ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
ビートルズシングル
収録アルバム レット・イット・ビー
B面 フォー・ユー・ブルー
リリース 1970年5月11日(USA)
規格 レコード (7インチ)
録音 1969年1月31日
ジャンル バラード
時間 3:37 (オリジナル・アルバム)
3:34 (ネイキッド版)
レーベル アップル・レコード
作詞・作曲 レノン=マッカートニー (ポール・マッカートニー)
プロデュース ジョージ・マーティン
再プロデュースはフィル・スペクターが担当
チャート最高順位
ビートルズシングル盤 U.S. 年表
レット・イット・ビー
b/w
ユー・ノウ・マイ・ネーム
(1970年)
ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
b/w
フォー・ユー・ブルー
(1970年)
ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ
b/w
ヘルター・スケルター
(1976年)
ビートルズシングル盤 日本 年表
オー!ダーリン
b/w
ヒア・カムズ・ザ・サン
(1970年)
ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
b/w
フォー・ユー・ブルー
(1970年)
イエスタデイ
b/w
恋する二人
(1976年)
レット・イット・ビー 収録曲
A面
  1. トゥ・オブ・アス
  2. ディグ・ア・ポニー
  3. アクロス・ザ・ユニヴァース
  4. アイ・ミー・マイン
  5. ディグ・イット
  6. レット・イット・ビー
  7. マギー・メイ
B面
  1. アイヴ・ガッタ・フィーリング
  2. ワン・アフター・909
  3. ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
  4. フォー・ユー・ブルー
  5. ゲット・バック
レット・イット・ビー...ネイキッド 収録曲
フォー・ユー・ブルー
(3)
ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
(4)
トゥ・オブ・アス
(5)
テンプレートを表示

ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」(The Long And Winding Road)は、ビートルズの楽曲である。

解説[編集]

概説[編集]

レノン=マッカートニーの作品。実質的にはマッカートニーの作った楽曲である。リードヴォーカルはポール・マッカートニー。末期の楽曲で、1970年に発表されたラスト・アルバム『レット・イット・ビー』の収録曲である。アメリカ合衆国と日本ではこの曲がラスト・シングルとして発表されている(1970年10月、B面は「フォー・ユー・ブルー」)。ビルボード(Billboard)誌では、1970年6月13日に週間ランキング第1位を獲得。ビルボード誌1970年年間ランキングは第45位。『キャッシュボックス』誌でも2週連続第1位を記録し、年間ランキング36位。アメリカだけで100万枚以上のセールスを記録している。尚、イギリスでは、2002年、ウィル・ヤングとガレス・ゲイツのカバー・ヴァージョンがシングル・リリースされ、全英最高位第1位を獲得している。

この曲についてポールは「あの頃の僕は疲れきっていた。どうしてもたどり着けないドア、達し難いものを歌った悲しい曲だよね。終点に行き着くことのない道について歌ったんだ」と語っている[1]

ジョージ・ハリスンが選曲したとされる「THE BEATLES / 1967-1970」(通称「青盤」)では最後の曲になっている。

制作背景[編集]

「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」は彼らのドキュメンタリー映画のサウンドトラック・アルバム"Get Back"の収録曲として1969年1月31日に録音された。このサウンド・トラックのコンセプトはオーヴァー・ダビングを使わず、自分たちとビリー・プレストンオルガン電子ピアノ担当)だけの演奏で、デビュー当時の録音技法に戻ってレコーディングするというものであった。演奏ではポールがピアノ、ジョンが6弦ベースを担当している。しかし完成されたアルバム"Get Back"の出来は思わしくなく、テスト盤が作製されるまでに至ったものの最終的にリリースは見合わされた。その後アルバムはジョンとアラン・クレインから依頼を受けたフィル・スペクターによって再プロデュースされ、アルバム・タイトルも『レット・イット・ビー』に変更され発表された。

スペクターは再プロデュースに際し、当初のコンセプトを顧ることなく[2]外部ミュージシャンによるオーヴァー・ダビングを採り入れた[3]。オーケストレイション・指揮はリチャード・ヒューソン[4]で、レコーディングは1970年4月1日にアビー・ロード第1スタジオにて行われた[5]オーケストラ編成はヴァイオリン18、ヴィオラ4、チェロ4、ハープ1、トランペット3、トロンボーン3、ギター2、ドラムス1(リンゴ・スター)であり、さらに14人の女声コーラスが加えられた。なお後半の中間部のポールのヴォーカルをトリミングしてオーケストラのみによる間奏を加えている[6]

