中心部に建つ展望塔である。国の登録有形文化財。
目次 |
[編集] 設計・構造
- 本体:鉄骨造(一部鉄骨鉄筋コンクリート造)
- 塔高:地上100m
- 幅:24m
- 脚間:24m
- 展望台:鉄骨鉄筋コンクート造(周囲ガラス張り2階建て)
- 高さ:1階床まで84m、2階床まで87.5m
- 補助棟:鉄骨鉄筋コンクリート造
- 性能:関東大震災級の地震、風速70メートルの強風に耐えられる
[編集] 概要
大阪のシンボルの一つとして親しまれ、観光名所としても有名である。
現在の通天閣は二代目で、1956年(昭和31年)に完成した。通天閣観光株式会社(つうてんかくかんこう、Tsutenkaku Kanko Co., Ltd.)により運営されている。避雷針を含めた高さは103m(塔自体の高さは100m)。設計者は、ほぼ同時期にできた名古屋テレビ塔、東京タワーなどを手がけた内藤多仲。建設を施工したのは奥村組である。
「通天閣」とは、「天に通じる高い建物」という意味で、命名したのは明治初期の儒学者、藤沢南岳である。
完成翌年の1957年(昭和32年)から、塔の側面に総合電機企業の日立製作所が広告を出している。日立が広告を出すようになったのは、当時、地元の大手電機企業(松下電器、三洋電機、シャープなど)に対抗して大阪に進出しようとしていた日立と、資金調達のために長期に渡って広告を出してもらえる大手企業を探していた通天閣観光の思惑が合致したのがきっかけとされる。なおかつては広告上部に日立の社章である「亀の子マーク」が付けられていたが日立が使用をやめた2001年に取り外され(下述記事も参照)、その当時はマークなしの看板に違和感を覚える市民も少なくなかった。
二代目通天閣に建替えられた1956年は年間入場者が155万人を越えていたものの、1965年に100万人を割込み、光化学スモッグ等の環境汚染等も要因となって1975年には20万人前後へと激減した。その後は緩やかに回復傾向を示し、通天閣を舞台としたテレビ番組や串カツ人気の高まりもあって2006年に90万人、2007年度に100万人超へと回復した。通天閣の入場者数増加について、通天閣観光は「若い人が新世界に大阪らしい情緒を求めているのだろう」とコメントしている。[1]。
[編集] 特徴
地上と2階を結ぶエレベーターの乗りかごは円柱形であるが、この形状のエレベーターが設置されたのは通天閣が世界で最初とされている。2001年(平成13年)にこのエレベーターは更新されたが、形状は現在もそのままである。
2階は、5階展望台へのエレベーター乗り場、売店、ゲームコーナーがある。貸卓球台など、一風変わったものもかつて設置されていたが現在は撤去されている。3階はイベントホール、4階および5階には展望台、喫茶室、売店がある。
5階の展望台には、足の裏を撫でると幸運が訪れるという言い伝えがある幸運の神様「ビリケン(Billiken)」の像が安置されている。これは新世界にかつて存在していた遊園地である「ルナパーク」が開業した1912年(明治45年)当時、世界的に流行していたビリケンの像をルナパーク内に作られたビリケン堂に安置したのが始まりである。1923年(大正12年)にルナパークが閉園した時期を境に像の行方がわからなくなっていたが、1979年(昭和54年)、通天閣の3階に「通天閣ふれあい広場」が作られたのを機に復元された。また、現在では見える風景や建造物の説明を展望ガラス上部に掲げた写真で行っているが、つい最近までは展望ガラスに直接赤ペンキで山や建造物の形と名前が描かれていた。
塔直下の地下には「通天閣歌謡劇場」があり、毎週土曜日と日曜日に演歌歌手の歌謡ショーが催されている。ここには、映画やテレビドラマのロケにも使われた「通天閣囲碁将棋センター」が2001年(平成13年)まで併設されていた。松竹芸能が運営を行っている。なお、「通天閣歌謡劇場」は2008年(平成20年)夏までに、道頓堀にあるB1角座が閉鎖されるのに伴い、これに代わる施設として松竹芸能に所属する芸人による落語や漫才の興行を行う劇場として使用する予定。
