吉野金次

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吉野 金次
生誕 1948年
出身地 日本の旗 日本東京都
学歴 東京都立葛西工業高等学校電子科卒業
職業 レコーディング・エンジニア編曲家
活動期間 1967年 -

吉野 金次 (よしの きんじ、1948年 - )は、日本レコーディング・エンジニア編曲家

経歴[編集]

東京都出身。東京都立葛西工業高等学校電子科卒業[1]

1967年に東芝音楽工業の録音部に入社。ザ・ランチャーズ喜多嶋修と共に匿名ユニット「ジャスティン・ヒースクリフ(Justin Heathcliff)」を結成。同名アルバムを発表するも不発に終わる。

1970年、仕事をめぐり上司と衝突し、録音部からの配転を命ぜられ、クビに近い形で退社する[1]。その後、かつての仕事仲間である細野晴臣に誘われてはっぴいえんどの『風街ろまん』にミキサーとして参加。以降、日本では初となるフリーのエンジニアとして活動。

松本隆に対して専業作詞家になることを勧めたのも吉野で、1974年に当時自らが担当していたアグネス・チャンのオリジナル・アルバム『アグネスの小さな日記』の収録曲の作詞を松本に依頼した。その中の一曲が「ポケットいっぱいの秘密」である[2]

ビートルズのプロデューサー:ジョージ・マーティンに強い影響を受けたプロデューサー型のレコーディング・エンジニアで、細野晴臣を中心にはっぴいえんど・イエロー・マジック・オーケストラ周辺のミュージシャンからの信頼が厚い。

2006年に脳梗塞で倒れた際には、矢野顕子、細野晴臣の提唱により、チャリティライブ「吉野金次の復帰を願う緊急コンサート」が行われた(本公演の録画はDVD『音楽のちから』として発売)。友部正人ゆず井上陽水大貫妙子佐野元春らが参加、客として清水ミチコも観賞[3]

2008年に、矢野のiTunesによるライブ配信『JAPANESE GIRL -Piano Solo Live 2008-』のミキシングから仕事に復帰したほか、アルバム『音楽堂』では録音現場に出ての仕事を再開した。

主な作品[編集]

出演作品[編集]

  • 映画『SUPER FOLK SONG -ピアノが愛した女。-』(坂西伊作監督、1992年) - 矢野顕子のドキュメンタリーに出演。

関連作品[編集]

  • 音楽のちから -吉野金次の復帰を願う緊急コンサート (2007年) - DVD

参考文献[編集]

  • 『細野晴臣 録音術』(発売日:2015年12月12日 出版社:DU BOOKS 著者:鈴木惣一朗)(インタビュー&写真が掲載。P1~P41)

脚注[編集]

  1. ^ a b 立花隆『青春漂流』
  2. ^ 松本隆「『我が道 松本隆 ⑧』縦読みの元祖!? 仕掛けた「あ・ぐ・ね・す」」『スポーツニッポン【朝刊】』(スポーツニッポン新聞社)、2021年1月9日、22面。2021年1月10日閲覧。
  3. ^ 吉野金次の復帰を願う緊急コンサート _ blog_backnumber _ 4325.net20201110日閲覧。

外部リンク[編集]