YOSHIKI

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YOSHIKI
2010年のJapan Expoにて
2010年のJapan Expoにて
基本情報
出生名 林 佳樹(はやし よしき)
別名 ゲイリー・ヨシキ、
五十嵐美由姫、
立花香流、橘朋実、白鳥瞳
白鳥龍、白鳥麗
出生 1965年11月20日(46歳)
学歴 千葉県立安房高等学校卒業
出身地 日本の旗 日本千葉県館山市
ジャンル ハードロック
ヘヴィメタル
クラシック音楽
トリップ・ホップ
ほか
職業 ミュージシャンプロデューサー
作詞家作曲家実業家
担当楽器 ピアノギタードラムスキーボード
活動期間 1982年 - 現在
レーベル Extasy Records
日本コロムビア
事務所 ジャパンミュージックエージェンシー
共同作業者 X JAPANViolet UK
V2globe extremeS.K.I.N.
影響 J.S.バッハ
フランツ・シューベルト
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
キッス
アイアン・メイデン
レッド・ツェッペリン
キース・ジャレット
公式サイト www.yoshiki.net

YOSHIKI(ヨシキ、本名:林 佳樹 [はやし よしき] 1965年11月20日 - )は、日本音楽家音楽プロデューサードラマーピアニスト作曲家マルチプレイヤー。ロック・バンドX JAPANのリーダー、プロデューサーとして知られており、ドラムピアノを担当。また、自身のプロジェクトViolet UKを手がけている。そのほか、V2globe extremeS.K.I.N.などとしても活動がある。

これまでのソロとしての大きな仕事に、天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典のための奉祝曲(1999年)[1]2005年日本国際博覧会(愛知万博)の公式イメージ・ソング(2005年)[2]ゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソング(2012年)[3]などがある。

本名は1997年のX JAPAN解散記者会見で公表した。弟に俳優の林光樹がいる[4]

目次

[編集] 経歴

[編集] 生い立ち

千葉県館山市の裕福な呉服屋の家庭に二人兄弟の長男として生まれる[5]。4歳から自宅そばのピアノ教室でクラシック・ピアノのレッスンを受け、小学校2年で最初に買ったシューベルト交響曲第8番ロ短調「未完成」ベートーベン交響曲第5番ハ短調「運命」が収録されたレコードでクラシック音楽に目覚める[6]。とりわけベートーベンに対しては、若くして難聴となりながらも数々の名曲を残した苦難の人生を伝記を通じて知り、強い興味を抱いた。小学校4年から中学校2年までブラスバンドトランペットを吹く。ピアノでの曲作りも9歳頃からはじめる[6]。10歳で自殺により父親を亡くし、父親の死後は母親の手で育てられる[7]。それまではほとんどクラシック音楽しか聴いていなかったが、キッスのシングル「ラヴ・ガン」でロックに目覚め[8]、母親に頼み連れていってもらったキッスの日本武道館公演をきっかけに、11歳でドラム、12歳でギターを始めた[4]

11歳で初めてのバンドDYNAMITEを、同級生と幼馴染みでギターが弾けたToshIの4人で結成し、近所の貸しスタジオでキッスのコピーを始める。YOSHIKIはドラムとボーカルを兼任していたが、声変わりが遅く高声しか出すことが出来なかった。中学校に進学後、新たに同級生をボーカルに迎え、バンド名をNOISEに改称。YOSHIKIはドラムに専念し、レッド・ツェッペリンディープ・パープルなどのコピーをはじめる。より複雑なリズムを叩くため、14歳の誕生日に母親に頼んでダブル・ベースのドラムセットを手に入れ、中学校の卒業生を送る会で初めてのステージを踏んだ。高校進学後もNOISEとして、レッド・ツェッペリン、UFOレインボーなどのコピーを文化祭で演奏した。

[編集] Xの結成

1982年の夏、大学進学に向けてメンバーが離脱したNOISEを解散。当時アイアン・メイデンのアルバム『鋼鉄の処女』や『キラーズ』に感化されていたYOSHIKIは、ボーカルに転向したToshIと他校の生徒によるツインリードギター編成で、スラッシュ・メタルを指向したバンドX(現在のX JAPAN)を新たに結成する。アイアン・メイデンのコピーや、Xの最初のオリジナル曲「I'll Kill You」を作曲する。また、進学する同級生とハードロックのコピー専門バンドGENIUSを新たに結成し、Xと兼任した。高校3年から音大を目指して本格的にピアノに打ち込み、音大を目指し受験用のプログラムを通してソルフェージュ和声楽典などの音楽理論を学ぶが[6]、ヤマハ主催のコンテストで千葉県のベスト・ドラマー賞を受賞するほか、Xがバンド・コンテストなどで優勝を重ねる中で次第にバンドとしての可能性に自信を深め、音大の推薦入学も決まっていたピアニストへの道を断つ[4]。高校を卒業すると、青山レコーディングスクール(当時)への入学とバンド活動の本格化のためToshIと2人で上京。上京後にバンドメンバーを探していた時期はエクスプロイテッドカオスUKG.I.S.M.GAUZEなどのパンク・ロックに傾倒していた[9]。ライブハウス時代は、Xが当時出演していたライブハウス「神楽坂EXPLOSION」でDoomのメンバーが店員だった繋がりで、Doomの初ライブでヘルパーとしてドラムを叩いている[9]

1986年にXのレコードをリリースするためにインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」を設立。1989年にXの『BLUE BLOOD』でCBSソニーからメジャーデビューを果たした。

[編集] ソロ活動

バンド活動と平行して、小室哲哉とのユニットV2を1991年に結成。1992年からロサンゼルスに自身のレコーディングスタジオを構え、制作の拠点をアメリカに移す。MIDIシンクラヴィアなどに触れ、コンピューターベースの制作環境に関心を持ち、バンドの枠を超えたプロジェクト、Violet UKを構想する。この時期にキース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』をきっかけにジャズ・ピアノに目覚め、ジャズの理論やインプロビゼーションを学び始める。また、同時期からオーケストレーションについても学び始める[6]

東芝EMIと1992年に初のソロ契約をし、翌年にビートルズのプロデューサーとして知られるジョージ・マーティンとのクラシックアルバム『Eternal Melody』をリリース。その後もクイーンロジャー・テイラーとのコラボレーション作品「Foreign Sand」のリリースや、キッスのトリビュートアルバム『トリビュート -KISS MY ASS-』の参加など、世界的に著名なミュージシャンとのコラボレーションがあった。またプロデュース活動も開始し、LUNA SEAGLAYZI:KILLプラチナム・レコードやExtasy Recordsからデビューさせた。

ToshIとの離別やX JAPANの解散、HIDEの急逝で精神的に落ち込んでいた1997年からの2年間は、北野井子Dir en grey[10]のプロデュースを手がけるものの、表舞台には一切上がらずにいたが、1999年に天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典の奉祝曲の制作依頼を受け、作曲したピアノ協奏曲ハ短調「Anniversary」を式典で御前演奏[1]。この時に受けた歓声が再起の契機となった[11]。再起後はViolet UKの制作とアーティストプロデュースを継続し、TRAX[12][13]のデビューや、2000年に設立したExtasy JapanとExtasy Records Internationalレーベル所属のアーティストのデビューに携わった。2002年にはglobeに加入し、「seize the light」をリリースしたが、2005年にYOSHIKIを加えての活動の際には、ユニット名がglobe extremeになることが発表された。

X JAPAN解散後は、管弦楽での活動が増し、東京国際フォーラムで「Yoshiki Symphonic Concert 2002 with Tokyo City Philharmonic Orchestra featuring Violet UK」を2002年に開催。後にDVDとして発売されたこのコンサートは、弦楽器に比重が置かれた16型編成のクラシックスタイルコンサートで、藤原いくろうとコンスタンチン・クリメッツが指揮した[14]。また2005年日本国際博覧会(愛知万博)の公式イメージソング「I'll Be Your Love」を制作し、開会式においてEXPOスーパーワールドオーケストラが演奏するクラシックアレンジバージョンを指揮した[2]。2作目となるクラシックアルバム『Eternal Melody II』もリリースされた。

その他にも、2003年にNHKのテレビ放送50周年記念番組「あなたとともに50年 今日はテレビの誕生日」のエンディングテーマ「君だけだから」、2004年に宝塚歌劇花組公演「TAKARAZUKA舞夢!」で使われた「世界の終りの夜に」を作曲[15]。2006年には、劇場長編アニメーション映画「ベルサイユのばら」の音楽を担当することを発表した[16]

Otakon 2006でサインに応じるYOSHIKI

2006年の8月5日、ボルチモアで開催されたアニメコンベンション「Otakon 2006」に特別ゲストとして招かれ[17]、翌2007年には5月25日と26日にロサンゼルスのウィルターン・シアターで「J-Rock Revolution Festival」を主宰[18]。アメリカにおけるジャパニーズロックの人気に注目したアメリカの大手イベントプロモーター会社ライブ・ネイションの企画から実現したこのイベントには、アリス九號.ヴィドールDuelJewelKagrra,MiyaviD'espairsRayメリーgirugämesh(ギルガメッシュ)ムックらが出演した。YOSHIKIは、このイベントのオーガナイザーを務め、GACKTSUGIZO、雅-miyavi-とのロックバンドS.K.I.N.の結成と、6月にロングビーチで開催された「Anime Expo 2007」でのS.K.I.Nのファーストライブ決定を発表した[19]。また、2007年公開のアメリカ映画「カタコンベ」の主題歌制作や[20]、2008年に公開されたアメリカ映画「Repo!」の音楽総監督や製作総指揮、主題歌制作を務めるなど[21]、アメリカにおける活動が増えた。

