アグネス・チャン
| アグネス・チャン | ||||
|---|---|---|---|---|
| 繁体字 | 陳 美齡 | |||
| 簡体字 | 陈 美龄 | |||
| 拼音 | Chén Měilíng | |||
| 注音符号 | ㄔㄣˊ ㄇㄟˇㄌㄧㄥˊ | |||
| 粤拼 | Chan4 Mei5 ling4 | |||
| 出生 | 1955年8月20日(56歳) |
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| 英語名 | Agnes Chan | |||
| 職業 | 歌手、タレント、エッセイスト、教育学者 | |||
| 活動期間 | 1971年 - | |||
| 配偶者 | 金子 力 | |||
| 子供 | 3男 | |||
| 公式サイト | http://www.agneschan.gr.jp/ | |||
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アグネス・チャン(本名:陳美齡、英語:Agnes Miling Kaneko Chan、広東語:チャン・メイリン、北京語:チェン・メイリン、日本名:金子 陳 美齢(かねこ チャンメイリン)、1955年8月20日 - )は、香港の歌手、エッセイスト。カトリック教徒で、「アグネス」は洗礼名である[1]。トロント大学卒業。1992年6月スタンフォード大学大学院教育学博士課程を卒業。1994年には博士号が授与された[2]。初代日本ユニセフ協会大使である[3]。血液型AB型。
目次 |
[編集] 概要
1972年、代表曲の一つである「ひなげしの花」で、日本での歌手デビューを果たす。高く澄んだ歌声と愛くるしいルックス、たどたどしいが一生懸命日本語で歌う姿勢が受けて、一躍人気アイドルとなった。日本ではその後も「草原の輝き」、「小さな恋の物語」、香港における「The Circle Game」などヒット曲は多く、台湾やアメリカ合衆国などでも音楽活動を行っている。歌手としての活躍のほか、1998年には初代日本ユニセフ協会大使に就任するなど、ボランティアやチャリティーなどを通じた社会奉仕や貧困や平和についての発言でも知られている。近年ではピンクリボン運動への参加や、大学の客員教授やニュージーランドの高校の学園長などとしての教育活動も行っている。
[編集] 略歴
- 1971年に『Second Folk Album』と題するオムニバスアルバムでジョニ・ミッチェルの「The Circle Game」を姉のアイリーン・チャンとカバー。シングル化されてヒットした。
- 1972年には姉と張徹監督の映画『年輕人』『反叛』に出演、映画が配給されたマレーシア、タイなどの東南アジアでも人気がでるようになった。
- 香港のテレビ番組『Agnes Chan Show』のゲストとして知り合った平尾昌晃によって日本に紹介され、1972年11月25日にワーナーパイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)より「ひなげしの花」でデビュー。当初の衣裳はロングであったが、翌年ミニスカートに変えて人気が急上昇した。
- 1973年7月発売の「草原の輝き」が大ヒット、同年12月に第15回日本レコード大賞新人賞を受賞。
- 1973年10月発売の「小さな恋の物語」が自身最大のヒット曲となり、オリコンチャート1位を獲得。だが、デビュー曲「ひなげしの花」及び前作の「草原の輝き」の印象が強烈である所為か、この曲は世間一般での印象が薄く、テレビの懐メロ番組でも歌われることは少ない。
- 1974年、「草原の輝き」が春の選抜高等学校野球大会の入場行進曲に選ばれる。また、ブロマイドの売上成績第1位を獲得。この頃のコンサートではバックバンドに鈴木慶一とムーンライダーズ、司会は植田芳暁を起用していた。1976年には「恋のシーソーゲーム」でホットケーキがバックをつとめ、さよならコンサートなどのコンサートに参加した。
