U2

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U2
U2(2009年10月3日、アメリカのローリーでのライブにて) 左からジ・エッジ、ボノ、アダム・クレイトン、ラリー・マレン・ジュニア}
U2(2009年10月3日、アメリカのローリーでのライブにて) 左からジ・エッジ、ボノ、アダム・クレイトン、ラリー・マレン・ジュニア
基本情報
出身地 アイルランド共和国の旗 アイルランド ダブリン
ジャンル ロック
ビッグ・ビート
ポストパンク
オルタナティヴ・ロック
ポップ・ロック
活動期間 1976年 -
レーベル インタースコープ
ユニバーサル
アイランド・レコード
公式サイト www.u2.com/
メンバー
ボノ
ジ・エッジ
アダム・クレイトン
ラリー・マレン・ジュニア

ビートルズ
ローリング・ストーンズ
デヴィッド・ボウイ
ザ・フー
ザ・クラッシュ
ラモーンズ
セックス・ピストルズ
ほか

U2(ユートゥー)は、アイルランド出身のロックバンドである。1980年のデビュー以降、政治的な信条と渇愛を力強く歌い上げる作風で世界的に数多くのファンを持ち、依然トップクラスの人気を誇っている。アルバムの総売り上げは、1億7,000万枚を超える。グラミー賞獲得数22は、ロックバンド最多である。

2005年にロックの殿堂入りを果たし、「Vertigo Tour」が同年のコンサート収益1位を記録、2011年6月、米経済誌フォーブス誌が「世界中で最も稼いでいるミュージシャン」を発表し、1億9,500万ドル(日本円で約156億円)を稼いでトップになった。この収入は2年間で7億ドルを越えているワールド・スタジアム・ツアーの売上が大きく貢献しているという[1]

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第22位。

メンバー[編集]

バンド名の由来[編集]

バンド名の由来については、アメリカの偵察機U-2、ドイツの潜水艦II型UボートYou too(ファンへのシンパシーを表す)などの諸説があった。

しかし、メンバー自身が語るところでは「バンド名を決める際に挙げた候補の内、一番マシなものを選んだだけで、特に意味はない」とのこと。むしろ「U2」という無意味な言葉の解釈の自由こそが魅力と語っている[2]

ちなみに、『アクトン・ベイビー』の収録曲「ズー・ステーション」は、ベルリンの実在する駅名(ドイツ語でZoologischer Garten)だが、そこへ行く電車路線は「U2」という。

来歴[編集]

結成とデビュー[編集]

1976年、ダブリンのマウント・テンプル高校の掲示板にラリー・マレン・ジュニアがバンドメンバー募集の貼り紙を出した。これを知ったポール・ヒューソン(ボノ)、アダム・クレイトン、エヴァンス兄弟(兄ディック、弟デイヴ(ジ・エッジ)が集まり、5人でアマチュア活動を始める。バンド名は「フィードバック(Feedback)」や「ハイプ(Hype)」を経て、ディック脱退後の1978年に「U2」と決まった。地元のタレントコンテストで優勝し、CBSアイルランドと契約。1979年に限定シングル『U2:3』でデビューする。アイルランド国内で人気を得て、1980年にアイランド・レコードと契約を結びメジャーデビューを果たす。

初期3部作[編集]

ボノ(1983年)

スティーブ・リリーホワイトのプロデュースで、1980年にファーストアルバム『ボーイ』を発表。1981年に『アイリッシュ・オクトーバー』、1983年に『WAR(闘)』をリリースする。全英ヒットチャート1位を獲得した『WAR(闘)』は初期を代表するアルバムとなり、ポーランド独立自主管理労働組合「連帯」をうたったシングル「ニュー・イヤーズ・デイ」が大ヒットした。精力的なライブツアーにより、人気はイギリス、ヨーロッパ大陸、アメリカへと拡大。『ローリング・ストーン』誌は、U2を1983年度の最優秀バンドに選出した。

荒削りな演奏とボノの熱唱に乗せて、社会問題や宗教観をストレートに表現する姿勢は、当時のポストパンクニュー・ウェイヴ)世代の中では異彩を放っていた。この期間のレコードジャケットには、上半身裸の少年(ヴァージン・プルーンズのメンバーでボノの友人だったグッギの弟であるピーター・ローウェン)の写真が使われている。

中期3部作[編集]

