ホラー映画

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ホラー映画(ホラーえいが)は、映画ジャンルのひとつ。観る者が恐怖感(英語で言うところのHorror、Fear、Terror等)を味わって楽しむことを想定して制作されているものを広く指す。また、ゾンビ、殺人鬼など、観客に恐怖感を与えるためにホラー映画で用いられる素材・題材を含むものを(それが恐怖感を与えるための物か否かに関わらず)ホラー映画とする場合もある。

概要[編集]

ホラーの他に、ジャンルの名前がそのまま感情の名前でもあるものにサスペンス映画スリラー映画があるが、これらはホラーと密接に関連している。また、スプラッター映画は、典型的には血しぶきや惨殺死体などの直接的な描写(“スラッシャー”とも呼ばれる)によって定義されるジャンルだが、これも恐怖感を引き起こす手段として多用されるため、基本的にはホラーのサブジャンルと見なされる。サスペンスと同様性行為などのエロティシズムなども内包されているものが多い。

歴史[編集]

映画草創期の19世紀末より、ホラー作品の製作記録は多くある。1891年にエジソンが「キネトスコープ」を発明し、リュミエール兄弟がそれを改良した「シネマトグラフ」を発表した1895年、アメリカのアルフレッド・クラークによって発表された『スコットランドの女王、メアリーの処刑』(『The Execution of Mary, Queen of Scots』あるいは『The Execution of Mary Stuart』)は世界初のホラー映画として名を挙げられる。ただし本作は14秒と非常に短いものであり、のぞき窓から映像を見てひとりで楽しむという、現代の「暗所で鑑賞する大衆娯楽」という映画のスタイルとはまるで異なるものであった。後のホラー映画に大きな影響を与えた始祖的存在としては、1920年ドイツ映画カリガリ博士』が知られている。1922年の『吸血鬼ノスフェラトゥ』も著作権者の許可を得ない非公式作ながら、重要な映画と位置づけられている。

1925年のアメリカ映画『オペラの怪人』は、千の顔を持つ男と称された名優ロン・チェイニーが髑髏のような恐ろしいメイクでファントムを演じ、サイレントホラーの伝説的作品となった。ゴシックロマンを題材とし、強力な個性を持った怪奇スターが看板となるホラー映画のスタイルを決定付けた。

トーキーの時代を迎えた1931年、アメリカのユニバーサル映画は『魔人ドラキュラ』と『フランケンシュタイン』を大ヒットさせ、ホラーのリーディングカンパニーとなった。1930年に早世したチェイニーに替わり、ドラキュラを演じたベラ・ルゴシと、フランケンシュタイン・モンスターを演じたボリス・カーロフが2大怪奇スターとなった。他社も追随し、吸血鬼ミイラ狼男ら怪物達や、エドガー・アラン・ポー作品、『ジキル博士とハイド氏』等を題材としたホラーの名作が多く作られた。

1940年代に入るとチェイニーの息子で『狼男』を代表作とするロン・チェイニー・ジュニアが怪奇スターとして台頭した。40年代半ばにはユニバーサルホラーは一作に複数の怪物が登場するエンターテインメント色の強い作品が主流となるが、結果としてこの路線はホラーの衰退を招いた。

第二次世界大戦後、ファンタジー映画の主流はSFに移り、ホラーは低迷する。それを復興させたのはイギリスハマー・フィルム・プロダクションであった。ユニバーサルホラーのカラーフィルムによるリメイクと位置づけられる『フランケンシュタインの逆襲』(1957年)と『吸血鬼ドラキュラ』(1958年)は世界的にヒットし、両作に出演したピーター・カッシングクリストファー・リーが新たなスターとなった。続いてミイラ、狼男らユニバーサルの怪物達も続々復活した。

ハマーの隆盛に対し、アメリカの映画製作会社AIP1960年よりヴィンセント・プライス主演のエドガー・アラン・ポー作品を原作とするホラーの名作を連続ヒットさせた。一方で独立プロのハーシェル・ゴードン・ルイス監督が、ストーリー性よりも過激な残酷描写による視覚的衝撃を重視する猟奇的な映画を製作。特殊メイクによる過激な流血描写を強調したスプラッター映画の誕生であった。1963年の『血の祝祭日』(1963年)以降、1970年代までルイスはこの種の「血みどろ映画」を量産するが、それらの作品は俗悪なキワモノ映画としか世間からは認識されなかった。