2008年には、日本テレビ開局55年記念ドラマ「東京大空襲」の主題歌として、秋川雅史が歌う「愛する人よ」を制作[22]。2009年に、日本テレビ系「ズームイン!!SUPER」のお天気コーナーに「Blue Sky Heaven」を提供した[23]

新番組の設立パーティーが行われたシリウスXMニューヨーク本社で記者会見するシリウスXMの社長スコット・グリーンスタイン(右)とYOSHIKI。

2011年5月27日から、アラスカとハワイを除く全米で展開しているアメリカの衛星ラジオ局シリウスXMの「ザ・ボーンヤード」で「YOSHIKIラジオ」と題された音楽番組のホストを務める[24][25]。YOSHIKIが影響受けた音楽や、アニメなどの日本のポップカルチャーも紹介する[24]。2010年10月にニューヨークで行われたX JAPANのコンサートを見て関心を持ったラジオ局の関係者が、YOSHIKIに新番組の依頼をしたことがきっかけとなった[24]。番組は月に1回、1時間全編を通して英語で放送される。27日の東部時間20時から1回目が放送され、2回目となる6月5日以降は毎月第一日曜日の東部時間21時から放送される[26]

2012年にはハリウッド外国人映画記者協会からゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソングの制作依頼を受け、第69回ゴールデングローブ賞の授賞式から使用されている[3]

[編集] 使用機材

[編集] ピアノ

Kawai CR-40A
Kawai Yoshiki Custom

1990年までのステージでは、スペースと予算の都合でアコースティック・ピアノが使えなかったため、ローランドのエレクトリック・ピアノ、RD-1000を使用していた。ピアノ以外にもチェンバロなど、音色を変えて演奏する事も多かった。

1991年以降のステージでは、外装部分が透明アクリル樹脂で出来ているカワイクリスタル・ピアノ、CR-40Aを主に使用している。東京の自宅では特注MIDI仕様のCR-40Aを置いている[6]。2011年のX JAPANのヨーロッパ・ツアーと中南米ツアーではCR-30を使用した。「Yoshiki Symphonic Concert 2002 with Tokyo City Philharmonic Orchestra featuring Violet UK」や「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」での演奏には、1993年にカワイと製作したカスタム・フルコンサート・ピアノを使用している。幼少から自宅のカワイのピアノで練習をしていたことからカワイのタッチに慣れており、レコード会社とロサンゼルスの自宅にもそれぞれカワイのピアノを置いている[6]。1997年のテレビ出演時にはカワイのシンセサイザー、K5000Wを使用した。

レコーディングスタジオではカワイ・RX、ヤマハのフルコンサート・ピアノとMIDIピアノ、スタインウェイのフルコンサート・ピアノが置かれている[6]。スタインウェイのフルコンサート・ピアノはカーネギーホールで使われていたものを買い取ったもので、著名なアーティストのオートグラフが数多く入っている[27]。他にも様々な種類のピアノを約30台所有している[27]。 KAWAI CR-40Aを2011年東日本大震災のyahoo震災チャリティーオークションに出品した。

[編集] ドラムセット

Tama H-YKB

基本的にTAMAの2バス (16"x24", 16"x24")、スネア (6.5"x14")、2フロア (16"x16", 16"x18")、4タムタム (10"x10", 12"x12", 13"x13", 14"x14") の構成である[28]

「音質」を重視するレコーディング用と、「パフォーマンス性」を重視するステージ用とを使い分けており、X JAPANのアルバム『Jealousy』のレコーディングからはTAMAのチタンシェルのセットをラック・システムで使用[29]。チタン特有のドライな音を補うため、比較的薄いドラムヘッドに付け替えている[29]。また、X JAPANのシングル「Rusty Nail」のレコーディングからは、オン・マイクで拾ったスネア・ドラムとバス・ドラムの音をトラッキング・ルームにセットした大型のPAスピーカーからルーム全体に流し、部屋鳴りも同時にルーム・マイクで録るシステムを採用している[29]。この手法によって、オン・マイクのアタック感と、通常のドラム・レコーディングでは得られない奥行きのある部屋鳴りをミックスしている[29]。このシステムは1994年からドラム・テクニシャンに迎えたロス・ガーフィールドが組んでいる[29]

