沢田研二
| 沢田研二 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 澤田研二 |
| 別名 | ジュリー |
| 出生 | 1948年6月25日(63歳) |
| 血液型 | A型 |
| 学歴 | 京都府立鴨沂高等学校中退 |
| 出身地 | |
| ジャンル | J-POP |
| 職業 | 歌手 |
| 担当楽器 | ボーカル |
| 活動期間 | 1967年 - |
| レーベル | ポリドール(1971年 - 1984年) 東芝EMI(1985年 - 2001年) JULIE LABEL(2002年 - ) |
| 事務所 | 渡辺プロダクション (1967年 - 1984年) ココロ・コーポレーション (1985年 - ) |
| 共同作業者 | 加瀬邦彦、早川タケジ |
| 影響 | 内田裕也 |
| 公式サイト | 沢田研二公式サイト |
| さわだ けんじ 沢田 研二 |
|
| ジャンル | 映画・テレビドラマ |
|---|---|
| 配偶者 | 伊藤エミ(1975年 - 1987年) 田中裕子(1989年 - ) |
| 家族 | 長男(伊藤エミとの間の) |
| 主な作品 | |
| 映画 『太陽を盗んだ男』、『魔界転生』 テレビドラマ |
|
沢田 研二(さわだ けんじ、1948年6月25日 - )は、日本の歌手、俳優、作曲家。本名、澤田 研二。ニックネームはジュリー。鳥取県生まれで京都府京都市出身。妻は女優の田中裕子。前妻はザ・ピーナッツの伊藤エミ。
1960年代後半のグループサウンズ全盛期から活躍し、シングルの総売上は1,239万枚で、ザ・タイガース、PYG時代を含めると1,666万枚になり、日本歴代34位(1988年当時は1位[1])。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 生い立ち
1948年6月25日、母親の実家である鳥取県岩美郡津ノ井村(1963年に鳥取市へ編入:現鳥取市津ノ井)で、澤田松雄、智恵子夫妻の次男として誕生。戸籍上の名前では、“研”という文字の右下に点がある。当時、父親が火薬研究所の関連企業に勤務しており、二番目の子だったため「研二」と命名された。3歳の時に、京都府京都市左京区浄土寺東田町にある親族の澤田家に移り、そこで育つ。京都市立第三錦林小学校、同岡崎中学校卒業後、1964年4月、京都府立鴨沂高等学校入学。後に同校中退。
[編集] ザ・タイガース期
「ザ・タイガース」も参照
京都市下京区四条河原町にあったダンス喫茶「田園」でドアボーイのアルバイトをしている時に出演していたサンダースに声をかけられ、沢田はローディー(付き人)兼ヴォーカリストとして加入する。その後、同じく田園に出演していたサリーとプレイボーイズのサリー岸部修三(岸部一徳)にリード・ヴォーカルとして誘われた沢田は、1965年12月に鴨沂高等学校を中退し、翌年の元日に正式にメンバーとして加入、グループ名を「ファニーズ」とした。
沢田らファニーズは、ジャズ喫茶ナンバ一番で共演したロック歌手の内田裕也に「俺と一緒にやんねえか?」とスカウトされる。内田は彼らに同じ渡辺プロダクションのオーディションを勧め、事務所側から「沢田と岸部だけ欲しい」と言われたため、沢田は全員でなければ行かないと主張。当時リーダーであった瞳みのるが東京代々木上原の内田裕也宅を訪ね、瞳の熱意の甲斐あってメンバー全員が渡辺プロと契約。上京後、「ザ・タイガース」と改名。1967年2月5日にシングル「僕のマリー」でデビュー。セカンド・シングル「シーサイドバウンド」、そして「モナリザの微笑」でブルーコメッツ、スパイダースと肩を並べ、「君だけに愛を」で一気にグループサウンズ(GS)の頂点へと躍り出る。とりわけ端整な美貌の持ち主である沢田は10代の少女を中心に熱狂的な人気を博し、一躍国民的アイドルとなった。
ザ・タイガースは1971年1月24日に日本武道館で行われた「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」で解散。
[編集] PYG期
詳細は「PYG」を参照
ザ・タイガースの解散後、沢田は同年2月1日に新たなバンド・PYGを「渡りに舟(本人談)」として再出発する。欧米で流行していたスーパーバンド(例えるならば、ブラインド・フェイス、プラスチック・オノ・バンドのような)を模した形で、ザ・テンプターズから萩原健一、大口広司の2人、ザ・スパイダースから、井上堯之と大野克夫の2人、それにザ・タイガースから、岸部修三(岸部一徳)と沢田の2人のメンバー6人によって結成された。このバンドはツインボーカルで、「動」の沢田と 「静」の萩原健一により本格的なニューロックバンドを目指した。しかし、日本ではまだ反体制のジャンルとするロックを、当時最大手の芸能事務所だった渡辺プロダクション所属のアイドルが演奏することに対し『芸能界が創り出したもの』として、演奏中にトマトや空き缶が投げつけられるなど非難する向きもあった。そしてメンバーと事務所との間で思惑が大きく異なったことがバンドにとって大きな足かせとなる。
[編集] ソロ活動 - 全盛期
1971年11月1日、シングル「君をのせて」でソロデビュー。1972年3月11日発売の「許されない愛」のヒットと萩原健一の俳優活動の本格化で所属していたPYGは形骸化、沢田研二とPYG(のちに井上堯之バンド)として行動することになった。
1973年4月21日発売の「危険なふたり」が65万枚のヒット。第4回日本歌謡大賞を受賞。この作品からスタイリストとして早川タケジが参加し、以降斬新なファッションが確立された。1975年5月発売のシングル「巴里にひとり」の仏語版「MON AMOURE JE VIENS DU BOUT DU MONDE(恋人よ、世界の果てから僕は来た)」でフランスに進出。仏の週間ヒットチャートでトップ4に入るヒットとなり、フランスのゴールデンディスク賞を日本人として初めて受賞する。同年6月4日の27歳の時、ザ・ピーナッツの伊藤エミ(当時34歳)と結婚。比叡山延暦寺で結婚式を行い、直後の沢田の比叡山ライブ(比叡山フリーコンサート)に夫婦揃ってステージに上がり、結婚報告を行った。同年8月21日に発売された「時の過ぎゆくままに」は92万枚のセールスを記録、沢田にとって最大のヒット曲となった。この曲は3億円事件をテーマにしたTBSドラマ「悪魔のようなあいつ」の挿入歌となり、主演の沢田が犯人役のクラブ歌手としてドラマの中で歌った曲であった。
