マッカートニー (アルバム)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
マッカートニー
ポール・マッカートニースタジオ・アルバム
リリース 1970年4月17日
録音 1969年12月-1970年3月
ジャンル ロック
時間 3505
レーベル アップル/EMI
プロデュース ポール・マッカートニー
専門評論家によるレビュー
  • All Music Guide 4 out of 5 stars link
ポール・マッカートニー 年表
マッカートニー
(1970年)
ラム(ポール&リンダ・マッカートニー)
(1971年)
テンプレートを表示

マッカートニーMcCartney)は、1970年に発表されたポール・マッカートニーの初のソロアルバム。邦題は、『ポール・マッカートニー』と、フルネームとなっている。

ジャケットは、写真家であった妻リンダ・マッカートニーによるもの。表ジャケットはドレンチェリーの写真で、裏ジャケットには生まれて間もない長女メアリーを抱いたポールの写真が飾られている。

解説[編集]

アルバム『アビイ・ロード』リリース直前の1969年9月30日、アメリカ・キャピトル・レコードとの契約書にサインするためアップル社に集まったビートルズの4人であったが、その席上でジョン・レノンはビートルズから「離婚」したい、と脱退の意思を明らかにする。マネージャーのアラン・クラインによりこの事実は伏せられることとなったが、それ以降ジョン以外の3人による『レット・イット・ビー』の追加録音(1970年1月3日1月4日)などが行われたのみで、グループとしての活動は停止。ジョンはプラスティック・オノ・バンドとしてレコーディングやライヴ活動を行い、ジョージ・ハリスンデラニー&ボニーのツアーに参加するなど、各自ソロ活動へと移行していく。

ポールは、ジョンの脱退宣言直後、ビートルズの事実上の「解散」という事態に直面して精神的にすっかり打ちのめされ、スコットランドキンタイア岬の自宅農場でしばらく引きこもることになる[1]。ポールは一日中ベッドに横たわり、ひげも剃らず、酒に溺れ、一時はヘロインにまで手を出した[2]。だが、ポールは妻リンダのおかげでようやく立ち直り、初のソロ・アルバムの制作を始める。1969年末に機材のチェックを行い、1970年に入ると本格的なレコーディングを開始した。大部分はロンドン・キャヴェンディッシュ・アヴェニューの自宅に4トラックのマルチトラック・レコーダーを持ち込んで録音されたが、一部のパートはロンドンのモーガン・スタジオで録音。また、「エヴリナイト」、「恋することのもどかしさ」、「男はとっても寂しいもの」はビリー・マーティンという偽名を使ってEMI第2スタジオでレコーディングされている[3]

全ての楽器をポール一人で演奏し、リンダ・マッカートニーは一部の曲のバック・ヴォーカルや、「クリーン・アクロア」の呼吸音を担当。

完成後にアルバムの発売を要求してきたポールに対し、ビートルズのマネージメントを担当していたアラン・クレインはビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』を優先させるため、本作の発売日を遅らせようとする。しかし、ポールにはその気は無く、クラインの意を汲んで来たリンゴ・スターを激しい口調で追い返してしまう。ポールの思いを知ったリンゴの説得でクラインらは『レット・イット・ビー』発売一月前のリリースを許可する。1970年4月10日にマスコミに配布されたサンプル版に添付した質疑応答[4]でポールはビートルズ脱退を表明し、その1週間後の4月17日に発売。アメリカでは4月20日に発売された(日本では6月25日に発売)。ポールより先に事実上ビートルズを脱退していたジョンは、アルバム発売と合わせて発表されたポールの脱退宣言を「ポールはNo.1のPRマンだ」と皮肉り、以降数年に渡って二人の関係は悪化することとなる。

このアルバムは全英2位、アメリカの「ビルボード」誌では、3週連続最高位第1位を獲得し、1970年度年間ランキング第27位、「キャッシュボックス」誌でも、3週連続最高位第1位を獲得し、1970年度年間ランキング第9位を獲得、アメリカだけで200万枚以上のセールスを記録している(日本では、オリコンチャートで最高13位)。商業的には成功するが、シンプルな音作りであることと、収録曲の約半分をインストゥルメンタル・ナンバーが占めていることなどから、当時のマスコミからは酷評する声も少なくなかった。しかし、ポールならではの美しいメロディは随所に散りばめられており、彼のパーソナルな部分を垣間見ることの出来る作品として、また、宅録が定着した現在では、その先駆的作品としても再評価されている。

本作からはシングル・カットはなく、1971年2月発表の「アナザー・デイ」が、ポールのファースト・ソロ・シングルとなった。1977年にはウイングスのライヴ録音による「恋することのもどかしさ」が、邦題を「ハートのささやき」に変更してシングル発売され、全米10位を記録している。

