沢田研二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
沢田 研二
基本情報
出生名 澤田 研二
別名 ジュリー
出生 1948年6月25日(66歳)
日本の旗 日本鳥取県鳥取市
出身地 日本の旗 日本鳥取県鳥取市
血液型 A型
学歴 京都府立鴨沂高等学校中退
ジャンル J-POP[1]
グラムロック
職業 歌手
俳優
作詞・作曲家
担当楽器 ボーカル
活動期間 1967年 -
レーベル ポリドール(1971年 - 1984年)
東芝EMI(1985年 - 2001年)
JULIE LABEL(2002年 - )
事務所 渡辺プロダクション
(1967年 - 1984年)
ココロ・コーポレーション
(1985年 - )
共同作業者 ザ・タイガース
PYG
加瀬邦彦
早川タケジ
公式サイト 沢田研二公式サイト
The Beatles The Rolling Stones

沢田 研二(さわだ けんじ、1948年6月25日 - )は、日本歌手俳優作詞・作曲家。本名、澤田 研二ニックネームジュリー(由来は沢田本人が女優のジュリー・アンドリュースのファン)。出生は鳥取県鳥取市だが、後に京都府京都市へ引っ越す。妻は女優の田中裕子。前妻は元ザ・ピーナッツ伊藤エミ

1960年代後半のグループサウンズ全盛期から活躍し、ソロとしてのシングル総売上は1,239万枚(1982 - 1991年の9年間は歴代1位の座を保つ[2])。ザ・タイガース、PYG時代を含めると1,666万枚になる。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

1948年6月25日京都市左京区の澤田松雄、智恵子夫妻の次男として、両親の実家がある鳥取県岩美郡津ノ井村(現・鳥取市津ノ井)で出生。このためNHK紅白歌合戦の出身地では「鳥取県鳥取市出身」とか「京都府京都市出身」と表記されることもあった。戸籍上の名前では、“研”という文字の右下に点がある。当時、父親が火薬研究所の取引先に勤務しており、二番目の子だったため「研二」と命名された。京都市立第三錦林小学校、同・岡崎中学校卒業後、1964年4月、京都府立鴨沂高等学校入学、後に同校を中退。中学では野球部のキャプテンを務め、高校では空手部に所属。

ザ・タイガース期[編集]

京都のダンス喫茶「田園」でドアボーイのアルバイトをしている時にサンダースに声をかけられ、17歳の沢田はローディーボーカリストになった。そのステージを見たサリーとプレイボーイズサリー岸部修三(現・岸部一徳))から沢田はリード・ボーカルとして誘われ、翌年の元日にサリーとプレイボーイズに正式加入、グループ名は「ファニーズ」と改めた。

ファニーズは、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」に出演した際に、上条英男、スパイダクション(現・田辺エージェンシー)、そして共演したロック歌手の内田裕也からも声をかけられた。しかし具体的な話が進まなかったため、当時リーダーであった瞳みのるが東京代々木上原の内田裕也宅を訪ね、瞳の熱意の甲斐あってメンバー全員が渡辺プロと契約。上京後、ザ・ヒットパレードのプロデューサーであったすぎやまこういちによって、テレビ番組の出演直前に「ザ・タイガース」と新たに名付けられる。

1967年2月5日にシングル「僕のマリー」でデビュー。阿波踊りのリズムを取り入れたセカンド・シングル「シーサイド・バウンド」で人気爆発、続く「モナリザの微笑」、そして「君だけに愛を」で一気にグループサウンズ (GS) の頂点へと躍り出る。とりわけ端整な美貌の持ち主である沢田は10代の少女を中心に熱狂的な人気を博し、一躍国民的アイドルとなった。

1968年8月12日にザ・タイガース後楽園球場で開催した「真夏の夜の祭典」は、日本で初めてのスタジアムコンサート[3]。なお、ソロとしてのスタジアムコンサートは田園コロシアム(ザ・タイガース、PYGとしても開催)、大阪球場ナゴヤ球場横浜スタジアム、東京ドーム、京セラドームで開催している。

1969年3月1日、アメリカの音楽雑誌の中でも歴史が長く、最も権威ある音楽雑誌のひとつ『ローリングストーン』 (Vol.28) の表紙に登場。日本版が刊行される前の同誌において、日本人が表紙を飾ったのは、これが最初で最後だった。

1971年1月24日、日本武道館で行われた「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」で解散。日本人として初の日本武道館単独公演。

PYG期[編集]

ザ・タイガースの解散後、沢田は1971年2月1日、新たなバンド・PYGに参加する。当時、欧米で結成されたブラインド・フェイスプラスチック・オノ・バンドのようなスーパーバンドを模した形で、ザ・スパイダースから井上堯之大野克夫ザ・テンプターズから萩原健一大口広司、ザ・タイガースから沢田と岸部修三という6人のメンバーによって結成された。このバンドは沢田と萩原によるツインボーカルで、井上、大野、岸部ら作詞や作曲ができる技巧派が揃い、本格的なニューロックを目指した[4]

しかし、日本ではまだ反体制のジャンルとするロックを、当時最大手の芸能事務所だった渡辺プロダクションの所属ミュージシャンが演奏することに対し、『芸能界が創り出したもの』としてライブではトマトや空き缶を投げつける聴衆もいた[5]。音楽的には「花・太陽・雨」、「自由に歩いて愛して」など、哲学的で重厚なサウンドの佳曲を発表。短い活動期間だったが、「バンドサウンド」「バンドメンバーによる音楽作り」という現在に至るまで一貫した沢田のミュージックスタイルの基礎となった。

ソロ活動 - 全盛期[編集]

1971年11月1日発売のシングル「君をのせて」でソロデビュー。オリコン最高位は23位だった。GSの先輩であったザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦プロデュースのもとに、十数年にわたって音楽ランキングトップ10にチャートインし続けた沢田のソロ活動のスタートであった。

1972年3月11日発売の「許されない愛」、続いて「あなただけでいい」がヒット。もう1人のボーカルである萩原健一の俳優活動が本格化してPYGは実質的に形骸化、メンバーは沢田のバックバンド 井上堯之バンドとして活動していくことになった。

1973年4月21日発売の「危険なふたり」が65万枚を売り上げソロ初のオリコン1位を獲得、第4回日本歌謡大賞を受賞(歌謡大賞歴代視聴率最高の47.4%を記録)。この作品からスタイリストとして早川タケジが参加し、以降、斬新なファッションが確立されることになった。翌1974年には「追憶」が58万枚を売り上げ2曲目のオリコン1位を獲得した。1974年、日比谷野外音楽堂ライブでインディアンのようなチークをしたり、1975年の比叡山ライブでブルーのラメ入りのアイシャドウをするなど、化粧はこの時期からステージで行っていた。

1975年5月発売のシングル「巴里にひとり」(仏題「MON AMOURE JE VIENS DU BOUT DU MONDE (恋人よ、世界の果てから僕は来た)」)でフランスに進出。フランスの週間ラジオチャートでトップ4に入るヒットとなり、フランスのゴールデンディスク賞を日本人として初めて受賞する。1978年にかけてフランス、イギリス、ドイツ、ベルギー等でシングル盤を発売した。また、1974年ハワイ、1977年、1978年グアム、1979年シンガポール、1980年、1982年香港でコンサートを開催している。

1975年6月4日の27歳の時、7年間の交際を経てザ・ピーナッツ伊藤エミ(当時34歳)と結婚[6]。同年7月20日、比叡山延暦寺で結婚式を行った。同日、沢田の比叡山ライブ(比叡山フリーコンサート)において夫婦揃ってステージに上がり、ファンに対して結婚報告を行った。

