友部正人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索

友部 正人(ともべ まさと、1950年5月25日 - )は、フォークシンガー詩人振付師

目次

[編集] 来歴

青森県出身の父に吉祥寺に生まれ、各地を転々として育つ。愛知県立熱田高等学校時代から友人らとビートルズコピーバンドで(ギターが得意でなかったため)ベース等を担当する。その後、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聴き、衝撃を受けソングライティングにのめり込むようになる。ウッディ・ガスリーレッドベリーが汽車の中でやった生活者の感情を歌うスタイルを日本でやりたいと思い、路上で歌い始める。やがて学生運動に参加し火炎瓶を投げ、鑑別所に入れられてしまう。1960年代末、名古屋市から大阪市に移住。西岡恭蔵大塚まさじらと出会い、高田渡を通して喫茶店に通い古書店で詩集を読む生活をする。1971年中津川フォークジャンボリーに参加し、シバ岩井宏いとうたかお山本コータローらと、武蔵野タンポポ団のセッションに参加。

1972年、『大阪へやって来た』でデビュー。1973年、『にんじん』、『また見つけたよ』をリリース。1975年坂本龍一がピアノで参加した『誰もぼくの絵を描けないだろう』(「おしゃべりなカラス」収録)、1976年スカイドッグ・ブルースバンドをバックにレコーディングした『どうして旅に出なかったんだ』が、収録曲「びっこのポーの最後」のタイトルと歌詞に差別的表現があるとして回収の憂き目に遭う。(「ちびっこのポーの最後」に改題して乗り切ろうとしたが、駄目だったと述懐したことがあるが、真偽は不明。その後1983年までメジャーレーベルとは無縁となる。)1980年『何でもない日には』、1981年「びっこのポーの最後」の新録版を含む『どうして旅に出なかったんだ』を『1976』と改題して自主リリース。1983年に『ポカラ』、1984年『カンテ・グランデ』をリリース。

1990年代たまとのセッションアルバム『けらいのひとりもいない王様』(たまのメンバーであった知久寿焼は、高校生の頃から友部宅に出入りしていた。)、矢野誠とのコラボ『雲のタクシー』を発表。この時期からニューヨーク市に頻繁に行くようになり、デイヴ・ヴァン・ロンクにギターを習う。ポエトリー・リーディングや『北海道新聞』の夕刊連載などでエッセイを発表した。

[編集] 人物

ステージを見ずに目を閉じて聴き入るのが、友部が観客にしてほしい聴き方である。

現代人の入り込んだ心理状態を、分かりやすい言葉で説き起こしている。また、「熱くならない魂をもつ人はかわいそうだ」、「Speak Japanese,American」など、若い聴者に啓示的な作品もある。谷川俊太郎が高く評価していたりするなど、ディラン同様、歌詞に詩的価値を見るファンが多い。本人は田村隆一金子光晴からの影響を記述している。片桐ユズルら、多くの詩人と古くから親交がある。フォークシンガーでは、田中ケンジをモデルにした「田中さんとぼく」や豊田勇造をモデルにした「遠来」、高田渡をモデルにした「朝の電話」という歌がある。

先輩を呼びすてにして後輩には「さん」付けするなど、独特の倫理基準を持っている。この点について井上陽水は、「名前の通り、ずっと正しい人だ」と評価している。政治的には、アメリカに追従する政治家、マスコミに怒っており、「アメリカの匂いのしない所へ」という詩を書いている。詩集・エッセイ集も多く出しており、イラクでお客さんとなった時のことも記している『パリの友だち』(1991年)などがある。

現在はマラソン練習を続けながら、アパートを所有するニューヨークと日本を行ったりきたりする生活を楽しんでいる。その様子をWeb日記に書いている。パンとビールとコーヒーが好きで、歌詞にたびたび出てくる。テレビに出ることが少ないため知名度は低いが、長渕剛真島昌利寺岡呼人佐野元春宮沢和史森山直太朗双葉双一らのミュージシャンは、友部から全人的影響を受けている。

同じ年に生まれ、名前の似ている友川カズキは、詩人的要素の強い歌手として並べられる。資質として、詩から音楽に興味を持った友川は言葉の論理的側面を重んじ、音楽から詩に向かった友部は言葉の感性的側面を重視しているとエッセイやインタビューなどでのべている。

[編集] 音楽作品

[編集] アルバム

  • 大阪へやって来た(1972)
  • にんじん(1973)
  • また見つけたよ(1973)
  • 誰もぼくの絵を描けないだろう(1975)
  • 1976(1976)
  • なんでもない日には(1980)
  • ポカラ(1983)
  • カンテ・グランデ(1984)
  • 6月の雨の夜、チルチルミチルは(1987)
  • はじめぼくはひとりだった(1988)
  • 夕日は昇る(1989)
  • ライオンのいる場所(1991)
  • ベスト・セレクション(1991)
  • けらいのひとりもいない王様(1992) - 「友部正人&たま」名義。
  • 遠い国の日時計(1992)
  • ぼくの展覧会(1993)
  • 雲のタクシー(1994) - 「友部正人&矢野誠」名義。
  • 奇跡の果実(1994)
  • 夢がかなう10月(1996)
  • 少年とライオン(1997)
  • イタリアの月(1997)
  • ブルースを発車させよう(1997)
  • 読みかけの本(1999)
  • no media 1(2000)
  • no media 2(2000)
  • 休みの日(2001)
  • LIVE!no media 2002(2003)
  • あれからどのくらい(2003)
  • 何かを思いつくのを待っている(2004)
  • Speak Japanese,Amarican(2005)
  • 歯車とスモークド・サーモン(2008)
  • 二つの午後(2009) - 「LDK」名義(ふちがみとふなととのユニット)
  • ロックンロール、やってます(2010) - 「友部正人と三宅伸治」名義。
  • クレーン(2010)

[編集] シングル

  • 一本道(1972)
  • もう春だね/乾杯(1972)
  • グットモーニングブルース(1991)
  • ラブミーテンダー/DON'T THINK TWICE, IT'S ALRIGHT/JERSEY GIRL(1992)
  • すばらしいさよなら/銀の汽笛(1992年9月21日、ミディ、MDDS-56)
  • 朝は詩人/私の踊り子/夜は言葉(1994)
  • 夜よ,明けるな/ゆうれいなんていかしてる(1995)

[編集] DVD

  • ディレクターズカット版 BS-NHK/伝説のフォークライブシリーズ VOL.3 友部正人&なぎら健壱(2004年11月26日、AMJ、ABBA-5004)
  • 音楽のちから~吉野金次の復帰を願う緊急コンサート(2007年4月25日、Green Door、XQCH-92001)
    • Track-10.「一本道」、Track11.「Speak Japanese,American」で参加
  • FFA FALK DAYS DVD~vol.4「ひとりぼっちのふたり」~何故か初顔合わせ(2007年12月19日、Life Goes On、XQDL-2004) - 「遠藤賢司/友部正人」名義
  • LIVE!no media 2006草原編(2008年2月1日、友部正人オフィス、NMV-01) - プロデュースしたポエトリーリーディングのライブ盤。参加者:谷川俊太郎田口犬男遠藤ミチロウ石川浩司知久寿焼宮沢章夫、他

[編集] 著書

[編集] その他

映画出演
  • 『十九歳の地図』(1979年 監督:柳町光男

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語