大阪フィルハーモニー交響楽団
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| クラシック音楽 |
![]() |
| 作曲家 |
| ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
| 音楽史 |
| 古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
| 楽器 |
| 鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
| 一覧 |
| 作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
| 音楽理論/用語 |
| 音楽理論 - 演奏記号 |
| 演奏形態 |
| 器楽 - 声楽 宗教音楽 |
| イベント |
| 音楽祭 |
| メタ |
| ポータル - プロジェクト カテゴリ |
大阪フィルハーモニー交響楽団(おおさか - こうきょうがくだん、Osaka Philharmonic Orchestra)は、大阪市に本拠をおく、日本を代表するオーケストラ。日本オーケストラ連盟正会員。
目次 |
[編集] 概要
年間10回の定期演奏会のほか、レコーディングも活発に行う。大阪市西成区岸里に専用練習場大阪フィルハーモニー会館を持ち、長年にわたり「大フィル(だいフィル)」の愛称で親しまれている。公式サイトに掲載されている「プロフィール」によれば、「日本で一番多くレコード、CDを発表しているオーケストラ」。
創立者(現創立名誉指揮者)朝比奈隆の時代に、ブルックナーやベートーヴェンなどの交響曲の演奏で全国的に知られるようになった。1975年10月12日リンツ郊外の聖フローリアン教会でのブルックナーの交響曲第7番や、1994年7月24日サントリーホールでの交響曲第8番などの名演の多くは、今日でもCDで聴くことができる。
2003年に大植英次が音楽監督に就任し、同年5月9日及び10日のザ・シンフォニーホールでの音楽監督就任披露演奏会でマーラー交響曲第2番「復活」、2005年3月20日サントリーホールでの就任後初の東京定期演奏会でマーラー第6番「悲劇的」を取り上げ、いずれも大成功を収めた。大植英次の指揮で、定期演奏会では演奏会形式のオペラ(『サムソンとデリラ』(2004年)、『トスカ』(2005年))も披露しているほか、近代曲などもとりあげている。
朝比奈隆の時代から、ヨーロッパ(とりわけドイツ、オーストリア)のオーケストラの音に連なる、独特のいわゆる「大フィルサウンド」に固定ファンも多く、大フィルの音はすぐにわかる(ほど個性的)、と評される。朝比奈隆時代の最後は、コンサートマスターに岡田英治と梅沢和人、第2ヴァイオリンの首席に藤井允人を擁していた。2004年9月から、梅沢和人に加え、首席コンサートマスターロバート・ダヴィドヴィチ(Robert Davidovich)、首席客演コンサートマスター長原幸太が就任。2006年4月から、首席コンサートマスター長原幸太、コンサートマスター梅沢和人の体制になり、加えて2009年11月から崔文洙が入団、客演コンサートマスターに就任。
[編集] 年譜
- 1947年 朝比奈隆と鈴木剛ら関西経済人の尽力により、関西交響楽団として設立。
- 1月17日 前年の10月に満州から引き揚げてきたばかりの朝比奈隆を中心に、大阪放送管弦楽団(大阪中央放送局(現在のNHK大阪放送局)所属のオーケストラ)、宝塚歌劇団、京都大学の各オーケストラの主要メンバー約70名が大阪中央放送局に結集し、新しいオーケストラ結成の意思表明を行う。いわば大フィル「旗揚げ」の日である。
- 3月中旬 新しく結成されたオーケストラを「関西交響楽団」と命名。
- 4月26日 関西交響楽団第1回定期演奏会を朝比奈隆の指揮により戦災に焼け残っていた朝日会館にて行う。関響では1953年1月の第57回定期まで定演は原則として2日公演で行われ(1950年のみ一部に1日のみ公演、1日2回公演あり)、第1回も翌27日との2日公演であった。演奏曲目は「リエンツィ」序曲、「新世界より」他。
- 1950年
- 1951年
- 1月20日 この日の初日(2回公演)から5月5,6日(6日のみ2回公演)の最終回(「フィデリオ」序曲と第9番「合唱付き」を演奏)まで5回に分けて、朝比奈隆の指揮により第1回目のベートーヴェン・チクルスを行う。会場はすべて毎日会館であった。以来、2009年現在、2007年の大植英次の指揮による楽団創立60周年記念のものまで、関響・大フィルを通じてベートーヴェン・チクルスは11回を数えている。11回目の大植指揮のもの以外は圧倒的多数が朝比奈指揮による公演であるが、中にはコシュラー指揮による4番、5番(1969年1月17日)といった公演もあった。1977年の楽団創立30周年記念のチクルス以後は、すべて朝比奈隆の指揮による公演であった。