- 1974年、上智大学国際学部に入学。父の勧めもあって、1976年に芸能活動を休んでカナダのトロント大学へ留学(編入学)。社会児童心理学を専攻。
- 1978年、トロント大学を卒業。同年8月に日本に戻り、吉田拓郎作曲の歌「アゲイン」で芸能活動を再開する。復帰コンサートツアーのひとつとして、中国人歌手としては初となる日本武道館でのコンサートも行った。レコード会社は次の「やさしさ知らず」からSMSに移籍。
- 1979年に香港で、初の広東語アルバム『雨中康乃馨』を発売。日本ではゴダイゴとのコラボレーションアルバム『AGNES IN WONDERLAND 不思議の国のアグネス』と『ABC Agnes』を発売。
- 1984年国際青年年記念平和論文に応募し、特別賞を受賞。フジテレビ『なるほど!ザ・ワールド』の主題曲「愛のハーモニー」から徳間ジャパンにレコード会社を移籍。
- 1985年、芸能活動のみでなく、ボランティア活動を再開するようになった。4月、北京首都体育館で5万4千人を動員して宋慶齢基金会チャリティーコンサートを開催、中国で記念のベスト盤カセットテープが販売された。
- 同年、日本テレビの『24時間テレビ』のために、旱魃による食料不足状態にあったエチオピアを取材。単に悲惨な情況を伝えるだけでなく、「ロンドン橋落ちた」の替え歌をアムハラ語で歌って現地の子供と交流する様子も伝えられた。
- 1986年、元マネージャーの金子力(現所属事務所トマス・アンド・アグネス社長)と結婚し、カナダで長男を出産した。
- 1987年、テレビ局などへ生後まもない長男を連れて行ったことを林真理子が批判した。これを端初にアグネス論争が起こる。「アグネス」が新語・流行語大賞大衆賞を受賞するほどの社会的論争となり、男女雇用機会均等法成立の時期ともあいまって、日本の働く母親、女性の立場を再考させるきっかけとなった。
- 1988年、飛鳥涼(現ASKA)作詞・作曲の歌「LIFE」でポニーキャニオンに移籍。
- 1989年には米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学、現地で次男を出産。東京大学とスタンフォード大学の卒業生の10年後の姿を調査し、日米両国の男女間格差の実態をまとめ、1994年教育学博士号(Ph.D.)を取得した。この時の論文は『この道は丘へと続く』と題して2003年に日本でも翻訳出版されている。
- 1994年、目白大学の助教授に就任(2008年現在は客員教授)。国際コミュニケーション学を担当する。
- 1996年、香港にて三男を出産。その後もエッセイスト、共栄大学客員教授として日本全国で講演を続けた。
- 1998年、初代日本ユニセフ協会大使に就任(後述)。
- 2000年には日本クラウンに移籍し、ロングヘアをやめてイメージチェンジして、「この身がちぎれるほどに」を歌うなど、ムード歌謡の分野で歌手活動に力を入れるようになった。8月に台場小香港に香港雑貨店「CHAN'S」を出店、2003年にネット通販に移行したが、2010年に販売終了。
- 2002年には小説『パーフェクト・カップル』、『銃弾の指輪』を出版し、作家活動も開始した。翌年には月刊『すばる』に短編小説の連載もしている。
- 2005年にリリースした、初のセルフカバー曲『草原の輝き2005』はアサヒ飲料十六茶のコマーシャルに使われた。9月に発売された『しあわせの花』は、手話を取り入れた振り付けで歌った。10月には広島大学の主宰する「ペスタロッチー教育賞」の14回目を受賞。
- 2006年2月、ジャッキー・チェンとのデュエット曲を含む英語盤CD『 Forget Yourself』をアメリカで発売した。12月には日本デビュー35周年を記念するコンサートの第一弾が行われた。年末に香港で唾液腺腫瘍の摘出手術を受けるも、その後早くも年明けから芸能活動を行う。
- 2007年
- 2008年
