メリー・ホプキン
| メリー・ホプキン | |
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| 基本情報 | |
| 出生 | 1950年5月3日(61歳) |
| 出身地 | ポンタードー、ウェールズ |
| ジャンル | フォークミュージック |
| 職業 | 歌手、ソングライター |
| 担当楽器 | ヴォーカル、ギター、ピアノ |
| 活動期間 | 1968年 - |
| レーベル | アップル・レコード、メリー・ホプキン・ミュージック |
| 共同作業者 | ポール・マッカートニー、トニー・ヴィスコンティ、デヴィッド・ボウイ、ラルフ・マクテル、ベニー・ギャラガー |
| 公式サイト | Maryhopkin.co.uk |
| 著名使用楽器 | |
| アコースティックギター | |
メリー・ホプキン(Mary Hopkin, 1950年5月3日 - )は、英国の歌手。
[編集] 略歴
ウェールズ出身でウェールズ語を母語に育ち、民謡歌手として音楽活動に入る。地元のインディーズ・レーベルでいくつか録音を残した後、ツイッギーに見出されて、ビートルズのアップル・レコードと契約する。アップル所属時代は、その容姿や美声から「アップルの歌姫」と呼ばれた。
ポール・マッカートニーがプロデュースしたシングル《悲しき天使 (Those Were the Days )》は、1968年8月30日にイギリスで発表され、有名なスター、サンディ・ショーと競作する格好となったにもかかわらず、彼女の録音が全英シングル・チャートの首位に輝き、全米シングル・チャートでも第2位を射止めた。
1969年2月21日に、やはりマッカートニーのプロデュースによるアルバム第1作『ポストカード』を発表。アルバム・セッションに参加したドノヴァンから3曲をカヴァーしているほか、ジョージ・マーティンやハリー・ニルソンの作品も1曲ずつカバーしている。
シングル第2作は、レノン=マッカートニー作詞・作曲(実際はマッカートニー単独の作品)の《グッドバイ (Goodbye)で、1969年3月28日に発表され、全英シングルチャートで第2位に輝く(当時の第1位はビートルズの「ゲット・バック」であった)。「グッドバイ」はビートルズの海賊盤で出回ったことがあるものの、公式にビートルズが発表したことはなかった。
シングル第3作には、ドリス・デイの著名な曲「ケ・セラ・セラ (Que Sera, Sera (Whatever Will Be, Will Be))」をマッカートニーが用意して新たなリフレインを書き足し、素晴らしいバックトラックが制作された。だが完璧なポップソングとして仕上がっていたため、ホプキン側が発売に難色を示し、結果、ミッキー・モストのプロデュースによる《夢みる港 (Temma Harbour)》に変更された。この一件によりマッカートニーとの関係は悪化し、以降マッカートニーはホプキンのプロデュースから撤退する。
1970年3月23日にシングル第4作《しあわせの扉 (Knock Knock Who's There)》を発表し、再び全英シングル・チャート第2位を獲得。同年、英国を代表してユーロビジョン・ソング・コンテストに出場した際、同曲によって第2位を獲得するもアイルランドの歌手ダナに敗れた。同年に来日して大阪万博にも出場し、その美声を響かせた。
1971年には、アルバム第2作『大地の歌 (Earth Song/Ocean song)』を発表。メジャーデビュー以前の音楽性であったブリティッシュ・フォークの香りが漂う作品となり、当人もこのアルバムで、メジャーデビュー後初めて自らの音楽性との合致点を見いだしたという。同年、「大地の歌」をプロデュースしたトニー・ヴィスコンティと結婚してからは音楽界を引退し、もっぱら主婦業に務めたが、1977年にデヴィッド・ボウイのアルバム「ロウ」のバック・ヴォーカルに参加している。1981年にヴィスコンティと離婚。
ヴァンゲリスによる映画『ブレードランナー』のサウンドトラックで、《Rachel's Song》を歌っている。2005年には、ドリー・パートンのアルバム「Those Were the Days」にも参加している。
[編集] 外部リンク
- Mary Hopkin Music :The Official Mary Hopkin Site(英語)
- Mary Hopkin fan page
- New CD-Live at Royal Festival Hall 1972
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