手話

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日本手話の「山」
指文字の「か」米指文字の「K」
日本手話の「男」
日本手話の「女」

手話(しゅわ)とは、手指動作と非手指動作(NMS, non-manual signals)を同時に使う視覚言語で、音声言語と並ぶ言語である。手話は聴覚障害者(ろう者)が中心となって使用している。

概要[編集]

手話はを使う手指動作だけでなく、非手指動作と呼ばれる、顔の部位(視線、眉、頬、口、舌、首の傾き・振り、あごの引き・出しなど)が感情表現の他に文法要素となる場合もある。この非手指動作によって、使役命令疑問文条件節理由節などの文法的意味を持たせることができる。ただし、日本手話の受け身形については空間定位による。格関係、主述関係は動詞に内蔵される項(arguments)が示すと考えられている。

手話は「あいうえお…」の五十音、またはアルファベットをあらわす指文字と、「山」「犬」「走る」「美しい」などの名詞動詞形容詞などの語が基本である。聴者が普段する身振り(例えば日本では「男」を親指で、「女」を小指で示すなど)と共通した表現も多く見られる。

日本の手話[編集]

日本では、ろう者同士、またはろう者聴者の間で生まれ、広がった日本手話(Japanese Sign Language, JSL)のほか、日本語と手話の語をほぼ一対一に対応させた日本語対応手話(Signed Japanese)、その両者の中間的な表現(中間手話Pidgin Signed Japanese)等が使われているとされるが、実際には日本語対応手話と中間手話の区別は曖昧である。日本手話の文法においては、非手指動作(表情や頭部の動き、口型など)が文法的な意味を持つとされるが、すべての文法が非手指動作で表現されるわけではなく、未だ研究途上にある。日本語対応手話は、語順が日本語のため、日本手話のような非手指動作はほとんど使われないとする意見もあるが、名詞の多くが手指表現+口型で意味が確定されることも多く、日本語の活用語尾の多くが口型で示されることが多い。言語学的な観点でみると両者は異なるが、実際の運用面では両者がある程度混在している[1]

地域によって一部の手話単語が異なる。有名な例(手話単語の方言)では、「名前」の手話単語が東日本と西日本で異なることが挙げられる。日本手話では地域方言の他に個人方言も多く観察される。

急進的なろう者とそれに同調する聴者(D-PROや全国ろう児を持つ親の会金澤貴之など)は、日本語対応手話は独自の文法を持っていないので手話とはいえず、これに対し手話という文字列を使うべきではないと主張し、1990年代から2000年代前半にかけては「手指日本語」、「シムコム」という語を用いていた[2]。だが、このような主張については排他的であるとの批判的な意見が多数であったことから[3]、最近では「手指日本語」、「シムコム」という用語の使用は少なく、「(日本語)対応手話」との呼び方がほぼ定着しているが、近年「ハイブリッド手話」という名称の提案もある。

手話と法律[編集]

[4]日本では1933年以降、2011年まで、手話は法律上は言語として認められておらず、公立のろう学校でも、積極的に教授されているところが多くなかった。多くのろう学校ではむしろ、「口話法」(相手の口を見て話を理解する技術)が主流となっているが、口話法は習得が難しいと指摘する専門家が少なくない。これまで、多くのろうあ者は、先輩等の手話を見て憶えるのが主流であった。そこで、手話言語法という、手話を言語として認める法律を制定しようという動きが出た。国連障害者権利条約には、手話が言語である旨明記されている。2011年7月29日、「言語」と規定された改正障害者基本法案が参議院本会議で全会一致で可決、成立し、8月5日に公布された。この改正により、日本で初めて手話の言語性を認める法律ができた。[5] 鳥取県では、手話が言語であることを明確に記した手話言語条例を2013年制定した。

世界の手話[編集]

手話は世界共通ではなく、アメリカの ASL・イギリスのBSL・フランスのLSF等のように原則的に各国で異なるが、分布は必ずしも国とは一致していない。

その地域で使われる音声言語と手話との間には関係がない。例えば、アメリカとイギリスは音声言語の英語を共有するが、手話のASLとBSLは全く異なる。ところがフランスでは英語を用いないのにもかかわらずLSFはASLに比較的近いと言われる。カナダのフランス語圏ではLSFでなくLSQを使う。アイルランド手話もASL系であるし、アフリカの手話の多くもASL系である。