同年8月21日に発売された「時の過ぎゆくままに」は5週連続オリコン1位で92万枚の売り上げを記録、沢田にとって最大のヒット曲となった。同曲は、沢田との仕事を熱望していた久世光彦が渡辺プロダクションに企画書を持ち込み、同じく作詞の提供を望んでいた阿久悠が協力。時効を間近に控えていた3億円事件をテーマにしたTBSドラマ「悪魔のようなあいつ」は、今でいうボーイズラブ (BL) の要素をふくみ、犯人役のクラブ歌手の沢田がけだるく退廃的に歌った。なお、共演した岸部修三はこのドラマの放映開始から間もなく井上堯之バンドを脱退、岸部一徳と改名し俳優の道を進んだ。

久世の企画書には「この曲でレコード大賞を獲る」ということまで書いた作品であったが、同年12月7日に東京駅新幹線ホームにあふれたファンのことで文句を言った駅員と沢田が口論になり、駅員に対して頭突きをする暴行事件を起こす。結果的にその後に行われたレコ大では候補から外れた。翌1976年5月16日にも再び新幹線車中で乗客にからまれ、沢田が揉みあいの末に殴打し、二度目の暴行事件として「暴力人気歌手」とマスコミに報道され、1ヶ月間謹慎。同年9月に久世の作詞、沢田の作曲の「コバルトの季節の中で」で復帰したが、活動再開後もNHK紅白歌合戦、賞レースを全て辞退した。

翌年の1977年2月発売の「さよならをいう気もない」では、金色のキャミソールという衣装で登場。同年5月に発売された「勝手にしやがれ」はソロとして4曲目のオリコン1位を獲得。5週1位を保ち89万枚を売り上げた。曲中にかぶっていたパナマ帽を飛ばすというパフォーマンスは、子どもが学校でマネをするほど大きな話題となった。この曲で、第19回日本レコード大賞を受賞。レコード大賞で歴代視聴率最高の50.8%も記録した。その他第8回日本歌謡大賞(視聴率46.3%)など、同年の主要な賞レースを独占した。ソロデビュー以降、すでに主要な賞レースの常連であった沢田だが、レコ大受賞シーンでは、駆けつけた萩原健一や岸部一徳などのザ・タイガース・PYG時代からの仲間に対して涙を見せた。

バックバンドをひきつれて1日3回もテレビに出演。歌番組だけではなくザ・ドリフターズなどのバラエティ番組にも出演し、「お茶の間のアイドル」として活動した。

ヴィジュアル期[編集]

プロデューサーである加瀬邦彦は「もっと色っぽく、いやらしく歌って」「もっと過激にいこうよ」と進言していたが、お茶の間に流れる一般のテレビ番組ではまだ控えていた。しかしマスコミによって「暴行事件」と大きく報じられたことを契機に、沢田はこれまでの意識を変える。謹慎中はテレビの音楽番組を詳細に研究し、「身を削って恥をかき、バカなことをしても怖くない。見て面白いことをしよう」と、「さよならをいう気もない」以降、ヴィジュアルを重視したバンドスタイルをエスカレートさせていく[7]

「さよならをいう気もない」では金色のキャミソールという衣装だったが、「勝手にしやがれ」ではホストをイメージした衣装で帽子を投げ飛ばし、「憎みきれないろくでなし」(63万枚のセールスを記録)はタバコを吸い、ポリス帽で片目を隠し、黒の皮パンの腰をうねらせ、曲の間奏で井上堯之バンドと身体をすり寄せた。1978年に発売した「サムライ」(52万枚のセールス)はナチスをイメージする黒の上下に裸の入れ墨、「ダーリング」は水兵のセーラー衣装、「LOVE (抱きしめたい)」はスタジオに雨を降らせ、血で染まった包帯を手に巻いた。

「LOVE (抱きしめたい)」は第20回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。同年の第29回NHK紅白歌合戦で、それまで演歌歌手に限られていたトリ[独自研究?]を、ポップス系の歌手として初めてつとめる(対抗の女性歌手は山口百恵)。この1978年を例にとると、年間のテレビ出演700本以上、ラジオ300本、取材300本、地方公演100日。過剰なほどの露出によって、バンドサウンドをお茶の間に浸透させていく。

1979年に発売された「カサブランカ・ダンディ」ではウイスキーを口にふくんで霧のように吹き、同年「OH! ギャル」ではマレーネ・ディートリッヒをオマージュしたメイクをした。また、PARCOのテレビCMでは全裸で横たわり、上半身裸の新聞全面広告を掲載。PARCO各店には手で胸を隠した裸の沢田のポスターが貼られた。

翌年1980年2月29日に同じシチュエーションで写真集「水の皮膚」を発売した。この写真集は男性歌手として初めてのオールヌード写真集である。「TOKIO」では250万円の電飾衣装にパラシュートを背負った。「TOKIO」のテレビでの初登場は、1980年1月1日午前0時。糸井重里作詞のテクノサウンドであった。同年の「恋のバッド・チューニング」では装着したカラーコンタクトが青や金色に変化し、「酒場でDABADA」ではハンカチを口にした沢田に3人のギタリストがすりよるパフォーマンスをみせた。

プロデューサー加瀬邦彦、衣装早川タケジとともに当時の「ジュリー」をサポートしていた井上堯之バンドのリーダー井上堯之は、過激なコスチュームに走る沢田に対して「もうついていけない」と語り、井上堯之バンドは同年1月24日に突如解散する。PYG以来活動を共にして来た井上バンド解散による心身の疲労、「テレビで沢田研二を見ない日はない」と言われるほどの超過密スケジュール等が重なり、同年4月に胃潰瘍で1ヶ月間入院した。

井上バンドの解散を受け、新たなバックバンドとしてベーシスト吉田建を中心に、ALWAYS、EXOTICSを相次いで編成。吉田建は「渚のラブレター」、「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」、「麗人」、「おまえにチェックイン」、「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」というオリコン10位以内にチャートインした楽曲はもちろん、80年代後半以降も沢田のアルバム制作に携わり、70年代にトップレベルだった井上バンドのサウンドを、よりロックテイストに進化させていく。1981年発売のシングル「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」は、沢田自身の作曲したシングルとしては最高の36万枚のセールスを記録した。

ソロ活動と並行して1981年1月、ザ・タイガースが瞳みのるを除くメンバー5人で10年ぶりに再結成。GS時代に縁のあった日劇が取り壊されることとなり、最後の日劇ウエスタンカーニバルに出演するためだったが、これを契機に同年秋、「同窓会」と銘打った企画で11年ぶりにシングル「十年ロマンス」を発売、翌年に発売された2枚目となるシングル「色つきの女でいてくれよ」は化粧品会社とのCMタイアップもあり、オリコン上位にランクイン、武道館を含む全国ツアーを行う。

第34回NHK紅白歌合戦では、ジャングルビートの「晴れのちBLUE BOY」で金杯(最優秀歌手)を獲得。軍服サーチライトを装着したコスチュームで登場した。

俳優としては1979年に公開された映画太陽を盗んだ男』で原子爆弾を作る理科教師を演じ、第4回報知映画祭でグランプリにあたる作品賞と主演男優賞を受賞、キネマ旬報読者選定邦画ベストテン第1位に選ばれた。日本アカデミー賞では主演男優賞にノミネートされる。

1981年の映画『魔界転生』では天草四郎に扮し、これは企画段階から千葉真一柳生十兵衛と共にキャスティング決定事項として進められた[8]。クランクイン後は本作以外のスケジュールを全てキャンセルして撮影に専念し、ジュリーのイメージを払拭する演技を披露[8]。観客動員数200万人、配給収入10億5千万円となった[9](詳細は ⇒ 魔界転生)。

CMにも多数出演し、中でも、1979年11月に新型となった日産自動車ブルーバードの910型のCMに出演し、「ブルーバード お前の時代だ」のキャッチフレーズで、同車が小型車(1600 - 2000ccクラス)で連続27ヶ月登録台数1位を記録してブルーバードの910型の大ヒットに貢献した。1983年10月に新型となったU11型のCMにおいても「ブルーバード お前はスーパージェネレーション」のキャッチフレーズで引き続き出演し、1979年11月から1985年8月までの約6年の長い期間にわたって日産自動車のブルーバードのCMに出演、自らCMソングも歌った。

