ジョージ・マーティン

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ジョージ・マーティン
George Martin
『ビートルズ・ラブ』のバックステージで。
『ビートルズ・ラブ』のバックステージで。
基本情報
出生名 George Henry Martin
出生 1926年1月3日(88歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル ロック
クラシック
職業 音楽プロデューサー
編曲家作曲家
ミュージシャン
担当楽器 オーボエ
ピアノ
キーボード
活動期間 1950年 -
レーベル EMIパーロフォン

サー・ジョージ・ヘンリー・マーティン(Sir George Henry Martin, CBE1926年1月3日 - )は、イギリス音楽プロデューサー

ビートルズのほとんどの作品のプロデューサーを務めたことから「5人目のビートルズ」ともいわれる。音楽界への貢献から、1996年ナイト称号を与えられている。

1965年にアソシエイテッド・インディペンデント・レコーディング(AIR)スタジオを設立し、[いつ?]現在は取締役会長を務めている。

人物[編集]

ロンドンハイベリー生まれ。ギルドホール音楽院でクラシック音楽の基礎を学んだ後、1950年EMIへ入社。1955年に傘下レーベルの一つであったパーロフォンマネージャーとなり、コメディ俳優のピーター・セラーズらの作品などコメディ色の強いレコードの制作を多く手がけ実績を積んだ。この頃の逸話として、「戦場にかける橋」のパロディ作品を作った際、収録曲の「クワイ河のマーチ」を、会社上層部からのクレームを受け、既に録音し終えていた曲中の「クワイ(Kwai)」というフレーズから「K」の部分だけ削除して「ワイ河のマーチ」に作り直したというエピソードがある。

1962年にビートルズを見出したことによりプロデューサーとして大成功を収め、1965年にはEMIから独立した(ビートルズのプロデュースは継続する)。その後もジェフ・ベックアメリカチープ・トリックポール・マッカートニーなどのプロデュースを手がける。1997年、ダイアナ妃を追悼したエルトン・ジョンの「キャンドル・イン・ザ・ウィンド97」が、マーティンにとってはイギリスにおける30曲目のチャート1位作品となった。

1998年、ビートルズのトリビュート盤『イン・マイ・ライフ』を息子のジャイルズと共にプロデュースし、自分の名義で発表。ジェフ・ベック、セリーヌ・ディオンヴァネッサ・メイBONNIE PINKフィル・コリンズらが参加した。

1999年、聴力の衰えを理由にプロデューサー・エンジニアを引退。その後は公演会でのパネル活動を主軸にする。

ビートルズ関連事項[編集]

ビートルズは1962年デッカオーディションに不合格となったものの、その後にマネージャーのブライアン・エプスタインがジョージ・マーティンへの売り込みに成功、マーティンはビートルズのメンバーと直接面会していないにもかかわらず、ビートルズにレコーディングを要請した。同年6月6日、ビートルズをEMIスタジオに呼び、多くの曲を演奏させてビートルズの演奏技術を確かめた後、その場でデビュー曲のレコーディングを行った。彼のビートルズに対する第一印象は「彼らはだいぶひどかった(They were pretty awful)」というものであったが、彼はビートルズと契約した。それは長きにわたる関係の始まりであった。ちなみに、そのとき緊張していた彼らにマーティンは「何か気に入らないことがあるか?」と尋ねたが、ジョージ・ハリスンの回答は「あなたのネクタイが気に入らないね!」であった。

マーティンは、最初のレコーディング時のドラマー、ピート・ベストの演奏が気に入らず、レコーディングには使えないことを指摘した。そして、マーティンのこの指摘が直接的な引き金となってピート・ベストが解雇され、あらたにリンゴを加入させるというメンバー再編となったと報道されていたが、後に発表されたジョージ・マーティンの自伝「耳こそすべて(ALL you need is ears)」によれば、マーティンはベストの脱退に関してはまったく関与していないと語っている。現在ではピートの脱退はマーティンの示唆によるもの、という説はほぼ否定されている。

マーティンの音楽的専門知識は、ビートルズの天賦の才能と達成しようと考えていたサウンドとのギャップを満たすことを助けた。ビートルズの楽曲におけるクラシック的アプローチやオーケストレーション、複雑なサウンド・エフェクトの多くは、マーティンとの共同作業によるものであった。代表的な例として「ペニー・レイン」におけるピッコロ・トランペットソロがある。「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」ではテンポもキーも違った二つの曲を一つの曲にするという離れ業を行うなど(注意して聞くと開始から1分ちょうどを境にテンポが違っているのが分かる)、マーティンはメンバーからの困難なリクエストに応え、その音楽的な成功に大きく貢献した。(実際はジェフ・エメリックの手腕によるところが大きい。)自身は「アレンジの際、ポールは音楽的に解り易く説明してくれたので、あとはそれに基づいて譜面を書けばよかったけど、ジョンは抽象的な表現だけで説明してくるので苦労した」と振り返っている。

プロデュースした代表的なアーティスト[編集]

外部リンク[編集]