1977年5月21日に発売された「勝手にしやがれ」は89万枚を売り上げるヒットとなり、第19回日本レコード大賞、第8回日本歌謡大賞など同年末の主要な賞レースを独占した。クリーム色のベストとスーツで、パナマ帽を飛ばしたこの曲は、沢田の代表曲でもある。「憎みきれないろくでなし」も63万枚のセールスを記録した。
1978年には「サムライ」が52万枚のセールスを上げ、「LOVE (抱きしめたい)」で第20回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。その年の「紅白歌合戦」で、それまで演歌歌手に限られていた大トリを、ポップス歌手として初めて務める。
[編集] ヴィジュアル期
1979年には、2月1日に発売された「カサブランカ・ダンディ」でのウィスキーの霧吹き、「OH! ギャル」での女性用のメイクなど、派手な振り付けや奇抜なファッションで見ている人を驚かせる。3月には長男を授かった。1979年に公開された映画「太陽を盗んだ男」では原子爆弾を作る理科教師を演じ、第4回報知映画祭でグランプリにあたる作品賞と主演男優賞を受賞、キネマ旬報読者選定邦画ベストテン第1位に選ばれた。1979年11月に910(キューイチマル)型にフルモデルチェンジされた日産自動車のダットサンブルーバードのCMに出演し、「ブルーバードお前の時代だ」のCMキャッチコピーでビッグヒットに貢献する。1983年10月にブルーバードがU11(ユーイチイチ)型にフルモデルチェンジされた後も、前期型まではCMに出演した。
1980年、1月1日に発売された「TOKIO」では、250万円かけた電飾衣装にパラシュートを背負ったコスチュームや、同年4月21日発売の「恋のバッド・チューニング」で着用したカラー・コンタクトなど、加瀬邦彦プロデュース・早川タケジデザインの衣装は大きな反響を呼んだ。過激なコスチュームに走る沢田に対して、長年活動を共にしたバックバンドのリーダーである井上堯之は「もうついていけない」と違和感を訴え、井上堯之バンドは突如解散する。1980年2月29日には沢田研二写真集「水の皮膚」を発売。PARCOのCMでも、写真集と同じシチュエーションで全裸で横たわり、反響を呼んだ。井上堯之との不協和音や「テレビで沢田研二を見ない日は無い」と言われるほどの超過密スケジュールなど心身の疲労が重なり、4月に胃潰瘍で1ヶ月間入院する。
新たなバックバンドとして、吉田建を中心にALWAYS、渚のラブレターバンド、EXOTICSを相次いで編成した。1981年公開の映画「魔界転生」では天草四郎役を演じ、200万人の観客を動員するヒットとなった。1981年9月21日発売のシングル「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」でも派手な衣装で注目を集め、これは沢田の作曲したシングルとして最高の36万枚のセールスを記録した。
1981年には、ザ・タイガースが瞳みのるを除くメンバー5人で10年ぶりに再結成。これは、GSブーム時代から縁のあった日劇が取り壊されることとなり、最後の日劇ウエスタンカーニバルに出演するためである。同年秋には「同窓会」と銘打った企画で11年ぶりにシングル「十年ロマンス」を発売、翌年に発売された2枚目となるシングル「色つきの女でいてくれよ」は化粧品会社CMとのタイアップもあり、ヒットチャート上位にランクイン、武道館を含む全国ツアーも成功させた。
作曲家としても他の歌手にも多くの曲を提供し、中でも1982年にアン・ルイスが歌った作詞・三浦百恵の「ラ・セゾン」はトップ10にランクインするヒットとなった。 1983年年末にはグラムロック調の「晴れのちBLUE BOY」で紅白歌合戦の金杯(最優秀歌手)受賞。紅白での衣装はサーチライトを装着した軍服姿だった。
この頃は渡辺プロの後輩である志村けんとの共演も度々行っていた。
[編集] 独立期
1985年1月からの半年間の休養を経て、沢田はデビュー以来所属してきた渡辺プロダクションから独立し、傘下に"株式会社ココロ"を設立。レコード会社もポリドールから東芝EMIに移籍した。第1弾となる作品は、沢田が作詞・作曲した「灰とダイヤモンド」。ペンネームの「李花幻」は「いいかげん」をもじったもの。自叙伝「我が名はジュリー」(玉村豊男編 / 中央公論社)を刊行。新たなバックバンドとしてチト河内を中心にCO-CoLOを結成。
1987年1月には前妻と離婚。慰謝料は当時の芸能人最高額の18億1,800万円を支払った。3月には京都公演中のステージからの転落事故による左肘骨折、肋骨打撲で1カ月間入院する。この年は、のちの沢田自身が「転機は離婚だった」と語るようにターニングポイントとなる。1987年7月22日発売のシングルSTEPPIN' STONESの頃には激やせして周囲を心配させた。
1988年には3年間活動を共にしたCO-CoLOを解散し、新たにKris Kringlを結成。
1989年10月11日発売のアルバム「彼は眠れない」では、村上'ポンタ'秀一を迎えて新バンドJAZZ MASTERを結成、ベースの吉田建が脱退してからは、後藤次利が加わった。同年11月に女優の田中裕子と再婚し、出雲大社で挙式をおこなった。なれそめは田中が熱狂的ファンであったことからだが、出会いは1983年の正月映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』での共演だった。試写会後の挨拶で田中から沢田へ花束贈呈されたときに、沢田の頬に田中がキスしようとすると、客席から悲鳴が上がる一幕もあった。1989年から10年間に渡って継続する音楽劇 ACTシリーズがスタート。同年年末の「紅白歌合戦」ではソロでの他、ザ・タイガースとしても出場し、同番組の出場者としては初めて同一回で2度出場した。
1991年デビュー25周年を記念してCD化されていなかった旧譜が東芝EMIより発売、また久しぶりに日本武道館公演を行う。25周年にちなみNHK-BS2で25時間の特集番組「美しき時代の偶像」が放送された。
1992年頃から、沢田は音楽番組などでの過去の映像の放映を許可しないようになる。
1995年のアルバム「sur←」以降は、「これからは、自分のやりたい音楽を、やりたいようにやっていきたい」とし、沢田がセルフ・プロデュースしている。
1996年のツアーでは、髪をピンクに染めてライブをおこなう。
1997年には岸部一徳、森本太郎とともにユニット"TEA FOR THREE"を結成した。
[編集] 2000年以降
2002年自主レコードレーベルとなるJULIE LABELを設立。このレーベルからリリースされた沢田のオリジナル・アルバムは目玉焼きなどの独特のパッケージ・デザインを施されているものが多い。
