南海高野線

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南海電気鉄道 高野線
特急「こうや」
特急「こうや」
路線総延長 64.5 km
軌間 1067 mm
電圧 1500 V 架空電車線方式直流
最高速度 100 km/h

高野線(こうやせん)は、大阪府大阪市浪速区汐見橋駅から和歌山県伊都郡高野町極楽橋駅までを結ぶ南海電気鉄道鉄道路線。一般的には、帝塚山駅以南発着の列車がすべて乗り入れる南海本線難波駅から極楽橋駅までの運行系統を指す(運行形態を参照)。汐見橋駅 - 岸里玉出駅間には汐見橋線(しおみばしせん)という通称がある。

路線シンボルマークは、高野杉の林をイメージしたもので、ラインカラーは緑。橋本駅 - 鋼索線高野山駅間にはこうや花鉄道という名称を付けて、観光列車「天空」を運行するなど様々な取り組みが行われている[1]

概要[編集]

特急「りんかん」

真言宗霊場高野山への足であり、終点の極楽橋駅からは鋼索線に連絡している。また、大阪府南河内地域西部・和歌山県伊都地域から大阪市内への通勤・通学路線としても機能している。かつては南海本線に対して支線的な存在だったが、宅地開発による沿線人口の急増、さらには泉北高速鉄道との相互直通運転により、現在は南海電鉄の中心路線となっている。

全線でPiTaPaおよびICOCAなどPiTaPaと相互利用可能なIC乗車カードが利用できる。ただし、乗車回数に応じて割引が適用されるサービスはPiTaPaのみが対象となる。

りんかんサンラインの愛称について[編集]

1995年から2008年まで難波駅 - 橋本駅間には「りんかんサンライン」の愛称が付けられていた。1994年12月14日、当時の社長川勝泰司が「田舎臭いイメージを変えたい」と発言したのがきっかけで岸里玉出駅 - 橋本駅間の名称を社内公募で選定し、1995年9月1日のダイヤ改正時から使用したいと発表。社長案として「南海山の手線」を提唱した[2]。高級感のある名称で当時沿線開発をしていた美加の台などの高野線沿線の住宅販売に好影響が出るはずとコメントしたが、南海沿線の住民からは好意的な意見は少なかった。また、高野山を総本山とする真言宗からの反発も強く、難波駅 - 橋本駅間を「りんかんサンライン」、橋本駅 - 極楽橋駅間を「高野線」とイラストの路線図では区別していたが、沿線住民の間では“高野線”の名称で定着しており、“りんかんサンライン”と呼ぶ人は皆無に等しかった。難波駅 - 橋本駅間については真言宗への配慮から[3]「高野線りんかんサンライン」両名併記とした案内も一部で見られた。車内放送では、南海本線側からの乗換案内などで「高野線りんかんサンラインはお乗り換えです」と案内されていた。

なお「山手線」の名称は、南海電気鉄道の前身である南海鉄道が1940年に統合した阪和電気鉄道の路線、すなわち後に西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線となる路線の呼称として、戦時買収によって同線が国有化される1944年まで用いていたことがあった。

2008年の高野線ダイヤ変更より案内上でもほとんど「りんかんサンライン」の愛称が使われなくなり、2009年3月20日阪神なんば線の開業とともに、車内路線図から「りんかんサンライン」の表示が消去され、乗換案内の車内放送からも「りんかんサンライン」は使われなくなった。また公式ホームページからも「りんかんサンライン」は削除されている。愛称使用終了後にリニューアルされた難波駅改札外の案内には記載がなくなったが、難波駅改札内など設備更新が行われていない発車標は3年半たった後でも愛称を消去せずそのままにされている。また、愛称使用終了前に印刷された駅配布の時刻表などもそのまま配布されていたが、2013年10月に行われたダイヤ改正に発行された時刻表および駅掲出の時刻表には記載されていない。

なお「りんかんサンライン」の「りんかん」とは、澄んだ空気と豊かな自然とが調和するさわやかな街並みのイメージ、「サンライン」は太陽 (Sun) の明るさと暖かさ、さんさんと降り注ぐ陽光の輝きを表現している[4]

路線データ[編集]

  • 路線距離(営業キロ):汐見橋駅 - 極楽橋駅間 64.5km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:42駅(起終点駅・汐見橋線の駅も含む)
  • 複線区間:汐見橋駅 - 橋本駅間(汐見橋線岸里玉出駅構内のみ単線)
  • 単線区間:橋本駅 - 極楽橋駅間
  • 電化区間:全線電化(直流1500V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式
  • 最高速度:高野下駅 - 極楽橋駅間33km/h、それ以外100km/h

沿線概況[編集]

難波駅 - 橋本駅[編集]

難波駅 - 橋本駅間は沿線に住宅地が多く、20m級の4扉大型車両を運行し通勤客を捌いている。

大阪市内の住吉東駅 - 我孫子前駅間を中心に大きな幹線道路と平面交差になるところもあり、『開かずの踏切』が点在する。沿線住民から高架化工事の要望もあるが、地形的な問題や線路と隣接して住宅などがあるため具体的な構想にまでは至っていない(なお堺市広報によると、浅香山駅および堺東駅の両駅周辺で高架化に着手する動きが出ている)。またカーブが多いため難波駅 - 堺東駅間は南海本線の難波駅 - 堺駅間よりも所要時間が幾分長い。また堺東駅 - 住吉東駅間は先行の各駅停車の後続を運転し、ラッシュ時を中心にのろのろ運転となっている。しかし日中の優等列車の運行頻度は南海本線の毎時8本(有料特急2本、一部座席指定特急2本を含む)に対し、高野線は毎時10 - 11本(うち有料特急は0 - 1本)あり(2013年6月時点)、高野線の方が高い。

堺東駅から千代田駅にかけては国道310号、河内長野駅から終点までは国道370号国道371号がほぼ同じ経路を併走している。

運行系統上、なんば駅から記することとする。

9面8線の構造をもつ始発の難波駅を出てすぐ右にカーブし、右手になんばパークス(旧大阪球場跡地)、ヤマダ電機なんばLABI、左手に今宮戎神社を見ながら、阪神高速1号環状線を潜って、高野線の各駅停車のみが停車する今宮戎駅を通り、国道25号を乗り越え、左手に通天閣が見えると程なくJRとの接続駅である新今宮駅に着く。この駅の下を通るJRの大阪環状線関西本線(いずれも高架線)を高々架で跨ぎ、左右に釜ヶ崎あるいはあいりん地区と称されるドヤ街を、また左手遠方には高さ日本一のビル・あべのハルカスなどの高層ビル群を見ながらやはり高野線の各駅停車のみが停車する萩ノ茶屋駅を過ぎると天下茶屋駅。かつてはこの駅から天王寺支線が分岐していたが、現在は大阪市営地下鉄堺筋線の一部区間が代わってその役割を担っている。1980年までは南海の車両工場もあったが、同年高野線千代田に移転し、跡地には大阪フィルハーモニー交響楽団の練習場やスーパーマーケットが建っている。天下茶屋を出て程なく左にカーブして南海本線系統の線路と別れ、「汐見橋線」との接続駅である下り勾配上の岸里玉出駅を通過、同時に阪堺線を超えると線路は地上に降りて掘割に入り、右カーブの後に南進を始める。しばらくすると帝塚山学院帝塚山学舎の最寄り駅でホーム幅の狭い帝塚山駅、すぐに阪堺上町線を潜り待避線ホームのある住吉東駅を過ぎると大和川を渡るまでカーブや開かずの踏切が連続する。沢ノ町駅我孫子前駅を通過すると、大和川を渡って堺市に入り、関西大学堺学舎、ツツジの見所である浅香山浄水場の最寄り駅の浅香山駅を過ぎて、府道堺大和高田線の高架をくぐると、堺市役所などの所在地で堺市の中心駅である堺東駅に着く。かつては検車区などがあり運行の拠点だったが、現在は検車区は千代田検車区・小原田検車区に移行し、跡地には高層マンションが建っている。

堺東駅を過ぎると大きく左カーブをして南東に進路を変え、掘割区間に入って府道大阪中央環状線をくぐると、右側には仁徳天皇陵が垣間見える。すぐ下の掘割を通って交差するJR阪和線との接続駅の三国ヶ丘駅百舌鳥八幡駅を過ぎると、大阪府立大学中百舌鳥キャンパスの最寄り駅で大阪市営地下鉄御堂筋線泉北高速線との接続駅である中百舌鳥駅に着く。中百舌鳥駅は区間急行以上の優等列車は通過するものの堺市北東部の中心駅であるために乗降者数はかなり多い。またこの駅から一部の列車は泉北高速線に直通運転を行っている。中百舌鳥を出ると泉北高速線は上下線に挟まれた地下トンネルに入っていき、一方の高野線は線路容量に若干余裕が出ることや、線形がやや良くなることもあって、日中時間帯を中心に優等列車はこの付近から少し速度を上げて運転することが多い。線路は住宅地の間を通りながら、程なく退避設備のある白鷺駅初芝駅に至る。緩やかに右にカーブしながら萩原天神駅を過ぎて阪和自動車道府道泉大津美原線バイパスをくぐると一旦周囲には田園風景が見えるようになるが、すぐに近代的な住宅街や商業地などが整備された堺市東区の中心駅・北野田駅に着く。