- 1953年 関西交響楽団として初の東京公演。
- 1960年
- 4月2日 関西交響楽団として最後となった第125回定期演奏会を朝比奈隆の指揮により毎日ホールにて行う。ソロ・ピアニストに賀集裕子を迎え、演奏曲目はチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」、ピアノ協奏曲第1番、交響曲第5番という、当時の朝比奈隆が最も得意としていたオール・チャイコフスキー・プロで臨み、関西交響楽団としての13年間にわたった演奏活動の掉尾を飾った。
- 大阪フィルハーモニー交響楽団に改称。定期公演の回数は、改称とともに改めて1から勘定している。
- 5月14日 大阪フィルハーモニー交響楽団第1回定期演奏会を朝比奈隆の指揮により毎日ホールにて行う。ソロ・ヴァイオリニストに辻久子を迎え、演奏曲目は、カバレフスキー組曲「道化師」よりプロローグ、ギャロップ、ワルツ、パントマイム、スケルツォ、エピローグの6曲、ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲、ショスタコーヴィチ交響曲第5番であった。この当時のコンサートマスターは小杉博英(1951年就任)。この演奏会は、大手紙の関西文化欄等において、「練習不足が目立つ」(朝日)、「前途多難」(毎日)、「演奏に熱気が感じられた」(読売)、「再建の気迫欠く」(産経)と報じられた。
- 1961年
- 6月 安田英郎がコンサートマスターに復帰。以後、1980年1月に交通事故で急逝するまで、19年間の長きにわたってコンサートマスターを務めた。
- 9月 初の外国人コンサートマスターとして、ブレーメン交響楽団よりマルチン・バウエルトを招聘。
- 1962年
- 3月17日 大阪フィルハーモニー交響楽団第1回東京定期演奏会を専任指揮者遠山信二の指揮により東京文化会館にて行う。ソロ・ピアニストに小川京子を迎え、演奏曲目は、「フィンガルの洞窟」序曲、「大阪俗謡による幻想曲」、モーツァルトのピアノ協奏曲ニ長調 K.537「戴冠式」、ブラームスの交響曲第4番であった。
- 1968年
- 4月17日 第67回定期演奏会を朝比奈隆の指揮により行う。ソロ・ピアニストに園田高弘を迎え、演奏曲目はR・シュトラウスの「23弦楽器のための変容」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ブラームスの交響曲第3番であった。この回より定期演奏会の会場をフェスティバルホールから大阪厚生年金会館大ホールに移す。
- 1969年
- 1970年
- 9月21日 第85回定期演奏会を朝比奈隆の指揮により行う。ソロ・ピアニストに荒憲一を迎え、演奏曲目はシューベルトの交響曲第2番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、R・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」であった。この回より定期演奏会の会場をフェスティバルホールに戻す。
- 1971年
- 1972年
- 1975年
- 1977年
- 1978年
- 6月30日 貴志康一の母校である甲南高等学校の新講堂の竣工記念に、朝比奈隆の指揮により同講堂にて演奏会を行う。ソプラノ樋本栄、ソロ・ヴァイオリニストに辻久子を迎え、演奏曲目は貴志康一の歌曲、ヴァイオリン協奏曲、交響組曲「日本スケッチ」であった。この演奏会は、「朝比奈、友情のタクト振る」と新聞、テレビ、ラジオで大きく報じられ、ライブ盤のレコードもリリースされて、貴志康一復活の大きな原動力となった。(本項目は、2009年3月31日にザ・シンフォニーホールにて行われた「貴志康一生誕100年記念コンサート」のプログラムに甲南高等学校元教諭の日下徳一氏(『貴志康一─よみがえる夭折の天才』(音楽之友社、2001年)の著者)が寄稿されたコラム記事「朝比奈隆と貴志康一」に全面的に依拠している。)
- 1980年
- 1984年
- 1985年
- 1986年
- 1991年
- 7月 大阪市西成区岸里の南海天下茶屋車庫跡地に「大阪フィルハーモニー会館」が完成。交響楽団、協会がともに移転。これにより、交響楽団がかねてから念願の自前の練習場を確保するとともに、楽団と協会の同居を実現した。
- 1992年
- 1995年 大植英次初めて大阪フィルを客演指揮、1996年に再度客演指揮。
- 1月17日 第285回定期演奏会が阪神淡路大震災のため中止となる(関響、大フィルを通じて、定期演奏会が中止となったのはこの回のみである)。幸いにも大フィル団員およびその家族に震災による犠牲者はなかった(第286回定期演奏会プログラムの冒頭に掲載された「謹告」による)。この後、1月30日より演奏活動を再開した。