2005年には、ポリドール在籍時代のアルバム21タイトルと3枚のベスト・アルバムのリマスター盤が相次いで再発売され、そのうちベスト盤「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」がオリコンの邦楽アルバムTOP50にランクインした。
作詞・作曲家としての沢田は、憲法九条への思いをメタファライズした「我が窮状(きゅうじょう)」、真珠湾攻撃を題材にした「パール・ハーバー・ラブ・ストーリー」を発表するなど、反戦や平和をテーマにした新たな展開も見せている[2]。原水爆禁止日本協議会による「核兵器全面禁止のアピール」の賛同者でもある[3]。
近年はNHKから度々『NHK紅白歌合戦』への出場打診を受けているが、辞退している。
2008年、60歳を記念して行なわれた11月29日の京セラドーム大阪と12月3日の東京ドームでは、初の二大ドームコンサート「人間60年・ジュリー祭り」を開催し、両日で5万4,000人を集め、約6時間半で80曲(途中休憩30分)の単独ライブをおこなった。第21回ミュージック・ペンクラブ音楽賞で「沢田研二 還暦記念コンサート 人間60年 ジュリー祭り」がポピュラー部門のコンサート・パフォーマンス(日本人アーティスト)賞に選ばれた。
2009年は「奇跡元年」と題した正月公演でスタート。数年前からの固定メンバーで二大ドームコンサートをサポートした、「鉄人バンド」柴山和彦(G)、下山淳(G)、泰輝(key)、GRACE(Dr)のメンバーと共に、ステージに立った。「昭和のジュリー」を20年と称し、「平成のジュリー」を20年貫徹、これからの20年は「奇跡のジュリー」としての姿を魅せる予定である。
2010年からはザ・ワイルド・ワンズと組んで、『JULIE with THE WILD ONES』という新しいユニットを結成[4]、2月11日に『渚でシャララ』を発表した[5]。
2011年には、旧タイガースのメンバーが集まり(岸部一徳・森本太郎の他に、瞳みのるが40年ぶりに参加)、9月8日から全国33都市で88回のライブを開始(2012年1月24日まで)。
[編集] 影響
沢田研二といえば、帽子を斜めにかぶり、隻眼(片目)しか常に見せないポーズを取る姿が有名である。沢田が日本の音楽界にそれまでなかった退廃美を帯びたファッションをもたらしたことは特記される。分けても早川タケジのデザインによる、羽毛のマフラー、パナマ帽、グアム警察の帽子、煙草を吸いながら歌う、ナイフ、拳銃、ハーケンクロイツ、刺青、化粧(時には男装の麗人として赤い口紅をすることすらあった)、ウィスキーのポケットボトル、白いハンカチ、金属の仮面を取り入れたスタイルは、沢田が日本で初めて行なったと言われ、「ヴィジュアル系の元祖」とも称される由縁でもある。沢田のファッションは先鋭的なものが多く、近年になっても早川の作品集(ほとんどが沢田の写真)が出版されたり、テレビなどで映像が流されることも(沢田が解禁した2001年以降)少なくない。及川光博は「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」をカヴァーした他に早川にデザインを発注したこともあり、「ヴィジュアル系」以外でファッション面での影響が顕著な一例である。また、PYGの「花・太陽・雨」「自由に歩いて愛して」は永沢竜二、「勝手にしやがれ」は、B'zの稲葉浩志や福山雅治によってカヴァーアルバムが出されている。
海外での影響は、中国語圏で「時の過ぎゆくままに」が「我愛你一万年」などのタイトルで数々の歌手にカヴァーされ広くヒットしている。香港では『日本のロッド・スチュワート、デヴィッド・ボウイ』とも称され、沢田が化粧をした「OH!ギャル」がヒットした。沢田は香港政府に招聘され、現地でのライブステージを何度も行なっている。香港では、沢田がフランスで発売した「Itsumi(いずみ)」を人気歌手で俳優でもある林子祥(ジョージ・ラム)が「澤田研二(ザーテン・インイー)」というタイトルで「香港の歌手は沢田研二の歌曲を賛美する」というモチーフの曲としてカヴァーした。この曲の作詞は鄭國江である。 日本では、アイドル歌手の石野真子によって「ジュリーがライバル」という曲もヒットした。作詞は松本礼児。また沢田好きが高じてリングネームにしているプロレスラー”ポイズンJULIE澤田”がいる。
[編集] 功績
ザ・タイガースは日本で初めての長髪の男性アイドルである。1967年にザ・タイガースが、英国のザ・ビートルズを真似た髪型にしたとき、短髪の七三分けが主流だった日本の音楽界において「長髪のため」NHK出演の審査が通らないなど物議を醸したが、「長髪=不良」の偏見が根強く残っており、タイガースの公演会場の入り口ではPTA、地婦連が立ち、中高生が入場を締め出されたり、人気のピーク時にもロッテ歌のアルバム・NHK紅白歌合戦への出場が叶わないという事態が発生した状況であった。
1968年8月12日にザ・タイガースが後楽園球場で開催した「真夏の夜の祭典」は日本で初めてのスタジアムライブである[6]。
1969年3月1日、アメリカの音楽雑誌の中でも歴史が長く、最も権威ある音楽雑誌のひとつ『ローリングストーン』(Vol.28)の表紙に登場した。日本版が刊行される前の同誌において、日本人が表紙を飾ったのは、これが最初で最後だった。なお、一緒に表紙に載ったもう一人の男性は、岸部シロー(現・岸部四郎)といわれていたが、見た限り、全くの別人(誰なのか不明)だと思われる。
1971年1月24日のザ・タイガース「ビューティフル・コンサート」(解散コンサート)は日本人として初めての日本武道館単独公演であった。PYG時代、初めてロンドンブーツを衣装に取り入れた。
1974年には「Rock'n Julie」と題された公演が行われているが、これは日本で初めての全国ツアーである(16都市34公演)[7]。
さらに沢田はソロ活動初期において、PYGから派生した井上堯之バンドと活動を共にしていたが、これは一歌手専属としては日本で初めての、ロックコンボスタイルのバックバンドである。
「MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE(恋人よ、世界の果てから僕は来た)」(邦題:「巴里にひとり」)は日本人として初めてフランスのヒットチャートにBEST10入りした楽曲である。この曲は、フランス人の作詞・作曲で初めて日本人歌手としてヒットした曲である(この10年ほど前に、坂本九の「上を向いて歩こう」が日本人の作詞・作曲、歌唱で世界的にヒットしている)。
1978年の第29回NHK紅白歌合戦で紅白史上初めて演歌歌手以外で大トリを務めた。
