エイント・シー・スウィート

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ビートルズ > 曲名リスト > いい娘じゃないか
エイント・シー・スウィート?
ルー・ゴールド・ウィズ・ザ・メロディ・メンシングル
B面 ユー・シュッド・シー・マイ・トッツィー
リリース
規格 10インチシングル
録音 1927年1月17日
レーベル ゲネット・レコード
作詞 ジャック・イェレン
作曲 ミルトン・エーガー
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エイント・シー・スウィート」(Ain't She Sweet[注釈 1])は、ジャック・イェレンによって作詞、ミルトン・エーガーによって作曲された楽曲である。1927年にルー・ゴールドとザ・メロディ・メンによってレコーディングが行なわれ、シングルとして発売された。楽曲の出版元はエーガー、イェレン&ボーンスタイン社[2]。20世紀前半に人気を博し、狂乱の20年代における代表作の1つとなった[3]。本作は、エーガーが娘シャナに向けて作曲した楽曲となっている[4][5]

本作はジーン・オースティンビートルズフランク・シナトラなど多数のアーティストによって録音された。また、『Margie』(1946年)、『You Were Meant for Me』(1948年)、『愛情物語』(1956年)などの映画で使用されている[6]

ルー・ゴールド・ウィズ・ザ・メロディ・メンによるシングル[編集]

ルー・ゴールドとザ・メロディ・メンは、1927年1月17日にニューヨークで「エイント・シー・スウィート」のレコーディングを行なった[7]。これが本作のレコーディングが行なわれた初の例となる[8]。レコーディングにはマレー・アムスターがボーカルとして参加している[7]。1927年4月にシングル盤(品番: Gannett 6068)として発売され、B面には「ユー・シュッド・シー・マイ・トッツィー」(You Should See My Tootsie)が収録された。

2月21日にはスクラッピー・ランバートをボーカルに迎えて再びレコーディングを行なっており[7]、こちらはシングル『ホワット・ダズ・イット・マター?』(What Does It Matter?、品番: Perfect 14777)のB面曲として発売された。

シングル収録曲[編集]

10インチシングル『Ain't She Sweet?』(Gennett 6068)
全作詞: ジャック・イェレン、全作曲: ミルトン・エーガー。
#タイトル作詞作曲・編曲
A.「エイント・シー・スウィート?」(Ain't She Sweet)ジャック・イェレンミルトン・エーガー
B.「ユー・シュッド・シー・マイ・トッツィー」(You Should See My Tootsie)ジャック・イェレンミルトン・エーガー
10インチシングル『What Does It Matter?』(Perfect 14777)
#タイトル作詞作曲
A.「ホワット・ダズ・イット・マター?」(What Does It Matter?)アーヴィング・バーリンアーヴィング・バーリン
B.「エイント・シー・スウィート?」(Ain't She Sweet)ジャック・イェレンミルトン・エーガー

ビートルズによる録音[編集]

いい娘じゃないか
ビートルズシングル
B面
リリース
規格 7インチシングル
録音
ジャンル ロックンロール[16]
時間
レーベル
作詞 ジャック・イェレン
作曲 ミルトン・エーガー
プロデュース ベルト・ケンプフェルト
チャート最高順位
後述を参照
ビートルズ シングル U.K. 年表
  • いい娘じゃないか
  • (1964年)
ビートルズ シングル 日本 年表
  • いい娘じゃないか
  • (1964年)
ビートルズ シングル U.S. 年表
  • いい娘じゃないか
  • (1964年)
ザ・ビートルズ・アンソロジー1 収録曲
マイ・ボニー
(DISC 1-10)
エイント・シー・スウィート
(DISC 1-11)
クライ・フォー・ア・シャドウ
(DISC 1-12)
ザ・ビートルズ・アンソロジー3 収録曲
カム・アンド・ゲット・イット
(DISC 2-18)
エイント・シー・スウィート
(DISC 2-19)
ビコーズ
(DISC 2-20)
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ビートルズは、1957年から1962年にかけてライブで「エイント・シー・スウィート」を演奏していた[17][注釈 4]。ビートルズの歴史家であるマーク・ルイソンによると、ジョン・レノンは母ジュリアを通じ、ジーン・ヴィンセントのカバー・バージョン(1956年に発売のアルバム『ブルージーン・バップ』に収録)を知っていたという[21]。音楽学者のウォルター・エヴェレットは著書『The Beatles as Musicians』の中で、「ジーン・ヴィンセントのカバーが基になった」と述べ[9]、音楽評論家のイアン・マクドナルドもエヴェレットの見解に同意している[22]。一方でルイソンは、レノンのボーカル・アレンジがヴィンセントのカバー・バージョンと異なるとし、レノンが1959年に発表されたダフィー・パワーによるカバー・バージョンからの影響を受けた可能性について述べている[23]。マッカートニーは『ザ・ビートルズ・アンソロジー』(書籍版)で、「『ティル・ゼア・ウォズ・ユー』や『エイント・シー・スウィート』のような曲は、夜遅くのキャバレーでやる曲だった。僕らがありふれたロックンロール・バンドじゃないということを示してくれた」と回想している[24][注釈 5]