- 9月、(財)日本対がん協会「ほほえみ大使」に就任。自分の乳がん体験から、日本全国で催されている「リレーフォーライフ」、「ピンクリボン運動」にも参加。
- 12月、これまで続けて来た「歌で平和を」活動で、第50回日本レコード大賞特別賞を受賞。
- 2009年 9月、ブログ「アグネスちゃんこ鍋」を開設。
- 2010年
- 2月、日本ユニセフ協会大使としてソマリアの現状を視察するため、ソマリア北部で事実上ソマリアから独立状態にあるソマリランドの首都ハルゲイサを訪問。危険に遭遇した場合に備え、これまでで三度目となる遺書を記した[4]。ソマリランドはソマリア内戦が続く中にあって比較的安定している地域とも言われているが[5]、外務省ではソマリア全土に最高の危険度を指定している[6]。
- 3月、日本武道館において民主音楽協会主催によるコンサートを32年ぶりに行い、ヒット曲のメドレーなど懐かしい曲を披露し、2月に視察を行ったソマリアの子どもたちへの思いを込めて作詞作曲した「小さな祈り」[7]も披露した。
- 4月、AICニュージーランド校(AICJ中学校・高等学校姉妹校)の学園長に就任。
- 10月、初のプロデュース活動として、中国出身のローラ・チャンを「ひなげしの花」でデビューさせる旨を発表。
- 10月27日「ユニセフ新戦略=僻地の子を最優先に」(読売ホール)にてソマリアの視察報告を行い、今後の人道支援のあり方をテーマにシンポジウムを行う。
- 11月、デビュー曲のアンサーソング「あの丘で」をリリース。作詞はカシアス島田(島田紳助)。
- 2011年
[編集] 活動
[編集] 日本ユニセフ協会大使
「日本ユニセフ協会」も参照
1998年、アグネスは日本ユニセフ協会大使に就任した(日本ユニセフは特例財団法人(民間団体)であり、黒柳徹子が親善大使を勤める 国際連合児童基金(ユニセフ)の承認を受けて活動している別団体である)。就任後、これまでにタイ、スーダン、東ティモール、フィリピン、イラク、モルドバ、レソト、インド、中華人民共和国、ブルキナファソを公式訪問し、現地で目にした子どもたちの窮状を伝えるほか、『わたしが愛する日本』などの著作で、日本の平和を目指す提言を行っている。
アグネス本人は「私が九八年にユニセフの大使になった」[10]、「私が大使に誘われたとき、ユニセフから『私たちは一番弱い子供の声になりたいの。だから、一緒にやってくれませんか』と言われた」[11]と語っている。
[編集] 児童ポルノ批判
「児童ポルノ#推進派の動向」も参照
アグネスは、自らがアイドル時代に不本意な水着撮影をさせられたり、下着の見える写真を雑誌に掲載された体験もあり、児童ポルノに関して厳しい立場をとっている。2008年3月11日には森山眞弓元法務大臣と共に、「児童ポルノの単純所持禁止、ゲームや漫画等で児童を性的に描いたものも『準児童ポルノ』として禁止するべきだ」という声明を発表。政府、国会に意見を求めている。NHKの番組『視点・論点』に出演した際にも、「私は子供たちの人権を守りたい」「表現の自由を守りたい」と語り、日本も既に法制化を実現している先進諸国と足並みを揃えるべきではないかと提言している。
[編集] 批判
詳細は「トマス・アンド・アグネス#論争」を参照
2010年8月、大槻義彦が公式ブログ上にてアグネス・チャンの経営する販売会社チャンズ(CHAN'S)が霊芝エキスやパワーストーンを販売している事を霊感商法だと批判した[12][13]。批判を受けて販売を中止した。
[編集] エピソード
- 中学生の時に始めたボランティア活動で、ギターを手に校内で募金を集めた。これが噂になり、香港のフォーク歌手のオムニバスアルバムへのレコーディングの話が出たという。
- 日本語ができなかったデビュー当時、事務所が用意する食事は彼女が「中国系だから」と毎回のように中華丼だった。今では一番嫌いで見たくもない食べ物だという。