こうした状況の背景には、手話の先進地域で手話や手話による聾教育を学んだ人物が、別の地域で手話や手話による聾教育を広めるという現象がある。例えばASLがLSFに近いのは、そもそもアメリカで手話による聾教育を広めたトマス・ホプキンス・ギャローデットがフランスで手話や聾教育を学んだからである。同様にアフリカの手話にASL系が多いのは、アメリカで聾教育を学んだ人物がアフリカで活動した結果である。

世界聾連盟主催の国際会議、国際大会など、国際的な場では国際手話が使われる。実際の国際交流の場ではASLが一番広まっている。その理由は、アメリカの影響力や、世界中の留学生が学ぶギャローデット大学がアメリカに所在しているためである。

日本に日本手話・日本語対応手話・中間手話が存在するように、アメリカにも英語対応手話(Signed English)や中間手話(Conceptually Accurate Signed English/Pidgin Signed English)が存在しており、それぞれ無視できない数の使用者を持っている。

マサチューセッツ州にあるマーサズ・ヴィニヤード島にはヴィニヤード手話(ヴィニヤードサインランゲージ)と呼ばれる、独自の手話がある。この島は米本土に近いが、以前はなんらかの理由で本土との交流が少なく、半ば隔離され閉塞された環境だったため、近親婚が行われ、元来からの聴覚障害遺伝子が拡大し聾者が多く出生した。これに伴って独自の発展をとげたのがこの島独自の手話である。

この現象はいわば「自然のもたらした言語学的、社会学的実験」であった。ここでは家族、親族の中に必ずろう者がいるという特殊な社会的条件から、聴者も流暢に手話を使い、しばしば音声語と手話は併用されていた。彼らにとって手話は特別な物ではなかった。歴史的調査をする研究者が「当時その話をしてくれたのは聞こえる人でしたか?聞こえない人でしたか?」と質問しても、当人達は相手がろう者か聞こえる者だったかさえ思い出すことができないほどだった。彼らにとって「聞こえないこと」は偏見や差別の原因とはならなかった。ろう者はコミュニティーの一員として確固とした立場を保っており、市長や社長に就任する者もいた。この島では使用言語の優位性に基づく差別がなかった[要出典]。こうした独自の手話が自然発生した例には、ほかにもニカラグアの全寮制ろう学校で誕生したニカラグア手話、ろう者が非常に高い割合で生まれる村落で自然発生したアル=サイード・ベドウィン手話アダモロベ手話などがある。


手話の歴史[編集]

手話の誕生[編集]

1760年以前、「孤立」していた聴覚障害者は、ごく身近な人だけにしか通じない『ホームサイン』を使ってわずかな意思疎通をはかっていた。

1760年、ド・レペ神父が世界初の聾唖学校であるパリ聾唖学校を設立した。ここで世界で初めてのろう者の「集団」が形成されたとされるが、実際には世界の大都市では常に聾者集団は存在した。ド・レペ神父の貢献はこれらの聾者集団に読み書きを教えることで聴覚者との意思の疎通を可能にしたことである。彼らは、各々持っていたホームサインを統合し、発展させて、手話を創り上げた。パリ聾唖学校では、手話をもとにした教育法であるフランス法が確立された。

パリ聾唖学校の試みは、ヨーロッパ各地に波及していき、各国独自の手話が創り上げられた。 それぞれの国で初めての聾唖学校設立年を以下に示す。2つ目以降の聾唖学校設立年は省略する。

  • 1862年、江戸幕府に派遣された第一次遣欧使節一行はヨーロッパの聾学校や盲学校を視察していた。

日本で最初の聾学校は、古川太四郎が1878年に設立した京都盲唖院である。ここに31名の聾唖生徒が入学し、日本の手話が誕生した。

試練の時代[編集]

