ミッキーマウス

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ミッキーマウス
Mickey Mouse
初登場 プレーン・クレイジー(初制作)
蒸気船ウィリー(初公開)
作者 ウォルト・ディズニー[1]
アブ・アイワークス[1]
原語版声優 ウォルト・ディズニー(1928–1947)
ジム・マクドナルド (1947 - 1977)
ウェイン・オルウィン (1977 - 2009)
ブレット・イワン (2009 - )
日本語版声優
BVHE
青柳隆志 (1988 - 現在)
詳細情報
種族 ネズミ
性別

ミッキーマウス (Mickey Mouse) は、ウォルト・ディズニーアブ・アイワークスが、1928年(昭和3年)11月18日に生み出したアメリカ文化のシンボル的キャラクター東京ディズニーランドの「ミッキーの家とミートミッキー」では「蒸気船ウィリー」、「ファンタジア」、「ミッキーの大演奏会」、「ミッキーの夢物語」の衣装に身を包んだミッキーに会うことが出来る。

成立背景[編集]

作成まで[編集]

ウォルト・ディズニーカンザスシティ都市圏英語版に置いていたスタジオが破産し、ヒットアニメ『フィリックス・ザ・キャット』を模造したキャラクター「ジュリアス・ザ・キャット」[2]を用いた実写合成の短編『アリス・コメディース』を作成していた。『フィリックス・ザ・キャット』の作成者パット・サリバンによる抗議を受け、1927年ミンツは『オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット』への制作変更をディズニーへ指示する。ミンツがユニヴァーサルでの配給に成功し製作費の値上げをディズニーが求めた。翌1928年3月に交渉が決裂しディズニーは契約更新を拒否されディズニー、アブ・アイワークス、ウィルフレッド・ジャクソンは『オズワルド』の製作を継続しながら別作品の企画をすることを余儀なくされた。

『オズワルド』はポール・テリーの『クレージー・キャット』を元にアブ・アイワークスがデザインしたものである。多くのスタッフが作画にかかわるアニメーション作品において円滑にかつ素早く作画する目的で、円定規と楕円定規で簡単に描けるようデザインされたと言われる。ディズニーは主としてプロデューサーでありアニメーターではなく、「ディズニーは飼いならしたネズミをよく研究し、彼が醜いと思っていた耳・口・足などを大きくしポイントを付け1927年にミッキーマウスを考案した」という一般に知られるエピソードは架空の話である。アブ・アイワークスはミッキーを奪ったとしだいに共同経営者のディズニーを憎むようになり、ディズニーと決別し自身のスタジオを持つに至る。

ウォルトは元々ミッキーをモーティマーと名付けるつもりだったが、妻リリアンの一声で現在の名前になった。その代わりにミッキーの恋のライバルであり、ミニーマウスの幼なじみとして、モーティマー・マウスが登場する。恋人はミニーマウス。愛犬はプルート。甥っ子にモーティーとフェルディーがいる。

変革[編集]

実際の第1作はチャールズ・リンドバーグに因むヒット作『フィリックスのノンストップ飛行』のパロディ『プレーン・クレイジー(飛行機狂)』である。第2作は『ギャロッピング・ガウチョ』。どちらもサイレントで配給ルートも得られずまったく相手にされなかった。1928年11月18日、第3作アニメーション映画『蒸気船ウィリー』がトーキー[3]で成功。当時ウォルトが声優を務めていた。その後映画はシリーズ化されミッキーは一躍人気キャラクターとなった[4][5][6]

1939年、「ミッキーの猟は楽し」以降キャラクターデザインが変更された。それまでは黒目がちであったが、この変更により白目が付いた。

プロフィール[編集]