- 逆に当時好きな食べ物は焼き鳥だった。又日本に来日直後、公園など野生に放されている鳩を見ては、「凄くうまそうでつい無性に食べたくて仕方なかった」「こんなおいしそうなハトが沢山放し飼いにされるなんて、日本は相当お金持ちの国なのかしら?」と思っていたらしい。
- そんな中、アメリカンスクールに通い英語が堪能だった先輩の南沙織とは仲が良く、彼女の引退直前にはインタビューもされている。
- 彼女の父の口癖は「上海出身の人間は信用するな」だった。その言葉の真意は解らないが「父は過去に上海出身者との間で何かあったのかもしれないですね」と『徹子の部屋』に出演した時に父の思い出を明かしている。
- 1976年に芸能活動を休止し、トロント大学に留学したのは父の勧めであったという。しかし彼女の父は翌1977年に他界し、大学を卒業する姿を見せることはできなかった。
- 助教授をつとめた目白大学の教え子に猫ひろしがいる。
- 2007年10月の北京でのチャリティコンサートは、9月開催の予定が中国共産党の指示を受けて延期しており、その時に空いたスケジュールで受けた検査で乳ガンが発見された。10月に摘出手術を受けて無事成功し、わずか1週間で芸能活動を再開している。
- 2007年に発表した平和をテーマにした曲の第一弾は、自らピアノを弾きながら詞にメロディーをつけた「そこには幸せがもう生まれているから」[14]。続く「ピースフルワールド」、「朗らかに」をリリース。いずれもアグネスが作詞しており、「みんな地球に生きるひと」など、平和をテーマにしたこの三曲のカップリング曲はすべて彼女の詞である。
- 1985年には広尾に自宅を購入。リビング・ルームは事務所の会議室も兼ねるため、人が集まる「運命の場所」だという考えから、風水を取り入れて広めに設計した。白いマーブルを基調とし、シャンデリアや暖炉などにこだわったほか、カーテンや椅子などの家具はほぼイタリア製でそろえたという[15]。香港で買うと日本よりかなり安いという。
- 家庭では子供たちが納得するまで最長8時間説教したことが学びの場.comで公表されている[16]。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
-
- (1971 CIRCLE GAME(香港デビュー盤))
- ひなげしの花 (日本デビュー盤) (1972.11.25)
- (c/w) 初恋
- 妖精の詩 (1973.04.10)
- (c/w) いじわる雨の日曜日
- 草原の輝き (1973.07.25)
- (c/w) 山鳩
- 小さな恋の物語 (1973.10.25) (週間売り上げ1位を獲得)
- (c/w) ふたりの牧場
- 星に願いを (1974.02.25)
- (c/w) わたしの日曜日
- ポケットいっぱいの秘密 (1974.06.10)
- (c/w) しあわせの白い砂
- 美しい朝がきます (1974.09.10)
- (c/w) わたしのペンフレンド
- 愛の迷い子 (1974.12.21)
- (c/w) まごころ
- (1974 燕飛翔(台湾盤))
- 恋人たちの午後 (1975.03.25)
- (c/w) ほほえみ
- はだしの冒険 (1975.06.10)
- (c/w) 心のとびら
- 白いくつ下は似合わない (1975.08.25)
- (c/w) 愛を告げて
- 冬の日の帰り道 (1975.12.10)
- 恋のシーソー・ゲーム (1976.04.10)
- (c/w) 小さなアンブレラ
- 夢をください (1976.08.10)
- (c/w) 愛はメッセージ
- 心に翼をください (1977.04.25)
- (c/w) いつまでも変わらずに
- 少し待ってて (1977.08.25)
- (c/w) 頬に青い風
- 花のささやき (1977.11.25) (原曲「In un fiore」イタリアの「Wilma Goich」のカヴァー)
- (c/w) 雨の月曜日
- アゲイン (1978.08.25)(同年10月にA・B面入れ替え盤リリース)