しだいに聾学校では、手話で教育する方式と、口話法という、聾児に発音を教え、相手の口の形を読み取らせる教育方式の2つの流派に分かれていった。両者は長い間論争し、対立していた。

1880年ミラノで開かれた国際聾唖教育会議で口話法の優位性が宣言され、手話法や手話は陰の立場に追いやられていった。口話法が採られた背景には、国家強化には言語の統一から、教育の場では音声言語獲得からという思想があった。この宣言は、やがて日本にも入ってきて、日本も口話法が主流になっていった。

この状態が長く続き、手話は教育の場で、そして社会で認められない、偏見を持たれる言語となった。しかし、手話は、聾学校内では教師の見ていないところで先輩から後輩へ伝承されていった。社会内ではろう者が集まる場でひそかに使われていた。

手話の再評価と現状[編集]

1960年ギャローデット大学言語学者ウィリアム・ストーキー(William Stokoe)は『手話の構造』を発表した。手話は劣った言語ではなく、音声言語と変わらない、独自の文法を持つ独立言語であるという内容だった。これをきっかけにして1970年代以降、手話を言語学としての研究対象とする学者が増えた。この時期に自然発生したニカラグア手話は「最も新しく発生した言語」と評価されている。現在では、言語学者の間で「手話が言語である」というのは常識になっている。

同時期に、当時の聴覚補償技術の限界もあり、口話法での教育の行き詰まりも各地で報告されるようになっていた。また、北欧で発生していったバイリンガルろう教育が刺激となり、手話法の見直しがなされた。現在の教育機関では程度はあれど、手話法を取り入れるところが増えている(日本聾話学校のように口話法のところもあるが、多くは口話法とも手話法とも決められない)。

アメリカで提唱されたろう文化(Deaf Culture)という考えがきっかけとなり、手話はろう者の言語であるということをろう者自身が認識していくようになった。一方で同じ聴覚障害者である難聴者や中途失聴者も次第に手話を使用するようになるが、ろう者の側からは「対応手話は手話ではない」といった偏見が生まれている。

日本においては1995年、日本テレビ系列で放映されたテレビドラマ『星の金貨』がきっかけとなって、手話の存在が広く知られるようになった。これ以降、「君の手がささやいている」「愛していると言ってくれ」「オレンジデイズ」など、手話話者が登場するドラマ(手話ドラマ)が増えていった。

東京ディズニーシーでは、ショーの中にパフォーマンスの形で手話を取り入れることがあり、ミッキーマウスディズニーの仲間たちが歌詞に合わせて手話を披露することもある。

歌手が自分の持ち歌の中で歌唱しながら手話を同時に行う例がある。有名なところでは前述の『星の金貨』の主題歌を歌うときの酒井法子THE虎舞竜の「ロード」の高橋ジョージ夏川りみが一部のテレビ番組で行うなどである。

2006年に採択された国連障害者権利条約に、2010年に手話が言語である旨明記された[6]ニュージーランドでは手話が公用語として認められているほか、フィンランドでは手話を使用する権利を憲法で保障するなど、手話を一つの言語として認める動きが世界的に広がりつつある[7]

2013年4月KDDIが提供する、アプリ取り放題サービスauスマートパスにおいて、初の手話サービスを提供開始。

ろう教育における手話の現状[編集]

教育の場においても、1990年代後半から、手話を積極的に利用する聾学校が増えており、広島ろう学校、大阪市立ろう学校、岡崎ろう学校、三重ろう学校、大塚ろう学校、坂戸ろう学校などは特に手話法の研究に力を入れているとされる。これら以外の聾学校においても、以前のように手話を禁止している所はほとんどないような状況となっている。

口話法(聴覚主導法と呼ばれる)の研究に力を入れている私立日本聾話学校においても、「教育において手話は使わないが、教育以外の場で児童・生徒が手話を使うかどうかは自由である」という立場を採っている。

日本手話だけが日本の手話であると考える立場からは、日本語対応手話や中間手話が主流である現在の手話法は、手話法ではないと攻撃されている。

手話法は口話の力を重視せず、書記言語力を重視する方法であるが、現在のところ、日本で口話法(特に人工内耳など最新の補聴技術を活用した場合)に比べて手話法の方が書記言語力が伸びているという証拠は得られていない。