新たにブライアン・イーノダニエル・ラノワをプロデューサに迎え、1984年に『』を発表。1985年にはライヴエイドに出演。1987年の次作『ヨシュア・トゥリー』が全英・全米ヒットチャートを制覇し、グラミー賞最優秀アルバム賞に選ばれるなど、世界的スーパーバンドとして認められる。1988年には、アメリカツアーのドキュメンタリー映画『魂の叫び』を公開し、同名のアルバムもリリースした。

アンビエントの重要人物であるイーノとラノワの師弟コンビと交わることで、音楽性は内省的な方向へ深化した。また、アメリカのルーツ・ミュージックに傾倒し、ロックの源流であるブルースゴスペルソウルなどブラック・ミュージックの要素を積極的に取り入れた。『魂の叫び』には、ボブ・ディランB.B.キングヴァン・ダイク・パークスらが参加し、B.B.キングとはツアーでも共演した。

シンセポップ3部作[編集]

ボノ(1992年)

東西ドイツ統一の自由と混沌に満ちたベルリンで制作したアルバム『アクトン・ベイビー』(1991年)から、バンドのスタイルは前衛的な方向へ一変する。1993年の『ZOOROPA』、1997年の『ポップ』とビッグ・ビート路線を突き進み、大掛かりなセットを組んだスタジアムツアーも話題をさらった。

従来のイメージを払拭するかのように、サウンドやビジュアルは官能・退廃・ユーモアに彩られ、ボノのボーカルもファルセットを交えた中性的な歌唱法へ様変わりした。この大胆な実験性が認められ、特に『アクトン・ベイビー』は大きなセールスを記録している。

またブライアン・イーノパッセンジャーズ(Passengers)の共同名義で、1995年に架空のサウンドトラックアルバム『Original Soundtracks 1』を発表した。シングルカット曲「ミス・サラエボ」ではオペラ歌手ルチアーノ・パヴァロッティと共演している。

原点回帰[編集]

2000年には、イーノとラノワを再び迎え、新作『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』を発表。2004年の『原子爆弾解体新書〜ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』ではリリーホワイトもプロデュースに復帰した。デビューから20周年を越えた新境地として、初期を思わせる素朴さと、1990年代のスタイルを織り交ぜ、現代的でありつつも原点に回帰したロックサウンドを完成させた。両アルバムとも高い評価を得て、グラミー賞において計15の部門賞を獲得した。

2008年には、「Vertigo Tour」を収録した3D映画『U2 3D』を世界公開(日本では2009年3月公開)。2009年には、最新アルバム『ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン』を発表し、「U2 360° Tour」が行われた。

特徴[編集]

結成した高校時代から既に35年以上経っているが、デビュー前にジ・エッジの兄が抜けた以外は不動の4ピースバンドとして活動を続けている。ギャラは貢献に関係なく四等分され、プライベートでもメンバーの家族含めて常に連れ添っている姿は、仕事以外付き合いがないバンドが多い中で珍しく「奇跡のバンド」と評される。メンバーの中ではボーカリストであり、慈善活動家としても精力的なボノの存在が目立つことが多い。愛の尊さを伝える姿勢や、社会問題に関与する行動など、ロックバンドとしての「生真面目さ」を一貫して持ち続けている。

音楽性[編集]

ジ・エッジの技巧的なギタープレイや、ドラム・ベースの重厚なリズムセクションも実力を知られている。長い音楽活動の中であらゆるジャンルの音楽を取り込む試みを実行しており、バンドのイメージも時代ごとに様変わりしている。特に、1980年代と1990年代の全く異なる方向性については、ファンや音楽評論家の間に賛否両論を招いた。

バンド初期のころは、ポップ・ミュージックを毛嫌いしており「聞くに値しない」と考えていた。そのためペット・ショップ・ボーイズがU2の代表曲である『Where the streets have no name』をハウス調(Hi-NRG調、ユーロビート調)にしてカバーしたときは激怒し、両者の関係が悪化してしまった[要出典]。しかし1990年代に入ると、ハウスやシンセミュージック、ついにはポップ・ミュージックまでも積極的に取り込んでいく。自身のアルバムに『POP』と名付け、ペット・ショップ・ボーイズとも和解。ライブではABBAのメンバーと共演し、『Dancing Queen』をカバーするまでになった。

ライブやツアーについて[編集]

ライブバンドとしても評価が高く、毎回異なるコンセプトとパフォーマンスは、ショービジネス界に大きな影響を与えている。歌詞において、メロディと英語の歌詞のフィーリングが合わない場合他の国の言語に置き換えて歌う部分もU2の歌ではいくつか見られる(アルバム『焔』の「プレスリーとアメリカ」におけるアパッチ語や、アルバム『ヨシュア・トゥリー』における「ワン・トゥリー・ヒル」におけるフランス語など)これはボノ本人もインタビューで語っている。