- (c/w) グット・ナイト・ミス・ロンリー
- やさしさ知らず (1978.11.25)
- (c/w) 3つの銅貨
- 鏡の中の私 (Through the Looking Glass) (1979.03.30)
- (c/w) アイム・ロスト
- 100万人のジャバーウォーキー (Jabberwocky) (1979.07.25)
- (c/w) 風まかせ・愛まかせ
- 春不遠(はるとおからじ) (1979.11.25)
- (c/w) 言葉が消えた
- ぼくの海 (1980.04.25)
- (c/w) CHILDREN OF THE SEA
- シャイン・オン・ミー (SHINE ON ME) (1980.10.21)
- (c/w) サムワン・トゥ・ラブ
- 原野牧歌 (1981.03.30)
- (c/w) 原野牧歌(中国語)
- 愛の呪文 (1981.08.21)
- (c/w) 絹の娘
- 24時間のララバイ (1982.06.21)
- (c/w) I Believe In Love
- 小さな質問 (1983.03.30)
- (c/w) 時の河
- Lady of The Wind (1983.12.16)
- (c/w) 人はなぜ
- 愛のハーモニー (1984.11.25)
- (c/w) スノー・フレイク
- 帰って来たつばめ (1985.06.25)
- (c/w) 手のひらの愛
- 愛がみつかりそう (1985.10.25)
- (c/w) Somebody’s Crying
- Thanks マイ・フレンド (1986.05.25)
- (c/w) Thanks My Friend
- LIFE (1988.08.31 )
- (c/w) 可愛いキミ
- (1989 漓江曲(香港盤))
- 好きになってもいいですか (1992.09.18)
- (c/w) I’d Give My Life For You/命をあげよう
- 鳥の幸せ (1994.07.01) (第48回愛鳥週間「全国野鳥保護のつどい」テーマソング)
- この身がちぎれるほどに ~Lovin'you is killin'me (2000.06.21)
- (c/w) 悲しみの誕生
- 忘れないで -time to say goodbye- (2001.04.25)
- (c/w) beleive~永遠の輪廻~/忘也忘不了 「忘れないで」チャイニーズヴァージョン
- 私小説 -my love story- (2001.09.21)
- (c/w) 想い出が多すぎて-Lost Memory-
- 香港国際空港(CHEK LAP KOK空港) (2002.07.21)
- (c/w) 夕焼け
- 愛のゆくえに ~fallin’love~ (2003.04.23)
- (c/w) 触れずの恋
- 心の旅人 (2003.10.22)
- (c/w) 能登の夕陽に染められて
- 2番目のしあわせ (2004.03.29)
- (c/w) 愛は奇跡のように
- 草原の輝き2005 (2005.04.01 )
- (c/w) ポケットいっぱいの秘密2005
- しあわせの花 (2005.09.21)
- (c/w) 息
- そこには幸せがもう生まれているから (2007.03.07)
- (c/w) みんな地球に生きる人
- ピースフル ワールド -Peaceful World- (2007.08.03)
- (c/w) 七つの海に橋をかけよう
- 朗らかに ~シングルバージョン~ (2008.03.05)
- (c/w) マザーの愛しかた
- この良き日に (2008.09.03)
- (c/w) 一人にはしないから
- あなたの忘れ物 (2009.09.02)
- (c/w) あなたの言葉
- あの丘で (2010.11.03)
- (c/w) 僕らには翼がある~大空へ~
[編集] アルバム
- 1971年、Will the circle game be unbroken