日本の公立ろう学校では、手話活用に熱心な教師の転勤等を期に、口話法が再び見直される動きもあるとされる[要出典]。日本の公立ろう学校では、手話を積極的に活用する立場を取る場合も、聴覚活用を放棄するわけではない。

手話芸術[編集]

手話詩、手話歌手話ダンス手話ミュージカルなど、手話を用いた芸術も各種存在している。手話歌の起源はキリスト教や仏教の宗教行事の際、必要に迫られて考案された手話聖歌や手話讃美、手話讃仏歌などである。宗教手話歌は、キリスト教会で伝えられているが、仏教では残っていない。宗教歌以外の手話歌も徐々に考案されるようになり、現在では宗教手話歌とともに世俗の手話歌も広く実践されている。

手話ダンスは現代フラやアフリカ系アメリカ人のいわゆるストリートダンス、日本舞踊など様々な舞踊の影響を受けて成立した。中でも最も有名かつ大きな影響力を持っているのはアメリカのグループ「ワイルドザッパーズ」であるが、イギリスや日本などにも様々なグループが存在している。

20世紀末にはイリノイ州立ろう学校とマクマレイ・カレッジが「ウェストサイドストーリー」を、21世紀初頭にはアメリカ西海岸のデフ・ウェスト・シアターが「ビッグ・リバー」を製作、2005年には大橋ひろえが「Call Me Hero!」を製作するなど、手話ミュージカルの実践例も増えている。

手話歌の実践にはろう者が中心になったものと、聴者が中心になったものがある。聴者が中心になった手話歌や手話コーラスの中には、ろう者から批判されるものも少なくない。近年の動向として、手話ライブの人気が高まっている。ろう者には音楽を伝えない手話歌に対するアンチテーゼとして注目されており、ろう者に人気が高い。

アイスダンスのフランス代表であるイザベル・デロベルオリビエ・ショーンフェルダーのチームは、2007-2008シーズンに手話を取り入れた実験的なプログラムをフリープログラムとして披露し、2008年3月の世界選手権で見事に優勝、世界王者となった。

その他の手話[編集]

  • 潜水士が水中で信号を送るための「水中手話」もある(アクアラングを噛んでいる状態では喋ることができないため)。
  • インディアンは、他の部族あるいは白人とコミュニケーションする時に手話を使っていた。これは手話というよりも手話単語だけであり、いわば「対応手話」に近いタイプと考えられる。(シャイアンを参照)
  • 中世の修道院では、「沈黙の戒律」というのがあった。その間、修道士は手話や指文字で会話をしていた。雑談に夢中になりすぎたため、手話も禁止になってしまう場合があった。
  • 赤ちゃんと親がコミュニケーションするための、ベビーサインと呼ばれる手話も存在している。ただ、言語学的にはベビーサインは手話とは異なるという報告もある。日本ではアメリカのベビーサインがそのまま紹介されており、日本の手話とは異なるため、どのような効果や影響があるのかは不明である。
  • かごしま水族館では「いるかの時間」に解説員が手話で説明する他、スクリーンの説明にもろう者の手話がついている。

音楽作品に用いられた例[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ Karen Nakamura, Deaf In Japan:Signing and the politics of identity, Cornell University Press, 2006,pp15-16
  2. ^ 木村晴美・市田泰弘「ろう文化宣言」現代思想編集部編『ろう文化』1996年所収、金澤貴之編『聾教育の脱構築』明石書店等が代表例
  3. ^ Karen Nakamura, op.cit., pp13-14.
  4. ^ 2011年2月10日の朝日新聞朝刊38面
  5. ^ 手話の言語性 法規定なる! 障害者基本法改正案7月29日に成立、8月5日公布(2011.8 全日本ろうあ連盟)
  6. ^ 2011年2月10日の朝日新聞朝刊38面
  7. ^ 2011年2月10日の朝日新聞朝刊38面

外部リンク[編集]