北野田駅を出ると線路は西除川を渡りながら緩やかに左にカーブをしてすぐに大阪狭山市に入り、狭山駅を過ぎると、車窓右側には住宅街の向こうに日本最古の灌漑用溜池である広大な狭山池の堤防が、左手遠方にはパーフェクト リバティー教団(PL教団)の大平和祈念塔(PL塔)がそれぞれ見えるようになる。右にカーブをすると、かつて南海が経営していた遊園地「さやま遊園」(2000年閉園)の最寄り駅であった大阪狭山市駅に至る。周辺には大規模なニュータウンが見え始め、府道森屋狭山線の跨線橋をくぐると、全列車停車駅である2面4線の金剛駅に着く。これら大阪狭山市内の駅は毎年8月1日教祖祭PL花火芸術の日には、周辺に眺望を妨げるものが少ないために多数の観客が訪れ激しく混雑するが、それ以外の日でも、大規模なニュータウンを周囲にもつ金剛駅は南海電鉄全体での乗降客数の上位に入る駅となっている。

金剛駅を出ると次第に起伏の多い地形が目立ち始め、富田林市に入って滝谷駅を過ぎるが、すぐに線路は河内長野市に入り、千代田駅を過ぎると、車両工場を併設する千代田検車区が広がる。この千代田検車区、高野線、さらには国道310号を大きく越える高架橋が国道170号(大阪外環状線)であり、このガードをくぐると住宅街の広がる丘陵を開削した区間となる。左後方から単線の近鉄長野線が近づいてきて並走し、国道170号の旧道と国道310号の重複区間となっている道路を越えると、駅ビルのノバティながのを携える全列車停車駅の河内長野駅に着く。同駅は南海が2面4線、近鉄が頭端式1面1線の駅構造となっており、利用者数・利便性ともに南海の方が優位に立っている。またこの駅より急行は各駅に停車するため、各駅停車の多くはこの駅で折り返す。

河内長野駅を過ぎると車窓の雰囲気は一変して新興住宅地が広がる山並みの裾を河岸段丘に沿って走る区間となり、石川やその支流の天見川が線路沿いを蛇行するように流れる。左右にカーブをするとすぐにフォレスト三日市と直結する三日市町駅に達するが、これより先は急勾配区間となり、南海本線所属列車など一部の列車は、ブレーキ性能等の関係でこの駅より先には入線できない。この駅を出て電留線を上下線の間に挟みながら大きく左へカーブすると高架区間となり、新興住宅街・南海美加の台の最寄り駅で、高野線で最も新しい美加の台駅に達する。ここから先は山々がせり出し農村地帯を通る区間となり、かつて単線であった頃は山の谷間を縫うように線路が通っていたが、複線化工事の完成後は美加の台駅 - 千早口駅 - 天見駅の駅間に1本ずつトンネルが貫通している。また三日市町 - 美加の台間から並走してきた国道371号の石仏バイパスは、千早口付近(車窓左側から見上げることができる)で供用区間が途切れて、旧道とを結ぶ取付道路と交差する。天見を出た線路はなおも大小3か所のトンネルを通過した後、いよいよ紀見峠を貫く紀見トンネルに入っていく。トンネル内に大阪府と和歌山県の府県境があり、同県橋本市に入る。

この峠からは橋本駅手前まで約7キロにわたり急な下り勾配が続くようになる。トンネルを出るとすぐ紀見峠駅、続く大きな右カーブを過ぎると、南海が開発したニュータウン「南海橋本林間田園都市」の最寄り駅であり、2面3線の構造をもつ林間田園都市駅に着く。区間急行は最長でもこの駅までの運転となり、また快速急行はこの駅より各駅に停車する。続いてニュータウン内のメインストリートであるバイパス道路のガードをくぐってさらに勾配を下ると御幸辻駅に達する。周辺はやや開けてきて、車窓の右側に小原田検車区、左後方からは国道371号の高架橋が立体交差し、さらに京奈和自動車道バイパスの高架橋をくぐり、住宅地の真下の短いトンネルをくぐると、線路は大きく左にカーブをして下り勾配が終了し、右後方から近づいてくるJR和歌山線と並走を始めたところで、同線との乗り換え駅であり、橋本市の中心駅でもある橋本駅に到達する。20m級4扉車や特急「りんかん」専用車両である11000系は、車両限界の関係でこの駅までの運転となる。

橋本駅 - 高野山駅(極楽橋駅)[編集]

橋本駅 - 極楽橋駅間は山岳路線であり、特に高野下駅以南は50の勾配や、制限速度33km/h、半径100m以下の急カーブが続く登山鉄道となっているため、この区間に乗り入れる列車にはズームカーと呼ばれる17m級の2扉中型車両が専用車両として使用されている。

山岳区間、とりわけ高野下駅 - 極楽橋駅間においては完全に線路が山の中に入るために、途中にある駅へは幹線道路からすれ違いの困難な狭い道路や林道があるが、車で辿り着くには容易でない。各駅の周辺の山間部は民家が少なく利用客もきわめて少ないが、すべての駅に簡易型の自動改札が完備され、駅員も夜間には無人になるが橋本駅と、上古沢駅から極楽橋駅のすべての駅に配置されている。

上古沢駅と下古沢駅の間には、鉄道橋としては日本で10箇所だけで供用されているトレッスル橋(全長67.6m、高さ33.4m)の中古沢橋梁があり、南海電鉄が2010年2月25日にみずから設置した観光用の展望デッキと電車の通過時刻を記した時刻表を備え[6]、トレッスル橋を下から見上げられる。展望デッキまでは上古沢駅・下古沢駅から徒歩20分の道のりである。

九度山駅 - 極楽橋駅間には、もっとも長い「椎出トンネル」(九度山駅 - 高野下駅間、399m)[7]をはじめ、大小24箇所のトンネルがあり、このうち高野下駅 - 極楽橋駅間の23箇所には坑口に番号が振られている[8]

橋本駅を出ると線路は単線となり、すぐ緩やかに左カーブをして和歌山線は見えなくなるが、やがて大きく右にカーブをして南進を始め、同線および国道24号のガードをくぐると線路は紀の川を渡る。ここからしばらくは車窓左側には田園地帯の奥に山々が、右側には住宅地と田園地帯の錯雑が見られるようになる。続いてさらに大きく右カーブをして南西方向にしばらく進み、国道371号と平面交差すると紀伊清水駅。この付近から右側に国道370号が並走を始める。車窓左側に学文路天満宮、かむろ大師奥之院が見えると学文路駅。この駅の入場券は、毎年受験シーズンが近づくと、学文路天満宮の祈祷を受けた5枚セットが縁起物として販売される。線路はなおも西進して九度山町に入り、右側に丹生川が近づくと九度山駅である。この駅の近くには真田幸村が潜伏していた真田庵がある。やがて左に大きくカーブをして南進を始める頃から、車窓左側は終点までほぼ完全に山に覆われてしまう。丹生川橋梁で国道370号と丹生川を渡り、椎出トンネルを抜けるとすぐ高野下駅に着く。この駅から先は各駅停車の本数がさらに半減する。

ここから先は急カーブやトンネルの連続区間となり、車窓右側もいくつかの集落が見えるほかは山々に覆われた光景となる。下古沢駅は現在は行き違い設備が撤去され、右側にのみホームをもつ棒線駅となっているが、使われなくなった反対側のホームや構内踏切は残されており、花壇が設置されている。やがて中古沢橋梁に差し掛かるあたりからは周辺の集落もほぼ見えなくなり、さながら秘境の様相を呈してくる。続く上古沢駅を出て4か所のトンネルを通過し、笠木橋梁を渡って1本目のトンネルを抜けた付近で高野町に入り、さらにトンネルを1か所通過すると紀伊細川駅、続いて紀伊神谷駅に至る。最終の4か所のトンネルを抜けて、右側に朱塗りの極楽橋が見えると、鋼索線(高野山ケーブル)との接続駅である終点の極楽橋駅に到着する。ケーブルカーのりばは列車を降りて車止め方向に歩いて突き当たった右側にあり、およそ5分で高野山駅とを結んでいる。

汐見橋駅 - 岸里玉出駅間[編集]

汐見橋 - 岸里玉出間も後述する通りあくまで正式には高野線の一部であるが、1985年の線路分断後は事実上孤立した支線となっており、最大でも1時間に2本の各駅停車が往復するだけの、いわば下町のローカル線の様相を呈している。以下、汐見橋から岸里玉出に向かって記述する。

駅舎にかつてのターミナル駅であった頃の面影を残す、頭端式2面2線の汐見橋駅を出発すると、しばらくは車窓左側に高架の阪神高速15号堺線および新なにわ筋府道大阪臨海線)が並走する。JR大阪環状線の高架をくぐる地点で同時に新なにわ筋が左前方に別れて芦原町駅に着く。同駅下りホームの裏にあるランプウェイは阪神高速の芦原出口である。緩やかに右カーブをすると阪神高速も一旦左に別れ、かつての貨物取扱駅の面影を偲ばせる木津川駅に達する。阪神高速17号西大阪線および国道43号の高架をくぐり、大きく左にカーブをして、右側に西成高校や西成公園が見えると津守駅に至る。津守を出てすぐ新なにわ筋と阪神高速15号堺線の高架をくぐるが、新なにわ筋の高架橋(鶴見橋跨線橋)は1968年に廃線となった大阪市電阪堺線の路盤をそのまま道路に転用したものであり、廃線から半世紀近くたった後も架線柱の切断痕などが見られる。線路は下町の住宅地を直線状に進んで西天下茶屋駅、そのまま高架を上がって国道26号をオーバークロスすると線路は単線となって、左後方から右前方に向かって南海本線が、前方の延長線上から高野線の帝塚山以南に通じる路線がそれぞれ近づき、汐見橋線は南海本線に沿う形で右にカーブをすると岸里玉出駅に到着する。

運行形態[編集]

