でんでんタウン

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でんでんタウン
堺筋日本橋3丁目南歩道橋(現在は撤去)より恵美須町駅方面を望む

でんでんタウンは、大阪市浪速区日本橋(にっぽんばし)付近に位置する日本有数の電気街である。

概要[編集]

「日本橋」や「ポンバシ」と通称されることも多いが、北はなんさん通り、南は阪神高速1号環状線えびす町入口付近までにおいて堺筋(日本橋筋)の周辺に展開しているため、最寄り駅は中央区日本橋に位置する日本橋駅近鉄日本橋駅ではなく、大阪市営地下鉄堺筋線で一駅南の恵美須町駅南海難波駅となる。メインストリートとなる堺筋には大型量販店等が軒を並べ、歩道にはLED電光掲示板・防犯カメラが設置されたアーケードが整備されている。

ヨドバシカメラ梅田ビックカメラ千日前ヤマダ電機難波[1]へ相次いで出店したことや、ニノミヤマツヤデンキの経営破綻、上新電機が日本橋の既存店舗を電気製品以外のホビー商品メインの店舗に切り替えたことなどもあって、かつての主役であった家電量販店の数は徐々に減少し、堺筋にもコンビニエンスストア、飲食店等他業種の出店が徐々に増加している。家電以外に、電材や各種部品・工具等を扱う店舗もあり、電気街だけではない多岐に渡る趣味嗜好の専門店街を形成している。

堺筋の西側にも多くの店舗があり、特に後述する通称「オタロード」(正式名称は「日本橋筋西通商店街」だが、この呼称は地元でもほとんど使われない)界隈が近年活況を呈している。その他、近接する「五階百貨店」「日本橋商店会」と呼ばれる一帯には小規模な中古家電店や道具屋・古着屋などが密集しており、昔ながらの日本橋の雰囲気を醸し出している。

2005年(平成17年)からは春分の日(もしくは近日の日曜日)に「日本橋ストリートフェスタ」が開催されている。年に一日限りという条件ではあるが、従来からの日本橋電気街の中心であった堺筋を約700メートルにわたって午後から夕方までの数時間歩行者天国として開放し、同時にパレードなどのイベントを行っており、2010年(平成22年)は20万人以上(主催者発表)の来街者が集まった(詳細は日本橋ストリートフェスタの項目を参照)。

歴史[編集]

前史[編集]

江戸時代には長町と呼ばれ、裏通りの長町裏は大坂最大のスラム街であった。上方落語の「貧乏花見」には長町裏の住民が花見に出かける様子が描かれている。1903年(明治36年)、現在の天王寺公園新世界、恵美須町周辺が第5回内国勧業博覧会の会場となり、長町裏のスラムは一掃された。博覧会終了後は古着や古物を扱う店が軒を連ねたが、大正には徐々に古書店街へと変わっていき神田神保町と並ぶ古書店街として知られていた。

電気街のおこり[編集]

第二次世界大戦後、自作のラジオ向け等のパーツや工具等を扱う店がこの界隈に現れたことが、電気街としてのこの街のおこりである。その後、冷蔵庫洗濯機テレビ等の家庭電化製品が発売されるにつれ、徐々に家電小売業への転換が進み、力をつけた電気店のいくつかは大型化・多店舗展開を行い、日本橋以外の郊外にも進出していく。その後も、昭和40~50年代のオーディオブームや、パソコン等のいわゆる情報家電の登場等、その時代時代に求められていた商品とともに、関西一円に求心力を持つ「電気の街」「趣味の街」として成長した。値段の安さはもちろん、店員とのふれあい、値段交渉の駆け引き、掘り出し物を探す楽しさなどがあった。なお、値引き交渉などの慣習は現在でも一部で残っている。

家電量販店の苦悩[編集]

バブル経済崩壊後、景気が減速してくると情勢が変わり、電気店には以前に増して「安売り」が求められるようになった。かつては日本橋に来なければ手に入らなかった品物も、日本橋に本店を持つ量販店自らが出店した郊外の店舗で手に入るようになる。主力の商品も、パソコン等利益率の少ない商品に変わり、バブル期に巨大化した大型量販店は当時の投資が重荷となり体力を削っていく。

「オタロード」の誕生[編集]

