ろう文化

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ろう文化: Deaf culture)は、ろう者の文化である。手話を基礎とし、聴覚でなく視覚触覚を重視する生活文化を指す。ろう者の文化的集団をろう者社会: deaf community)という。考え方自体が欧米からの輸入であるのでデフ・コミュニティがそのまま使われることが多い。ろう者社会の文化的権利を強調するときは欧米におけるマイノリティ(少数派=社会的弱者)としての側面が強調される。ろう文化が政治的な意味での文化権として認識されるようになったのは、1988年にアメリカのろう者の為の大学、ギャローデット大学で起こった抗議運動、デフ・プレジデント・ナウ(ろうの学長を今)がきっかけであるとされている。障害者の権利が公民権運動の一環と認識されるきっかけともなり、後にこの考えは日本にも導入された。

国際人権法に法って制定された障害者権利条約の第30条では、手話と共にその国家による承認と支援が「文化的生活への参加権」の一つとして明記されるにいたった。

概要[編集]

ろう者は意思の疎通において聴覚でなく視覚・触覚だけに頼る。これによって独特の文化が生み出される。最も基礎となるのが聴覚でなく視覚を基礎とする手話言語である。近くにいる他人を呼ぶときは手を振るか、軽く肩か腕をたたく。又、遠くにいる他人に注意を喚起するときは、声でなく壁や床を叩いて振動を起こさせる、或いは電灯を点滅して操作する等、視覚、触覚が使われる。インターネットによるテレビ電話導入以前は電話が使えなかった為、用件の連絡には互いの家を直接訪問した、等生活慣習にも違いが生まれる。

又ろう文化はアメリカの公民権運動との関連で文化権として強調されるため政治的な意義も含む。ろう者の政治的な団結のため、同朋意識(group Identity)の高揚をねらう目的でも「ろう文化」が強調される。よってろう文化やデフ・コミュニティに所属するということは、聞こえない自分に対して誇りを持つという考え方と直結する。ろう者が初めてデフ・コミュニティに出会い、ろう文化に触れる場所はろう・ろう学校である。ここで、彼らは仲間と出会い、やがて集団の中で成長する。この集団はデフ・コミュニティとなっていく。一方でろう文化はろう者の政治的団結を目的とした集団意識との側面もあり、それが場合によっては聴者に対する対抗意識として現れる。

ろう学校に通わず一般校に通った聴覚障害者インテグレーション出身)や成人後に聴覚を失った人、難聴者はろう文化、ひいてはろう者集団の集団意識になじめずに抵抗感を持つ場合もある。一方でインテグレーション出身のろう者が熱心なろう文化支持者になる場合もある。ちなみに聴覚障害者の両親から生まれた聴者の子供であるコーダは、ろう文化と聴者文化の2つを身に付けている。

起源[編集]

手話、ひいてはろう文化、そしてろう社会の共同体意識はずっと以前から存在したが、1988年にアメリカのろう者の為の大学で起こったデフ・プレジデント・ナウ(ろうの学長を今)がきっかけでろう文化及びろう者社会という考えが一般社会に広く認知されただけでなく、特にアメリカではろう者の権利が公民権運動の一環であると認識されるようになる。これにより、例えば以前は障害者が一般社会に適用するよう努力するべきであるという考え方が逆転し一般社会が障害者に開かれたものであるべきである、又障害者はそれを要求する権利があると考えられるようになる。結果としてろう者が就業・或いは一般の大学で学習する場合は手話通訳が国の出費で供給されるのは当然であると考えられるようになる。これによりろう者が聴者と同じように普通に活躍する機会が生まれる。

アメリカのテレビドラマではろう者が手話通訳者とともに一般職や技術職で活躍する場面が時折見られる。近年では聾唖の女優のマーリー・マトリンが人気テレビドラマのマイネーム・イズ・アールで聾唖の弁護士の役を演じている。欧米では実際に聾唖の弁護士が存在する。つまり市民権運動の結果としてろう者が社会で活躍する上で口話の能力が理論上は無関係となる。手話で授業が行われるギャローデット大学の学長であるキング・ジョーダン博士が就任演説でDeaf people can do anything except hear.(ろう者は聞くこと以外は何でも出来る。)と発言した意義は此処にある。又市民権運動の一環として文化的少数者としてろう者文化の独自性が強調されるようになり、難聴者に対する口話教育は聴者文化及び価値観の押し付けであるとの意見が主張されるようになる。結果として特に1960年代から70年代のころ欧米では口話による教育から手話による教育へ移行するろう学校が増えた。又文化的ろうと身体的ろうを対比させるため前者をDeaf、後者をdeafと表記するようになった。