ステージではこれまでにTAMA アートスター・カスタムのレッドとクローム、TAMA カスタム・アクリル・キット(通称"クリスタル・ドラム")を使用。初期にはレッドが、以降はクロームが破壊パフォーマンスに使用されている。ステージでメインとなるクリスタル・ドラムは、かつてレッド・ツェッペリンジョン・ボーナムが使用していた事で知られるラディック製が有名だったが、当時は生産されていなかったため、ライブで「ライトによって何色にでも光る」という理由でTAMAとエンドースメント契約し、特注した。その後に一般にも台数限定で販売されたが、シェルがアクリル樹脂素材のため、「あのモデルを買った人は大変だと思いますよ。強く叩かないと鳴らないから」と語っている[30]。ドラムヘッドはエヴァンス。フットペダルはヤマハのベルト・タイプ、FP-910を使用[30]。TAMAとエンドースメント契約する以前のインディーズ時代のステージではPearlのドラムセットにロートタムをセットしていた。2008年のX JAPAN再結成以降は、バスドラムの前面ヘッドのデザインが一新されたクリスタルモデルがライブで使用されている。

シンバル系は初期はPearlのWildシリーズを使用していたが、後にジルジャンに統一された。ハイハット・スタンドはTAMAのIron Cobra HH805[30]

ドラムスティックはTAMAから市販もされているYOSHIKIのシグネチャーモデル、TAMA H-YKBとPearlから発売されている110Hのブラックカラーを使用していて、状況によりPearlの110HBも使用しているのがJadeのPVなどでも確認されている。[31] 。ヒッコリー材でチップはボールタイプ。全長:398 mm、径:14.25 mm。ショルダー部分が比較的太く、先端にウエイトが置かれている。本人は使用していないが、TAMAからは上位モデルとしてマティロ(滑り止めの塗装)仕様のTAMA H-YKM、YOSHIKIのネームロゴが入ったドラムスティックケース、TAMA TB-YKも販売されている。

[編集] レコーディング・スタジオ

X JAPANのアルバム『ART OF LIFE』のレコーディングでノースハリウッド・ランカーシム通りNoHoアート地区のコンプレックス型スタジオ、ワン・オン・ワン・レコーディング (One On One Recording) を借りて使用していたが、当時メタリカボン・ジョヴィマドンナなどの有名アーティストに人気で予約が取りにくい上、スタジオ機材のレンタル料も嵩むことから、YOSHIKIが1992年に購入した。『ART OF LIFE』完成時の打ち上げではメンバーがスタジオを破壊し、一部タブロイド紙の地方版にも掲載された。その後、設備の充実化や内部の改築・改修工事を施し、引き続き一流ミュージシャン御用達のレンタル・スタジオとなったが、一番大きく、設備の充実したスタジオAだけは1年分スケジュールをYOSHIKIが自分のために押さえていたため、一流ミュージシャンでも自由に利用できなかった[4]。1997年にはスタジオ2階部分にビデオ編集専用ルームが作られた[32]。2003年からは一般へのレンタルを一切やめ、完全なプライベートスタジオとして使用している[33]。2000年にエクスタシー・レコーディング・スタジオ・ノース (Extasy Recording Studios North) に改称した[4]。Extasy Records InternationalとExtasy Music Publishingも同じ建物内にある。スタジオに備えられたレコーディング機材と、シンセサイザー、ピアノなどの楽器の総額は10億円を越え[27]ToshIがX JAPANの再結成に向けてスタジオへ出向いた後、エクスタシー・レコーディング・スタジオの設備の充実度はおそらく世界一であると自身のホームページで明かした。

約300坪の敷地にABCの3つのスタジオとラウンジ、機材室などがある。

スタジオAはコントロール・ルームにはメイン・モニタリング・スピーカーのジェネレック1035Bと、アメリカ本土最大となる104インプットのミキシング・コンソール (SSL 9000J) が備えられ[27][34]、70人規模のオーケストラが収容できるトラッキング・ルームはドラム・レコーディングにも定評がある[35]

スタジオBは72インプットのミキシング・コンソール (SSL Jシリーズ) が置かれ、ブースは主にボーカル録りに使用している[35]

スタジオCDigidesign Pro Controlが置かれ、エディット作業に使用している[35]