1980年発売の写真集「水の皮膚」は男性ポップス歌手として、初めてのオールヌード写真集である(映画やテレビの特番ではオールヌードを見せている)。
1989年の第40回NHK紅白歌合戦で紅白史上初めて1回の紅白で2度出演を果たした(ソロとザ・タイガースとして)。
2000年11月、雑誌『日経エンタテインメント!』「J-POP巨人列伝-20世紀を駆け抜けた10人」第2位(第1位美空ひばり)[8]。
[編集] エピソード
ニックネームの「ジュリー」は、ザ・タイガースがデビューした後にメンバーの中で沢田だけあだ名がなかったため、沢田が自ら「ジュリー・アンドリュースのファンだから、ジュリーってどうだろう?」とマネージャーに提案し、メンバーが賛同して「ジュリー」と呼ばれるようになった。沢田がジェリー藤尾が好きだったので"ジェリー"という考えもあったがそのままでは失礼なので海外のジュリー(アンドリュース)に落ち着いた。ジュリーというのは女性名であるが沢田の中性的な容姿と相まってすぐに定着した。
サリーに「サリーとプレイボーイズ」のメンバーに誘われた時の言葉は「お前、ルックスがまあまあやからボーカルやらへんか」だった。
ザ・タイガースの命名は作曲家すぎやまこういち。「関西(阪神)から来たのでタイガース」と名付けられた。
岸部四郎だけは、沢田を「ジュリー」ではなく、「ヂリー」と呼ぶ。これは岸部四郎のこだわりでもある。
2009年5月「ピー(瞳みのる)とザ・タイガース解散以来、38年の時を超えて再会し、久闊を叙した」ことを明らかにした。(実際の再会は2008年12月、当時のマネージャー・中井国二を介し渋谷の居酒屋にて。この席には他に、岸部・森本も一緒にいた)
[編集] ディスコグラフィ
[編集] シングル
| - | 発売日 | 題名 | 備考 | リリース国 |
| 1 | 1971年11月1日 | 君をのせて | ||
| 2 | 1972年3月10日 | 許されない愛 | ||
| 3 | 1972年6月25日 | あなただけでいい | ||
| 4 | 1972年9月20日 | 死んでもいい | ||
| 5 | 1973年1月1日 | あなたへの愛 | ||
| 6 | 1973年4月21日 | 危険なふたり | 初のオリコン1位を獲得 | |
| 7 | 1973年8月11日 | 胸いっぱいの悲しみ | ||
| 8 | 1973年12月21日 | 魅せられた夜 | ||
| 9 | 1974年3月21日 | 恋は邪魔もの | ||
| 10 | 1974年7月10日 | 追憶 | ||
| 11 | 1974年11月21日 | 愛の逃亡者 THE FUGITIVE | ||
| - | 1975年01月20日※ | MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE | 『巴里にひとり』のフランス語バージョン ※フランスでの発売日 |
|
| - | 1975年01月21日※ | THE FUGITIVE | ※イギリスでの発売日 | |
| 12 | 1975年3月1日 | 白い部屋 | ||
| - | 1975年5月20日※ | ATTENDS MOI | ※フランスでの発売日 | |
| 13 | 1975年5月21日 | 巴里にひとり | ||
| 14 | 1975年8月21日 | 時の過ぎゆくままに | 最大のヒット曲 | |
| - | 1975年10月15日※ | FOU DE TOI | ※フランスでの発売日 | |
| 15 | 1976年1月21日 | 立ちどまるなふりむくな | ||
| 16 | 1976年5月1日 | ウィンクでさよなら | ||
| - | 1976年5月15日※ | ELLE | ※フランスでの発売日 | |
| - | 1976年5月15日 | WHEN THE LIGHT WENT OUT | イギリスでのみリリース | |
| 17 | 1976年9月10日 | コバルトの季節の中で | ||
| 18 | 1977年2月1日 | さよならをいう気もない | ||
| - | 1977年2月21日 | JULIE LOVE | フランスでのみリリース | |
| 19 | 1977年5月21日 | 勝手にしやがれ | 日本レコード大賞受賞曲 | |
| - | 1977年7月30日 | MEMORIES | 西ドイツでの先行リリース | |
| 20 | 1977年8月10日 | MEMORIES | ||
| 21 | 1977年9月5日 | 憎みきれないろくでなし | ||
| - | 1977年※ | TU AS CHANGE | ※フランスでの発売日 | |
| - | 1977年10月10日※ | ROCK'NROLL CHILD | ※西ドイツでの発売日 | |
| 22 | 1978年1月21日 | サムライ | ||
| - | 1978年1月21日 | IN THE CITY | 西ドイツでのみリリース | |
| 23 | 1978年5月21日 | ダーリング | ||
| 24 | 1978年8月1日 | ヤマトより愛をこめて | ||
| 25 | 1978年9月10日 | LOVE (抱きしめたい) | ||
| 26 | 1979年2月1日 | カサブランカ・ダンディ | ||
| 27 | 1979年5月31日 | OH! ギャル | ||
| 28 | 1979年9月21日 | ロンリー・ウルフ | ||
| 29 | 1980年1月1日 | TOKIO | ||
| 30 | 1980年4月21日 | 恋のバッド・チューニング | ||
| 31 | 1980年9月21日 | 酒場でDABADA | ||
| 32 | 1980年12月23日 | おまえがパラダイス | ||
| 33 | 1981年5月1日 | 渚のラブレター | ||
| 34 | 1981年9月21日 | ス・ト・リ・ッ・パ・ー | ||
| 35 | 1982年1月10日 | 麗人 | ||
| 36 | 1982年5月1日 | おまえにチェックイン | ||
| 37 | 1982年9月10日 | 6番目のユ・ウ・ウ・ツ | ||
| 38 | 1983年1月1日 | 背中まで45分 | ||
| 39 | 1983年5月10日 | 晴れのちBLUE BOY | ||
| 40 | 1983年9月21日 | きめてやる今夜 | ||
| 41 | 1984年2月10日 | どん底 | ||
| 42 | 1984年4月25日 | 渡り鳥 はぐれ鳥 | ||
| 43 | 1984年9月25日 | AMAPOLA | ||