日本では木村晴美(ろう者)と市田泰弘聴者)が発行していたミニコミ紙「D」や、彼らが雑誌『現代思想』に発表した文章「ろう文化宣言」によって、この考え方が広まった。彼らの活動は後に彼らが米内山明宏らとともに設立したグループ「Dプロ」に引き継がれて発展し、この動きの中から「全国ろう児をもつ親の会」、フリースクールの「龍の子学園」等、日本手話と日本語の読解と書記に重点を置く教育に取り組むグループも生み出した。またこれは後に説明する手話主義においてはバイリンガル・バイカルチュラル教育と呼ばれているが「手話」と「書き言葉」のバイリンガルであり口話に重点を置くものではない(バイリンガルろう教育)。これらの運動の背景には日本のろう学校が従来は口話を教える場であるとされ、最近まで手話を禁止してきた事にも由来する。彼らの間では「口話教育は難聴者にはそれなりの成果があったものの、ろう者に対する教育としては失敗であった」とされるが、一方で日本の教育関係者の間では、彼らの実践するバイリンガル教育において重度聴覚障害児に日本語の読解と書記に十分な成果を上げたという事実はないと受け止められている。

以前はろう者とは聴力が欠如している人全体を指したが、「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す言語的少数者である」と主張した「ろう文化宣言」以来、聴力が欠如していても日本手話を話せない人は難聴者と再定義されこの「ろう」の定義から外れるという結果を招いた。元々の英語では、医学的な面からみたろうをdeaf、文化的な面からみたろうをDeafと同じ言葉の表現を変えて使い分けている。漢字の「聾(ろう)」とひらがなの「ろう」で区別するほうが英語の用法を反映するだけでなく日本語として自然であるとの意見もある[要出典]

手話法と口話法[編集]

ろう文化と大いに関係ある問題としてろう者の教育を口話(厳密には口話によらない単感覚法も含まれるが、便宜上、口話と称する。)と手話のどちらで行うべきかというろう教育が始まって以来未解決の議題が存在する。歴史を遡れば18世紀にシャルル・ミシェル・ド・レペー(フランス)が手話によるろう教育を確立し、これを世界中に広めた。一方で同時期にドイツとイギリスでは読唇術を元にした口話法による教育を行っていたが、これは秘密としていたので初期にはこの手法は広まらなかった。前者はフランス法、後者はドイツ法として対比されることもある。また片方の教育法の優位性を主張する場合は、口話主義(Oralism)および手話主義(Manualism)として対比される。

口話法による教育の利点として真っ先に挙げられるのは、まずは読み書きの習得、次に一般社会、つまり聴社会で適応・生活していく上での口話の必要性である。一般的に書記言語力の獲得において聴覚活用がほとんどなされていないという例は、デフファミリーを別にすると、きわめて稀である。また、歴史的に見ると社会全体の識字率にも関係し現代においては生活においては筆談で足りる面もあるが、就業、特にホワイトカラーの職において会話能力はいまだに必須であるとされている。しかし、最近の情報技術の進歩によって特に営業と違う専門職においては口話能力の必要性が低下したとの主張も存在する。読唇術は不完全な会話法であることに変わりなく、口話能力の習得度は難聴の度合、及び個人の適応性に影響される。軽度の難聴の場合は訓練次第ではほとんどど自然な会話が可能であるが、重度の難聴の場合は発音は自然だが聞き取りは難、又ろうの場合は発音も不自然なものとなるケースが多かった[要出典]

また、読書きの習得においては、書記言語と音声言語は、書記言語と手話言語に比べてはるかに言語的距離が短いことから、聴覚活用が書記言語獲得の近道という考え方にも一理ある。読書きを習得するにおいて、がんばって口話で音と関連させて教えるべきか、あくまでアルファベットの綴りを丸暗記させるべきかという問題がある。先進国でも欧米のろう者の間では文盲あるいは機能的文盲である者の割合は高い。アメリカにおいてろう者の高卒の読書きの水準は平均で小学校四年生ぐらいであるといわれている。ろう教育がまだ十分でない発展途上国での識字率は特に低く、例としてタイのろう者の非識字率は80%と報告されている[要出典]