1998年には、マドンナのマネージャーを務めていたフレディー・デ・マンとレコーディング・ディレクターのビル・ドゥーリーが1993年にビバリー通りに構えたブルックリン・レコーディング・スタジオ (Brooklyn Recording Studios) を買い取り、エクスタシー・レコーディング・スタジオ・サウス (Extasy Recording Studios South) に改称して使用していたが[36]、YOSHIKIがアメリカのバンドのプロデュース活動から手を引いた2003年に手放している[33]。このスタジオには80インプット、32モニターチャンネルへの拡張と、104本のフェーダーのGMLオートメーション化がなされたニーヴのビンテージ・ミキシング・コンソール、Neve 8078が備えられていた[34]。ここで商業用に貸し出していたスタジオではキッスヴァン・ヘイレンジェーンズ・アディクションなどのほか[36]、1999年にはトレイシー・チャップマンフィオナ・アップルマリリン・マンソンといったアーティストがレコーディングに使用している[34]。なお、ブルックリン・レコーディング・スタジオでチーフ・エンジニア兼ジェネラルマネージャーを務めていたビル・ドゥーリーは現在、前述のエクスタシー・レコーディング・スタジオ・ノースのディレクターを務めている[34]

DAWソフトはMark of the UnicornのDigital Performerを使用[6]globeの「seize the light」では、MIDIのプログラミングを含め、アビッド・テクノロジーPro Toolsを使用して小室哲哉とエディットのやりとりをした[6]Korg T1、Doepfer LMK4+をMIDIマスターキーボードとして使用している。

[編集] 事業家として

1986年、Xのレコードをリリースのために「エクスタシーレコード」を19歳で設立し、社長に就任した。エクスタシーレコードは後にLUNA SEAGLAYZI:KILLを輩出する一大インディーズレーベルとなる。知り合いのプロダクション代表がエクスタシーレコードの音源の無断使用で莫大な利益を得ていた一件から、楽曲の権利を守るために1988年に音楽出版社「エクスタシー音楽出版」を設立し、日本音楽著作権協会 (JASRAC) に登録した[37]。また、1992年には自身のマネージメントや楽曲の版権を管理する「ジャパンミュージックエージェンシー」を設立している[37]

1994年にポリグラムグループとプロデューサー契約を結びPlatinum Recordsを設立。2000年にメディアファクトリーの出資を受け、Extasy JapanExtasy Records Internationalを設立。Extasy Japanはイーストウエストジャパン(当時)と流通契約。Extasy Records Internationalは2000年にワーナーグループの日米協業としては初となるワーナー・ミュージック・グループとの流通契約で、レーベルとして始動した。元々は、ロサンゼルスにあるエクスタシーレコーディングスタジオの運営会社で、YOSHIKIのマネージメント業務も兼ねている。X JAPANが再結成した2008年にExtasy A Musicを、X JAPANのシングル「I.V.」の全世界同時発売時に設立した。

音楽関連以外では2008年からエナジードリンク「ロックスター」のエグゼクティブ・プロデューサー[38]、2009年からSuper GT童夢チームのチームプロデューサー[39]、アメリカの動画共有サービス「Ustream」のエグゼクティブ・アドバイザー[40]、2010年11月に設立されたアレックス株式会社の共同設立者を勤めている[41]

また、黒澤明生誕100年祭「AK100 Project」の音楽アドバイザー[42]グラミー賞の投票権を持つ「ボーティング・メンバー」でもある[43]

2011年3月6日に国立代々木競技場にて行われたファッションショー「ASIA GIRLS EXPLOSION」のプロデュースに参加し、着物ブランド「YOSHIKIMONO」でファッションデザイナーとしてデビューした[44][45]

2011年11月12日に国立代々木競技場にて行われたファッションと音楽の融合イベント「Girls Award 2011 by CROOZ blog Autumn/Winter」でスペシャルゲストモデルとして参加[46]

[編集] 慈善活動

幼くして父を亡くした経験から、とりわけ遺児救済に関わる活動に積極的である。2009年1月16日のX JAPANの香港公演では200人の孤児をコンサートに招待し、地元のNPO団体「仁愛堂」に、コンサート収益の一部を寄付[47]。2009年3月29日から3日間、中国政府の要請により四川大地震の被災地と孤児院を慰問し、仮設校舎の敷地内にプレハブで建て、ピアノやオルガン、木琴などさまざまな楽器も寄贈した[48]。その後、より継続的な支援を目標に「YOSHIKI基金」を2010年7月1日に設立。ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンスが運営する「グラミー基金」と共同で、楽器の購入支援、音楽レッスンの提供、音楽関連のイベントへの参加支援など、音楽を通じた支援活動を予定している[49]

2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災者のためにYahoo! JAPANの「チャリティ・オークション」にX JAPANのコンサートで使用したクリスタル・ピアノ「KAWAI CR-40A」を出品し、Yoshiki Foundation Americaを通じて日本赤十字社に全額寄付した[50]