夜間は、黄金色と白色を基調とするネオンの光で塔全体が彩られ、さらに毎時0分になると、塔東側面にある大時計の文字盤が鮮やかなグラデーションで光る。ネオンはおよそ5年毎に模様替えされており、現在のものは12代目である。また、塔頂上には翌日の天気予報を4つの色の組み合わせで示すネオンサインが点灯する(晴=白、曇=橙、雨=青、雪=ピンク)。このネオンサインの装置は大阪管区気象台と専用回線で接続されており、そこからの情報に基づいてが予報が表示される仕組みになっていて、1979年(昭和54年)に日立製作所により制作、設置されたものである。
2001年までは展望室下に日立製作所のモノグラム社章が掲げられていたが、この年のネオン更新時に撤去され、その後に横3本線の帯が取り付けられた。
二代目が完成した当時のエレベーターは、東洋オーチス・エレベータ(現・日本オーチス・エレベータ)製であったが、2001年に日立製に更新された。
2006年に再建50周年を迎えるに当たり、改修工事が行われた。大時計の形が丸から八角形に変更されたほか、ネオンの色も変更され、より目立つようになった。
[編集] 位置情報
[編集] 交通
[編集] 初代通天閣
1903年(明治36年)に開催された第5回内国勧業博覧会の会場跡地に、パリのエッフェル塔と凱旋門を模した初代通天閣が1912年(明治45年)7月3日にルナパークと共に建設された。建設費用は約9万7,000円で、当為の入場料は10銭。300尺(91m)という触れ込みで、その当時東洋一の高さを誇っていた通天閣は、ルナパークとロープウェーで結ばれており、人々に親しまれていた。大阪で2番目(非貨物専用としては最初)の昇降機が設置され評判となった。現在の二代目と同じように塔側面に巨大ネオン広告があった時期があり(1920年に導入)、当時の広告は「ライオン歯磨」であった。 なお通天閣の電灯工事は当時大阪電灯に勤務していた、後に松下電器産業創業者の松下幸之助氏(当時17歳)が配線、電燈の取り付けに配線工として参加している。
吉本興業に買収された後、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に直下にあった映画館・大橋座の火災で通天閣の脚部が加熱により強度不足となる。そのため、鉄材を軍需資材として大阪府に「献納」するという名目で1943年2月13日から塔は解体され、初代通天閣は姿を消した。 尚、終戦後赤錆となった残骸が明石市の浜辺で見つかっている。
[編集] 通天閣を舞台とした作品
[編集] 映画
- 大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン、1966年
- 王手(監督:阪本順治)、1991年
- ビリケン(監督:阪本順治)(二代目通天閣40周年記念映画)、1996年
[編集] ドラマ
[編集] 小説
[編集] その他
- マンガ「ドカベン」の登場人物・坂田三吉は投球を天高く放物線を描く「通天閣投法」や「通天閣打法」「通天閣捕球」など一連の秘技にこの名を関している(ちなみに坂田は「通天閣高校」という架空の高校の出身という設定)。
- 上記の「通天閣投法」の影響でテニスやバレーボールのサーブの際、ボールを高く上げるタイプのものを「通天閣サーブ」と呼ぶことが多い[要出典]。
[編集] 関連文献
- 木下博民著『通天閣 第七代大阪商業会議所会頭・土居通夫の生涯』創風社出版、2001年5月、ISBN 4915699986
- 文献あり
- 阪本順治、豊田利晃脚本、丹後達臣ノベライズ『ビリケン』(『扶桑社文庫』)、扶桑社、1996年7月、ISBN 4594020356
- 下元信行著『通天閣の歌姫伝説・叶麗子物語』現代書館、1992年9月、[1]、ISBN 4768466109
- 通天閣観光編『通天閣30年のあゆみ』通天閣観光、1987年3月
- 年表: p111~128
- 二鬼薫子著『通天閣物語』鳥影社、1997年1月、ISBN 4886293123
- 橋爪紳也著『大阪モダン 通天閣と新世界』(『気球の本 Around the world library』)、NTT出版、1996年7月、ISBN 4871886239
- 読売新聞大阪本社社会部編『通天閣 人と街の物語』新風書房、2002年9月、ISBN 4882695081

