悲しき天使

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悲しき天使
メリー・ホプキンシングル
B面 ターン・ターン・ターン
リリース 1968年8月30日
1968年12月5日日本の旗
ジャンル ポップス
時間 5分7秒
レーベル アップル・レコード
東芝EMI日本の旗
作詞・作曲 ジーン・ラスキン
プロデュース ポール・マッカートニー
チャート最高順位
  • 1位(イギリス)
  • 1位(オリコン
  • 2位(アメリカ)
メリー・ホプキン シングル 年表
悲しき天使
(1968年)
グッド・バイ
(1969年)
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悲しき天使」(かなしきてんし、Those Were the Days)は、ロシア語の歌謡曲『Дорогой длинною ダローガイ・ドリーンナィユ』を原曲とする英語の歌曲である。イギリスメリー・ホプキン(Mary Hopkin)が歌って大ヒットを収めた。

ロシア語原曲[編集]

原曲は、コンスタンチン・ポドレフスキー(Константин Николаевич Подревский1889年1930年)の詩に、ボリス・フォミーン(Борис Иванович Фомин, 1900年1948年)がクレツマーないしはジプシー音楽の様式で曲づけした歌「Дорогой длинною」(「長い道」)である。1910-1920年ごろの作品とされる。歌詞の内容は、昔の思い出を懐かしみ感傷に浸っている様子を描いたものである。

初期のころの録音としては、タマーラ・ツェレテリ (Тамара Семёновна Церетели)の版(1925年)や アレクサンドル・ヴェルティンスキーロシア語版(Вертинский, Александр Николаевич)の版(1926年)が知られる。

英語版[編集]

「悲しき天使」は、しばしば、イギリスで活躍したアメリカ合衆国出身の歌手、ジーン・ラスキンの作詞作曲と紹介されている。これは「Дорогой длинною」がソビエト連邦からの亡命者によって欧米に広められるうち、いつしか作者不詳の「ロシア民謡」と呼ばれるようになり、その後1962年にラスキンが英語版を編曲し自作として発表したために、ラスキンの作品と呼ばれるようになったためとされる。

1968年ポール・マッカートニーが、当時18歳のフォーク歌手メリー・ホプキンをプロデュースして「悲しき天使」のシングルを発表。国際的にヒットし、その後さらにスペイン語版、ドイツ語版、ヴィッキーによるフランス語版(「Le Temps des fleurs」、但し邦題は「悲しき天使」のまま)もリリースされた。なお、シングル盤の「悲しき天使」は、アップル・レコードから発売された最初のレコードであり、B面にはバーズのカバー「ターン・ターン・ターン」が収録されている。また、この曲はホプキンのアルバム『ポスト・カード』(1969年)のアメリカ盤LPや再発CDにも収録された。

原題「Those were the days」は、「あの頃はよかった・あの頃がなつかしい」という意味であり、歌詞は、壮年期の人間が青春時代を思い返してロマンティックに美化している場面を描いている。また邦題の「悲しき天使」については、日本で発売された当時、外国の楽曲に邦題を付ける際の常套手段として、「悲しき…」や「恋の…」といった言葉を冠していたことによるものであり、英語歌詞の内容とは特に関係はない。

2005年にはドリー・パートンがメリー・ホプキンとともにこの曲をカバーし、同名のアルバム『Those Were the Days』に収録した。

各国におけるカバーとヒット[編集]

日本では漣健児によって日本語詞が付けられ、森山良子南沙織広川あけみによってカバーされた「悲しき天使」が有名だが、同じメロディに芙龍明子が日本語詞を付けた「花の季節」もあり、こちらは中学校音楽教科書に掲載された。また2010年には森口博子が30枚目のシングル「PUZZLE」のカップリングの4曲目でカバーした。

日本のオリコンチャートでは、1969年2月17日付の総合シングルチャートにて競作曲が3曲40位以内にランクインしている(3位:メリー・ホプキン、36位:ヴィッキー、37位:森山良子)。

ブラジルでは、この旋律がテレビ番組「Show de Calouros」のオープニング・テーマに利用されたため、曲名を知らぬままにこの旋律に親しんでいる人々が多いといわれる。

チャート推移[編集]

ビルボード」誌では、1968年11月2日に最高位の第2位を獲得。同誌1968年年間ランキングでは第17位。

全英チャートにおいては49⇒7⇒2⇒1と4週間で到達し、それまで2週間No.1だったビートルズの「ヘイ・ジュード」を蹴落として6週間No.1に輝き、1968年間では3位になっている。

  • 1968年09月⇒UK週間TOP10
http://www.japan-post.com/music/y1960/68-wuk.php?pnum=9
  • 1968年10月⇒UK週間TOP10
http://www.japan-post.com/music/y1960/68-wuk.php?pnum=10

日本では発売されて約2ヶ月後にピンキーとキラーズ恋の季節」を抜いて、オリコン・シングルチャートの1位に輝いている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]