[編集] 持病

初期の頃に頭を激しく振りつつ、力任せにドラムを叩いていた結果、頚椎椎間板ヘルニア神経循環無力症(心臓神経症)などを相次いで発症し、これまでに何度もライブの中止や延期を引き起こしている。X JAPANの全国ツアー「DAHLIA TOUR 1995-1996」で倒れた際には、「次に痛みが出たら車椅子生活になる」と医師から宣告された[51]。再発防止のために筋肉で骨を補強するようスポーツ専門家から勧められ、自宅にジムを作って筋肉トレーニングに励むようになった[51]。その結果、見た目が変わるほどにまでに筋肉が強化されたが、回復後に行われたライブ「DAHLIA TOUR FINAL」以降は首にコルセットを巻いてドラムを叩くようになった。2007年にX JAPANが再結成したが、ワールド・ツアーの最中の2009年にヘルニアをさらに悪化させ、椎間孔切除の手術を受けた[52]。手術は成功したものの、ほかの頚椎間や腰にも損傷が判明したため、3年以内に再手術が必要であると医師から宣告された[53]

そのほか、甲状腺の疾患や、過去に長い期間、手首に負担がかかる角度でスタジオのマスター・キーボードを弾いて以来、慢性的な腱鞘炎を患っている。 自身の不眠症の治療をきっかけに、ライフワークとしてコロンビア大学の医学博士・加藤友朗と共同で音楽療法の研究も進めている[54]

[編集] ディスコグラフィ

[編集] アルバム

[編集] シングル

  • 背徳の瞳 ~Eyes of Venus~ (V2) (1992/1/18)
  • Amethyst (1993/11/3)
  • Foreign Sand (with Roger Taylor) (1994/6/1)
  • Blue Sky Heaven (2009/6/17)(着うた配信のみ)

[編集] コンピレーション・アルバム

[編集] トリビュート・アルバム

[編集] サウンドトラック

[編集] X JAPAN

[編集] Violet UK

[編集] globe

[編集] ToshI Feat. YOSHIKI

  • クリスタルピアノのキミ (2010/9)
  • ToshI Feat. YOSHIKI with MIKUNI ~CRYSTAL PIANO no KIMI~ (2011)

[編集] プロデュース作品

  • Mystery TemptationPOISON)(1986/8):プロデュース(POISONと共同)
  • 今を抱きしめてNOA)(1993/11/3):作詞、作曲、編曲、プロデュース
  • RAINGLAY)(1994/6/1):作詞、作曲(TAKUROと共同)、編曲、プロデュース
  • moment西城秀樹)(1997/8/6):作曲、編曲、プロデュース
  • Begin北野井子)(1997/8/6):作詞、作曲、プロデュース
  • 薔薇と緑(北野井子)(1997/8/6):作詞、作曲、プロデュース
  • アクロの丘Dir en grey)(1999/1/20):編曲(Dir en greyと共同)、プロデュース
  • 残-ZAN-(Dir en grey)(1999/1/20):編曲(Dir en greyと共同)、プロデュース
  • ゆらめき(Dir en grey)(1999/1/20):編曲(Dir en greyと共同)、プロデュース
  • Cage(Dir en grey)(1999/5/26):編曲(Dir en greyと共同)、プロデュース
  • 予感(Dir en grey)(1999/7/14):編曲(Dir en greyと共同)、プロデュース
  • 深紅の花工藤静香)(2000/7/14):作詞、作曲、編曲、プロデュース
  • PearlShiro)(2000/7/5):編曲・プロデュース(「Pearl」のみ)
  • LR-7BEAST)(2000/7/26):編曲(BEASTと共同で「LR-7」「UNCLEAR」のみ)
  • Happy Driving(Revenus)(2000/8/23):エグゼクティブ・プロデュース
  • Chemical(BEAST)(2000/9/27):編曲(BEASTと共同で「chemical」のみ)、プロデュース
  • 透明な自分(Shiro)(2000/11/29):トータル・プロデュース
  • 千の瞳Revenus)(2001/2/7):編曲(菅原サトルと共同で「千の瞳」のみ)、プロデュース
  • Vision(BEAST)(2001/4/11):エグゼクティブ・プロデュース
  • Flower(Revenus)(2001/5/9):編曲(菅原サトルと共同で「Flower」のみ)、エグゼクティブ・プロデュース
  • ヒューマニスティックアバンダンド・プールズ)(2001/9/25):エグゼクティブ・プロデュース
  • ビリーバーラウラ・ダウン:プロデュース(「アイ・ウッド」のみ)
  • ビフォア・ザ・ビギニングアジャ・ダシュール)(2002/2/26):編曲・プロデュース(「シャドウ・オブ・ザ・セインツ」のみ)、エグゼクティブ・プロデュース
  • ゼロスケープキドニーシーブス)(2002/3/26):エグゼクティブ・プロデュース
  • I'll Be Your LoveDAHLIA)(2003/10/29):作詞、作曲、プロデュース
  • ScorpioTRAX)(2004/12/15):作編曲(「Scorpio」のみ)、プロデュース
  • Rhapsody(TRAX)(2005/4/20):作詞(「Rhapsody」のみ)、編曲(宅見将典と共同で「Rhapsody」のみ)、プロデュース