名前
Mickey Mouse(ミッキーマウス)
また、アメリカなどでよく呼ばれているあだ名は「Mick」(ミック)
各国で呼び名は異なり、
  • 中国では「米老鼠」(mǐlǎoshŭ:ミィラオシュウ)、または「米奇」(mǐqí:ミィチィ、マイケイ)
  • イタリアでは(Topolino:トポリーノ)
  • スペインでは(Ratón Miguelito:ラトン・ミゲリート)
  • フィンランドでは(Mikki Hiiri:ミッキ・ヒーリ)
  • インドネシアでは(Miki Tikus:ミッキ・ティクス)etc…
国籍
アメリカ合衆国 (しかし、東京ディズニーリゾート「ボン・ヴォヤージュ」前のプロフィールには、「citizen of the world」と書かれており、具体的国名は書かれていない)
生年月日
1928年11月18日、日曜日、ニューヨーク
ニューヨークのコロニー劇場にて、上映の目次の1番目でもあるデビュー作『蒸気船ウィリー』(Steamboat Willie)の公開日でもある。しかし、その前の同じく1928年に『飛行機狂』(Plane Crazy)と『ギャロッピン・ガウチョ』(The Gallopin' Gaucho)という作品にも出演しているため、ミッキーにとっては3作品目でもある。
年齢
設定ではティーンエイジャー
種類
白ハツカネズミ[7]
身長
3フィート2インチ(約70cm)
しかしミッキーを長年描き続け、ミッキーの目を白目と黒目にしようと考えたウォード・キンボールによると、ミッキーは90cmぐらいだという。また、ドイツのディズニー公式サイトでは109cmとされている。
体重
23ポンド(約11.5kg)
性格
正義感が強くシャイでいたずらっコなところもあるが、礼儀正しくジェントルマン。とても陽気。好奇心旺盛で楽しいこと好き。しっかりものだが金銭にはルーズな所が見られ、ハウス・オブ・マウス ではミニーから預かったクラブの建物の家賃をチーズに使ってしまっている。短編作品で道に落ちていた大金をネコババしてミニーへのプレゼントを買っている。
口癖
"Oh,boy!", "Ha-ha", "Gosh", "Swell","Aw-Gee", "Uh-Oh!"
仕事
映画俳優、テーマパークホスト、ナイトジャズクラブオーナー(カートゥーンにて)、チャリティー、etc…
ミッキーは本当のスターだけが持つことの許されるスタープレートを、ロサンゼルスのチャイニーズシアター正面入り口の大体真ん中に持っている。また、マイケル・ジャクソンなどの大スターと肩を並べている。そこには、ウォルト・ディズニー白雪姫ドナルドダックディズニーランド50th記念などのスタープレートもある。50th記念のものには特別に普通のスタープレートにはない、お城のメダルが埋め込まれている。
資格
パイロット、ハンティング、船のキャプテン、乗用車、作業用車、大型トラックなど。そしてディズニーパークの消防隊長も務めている。
趣味
スポーツ、カントリーライフ、読書。
愛車
赤いレトロな車→(赤いスポーツカー
ある日古いレトロな車に嫌気がさし売りに行き、新車のスポーツカーを手に入れた。しかし多彩な機能に振り回され、結局以前の車を買い取りにいこうとしたら売却されていた。実はその車を買ったのはミニーだったのである(「ミッキーのギャグファクトリー」収録)。
住んでいる場所
アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスアナハイムトゥーンタウン
(以前はマウストンに住んでいたようだが、ミニーがトゥーンタウンに引っ越すというので彼もすぐミニーの隣に家を建てたという)
家族
両親はいるが、(ミニーも同様)孤児。甥にモーティーとフェルディー、そして2人の姉妹がいる。
ペット
プルート(Pluto)
名前の由来は、デビュー当時1930年に発見された「冥王星」からとった。種類はブラットハウンドで、主人に忠実。ペットとは考えず親友として接している。
趣味
リスや動物と遊ぶ、ボール遊び。
家族
ブッチ(兄弟の名前)
仕事
新聞受けから新聞を取ってきてミッキーに渡すこと。狩りのお供。
友達
グーフィードナルド・フォントルロイ・ダックミニーマウスデイジーダックヒューイ・デューイ・ルーイチップ&デールクラリスマックスクララベル・カウホーレス・ホースカラーギデオン・ゴートピーター・ピグパディー・ピグクララ・クラックなど。
(ドナルドよりグーフィーのほうが長い付き合いの友達)
ガールフレンド
ミニーマウス
ミッキーと生年月日が同じ(ミッキーはミニーのことを“My Sweet Heart”や“My CherryPie”とも呼ぶ)。
ライバル
ピートモーティマー・マウス
モーティマーとよくミニーの取り合いになる。
知り合いの著名人
国連事務総長(アナン)、国王、大統領、俳優、歌手、アスリート、など様々。
愛読書
チーズと平和、マイ・フェア・マウス、全ネズミカタログ、トゥーンタウンの歴史(哲学的な本も読む)
Featured Magazines
Time, Newsweek, Life, National Geographic, Good Housekeeping
取っている新聞
TOON Repoter
料理の腕
日本やアメリカなどにもある「Chef Mickey」というブッフェスタイルのレストランのシェフを務めている。一人暮らしなので料理はできる。パンにハム、チーズ、レタスなどの具を1m近く重ねたサンドウィッチが得意。
好きな色
赤、黄色(緑はあまり好きでないらしい)。モノクロ時代、ウォルトは緑色のパンツを考えたという逸話がある。
好きな食べ物&飲み物
得意なスポーツ
アメフト、馬術、(中でも)ダンス
得意な楽器
ギター、ドラム、(一番愛しているのは)ピアノ
5周年から始まり現在もディズニーシーにて上演中のビッグバンドビートではドラムさばきを、2007年度ディズニーハロウィンのホーンテッドロッキンストリートでは、ギターソロを披露。稀にアドリブで「星に願いを」や「ミッキーマウス・マーチ」を入れていた。ミニーはデジパッド(サンプリングデジタルドラム)をシンバルつきで披露。