1992年から始まった「ZOO TVツアー」では、ステージ上に巨大なテレビを多数設置、パフォーマンスに合わせて異なる映像やメッセージを流す、ドイツ製車トラバントを照明として使用、会場の中まで花道を置くステージなど当時としては画期的なコンセプトであった。『ローリング・ストーン』誌は、「ビートルズサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドに匹敵する革新性」と評した。

「ZOO TV TOUR」のMCでは、ボノが開催地のどこかへ電話をかけるコーナーがあった。フランスのミッテラン大統領、ドイツのコール首相、アメリカのホワイトハウスブッシュ大統領には繋いでもらえず)、大統領候補のビル・クリントン(本人との会話に成功)などのほか、ピザ屋にピザ1万枚の宅配を注文したこともあった。日本公演での相手は初日が横綱、2日目は117番NTTの時報ダイヤル)相手に「マドンナにつないでくれ」と言っていた(マドンナは当時来日中だった)。

1997年からの「ポップマート・ツアー」では、高さ17m×幅51mの巨大スクリーンとミラーボール式のレモンのオブジェなどに約180億円の費用をかけた、スタジアム・ツアーとなった。

2001年からの「エレヴェイション・ツアー」、2005年からの「ヴァーティゴ・ツアー」では一見シンプルなステージに戻ったものの、細部に最先端の装置・照明・映像を駆使し、米SPIN誌等批評家からも世界で最も良いライブを行うバンドとして評されている。

U2 360°ツアーの巨大ステージセット

2009年6月30日のバルセロナ公演から始まったU2による過去最大級のコンサート・ツアー「U2 360°ツアー」が、2011年7月30日にカナダ・ニューブランスウィック州モンクトンでの110公演(全てスタジアム公演)をもって最終日を迎え、技術的および音楽的功績の両面はもちろん、歴史的な数字を達成する最大規模のコンサートを成し遂げた。Billboard.comの調べによると、同ツアーはグロスでの興行収入が約7億3,614万ドル、観客層動員数が726万8,430人という膨大な数字を叩き出しており、これまでに報道されたどのコンサートよりも高い数字を記録している。この「360°ツアー」の成功はU2の世界的人気が根強いことを証明しただけでなく、通常よりも25%増の観客を動員できる巨大なステージというリスキーな試みが成功したという大きな結果を残したことになる。

社会派ロック・バンドとして[編集]

音楽による社会問題提起に熱心であり、宗教紛争反核人権薬物依存症などについてメッセージ性の強い曲を発表している。また、アフリカの発展途上国やエイズ問題などへのチャリティー活動にも積極的に参加している。

音楽配信[編集]

インターネット経由の音楽配信に積極的な姿勢を持ち、2004年発売のアルバム『ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』からのシングル「Vertigo」がiPodのCMソングに起用された[3]、また、"iPod U2 Special Edition"も発売された。

加えて、2005年に発売された動画再生に対応したiPodのCMでは、動画機能のアピールのために「Original of the Species」のライブ映像が使用されている。また全446曲入りの究極のアルバム『ザ・コンプリートU2』を、iTunes Music Store限定でリリースした。

影響[編集]

バンドの誕生に影響を与えたアーティストはザ・クラッシュジョイ・ディヴィジョンラモーンズなど。ライブではビートルズやローリング・ストーンズエルヴィス・プレスリーの曲をカヴァーしている。元ザ・バンドロビー・ロバートソンのソロ・アルバム『ロビー・ロバートソン』(1987年)にメンバー全員で参加したほか、「ZOO TV TOUR」では衛星中継を介し、ルー・リードと共演を行った。

競演したアーティスト[編集]

2006年には、メアリー・J. ブライジグリーン・デイがU2と共演したシングルを発売しヒットを記録している。メアリー・J. ブライジとは「ワン」のデュエットを、グリーン・デイとはチャリティー目的でザ・スキッズのカバー「セインツ・アー・カミング」を発表している。「セインツ・アー・カミング」のビデオは、イラクから帰還した米軍ヘリがニューオーリンズに救援物資を投下するといった内容のもので、YouTubeで公開され話題となった。

ディスコグラフィ[編集]

ボノ
ジ・エッジ
アダム・クレイトン
ラリー・マレン・ジュニア

日本盤は、ユニバーサルミュージックからの発売。

アルバム[編集]