聴覚障害者は一般的に読み書き力が聴覚者のレベルに達することは少ないことから、結果として日本語の読書き力に欠ける多くのろう者は成人後に手先を使う仕事、あるいは肉体労働に流れるか失業者として生活保護を受けることになる。口話を通じ読み書き力を習得して聴者社会に適応するという口話法による教育の前提は難聴者には当てはまるが、ろう者には当てはまらないとの主張も存在した。生活だけに関すれば、大抵の場合は筆談で済むことを考えれば口話自体にそれほどメリットがないこと、ろう者にとって不自然な手法(口話)で授業を行うのは学力および職業技能の向上の観点から見て不効率であることが手話法による教育の優位性として主張されてきた[要出典]。ただし、これには書記言語力が十分に獲得されることが絶対条件となる。

又ろう児の教育の問題は義務教育の始まる小学校において顕著になる問題ではない。ろう者の親は手話を使わない聴者である場合がほとんどである。よってろう児は、適切な聴覚補償又は手話の活用がなされなければ、人間が言語を習得する上で最も重要な幼児期に言語というものに触れず、言語能力、学力、ひいては智能そのものの発展が著しく遅れる可能性がある。よって社会保障の充実している北欧などにおいては幼児がろうであると判った場合は、人工内耳等の最新の技術も活用しつつ、ろう児用の保育園や幼稚園で言語を早い段階から意識的に教育する傾向がある[要出典]

しかし、幼児期に文法も用法も著しく異なる二つのを言語を同時に教育するのは無理がある為、ろう児の言語教育を手話にするのか口話にするのかという問題がある。これは最近の人工内耳の定着にも絡んで複雑なものがある。手話法による教育を支持する論拠として、手話法であればたとえろうであろうともなかろうとも手話という一つの言語の習得が確実であるが、口話法の場合はそのような保証は存在しないことがあげられる。一方で、手話法による教育を批判する論拠としては、日本において手話法による書記言語力や学力の全体像・全体的な傾向が全くといっていいほど明らかにされていないことに加え、そもそも手話法による言語力や学力の獲得はきわめて不十分であるとの見方がある。人工内耳は現時点ではあくまで補聴器の一種であり聴覚神経の適応により装着後の効果の度合いには個人差がある。また稀に人工内耳に一切効果がない場合も存在する。幼児の段階で口話法への適応性を判断するのは難しく安全策として手話法が選択される場合もこれまで多かった。幼児期という限られた短い時間に個人の素質も考慮して手話と口話のバランスを取る事には難しいものがあるが、最近は人工内耳の性能向上、及びろう児の人工内耳への適応の診断も向上しており、口話法の教育が最初から優先されることが少なくない[要出典]

人工内耳[編集]

近年、特に欧米の先進国では障害者の権利の向上により(理論上は)ろう者であること、つまり口話能力の欠如が社会での活躍するうえでの制限でなくなったが、最近の医学の進歩、特に人工内耳の開発により難聴の治療が進みこれがろう社会、ひいてはろう文化に大きな影響を与えている。人工内耳はあくまで補聴器のようなものでこれで聴覚が完全に取り戻されるわけではない。最初はあくまで成人後に聴力を失った人に提供されていたが、80年代の後半から九十年代前半以降社会保障の充実した先進国で生まれつきろうの子供に無料で提供されるようになる。この背景には、多くの先進国で聾者の権利として確立された手話通訳の費用が一定であるのに反して人工内耳は技術革新に伴い年々安くなっているため、国の予算の観点からすれば、人工内耳の手術を無料で提供するほうが長期的には安くつくことも一因である[要出典]