独立期[編集]

1985年1月からの半年間の休養を経て、沢田はデビュー以来所属してきた渡辺プロダクションから独立。渡辺プロダクション傘下の"株式会社ココロ"を設立し、レコード会社ポリドールから東芝EMIに移籍した。同年6月に自叙伝『我が名はジュリー』玉村豊男編 / 中央公論社)を刊行。8月発売の移籍第1弾の作品は、沢田自身が作詞・作曲したシングル「灰とダイヤモンド」。ペンネームの「李花幻」は「いいかげん」をもじった遊び心から。新たなバックバンドとしてチト河内を中心にCO-CoLOを結成。

1985年に日米合作映画「Mishima: A Life In Four Chapters 」(日本未公開)で劇中劇「鏡子の家」に出演、カンヌ映画祭緒形拳らと共に出席。同作品は最優秀芸術貢献賞を受賞。

1987年1月、伊藤エミに慰謝料18億1,800万円を支払い、離婚[6]1986年8月から伊藤と別居していた沢田は、1982年の映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』で共演した田中裕子不倫していた[6]。田中とは1989年11月に出雲大社で再婚することとなる[6]。1987年3月に京都公演中のステージから転落し、左肘骨折・肋骨打撲で1ヶ月間入院。のちに「転機は離婚だった」と認め、ミュージシャンとして絶頂を極め、俳優まで幅を広げて活動していた沢田にとって、この年はターニングポイントとなった。

生来の無口で地味な沢田の性格が反映された作品が、「CO-CoLO 1 〜夜のみだらな鳥達〜」をはじめとしたCO-CoLO 3部作、独立期初期のアルバムである。CO-CoLO 3部作は、沢田の作詞した作品を技巧派のバンドメンバーがダークなメロディラインで曲を作った。音楽関係者の評価は変わらず高かったが、当時のミュージックシーンには受け入れられなかった。ロングソバージュの髪型で歌った「女神」、「きわどい季節」などのシングルを発表し、1988年、3年間活動を共にしたCO-CoLOを解散。

1989年吉田建をプロデューサーに迎え、村上'ポンタ'秀一を加えて新バンドJAZZ MASTERを結成し、アルバムでは「彼は眠れない」、「単純な永遠」、「REALLY LOVE YA!!」を発表。

1989年から10年間に渡って継続する音楽劇 ACTシリーズがスタート。同年末の「第40回NHK紅白歌合戦」ではシングル「DOWN」の他、ザ・タイガースとしても出場し、同番組の出場者としては初めて同一回で2度出場した。

1991年デビュー25周年を記念してCD化されていなかった旧譜が東芝EMIより発売。25周年にちなみ、NHK-BS2では5日間計25時間の特集番組「美しき時代の偶像」が放送された。

1992年から、沢田は「懐メロ歌手ではない現役の歌手だから」と、音楽番組での過去の映像の放映を許可しなくなる。 1994年には「HELLO」で紅白に出場。 1995年のアルバム「sur←」以降は、「これからは、自分のやりたい音楽を、やりたいようにやっていきたい」とし、沢田がセルフ・プロデュースを宣言。1996年のツアーでは、髪をピンクに染めて「あんじょうやりや」の全国ライブを行う。1997年には岸部一徳森本太郎とともにユニット"TEA FOR THREE"を結成し、「君を真実に愛せなくては他の何も続けられない」を発表。

この独立期は、毎年のライブツァーは行うものの、毎日のように出ていたテレビから一線を画す。俳優としてNHKの連続テレビ小説はね駒」や大河ドラマ「山河燃ゆ」「琉球の風」、映画「カポネ大いに泣く」「夢二」ほか、フジテレビ「プロ野球ニュース」の準レギュラーゲスト、各社大手有名企業のCMに出演した。アルバムでは「架空のオペラ」をはじめとした作品をリリース。だが、東芝EMI時代に発表されたアルバムは現在、廃盤になっており、村上'ポンタ'秀一が「手がけたアルバムの中でナンバーワン」と推した、「彼は眠れない」でさえ再リリースされていない。

2000年以降[編集]

2000年11月、雑誌『日経エンタテインメント!』「J-POP巨人列伝-20世紀を駆け抜けた10人」第2位 沢田研二(第1位美空ひばり[10]

2001年に過去の映像の放映解禁と同時に音楽番組「うたばん」にシングル「耒タルベキ素敵」で出演、また情報番組「新常識クイズ!目からウロコ」の司会を担当したが、その後、テレビ番組への露出はセーブ。NHK紅白歌合戦の誘いも固辞、全国ライブツアーや音楽劇、アルバム制作、舞台の主演俳優として活動している。

2002年自主レコードレーベルとなるJULIE LABELを設立。このレーベルからリリースされた沢田のオリジナル・アルバムは目玉焼きなどの独特のパッケージ・デザインが施されている。この頃から沢田の作詞に「平和」という歌詞が多く用いられるようになる。

2005年には、ポリドール在籍時代のアルバム21タイトルと3枚のベスト・アルバムのリマスター盤が相次いで再発売され、そのうちベスト盤「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」がオリコンの邦楽アルバムTOP50にランクインした。

2008年、60歳の還暦を記念して、初の二大ドームコンサート沢田研二 還暦記念コンサート 人間60年 ジュリー祭りを開催し、東京ドーム京セラドーム大阪両日で5万4,000人を集めた。1000人のコーラス隊を従え、約6時間半でフルコーラス80曲を歌いきるというギネスレベルのステージを敢行。このライブは、第21回ミュージック・ペンクラブ音楽賞のコンサート・パフォーマンス賞を受賞。

2010年、長年プロデューサーだった加瀬邦彦とともにザ・ワイルド・ワンズと組んで『ジュリー with ザ・ワイルドワンズ』というユニットを結成[11]。シングル『渚でシャララ』、アルバム『JULIE with THE WILD ONES 』を発表し、全国ツァーを行った[12]。第23回ミュージック・ペンクラブ音楽賞コンサートパフォーマンス賞「JULIE with THE WILD ONES LIVE “僕達ほとんどいいんじゃない”」 受賞。

2011年、長年交流を絶っていた元ザ・タイガースの瞳みのるが40年ぶりにステージに復帰し、岸部一徳、森本太郎らタイガースのメンバーと共に9月8日から全国33都市で38回の沢田研二コンサートに参加。ツァー最終日の2012年1月24日、会場となった日本武道館には岸部四郎も参加し、1971年1月24日「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」で解散した時のメンバーが再集結したメモリアルコンサートとなった[13]

2012年3月、東日本大震災が起こった3月11日に追悼の意味を込め、全曲震災をテーマにしたアルバム「3月8日の雲」を発表した。

2013年1月6日の渋谷公会堂での正月コンサート初日に、「オリジナル・メンバー(岸部兄、森本、瞳、加橋かつみ、沢田)でザ・タイガースを再結成してコンサートを開催する」ことを自ら発表。12月に日本武道館や東京ドームなどでコンサートを開催する予定と報じられた[14]。予告通り、12月3日に日本武道館で44年ぶりとなるオリジナルメンバーによるライブが行われた[15]

特徴[編集]