レコーディング[編集]

ビートルズは、プロとして初となるレコーディング・セッション[注釈 2]で「エイント・シー・スウィート」のカバー・バージョンを録音した[9][15]。プロデュースをベルト・ケンプフェルトレコーディング・エンジニアをカール・ヒンゼが務め、ハンブルクにあるフリードリヒ・ベルト・ハレで行なわれた[注釈 3]このセッションで、ビートルズはトニー・シェリダンのバック・バンドとして演奏していた[12]。後にジョージ・ハリスンは、メンバー全員がレコーディング・セッションの目的を誤解していて、到着時にシェリダンのバック・バンドとして演奏することを伝えられたと回想していて[26]、「レコード契約を結ぶことを望んでいたからがっかりした」とも語っている[27]。「エイント・シー・スウィート」は、シェリダンがレコーディングに参加していない2曲のうちの1つ[注釈 6]で、レノンがリード・ボーカルを務めた[9][12]。1968年にレノンはぼくらはみんな、チョロいもんだと思ってた。ドイツにはくだらないレコードしかないから、自分たちならそれより断然いいレコードが作れるに決まってると思ってたと語っている[29][30][31]。ビートルズが本作のカバー・バージョンを録音した理由についてマクドナルドは、マッカートニーの「ライク・ドリーマーズ・ドゥ」やレノンの「ハロー・リトル・ガール」といった「より強力な自作曲」を残しておくためと推測している[32]

1975年のラジオ番組のインタビューで、レノンはジーン・ヴィンセントのオリジナルはとても甘美で、音程もとても高く、ぼくもこの曲をるときは同じように歌ってた。ところが、ドイツで録音するときには、もっとハードに、もっとハードにれって再三言われたんだ。ドイツの奴らはこの曲を行進曲みたいにしたがる。だから結局、ぼくらはすごくハードなバージョンをることになったと語っている[33][34]。レノンのボーカルについて、ルイソンはジョンのボーカルは力強く素晴らしいが、「ハンブルクのしわがれ声」に見舞われたかのような声質である。また、ジョンはケンフェルトの言う「ハードな」音にしようと懸命に歌っているが、必ずしもこの曲にふさわしいスタイルにはなっていない[34]と述べ。エヴェレットは「とても超然としていて、わずかにうわずっている」[9]と述べている。ルイソンはピート・ベストのドラミングについて創造性がない。独創性のかけらもなく、気の利いたフィルインもなければ面白みもなく、ピートはレコーディングのあいだで終始同じシャッフル・ビートで通していると述べ、マッカートニーのベースについて完成されていると評価した[33][34]。また、ハリスンのギターソロについて「平均以下の出来」と評したうえで、この時点では悪くない演奏をしていたので、この曲ではおそらくきちんと演奏する機会が一度しか与えられなかったのだろうと述べている[33][34]。エヴェレットは、「総じて、これらのレコーディングは将来のビートルズを代表するものとはとても言えない」と評し[9]、マクドナルドも「ビートルズのプロとしての初のレコーディングのための選択としてはほとんど意味をなさず、今となっては注目に値しない」と評した[22]。ハワード・クレーマーは、著書『The Cambridge Companion to the Beatles』の中で、本作のセッションについて「音楽的にぱっとしない」「伴奏が各々の演奏能力を表しているが、今ひとつというところ」と述べている[35]

リリース[編集]

セッション終了後、ビートルズは翌週にアメリカ、ドイツ、イギリスでシングル『エイント・シー・スウィート』(B面曲は「ビートル・ボップ」)が発売されることを期待していた[36]。しかしこのシングルは発売されず、代わりに1961年10月23日に西ドイツ限定でシングル『マイ・ボニー』(B面曲は「聖者の行進」)がトニー・シェリダン&ザ・ビート・ブラザーズ[注釈 7]名義で発売された[40]。リヴァプールの音楽誌『マージー・ビート』は、ビートルズが「エイント・シー・スウィート」と「クライ・フォー・ア・シャドウ」に不満を持ち、ベルト・ケンプフェルト・プロダクションに2曲の権利を売却したと報じた[41]。フランスで1964年2月にポリドール・レコードから発売されたEPに「エイント・シー・スウィート」が収録され、これが全世界でビートルズによるカバー・バージョンが発売された初の例となった[42]。イギリスで1964年5月29日にポリドール・レコードからB面に「イフ・ユー・ラヴ・ミー・ベイビー」を収録したシングル盤が発売され、アメリカで1964年7月6日にアトコ・レコードからB面に「ノーバディーズ・チャイルド」を収録したシングル盤が発売された[43]。日本ではイギリス盤と同じ内容で発売され、本作には「いい娘じゃないか」という邦題が付けられた[44]Billboard Hot 100では最高位19位を記録[45]。ビートルズによる「エイント・シー・スウィート」は、1964年にアトコ・レコードから発売された同名のコンピレーション・アルバム[43]、同年にポリドール・レコードから発売された『The Beatles' First[46]、1995年にアップル・レコードから発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』に収録された[47][12]