オタロード北端、なんさん通りから望む

店舗の集積は日本橋筋商店街から北西へ広がり、南海難波駅前から日本橋筋につながる「なんさん通り」を含むようになり、さらにメインストリートの西側にあった片側一車線の「日本橋筋西通商店街」の両サイドにもマニア・オタク向けのパーツショップ、同人誌コスプレフィギュアおもちゃなどの店が多数進出するようになる。当初は地元資本の店が多かったが、後に東京資本の「アニメイト」「ゲーマーズ」「とらのあな」「イエロー・サブマリン」「メロンブックス」「ホワイトキャンバス」なども進出[2]。なお、これら東京本社の企業の店舗では、当該店舗の支店名について「日本橋店」ではなく「なんば店」と称しているところも多い[3]。インターネット上で自然発生的に「(でんでんタウンの)オタク通り」と称されるようになり[4]、転じて現在では「オタロード」の名称が定着した。その後メイド喫茶などが多数進出した[5]が、こちらはチェーン化されていない地元資本の出店が多い[6]。週末を中心に多くの来街者が訪れ、路上への駐車(この中には、いわゆる「痛車」も多く見られる)・駐輪、沿道の店舗によるはみ出し陳列(店舗とは無関係なマジコンなどの違法商品・脱法商品を販売する露店も少なからず見られる)、メイド喫茶等の客引きやビラ配布によって道路が違法に占有され、通行車両・歩行者共々が通行しにくい状況となっている。

変化を繰り返す店舗[編集]

流行した業種に店舗が集中する歴史を繰り返しており、古くは家電量販店が、ある時期はパソコンショップや携帯電話の販売店、そして最近ではアダルトDVD販売店やメイド喫茶と、その時代によって特定業種が立て続けに出店する傾向を繰り返してきた。その結果、暫くすると同質的な競争に陥り、ブームが去ると次々と閉店し、跡地にはまた別業種の店舗が乱立するといった街の変化が繰り返されている。

失われつつある「電気街」[編集]

大阪市内では2001年(平成13年)、千日前ビックカメラ(なんば店)が、同じ年に梅田大阪駅前)にヨドバシカメラヨドバシ梅田)が進出したことに加え、大阪近郊でもロードサイドの大型家電量販店(コジマヤマダ電機など)が進出していった。これにより、日本橋に来る人の流れが堰止められてしまったとの見方が強い。ミナミの玄関口である南海難波駅に近接しながら、繁華街の中心となる道頓堀や地下鉄難波駅・大阪難波駅とは反対方向に位置しており、堺筋が日本橋3南交差点以北において北行きの一方通行であるなど車でのアクセスに難があることもあり、一般的な家電を求める客足は次第に梅田・千日前方面に遠のいていった。この為、主に関西資本の家電量販店やパソコンショップ等、当地に複数店舗を展開していた企業では店舗の整理統合が進み、数を減らしていく。

2003年(平成15年)9月マツヤデンキが、続いて2005年(平成17年)1月にはニノミヤが相次いで経営破綻。中川無線電機(中川ムセン)も雑貨中心の量販店ナカヌキヤに業態転換したが、最終的に日本橋からは撤退した。上新電機は未だ当地に複数の店舗を展開するも、店舗数は最盛期の半分程度に減少し、現存する店舗もその多くを家電製品以外の各種専門店(おもちゃ、CD・DVD等)に業態転換している。家電に次いで日本橋の顔となっていたパソコン販売店も2005年(平成17年)にスタンバイが廃業、2006年(平成18年)にはOAシステムプラザが撤退、ソフマップも日本橋地区の店舗を集約。また、前述のニノミヤは2007年(平成19年)6月に日本橋本店を閉鎖し、法人も解散した。マツヤデンキは2003年(平成15年)に経営破綻したあと、日本橋から一時期撤退し、その後小規模な携帯電話専門店で再進出したがこちらも2009年(平成21年)には撤退している。この時期、でんでんタウン協栄会では年2回であった一斉セールを一時月1回に増やすなど巻き返しを狙った。

2006年(平成18年)3月10日には、でんでんタウンの近くにあるなんばパークス南側にヤマダ電機の都市型大型店舗の第一号店である『LABI1 なんば』がオープンした。この出店により、日本橋電気街から半径数百メートルの範囲内で、大型家電量販店であるLABI1なんば、ビックカメラなんば店、以前からある上新電機、その他の中小家電量販店が競合している。

現在[編集]

街のにぎわいは難波駅に近いなんさん通りやオタロード周辺にシフトする傾向が強くなっている。一方、かつて隆盛を誇っていた恵美須町駅周辺(日本橋5丁目)は衰退が目立つ。特に、ここ数年の間に大型家電量販店の多くが閉店し、その退店跡にはボークスと言ったフィギュアガレージキット鉄道模型などのホビー関連の商品を扱う専門店やトレーディングカードコスプレ衣装・同人誌等の販売店舗の入居が増えている。後継テナントが確保できなかった大型物件については、その多くが売却・解体され、跡地にマンションが建設されるケースもリーマン・ショックの直前までは目立った。