52位 ゴールド(UK)、63位 プラチナム(US)、世界総売り上げ400万枚
11位 プラチナム(UK)、104位 プラチナム(US)、世界総売り上げ350万枚
1位1週 2xプラチナム(UK)、12位 4xプラチナム(US)、世界総売り上げ1,000万枚
1位2週 2xプラチナム(UK)、12位 3xプラチナム(US)、世界総売り上げ850万枚
1位2週 6xプラチナム(UK)、1位9週 ダイアモンド(US)、世界総売り上げ2,850万枚
1位1週 4xプラチナム(UK)、1位6週 5xプラチナム(US)、世界総売り上げ1,450万枚
2位 4xプラチナム(UK)、1位1週 8xプラチナム(US)、世界総売り上げ1,750万枚
1位1週 プラチナム(UK)、1位2週 2xプラチナム(US)、世界総売り上げ800万枚
1位1週 プラチナム(UK)、1位1週 プラチナム(US)、世界総売り上げ700万枚
1位1週 2xプラチナム(UK)、3位 4xプラチナム(US)、世界総売り上げ1,200万枚
1位3週 4xプラチナム(UK)、1位1週 3xプラチナム(US)、世界総売り上げ1,000万枚
1位2週 プラチナム(UK)、1位1週 プラチナム(US):世界総売り上げ500万枚

ライブアルバム[編集]

2位 3xプラチナム(UK)、28位 3xプラチナム(US)、世界総売り上げ1,000万枚

ベストアルバム[編集]

1位1週 5xプラチナム(UK)、2位 2xプラチナム(US)、世界総売り上げ1,850万枚
2位 2xプラチナム(UK)、3位 プラチナム(US)、世界総売り上げ750万枚
4位 2xプラチナム(UK)、12位(US)、世界総売り上げ500万枚

使用された曲[編集]

詳細はシングル・アルバムのそれぞれの項を参照。

日本での活動[編集]

  • 1983年のWAR TOURでの来日の際、フジテレビ系「夜のヒットスタジオ」に出演し、『New Year's Day』を演奏。途中、ギターの音が出なくなるトラブルに遭った。
  • 1998年のPOP MART TOURでの来日の際、3月6日にボノがテレビ朝日系『ニュースステーション』に生出演し、約15分にわたってインタビューに答えた。
  • 2003年9月29日から2004年3月26日の最後の放送まで『ニュースステーション』10代目メインテーマ曲を「Where the Streets Have No Name(約束の地)」で担当した。
  • 2006年春に延期されたワールド・ツアーの振替公演が同年11月29、30日と12月4日にさいたまスーパーアリーナで行われた。来日時には、テレビ朝日系の音楽番組『ミュージックステーション』に12月1日に出演、TBS系の『筑紫哲也 NEWS23』ではインタビューを受けた。ボノが日本のテレビ番組に出演するのは8年ぶり、U2としては23年ぶりのことである。
  • 2006年11月、ボノは安倍晋三首相(当時)を表敬訪問し、日本の発展途上国 (特にアフリカ)への援助を要請。また、2000年に日本が提案した基金によりエイズ患者の手に治療薬が渡っていることを賞讃した。そして安倍首相にサングラスをプレゼントし、首相もそれをかけるパフォーマンスを見せた。

日本公演[編集]

※2006年4月4日日産スタジアム公演の振替公演。延期は、「メンバーの家族の病気により、メンバーが家族に付き添いたい。」という理由による。日本以外でも、いくつかの国の公演が延期された。なお、さいたま公演ではアリーナ形式(ただしステージセットはスタジアム仕様)で行われたため、従来の会場よりもより身近に公演を楽しむことが出来た。

エピソード[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “世界中で最も稼いでいるミュージシャンはU2!レディー・ガガはショーのコスト高で水をあけられる、米フォーブス誌”. シネマトゥデイ. (2011年6月18日). http://www.cinematoday.jp/page/N0033140 2011年6月25日閲覧。 
  2. ^ 『U2 BY U2』 シンコーミュージック・エンタテイメント刊より。
  3. ^ U2が自らの楽曲をCMソングに起用することを了承したのはこれが初めてである。

参考文献[編集]

  • スローガン 『Artist file 10 U2 FILE』 シンコーミュージック・エンタテイメント 2005年4月 ISBN 4-401-61913-7
  • 和久井 光司 『地球音楽ライブラリー U2』TOKYO FM出版 2006年5月 ISBN 4-88745-157-1
  • U2/前むつみ監訳/久保田 祐子ほか訳 『U2 BY U2』 シンコーミュージック・エンタテイメント 2006年11月 ISBN 4-401-63041-6

関連する人物・団体[編集]

外部リンク[編集]