[編集] その他

  • The Inner GatesBAKI)(1989/12/16):「In My Heart Cave」にピアノとアレンジメントで参加。
  • Habit of SexEX-ANS)(1990/5/21):「Different Malice」にピアノで参加。
  • Shake Hand(L.O.X.)(1990/5/25):白鳥麗の名義で全収録曲にドラムスで参加。
  • Tribute to MASAMI 汚れなき豚友達へ!! (2002/9/20):「KOKORO TALK」に白鳥麗名義で、L.O.X.のドラムスで参加。
  • 「愛・地球博」presents GLOBAL HARMONY (2003/9/26):「I'LL BE YOUR LOVE / Nicole」の作詞・作曲・プロデュース。
  • TAKARAZUKA舞夢!宝塚歌劇花組)(2004/10/20):「世界の終りの夜に」の作曲を担当。

[編集] 映像作品

  • V2 Special Live Virginity 1991.12.5 (1992/3/25) (LD: ESLU-355, VHS: ESVU-355, Betamax: ESUU-3355)
  • Anniversary(天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典) (2000/3/1)
  • Yoshiki Symphonic Concert 2002 with Tokyo City Philharmonic Orchestra featuring Violet UK (2005/3/30) (COBA-4385)

[編集] エンドースメント

  • Starlight Yoshiki (1992) - リカちゃん人形シリーズ初の実在する人物がモデル。
  • Fernandes Burny BG-125X (1992) - フェルナンデスによるYOSHIKIモデルのエレクトリック・ギター。
  • Larme (1993) - YOSHIKIのプライベートブランド。香水とアンダー・ウェアを発売。
  • Yoshiki Arts (2001) - 直筆サイン入りシルクスクリーン3作品。
  • YOSHIKI カレー<キレ辛> (2004) - 食べたカレーが辛かったことに腹を立てたYOSHIKIが、リハーサルをボイコットした事件が元ネタのレトルトカレー。
  • YOSHIKI インテリアランプ (2004) - ランプシェードにYOSHIKIの写真がプリントされた室内用ランプ。
  • Yoshiki Jewelry (2008) - ジュエリー・メーカー桑山とコラボレーションしたジュエリー・ライン。
  • Underground Kingdom Visaカード (2008) - カード会員限定の特典があるYOSHIKIのオリジナルクレジットカード。
  • Yoshikitty (2009) - ハローキティとのコラボレーション。ビジュアル系メイクアップを施したキティ。
  • Y by Yoshiki Chardonnay California 2008 (2009) - カリフォルニア産シャルドネワイン。
  • Y by Yoshiki Cabernet Sauvignon California 2008 (2009) - カリフォルニア産カベルネ・ソーヴィニヨンワイン。