高野線の起点は汐見橋駅だが、現在は高野山方面へ行くすべての列車が難波駅から発着し岸里玉出駅から高野線に入る。汐見橋駅 - 岸里玉出駅間の通称汐見橋線は、この区間を折り返す各駅停車だけが運行されている。

難波駅 - 極楽橋駅間に特急こうや」、難波駅 - 橋本駅間に特急「りんかん」が運行されている。特急のほか、快速急行急行、区間急行準急各駅停車が運行されている。また、泉北ニュータウンの足として泉北高速鉄道と相互直通運転を行っており難波駅から直通列車がある。橋本駅 - 極楽橋駅間では観光列車「天空」が運行されている。

難波駅から高野山方面へ直通する列車をかつては「大運転」と称したが、特急「こうや」や日中運行される快速急行など一部の列車をのぞき大運転自体が減少したこともあって、近年はあまり用いられていない。大運転の高野山方面列車の行先案内は、高野線の実際の終着駅である極楽橋ではなく、鋼索線を経た「高野山」と表示されていた。また、方向幕を持たない21000系などの場合は、「急」という方向板を掲げるだけで行き先は表示されていなかった。表示方法の見直しが進んだ現在では、「高野山極楽橋」(ただし英語表記は「KŌYASAN」のみ)と表示されるようになっている。

特急は南海本線の「サザン」とは異なり全車両座席指定であり、通常ダイヤにおいて通勤型車両を用いる全車両自由席の特急や「サザン」のような一部座席指定列車は存在しない。

以下に特急以外の種別の運行概況を示す。特急「こうや」および「りんかん」については当該項目を参照のこと。また各種別の現行の停車駅は下図および「駅一覧」を参照。

停車駅表
高野山」のみで「極楽橋」の表示がない方向幕。(登場して間もないころの2000系

列車種別[編集]

方向幕は南海本線と異なり、1000系や2000系をのぞく従来型通勤車はCI導入後も白地の英文なし幕を使用し続けていたが、2000年11月ごろから南海本線と同じタイプの黒地の英文入り幕に交換され始めた。これは同年12月23日のダイヤ改正で難波駅 - 三日市町駅間系統の急行を新設することになったものの、従来からの方向幕には「急|三日市町」の表示が入っていなかったためである。

快速急行[編集]

日中の大部分と下りのみ平日夕方ラッシュ時に難波駅 - 橋本駅間、日中の一部列車は難波駅 - 極楽橋駅間で運行されている。停車駅は千早口駅・天見駅・紀見峠駅を通過するほかは急行と同じである。河内長野駅 - 橋本駅間の各駅のうち特に利用客数が少ない前述の3駅を通過することで遠距離のスピードアップを狙うべく2003年5月31日に登場した。難波駅 - 極楽橋駅間の直通列車は橋本駅で増解結作業を行う。上下列車とも行き先駅まで原則先着する。難波駅 - 橋本駅間の列車は下りの一部をのぞき、橋本で高野山発着列車と接続する。

2013年10月26日のダイヤ変更まで日中に難波駅 - 極楽橋駅間で、平日夕方ラッシュ時に下りのみ難波駅 - 橋本駅間で運行されていた。当時の最速列車は難波10:02発の列車で、難波駅 - 極楽橋駅間を1時間28分で駆け抜けており、同区間では特別料金不要列車にして1時間30分を切っている。これは最も所要時間がかかる特急「こうや」(平日の2号・休日の6号)と同じ所要時間である。しかし、快速急行の最速列車の表定速度も高野下以南が山岳地帯で最高速度が33km/hまでしか出せないため、全区間での表定速度は43.4km/hと遅く、平坦区間にあたる難波駅 - 橋本駅間も線形の悪い箇所が多いため、表定速度は60km/h前後に留まる。平日夕方の難波駅 - 橋本駅間運転の列車は2008年11月1日にJR和歌山線との接続を考慮して下り急行2本を格上げして設定されたもので、すべて4扉大型車両8両編成で運行される。このうちの1本(難波18:20発、現在は運転取り止め)は高野山方面の列車とも接続していた。2013年10月26日のダイヤ変更で難波駅 - 極楽橋駅間の列車は大幅に削減され、特に土曜・休日ダイヤで下りはすべて橋本止まりとなった。

案内放送では「快速急行」であるが、時刻表や方向幕での表記は「快急」、英語表記は“Rapid Express”である。また2008年10月31日まで、平日ダイヤに橋本駅 - 極楽橋駅間でワンマン運転を行う難波発極楽橋行き快速急行もあり、その車両側の種別幕は「快急」と「ワンマン」の二段表記となっていた。なお、この快速急行の前部の極楽橋行き車両は2300系2両で運行されていたが、ダイヤ変更後最初の平日ダイヤ実施日となる11月4日からは、再び2000系4両に戻され、併せて難波から橋本を跨いで運行する料金不要列車はすべて2000系に再び統一された。ただし、夏季などには2300系も4両以上で難波直通列車に入ることがある。

初代の快速急行は1958年に登場したが1968年には一度急行に統合されて消滅しており、35年ぶりに復活したことになる。その当時の停車駅は新今宮駅(1966年から)・堺東駅・北野田駅と河内長野以南の各駅だった。なお初代快速急行は日本で初めての「快速急行」と名乗る種別であった。

2000系による快速急行(帝塚山駅 - 住吉東駅間)

急行[編集]

難波駅 - 三日市町駅・林間田園都市駅・橋本駅・高野下駅・極楽橋駅間で運行されている。2005年10月16日の改正で極楽橋方面への列車は系統分割が行なわれ基本的に橋本駅折り返しとなった。難波駅 - 林間田園都市駅・橋本駅間の列車が中心で高野下駅および極楽橋駅発着はごく一部のみである。橋本駅で橋本駅 - 高野下駅・極楽橋駅間に運行されるワンマン運転の各駅停車やJR和歌山線に接続している。なお難波駅 - 高野下駅・極楽橋駅間の直通列車は早朝時間帯をのぞいて快速急行同様に橋本駅で増解結作業を行う。前節の快速急行と同様に上下列車とも行き先駅まで原則先着するが、時間帯によっては河内長野駅で特急に追い抜かれる列車もある。過去には橋本駅で特急に追い抜かれる列車もあった。

2000年12月23日の改正以前の急行はズームカーで運行される難波駅 - 極楽橋駅間直通の列車が中心で難波駅の発車時刻が原則として0分・30分だった。それゆえ特に深夜の下り急行に関しては激しい混雑が常態化していた。現行のダイヤでは大半が大型車両に置き換えられたが、ズームカーの運用はまだ残っていて、早朝には難波駅 - 橋本駅・極楽橋駅間の急行において4両編成で運行される列車が残っている。また日中以降でも難波駅 - 河内長野・橋本方面の系統の優等列車(急行・区間急行)を中心に6・8両で運用されている。

朝ラッシュ時、橋本駅または林間田園都市駅始発のズームカーをのぞく8両編成で運転する上り列車は、橋本駅 - 天下茶屋駅間で、難波寄りから4両目が女性専用車両としている。

英語表記は“Express”である。なお、橋本駅で極楽橋行(高野下行)の列車と接続する場合は「高野山・極楽橋(高野下)連絡、急行 橋本行」となり、接続のない急行橋本行とは明確に区別されている。自動放送もこの表現で統一されているが、難波駅のみこの表現が用いられず、「橋本で高野山極楽橋行(高野下行)に接続いたします」と放送される。2007年8月25日のダイヤ変更からは、方向幕にも小ぶりながら「高野山連絡(高野下連絡)」の表記が追記され、より区別が明確になっている。さらにこれに合わせて主要駅に備え付けの時刻表では本来のスペースに加え、直通列車のほか橋本駅で極楽橋行への接続がある列車用の時刻表(いわゆる「高野山極楽橋行専用時刻表」のこと)も別に掲載されるようになり、利便性が増した。

加えて、2008年10月31日まで極楽橋駅 - 橋本駅間でワンマン運転を行う極楽橋発難波行き急行もあり、その車両側の種別幕は「急行」と「ワンマン」の二段表記となっていた。

1968年までは、現在の急行は「快速急行」として運行され、これとはまた別に住吉東駅・三国ヶ丘駅・初芝駅にも停車する急行が設定されていた。

現行ダイヤでは河内長野駅以南で各駅に停車するにもかかわらず難波駅 - 橋本駅間を快速急行と同じ所要時間(48分)で運行される列車もある。

6000系による急行(帝塚山付近)

区間急行[編集]

難波駅 - 河内長野駅・三日市町駅・林間田園都市駅間で運行されている。2000年12月23日の改正で朝・夜のみの運転となっていたが、2005年10月16日の改正で再び終日運転となった。また、2013年10月26日のダイヤ変更で日中の1時間毎の運転本数が2本から3本に増便された(河内長野、三日市町、林間田園都市行きが1本ずつ)。夕方、夜間の下りにおいては一部の列車で河内長野駅で特急に追い抜かれることがある。朝ラッシュ時の上りの一部列車は金剛駅で急行に追い抜かれる列車もある。これは特急や急行が停車しない駅からでもこれら相互間の緩急接続により特急や急行が利用できるようにしているからである。日中は快速急行や急行と同様に、上下列車とも行き先駅まで原則先着する。区間急行も8両編成で運行される列車があるが急行とは異なり女性専用車両の設定はない。

案内放送では「区間急行」であるが、時刻表や案内板の表記は「区急」、英語表記は“Sub Express”である。

このほか、平日朝に泉北高速鉄道和泉中央発難波行きが運行されている(2000年12月23日の改正までは平日夕方に難波発和泉中央行きも運行されていた。詳しくは泉北高速鉄道線も参照)。