関西資本の大型家電量販店が中心となった以前の「電気街」としての様相は失われつつあるが、中小規模の家電店舗は少なからず生き残っており、電気街としての性格は現在でも保たれてはいる。またオーディオ関連の商品を扱う専門店、アナログレコード専門店も近辺で数店営業しており、こちらは以前からの固定客も多い。近年目立つ現象としては、家電販売店の中に免税店として海外からの旅行客向けに商品を強化する店舗が増えており、海外とりわけ中国韓国等のアジア及び中東を中心とした団体観光客が立ち寄る姿が多く見られている。また、なんさん通り周辺などにおいて、いわゆるオタク向けの中小規模店舗が増えている。

日本橋プロジェクト[編集]

2009年(平成21年)から、『日本橋プロジェクト』と銘打ち、日本橋を活性化する一環として実施され、でんでんタウンをはじめとした日本橋地区の地域振興企画が行われており、いとうのいぢがデザイン・作画を担当した『音々(ねおん)ちゃん』をイメージキャラクターに据えている。また、音々ちゃんの妹『光(ひかり)ちゃん』もいる[7]。それに因んだ、キャラクターグッズ等が展開され、堺筋沿いに設置されている案内所では、パンフレットの配布と、担当声優の案内放送やアニメのプロモーション映像もある。因みに、セミプロイルカ工房の手により『音々(ねおん)ちゃん』の着ぐるみ(人型メルヘン系マスクプレイ型)が製作され、日本橋ストリートフェスタをはじめ各種イベントで一時活動していたが、2010年(平成22年)以降目立った活動は行われていない。

日本橋ストリートフェスタ[編集]

毎年春分の日(もしくは近隣の日曜日)に堺筋を中心に開催されるイベントで、日本橋3南交差点 - 恵美須入路交差点間において堺筋が歩行者天国になり、様々なステージイベントやコスプレをした参加者や周辺のメイドカフェのメイド達のパレードが繰り広げられる。付近の駐車場(とりわけJT跡のタイムズ大阪難波)では痛車が集結し、さながら展示会の様相を呈する。なお2011年(平成23年)度は、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の影響により、中止となった[8]

ラジオでんでんタウン[編集]

  • でんでんタウン協栄会が提供するラジオ大阪の番組(毎週月曜19時05分~19時20分、スパメン!内)。パーソナリティは現在Span!。毎年、当番組の女性パーソナリティをタレント公開オーディションにて決定しており、期間中は日本橋総合案内所でもオーディションへの投票が出来る。

女性パーソナリティオーディション[編集]

パーソナリティ でんでんリポーター 公開オーディション参加メンバー
初代(2006年(平成18年)) 谷亜里咲
2代目(2007年(平成19年)) 鎌田奈津美
3代目(2008年(平成20年)) 森はるか 青山沙也香沢菜々子中村葵藤井美由紀、森はるか、吉村紗弥
4代目(2009年(平成21年)) 安藤輝子 安藤輝子、泉川朱里木下 愛有未仔雪藤井麻貴宮瀬れい
5代目(2010年(平成22年)) 小塚麻央 篠山あかり 伊藤綾美稲実栞、小塚麻央、咲木みゆき、篠山あかり、丸山智英子
6代目(2011年(平成23年)) 中村葵 藤村椿 坂口佳澄桜泉佐藤夢、中村葵、藤村椿、前田侑里

アクセス[編集]

鉄道

でんでんタウンの内部に出入口を持つ駅は地下鉄堺筋線恵美須町駅のみであり、他の駅からは徒歩である程度の時間を要する。通称が「日本橋」であるが、「日本橋駅」は最寄ではない。なお、地下鉄恵美須町駅ホームの駅名標には「日本橋筋」という愛称が括弧付きで付けられている。

道路

関連項目[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 厳密には今宮(旧 舩出町)になる。
  2. ^ 東京資本以外では「エーツー」(本社:静岡市、但しでんでんタウンの店舗は地元企業によるフランチャイズ)、「メディオ」(本社:岡山市)などが出店している。
  3. ^ 難波中2丁目のうち南海本線の東側(旧 河原町)に所在する店舗が難波店と称するのは間違いではない。
  4. ^ 日本橋“オタロード”で“オタクが値切る”は通用するのか ITmedia 2006年(平成18年)8月23日、等。なお、名称の起源については電子掲示板からであるとする説もある。日本橋Blog(大阪・日本橋でんでんタウン 電気街巡回日誌):オタロードとは
  5. ^ 堺筋周辺にも多く出店している。
  6. ^ 2011年(平成23年)に、東京資本の店舗が1店出店している。
  7. ^ 日本橋プロジェクト より。
  8. ^ 第7回日本橋ストリートフェスタ2011中止のお知らせ日本橋ストリートフェスタ実行委員会 2011年3月14日閲覧。

外部リンク[編集]