耳 : 耳の形を整えるため耳にのり(ワックス?)付けしているらしい(ハウス・オブ・マウス#25より)。ミッキーは耳の中まで脳みそがつまっている(『ミッキーのアルバイトは危機一髪』(Runaway Brain)より)。

代表的な出演映画[編集]

蒸気船ウィリー
1928年モノクロ作品。世界初のトーキーアニメーション映画。3番目に製作されたミッキーマウス作品。最初に公開されたので、ミッキーマウスのデビュー作とされており、公開日である1928年11月18日がミッキーの誕生日とされてきたが、最近ではこれを単に「スクリーンデビューの日」とし、誕生日とは呼ばないことがある。
日本国内では基本的に11月18日がミッキー&ミニーの誕生日とされており、その認知度も高い。ディズニーモバイルサイトでは11月18日を誕生日として、それにちなんだイベントを2007年度も行っている。
ファンタジア
1940年に公開された。いくつかの短いアニメがクラシックの音楽に合わせ進行する。ミッキーは3番目の曲目「魔法使いの弟子」に出演する。ミッキーが登場するこの曲目が「ファンタジア」では最も有名なシーンであろう。
ミッキーの大演奏会
1935年に公開された。ミッキーマウスシリーズ初のカラー作品である。ミッキーが「」という曲を演奏して本当に嵐が来た。ミッキーたちはそれでも演奏していた。

著作権・商標権[編集]

ディズニーはオズワルドの版権をユニバーサルに奪われた経験を受け、それ以降知的財産権と他者からの侵害行為に厳しくなり、特に筆頭キャラクターとしてミッキーマウスの著作権は厳正に管理されている。

アメリカ合衆国の著作権法は“(皮肉の意味を込め)ミッキーマウス保護法”とも呼ばれており、そのような体制を批判する団体や企業もあるが、「ミッキーマウス」および他の「キャラクター名」や「作品名」も含め一律に「商標」として保護され、半永久的に保持できるため、たとえ著作権が切れたとしても(その他の知的財産権が残るため)、商用目的として自由な使用はできない。

著作権は国ごとに保護期間が違うため、日本では1953年以前の映画で団体名義の場合著作権が有効なのは公表後50年である(なお、アメリカの戦前作品は戦時加算により約10年延長されている)。ミッキーマウスが初登場した「蒸気船ウイリー」は保護期間が1989年の前後に終わっていると推定される。日本では実際に「ファンタジア」「ダンボ」などをアプロック社がパッケージに「パブリック・ドメイン」と明記した上で販売。ディズニー社は「法令遵守で厳正」なことが評価されているため、各国のコンプライアンスに重点を置いており、アプロック社がパッケージにする際も「ディズニー映画を出しているブエナビスタ社に事前に『出す』旨を宣言した。『やめてくれ』と言われなかった」と証言している。

ウォルト・ディズニー・ジャパン社は「著作権に関する方針や見解は公表しない」との方針を採っており、自社のウェブサイトでもをキャラクターや作品に対する知的財産権の方針を明確にしていない[8]

声優[編集]

原語版声優
吹き替え声優

日本での歴史[編集]