1995年4月ごろ(泉北高速線和泉中央駅開業時に変更)まで、種別幕の色は急行と同様に赤色(時刻表での表記は赤字に▲印)であったが、混乱を招きやすいためか、関西国際空港開港後の南海本線系統に合わせて緑色に変更し、さらなる区別を明確にしている。しかも旧幕のまま実施された。なお、区間急行は関西国際空港開港以前は高野線のみの種別であった。

1999年11月11日には、縁起の良い"11づくし"という南海独自の企画で、難波を11時11分に出発する列車に「平成11年11月11日 11時11分 難波駅発車」と記した記念のヘッドマークを掲げ、林間田園都市駅まで1往復した。

かつての泉北高速鉄道直通列車では10両編成運転が多数あったが、乗客減により減少し、2012年11月23日の泉北高速線のダイヤ変更で消滅した。

6200系による区間急行(帝塚山駅 - 住吉東駅間)

準急行[編集]

難波駅からおもに泉北高速鉄道直通列車として終日運行され、河内長野方面は長らく平日朝の三日市町駅・河内長野駅・千代田駅から難波駅行きの上りのみの運行だったが、2013年10月26日のダイヤ改正より平日深夜に難波発三日市町行きの列車が運行され、久々に下り列車の運行が復活した。

かつては平日朝ラッシュ時に10両編成運転が多数あったが、乗客減により減少し、2013年7月22日の泉北高速線の列車編成両数変更で消滅、これにより南海の10両編成列車は全廃された。昼間は6両編成で運転される列車が多いが、夕方ラッシュ時以降は8両編成で運転される列車が大半となり、半分以上が泉北車での運用となる。土休日ダイヤは6両編成が多いが朝晩を中心に一部の列車が8両編成で運転されている。

案内放送では「準急行」であるが、時刻表や案内板の表記は「準急」である。自動放送更新前の泉北高速鉄道線内各駅における自動放送では「準急」と案内されていた。なお英語表記は“Semi Express”である。

6100系(6300系の前身)による準急(住吉東付近)

各駅停車[編集]

難波駅 - 堺東駅・北野田駅・金剛駅・千代田駅・河内長野駅・三日市町駅・林間田園都市駅・橋本駅間で運行されているが、大半が難波駅 - 金剛駅・河内長野駅・三日市町駅間の運転で、堺東駅発着は始発難波行き・最終堺東行きのみ、北野田発着は平日朝のみ、ほかも一部のみとなっている。このほか河内長野駅 - 橋本駅間、橋本駅 - 高野下駅・極楽橋駅間にも運行されているほか、深夜に泉北高速鉄道和泉中央発難波行きが1本運行されている。昼間以降、なんば - 河内長野駅間(一部は三日市町駅まで)の運転にほぼ統一されていた時期もあったが、一部の急行が区間急行に格下げされた関係で金剛駅、千代田駅発着の列車も増えている。

6両編成での運転が基本だが、2005年10月16日の改正で十数年ぶりに昼間の大型車両での4両編成運転が復活した。昼間はほとんど4両編成だが、それ以外の時間帯は6両編成での運転が中心になる。2012年11月から2013年10月26日までは夜間にも4両編成の列車が運行されていた。一方で河内長野駅 - 橋本駅間運転の一部列車や泉北高速線内のみで完結する列車は8両編成もある。基本的に下りは住吉東駅で泉北線直通の準急を待避し、堺東駅で快速急行か急行か区間急行のいずれか、北野田駅で快速急行または急行とそれぞれ緩急接続を行い、上りは北野田駅で快速急行か急行か区間急行のいずれか、堺東駅で準急と快速急行か急行か区間急行のいずれか、またその後、時間帯によっては特急とそれぞれ緩急接続を行う。ラッシュ時には上りも住吉東駅で待避する。また、白鷺駅で待避する列車もある。また中百舌鳥駅で泉北線の各駅停車(折り返し)と接続する列車もある。

山岳路線である橋本駅 - 高野下駅・極楽橋駅間の系統のうち、2両編成のものはワンマン運転(4両編成には車掌乗務)である。なお、ワンマン対応車両は現在のところ2300系のみとなっている。橋本駅で難波駅 - 橋本駅間の急行と相互接続を行い、橋本駅では基本的に高野山寄りから発車する。この区間の列車は全区間先着する。

案内放送では「各駅停車」であるが、時刻表や案内板の表記は「各停」である。また、南海本線の普通と同様に、英語表記は“Local”である。

1970年11月23日に岸ノ里駅の難波直通列車ホームが使用開始されるまでは、難波発着列車は堺東折り返しの列車が「各駅停車」(ただし岸ノ里駅は配線上の都合で通過)として、それ以南に直通する列車が今宮戎駅・萩ノ茶屋駅・岸ノ里駅を通過する「普通」として運行されていた。また、汐見橋発の列車も「各駅停車」として住吉東駅まで運行されていた。また、南海本線にも東線を走行して今宮戎駅・萩ノ茶屋駅にも停車する「各駅停車」が住吉公園駅(現在の住吉大社駅)まで運行され、両線で「普通」と「各駅停車」が共存していた。

8200系による各駅停車(住吉東駅付近)

観光列車「天空」[編集]

橋本駅 - 極楽橋駅間に運行される展望列車。途中停車駅は学文路駅・九度山駅のみ。3月 - 11月は水曜・木曜をのぞく毎日運転、12月 - 2月は土曜・休日のみ運転。運行回数は1日2往復。編成は極楽橋寄りに2200系改造の展望車2両、橋本寄りに自由席車の2300系または2000系2両を連結した4両編成。展望車については座席指定料金(おとな510円、こども260円)が必要。なお、車両検査時は代用できる車両がないため運休する。

指定席券については南海の「天空予約センター」で電話予約の上、乗車当日に引き渡しとなる。予約は乗車日の10日前に受付を開始する。

南海が推進する「こうや花鉄道プロジェクト」の一環として導入されることとなり、2008年9月 - 10月に愛称を一般公募し、同年12月15日にこの愛称と2009年7月3日の運行開始が発表された。

運行開始に先立ち、2009年4月29日 - 6月20日の間の土曜・休日に7回、ほぼ本運行のものと同様のダイヤでプレ運行が実施されている。

2013年10月26日のダイヤ変更から、土曜・休日に限り朝に1往復追加された(12月 - 2月はのぞく)。

観光列車「天空」(橋本駅)

汐見橋駅 - 岸里玉出駅間[編集]

汐見橋線とも呼ばれるこの区間は、平日も土曜・休日も同ダイヤの30分間隔(夜間は35 - 40分間隔)で運行されており、これは2013年現在大阪市内で最も本数が少ない。終日ワンマン運転を行っている。初電は6時前後(岸里玉出発5時55分、汐見橋発6時10分)と遅く、終電は22時台とかなり早い部類に当たる(岸里玉出発22時25分、汐見橋発22時40分)[9]。複線区間ではあるが、2008年11月時点のダイヤでは終日1編成のみで運用されており、汐見橋線内での上下列車の行き違いは無い。こちらのダイヤは南海本線の支線と同様に上下列車とも先発先着である。

1985年以前は、高野線岸ノ里駅以南と線路が繋がっており、出入庫のため住吉東駅堺東駅発着の列車も存在したが、同年以後線路が分断され、汐見橋線から高野線帝塚山方面へ直通は不可能となったため、岸里玉出駅 - 汐見橋駅間の運転のみとなり、完全に支線運用扱いとなった。汐見橋駅では阪神なんば線大阪市営地下鉄千日前線桜川駅と接続しているが、両線との連絡運輸は設定されておらず、孤立した存在になっている。なお、阪神桜川駅は南海汐見橋駅の真下に駅が設置されており、計画段階では汐見橋駅になる予定だったが、乗降客の多い大阪市営地下鉄に駅名を合わせた。

南海本線とは高野線分断前から線路が繋がっており、車両は南海線住ノ江検車区所属の2200系・2230系が充当されているが[10]、あくまで正式に同区間は高野線の一部として扱われているため、乗務員も高野線側が担当しており、列車種別も「普通」ではなく「各停」としている。高野線本体と分断される1985年以前は、高野線所属のおもに6000系ステンレスカー2両編成で運行されていた。1985年から1995年までは南海本線の他の支線と同様に1521系が使われた[11]。1995年の2200系・2230系化により、再び高野線出自の車両に戻ったことになる。

岸里玉出駅における接続だが、先述の通り基本的に30分間隔の運転で、15分間隔で運転している南海本線普通との接続時分はほぼ一定しているものの、高野線各停は12分間隔なので、相互間の接続時分にバラつきが生じている。

臨時列車[編集]

1990年代前半までは学校の夏休み期間中、大阪市堺市など沿線にある公立小学校児童の高野山林間学校団体輸送用として、21000系22000系による専用の臨時列車が多数運行されていたが、1990年代後半以降、少子化や林間学校の目的地の多様化、貸切バス利用への転移などによって高野線を利用する林間学校の小学生の団体は大幅に減少したため、現在は小学生団体専用の極楽橋直通臨時列車はほとんど見られなくなっている。

お盆期間[編集]

お盆期間における高野山への参拝客・観光客・墓参り客への対応については、特急は「こうや」とは別に、一般車(近年は2000系の4両編成が多く、2300系が連結されることもある)の自由席特急が運行される。停車駅は「こうや」と同じだが、全車自由席のため特急券は必要ない。ただ、お盆期間の平日はほかの関西私鉄とは異なり平日ダイヤによる運転となっている。なお、お盆以外にも特急用車両の事故や故障などの緊急時に、一般車による自由席特急が代走することもある。