- 1996年
- 2001年
- 10月24日 大阪フィルハーモニー交響楽団2001年秋名古屋演奏会を、朝比奈隆の指揮により愛知県芸術劇場コンサートホールにて行う。ソロ・ピアニストに小山実稚恵を迎え、演奏曲目はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、交響曲第5番であった。終演後拍手は鳴り止まなかったが、朝比奈隆は極度の疲労のためカーテンコールに応えることができなかった。この公演の直後、体調不良により入院。病床から願い続けた復帰は遂に叶えられることがなかったため、この名古屋演奏会でのチャイコフスキーが朝比奈隆の指揮台での最後の姿となった。最後の舞台のプログラムは朝比奈がその長かった指揮者人生で一貫して得意中の得意としてきたチャイコフスキーであり、しかも、奇しくも1960年4月2日における関西交響楽団最後の定期演奏会のプログラムとほぼ同じであった。なお、チャイコフスキーの交響曲第5番は朝比奈最後の演奏会から5年後の同月、2006年10月の第402回定期演奏会において、音楽監督大植英次の指揮で演奏された。
- 12月29日 音楽総監督・朝比奈隆逝去。享年93。
- 2003年 定期演奏会の会場をフェスティバルホールからザ・シンフォニーホールに移転し、2日間公演とする。
- 5月9、10日 大植英次音楽監督就任披露定期演奏会(本文参照)。
- 2005年
- 3月20日 大植英次音楽監督就任後初となる第42回東京定期演奏会(本文参照)。
- 2006年
- 4月29日 大阪城西の丸庭園において、大植英次の指揮により楽団史上初の野外コンサートを開催。9,300人以上を動員する一大イベントとなり、大成功を収める。演奏曲目は、「キャンディード」序曲、「惑星」より"木星"、序曲「1812年」、交響詩「ローマの松」より"アッピア街道の松"他。
- 7月6、7日 第400回定期演奏会を、正式の演奏会では初の客演となる大野和士の指揮により行う。ソロ打楽器奏者に中村功を迎え、演奏曲目はモーツァルトの交響曲第33番(定期初演)、細川俊夫の打楽器協奏曲「旅人」、ショスタコーヴィチの交響曲第15番であった。
- 9月3-9日 大植英次のプロデュースにより、大阪フィルハーモニー協会と大阪市の主催で、「大阪クラシック-御堂筋にあふれる音楽-」の企画公演を展開。期間中、大阪市のメインストリートである御堂筋沿いの18の会場において、大阪フィルハーモニーの団員による室内楽など計50公演(ごく一部の団員が出演しない公演をも含んだ数)を行う。大植によれば、1つのオーケストラの団員が1週間にわたって「街に出て」公演を行うというのは「僕の知る限りおそらく世界の都市で初めての試み」。主催者側の当初予想を2倍以上上回る入場者数延べ約22,000人を達成、大成功を収める。
- 2007年
- 3月28日 日本オーケストラ連盟が制定したオーケストラの日の企画として、第406回定期演奏会に向けた大阪フィルハーモニー会館における練習を公開した。曲目は秋山和慶の指揮により、ソロ・チェロ奏者にジャン・ワンを迎え、演奏会当日のプログラムの全曲目、エルガーのチェロ協奏曲とホルストの組曲「惑星」であった(ただし、時間の関係上「惑星」は練習1コマ分を公開)。公開終了後は会館ロビーにて大フィルの過去の演奏会プログラム(海外公演の時の貴重なものも含まれていた)が持ち帰り自由で提供され、殺到するファンたちの姿が見られた。
- 4月20日 楽団創立60周年を記念する『大阪フィルハーモニー交響楽団創立60周年記念史』を刊行。全122頁で、60年間の年譜、定期演奏会の記録や歴代団員リストのほか、貴重な記録写真や著名客演指揮者・共演者のサイン帳、現在・過去の団員のメッセージなど、多彩な内容となっている。
- 4月29日 昨年に引き続き、大阪城西の丸庭園において野外公演「星空コンサート」を開催。昨年をさらに上回る14,000人以上を動員、大成功を収める。大植英次の指揮により、演奏曲目は「キャンディード」序曲、映画「E.T.」から“フライング・シーン”、「ボレロ」、序曲「1812年」他。途中弱冠12歳の見渡風雅をソロ・ヴァイオリン奏者に迎え、サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」を演奏した。2009年現在、「星空コンサート」は翌2008年以降も毎年開催され、大フィルの恒例イベントとして定着している。
- 6月14日 第409回定期演奏会を指揮するはずの大植英次が演奏会開始直前に体調を崩し入院、指揮不可能になる。前半のフォーレのレクイエムは合唱指揮の三浦宣明の指揮、後半のブラームスの交響曲第4番は指揮者不在、コンサートマスター長原幸太のリードで演奏。翌15日も大植は回復せず、同様の指揮とリードで演奏された。