この措置に対しポール・マッカートニーは不快の念を持ち(アラン・クレインとは契約していなかったので、ポールの要求が通ることは無かった)、以後スペクターとの関係にわだかまりが生じた。ポールは、ビートルズの法的解散を求めてメンバー3人を訴えた訴訟(実際はアラン・クレインの活動を封じるのが狙いだった)において、このアレンジを訴訟の根拠の一つとした。後にも、「Q MAGAZINE」の賞でスペクターが選ばれたとき、出席していたポールがその場で「早く帰らないとフィルにコーラスとストリングスをダビングされちゃうよ」とスペクターの改変を非難する冗談を言ったことがあるほどである。

2つのテイク[編集]

ビートルズはアルバム"Get Back"を完成させるべく1969年1月31日にアップル・スタジオにおいてスタジオ・ライヴを行った。その際、ビートルズは映画『レット・イット・ビー』に収録されたテイクを演奏・レコーディングしている。なお、幅広く知られている『レット・イット・ビー』収録バージョンと、映画で聴けるバージョンでは一部歌詞が異なっている。

ビートルズ解散後、ポール・マッカートニーのレパートリーとして[編集]

ポール・マッカートニーのウイングス時代のライヴでは、この曲の本来の姿であるシンプルなアレンジで幾度か披露されている(『ウイングスU.S.A.ライヴ!!』などに収録)。しかし、1989年以降のソロ・ライヴでは、ヒットしたフィル・スペクター・ヴァージョンに愛着を持つファンに配慮してか、シンセサイザーによってストリングスとブラス・セクションが控えめではあるが再現された演奏になった(『ポール・マッカートニー・ライブ!!』等に収録)。

またポール・マッカートニーはソロでこの曲のスタジオ録音を2回発表している。1回目は1984年にポールのソロ・アルバム『ヤァ!ブロード・ストリート』に、同名の映画のサウンドトラックとして再録したヴァージョンで、2回目はアルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート』の、1990年に発売された来日記念特別盤『スペシャル・パッケージ』に収録された「ヴィデオ・ヴァージョン」である。

その他[編集]

  • チューリップの楽曲「青春の影」の歌詞は、この曲をモチーフにしている。
  • 1970年代後半、UHBテレビの夜22:54~22:58放送の天気予報で、この曲のオーケストラバージョンがBGMとして使われていた時期があった(ホクレン提供分のみ、正確な時期や曜日は不詳)。

収録アルバム/シングル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 出典は、アルク英語出版 「英語で歌おう ビートルズ編」山本和雄の解説から
  2. ^ ただし、ビートルズ自身が本来のコンセプトを破棄しオーヴァー・ダビングを加え、楽曲「レット・イット・ビー」では外部ミュージシャンによるチェロやブラスのオーヴァー・ダビングを加えている(オーケストレイションはジョージ・マーティンによるものである。)。
  3. ^ ただし、フィル・スペクターが演奏面で外部ミュージシャンによるオーヴァー・ダビングを加えたのは、本作以外にはジョージ・ハリスンの「アイ・ミー・マイン」と非ゲットバック・セッションの「アクロス・ザ・ユニヴァース」の3曲のみである。
  4. ^ ヒューソンは後にポールのプロジェクト「スリリントン」のアレンジを担当した。
  5. ^ アップル・コアのエンジニア、ピーター・ブラウンによると、その日のスペクターは執拗に各パートにエコーを求めた上、ボディーガードを同伴し、多数の薬物を30分おきに服用していたが、次第に指示が支離滅裂になり、オーケストラの団員は演奏を拒否した上、ブラウン自身も腹を立てて帰宅してしまった。すると、スペクターが電話をかけて来て、ブラウンに戻ってくるように懇願してきたという。その場に居合わせたビートルズのメンバーはリンゴ一人で、彼は必死にスペクターをなだめすかした(これがビートルズの最後の録音セッションとなる)。
  6. ^ 1月31日のもうひとつのテイクでは同じ箇所はプレストンによるキー・ボードの間奏になっている。

外部リンク[編集]