2011年6月14日(日本では6月22日)、「ポール・マッカートニー・アーカイヴ・コレクション」と題してリマスター版がマッカートニーIIと共に発表された[5]。この際には通常版の他に、未発表の「スーサイド」・「ウーマン・カインド」などデモテイク7曲を収めたCDが付いたデラックス・エディション、さらに ウイングス最後となった1979年のカンボジア難民救済コンサートでの演奏を含むDVDおよびリンダの未発表写真などを纏めたハードカバーブック付きのスーパー・デラックス・エディション、そしてアナログ盤(海外のみ)が発売された。

収録曲[編集]

全曲 作詞・作曲・演奏:ポール・マッカートニー

  1. ラヴリー・リンダ - The Lovely Linda
    機材のテストも兼ねて最初にレコーディングされた。ヴォーカルアコースティック・ギターパーカッションの代わりに本を叩いた音で構成されている。
  2. ザット・ウッド・ビー・サムシング - That Would Be Something
    当時の邦題は「きっと何かが待っている」
  3. バレンタイン・デイ - Valentine Day
    「ラヴリー・リンダ」同様に機材のテストを兼ねて録音された短いインストゥルメンタル曲。
  4. エヴリナイト - Everynight
  5. 燃ゆる太陽の如く/グラシズ - Hot As Sun/Glasses
    「燃ゆる太陽の如く」はポールが10代の時に作った曲で、グラス・ハープによる「グラシズ」(最後に挿入されている歌はフランク・シナトラに提供したものの「自殺」を意味するタイトルから拒絶された「スーサイド Suicide」という曲)とメドレーになっている[6]
  6. ジャンク - Junk
    ビートルズがインドに滞在していた時に書き始め、帰国後に完成させた。『ホワイトアルバム』の制作前に録音されたデモ・テイクが『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』に収録されている。
  7. 男はとっても寂しいもの - Man We Was Lonely
    リンダとの初のデュエット曲。
  8. ウー・ユー - Oo You
    当初はモーガン・スタジオで収録したインストゥルメンタル曲だったが、後に歌を付けた。
  9. ママ・ミス・アメリカ - Momma Miss America
    別々の曲をメドレー仕立てで1曲にするという、その後のポールが得意とすることになる手法で作られたインストゥルメンタル曲。
  10. テディ・ボーイ - Teddy Boy
    ビートルズがインドに滞在していた時に書き始め、帰国後に完成させた。ゲット・バック・セッションで演奏されたビートルズ・バージョンは、『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』に収録されている。
  11. シンガロング・ジャンク - Singalong Junk
    「ジャンク」のインストゥルメンタル版。
  12. 恋することのもどかしさ - Maybe I'm Amazed
    ライヴでの定番曲となり、『ウイングスU.S.A.ライヴ!!』『ポール・マッカートニー・ライヴ!! 1989-1990』『バック・イン・ザ・U.S. - ライヴ2002』に収録されている。
    『ウイングスU.S.A.ライヴ!!』発売当時の邦題は「ハートのささやき」。同じ曲に二つの邦題がつくのは極めてまれである
  13. クリーン・アクロア - Kreen-Akrore
    ブラジルインディオに捧げたインストゥルメンタル曲。

備考[編集]

ビートルズが公式発表したインストゥルメンタル曲は「フライング」1曲だけだが、本作には5曲もインストがあり、実験色が強い作品となっている。

「ザット・ウッド・ビー・サムシング」「エヴリナイト」「ジャンク」の3曲は、後に『MTVアンプラグド』に出演した時に再演され、『公式海賊盤』(1991年)に収録された。この時、「ジャンク」はインストゥルメンタルで演奏された[7]。また、「エヴリナイト」は2002年のツアーでも披露されている。

映画「ザ・エージェント」(主演:トム・クルーズ)では「ママ・ミス・アメリカ」と「シンガロング・ジャンク」がBGMとして使用されている。

脚注[編集]

  1. ^ この時、一部で知られていた「ポール死亡説」が流布してファンは騒然となり、ピーター・ブラウンらアップルのスタッフは火消しに躍起となった。
  2. ^ 『ポール・マッカートニー ビートルズ神話の光と影』、ロス・ベンソン著、近代映画社1993年 ISBN 4-7648-1708-x
  3. ^ この時、ビートルズが残した『ゲットバック・セッション』の散漫な録音をアルバムにまとめるべく、フィル・スペクターが同じEMIスタジオでミックスダウンを行っていることをポールは知らなかった
  4. ^ 原文日本語訳
  5. ^ 発売元はヒア・ミュージック(日本ではユニバーサル・ミュージック
  6. ^ Suicideの完全版はリマスター版に収録。
  7. ^ 「シンガロング・ジャンク」ではなくクレジットは「ジャンク」