  • ザ・タイガースは日本で初めての長髪の男性アイドル。1967年当時、ザ・ビートルズを真似た長髪は、不良の偏見が根強くあり、タイガースの公演会場の入り口ではPTA地婦連が立ち、中高生が入場を締め出され、人気のピーク時にも「ロッテ歌のアルバム」や「NHK紅白歌合戦」への出場が叶わなかった。
  • 1960年代、最大手の芸能事務所である渡辺プロダクションは、テレビと並行し、ショービジネスとして全国でのライブを基本にしていた。ザ・タイガースは、デビューの年の1967年9月から10月、西日本縦断公演として長崎・博多・広島・尾道・大阪と、トラックに楽器や機材を積んで各地をまわる。1967年 - 1971年の解散までの4年間で、コンサート230回、のべ200万人を動員した。これが日本における全国縦断ツアーの原型といわれ、沢田はソロ以降も全国ツアーを決行。「日本のショービジネスを変えた男」といわれる[16] ゆえんとなった 。
  • タブー視されていた「男性のアクセサリー」や「化粧」、「バンドサウンド」を日本の一般家庭に浸透させ、歌謡曲とロックを融合させたのが沢田研二である[17]
  • 早川タケジのデザインによる、羽毛のマフラー、アメリカのポリス帽、演奏中に煙草を吸う、短剣や拳銃を使用、ハーケンクロイツの腕章、背中に刺青化粧(時には男装の麗人として赤い口紅をすることすらあった)、またウィスキーのポケットボトル、ブルーやゴールドのカラーコンタクト、金属の仮面、女性の裸身コスチュームを身にまとった。沢田は常に帽子を斜めにかぶり、頰にほくろのある左目しか見せないポーズで歌うなど、エロティシズムと退廃美を帯びたスタイル、いわゆるグラムロックを日本のミュージックシーンにはじめて取り入れた。
  • 沢田が率いたPYGからの延長である井上堯之バンドは、歌手がフルバンドの前で歌うのが常識であった日本のミュージックシーンにおいて、異例ともいえるバンドスタイルを定着させる先鋭ともなった。
  • 「声の色気では断トツの日本人ナンバーワン」として、音楽界の識者たちから歌のうまい歌手総合第5位にランクイン。[18]

エピソード[編集]

キャラクター[編集]

  • 「中性的」「甘い美貌」といわれた外見に対して、ザ・タイガース時代から周囲の沢田評は、「地味」「無口」「やんちゃ」とすべて硬派。
  • 本人いわく「太りやすい体質」。50歳を過ぎたあたりから体重を増加させ始め、一般人には「ジュリーが太った」「ショックすぎる」と揶揄されても、本人は「歌がすべて」と意に介していない。迫力のある豊かな声量と磨きのかかったステージングで、還暦を過ぎてからもコンサートでの動員数が増えている。

楽曲[編集]

カバー[編集]

  • ザ・タイガースやPYG、ソロ時代を通して多くのヒット曲を持つことから、B'z稲葉浩志DER ZIBETのISSAYをはじめとして、河村隆一清春BUCK-TICK櫻井敦司福山雅治ZIGGY森重樹一ら、楽曲をカバーする歌手は後をたたない。
  • アイドル歌手の石野真子によって「ジュリーがライバル」という曲もヒットしたが、沢田好きが高じてリングネームにしているプロレスラー、楽曲をタイトルにしたゲーム、沢田研二・ジュリーという名前が登場する小説、マンガ、オマージュしたBL系、またカバーバンドも多く存在する。
  • 過去映像を見た若い世代からも「かっこいい」というコメントが寄せられることもある(テレビ番組での生田斗真松本潤ら)。最近では平井堅が沢田をモチーフにした「お願いジュリー」というアルバム曲を出している。
  • 日本以外での影響は、中国語圏で「時の過ぎゆくままに」が「愛你一萬年」などのタイトルで数々の歌手にカバーされ、2012年現在、カバーされた日本の楽曲では最も多い[19] 。香港では、『日本のデヴィッド・ボウイ』と称され、「OH!ギャル」もヒット。人気歌手で俳優でもある林子祥(ジョージ・ラム)が「澤田研二(ザーテン・インイー)」というタイトルで「香港の歌手は沢田研二の歌曲を賛美する」という内容の曲(作詞は鄭國江、作曲は沢田がフランスで発売した「Itsumi」をカバー)を出している。

その他[編集]

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

- 発売日 題名 備考 リリース国
1 1971年11月1日 君をのせて
2 1972年3月10日 許されない愛
3 1972年6月25日 あなただけでいい
4 1972年9月20日 死んでもいい
5 1973年1月1日 あなたへの愛
6 1973年4月21日 危険なふたり 初のオリコン1位を獲得
7 1973年8月11日 胸いっぱいの悲しみ
8 1973年11月21日 魅せられた夜
9 1974年3月21日 恋は邪魔もの
10 1974年7月10日 追憶
11 1974年11月21日 愛の逃亡者 THE FUGITIVE
- 1975年01月20日※ MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE 巴里にひとり』のフランス語バージョン
※フランスでの発売日
フランスの旗 フランススイスの旗 スイスカナダの旗 カナダオーストリアの旗 オーストリアギリシャの旗 ギリシャノルウェーの旗 ノルウェーベルギーの旗 ベルギーオランダの旗 オランダ
- 1975年01月21日※ THE FUGITIVE ※イギリスでの発売日 イギリスの旗 イギリスオーストラリアの旗 オーストラリアシンガポールの旗 シンガポールニュージーランドの旗 ニュージーランド香港の旗 香港
12 1975年3月1日 白い部屋
- 1975年5月20日※ ATTENDS MOI ※フランスでの発売日 フランスの旗 フランスカナダの旗 カナダベルギーの旗 ベルギースイスの旗 スイススペインの旗 スペインオランダの旗 オランダ
13 1975年5月21日 巴里にひとり
14 1975年8月21日 時の過ぎゆくままに 最大のヒット曲
- 1975年10月15日※ FOU DE TOI ※フランスでの発売日 フランスの旗 フランスベルギーの旗 ベルギーオランダの旗 オランダ
15 1976年1月21日 立ちどまるなふりむくな
16 1976年5月1日 ウィンクでさよなら
- 1976年5月15日※ ELLE ※フランスでの発売日 フランスの旗 フランスベルギーの旗 ベルギーオランダの旗 オランダ
- 1976年5月15日 WHEN THE LIGHT WENT OUT イギリスでのみリリース イギリスの旗 イギリス
17 1976年9月10日 コバルトの季節の中で
18 1977年2月1日 さよならをいう気もない
- 1977年2月21日 JULIE LOVE フランスでのみリリース フランスの旗 フランス
19 1977年5月21日 勝手にしやがれ 日本レコード大賞受賞曲
- 1977年7月30日 MEMORIES 西ドイツでの先行リリース ドイツの旗 ドイツ
20 1977年8月10日 MEMORIES
21 1977年9月5日 憎みきれないろくでなし
- 1977年※ TU AS CHANGE ※フランスでの発売日 フランスの旗 フランス
- 1977年10月10日※ ROCK'NROLL CHILD ※西ドイツでの発売日 ドイツの旗 ドイツベルギーの旗 ベルギーオランダの旗 オランダ
22 1978年1月21日 サムライ
- 1978年1月21日 IN THE CITY 西ドイツでのみリリース ドイツの旗 ドイツ
23 1978年5月21日 ダーリング
24 1978年8月1日 ヤマトより愛をこめて
25 1978年9月10日 LOVE (抱きしめたい)
26 1979年2月1日 カサブランカ・ダンディ
27 1979年5月31日 OH! ギャル
28 1979年9月21日 ロンリー・ウルフ
29 1980年1月1日 TOKIO
30 1980年4月21日 恋のバッド・チューニング
31 1980年9月21日 酒場でDABADA
32 1980年12月23日 おまえがパラダイス
33 1981年5月1日 渚のラブレター
34 1981年9月21日 ス・ト・リ・ッ・パ・ー
35 1982年1月10日 麗人
36 1982年5月1日 おまえにチェックイン
37 1982年9月10日 6番目のユ・ウ・ウ・ツ
38 1983年1月1日 背中まで45分
39 1983年5月10日 晴れのちBLUE BOY
40 1983年9月21日 きめてやる今夜
41 1984年2月10日 どん底
42 1984年4月25日 渡り鳥 はぐれ鳥
43 1984年9月25日 AMAPOLA
44 1985年8月8日 灰とダイヤモンド 東芝EMI移籍第一弾
45 1986年4月23日 アリフ・ライラ・ウィ・ライラ 〜千夜一夜物語〜
46 1986年10月22日 女神
47 1987年3月21日 きわどい季節-Summer Graffiti-
48 1987年7月22日 STEPPIN' STONES
49 1987年11月16日 CHANCE
50 1988年6月25日 TRUE BLUE
51 1988年10月26日 Stranger -Only Tonight-
52 1989年5月24日 Muda
53 1989年9月20日 ポラロイドGIRL
54 1990年2月7日 DOWN
55 1990年5月23日 世界はUp & Fall
56 1991年5月17日 SPLEEN 〜六月の風にゆれて〜
57 1992年5月1日 太陽のひとりごと
58 1993年5月20日 そのキスが欲しい
59 1994年11月16日 HELLO/YOKOHAMA BAY BLUES 両A面
60 1995年11月29日 あんじょうやりや
61 1996年9月6日 愛まで待てない
- 1997年3月26日 君を真実に愛せなくては他の何も続けられない TEA FOR THREE名義
62 1997年6月10日 オリーヴ・オイル
63 1997年8月27日 サーモスタットな夏
64 1997年10月16日 恋なんて呼ばない
65 1998年6月24日 永遠に
66 1999年8月6日 鼓動
67 2000年8月9日 耒タルベキ素敵
68 2001年6月8日 あの日は雨
- 2001年10月24日 まごころよりどころ 研二慶子名義
69 2002年9月1日 忘却の天才
70 2003年4月25日 明日は晴れる
71 2004年2月25日 オーガニック オーガスム
72 2005年5月9日 greenboy
73 2006年4月21日 俺たち最高
74 2007年6月25日 そっとくちづけを
75 2008年5月25日 ROCK'N ROLL MARCH
- 2010年2月10日 渚でシャララ ザ・ワイルドワンズとのコラボ