1969年7月24日の「サン・キング/ミーン・ミスター・マスタード」のためのセッション中、レノンがジーン・ヴィンセントの「フー・スラップド・ジョン」や「ビー・バップ・ア・ルーラ」とともに「エイント・シー・スウィート」を即興演奏している[48]。ルイソンは、この時のレノンの即興演奏が1961年に録音されたテイクよりもジーン・ヴィンセントによるカバー・バージョンの様式に近いことについて言及した[49]。1969年7月24日の即興演奏は、1966年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』に収録された[17][49]

1995年に公開されたドキュメンタリー『ザ・ビートルズ・アンソロジー』には、存命のメンバー3人(マッカートニー、ハリスン、スター)が本作を演奏する様子が収録されている[50]。また、レノンはソロ・アーティストになってからも本作を録音しており、当時の音源が1998年に発売された『ジョン・レノン・アンソロジー』に収録されている[50]

クレジット[編集]

※出典[12]

チャート成績[編集]

週間チャート
チャート (1964年) 最高位
オーストラリア (Kent Music Report)[51] 16
Canada Top 40-5s (RPM)[52] 20
デンマーク (Salgshitlisterne Top 20)[53] 7
スウェーデン (Kvällstoppen)[54] 4
スウェーデン (Tio i Topp)[55] 1
UK シングルス (Official Charts Company)[56] 29
US Billboard Hot 100[45] 19

その他のアーティストによる演奏例[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 疑問符付きの「Ain't She Sweet?」という表記も存在する[1]
  2. ^ a b ウォルター・エヴェレットは、セッションが行なわれた日付を「6月22日 - 24日」とし[9]、本作のレコーディングが行なわれた日付を「24日」と記している[10]イアン・マクドナルドは疑問を添えた上でセッションが「6月22日と23日」に行なわれたものとし[11]、本作のレコーディングが行なわれた日付を「22日」と記している[12]マーク・ルイソンは、セッションの開始・終了時間、録音されたテイク数などの詳細に関する資料が残されていないが、セッションが1日もしくは2日間で行なわれた可能性が高い(関係者の回想では「1日」、資料によっては「6月22日と23日の2日間だけ」とされている)と書いている[13]。また、ルイソンは本作を含む7曲のレコーディングを1回のセッションで完了させ、2日目はトニー・シェリダンやビートルズがいない中での編集作業に費やされた可能性についても述べている[14]
  3. ^ a b マーク・ルイソンイアン・マクドナルドは、レコーディングを行なった場所として「フリードリヒ・ベルト・ハレ」を挙げている[12][15]。ウォルター・エヴェレットは、「フリードリヒ・ベルト・ハレ」(6月22日・23日のセッション)と「スタジオ・ラールシュテット」(6月24日のセッション)の2つを挙げている[10]
  4. ^ ポール・マッカートニーは、1960年初頭にブッキングを得るために書いた営業の手紙の中で、クオリーメンの主要なレパートリーの1つとして本作を挙げている[18]。ビートルズは1960年7月の公演で本作を演奏していて[19]、1960年にスチュアート・サトクリフがスケッチブックに書いたセットリストには本作も含まれている[20]
  5. ^ 当時のハンブルクやリヴァプールでの公演では、ロックを好まない観客からのリクエストに応えるかたちでバラードやスタンダード・ナンバーを演奏することもあった[25]。その中には、後にアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』でもカバーした「蜜の味」も含まれている[25]
  6. ^ もう1曲はインストゥルメンタルの「クライ・フォー・ア・シャドウ」で[9]、当時は「ビートルズ・ボップ」(Beatle Bop)というタイトルだった[28]
  7. ^ マッカートニーはレコード会社は僕らの名前が気に入らなくて、‘ビート・ブラザーズに変えてくれ。そのほうがドイツ人にはわかりやすいから’と言ってきたんだ。こちらもそれに従ったと語っている[27][37]。当時のドラマーであるピート・ベストは、「ビートルズ」という言葉が男性器を意味するハンブルクのスラングと似ているというクレームを受けて変更したと回想している[38][39]