「ろう文化」を強く支持する立場から見ると、人工内耳は次世代のろう文化の担い手の消滅つまりろう者社会の消滅であり、欧米では導入初期にろう者による激しい批判が展開された。一部では「黒人の子を白人に変えるようなものである」や「文化的抹殺(cultural genocide)である」等の感情的な主張も存在した。然し多くの場合はろう者の親は聴者である。これまでろう文化論で主張されてきたバイリンガル教育、つまり手話を重視する教育では聴者の親の要望に応える事が出来ないこともあり、デンマークやオランダ等社会保障の充実している国では9割の親が自分の子供の人工内耳の手術のあと統合教育を選択する結果となっている。又政治的なろう文化論は聴者社会に対する対抗意識という側面もあり、露骨にこれを主張すると手話の使えない親を統合教育に追いやる結果をまねき実際には逆効果であるとの批判も存在する。実際に先進国での手話人口は減少傾向にあり、人工内耳の導入がその一因とされている。これに対応する形で人工内耳の手術を受けたろうの子供に口話と手話の両方の教育を受けられるようにしようとする動きが見られる[要出典]

多くの場合人工内耳により言葉の弁別は可能になるが、聞こえる音は自然なものではなく現時点の性能では聴力を完全に取り戻すものでもない。成人後に聴覚を損失した難聴者であれば人工内耳から聞こえる音にすぐ慣れるが、生まれつきろうの子供が人工内耳をつける場合は口話能力の習得、とくに全く自然な会話能力の習得には訓練と努力が必要でこの場合は口話教育の優先が必要であると主張される。然し人工内耳の効果には個人差もあり、まれに人工内耳に全く適応できない場合もある。このような場合に最初から手話法による教育を放棄して口話法に基づく教育に専念した結果、言語を幼児期に獲得する機会を見逃し児童の言語能力の発達が著しく遅れるという可能性もある(もっとも、書記言語力について言えば手話法によって獲得できる保障も全くない。)。近年では手話と口話の両方を取り入れた教育法の確立を求める動きもある[要出典]

最近この問題の重大さを顕著にあらわすものとして、ろう者の意識改革の先駆けとなった「デフ・プレジデント・ナウ」運動でギャローデット大学の学長に就任したキング・博士の後継者の選出に関する抗議騒動が挙げられる。長い選考過程の後、2007年1月就任予定の次の学長にジェーン・K・フェルナンデス博士が選出されたが、これに反対する学生と一部の教員、さらに大学の卒業生がフェルナンデスの就任前から辞任を要求する騒ぎになり、これが以前のデフ・プレジデント・ナウ運動と対比される形でマスコミに報道されている。現在ギャローデット大学は入学資格として英語と手話(ASL)の能力が必須であるが、フェルナンデスは統合教育の出身者にも大学の門を開くべきだとして手話を入学資格の条件から外すべきであると主張している。フェルナンデスは統合教育出身のろう者であり、手話も成人後に習得したためろう学校出身者と比べて手話は流暢ではない。一部では辞任要求は文化的ろう者による統合教育出身者に対する差別であるとの声もあがっている。フェルナンデスはコメントで「補聴器、人工内耳はますます性能が上がっている。遺伝子学の進歩はろうの子供を産まない選択をするという考えにも繋がってきている」、ギャローデット大学は「あらゆるろう者」(all kinds of deaf people)を包合(embrace)しなければならない」と述べている。

ろう文化の例[編集]

  • 人や物を指すときに指差しで示す。二人称であっても、指差しをする。
  • 人を呼ぶときに電気をつけたり、消したりする。または、テーブルを軽くたたいたり、床をどんどん踏み鳴らす(振動で呼ぶ)。
  • 話す時はアイ・コンタクトを重視する。
  • 飲食店等で店員を呼ぶ際には大きな音で手を叩くか、手をあげて大きく振る。
  • 点滅などで知らせるドアベルやベビーシグナルの活用。
  • 騒音の激しい大都市でも手話で離れていても会話が可能である。
  • 遅くても知人をアポなしで訪ねる事が多い。電話が使えなかったためである。最近ではコンピュータによるテレビ電話の普及によりこの慣習に変化がある。

参考文献[編集]

  • キャロル・パッデン&トム・ハンフリーズ『「ろう文化」案内』晶文社 2003年
  • オリヴァー・サックス『手話の世界へ』晶文社 1996年
  • 現代思想編集部編『ろう文化』青土社 2000年
  • 亀井伸孝『手話の世界を訪ねよう』(岩波ジュニア新書岩波書店 2009年

関連項目[編集]