アルバム[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

デビュー以来約40年間、毎年必ず新作アルバムを発表し、1974年以降、毎年全国ツアーを開催しており、これは他に例を見ない連続記録といわれる[24]

- 発売日 題名 備考 リリース国
1 1969年12月01日 JULIE ザ・タイガース在籍中にリリースされた作品
2 1971年12月21日 JULIE II
3 1972年9月10日 JULIE IV 今僕は倖せです
4 1973年8月21日 JULIE VI ある青春
5 1974年9月10日 JEWEL JULIE 追憶
6 1974年12月21日 THE FUGITIVE 愛の逃亡者
- 1975年1月21日 KENJI 内容は『THE FUGITIVE 愛の逃亡者』と同一 イギリスの旗 イギリスインドネシアの旗 インドネシア香港の旗 香港
7 1975年12月21日 いくつかの場面
- 1976年2月1日 KENJI SAWADA 内容は日本版と同一 フランスの旗 フランスドイツの旗 ドイツオランダの旗 オランダベルギーの旗 ベルギー
8 1976年4月21日 KENJI SAWADA
9 1976年12月1日 チャコール・グレイの肖像
10 1977年11月15日 思いきり気障な人生
- 1978年4月 rock'n'roll child 日本国外のみでのリリース フランスの旗 フランスドイツの旗 ドイツ
11 1978年8月10日 今度は、華麗な宴にどうぞ。
12 1978年12月1日 LOVE 〜愛とは不幸をおそれないこと〜
13 1979年11月25日 TOKIO
14 1980年7月21日 BAD TUNING
15 1980年12月23日 G.S.I LOVE YOU
16 1981年6月10日 S/T/R/I/P/P/E/R
17 1982年6月1日 A WONDERFUL TIME
18 1982年12月10日 MIS CAST
19 1983年3月5日 JULIE SONG CALENDAR 当初カセットテープのみで発売された
20 1983年10月1日 女たちよ
21 1984年6月5日 NON POLICY
22 1985年9月21日 架空のオペラ
23 1986年6月25日 CO-CoLO 1 〜夜のみだらな鳥達〜
24 1987年5月25日 告白-CONFESSION-
25 1988年7月24日 TRUE BLUE
26 1989年10月11日 彼は眠れない
27 1990年6月20日 単純な永遠
28 1991年6月14日 PANORAMA
29 1992年6月10日 Beautiful World
30 1993年11月17日 REALLY LOVE YA!!
31 1994年12月14日 HELLO
32 1995年12月13日 sur←
33 1996年9月19日 愛まで待てない
34 1997年6月25日 サーモスタットな夏
35 1998年7月15日 第六感
36 1999年8月25日 いい風よ吹け
37 2000年9月13日 耒タルベキ素敵
38 2001年6月20日 新しい想い出 2001
39 2002年9月1日 忘却の天才 初回ブック型特殊ケース仕様。2010年より通常Pケース仕様
40 2003年4月25日 明日は晴れる 初回盾形特殊ケース仕様。2012年9月8日より通常Pケース仕様
41 2004年2月25日 CROQUEMADAME & HOTCAKES 初回クロックマダム型特殊ケース仕様。2012年9月8日より通常Pケース仕様
42 2005年5月9日 greenboy 初回6Pチーズ型特殊ケース仕様。2012年9月8日より通常Pケース仕様
43 2006年4月21日 俺たち最高 初回サイコロ型特殊ケース仕様。2012年9月8日より通常Pケース仕様
44 2007年6月25日 生きてたらシアワセ
45 2008年5月25日 ROCK'N ROLL MARCH
- 2010年3月24日 JULIE with THE WILD ONES ザ・ワイルドワンズとのコラボ。レーベルはJ-more

ミニ・アルバム[編集]

- 発売日 題名 備考 リリース国
1 2009年6月10日 Pleasure Pleasure 全6曲入りミニアルバム
2 2010年9月1日 涙色の空 作詞は全曲沢田研二
3 2012年3月11日 3月8日の雲 作詞は全曲沢田研二
4 2013年3月11日 Pray 作詞は全曲沢田研二
5 2014年3月11日 三年想いよ 作詞は全曲沢田研二

ベスト・アルバム[編集]

- 発売日 題名 備考 リリース国
1 1973年6月10日 沢田研二 GLORIOUS 20(LP2枚組)
2 1974年4月10日 パーフェクト(LP2枚組)
3 1975年4月25日 沢田研二 パーフェクト14
4 1976年9月10日 FOREVER 〜沢田研二ベスト・セレクション〜(LP2枚組)
5 1977年12月15日 沢田研二大全集(LP5枚組限定版)
6 1977年7月25日 Kenji Sawada Nice Songs 勝手にしやがれ カセットテープのみ
7 1977年7月25日 Rock'n Julie with Tigers カセットテープのみ
- 1978年4月 YESTERDAY TODAY 香港のみでのリリース 香港の旗 香港
8 1978年5月25日 ダーリング・Julie カセットテープのみ
9 1979年4月1日 Royal Straight Flush CD再発
10 1980年2月25日 沢田研二全曲集 カセットテープのみ
11 1980年9月25日 酒場でDABADA カセットテープのみ
12 1981年1月25日 沢田研二全曲集 カセットテープのみ
13 1981年5月25日 沢田研二作品集 カセットテープのみ
- 1981年 KENJI SAWADA Greatest Hits 香港のみでのリリース 香港の旗 香港
14 1981年12月15日 Royal Straight Flush II CD再発
15 1982年10月25日 ジュリー・CMソング・コレクション カセットテープのみ
16 1983年10月25日 沢田研二全曲集 カセットテープのみ
17 1984年3月25日 Royal Straight Flush III CD再発
18 1985年9月1日 全曲集〜灰とダイヤモンド
19 1986年6月1日 Julie Special 〜沢田研二 A面コレクション〜(CD3枚組) CD再発 (SHM-CD仕様)
20 1986年8月21日 我が名は、ジュリー
(芸能生活20周年記念カセット6本セット限定盤)
カセットテープのみ
21 1987年9月13日 SUPER BEST(CD2枚組)
22 1991年12月4日 A SAINT IN THE NIGHT ジャズのスタンダードをカバーした作品
23 1996年11月20日 沢田研二 B面コレクション(CD3枚組) 30周年記念32タイトルCD再発予約特典(非売品)
後にJULIE LABELからコンサート会場限定再発売
24 1996年12月11日 AFTERMATH バラード・セレクション
25 1997年12月10日 Royal Straight Flush 1971-1979(CD2枚組)
26 1997年12月10日 Royal Straight Flush 1980-1996(CD2枚組)
27 1997年12月10日 Distortion Love
28 2008年6月25日 Cocolo Nooto(CD5枚組) セルフプロデュース期の沢田研二作詞曲69曲を収録
コンサート会場+一部レコード店で限定発売
29 2012年6月6日 Royal Straight Flush 1/2/3(限定盤) 3000セット限定