出典[編集]

  1. ^ Laird, Ross (2001). Brunswick Records: Other non-U.S. recordings and indexes. Santa Barbara, California: Greenwood Press. p. 1757. ISBN 978-0-313-31869-6 
  2. ^ Catalog of Copyright Entries, 1927 New Series Vol 22 Part 3. U.S. Govt. Print. Off.. (1927). p. 1. https://archive.org/details/catalogofcopyrig223libr/page/n15/mode/2up 
  3. ^ Womack, Kenneth (2014) [2000]. The Beatles Encyclopedia: Everything Fab Four. Santa Barbara, California: ABC-CLIO. p. 17. ISBN 978-0-313-39172-9 
  4. ^ Hunt, George P., ed (October 11, 1963). “Shana Talks about Shana”. LIFE (Time Inc.) 55 (15): 3. ISSN 0024-3019. https://books.google.co.jp/books?id=WFIEAAAAMBAJ&pg=PA3&dq=Ain%27t+She+Sweet+daughter+Shana&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwiY047g8sb9AhUQhVYBHYVUBjEQ6AF6BAgCEAI#v=onepage&q=Ain't%20She%20Sweet%20daughter%20Shana&f=false. 
  5. ^ Weiser, Marjorie P. K.; Arbeiter, Jean S. (1981). Womanlist. Atheneum. p. 206. ISBN 978-0-689-11083-2 
  6. ^ a b c Tyler 2007, p. 147.
  7. ^ a b c Rust 1975, p. 607.
  8. ^ Hischak, Thomas S. (2019). 1927: A Day-by-Day Chronicle of the Jazz Age's Greatest Year. Lanham, Maryland: Rowman & Littlefield. p. 14. ISBN 978-1-538-11278-6 
  9. ^ a b c d e f g Everett 2001, p. 95.
  10. ^ a b Everett 2001, p. 376n101.
  11. ^ MacDonald 2005, p. 401.
  12. ^ a b c d e f MacDonald 2005, p. 47.
  13. ^ Lewisohn 2013a, pp. 446–447.
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  16. ^ Guesdon, Jean-Michel; Margotin, Philippe (2014). All the Songs: The Story Behind Every Beatles Release. New York City: Black Dog & Leventhal Publishers. p. 8. ISBN 978-1-603-76371-4 
  17. ^ a b MacDonald 2005, p. 48n1.
  18. ^ Lewisohn 2013a, pp. 236–237.
  19. ^ Lewisohn 2013b, p. 673.
  20. ^ Lewisohn 2013b, p. 694.
  21. ^ a b Lewisohn 2013b, p. 553n.
  22. ^ a b MacDonald 2005, p. 48.
  23. ^ Lewisohn 1992, p. 365.
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  27. ^ a b The Beatles 2000, p. 59.
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  29. ^ Davies 1968, p. 107.
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  32. ^ MacDonald 2005, pp. 47, 47n1.
  33. ^ a b c Lewisohn 2013a, p. 449.
  34. ^ a b c d マーク・ルイソン『ザ・ビートルズ史 誕生(下)』訳者: 山川真理、吉野由樹、松田ようこ、河出書房新社、東京都渋谷区、2016年、114頁。ISBN 978-4-309-27790-5 
  35. ^ Kramer 2009, p. 65.
  36. ^ Lewisohn 2013a, p. 450, 844n55.
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  38. ^ Best & Doncaster 1985, p. 107.
  39. ^ Ingham & Mitsui 1987, p. 273.
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  41. ^ Lewisohn 2013b, p. 916.
  42. ^ Everett 2001, p. 100.
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  44. ^ いい娘じゃないか / イフ・ユー・ラヴ・ミー・ベイビー (Single sleeve). ビートルズ. 日本グラモフォン. 1964. DP 1369。
  45. ^ a b Billboard Hot 100”. Billboard (1964年8月22日). 2023年3月14日閲覧。
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  47. ^ Everett 2001, p. 376n101, 378n29.
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  49. ^ a b Lewisohn 2013a, p. 844n53.
  50. ^ a b Womack 2014, p. 18.
  51. ^ Kent, David (2009). Australian Chart Book: Australian Chart Chronicles (1940-2008). Turramurra: Australian Chart Book. p. 206. ISBN 978-0-646-51203-7 
  52. ^ “Top 40-5s”. RPM 2 (1). (September 1, 1964). 
  53. ^ The Beatles - Salgshitlisterne Top 20”. Danske Hitlister. 2013年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月28日閲覧。
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参考文献[編集]

外部リンク[編集]