日本にミッキーマウスが紹介されたのは「蒸気船ウィリー」が公開された翌年の1929年のことで阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)が1935年頃に発行した「天恵の楽園」砂川遊園(1940年閉園)のパンフレットのキャラクターに用いられていた。日本オリジナルのミッキーマウス関連の楽曲として、1934年には「ミッキー・マウスの結婚」(作詞:佐伯孝夫 作曲:加藤しのぶ 歌:平井英子 & 藤山一郎)、1935年頃には「ミッキーマウス」(歌:望月誠)などが発表された。年だった1936年には、ミッキーマウスを描いた年賀状などの葉書が見受けられており[11]、都市部ではかなり知名度が高かったと思われる(その後子年にちなんで2008年の年賀はがきにミニーマウスと共にデザインとして印刷された)。また、この年の元旦大阪朝日新聞にはミッキーマウスが描かれた味の素の新聞広告が掲載された。慶應義塾大学の旧マスコットキャラクターであった。慶應義塾のシンボル

東京ディズニーランドが開業する以前は、日本でのディズニーキャラクターの人気はミッキーマウスよりバンビピノキオのほうが上だった[12](開業は1983年)。1988年京葉線(第二期開業)開業の式典にゲストとして招かれた。1997年秋田新幹線開業の時にはミニーマウスも連れて式典に来た。

日本のディズニー・チャンネルはミッキーマウスの誕生日にあわせて2003年11月18日に本放送を開始した。

ヴェルサイユ宮殿の庭園を上空から見ると庭園がミッキーマウスの顔の形に見える。日本で衛星写真の映像を見た人の指摘で判明した。[13]

ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートにおける典型的な標識, showing one of many uses by Disney of the Mickey ears logo.

脚注[編集]

  1. ^ a b Kenworthy, John (2001). The Hand Behind the Mouse (Disney ed.). New York. p. 53-54.
  2. ^ ニューヨークの配給会社チャールズ・ミンツのパット・サリバンによる
  3. ^ トーキーアニメの最初のものではないが、サウンドトラック方式を採用した世界初の映画
  4. ^ オクナセルラは別名“ミッキーマウスの木”(Mickey-Mouse Plant)。ノルマンディー上陸作戦のコードネームは「ミッキーマウス」、マウスの移動量と感度の関係を示す単位は“ミッキー”、長いストレートが少なく低速コーナーが多いモータースポーツのサーキットを蔑称的にミッキーマウスサーキットと呼ぶ。
  5. ^ ナチス・ドイツの撃墜王の一人で、後にジェット戦闘機隊を組織したアドルフ・ガーランドは、愛機のコクピット横に葉巻を咥え斧と拳銃を構えるミッキーマウスを描いていた(葉巻はガーランドのトレードマークでもある)。
  6. ^ 1933年、インガソール社が発売したミッキーマウスの手を針にデザインした腕時計は1957年までに2500万個が販売され同社の経営難を救った。
  7. ^ エドナ・ディズニー(ウォルト・ディズニーの兄ロイ・ディズニーの妻)はミッキーマウスの食品関係の商品が出た当初は「ミッキーが使えるはずがないでしょう。どこのだれが二十日ネズミを食べるの!」と言っていた。
  8. ^ 安藤健二「封印されたミッキーマウス」
  9. ^ ウェイン・オルウィンの妻は、ミニーマウスの声優を務めているルシー・テラーである(ミッキーマウス/カラーエピソード Vol.2に収録されている、レナード・マルティンとの対談の中で明かされている)。
  10. ^ 『ミッキーの王子と少年』で登場したミッキーにそっくりな王子は、ミッキーの声優の青柳でなく田中秀幸が演じた。(原語版では王子の声もミッキーの声優であるウェイン・オルウィンが演じている)
  11. ^ 『郵趣』(日本郵趣協会発行)読者ページ「読者だより」(1994年6月号 94頁、1994年8月号 94頁、1994年10月号 94頁)。
  12. ^ 日経流通新聞2000年2月17日付「キャラクター最前線」
  13. ^ 2007年1月27日トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」『ヴェルサイユ宮殿の庭園を上空から見ると、あのネズミに見える北緯48度48分20秒 東経2度7分4秒 / 北緯48.80556度 東経2.11778度 / 48.80556; 2.11778にて。
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外部リンク[編集]