- 9月2-8日 昨年に引き続き、大植英次のプロデュースにより大阪クラシック実行委員会(大阪フィルハーモニー協会、大阪市、御堂筋まちづくりネットワークの三者で構成)の主催で、「大阪クラシック-御堂筋にあふれる音楽-」の企画公演を展開。期間中、大阪市のメインストリートである御堂筋沿いの15の会場において、大阪フィルハーモニーの団員による室内楽など計60公演(ごく一部の団員が出演しない公演をも含んだ数)を行う。60公演という公演数は大阪フィルハーモニー創立60周年にちなんだものである。昨年を約6,000人上回る入場者数延べ約28,000人を達成、昨年に引き続き大成功を収める。
- 12月11-16日 大フィル創立60周年記念行事の一環として、リーガロイヤルホテル1階リーガロイヤルギャラリーにて「永遠のマエストロ 朝比奈隆展」を開催。関響第1回演奏会や同じく関響時代の松竹定期演奏会数回分などのポスター、朝比奈の鉛筆書き入れでページが埋め尽くされた愛用の総譜をはじめ、貴重な資料が展示された。
- 2008年
- 7月23日 大阪府議会本会議にて2008年度補正予算が可決成立、これにより翌年度の大阪府から大フィルへの助成金の廃止が正式決定した。
- 9月7-13日 一昨年、昨年に引き続き、大植英次のプロデュースにより大阪クラシック実行委員会(大阪フィルハーモニー協会、大阪市、御堂筋まちづくりネットワークの三者で構成)の主催で、「大阪クラシック-御堂筋にあふれる音楽-」の企画公演を展開。期間中、大阪市のメインストリートである御堂筋沿いの17の会場において、大阪フィルハーモニーの団員による室内楽など計66公演(ごく一部の団員が出演しない公演、及び緊急追加の1公演(9月12日ピアニスト小曽根真と大植英次とのピアノデュオ公演)をも含んだ数)を行う。昨年をさらに約9,000人上回る入場者数延べ約37,000人を達成、一昨年、昨年をも上回る大成功を収める。
- 2009年
- 2月17,19,20日 第46回東京定期演奏会(17日、サントリーホール)、第425回定期演奏会を大植英次の指揮により行う。ソロ・ピアニストにジャン=フレデリック・ヌーブルジェを迎えてのモーツァルトのピアノ協奏曲変ホ長調 K.271「ジュノム」の演奏の後、メインプログラムとしてマーラーの交響曲第5番を演奏した。全曲に90分、有名な第4楽章「アダージェット」のみでも20分を費やすという、大植による極端に遅いテンポ設定の指揮の下での演奏であった。このテンポ設定をめぐっては、終演後ネット上のサイト、ブログや掲示板等に賛否両論多くの意見表明があった。
- 3月31日 貴志康一の生誕100周年に当たるこの日、「貴志康一生誕100年記念コンサート」を小松一彦の指揮によりザ・シンフォニーホールにて行う。ソプラノ坂本環、ソロ・ヴァイオリニストに小栗まち絵を迎え、演奏曲目は全て貴志康一の、歌曲「天の原」「かごかき」「赤いかんざし」「力車」、ヴァイオリン協奏曲、交響曲「仏陀」であった。
- 8月30日-9月5日 過去三年に引き続き、大植英次のプロデュースにより大阪クラシック実行委員会(大阪フィルハーモニー協会、大阪市、御堂筋まちづくりネットワークの三者で構成)の主催で、「大阪クラシック-御堂筋にあふれる音楽-」の企画公演を展開。期間中、大阪市のメインストリートである御堂筋沿い及び中之島の22の会場において、大阪フィルハーモニーの団員による室内楽など計100公演(一部の団員が出演しない公演をも含んだ数)を行う。この100公演という数は、2006年に「大阪クラシック」が始まった時の公演数50のちょうど2倍に当たる。今回はテーマとして「B!」を掲げ、各公演において「B」との関連が奏者から発表された。昨年をさらに約13,700人上回る入場者数延べ約50,700人を達成、延べ入場者数が50,000人を突破し過去三年をもさらに大きく上回る大成功を収める。
- 11月1日 客演コンサートマスターとして崔文洙を迎える。
[編集] 常任指揮者/音楽監督など
ほか、秋山和慶、宇宿允人、外山雄三、若杉弘などが常任指揮者やミュージックアドヴァイザーなどとして在任した。
[編集] 関連項目
- オーケストラの一覧
- クラシック音楽の指揮者一覧
- 在阪オーケストラ
- 大阪クラシック
- 橋下徹
- 南海電気鉄道(沿線自治体のホールで大阪フィルと「南海コンサート」を開催)
- 宇野功芳(音楽評論家、朝比奈の演奏を絶賛し「日本で一番多くレコード、CDを発表しているオーケストラ」に大きく貢献した)
- 大栗裕 (作曲家、朝比奈の招きで1950年から1966年までホルン奏者として在籍。自身の曲の多くを大阪フィルで初演した)
