5人目のビートルズ

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5人目のビートルズは、ビートルズの4人の正式メンバーに準じる立場にいる人物を指す呼称。

ビートルズは1962年のメジャー・デビューから1970年の解散まで、4人の正式メンバーしか在籍していない。だが、それ以外の人物がビートルズに直接或いは間接的に関わっている場合、ファン或いはマスコミによって「メンバーに準じる立場」と認められる場合がある。また、自称の場合もある。確認されているだけでも、以下の人物達が「5人目のビートルズ」と呼称された事があった。

前メンバー[編集]

ピート・ベスト
スチュアート・サトクリフ
ビートルズがメジャー・デビューする前に脱退したメンバー。

スタッフ[編集]

ジョージ・マーティン
デビュー・シングルの「ラヴ・ミー・ドゥ」から、実質的なラスト・アルバムである「アビー・ロード」までのプロデュースを務めた。クラシック系の楽器の使用方法に疎いメンバーに数多くの助言やサポートを行ったり、初期には自らピアノでレコーディングに参加するなど、メンバー以外でビートルズ音楽に最も影響を与えた人物とされている。
ブライアン・エプスタイン
1962年から1967年の死亡時までマネージャーを務めた。メジャー・デビューやアメリカでの成功はブライアンの功績が大きいとされている。また、実際にポール・マッカートニーは記録映画『ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』内のインタビューに於けるエプスタインの死に関する発言の中で「彼こそ5人目のビートルズだ」と述べている。
ニール・アスピノール
設立から2007年の退任まで長きに渡りアップル・コアの代表取締役として経営を行った。
デレク・テイラーDerek Taylor
ビートルズの広報を担当。「平和を我等に」にコーラスで参加している。
ジェフ・リン
エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)のリーダー。また音楽プロデューサーとしてジョージ・ハリスンポール・マッカートニーリンゴ・スターなどを手掛け、「フリー・アズ・ア・バード」「リアル・ラヴ」にもプロデューサーとして参加した。

セッション参加ミュージシャン[編集]

右端がジミー・ニコル(1964年6月)
トニー・シェリダン
無名時代のビートルズをバックに据えて録音したシングル盤を「トニー・シェリダンとザ・ビート・ブラザース」名義でリリースしている。
ビリー・プレストン
ゲット・バック」におけるエレクトリック・ピアノの演奏などで有名。外部から招かれた演奏者としては、唯一公式にクレジットされたアーティストである。
ジミー・ニコルJimmie Nicol
イギリスのドラマー。1964年6月のツアーで病気のリンゴ・スターの代役でドラムを担当した。周りから調子を聞かれたときの口癖「It's getting better(だんだん良くなってるよ)」がビートルズの楽曲「ゲッティング・ベター」のタイトルの由来となった。

その他[編集]

ジョージ・ベスト
ビートルズと同時代に活躍したサッカー選手。華麗なプレーや甘いマスク、ファッションなどで非常に高い人気を博したことから、当時同じように人気のあったビートルズと掛けて呼ばれるようになった。
ウィリアム・キャンベル(William Stuart Campbell)
都市伝説「ポール・マッカートニー死亡説」において、「ポールの替え玉として選ばれた」とされるポールのそっくりさん。