このほか、難波駅 - 高野下駅間の急行や橋本駅 - 高野下駅間の各駅停車が高野下駅 - 極楽橋駅間を延長運行したり、急行や各駅停車に接続する形で高野下駅 - 極楽橋駅間を往復する列車が運行されたりする。いずれの場合も高野下駅 - 極楽橋駅間はノンストップであり、この区間は「臨時」の幕が表示される。また、橋本駅 - 極楽橋駅間運転の自由席特急や各駅停車が増発される場合もある。この特急は全線通しの特急と停車駅が異なり、途中学文路駅と九度山駅に停車する(即ち「天空」と同じ停車駅で運転される)。また、高野下駅 - 極楽橋駅間をノンストップで走る列車は、全区間で「臨時」幕を出すこともある。

臨時列車が運行される場合、前述の観光列車「天空」は運休する予定になっている。

PL花火芸術開催時[編集]

毎年8月1日の「教祖祭PL花火芸術」開催時には、大阪狭山市駅金剛駅が花火会場への最寄り駅となるため、一部列車の両数と発着時刻の変更と臨時列車が運行される。具体的には花火終了後、三日市町河内長野千代田発の準急・区急難波行きの臨時列車を数本程度運行している。2008年度までは花火開始前に難波発準急河内長野・三日市町行きを運行していた。また、花火開始前と終了後に運行している4両編成の一部各停と区急が6両編成に、6両編成の一部急行が8両編成に増車される。

年末年始[編集]

毎年大晦日から元日早朝にかけて終夜運転が行われている。各駅停車のみの運転で、全列車中百舌鳥駅で泉北高速鉄道の列車と接続する。2009年までの元日早朝は難波駅 - 河内長野駅間のみにおいて40分間隔で運行されていたが、2010年から元日早朝は難波駅 - 北野田駅間のみにおいて40分 - 60分間隔で終夜運転、北野田駅 - 河内長野駅間は午前2時台までの運転となる。河内長野駅 - 極楽橋駅間と汐見橋線は終夜運転を行わない。

使用車両[編集]

特筆すべき点として4扉車については1992年に1000系が導入されてから20年間、全く新型車両が導入されていない。これは高野線の車両の老朽化が目立っていないことや、南海本線で7000系・7100系が塩害などにより老朽化が進行しているために、同線への新型車両導入を優先させているためである。ただし、省エネルギー推進のため6200系や8200系でVVVFインバーター制御への更新を進めている。

自社車両

電車

乗り入れ車両

泉北高速鉄道泉北高速鉄道線


過去の使用車両[編集]

自社車両

電車
客車
蒸気機関車

乗り入れ車両

泉北高速鉄道泉北高速鉄道線


乗務員[編集]

  • 難波駅 - 極楽橋駅間では、特急以外は橋本駅で乗務員交替が行われ、特急は始発駅から終着駅まで通しで乗務する。泉北高速鉄道線の直通列車は中百舌鳥駅で乗務員交替が行われる(平日朝の泉北線からの区間急行は中百舌鳥駅を通過するため、泉北高速鉄道と南海電鉄の協定により光明池駅で乗務員交替を行う)。泉北高速鉄道が南海電鉄に業務を委託していた時代は南海の乗務員が通しで乗務していた。汐見橋線では、高野線難波支区に所属する専門系統(支線系統)の乗務員が乗務する。
  • 高野線において全席指定の特急電車運転士は希望調査の上決定され、特急乗務員になると「特急系統」と呼ばれる専用乗務行路が与えられ、同時に所属も高野線列車区難波支区となる。また、全席指定の特急には業務委託先の「アバン」に所属する女性車掌が乗務し、8両編成の特急には女性のパッセンジャーズ・アテンダント(PA) も乗務する。これは8両編成の場合、11000系+31000系の組み合わせ以外では両編成間の車内での通り抜けができず、進行方向前4両側にも車内検札等の係員が乗務する必要が生じるため。
  • 橋本駅 - 極楽橋駅間では、高野下駅以南の連続急勾配区間における特殊な運転技術や異常時対処方などが要求されることから、高野線列車区橋本支区の専門乗務行路が組まれ、ワンマン列車も運行されていることから一部行路で「乗組制」が敷かれていない。なお、高野下駅折り返しの列車には一般系統行路担当乗務員が、難波駅 - 高野下駅間を通しで担当する場合がある。
  • 橋本駅では、難波方面行き電車は通常4番線に入線するが、ダイヤの都合上5番線に入線する時は電鈴1打の合図を車掌に対して行う。この合図に対する車掌の返事も電鈴1打か2打である。なお、下古沢駅 - 紀伊神谷駅間でも、出発前に車掌に対して電鈴1打による閉扉良しの合図を送る。
  • 夜間運転中、停車列車が駅に停車中に通過電車が接近した場合、停車列車の運転士がヘッドライトを消す。
  • 終着駅到着後、車掌が降車側の扉を開ける。その後運転士は車掌スイッチの切り換えを行い、切り換え完了後乗車側の扉を開扉し、車掌に対して電鈴2打で合図を送る。合図を受けた車掌は車掌スイッチが作動しないことを確認した後、電鈴2打で合図を送る。そして降車側扉は運転士によって閉扉される(南海本線では降車側扉の閉扉は車掌が行う)。
  • 上り難波行き運転士は、指定された駅において、乗降客確認のための後方監視を行う(ただし任意で他の駅でも後方監視を行う場合がある)。
  • 九度山駅 - 極楽橋駅間では、トンネルが連続する区間であるため、昼間でも遮光幕を閉めることがある。
  • 始発駅から乗務する際、ヘッドライトの点灯確認を行う。

歴史[編集]

21000系ズームカー
(天見、1994年)

から西高野街道に沿って高野山を目指し、高野鉄道が1898年に大小路駅(現在の堺東駅) - 狭山駅間を開業。その後、長野駅(現在の河内長野駅)まで延びた。当初の計画では大小路駅から南海鉄道の堺駅に接続する予定だったが、住吉大社我孫子観音への参詣客が見込めることから方針を転換。大小路駅から北上して住吉東駅を起点に狭山・長野方面、さらには和歌山県橋本への延伸を目論む。だが高野鉄道の経営は思わしくなく、高野杉吉野杉を水運の拠点だった木津川口まで輸送することを企図することと、難波延長は、当時の南海鉄道と並行するため、監督官庁の許可が下りず、道頓堀駅(現在の汐見橋駅)まで延伸して自力で大阪市内へ乗り入れた。それでも日清戦争後の不況で業績は好転せず、高野鉄道は長野 - 橋本間の延伸を断念。終には根津嘉一郎の出資によって設立された高野登山鉄道が事業を継承して、路線延長が図られることになった(この時に高野登山鉄道の現地支配人として根津によって送り込まれたのが、のちに東京地下鉄道を開業する早川徳次である)。高野登山鉄道は、1915年に汐見橋駅 - 橋本駅間を開通させ大阪高野鉄道と社名変更。その後、和歌山水力電気が保有していた橋本 - 高野山大門間の免許を買収し、高野大師鉄道を設立して、このうち橋本 - 椎出(高野下)間の工事を着工する。1922年に大阪高野鉄道・高野大師鉄道はともに南海鉄道と合併し、高野大師鉄道によって着手していた橋本駅 - 高野山駅(現在の高野下駅)間は1925年に開通した。

だが南海鉄道との合併の際に、椎出(高野下)以南の免許は和歌山水力電気に返還。さらに和歌山水力電気も京阪電気鉄道に買収され、結局南海は別会社として高野山電気鉄道を設立。京阪から路線免許を再度買収の上で建設し、1928年高野下駅 - 神谷駅(現在の紀伊神谷駅)間が開業、翌年極楽橋駅まで開業し全通した[12]。南海鉄道は1944年に関西急行鉄道に合併し近畿日本鉄道となったが、この高野山電気鉄道は戦後、南海が分離独立する際の受け皿会社となった。

1960年代ごろから沿線の宅地開発が進み、南海も美加の台住宅地や南海橋本林間田園都市を建設する。その通勤輸送増加に対応するため、列車編成増強や河内長野以南の線路改良を進め、1995年には橋本駅までの複線化を完成させた。この結果、1980年代前半までは三日市町以北に限られていた20m級車体の大型車両の運行区間が、1984年に林間田園都市まで、1995年には橋本駅まで延長された。なお、全通当初の路線距離は汐見橋駅 - 極楽橋駅間で65.1kmであったが、河内長野駅 - 橋本駅間の線路改良で、1995年に河内長野駅 - 極楽橋駅間で0.6km短縮されている。

その反面、橋本駅 - 極楽橋駅間の乗客数は減少の一途を辿り、2000年12月のダイヤ改正で高野下駅 - 極楽橋駅間において日中の運転本数の削減が行われ(1時間に2本→1本)、さらに2005年10月のダイヤ改正では同区間を運行する列車が4両編成の直通急行から2両編成・ワンマン運転の各停が中心となるダイヤに変更された。

一方、事実上支線化された汐見橋駅 - 岸里玉出駅間(汐見橋線)は乗客が減少し減便されながらも細々と生きながらえている状態である。将来建設が計画されているなにわ筋線との接続路線になるために複線のまま維持されている状態だが、現在なにわ筋線の建設計画は事業主体が決まらず、頓挫している状態であり、その動向によってはこの区間にも何らかの動きがあるものと見られている。2009年4月に地元首長や経済界・鉄道会社幹部が集まって開かれた「関西活性化に向けた今後の鉄道ネットワークのあり方に関する懇談会」では「建設が必要」という意見で一致したが、同時に起点を難波駅とする意見も示されており、仮になにわ筋線の着工が決まっても当区間が利用されるかどうかは流動的な情勢となっている。2011年に発表された近畿運輸局の調査結果では、汐見橋駅接続では黒字化が望めないのに対し、難波駅接続では最短で24年目に黒字化が望めるとして、難波駅接続ルートが有力となっている[13]

