ムーディー・ブルース

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ムーディー・ブルース
基本情報
出身地 イングランドバーミンガム
ジャンル Brum Beat
シンフォニック・ロック
プログレッシブ・ロック
サイケデリック・ロック
シンセポップ
活動期間 1964年 - 現在
レーベル デッカ・レコード
Deram Records
Threshold Records
ポリドール・レコード
Universal Records
公式サイト http://www.moodyblues.co.uk
メンバー
ジャスティン・ヘイワード
ジョン・ロッジ
グレアム・エッジ
旧メンバー
レイ・トーマス
マイク・ピンダー
パトリック・モラーツ
デニー・レイン
クリント・ワーウィック

ムーディー・ブルースThe Moody Blues)は、1964年にデビューしたイギリスプログレッシブ・ロック・バンド。世代的にはビートルズローリング・ストーンズザ・フー等とほとんど変わらず、ロック黎明期に誕生した古参バンドのひとつである。

経歴[編集]

1964年5月、バーミンガムでムーディー・ブルースとして初のライブを行う[1]。当時のメンバーはレイ・トーマスマイク・ピンダーグレアム・エッジデニー・レイン、クリント・ワーウィックの5人。デビュー最初期はR&B系グループとして活動しており、「ゴー・ナウ!」が1965年に全英1位・全米10位の大ヒットを記録するが、1966年春にクリント・ワーウィックが脱退し、同年にはリード・ボーカルとギターを担当していたデニー・レインも脱退[1]。レインは後にポール・マッカートニー率いるウイングスに加入する。

メンバー2人の脱退に伴い、バンドはジョン・ロッジジャスティン・ヘイワードを迎え入れて、メロトロンシンセサイザーなどの電子楽器を駆使した前衛的な音楽性に変わっていく。1967年発表の2ndアルバム『デイズ・オブ・フューチャー・パスト』では、1960年代の段階でオーケストラとの競演で新しいロックのスタイルを築き上げるなど、プログレッシブ・ロックというジャンルを生み出した草分け的な存在と言える。

その後は、1968年『失われたコードを求めて』、1969年夢幻』、1971年童夢』といったほとんどのアルバムが英米で大ヒットを記録。ピンク・フロイドキング・クリムゾンイエスEL&Pジェネシス等と共に1960〜70年代のプログレッシブ・ロック・ムーブメントを支えた。かつてジミー・ペイジは「本当にプログレッシブなバンドは、ピンク・フロイドとムーディー・ブルースだけだ」と語っていた。

また、1967年に発売されたシングル「サテンの夜」は、発売当時は全英19位のヒットだったが、1972年にラジオ局から人気に火がつき、全英9位・全米2位・カナダ1位の大ヒットを記録し、彼らの代表曲となった。

1972年にアルバム『セヴンス・ソジャーン』を発表してからは、メンバー個人のソロ・アルバム製作や、アーティスト自身のレコード・レーベルでは先駆けとなる「スレッショルド・レコード」(『夢幻』の原題から名称がとられた)の運営などが活動の中心となり、バンド活動が停滞する。この時期はプログレッシブ・ロックの最盛期であり、この頃にほとんど活動を行っていなかった。1974年4月には、アメリカカリフォルニア州に移住していたマイク・ピンダーが、家族との生活を優先させるためバンドを一度脱退する[2]

1977年、かつて1969年に開催されたロイヤル・アルバート・ホール公演のライブ音源とスタジオ・アウトテイク5曲を収録したアルバム『Caught Live +5』がリリースされ、同アルバムの売り上げが好調だったことから1978年に正式に再結成され[3]、マイク・ピンダーもバンドに復帰した[2]。しかし、再結成第1弾アルバム『新世界の曙』録音途中で、マイク・ピンダーは続くツアー参加に難色を示し、録音途中でアルバム製作から抜け、プロモーションビデオやアルバム用写真撮影にも不参加。それに伴い、長年、6人目のムーディーブルースとまで言われたプロデューサーのトニ・ークラークも「マイクがいないムーディー・ブルースをプロデュースする意味がない」という理由で抜け、同じく長年録音エンジニアを担当していたデレク・バーナルズが、生オーケストラを使ったアレンジを加え、最終的なアレンジが完成した。こうして難題が続いた『新世界の曙』は、リリースまでこぎつけたが、続くツアーには、オーディションの結果、元イエスパトリック・モラーツが参加した。[4]その後、1981年発表のアルバム『魂の叫び』のレコーディングに際し、マイク・ピンダーから「レコーディングにだけは参加したい」との連絡がメンバーに入ったが、バンドはマイク・ピンダーの参加を認めず、パトリック・モラーツを正式なメンバーとし、『魂の叫び』のレコーディングを行う。この『魂の叫び』は、9年ぶりに全米1位を獲得[5]、復活を印象付けた。『魂の叫び』録音でのグレアム・エッジのコメントが残っている。「イーグルスのホテル・カリフォルニアのようなドラム演奏をしたかった」実際、グレアム・エッジのドラム演奏は、過去のアルバムを通し、もっともダイナミックでパワフルな演奏を残している。

1980年代以降はプログレッシブ・ロックの衰退もあり、ポップな大衆的音楽に変化していった。1986年にはトニー・ヴィスコンティをプロデューサーに迎え、ポップ・ナンバー「Your Wildest Dreams」が全米9位を記録し、久々のヒットとなった。

1991年、パトリック・モラーツが脱退[4]

2002年12月、レイ・トーマスが今後のツアーには参加しない意志を明かし[6]、バンドの正式メンバーはジャスティン・ヘイワード、ジョン・ロッジ、グレアム・エッジの3人となる。

幾多のメンバー・チェンジや音楽性の変化などを経て、現在も活動中である。1970年前後の当時ほど現在日本では知名度や人気はあまり高くないが、ロック史の上で見れば重要な意味を持つバンドである。

ディスコグラフィー[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

発売年 邦題 原題 順位(英) 順位(米)
1965 デビュー! The Magnificent Moodies - -
1967 デイズ・オブ・フューチャー・パスト Days Of Future Passed 27位 3位
1968 失われたコードを求めて In Search Of The Lost Chord 5位 23位
1969 夢幻 On The Threshold Of A Dream 1位 20位
1969 子供たちの子供たちの子供たちへ To Our Children's Children's Children 2位 14位
1970 クエスチョン・オブ・バランス A Question Of Balance 1位 3位
1971 童夢 Every Good Boy Deserves Favour 1位 2位
1972 セヴンス・ソジャーン Seventh Sojourn 5位 1位
1978 新世界の曙 Octave 6位 13位
1981 魂の叫び Long Distance Voyager 7位 1位
1983 新世界への道程 The Present 15位 26位
1986 ジ・アザー・サイド・オブ・ライフ The Other Side Of Life 24位 9位
1988 シュール・ラ・メール Sur La Mer 21位 38位
1991 キーズ・オブ・ザ・キングダム Keys Of The Kingdom 54位 94位
1999 ストレンジ・タイムズ Strange Times 92位 93位
2003 ディセンバー December - -

ライブ・アルバム[編集]

  • 1977 コート・ライヴ - Caught Live + 5
  • 1993 ライヴ:ア・ナイト・アット・レッド・ロックス - A Night At Red Rocks
  • 2000 Hall Of Fame
  • 2005 Lovely To See You
  • 2007 Live At The BBC: 1967 - 1970
  • 2010 Live at the Isle of Wight Festival 1970

関連項目[編集]

脚注[編集]