| 44 | 1985年8月8日 | 灰とダイヤモンド | 東芝EMI移籍第一弾 | |
| 45 | 1986年4月23日 | アリフ・ライラ・ウィ・ライラ 〜千夜一夜物語〜 | ||
| 46 | 1986年10月22日 | 女神 | ||
| 47 | 1987年3月21日 | きわどい季節-Summer Graffiti- | ||
| 48 | 1987年7月22日 | STEPPIN' STONES | ||
| 49 | 1987年11月16日 | CHANCE | ||
| 50 | 1988年6月25日 | TRUE BLUE | ||
| 51 | 1988年10月26日 | Stranger -Only Tonight- | ||
| 52 | 1989年5月24日 | Muda | ||
| 53 | 1989年9月20日 | ポラロイドGIRL | ||
| 54 | 1990年2月7日 | DOWN | ||
| 55 | 1990年5月23日 | 世界はUp & Fall | ||
| 56 | 1991年5月17日 | SPLEEN 〜六月の風にゆれて〜 | ||
| 57 | 1992年5月1日 | 太陽のひとりごと | ||
| 58 | 1993年5月20日 | そのキスが欲しい | ||
| 59 | 1994年11月16日 | HELLO/YOKOHAMA BAY BLUES | 両A面 | |
| 60 | 1995年11月29日 | あんじょうやりや | ||
| 61 | 1996年9月6日 | 愛まで待てない | ||
| - | 1997年3月26日 | 君を真実に愛せなくては他の何も続けられない | TEA FOR THREE名義 | |
| 62 | 1997年6月10日 | オリーヴ・オイル | ||
| 63 | 1997年8月27日 | サーモスタットな夏 | ||
| 64 | 1997年10月16日 | 恋なんて呼ばない | ||
| 65 | 1998年6月24日 | 永遠に | ||
| 66 | 1999年8月6日 | 鼓動 | ||
| 67 | 2000年8月9日 | 耒タルベキ素敵 | ||
| 68 | 2001年6月8日 | あの日は雨 | ||
| - | 2001年10月24日 | まごころよりどころ | 研二と慶子名義 | |
| 69 | 2002年9月1日 | 忘却の天才 | ||
| 70 | 2003年4月25日 | 明日は晴れる | ||
| 71 | 2004年2月25日 | オーガニック オーガスム | ||
| 72 | 2005年5月9日 | greenboy | ||
| 73 | 2006年4月21日 | 俺たち最高 | ||
| 74 | 2007年6月25日 | そっとくちづけを | ||
| 75 | 2008年5月25日 | ROCK'N ROLL MARCH | ||
| 75 | 2010年9月1日 | 涙色の空 |
[編集] アルバム
[編集] オリジナル・アルバム
デビュー以来約40年間、毎年必ず新作アルバムを発表し、1974年以降、毎年全国ツアーを開催しており、これは他に例を見ない連続記録といわれる[9]。
| - | 発売日 | 題名 | 備考 | リリース国 |
| 1 | 1969年12月01日 | JULIE | ザ・タイガース在籍中にリリースされた作品 | |
| 2 | 1971年12月21日 | JULIE II | ||
| 3 | 1972年9月10日 | JULIE IV 今僕は倖せです | ||
| 4 | 1973年8月21日 | JULIE VI ある青春 | ||
| 5 | 1974年9月10日 | JEWEL JULIE 追憶 | ||
| 6 | 1974年12月21日 | THE FUGITIVE 愛の逃亡者 | ||
| - | 1975年1月21日 | KENJI | 内容は『THE FUGITIVE 愛の逃亡者』と同一 | |
| 7 | 1975年12月21日 | いくつかの場面 | ||
| - | 1976年2月1日 | KENJI SAWADA | 内容は日本版と同一 | |
| 8 | 1976年4月21日 | KENJI SAWADA | ||
| 9 | 1976年12月1日 | チャコール・グレイの肖像 | ||
| 10 | 1977年11月15日 | 思いきり気障な人生 | ||
| - | 1978年4月 | rock'n'roll child | 海外のみでのリリース | |
| 11 | 1978年8月10日 | 今度は、華麗な宴にどうぞ。 | ||
| 12 | 1978年12月1日 | LOVE 〜愛とは不幸をおそれないこと〜 | ||
| 13 | 1979年11月25日 | TOKIO | ||
| 14 | 1980年7月21日 | BAD TUNING | ||
| 15 | 1980年12月23日 | G.S.I LOVE YOU | ||
| 16 | 1981年6月10日 | S/T/R/I/P/P/E/R | ||
| 17 | 1982年6月1日 | A WONDERFUL TIME | ||
| 18 | 1982年12月10日 | MIS CAST | ||
| 19 | 1983年3月5日 | JULIE SONG CALENDAR | 当初カセットテープのみで発売された | |
| 20 | 1983年10月1日 | 女たちよ | ||
| 21 | 1984年6月5日 | NON POLICY | ||
| 22 | 1985年9月21日 | 架空のオペラ | ||
| 23 | 1986年6月25日 | CO-CoLO 1 〜夜のみだらな鳥達〜 | ||
| 24 | 1987年5月25日 | 告白-CONFESSION- | ||
| 25 | 1988年7月24日 | TRUE BLUE | ||
| 26 | 1989年10月11日 | 彼は眠れない | ||
| 27 | 1990年6月20日 | 単純な永遠 | ||
| 28 | 1991年6月14日 | PANORAMA | ||
| 29 | 1992年6月10日 | Beautiful World | ||
| 30 | 1993年11月17日 | REALLY LOVE YA!! | ||
| 31 | 1994年12月14日 | HELLO | ||
| 32 | 1995年12月13日 | sur← | ||
| 33 | 1996年9月19日 | 愛まで待てない | ||
| 34 | 1997年6月25日 | サーモスタットな夏 | ||