ライブ・アルバム[編集]

- 発売日 題名 収録
1 1972年3月10日 JULIE III SAWADA KENJI RECITAL(LP2枚組) 1971年12月24日 日生劇場
2 1972年12月21日 JULIE V 沢田研二 日生リサイタル(LP2枚組) 1972年10月17日-21日 日生劇場
3 1973年12月21日 JULIE VII THE 3rd 沢田研二リサイタル(LP3枚組) 1973年10月10日 中野サンプラザ
4 1975年10月21日 沢田研二比叡山フリーコンサート(LP2枚組) 1975年7月20日 蛇ヶ池人口スキー場
5 1977年8月10日 沢田研二リサイタル ハムレット・イン・ジュリー(LP2枚組) 1977年6月29日-30日 NHKホール
6 1978年10月25日 JULIE ROCK'N TOUR '78 田園コロシアムライブ 1978年8月31日 田園コロシアム(カセットテープのみ)
7 1979年8月25日 JULIE ROCK'N TOUR '79(カセットテープ2本セット) 1979年7月28-29日 渋谷公会堂(カセットテープのみ)
8 1987年12月25日 架空のオペラ '86
(芸能生活20周年記念LP/CD4枚組限定盤)
正月歌劇: 1986年1月16-18日 NHKホール、1月21-28日 フェスティバルホール
SUMMER LIVE '86: 1986年10月8-9日 新宿厚生年金会館、10月10日 フェスティバルホール
9 1992年1月16日 '91 武道館コンサート "JULIE MANIA"
(芸能生活25周年記念武道館コンサートCD2枚組)
1991年10月11日 日本武道館
10 1996年11月20日 沢田研二 ライブセレクション 30周年記念32タイトルCD再発予約特典(非売品)
11 2009年7月25日 人間60年・ジュリー祭り
(CD6枚組 全82曲完全収録)
2008年12月に行われた東京ドーム公演『人間60年・ジュリー祭り』の模様をおさめたCD6枚組(全82曲完全収録)。

その他作品[編集]

- 発売日 題名 収録
1 1981年3月21日 サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル VOL3 1981年1月25日 日本劇場
(カセットテープのみ。1998年11月26日CD再発)
2 1989年6月21日 YOKOHAMAスーパーオペラ“海光”公演記念盤
3 1996年 DORA〜100万回生きたネコ 1996年6月21日-7月29日 東京芸術劇場。テレビでも放映
4 1999年10月 ACT大全集(CD9枚組) ACTシリーズ全10公演収録
5 2008年8月27日 SINGLE COLLECTION BOX Polydor Years ポリドール在籍時の全シングルのCD-BOX

映像作品[編集]

LIVE[編集]

ソロデビュー以降、毎年、欠かさず1月に東京・大阪・名古屋を中心とした正月コンサートと、6月からの全国ツアーを行っている。記録としてツァータイトルとステージ数を挙げることも検討したが、膨大なステージ数となるため、以下、映像化、あるいはテレビなどで放送されているものだけを記す。

- 発売日・収録年 題名 媒体 収録 備考
1 1975年 JULIE ROCK'N TOUR75 比叡山フリーコンサート 日本テレビ放送 1975年7月20日 演奏井上堯之バンド&ミッキー吉野グループ ゲスト:内田裕也・森本太郎・岸部修三・デイブ平尾
2 1975年 音と光の饗宴 沢田研二ショー 読売テレビ放送 大阪球場 1975年12月13日放送
3 1976年 沢田研二リサイタル ~限りなきロマンを求めて~ フジテレビ放送 日本武道館 ウエディングドレスのような白い衣装
4 1980年7月21日 JULIE PRESENTS'80 BAD TUNING VHSβ 1980年5月24日 横浜スタジアム 2002年VHSのみ再発
5 1983年3月10日 JULIE CONCERT TOUR'83 MIS CAST VHS、β 2003年VHSのみ再発
6 1990年 KENJI SAWADA With Jazz Master VHS、DVD 1990年10月28日 一ツ橋大学学園祭 DVDは数量限定
7 1992年1月16日 武道館コンサート ジュリーマニア VHS、DVD 1991年10月11日 日本武道館
8 1992年7月 A SAINT IN THE NIGHT VHS、DVD 1992年2月22日 NHKホール DVDは数量限定
9 1994年4月25日 REALLY LOVE YA!! VHS、DVD 1994年1月6日 渋谷公会堂
10 1995年1月5日 ZU ZU Songs VHS、DVD 1994年10月2日 渋谷公会堂
11 1996年6月 あんじょうやりや VHS、DVD 1996年3月8日 ティアラこうとう
12 1997年6月 Concert Tour 96 and 97 愛まで待てない VHS、DVD 1997年2月8日 パルテノン多摩
13 1997年10月 tour'97 サーモスタットな夏 VHS、DVD 1997年10月18日 日比谷野外音楽堂
14 1998年6月 ROYAL STRAIGHT FLUSH VHS、DVD 1998年1月6日 渋谷公会堂
15 1999年1月 1998 ROCKAN' TOUR VHS、DVD 1998年10月3日 松戸森のホール21 DVDは数量限定
16 1999年5月 1999正月コンサート VHS、DVD 1999年1月9日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
17 2000年3月 いい風よ吹け VHS、DVD 1999年11月14日 東京厚生年金会館 DVDは数量限定
18 2000年6月 祝・2000年正月大運動会 VHS、DVD 2000年1月8日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
19 2000年12月 耒タルベキ素敵 VHS、DVD 2000年11月23日 東京厚生年金会館 DVDは数量限定
20 2002年4月 21世紀初三大都市公演 VHS、DVD 2001年1月6日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
21 新しい想い出 VHS、DVD 2001年12月8日 大宮ソニックシティ DVDは数量限定
22 2002年9月 糸車のレチタティーボ VHS、DVD 2002年1月7日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
23 2002年11月12日 快傑ジュリーの冒険 VHS、DVD フジテレビ番組『クイズドレミファドン』出演時の映像を収録(1976年-1987年、共28回)
24 2003年7月 忘却の天才 VHS、DVD 2002年10月26日 府中の森芸術劇場 DVDは数量限定
25 2003年7月 LOVE & PEACE VHS、DVD 2003年1月7日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
26 2004年3月 明日は晴れる VHS、DVD 2003年11月1日 大宮ソニックシティ DVDは数量限定
27 2004年7月 爛漫甲申演唱会 VHS、DVD 2004年1月18日 渋谷公会堂 DVDは数量限定
28 2005年5月25日 CROQUEMADAME & HOTCAKES DVD 2004年11月6日 大宮ソニックシティ
29 2005年6月1日 師走 RomantiX DVD 2004年12月25日 東京国際フォーラム ホールA
30 2006年5月15日 greenboy DVD 2005年11月19日 大宮ソニックシティ
31 2007年5月3日 ワイルドボアの平和 DVD 2006年1月14日 渋谷C.C.Lenmonホール
32 2008年2月2日 生きてたらシアワセ DVD 2007年10月13日 渋谷C.C.Lenmonホール
33 2009年6月25日 人間60年・ジュリー祭り DVD 2008年12月3日 東京ドーム 4枚組DVD
34 2011年01月12日 JULIE with THE WILD ONES LIVE 僕達ほとんどいいんじゃあない DVD 2010年8月6日、渋谷CCLemonホールで収録
35 2011年12月21日 沢田研二 in 夜のヒットスタジオ DVD フジテレビ番組『夜のヒットスタジオ』出演時の映像を収録(1975年5月5日-1990年2月21日、共102回) 6枚組DVD
36 2012年6月29日 沢田研二 LIVE 2011~2012 ゲスト:瞳みのる・森本太郎・岸部一徳 DVD 2012年1月24日 日本武道館