年表[編集]

  • 1898年(明治31年)
    • 1月30日:高野鉄道により大小路駅(現在の堺東駅) - 狭山駅間が開業。
    • 4月2日:狭山駅 - 長野駅(現在の河内長野駅)間が開業。
  • 1900年(明治33年)
    • 9月3日:道頓堀駅(現在の汐見橋駅) - 大小路駅間が開業[14]
    • 9月7日:(臨)百舌鳥駅(現在の百舌鳥八幡駅)が開業[15]
    • 9月8日:大小路駅を堺駅に改称の旨届出があったと官報掲載[16]
    • 9月11日:住吉駅を住吉東駅に、堺駅を堺東駅に改称の旨届出があったと官報掲載[17]
  • 1901年(明治34年)1月1日:道頓堀駅を汐見橋駅に改称。
  • 1902年(明治35年)1月1日:(臨)我孫子駅(のちの若宮駅)が開業。
  • 1903年(明治36年)2月26日:勝間駅を阿部野駅(現在の岸里玉出駅)に改称。
  • 1907年(明治40年)11月15日:高野鉄道が事業一切を高野登山鉄道に譲渡。
  • 1912年(明治45年)
    • 同年ごろ:百舌鳥貨物駅廃止[5]
    • 3月16日:我孫子駅を若宮駅に改称届出。
  • 1912年(大正元年)
    • 10月10日:汐見橋駅 - 長野駅(現在の河内長野駅)間が600V電化。我孫子前駅・中百舌鳥駅・萩原天神駅が開業[18]
    • 11月15日:芦原町駅が開業。
  • 1913年(大正2年)
    • 2月21日:津守駅が開業。
    • 4月4日:河内半田駅 - 滝谷駅間に貨物駅として第一半田駅が開業(1927年 - 1930年ごろ廃止)。
    • 5月10日:第一半田駅 - 滝谷駅間に貨物駅として第二半田駅が開業(1927年 - 1930年ごろ廃止)。
    • 12月27日:百舌鳥駅を百舌鳥八幡駅に改称の旨届出があったと官報掲載[19]
  • 1914年(大正3年)
    • 5月22日:狭山駅 - 滝谷駅間の池尻信号所廃止届出。
    • 8月7日:北野田駅が開業。
    • 10月21日:長野駅 - 三日市町駅間が開業。以降当初から電化。
  • 1915年(大正4年)
    • 3月11日紀見トンネル(通称「紀見峠トンネル」、現在の天見駅 - 紀見峠駅間上り線)開通。三日市町駅 - 橋本駅間が開業。
    • 6月22日:浅香山駅が開業。
    • 9月18日:西天下茶屋駅が開業。
    • 4月2日:高野辻駅 - 橋本駅間に(臨)橋本町駅開業。同年限りで廃止。
    • 4月30日:高野登山鉄道が大阪高野鉄道に社名変更。
    • 9月1日:橋本駅 - (妻信号所) - (貨)紀ノ川口駅間が開業。
  • 1917年(大正6年)
    • 7月5日:河内半田駅(現在の大阪狭山市駅)が開業。
    • 8月1日:住吉東駅 - 我孫子前駅間の(臨)若宮駅が廃止。
    • 10月1日:高野辻駅 - 橋本駅間に(臨)市脇山駅開業。1918年まで開設。
  • 1922年(大正11年)9月6日:南海鉄道が大阪高野鉄道を合併。高野線になる。
  • 1923年(大正12年)
    • 4月21日:高野辻駅を御幸辻駅に改称[20]
    • 12月1日:汐見橋駅 - 橋本駅間で40分ごとに運転(大運転列車)。
  • 1924年(大正13年)
    • 3月18日:住吉東駅 - 我孫子前駅間が複線化。
    • 9月8日:阿部野駅 - 住吉東駅間が複線化。
    • 10月26日:汐見橋駅 - 木津川駅間が複線化。
    • 11月1日:妻信号所 - 学文路駅間が開業。橋本駅 - 紀ノ川口駅間に妻信号所が開設。
    • 12月25日:学文路駅 - 九度山駅間が開業。
  • 1925年(大正14年)
    • 2月1日:阿部野駅を岸ノ里駅(現在の岸里玉出駅)に改称[21]
    • 3月15日:岸ノ里駅に南海本線との東連絡線開設。難波駅乗り入れ開始。難波直通列車はホームがないため岸ノ里駅を通過。清水駅が開業。
    • 3月27日:清水駅を紀伊清水駅に改称[22]
    • 3月28日:高野山電気鉄道設立。
    • 6月8日:我孫子前駅 - 堺東駅間が複線化。
    • 7月30日:九度山駅 - 高野山駅(現在の高野下駅)間が開業[23]
    • 9月11日:高野山駅を高野下駅に改称[24]
  • 1926年(大正15年)12月3日:西天下茶屋駅 - 岸ノ里駅間および、岸ノ里駅東連絡線が複線化。西連絡線が開設。
  • 1927年(昭和2年)7月19日:妻信号所 - 紀ノ川口駅間に(貨)紀伊河瀬駅が開業。
  • 1928年(昭和3年)
    • 6月18日:高野山電気鉄道が高野下駅 - 神谷駅(現在の紀伊神谷駅)間が開業。1500V電化。
    • 6月22日:堺東駅 - 西村駅間が複線化。
  • 1929年(昭和4年)
    • 2月21日:高野山電気鉄道の神谷駅 - 極楽橋駅間が開業し全通。
    • 10月10日:西村駅 - 北野田駅間が複線化。
    • 11月1日:高野線全列車難波駅より発着開始。汐見橋駅 - 岸ノ里駅が事実上支線化。汐見橋発着列車は住吉東駅(出入庫列車は堺東駅)発着になる。
  • 1930年(昭和5年)
    • 3月1日:細川駅を紀伊細川駅に、神谷駅を紀伊神谷駅に改称。
    • 4月12日:木津川駅 - 西天下茶屋駅間、北野田駅 - 狭山駅間が複線化。
    • 6月29日鋼索線(極楽橋駅 - 高野山駅間)が開業し高野山上までの鉄道のみでのルートが完成。
  • 1932年(昭和7年)4月28日:高野山電気鉄道が600Vに降圧し、南海高野線と相互直通運転開始。
  • 1934年(昭和9年)12月26日:帝塚山駅が開業。
  • 1935年(昭和10年)8月1日:西村駅を初芝駅に改称。
  • 1937年(昭和12年)4月19日:狭山駅 - 金剛駅間が複線化。金剛駅が開業。
  • 1938年(昭和13年)2月11日:金剛駅 - 長野駅間が複線化。千代田駅が開業。
  • 1942年(昭和17年)2月15日:沢ノ町駅・三国ヶ丘駅が開業。
  • 1944年(昭和19年)
    • 6月1日:関西急行鉄道と南海鉄道が合併、近畿日本鉄道となる。
    • 9月3日:高野山電気鉄道紀伊細川駅 - 上古沢駅間で極楽橋行き電車が床下から火を噴き、停車して点検中に勾配を下り始めカーブで脱線転覆大破。71名死亡。
    • 9月4日:萩原天神駅で100m以上オーバーランした長野発難波行き各駅停車がホームまで戻ったところへ定刻より約10分遅れで同駅通過の三日市町発難波行き急行が追突、通勤通学客で満員の両電車大破。5名死亡。
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月13日:難波駅乗り入れ休止、全列車が汐見橋駅発着となる。
    • 12月6日:汐見橋発橋本行き電車が速度超過により紀見峠駅の安全側線を越えて脱線転覆。27名死亡。
  • 1946年(昭和21年)7月1日:難波駅乗り入れ再開。
  • 1947年(昭和22年)
    • 3月15日:高野山電気鉄道が南海電気鉄道に社名変更。
    • 6月1日:近畿日本鉄道が旧・南海鉄道の路線を南海電気鉄道に譲渡。
  • 1949年(昭和24年)7月30日:中百舌鳥駅 - 初芝駅間に(臨)中百舌鳥運動場前駅が開業。
  • 1950年(昭和25年)4月1日:河内半田駅を狭山遊園前駅に改称。
  • 1951年(昭和26年)7月7日:特急「こうや号」が運転開始。
  • 1954年(昭和29年)4月1日:長野駅を河内長野駅に改称。
  • 1957年(昭和32年)6月29日:三日市町駅 - 千早口駅間に加賀田信号所が開設。