| 35 | 1998年7月15日 | 第六感 | ||
| 36 | 1999年8月25日 | いい風よ吹け | ||
| 37 | 2000年9月13日 | 耒タルベキ素敵 | ||
| 38 | 2001年6月20日 | 新しい想い出 2001 | ||
| 39 | 2002年9月1日 | 忘却の天才 | ||
| 40 | 2003年4月25日 | 明日は晴れる | ||
| 41 | 2004年2月25日 | CROQUEMADAME & HOTCAKES | ||
| 42 | 2005年5月9日 | greenboy | ||
| 43 | 2006年4月21日 | 俺たち最高 | ||
| 44 | 2007年6月25日 | 生きてたらシアワセ | ||
| 45 | 2008年5月25日 | ROCK'N ROLL MARCH | ||
| 46 | 2009年6月10日 | Pleasure Pleasure | 全6曲入りミニアルバム |
[編集] ベスト・アルバム
| - | 発売日 | 題名 | 備考 | リリース国 |
| 1 | 1973年6月10日 | 沢田研二 GLORIOUS 20(LP2枚組) | ||
| 2 | 1974年4月10日 | パーフェクト(LP2枚組) | ||
| 3 | 1975年4月25日 | 沢田研二 パーフェクト14 | ||
| 4 | 1976年9月10日 | FOREVER 〜沢田研二ベスト・セレクション〜(LP2枚組) | ||
| 5 | 1977年12月15日 | 沢田研二大全集(LP5枚組限定版) | ||
| 6 | 1977年7月25日 | Kenji Sawada Nice Songs 勝手にしやがれ | カセットテープのみ | |
| 7 | 1977年7月25日 | Rock'n Julie with Tigers | カセットテープのみ | |
| - | 1978年4月 | YESTERDAY TODAY | 香港のみでのリリース | |
| 8 | 1978年5月25日 | ダーリング・Julie | カセットテープのみ | |
| 9 | 1979年4月1日 | Royal Straight Flush | CD再発 | |
| 10 | 1980年2月25日 | 沢田研二全曲集 | カセットテープのみ | |
| 11 | 1980年9月25日 | 酒場でDABADA | カセットテープのみ | |
| 12 | 1981年1月25日 | 沢田研二全曲集 | カセットテープのみ | |
| 13 | 1981年5月25日 | 沢田研二作品集 | カセットテープのみ | |
| - | 1981年 | KENJI SAWADA Greatest Hits | 香港のみでのリリース | |
| 14 | 1981年12月15日 | Royal Straight Flush II | CD再発 | |
| 15 | 1982年10月25日 | ジュリー・CMソング・コレクション | カセットテープのみ | |
| 16 | 1983年10月25日 | 沢田研二全曲集 | カセットテープのみ | |
| 17 | 1984年3月25日 | Royal Straight Flush III | CD再発 | |
| 18 | 1985年9月1日 | 全曲集〜灰とダイヤモンド | ||
| 19 | 1986年6月1日 | Julie Special 〜沢田研二 A面コレクション〜(CD3枚組) | CD再発 (SHM-CD仕様) | |
| 20 | 1986年8月21日 | 我が名は、ジュリー (芸能生活20周年記念カセット6本セット限定盤) |
カセットテープのみ | |
| 21 | 1987年9月13日 | SUPER BEST(CD2枚組) | ||
| 22 | 1991年12月4日 | A SAINT IN THE NIGHT | ジャズのスタンダードをカヴァーした作品 | |
| 23 | 1996年11月20日 | 沢田研二 B面コレクション(CD3枚組) | 30周年記念32タイトルCD再発予約特典(非売品) 後にJULIE LABELからコンサート会場限定再発売 |
|
| 24 | 1996年12月11日 | AFTERMATH | バラード・セレクション | |
| 25 | 1997年12月10日 | Royal Straight Flush 1971-1979(CD2枚組) | ||
| 26 | 1997年12月10日 | Royal Straight Flush 1980-1996(CD2枚組) | ||
| 27 | 1997年12月10日 | Distortion Love | ||
| 28 | 2008年6月25日 | Cocolo Nooto(CD5枚組) | セルフプロデュース期の沢田研二作詞曲69曲を収録 コンサート会場+一部レコード店で限定発売 |
[編集] ライブ・アルバム
| - | 発売日 | 題名 | 収録 |
| 1 | 1972年3月10日 | JULIE III SAWADA KENJI RECITAL(LP2枚組) | 1971年12月24日 日生劇場 |
| 2 | 1972年12月21日 | JULIE V 沢田研二 日生リサイタル(LP2枚組) | 1972年10月17日-21日 日生劇場 |
| 3 | 1973年12月21日 | JULIE VII THE 3rd 沢田研二リサイタル(LP3枚組) | 1973年10月10日 中野サンプラザ |
| 4 | 1975年10月21日 | 沢田研二比叡山フリーコンサート(LP2枚組) | 1975年7月20日 蛇ヶ池人口スキー場 |
| 5 | 1977年8月10日 | 沢田研二リサイタル ハムレット・イン・ジュリー(LP2枚組) | 1977年6月29日-30日 NHKホール |
| 6 | 1978年10月25日 | JULIE ROCK'N TOUR '78 田園コロシアムライブ | 1978年8月31日 田園コロシアム(カセットテープのみ) |
| 7 | 1979年8月25日 | JULIE ROCK'N TOUR '79(カセットテープ2本セット) | 1979年7月28-29日 渋谷公会堂(カセットテープのみ) |
| 8 | 1987年12月25日 | 架空のオペラ '86 (芸能生活20周年記念LP/CD4枚組限定盤) |
正月歌劇: 1986年1月16-18日 NHKホール、1月21-28日 フェスティバルホール SUMMER LIVE '86: 1986年10月8-9日 新宿厚生年金会館、10月10日 フェスティバルホール |