- 1972年、ORIGINAL (1) 、ひなげしの花、With Love from Agnes、All I Want For Christmas Is My Two Front Teeth
- 1973年、花のように、星のように、草原の輝き、FLOWER CONCERT
- 1974年、アグネスの小さな日記、あなたとわたしのコンサート、燕飛翔
- 1975年、あなたにありがとう、小さな恋のおはなし、ファミリー・コンサート、はじめまして青春、Loving Songs、我在戀愛
- 1976年、Mei Mei いつでも夢を、また逢う日まで、愛人那裡去尋找、AGNES CHAN、愛のメモリアル
- 1977年、How are you? お元気ですか、私の恋人、カナダより愛をこめて
- 1978年、Happy Again、ヨーイドン
- 1979年、AGNES IN WONDERLAND 不思議の国のアグネス、ABC AGNES、雨中康乃馨、美しい日々
- 1980年、MESSAGE、晨星・情劫・流浪客・問我是誰、歸來的燕子(『台灣旅日紅星2枚組の内1枚として2002年にCD化)
- 1981年、Love Me Little Love Me Long、愛的咒語、痴戀・忘憂草
- 1982年、漓江曲、HALF TIME・Cristmas Song Medley
- 1983年、小さな質問、Girl Friends、願你繼續醉
- 1985年、愛的Harmony、愛が見つかりそう CITY ROMANCE
- 1990年、ディア・アグネス・カーペンターズ・コレクション
- 1992年、世界の童謡子守唄全集I〜V
- 1997年、陳美齡精選
- 1999年、世界の子守唄童謡名曲集
- 2000年、アグネスのたのしいどうよう、アグネスのえいごのうた、Melancholy、LOVE PEACE&FREEDOM
- 2001年、私小説-My Love Story-
- 2002年、アグネス・チャンCD BOX
- 2005年、Lost & Found-私のもとへ-
- 2006年、Forget Yourself(アメリカ限定発売。DVD付き)
- 2007年、世界へとどけ平和への歌声ーピースフルワールドー
[編集] 映像作品
- 1975年、東宝映画 アグネスからの贈りもの
- 1997年、歌の妖精 Vol.5(アグネス・チャン、テレサ・テン、欧陽菲菲)
- 2001年、アグネス・チャンコンサート2000 リ・インカーネーション〜再会〜
- 2007年、アグネス・チャン35周年記念コンサート〜世界へとどけ平和への歌声!〜TALK & LIVE
他に、本人出演のカラオケDVD、カラオケLD、カラオケVCDがいくつかある。
[編集] みんなのうた
- 1980年 ぼくの海
- 1983年 ロバちょっとすねた
- 1987年 神父さんのパイプオルガン
[編集] 主要著作
- 1983年、アグネス・マイ・中華
- 1984年、歌で平和を
- 1984年、みんな地球に生きるひと
- 1989年、アジアのことが気にならないあなたに(共著)
- 1993年、新しい女
- 1996年、みんな地球に生きるひとPart2
- 1997年、アグネスの香港指南、アグネスの英語で世界を考える
- 1999年、THE ROAD WINDS UPHILL ALL THE WAY(共著)、みんな未来に生きるひと
- 2001年、アグネスのポジティブ育児
- 2002年、パーフェクト・カップル、銃弾の指輪
- 2003年、この道は丘へと続く(共著)
- 2004年、アグネスの世界に乾杯!、わたしが愛する日本、小さな命からの伝言
- 2005年、The Right Track 未来を生きる人々へ、「結婚生活」って何?(喜多嶋洋子との共著)
- 2006年、アグネス流エイジング 薬膳デトックス、花とカラーの誕生日メッセージ(共著)
- 2007年、みんな地球に生きるひとPart3、しあわせを見つけるマザー・テレサ26の愛の言葉