  • 1958年(昭和33年)
    • 5月10日:(臨)中百舌鳥運動場前駅が廃止。
    • 8月1日:ズームカー21000系が運転開始。
  • 1959年(昭和34年)12月20日:妻信号所 - 紀ノ川口駅間が廃止。橋本駅 - 紀伊清水駅間の妻信号所が廃止。
  • 1961年(昭和36年)7月5日:特急「こうや号」で20000系が運転開始。
  • 1964年(昭和39年)
    • 2月25日:紀見峠駅 - 御幸辻駅間が一部複線化。同区間に橋谷信号所が開設。
    • 5月25日:白鷺駅が開業。
  • 1966年(昭和41年)3月1日:千代田駅 - 河内長野駅間に千代田信号所が開設。
  • 1968年(昭和43年)1月18日:天下茶屋駅構内で南海本線春木発難波行き急行が信号を冒進し堺東行き下り回送列車に正面衝突。296名負傷(天下茶屋駅列車衝突事故)。
  • 1969年(昭和44年)11月1日:朝夕の通勤時間帯における大運転急行2往復に対し、河内長野駅で2両増結運転開始。
  • 1970年(昭和45年)11月23日:岸ノ里駅に難波駅直通列車用ホーム設置。
  • 1971年(昭和46年)4月1日:泉北高速鉄道と相互直通運転開始。
  • 1973年(昭和48年)10月7日:架線電圧を1500Vに昇圧。
  • 1974年(昭和49年)3月24日:河内長野駅 - 三日市町駅間が複線化。大運転急行の増結・解放を河内長野駅から三日市町駅に変更。
  • 1976年(昭和51年)4月4日:天見駅 - 紀見峠駅間下り線の「新紀見トンネル」(通称「紀見峠トンネル」)が竣工。
  • 1979年(昭和54年)
    • 5月26日:天見駅 - 紀見峠駅間が複線化。
    • 6月3日:大運転急行のうち、朝通勤時の2往復を難波駅 - 三日市町駅間で4両増結の8両編成で運転開始。
  • 1981年(昭和56年)11月22日:林間田園都市駅が開業。
  • 1983年(昭和58年)
    • 6月5日:千早口駅 - 天見駅間、紀見峠駅 - 御幸辻駅間が複線化。橋谷信号所が廃止。
    • 6月26日:特急「こうや号」で30000系運転開始、「こうや号」の2往復が通年運転となる。河内長野駅に全列車が停車するようになる。
    • 12月13日:三日市町駅 - 千早口駅間の複線化工事に伴い、新線に加賀田信号所を移転。
  • 1984年(昭和59年)
    • 3月6日:三日市町駅 - 千早口駅間が複線化。加賀田信号所が廃止。
    • 3月11日:朝ラッシュ時に大型車両が林間田園都市駅まで乗り入れ開始。三日市町駅における大運転急行の増結・解放を昼間(閑散時)にも拡大し、ほぼ終日行われるようになる。
    • 9月1日:美加の台駅が加賀田信号所の跡地に開業。
    • 9月16日:20000系がこの日限りで運用終了。
  • 1985年(昭和60年)6月16日:汐見橋駅 - 岸ノ里駅間(汐見橋線)が岸ノ里駅以南と分断。朝方上り・夕方下りに難波駅 - 橋本駅間の特急(通称"H特急")を新設。昼間の区間急行が林間田園都市駅まで乗り入れ開始し、難波駅の発車時刻を10分前倒し。
  • 1990年(平成2年)
    • 5月2日:南海初のVVVF制御車両として2000系(ズームカー)が運転開始。
    • 7月1日:朝方上り・夕方下りの難波駅 - 橋本駅間特急のみ林間田園都市駅にも停車開始。
  • 1992年(平成4年)11月10日:難波駅 - 橋本駅間特急を「りんかん」と命名。「こうや号」を「こうや」と改称。特急車11000系(20m級車両)が運転開始。大型車両橋本駅まで乗り入れ開始。金剛駅および林間田園都市駅が全列車停車するようになる。
  • 1993年(平成5年)4月18日:岸ノ里駅と南海本線玉出駅が統合され岸里玉出駅となる。
  • 1994年(平成6年)7月21日:御幸辻駅 - 橋本駅間を新線に切り替え。
  • 1995年(平成7年)
    • 9月1日:御幸辻駅 - 橋本駅間が複線化。難波駅 - 橋本駅間に「りんかんサンライン」の愛称を使用開始。ズームカーによる急行の増解結の実施駅が一部をのぞいて三日市町駅から橋本駅に変更。平日朝ラッシュ時に難波駅 - 河内長野駅間でズームカーの急行10両編成運転開始。このときの運賃改定で河内長野駅 - 極楽橋駅間の営業キロを0.6km短縮。
    • 11月1日:南海本線萩ノ茶屋駅 - 岸里玉出駅間の高架化が完成。東側2線を高架化。
  • 1996年(平成8年)11月24日:御幸辻駅 - 橋本駅間に小原田信号所開設。天下茶屋駅が区間急行・準急の全列車が停車するようになる。
  • 1998年(平成10年)9月30日:学文路駅構内難波方の分岐器付近で発車直後の難波行き急行が脱線。いわゆる「せり上がり脱線」。
  • 1999年(平成11年)3月1日:特急「こうや」「りんかん」で31000系が運転開始。
  • 2000年(平成12年)12月23日:狭山遊園前駅を大阪狭山市駅に改称。難波駅 - 橋本駅間で特急の8両運転開始、「こうや」「りんかん」の併結運転開始。日中の区間急行を急行に格上げ。天下茶屋駅に全列車が停車するようになる。日中のダイヤが10分・15分間隔の混在型から一律12分間隔となり、優等列車の増発と各停の運転本数削減。汐見橋線ワンマン運転開始。
  • 2002年(平成14年)3月28日:紀伊細川駅 - 紀伊神谷駅間で土砂崩落が発生し、走行中の難波行き急行が乗り上げ脱線。高野下駅 - 極楽橋駅間が運休し、翌日復旧。
  • 2003年(平成15年)
    • 2月24日:紀伊細川駅 - 紀伊神谷駅間で土砂崩落が発生し[25]、走行中の極楽橋行き急行が乗り上げ脱線。1名負傷。高野下駅 - 極楽橋駅間が運休し、2月27日部分復旧、3月3日完全復旧。
    • 5月31日:日中に快速急行を運転開始。ズームカーの10両編成運転終了。平日朝の上り急行で女性専用車両を導入。
  • 2005年(平成17年)
    • 3月31日:2300系(ズームカー)が運転開始。
    • 10月16日:難波駅 - 極楽橋駅間の急行を系統分割化、一部除き橋本駅折り返しになる。橋本駅 - 極楽橋駅間で2300系によるワンマン運転開始。特急列車の増発。区間急行が再び終日運転となる。
  • 2007年(平成19年)
    • 10月27日:浅香山駅北付近の線路上に小型ヘリコプターが墜落炎上する大阪航空堺市墜落事故が発生し、搭乗員2名が死亡。電車は通過していなかったが、一時上下線とも運転見合わせとなった。付近は住宅密集地であり、さらなる惨事に繋がる可能性もあった。
  • 2008年(平成20年)11月1日:平日夕方にも下り急行2本の格上げで快速急行を設定するとともに、快速急行初の4扉大型車両運転開始。
  • 2009年(平成21年)
    • 3月20日:「りんかんサンライン」の愛称を事実上、廃止。
    • 7月3日:2200系を改造した観光列車「天空」を橋本駅 - 極楽橋駅間で運行開始。
    • 7月5日:6100系がこの日限りで運用終了。
  • 2011年(平成23年)
    • 9月5日 - 10月3日台風12号による大雨の影響で橋本駅 - 紀伊清水駅間の紀ノ川橋梁において線路に歪みが認められたため、同区間の列車の運転を休止し、バスによる代行輸送実施。特急「こうや」は橋本止まり、観光列車「天空」は全区間運休となった。
  • 2012年(平成24年)
    • 7月2日 - 9月7日夏季の電力事情に対応するため、お盆期間(8月13日-15日)をのぞく平日に通常6両で運行する快速急行4本、急行2本、区間急行6本、各駅停車12本について4両に減車して運行[26][27]