| 9 | 1992年1月16日 | '91 武道館コンサート "JULIE MANIA" (芸能生活25周年記念武道館コンサートCD2枚組) |
1991年10月11日 日本武道館 |
| 10 | 1996年11月20日 | 沢田研二 ライブセレクション | 30周年記念32タイトルCD再発予約特典(非売品) |
| 11 | 2009年7月25日 | 人間60年・ジュリー祭り (CD6枚組 全82曲完全収録) |
2008年12月に行われた東京ドーム公演『人間60年・ジュリー祭り』の模様をおさめたCD6枚組(全82曲完全収録)。 |
[編集] その他作品
| - | 発売日 | 題名 | 収録 |
| 1 | 1981年3月21日 | サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル VOL3 | 1981年1月25日 日本劇場 (カセットテープのみ。1998年11月26日CD再発) |
| 2 | 1989年6月21日 | YOKOHAMAスーパーオペラ“海光”公演記念盤 | |
| 3 | 1996年 | DORA〜100万回生きたネコ | 1996年6月21日-7月29日 東京芸術劇場 |
| 4 | 1999年10月 | ACT大全集(CD9枚組) | ACTシリーズ全10公演収録 |
| 5 | 2008年8月27日 | SINGLE COLLECTION BOX Polydor Years | ポリドール在籍時の全シングルのCD-BOX |
[編集] 映像作品
[編集] LIVE
| - | 発売日 | 題名 | 媒体 | 収録 | 備考 |
| 1 | 1980年7月21日 | JULIE PRESENTS'80 BAD TUNING | VHS、β | 1980年5月24日 横浜スタジアム | 2002年VHSのみ再発 |
| 2 | 1983年3月10日 | JULIE CONCERT TOUR'83 MIS CAST | VHS、β | 2003年VHSのみ再発 | |
| 3 | 1990年 | KENJI SAWADA With Jazz Master | VHS、DVD | 1990年10月28日 一ツ橋大学学園祭 | DVDは数量限定 |
| 4 | 1992年1月16日 | 武道館コンサート ジュリーマニア | VHS、DVD | 1991年10月11日 日本武道館 | |
| 5 | 1992年7月 | A SAINT IN THE NIGHT | VHS、DVD | 1992年2月22日 NHKホール | DVDは数量限定 |
| 6 | 1994年4月25日 | REALLY LOVE YA!! | VHS、DVD | 1994年1月6日 渋谷公会堂 | |
| 7 | 1995年1月5日 | ZU ZU Songs | VHS、DVD | 1994年10月2日 渋谷公会堂 | |
| 8 | 1996年6月 | あんじょうやりや | VHS、DVD | 1996年3月8日 ティアラこうとう | |
| 9 | 1997年6月 | Concert Tour 96 and 97 愛まで待てない | VHS、DVD | 1997年2月8日 パルテノン多摩 | |
| 10 | 1997年10月 | tour'97 サーモスタットな夏 | VHS、DVD | 1997年10月18日 日比谷野外音楽堂 | |
| 11 | 1998年6月 | ROYAL STRAIGHT FLUSH | VHS、DVD | 1998年1月6日 渋谷公会堂 | |
| 12 | 1999年1月 | 1998 ROCKAN' TOUR | VHS、DVD | 1998年10月3日 松戸森のホール21 | DVDは数量限定 |
| 13 | 1999年5月 | 1999正月コンサート | VHS、DVD | 1999年1月9日 渋谷公会堂 | DVDは数量限定 |
| 14 | 2000年3月 | いい風よ吹け | VHS、DVD | 1999年11月14日 東京厚生年金会館 | DVDは数量限定 |
| 15 | 2000年6月 | 祝・2000年正月大運動会 | VHS、DVD | 2000年1月8日 渋谷公会堂 | DVDは数量限定 |
| 16 | 2000年12月 | 耒タルベキ素敵 | VHS、DVD | 2000年11月23日 東京厚生年金会館 | DVDは数量限定 |
| 17 | 2002年4月 | 21世紀初三大都市公演 | VHS、DVD | 2001年1月6日 渋谷公会堂 | DVDは数量限定 |
| 18 | 新しい想い出 | VHS、DVD | 2001年12月8日 大宮ソニックシティ | DVDは数量限定 | |
| 19 | 2002年9月 | 糸車のレチタティーボ | VHS、DVD | 2002年1月7日 渋谷公会堂 | DVDは数量限定 |
| 20 | 2002年11月12日 | 快傑ジュリーの冒険 | VHS、DVD | フジテレビ番組『クイズドレミファドン』出演時の映像を収録(1976年~1987年、共28回) | |
| 21 | 2003年7月 | 忘却の天才 | VHS、DVD | 2002年10月26日 府中の森芸術劇場 | DVDは数量限定 |
| 22 | 2003年7月 | LOVE & PEACE | VHS、DVD | 2003年1月7日 渋谷公会堂 | DVDは数量限定 |
| 23 | 2004年3月 | 明日は晴れる | VHS、DVD | 2003年11月1日 大宮ソニックシティ | DVDは数量限定 |
| 24 | 2004年7月 | 爛漫甲申演唱会 | VHS、DVD | 2004年1月18日 渋谷公会堂 | DVDは数量限定 |
| 25 | 2005年5月25日 | CROQUEMADAME & HOTCAKES | DVD | 2004年11月6日 大宮ソニックシティ | |
| 26 | 2005年6月1日 | 師走 RomantiX | DVD | 2004年12月25日 東京国際フォーラム ホールA | |
| 27 | 2006年5月15日 | greenboy | DVD | 2005年11月19日 大宮ソニックシティ | |
| 28 | 2007年5月3日 | ワイルドボアの平和 | DVD | 2006年1月14日 渋谷C.C.Lenmonホール | |
| 29 | 2008年2月2日 | 生きてたらシアワセ | DVD | 2007年10月13日 渋谷C.C.Lenmonホール | |