- 2008年、そこには幸せがもう生まれているから、東京タワーがピンクに染まった日
[編集] 出演
[編集] 現在のレギュラー番組
[編集] テレビ番組
[編集] 準レギュラー
- 視点・論点(NHK)
- 知りたがり!(フジテレビ)
- クイズ!ヘキサゴンII(フジテレビ)
- テレビ寺子屋(テレビ静岡)
- 行列のできる法律相談所(日本テレビ)
- ありがとッ!(tvk)(月曜日で、月1回の出演)
[編集] ラジオ番組
- アグネスのサニーサイドUP!(岐阜放送ラジオほか、日曜09:00 - 09:15ほか)
[編集] 過去のレギュラー番組
[編集] テレビ
- ハーイ!アグネス(毎日放送)
- アグネス・チャンのHI!赤チャンネル(フジテレビ)
- ハローワールド(NHK)
- アグネスの音楽に乾杯!(東海テレビ)
- 動物スクランブル(日本テレビ)司会
- 北島ウインクハート(テレビ東京、金曜12:00 - 12:30)(2004年4月 - 2007年9月)
- アグネスのミュージックサロン(チバテレビ、土曜10:30 - 11:00)( - 2006年1月)
- 24時間テレビ 「愛は地球を救う」(日本テレビ) 1985年-1990年、総合司会
- NEWスタージャック!(テレビ東京)司会
- 地球大好き!大冒険!(テレビ朝日)司会
[編集] 準レギュラー
- たけし・逸見の平成教育委員会(フジテレビ)- 生徒役
- なるほど!ザ・ワールド(フジテレビ)- エンディング曲に「愛のハーモニー」が使用される。
[編集] ラジオ
[編集] インターネット番組
[編集] ドラマ
- 1975年 NET 『おじさま!愛です』 アグネス・チャン役。テーマ曲は「美しい朝がきます」
- 1975年 TBS『白い地平線』 アグネス・チャン役
- 1975年 NET『二人の事件簿』 (単発ゲスト出演)
- 1976年 ABC『新・二人の事件簿 暁に駆ける!』 メイリン役
- 1982年 関西テレビ『花王名人劇場 ザ・ぼんちの母をたずねて三千里-香港編-』(単発ドラマ)
- 1982年 TBS、イタリアRAI他 『マルコ・ポーロ シルクロードの冒険』(3回連続。中国では劇場映画化) 華南の娘芝蘭役
- 1983年 ABC『年忘れ必殺スペシャル 仕事人アヘン戦争へ行く 翔べ!熱気球よ香港へ』 清国貿易商の娘お春役
- 1984年 NHK『山河燃ゆ』 喫茶店員張美齢役
- 1989年 日本テレビ『空飛ぶ母子企業』(単発ドラマ)
- 2007年 日本テレビ『火曜ドラマゴールド』「現代に甦った闇の死置人 あなたの怨み晴らします」 必殺技が丘の上頭突き100連発の死置人アグネス・チャン役
[編集] CM
[編集] テレビCM
- ダイヤモンド毛糸(東洋紡)
- キャンロップ(サクマ製菓)
- ペプシコーラ、ミリンダ(ペプシコ)
- フルーツソーダ(サントリー)
- ボブ(カネボウフーズ)
- ぐんぐんデスク(チトセ)
- ドレミアグネス(ブリヂストンサイクル)
- パルキー(伊藤ハム)
- 中華スープ(味の素)
- ウルトラムーニー、エアーウイック(ユニ・チャーム)
- ドレッサー、メルヘン(花王)
- ピコレット、ピンキー(ライオン)
- 三菱電機
- ECCジュニア(ECC総合教育機関)
- 天神(タオ)
[編集] CMソングのみ
- チェルシー(明治製菓)
- ポテトチップス(湖池屋)
- たいこバン(キングジム)
- サントリービール(サントリー)「愛のハーモニー」とカップリングの「スノー・フレイク」(前使用曲が松田聖子の「Sweet Memories」)が使用される。
- 冷しゃぶドレッシング(ハウス食品)
- 十六茶(アサヒ飲料)
[編集] 脚注
- ^ アグネス・チャンさん、マザー・テレサの本を出版 2007年09月24日13時40分 asahi.com
- ^ アグネス・チャン プロフィール
- ^ 日本ユニセフ協会