[編集] 書籍

[編集] 脚注

  1. ^ a b 天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典 天皇陛下御即位二十年奉祝委員会 2009-10-14
  2. ^ a b 「愛・地球博」イメージソングを元X JAPANのYOSHIKI氏に依頼 愛・地球博公式ウェブサイト 2002-02-25
  3. ^ a b Golden Globes Theme Composed By Yoshiki Hollywood Foreign Press Association 2012-01-17
  4. ^ a b c d e 小松成美『YOSHIKI / 佳樹』(角川書店、2009年)
  5. ^ 一部スポーツ紙にて報道されたYOSHIKIに関する正式アナウンス Barks.jp 2008-09-29
  6. ^ a b c d e f g h i YOSHIKI ピアノ、クラシック音楽、これからの活動について大いに語る!キーボード・マガジン』 (2003年1月号) リットー・ミュージック
  7. ^ 日本テレビ「NEWS ZERO」 2009-03-19 O.A.
  8. ^ Sirius XM Yoshiki Radio 2011-05-27 O.A.
  9. ^ a b 『ロッキンf』(2000年11月号)立東社
  10. ^GAUZE」, 1999.7.28
  11. ^ NHK「わたしは あきらめない」 2002-04-03 O.A.
  12. ^ "Scorpio" release information cdjapan.co.jp
  13. ^ "Rhapsody" release information cdjapan.co.jp
  14. ^ Yoshiki Symphonic Concert 2002 with Tokyo City Philharmonic Orchestra Featuring Violet UK IMDb.com
  15. ^ 元X-JAPANのYOSHIKIが楽曲を提供 花組公演「タカラヅカ舞夢!」 スポーツニッポン 2004-05-29
  16. ^ S.K.I.N.、X JAPAN、VIOLET UK…すべての謎が今、明かされる!激白ロング・インタヴュー『FOOL'S MATE』(2007年9月号)フールズメイト
  17. ^ YOSHIKI, the honored guest at OTAKON 2006 JMusicAmerica.com 2006-09-24
  18. ^ J-Rock Revolution Festival Announcement JRockRevolution.com 2007-04-20
  19. ^ YOSHIKI、新バンド「SKIN」今夏始動を発表! Oricon.co.jp 2007-05-27
  20. ^ 【予告編】P!NKも熱演!パリの地下墓地を舞台にした恐怖映画『カタコンベ』公開! CD Journal 2007-09-28
  21. ^ あのYOSHIKIが、パリス・ヒルトン次回作のプロデューサーに! シネマトゥデイ 2007-09-21
  22. ^ YOSHIKI「東京大空襲」主題歌披露 日刊スポーツ 2008-03-13
  23. ^ 「ズームイン!!SUPER」30周年記念 ♪春のお天気テーマ♪のお知らせ ズームイン!!SUPER 2009-03-30
  24. ^ a b c YOSHIKIが米で初ラジオ番組 fujisankei.com 2011-05-11
  25. ^ YOSHIKI、米衛星ラジオ放送シリウスXMで「YOSHIKIラジオ」スタート barks.jp 2011-05-14
  26. ^ Yoshiki Radio Sirius XM 2011-05-28
  27. ^ a b c d TBS「世界バリバリ★バリュー」 2007-01-24 O.A.
  28. ^ Artist profile of Yoshiki tamadrum.co.jp
  29. ^ a b c d e 「Dahlia」Drums Recording 『月刊ギグス』 (1996年5月号) シンコーミュージック・エンタテイメント
  30. ^ a b c アーティスト特集YOSHIKI[X JAPAN]リズム&ドラム・マガジン』 (2008年6月号) リットー・ミュージック
  31. ^ Signature Sticks tamadrum.co.jp
  32. ^ 『ロッキンf』(1997年9月号)立東社
  33. ^ a b Extasy Records' label profile Discogs.com 2009-10-21
  34. ^ a b c d Maureen Droney (2000-01-01). "L.A. Grapevine" Mix Magazine 2009-10-20
  35. ^ a b c Keyboard Magazine Interview YOSHIKI 『キーボード・マガジン』(2005年6月号)リットー・ミュージック
  36. ^ a b Billboard Newspaper 1998年4月18日号
  37. ^ a b 小松成美『YOSHIKI / 佳樹』(角川書店、2009年)p. 223
  38. ^ ROCK STAR - YOSHIKI Event report rockstarenergy.jp 2008-09-15
  39. ^ 2009年 童夢GT参戦体制発表 Dome.co.jp 2009-02-11
  40. ^ X JAPANのYOSHIKI、Ustreamのエグゼクティブアドバイザーに就任 CNET Japan 2009-08-24
  41. ^ ファウンダー陣の紹介 アレックス株式会社 2010-12-16
  42. ^ AK100 World Tour | ツアー概要 ak100wt.com
  43. ^ YOSHIKI、Ustream.tvのエグゼクティブ・アドバイザーに Barks.jp 2009-08-25
  44. ^ YOSHIKI、「YOSHIKIMONO」でデザイナー・デビュー、イベントの構想はファッションミュージカル Barks.jp 2011-02-09
  45. ^ ASIA GIRLS EXPLOSION YOSHIKIインタビュー WWSチャンネル 2011-03-07
  46. ^ YOSHIKIステージ │Girls Award 2011 Autumn/Winter WWSチャンネル 2011-11-14
  47. ^ YOSHIKI 愛と生と死 magazineworld.jp 2009-02-10
  48. ^ YOSHIKI、子供たちに音楽室をプレゼント Barks.jp 2009-04-06
  49. ^ The Yoshiki Foundation America To Host An Official Fan Party To Benefit Charity jrockrevolution.com 2010-06-21
  50. ^ YOSHIKI愛用のクリスタルピアノ、4月17日よりYahoo! JAPAN「チャリティ・オークション」に登場 barks.jp 2011-04-22
  51. ^ a b 『音楽と人』(1996年12月号) シンコーミュージック・エンタテイメント
  52. ^ YOSHIKI、7月27日(月)頸椎椎間孔切除の手術 Barks.jp 2009-07-27
  53. ^ YOSHIKI:首の回復は「100%無理」と告白 3年以内に再手術も 毎日新聞 2009-08-24
  54. ^ Yoshiki (X Japan) Brandnew InterviewHanako』 (941号) マガジンハウス

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