駅一覧[編集]

難波駅 - 岸里玉出駅 - 極楽橋駅間[編集]

  • 難波駅 - 天下茶屋駅間の駅と帝塚山駅 - 極楽橋駅間の駅との間の運賃は、天下茶屋駅 - 帝塚山駅間を1.8kmとして計算する。例えば難波駅 - 極楽橋駅間63.8kmの場合は63.6kmで計算する。
  • 各駅停車は全旅客駅に停車する(表中省略)。
凡例
駅名 … #:列車待避可能駅
停車駅 … ●:全列車停車、▲:橋本駅始発の臨時特急のみ停車、|:全列車通過
線路 … ∥:複線区間、◇・|:単線区間(◇は列車交換可能)、∨:ここより下は単線
正式路線名 駅番号 駅名 駅間キロ 営業キロ 準急 区間急行 急行 快速急行 天空 特急 接続路線 線路 所在地
汐見橋
から
岸里
玉出
から
南海本線 NK01 難波駅 - - 3.9   大阪市営地下鉄■ 御堂筋線 (M20) ・■ 千日前線 (S16) ・■ 四つ橋線 (Y15)
近畿日本鉄道難波線大阪難波駅
阪神電気鉄道阪神なんば線大阪難波駅:HS 41)
西日本旅客鉄道関西本線大和路線)(JR難波駅
大阪府 大阪市 中央区
NK02 今宮戎駅 0.9 - 3.0     浪速区
NK03 新今宮駅 0.5 - 2.5   西日本旅客鉄道:大阪環状線・関西本線(大和路線)
大阪市営地下鉄:■ 御堂筋線(動物園前駅:M22)・■ 堺筋線(動物園前駅:K19)
阪堺電気軌道阪堺線南霞町停留場:HN52)
西成区
NK04 萩ノ茶屋駅 0.6 - 1.9    
NK05 天下茶屋駅 1.0 - 0.9   大阪市営地下鉄:■ 堺筋線 (K20)
高野線 NK06 岸里玉出駅 0.9 4.6 0.0   南海電気鉄道南海本線汐見橋線
NK51 帝塚山駅 1.1 5.7 1.1     住吉区
NK52 住吉東駅# 0.9 6.6 2.0   阪堺電気軌道:上町線神ノ木停留場:HN09)
NK53 沢ノ町駅 0.9 7.5 2.9    
NK54 我孫子前駅 0.6 8.1 3.5    
NK55 浅香山駅 1.3 9.4 4.8     堺市 堺区
NK56 堺東駅# 1.6 11.0 6.4    
NK57 三国ヶ丘駅 1.5 12.5 7.9   西日本旅客鉄道:阪和線
NK58 百舌鳥八幡駅 0.9 13.4 8.8    
NK59 中百舌鳥駅# 0.7 14.1 9.5   泉北高速鉄道泉北高速鉄道線 (SB01)(一部直通運転:下記参照)
大阪市営地下鉄:■ 御堂筋線 (M30)
北区
NK60 白鷺駅# 1.0 15.1 10.5    
NK61 初芝駅 1.5 16.6 12.0     東区
NK62 萩原天神駅 0.9 17.5 12.9    
NK63 北野田駅# 1.8 19.3 14.7    
NK64 狭山駅 0.9 20.2 15.6     大阪狭山市
NK65 大阪狭山市駅 1.6 21.8 17.2    
NK66 金剛駅# 1.1 22.9 18.3    
NK67 滝谷駅 1.7 24.6 20.0     富田林市
NK68 千代田駅 1.3 25.9 21.3     河内長野市
千代田信号所 - (26.6) (22.0)    
NK69 河内長野駅# 2.1 28.0 23.4   近畿日本鉄道:長野線
NK70 三日市町駅 1.7 29.7 25.1    
NK71 美加の台駅 1.6 31.3 26.7      
NK72 千早口駅 1.9 33.2 28.6      
NK73 天見駅 1.7 34.9 30.3      
NK74 紀見峠駅 3.7 38.6 34.0       和歌山県 橋本市
NK75 林間田園都市駅 1.3 39.9 35.3      
NK76 御幸辻駅 2.0 41.9 37.3        
小原田信号所 - (42.8) (38.2)        
NK77 橋本駅 2.8 44.7 40.1     西日本旅客鉄道:和歌山線
NK78 紀伊清水駅 3.1 47.8 43.2      
NK79 学文路駅 2.6 50.4 45.8      
NK80 九度山駅 1.8 52.2 47.6       伊都郡 九度山町
NK81 高野下駅 2.0 54.2 49.6      
NK82 下古沢駅 1.7 55.9 51.3      
NK83 上古沢駅 1.7 57.6 53.0      
NK84 紀伊細川駅 3.0 60.6 56.0       高野町
NK85 紀伊神谷駅 2.4 63.0 58.4      
NK86 極楽橋駅 1.5 64.5 59.9     南海電気鉄道:鋼索線
  直通運転区間 中百舌鳥駅から
○準急・区間急行…泉北高速鉄道線和泉中央駅まで

汐見橋駅 - 岸里玉出駅間[編集]

  • 通称「汐見橋線」。全線大阪府大阪市に所在。全列車各駅停車。
  • 線路 … ∥:複線区間、Y:終点(駅構内列車交換不可)
駅番号 駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 線路 所在地
NK06-5 汐見橋駅 - 0.0 阪神電気鉄道:阪神なんば線(桜川駅:HS 42)
大阪市営地下鉄:■ 千日前線(桜川駅:S15)
浪速区
NK06-4 芦原町駅 0.9 0.9 西日本旅客鉄道:大阪環状線(芦原橋駅
NK06-3 木津川駅 0.7 1.6   西成区
NK06-2 津守駅 1.0 2.6  
NK06-1 西天下茶屋駅 1.0 3.6  
NK06 岸里玉出駅 1.0 4.6 南海電気鉄道:南海本線・高野線

廃駅[編集]

駅名は最終のもの。

  • 若宮駅(沢ノ町駅 - 我孫子前駅間、1902年1月1日開業、1917年8月1日廃止)
  • 百舌鳥貨物駅(中百舌鳥駅 - 中百舌鳥運動場前駅間、1912年ごろ廃止[5]
  • 中百舌鳥運動場前駅(百舌鳥貨物駅 - 白鷺駅間、1949年7月30日開業、1958年5月10日廃止)
  • 第一半田駅(大阪狭山市駅 - 第二半田駅間、1913年4月4日開業、1930年ごろまでに廃止。貨物駅)
  • 第二半田駅(第一半田駅 - 金剛駅間、1913年5月10日開業、1930年ごろまでに廃止。貨物駅)
  • 市脇山駅(御幸辻駅 - 橋本町駅間、1917年10月1日開業、1918年廃止。臨時駅)
  • 橋本町臨時乗降場(市脇山駅 - 橋本駅間、1915年4月2日開業、同年中に廃止。臨時駅)
  • 紀ノ川口駅(橋本駅 - 紀伊清水駅間の妻信号所から分岐、1915年9月1日開業、1959年12月20日廃止。貨物駅)

脚注[編集]

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  1. ^ 鉄道ジャーナル 2009年10月号』鉄道ジャーナル社 表紙
  2. ^ 『鉄道ジャーナル』1995年3月号、p.149
  3. ^ 当時の読売新聞の記事による
  4. ^ 当時の南海電鉄レジャー部が1995年9月に刊行した「'95 南海時刻表」1頁に見出しとして掲載。
  5. ^ a b c 『大阪府統計書』には大正元年度(1912年度)まで記載(大正元年度大正2年度、国立国会図書館近代デジタルライブラリー)。位置は今尾 (2008) p. 37。
  6. ^ 「中古沢橋梁展望デッキ」を設置しました - 南海電鉄 (PDF)
  7. ^ ネコ・パブリッシング刊 復刻版 私鉄の車両23「南海電気鉄道」144頁 「トンネルと橋梁」の項より。
  8. ^ 「天空」沿線マップ - 南海高野ほっと・ねっと (PDF) のほか、主要駅で配布される「天空」のパンフレット(折りたたみ式)内面にも「同区間のトンネルには1〜23の番号がついている」との記載がそれぞれなされている。
  9. ^ 南海全線で最も早く終電を迎えるのは和歌山港線下り和歌山市駅で21時13分発である。
  10. ^ 現在充当されている2200系・2230系は22000系時代、夏期に極楽橋直通の林間学校学童臨時列車として、岸ノ里以南と線路が繋がっていたころの汐見橋線に入線したこともある。
  11. ^ 鉄道ピクトリアル』1995年12月臨時増刊号(No.615)227頁でも触れている通り、南海本線萩ノ茶屋駅(ただし南海本線側に同駅のホームはない) - 粉浜駅間の連続立体化工事着工に際し、岸ノ里駅(現・岸里玉出駅)の高野線オーバークロスを撤去する必要が生じたことから、高野線側から汐見橋線側へ、あるいはその逆への直接の入線ができなくなったためであり、またやはり当該頁で触れている通り岸里玉出駅への改称前後から1995年8月23日の分断解消まで、1521系2連3本が閉じ込められていた時期があったが、これは南海本線萩ノ茶屋駅 - 粉浜駅間連続立体化工事進捗に伴い、汐見橋線区間を約2年間分断する必要が生じたため(要するにその期間中、レールがどこともつながっていない状態とする)である。
  12. ^ 椎出(高野下) - 高野山間は高野山電気鉄道自身が取得した免許で建設され、京阪から譲り受けた免許は1935年11月7日失効。森口誠之『鉄道未成線を歩く』JTB、2001年、p.178および、国土交通省鉄道局『鉄道要覧』(電気車研究会・鉄道図書刊行会)を参照。
  13. ^ 南海難波駅との接続が有力 なにわ筋線 産経関西、2011年3月25日
  14. ^ 「運輸開業免許状下付」『官報』1900年9月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ いろは別鉄道駅名鑑 大正3年12月10日現在』(鉄道講習会、1914年)では明治33年(1900年)9月7日開業としているが、これ以前にも『鉄道局年報』などに駅名あり(『明治三十一年度 鉄道院年報』)。今尾 (2008) p. 37では1898年開業後廃止、1900年9月7日復活、1912年-1915年廃止としている。『高野登山鉄道沿線遊覧案内』(咬菜社、1911年12月)p. 12 に臨時百舌鳥停車場の記述あり。ただし明治40年度(1907年度)版以降の『鉄道局年報』では記載なし。なお明治38・39年度版では百舌鳥駅に別の場所にあった百舌鳥貨物駅の貨物扱い高が計上されている。明治39年度明治40年度(各リンクは近代デジタルライブラリー
  16. ^ 「停車場改称」『官報』1900年9月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 「停車場改称」『官報』1900年9月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 「軽便鉄道電車併用運転開始並停車場設置」『官報』1912年10月31日(国立国会図書館デジタルコレクション)による。南海電気鉄道『ハンドブック南海』 (PDF) や、今尾 (2008)p. 37では我孫子前駅開業は1907年1月6日。
  19. ^ 「軽便鉄道停留場改称」『官報』1913年12月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ^ 「地方鉄道停車場名称変更」『官報』1923年4月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  21. ^ 「地方鉄道駅名改称」『官報』1925年2月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  22. ^ 「地方鉄道駅名改称」『官報』1925年4月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  23. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年8月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)によると「九度山高野山間…」、哩程を示す駅名にも「高野山」とある。
  24. ^ 「地方鉄道駅名改称」『官報』1925年9月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  25. ^ 外山勝彦「鉄道記録帳2003年2月」、『RAIL FAN』第50巻第5号、鉄道友の会、2003年5月1日、 21頁。
  26. ^ このうち快速急行と区間急行を中心に10本が2000系の2扉車で実施し、残りの14本が4扉車で実施した。また、各駅停車をのぞいて日中に実施し、各駅停車については日中から夜間にかけて実施した。
  27. ^ 今夏の節電に対する取組みについて - 南海電気鉄道、2012年9月1日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]