- ^ “アグネス残す3度目の遺書…ユニセフ大使ソマリア出発”. スポーツ報知. (2010年2月16日)
- ^ “ソマリランドで大統領選”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2010年6月26日) 2010年11月9日閲覧。
- ^ “海外安全ホームページ”. 外務省. 2010年11月8日閲覧。
- ^ “日本ユニセフ協会からのお知らせ”
- ^ アグネス・チャンが1000万円寄付 2011年3月19日『日刊スポーツ』
- ^ 中村雅俊感動鞠躬謝港人 2011年4月3日『星島日報』
- ^ 柴口育子構成「阿川佐和子のこの人に会いたい――10月1日に乳がんの手術をして、10日のコンサートから復帰しました」『週刊文春』49巻43号、文藝春秋、2007年11月8日、135頁。
- ^ 柴口育子構成「阿川佐和子のこの人に会いたい――10月1日に乳がんの手術をして、10日のコンサートから復帰しました」『週刊文春』49巻43号、文藝春秋、2007年11月8日、136頁。
- ^ 大槻義彦 (2010年8月25日). “「アグネス チャンの正体」”. 2010年11月3日閲覧。
- ^ 大槻義彦 (2010年8月27日). “「アグネス チャンの霊感商法」”. 2010年11月3日閲覧。
- ^ Forum21 2008-1-1 信濃町探偵団―創価学会最新動向
- ^ 「私のリビング」 文藝春秋2009年6月11号
- ^ 「アグネス・チャン 教育学博士、そして母として語る〜子どもは自信を持てば、どんどん伸びていきます。」 内田洋行 教育総合研究所、2009年3月4日。
- ^ アグネス大学公式サイト
[編集] 関連項目
[編集] 関連文献
- アグネス・チャン、チャック・ウイルソン、ピーター・バラカン「日本の若い奴らに礼儀教えます」『文藝春秋』62巻10号、1984年9月、460-467頁。
- アグネス・チャン、梁泰昊「国籍は、どうってことないの」『世界』480号、1985年10月、209-222頁。
- 大和田滝恵「これが『新大学改革か』――アグネス・チャンを客員講師にした信州大経済学部教官公募の内幕」『朝日ジャーナル』28巻9号、1986年3月7日、11-15頁。
- アグネス・チャン「アグネス・バッシングなんかに負けない」『中央公論』102巻12号、1987年10月、244-251頁。
- 竹内好美「林真理子のアグネス・チャン批判――『会社に託児所』を要求しない働く女性の論理」『朝日ジャーナル』30巻21号、1988年5月27日、84-86頁。
- アグネス・チャン「『家』の履歴書――結婚式や新居もすべて風水の指示で」『週刊文春』42巻18号、2000年5月18日、74-77頁。
- 「安倍首相がアグネス・チャンの結婚式で『介添え役』」『週刊文春』48巻45号、2006年11月23日、30-31頁。
- 「『アグネス・チャン』新曲の作詞家は『池田大作』センセイ」『週刊新潮』52巻12号、2007年3月29日、50頁。
- 「『池田大作』作詞CDで『顔面マヒが治った』アグネス・チャン」『週刊新潮』53巻10号、2008年3月13日、138-139頁。
- 「実況中継『創価友誼之証』を贈られたアグネス・チャン」『週刊文春』51巻40号、2009年10月22日、137-138頁。
- 「『アグネス・チャン』が遺書を残して『ソマリランド』快適旅行」『週刊新潮』55巻12号、2010年3月25日、44-45頁。
[編集] 外部リンク
- アグネス・チャン 公式ブログ アグネスちゃんこ鍋
- Agnes Chan's Official Homepage
- 日本クラウンによる公式ページ
- 日本ユニセフ協会・パートナー > 世界の大使 > 日本ユニセフ協会大使 > アグネス大使 - 日本ユニセフ協会によるページ。
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