STAGE[編集]

1989年から1998年まで続いた音楽劇「ACT」シリーズ(演出・加藤直)では、ほぼ1人芝居で哲学的な内容を演じている。その後に続く久世光彦マキノノゾミが演出している音楽劇では、主に舞台音楽はアコーディオン奏者coba、振り付けは南流石が担当。客演として招かれた藤山直美との人情芝居はDVD化されていないが、ACTシリーズは9枚組のCD全集が発売されている。

- 公演年 題名 媒体 公演場所・収録日・その他 備考
01 1975年 唐版・瀧の白糸(共演:李麗仙伊藤雄之助 未収録 1975年 大映東京撮影所ステージ 唐十郎作・演出:蜷川幸雄。全26公演 
02 1977年 ロックオペラ・ハムレット レコード NHKホール リサイタルライブ盤
03 1978年 ロックミュージカル・天草四郎 未収録 帝国劇場 構成:加瀬邦彦 演出:蜷川幸雄。4/30~5/2の5回公演
04 1986年 貧民倶楽部(共演:浅丘ルリ子 テレビ放映 1986年12月 帝国劇場 演出:蜷川幸雄 音楽:宇崎竜童 作詞:阿木燿子 衣装・辻村ジュサブロー。全26公演
05 1987年 楽劇 The Anzuchi・麗しき魔王の国(共演:役所広司天宮良桑名正博戸田恵子笹野高史) 未収録 銀座セゾン劇場 10月3日-26日全34公演 作:市川森一 演出:加藤直 音楽:久石譲
06 1988年 音楽劇 ドン・ジョバンニ~超人のつくり方(共演:汀夏子斎藤晴彦、) 未収録 銀座セゾン劇場 12月3日-26日 作・演出:加藤直
07 1989年 ACT クルト・ワイル 未収録 東京グローブ座 1989年3月にグローブ座公演後、各地のホテルで全26公演
08 1989年 YOKOHAMAスーパーオペラ"海光"(共演:大地真央市川右近余貴美子など) CD、VHS 1989年6月22日-26日 横浜アリーナ(横浜市市制100周年・開港130周年記念イベント)  演出:市川猿之助(猿翁)、市民コーラス1000人が参加
09 1990年 ACT BORIS VIAN VHS、DVD 1990年3月7日-27日 東京グローブ座・新神戸オリエンタル劇場 夭折したフランスの芸術家を演じた1人芝居
10 1991年 ACT NINO ROTA VHS、DVD 1991年3月3月-24日 東京グローブ座・神戸オリエンタル劇場 フェデリコ・フェリーニ監督の音楽を務めた作曲家がモチーフ
11 1992年 ACT SALVADOR DALI VHS、DVD 1992年3月4日-22日 東京グローブ座・ 神戸オリエンタル劇場 スペインの幻影的な作風で知られる画家ダリがモチーフ。助演:篠井英介。
12 1993年 ACT SHAKESPEARE VHS、DVD 1993年3月公演 東京グローブ座・神戸オリエンタル劇場 音楽は例年のcobaに加えてドラム村上“PONTA”秀一、ベース高橋ゲタ夫が参加。
13 1993年 音楽劇 「漂泊者のアリア」藤原義江の生涯(共演:鮫島有美子吉行和子風吹ジュンら) テレビ放映 1993年7月 NHKホール20周年記念公演 東京のほか大阪・名古屋・福岡 演出:栗山民也、音楽:宮川良、日本のオペラの基礎を築いた藤原義江
14 1993年 阿呆劇 三文オペラ(共演:吉田日出子、笹野高史、銀粉蝶など) 未収録 1993年10月全23公演 東京シアターコクーン ブレヒトの三文オペラで音楽はクルト・ワイル、演出:串田和美
15 1994年 戯曲 かもめ(共演:富士真奈美など) 未収録 1994年2月-3月 新神戸オリエンタル劇場ほか全25公演 チェーホフの代表的な戯曲。演出:井上思
16 1994年 ACT Édith Piaf  VHS、DVD 1994年東京グローブ座・新神戸オリエンタル劇場で6-7月公演 フランスのシャンソン歌手エディツト・ピアフの生涯を歌と芝居でえがく
17 1994年 ミュージカル ザ・近松(共演:杜けあき 荻野目慶子 テレビ放映 1994年11月 大阪近鉄劇場で全34公演 演出:大谷亮介
18 1995年 音楽劇 異邦人・ボーダレスラブ(共演:剣幸熊谷真美など) 未収録 1995年4月-5月 天王洲銀河劇場、シアタードラマシティなど 『メキシコ近代演劇の父』といわれた佐野碩役。作・曲:斎藤憐、演出:加藤直
19 1995年 ACT BUSTER KEATON VHS、DVD 1995年6月-7月 東京グローブ座、新神戸オリエンタル劇場で全22公演 喜劇役者パスター・キートンがモチーフ
20 1995年 阿呆劇 フィガロの結婚(共演:吉田日出子小日向文世渡辺えりなど) テレビ放映 10月にシアターコクーンで全26公演 演出:串田和美、原作:ボーマルシェ
21 1996年 DORA 100万回生きたねこ(共演:山瀬まみなど) テレビ放映 1996年6月に東京芸術劇場でスタートし、国内全88公演+フランス公演 演出・振付:フィリップ・ドゥクフレ(Philippe decoufle=フランスを代表する演出家)
22 1996年 ACT 宮沢賢治 VHS、DVD 1996年11月14日東京グローブ座で収録、新神戸オリエンタル劇場などで 全21公演 ベートーベンの「運命」に「雨にも負けず…」と詩をのせて歌った
23 1997年 ACT ELVIS PRESLEY VHS、DVD 1997年5月15日東京グローブ座で収録。神戸オリエンタル劇場をあわせて全21公演 ロックの王様プレスリーがモチーフ
24 1998年 ブルーエンジェル(共演:鈴木砂羽 CD 1998年2月-3月 シアターコクーン全61公演 ロイヤル・シェイクスピアカンパニー初演、映画にもなった「嘆きの天使」の翻訳ミュージカル
25 1998年 ACT むちゃくちゃでごじゃりまするがな VHS、DVD 1998年11月19日収録。東京グローブ座など全21公演
26 1999年 ミュージカル ザ・近松(共演:高嶺ふぶき茂山宗彦伊藤蘭らで再演) VHS、DVD 1999年2月27日 日生劇場。全32公演 演出:大谷亮介
27 1999年 ミュージカル・ペーパームーン(共演:河合美智子前田亜紀など) 未収録 1999年7月-8月 シアターコクーンほか全国ツァー 演出:栗山民也。映画「ペーパームーン」のミュージカル版
28 2000年 ミュージカル・ペーパームーン(共演:小松千春田畑亜弥などで再演) 未収録 2000年7月-9月 シアターコクーンほか全国ツァー 演出:栗山民也
29 2001年 音楽劇 いつかヴァスコ・ダ・ガマのように (共演:藤山直美) VHS、DVD 2001年9月-10月 シアターコクーンなど東京・名古屋・大阪で全40公演 演出:久世光彦
30 2002年 夢噺 桂春団治 テレビ放映 2002年5月 藤山寛美十三回忌追善のため、大阪松竹座で沢田、東京では中村勘三郎(当時)とのダブルキャスト全42公演。 演出:宮永雄平
31 2002年 風狂伝'02(共演:緒形拳小松政夫ら) VHS、DVD 2002年6月28日 東京ル・テアトル銀座、大阪ドラマシティで全33公演 演出:久世光彦
32 2003年 沢田・志村の「さあ、殺せ!」(共演:志村けん) VHS、DVD 2003年 シアターコクーン 演出:久世光彦
33 2004年 謎の変奏曲(共演:杉浦直樹 2004年5月-7月 東京サンシャイン劇場など 演出:宮田慶子
34 2004年 歌劇 人情酸漿蛍(共演:石田えり DVD 2004年7月-9月 シアターコクーンなど 演出:久世光彦
35 2005年 夫婦善哉  未収録 2005年2月-3月 東京新橋演舞場、大阪松竹座などで藤山直美の相手役として客演 演出:宮永雄平
36 2005年 センセイの鞄 (共演:坂井真紀 DVD 8月-9月、シアターコクーンをはじめ東京・神戸・名古屋で公演。 演出:久世光彦、原作:川上弘美 
37 2006年 音楽劇モダン出世双六 天国を見た男(共演:南野陽子 DVD 2006年 東京芸術劇場収録、シアタードラマシティ・名鉄ホールで全27公演 演出:マキノノゾミ 
38 2007年 桂 春団治 未収録 2007年4月-6月 新橋演舞場、博多座、大阪松竹座で再演 演出:宮永雄平
39 2008年 音楽劇ぼんち(共演:土居裕子など) DVD 2008年4月19日 東京紀伊國屋サザンシアター収録。全28公演 演出:マキノノゾミ 
40 2009年 探偵~哀しきチェイサー(共演:伊藤蘭) DVD 2009年4月 東京紀伊國屋サザンシアター収録。公演は東京・大阪で26公演 演出:マキノノゾミ
41 2009年 桂 春団治 未収録 2009年10月-12月 京都南座などで再々演 演出:宮永雄平
42 2010年 新・センセイの鞄(共演は富田靖子 DVD 2010年4月3日 東京紀伊國屋サザンシアターで収録 演出:マキノノゾミ。全26公演
43 2011年 探偵~哀しきチェイサー(共演:高泉淳子で再演) 未収録 2011年3月18日-5月2日まで東京紀伊國屋サザンシアター・神戸オリエンタル劇場で全35公演 演出:マキノノゾミ 
44 2012年 お嬢さんお手上げだ(共演:朝倉みかん DVD 2012年4月 東京紀伊國屋サザンシアターなど全30公演 演出:マキノノゾミ
45 2013年 探偵~哀しきチェイサー・雨だれの挽歌(共演:南野陽子) 2013年3月~5月 東京紀伊國屋サザンシアターなど全35公演 演出:マキノノゾミ

