デニー・レイン

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デニー・レイン
Denny Laine
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1976年、ウイングスのライブにて
基本情報
出生名 Brian Frederick Arthur Hines
別名 Denny Laine
出生 1944年10月29日(69歳)
出身地 イングランドウェスト・ミッドランズバーミンガム
ジャンル ロックブルース・ロックR&Bポップス
職業 ミュージシャン
担当楽器 ギターボーカルベースギターピアノキーボードハーモニカフルート
活動期間 1957年 - 現在
レーベル デッカ、ウィザード、リプライズEMIアリスタほか
共同作業者 ポール・マッカートニーウイングスムーディー・ブルースジンジャー・ベイカーほか
公式サイト www.dennylaine.com

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デニー・レイン (Denny Laine) の芸名で知られるブライアン・フレデリック・アーサー・ハインズ(Brian Frederick Arthur Hines、1944年10月29日 - )は、イギリスバーミンガム出身のミュージシャン

ボーカルの他、ギターベースハーモニカキーボードと様々な楽器をこなすマルチプレイヤーであり、作詞作曲も手がける。

ムーディー・ブルース(The Moody Blues)のオリジナル・ギタリスト、シンガーとして、またポール・マッカートニーとともに創設から参画したウイングス(Wings)での活躍が有名。

経歴[編集]

初期~ムーディー・ブルース[編集]

バーミンガムのヤードリー・グラマー・スクール在学中に、ジプシー・スウィングの伝説的プレイヤージャンゴ・ラインハルトの影響を受けてギターを手にする。

12歳の時に初ステージを踏み、後にエレクトリック・ライト・オーケストラでプレイするベヴ・ベヴァンとともにデニー&ザ・ディプロマッツを結成し、プロとしてのキャリアをスタートする。

1964年マイク・ピンダーとともにディプロマッツを脱退し、ムーディー・ブルースを結成。ヒット曲「ゴー・ナウ」Go Now)など多くの曲でリードを取るが、徐々にシンフォニック・ロック的なサウンドを志向し始めたグループとの音楽性の違いから1966年に脱退。

ムーディー・ブルース脱退後、後のエレクトリック・ライト・オーケストラに似たストリングス・セクションを持つエレクトリック・ストリング・バンドを結成、ギターとボーカルを担当した。彼らはデラム・レコードから2枚のシングル(「セイ・ユー・ドント・マインド」(Say You Don't Mind)、「トゥー・マッチ・イン・ラヴ」(Too Much In Love))をリリースし、ジミ・ヘンドリックスプロコル・ハルムらとロンドンサヴィル・シアターのステージにも立った。しかし知名度はそれほど上がらず、エレクトリック・ストリング・バンドは解散。

1970年にはジンジャー・ベイカーのバンド、ジンジャー・ベイカーズ・エアフォースに加入するがこれも短命に終わった。

ウイングス[編集]

1971年、かねてよりの旧知の仲だったポール・マッカートニーに誘われ、ウイングスを結成。ギターボーカル(ライブではベースキーボードもプレイしている)を担当する。

作曲も担当し、イギリスで大ヒットを記録したシングル夢の旅人(Mull of Kintyre) は彼とポールの共作。またアルバムロンドン・タウンLondon Town)では、フォークソング調の作風を得意とする彼の個性が遺憾なく発揮された。

ウイングスはリードギタードラムスは流動的であったが、ポール、ポールの妻のリンダ・マッカートニー、レインの3人は中核メンバーとして不動であり、レインは1981年のウイングス解散まで、ポールの名パートナーとしてバンドを支えた。

ウイングス以降[編集]

ウイングス解散後も、1986年にバーミンガム小児病院を支援するためのチャリティ・ライブ「ハートビート・チャリティ・コンサート」を開催するなど、精力的に活動。

ビートルフェストで元ウイングスのメンバーと部分的な再結成ギグを行ったり、ウイングスのトリビュート作品にも登場したほか、最近では2010年5月ノースラスベガスカナリー・カジノ・アンド・ホテルで行われたゴードン・ウォーラー・トリビュート・コンサートにも参加した。現在は自叙伝を執筆中。

私生活[編集]

最初の妻ジョ・ジョ(死別)との間に1男1女をもうけたほか、婚外子が3人いる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]