| 30 | 2009年6月25日 | 人間60年・ジュリー祭り | DVD | 2008年12月3日 東京ドーム | 4枚組DVD |
| 31 | 2011年12月21日 | 沢田研二 in 夜のヒットスタジオ | DVD | フジテレビ番組『夜のヒットスタジオ』出演時の映像を収録(1975年5月5日~1990年2月21日、共102回) | 6枚組DVD |
[編集] STAGE
1989年から1998年まで続いた音楽劇「ACT」シリーズ(演出・加藤直)では、1人芝居や哲学的な内容を演じている。なお同シリーズから現在の久世光彦やマキノノゾミが演出している音楽劇など、沢田の舞台音楽はアコーディオン奏者cobaが担当している。なお、近年の作品では南流石が振り付けを担当していることが多い。また、近年ではそうした音楽劇と並行して、藤山直美との人情芝居にも出演している。
| - | 発売日 | 題名 | 媒体 | 収録 | 備考 |
| 1 | ACT BORIS VIAN | VHS、DVD | 1990年3月17日 東京グローブ座 | DVDは数量限定 | |
| 3 | ACT NINO ROTA | VHS、DVD | 1991年3月9日 パナソニック・グローブ座 | DVDは数量限定 | |
| 3 | ACT SALVADOR DALI | VHS、DVD | 1992年3月 パナソニック・グローブ座 | DVDは数量限定 | |
| 4 | ACT SHAKESPEARE | VHS、DVD | 1993年3月20日 パナソニック・グローブ座 | DVDは数量限定 | |
| 5 | ACT EDITH PIAF | VHS、DVD | 1994年6月25日 パナソニック・グローブ座 | DVDは数量限定 | |
| 6 | ACT BUSTER KEATON | VHS、DVD | 1995年6月9日 パナソニック・グローブ座 | DVDは数量限定 | |
| 7 | ACT 宮沢賢治 | VHS、DVD | 1996年11月14日 パナソニック・グローブ座 | DVDは数量限定 | |
| 8 | ACT ELVIS PRESLEY | VHS、DVD | 1997年5月15日 パナソニック・グローブ座 | DVDは数量限定 | |
| 9 | ACT むちゃくちゃでごじゃりまするがな | VHS、DVD | 1998年11月19日 東京グローブ座 | DVDは数量限定 | |
| 10 | ミュージカル ザ・近松 | VHS、DVD | 1999年2月27日 日生劇場 | DVDは数量限定 | |
| 11 | 音楽劇 いつかヴァスコ・ダ・ガマのように | VHS、DVD | 2001年 Bunkamuraシアターコクーン | DVDは数量限定 | |
| 12 | 風狂伝'02 | VHS、DVD | 2002年6月28日 ル・テアトル銀座 | DVDは数量限定 | |
| 13 | 沢田・志村の「さあ、殺せ!」 | VHS、DVD | 2003年 Bunkamuraシアターコクーン | DVDは数量限定 | |
| 14 | 2005年01月26日 | 歌劇 人情酸漿蛍 | DVD | 2004年 Bunkamuraシアターコクーン | |
| 15 | 2005年12月09日 | センセイの鞄 | DVD | 2005年8月20日 Bunkamuraシアターコクーン | |
| 16 | 2007年01月15日 | 音楽劇 モダン出世双六 天国を見た男 | DVD | 2006年 東京芸術劇場 | |
| 17 | 2008年09月03日 | ぼんち | DVD | 2008年4月19日 東京紀伊國屋サザンシアター | |
| 18 | 2009年10月02日 | 探偵~哀しきチェイサー | DVD | 2009年4月 東京紀伊國屋サザンシアター | |
| 19 | 2010年10月06日 | 新・センセイの鞄 | DVD | 2010年4月3日 東京紀伊國屋サザンシアター |
[編集] 提供した楽曲、カバーされた楽曲
詳細は「沢田研二が提供した楽曲、カバーされた楽曲」を参照
「沢田研二が作詞、もしくは作曲して他アーティストに提供した楽曲一覧」と、「他アーティストによる、沢田研二・カバー楽曲の一覧」について。
[編集] 出演作品・出演番組
詳細は「沢田研二の出演作品・出演番組」を参照
沢田研二が歌手として、俳優として、出演したテレビ番組、映画、テレビドラマ、CMなどについて。
[編集] 演じた俳優
- 遠藤雄弥 - 「ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜」(2006年フジテレビ)
[編集] 著書
- 『我が名は、ジュリー』(中公文庫・沢田研二著、玉村豊男 編集) - 1985年6月に大型本、1986年12月に文庫本発売。
[編集] 脚注
- ^ TBS「テレビ探偵団」1989年ゲスト出演時より。
- ^ 沢田研二さん「9条」熱唱 横浜 女性のつどいに2500人 澤地久枝さん参加2010年11月11日「しんぶん赤旗」
- ^ 核兵器禁止の交渉を 新「国際署名」を開始 国連事務総長も賛同2011年2月16日「しんぶん赤旗」
- ^ ジュリー&ワイルドワンズが合体 毎日新聞 2009年12月10日閲覧
- ^ ジュリー、ワイルドワンズと合体! 新曲発売 サンケイスポーツ 2010年1月25日閲覧
- ^ prints21 1998年冬「JULIE!JULIE!JULIE!」ほか
- ^ prints21 1998年冬「JULIE!JULIE!JULIE!」ほか
- ^ 日経エンタテインメント!2000年12月号「J-POP巨人列伝-20世紀を駆け抜けた10人」
- ^ BRUTUS 1996年2月1日号
[編集] 関連項目
[編集] 人物
- ザ・タイガース - 沢田研二のバンド
- PYG - 沢田研二のバンド
- 井上堯之バンド - 沢田研二のバックバンド
- エキゾティクス - 沢田研二のバックバンド
- 安井かずみ- 沢田研二の作詞提供者
- 加瀬邦彦 - 沢田研二のプロデューサー、楽曲提供者
- 渡辺晋 - 渡辺プロの創業者、沢田研二の恩師
- ザ・ピーナッツ
- 伊藤エミ - 沢田研二の先妻
- 田中裕子 - 沢田研二の妻
- 内田裕也
- 樹木希林 - ドラマ『寺内貫太郎一家』、沢田研二の大ファン
- 志村けん - 1979年まで沢田研二と同じ事務所。沢田研二の尊敬する人物の一人。
- 早川タケジ - 沢田研二の衣装デザイナー
[編集] 外部リンク
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