提供した楽曲、カバーされた楽曲[編集]

「沢田研二が作詞、もしくは作曲して他アーティストに提供した楽曲一覧」と、「他アーティストによる、沢田研二・カバー楽曲の一覧」について。

出演作品・出演番組[編集]

沢田研二が歌手として、俳優として、出演したテレビ番組、映画、テレビドラマ、CMなどについて。

演じた俳優[編集]

著書・関連本[編集]

  • 『ザ・スター沢田研二』(スポーツニッポン・石原信一著)- 1977年発売
  • 『沢田研二写真集 僕の中の男たち』(ワールドレジャー・稲腰功一撮影)- 1977年発売
  • 『ジョイナス=ブックス 沢田研二』(バンダイ出版事業部)- 1977年発売、表紙は「憎みきれないろくでなし」の衣装。
  • 『水の皮膚』(パルコ出版)- 1980年発売、石岡瑛子プロデュースの写真集。
  • 『我が名は、ジュリー』(中公文庫・沢田研二著、玉村豊男 編集) - 1985年6月に大型本、1986年12月に文庫本発売。
  • 『Paradis,Paradis』(リトルモア)- 2002年2月発売。クリスチャン・ ディオールのポスターや、タカラのCMでシーナ・イーストンなどの衣装を担当した鬼才・早川タケジの衣装・スタイリング・アートディレクションを集大成した大型本。タケジは、1998年アートファッション20世紀ファッションイラストの巨匠たち展で、日本人で唯一選出されている。内容は、ほぼ80%以上、沢田の衣装写真である。
  • 『真夜中の天使』(中島梓著) - 登場人物ジョニーのモデル。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ キューブミュージック
  2. ^ オリコン」調べ。1982年「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」ヒット中に歴代1位になった。
  3. ^ prints21 1998年冬「JULIE!JULIE!JULIE!」ほか
  4. ^ 「内田裕也対談集・音楽をどう生きるか」創樹社
  5. ^ 「Rock Carnival・B.B.キング初来日コンサート」(ニューミュージック・マガジン1971年8月号)中村とうよう、「京都大学西部講堂で行われたロック・フェスティバル 第1回 MOJO WEST」(団塊パンチ4)木村英輝
  6. ^ a b c d “伊藤エミさん死去 沢田研二と離婚 慰謝料は18億円超も沢田姓で通す”. スポーツニッポン. (2012年6月28日 06:43). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/06/28/kiji/K20120628003561920.html 2012年8月18日閲覧。 
  7. ^ 「我が名は、ジュリー」中央公論社刊、「グループサウンズ時代の証言者・加瀬邦彦」読売新聞
  8. ^ a b 佐藤雅夫「プロダクション・ノート 魔界に祟られたスタジオ」 (パンフレット) 、『魔界転生』、角川春樹事務所東映1981年6月6日、 24 - 25頁。
  9. ^ 過去興行収入上位作品 一般社団法人日本映画製作者連盟”. 2014年6月30日閲覧。
  10. ^ 日経エンタテインメント!2000年12月号「J-POP巨人列伝-20世紀を駆け抜けた10人」
  11. ^ ジュリー&ワイルドワンズが合体 毎日新聞 2009年12月10日閲覧
  12. ^ ジュリー、ワイルドワンズと合体! 新曲発売 サンケイスポーツ 2010年1月25日閲覧
  13. ^ 第24回ミュージック・ペンクラブ音楽賞コンサート・パフォーマンス賞「沢田研二Live2011-2012ゲスト:瞳みのる・森本太郎・岸部一徳」受賞
  14. ^ ザ・タイガースが再結成 44年ぶりオリジナルメンバー スポーツニッポン 2013年1月6日閲覧
  15. ^ ザ・タイガース復活!沢田絶叫「ついにこの日がやってきました」 サンスポ.com 2013年12月4日
  16. ^ 出典:光文社・女性自身
  17. ^ 「rockn'on」2005年11月号渋松対談、「Music pen club」2011年2月号POPULAR Review
  18. ^ 週刊現代2013年3月2日発売号「日本一を決めよう・日本で一番歌がうまいのはこの人だ」
  19. ^ サザンオールスターズ、中島みゆき、山口百恵など、アジア系では日本の楽曲がカバーされているが、同曲はむこうでのタイトル名で映画になったことも影響。カバー曲最多と報道したテレビ局はカバー歌手7名としたが、鍾鎮濤、葉明德、伍佰& China Blue、甄妮、王雯、周渝民、蘇慧倫、賀一航、刘紫玲…と、10人以上で計測不能。
  20. ^ STUDIO VOICE2009年2月号【沢田研二「人間60年ジュリー祭り」を観て】、朝日新聞2008年12月18日号「前人未踏・還暦アイドルジュリー祭り」、ミュージック・ペンクラブ「2011年2月号コンサートレビュー」ほか
  21. ^ 女性セブン2008年12月25日号「江國香織が観た沢田研二還暦記念コンサート」
  22. ^ 「死ぬ気まんまん」光文社刊
  23. ^ 「母と息子の老いじたく」中央公論新社刊
  24. ^ BRUTUS 1996年2月1日

関連項目[編集]

人物[編集]

外部リンク[編集]