しかし1970年代に入ると、それまで『血ぬられた墓標』(1960年)などの古典的なゴシック怪奇映画で知られていたイタリアのマリオ・バーヴァ監督が、特殊メイクによる過激な残酷描写を取り入れた『血みどろの入江』(1971年)を発表。素人俳優をキャスティングしたH・G・ルイス作品とは異なり国際的な知名度を持つ名優の出演と一流の技術によって制作された初のスプラッター映画として世界に衝撃を与えた。

バーヴァの『血みどろの入江』を皮切りに、当時イタリアで流行していたジャッロとよばれる推理サスペンス映画が、生々しい残酷描写を積極的に取り入れ始める。セルジオ・マルティーノ監督による『影なき淫獣』(1973年)やダリオ・アルジェント監督による『サスペリアPART2』(1975年)といった70年代のイタリア製スリラーでは、犯人捜しの推理ミステリーの体裁を取りながら、血みどろのスプラッター描写を露骨に表現したことで刺激に飢えた若い観客からの支持を得た。さらにアメリカのトビー・フーパー監督による『悪魔のいけにえ』(1974年)、イギリスのピート・ウォーカー監督による『フライトメア』(1974年)、カナダのデヴィッド・クローネンバーグ監督による『ラビッド』(1977年)やボブ・クラーク監督による『暗闇にベルが鳴る』(1974年)といった、高い技術と緻密な脚本・演出に支えられた現代的な残酷ホラーが多く製作される。これらの作品はH・G・ルイスが狙ったような単なる表面的な血みどろ描写による刺激だけではなく、残酷シーンの痛々しさを通して人間心理にひそむ狂気や異常性の恐ろしさを描き上げたという点で、当時としてはリアルで現代的な感覚を持った恐怖映画だったと言える。

一方で1970年代にはウィリアム・フリードキン監督による『エクソシスト』(1973年)の爆発的なヒットを皮切りに、オカルト映画の大ブームが巻き起こる。かねてから注目を集めていた占いや自称超能力者のユリ・ゲラーが仕掛けた超能力ブームに後押しされる形で、悪魔や心霊現象や超能力と言った神秘的な事柄に対する人々の関心が高まり、世界各国の映画会社は積極的にオカルト映画を発表。ハリウッドは『ヘルハウス』(1973年)、『オーメン』(1976年)、『キャリー』(1976年)、『』(1976年)、『オードリー・ローズ』(1977年)などの心霊現象や悪魔や超能力などを扱ったオカルト映画を量産し、興業面でも批評面でも大いなる成果を得た。娯楽映画産業に勢いがあったイタリア映画界もブームに乗じて、悪魔や魔女の恐怖を描いたオカルト映画を量産。特にダリオ・アルジェント監督の『サスペリア』(1976年)はハリウッドの大作に匹敵するほどの大成功を収めた。イタリアほど話題作は多くなかったが、スペイン映画界からは『ザ・チャイルド』(1976年)が発表されて話題を呼んだ。オカルト映画の体裁を取りながらも不条理な風刺劇といった趣の映画だが、子供たちが突然大人を殺し始めると言った寓話的でショッキングなストーリーが世界に大きな衝撃を与えた。

スプラッター映画とオカルト映画の流行に押される形で、クラシカルなハマーやAIP作品は衰退していく。ホラー映画も新しい時代を迎えつつあった。尚、この頃まで「ホラー」という言葉は日本では知られておらず、怪奇映画の名称が一般的であった。

2000年代[編集]

2000年代、ソウがホラー映画界において異例の大ヒットを記録した。人間による人間の恐怖を徹底的に表現し、残酷なシーンの多様、究極の苦痛を求めた映画として話題を呼んだ。

2003年にはフレディvsジェイソンのようなコラボ作品も劇場に登場し、世界中で反響を呼んだ。この作品は映画界において一つの新しい型を生み出し、本作を皮切に以降エイリアンVSプレデターのような他の作品どうしのキャラクターを対決させるという映画会社の垣根を超えた作品が製作されている。2000年代のホラー映画に見られるもう一つの注目すべき傾向はリメイクであり、リング呪怨などのジャパニーズホラーのリメイク作品がアメリカで次々に製作されている。洋画においては悪魔のいけにえ13日の金曜日エルム街の悪夢ハロウィンなどの有名なホラー作品がリメイクされた。

ホラー映画研究書[編集]

関連項目[編集]