春の祭典
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() |
| クラシック音楽 |
|---|
| 作曲家 |
| ア-カ-サ-タ-ナ |
| ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
| 音楽史 |
| 古代 - 中世 |
| ルネサンス - バロック |
| 古典派 - ロマン派 |
| 近代 - 現代 |
| 楽器 |
| 鍵盤楽器 - 弦楽器 |
| 木管楽器 - 金管楽器 |
| 打楽器 - 声楽 |
| 一覧 |
| 作曲家 - 曲名 |
| 交響曲 - ピアノ協奏曲 |
| ピアノソナタ |
| ヴァイオリン協奏曲 |
| ヴァイオリンソナタ |
| 弦楽四重奏曲 |
| 指揮者 - 演奏家 |
| オーケストラ - 室内楽団 |
| 音楽理論/用語 |
| 音楽理論 - 演奏記号 |
| 演奏形態 |
| 器楽 - 声楽 |
| 宗教音楽 |
| イベント |
| 音楽祭 |
| メタ |
| ポータル - プロジェクト |
| カテゴリ |
春の祭典(はるのさいてん、原題フランス語:Le Sacre du Printemps、英語: The rite of spring)はロシアの作曲家、イーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲したバレエ音楽であり1913年に完成し同年5月29日に初演された。 20世紀の近代音楽の傑作に挙げられる作品であり、複雑なリズム・ポリフォニー・不協和音に満ちていて、それまでの音楽とはまったく異なり初演当時けが人も出る大騒動となったことで知られる。
目次 |
[編集] 作曲の経緯
火の鳥、ペトルーシュカでの成功に引き続き、セルゲイ・ディアギレフから再度バレエ音楽の委嘱を受け、それに応じて1912年から1913年にかけて作曲された。
[編集] 初演
この作品の初演は1913年5月29日にパリのシャンゼリゼ劇場でバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の公演として行われた。振付はヴァーツラフ・ニジンスキー、オーケストラの指揮はピエール・モントゥーであった。
ストラヴィンスキーは、ニジンスキーにまず音楽の基礎を教えることから始め、毎回音楽と振付を同調させるのに苦労した。不安になったバレエ・リュスの主宰、セルゲイ・ディアギレフはダルクローズの弟子ミリアム・ランベルク(マリー・ランベール)を振付助手として雇い入れた。しかし、その後も120回ものリハーサルを要し、振付及び指導の経験がほとんど無かったニジンスキーはしょっちゅう癇癪を起こした。しかし、ランベルクによれば、ニジンスキー自らが踊って見せた生贄の乙女の見本は実にすばらしく、それに比べて初演で生贄の乙女を踊ったマリヤ・ピルツの踊りは、ニジンスキーの「みすぼらしいコピー」に過ぎなかったという。
初演にはサン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルなどの錚々たる顔ぶれが揃っていた。曲が始まると、嘲笑の声が上がり始めた。そして始まったダンサーたちの踊りは、腰を曲げ、首をかしげたまま回ったり飛びあげるという、従来のバレエにはない振付であった。野次がひどくなるにつれ、賛成派と反対派の観客達がお互いを罵り合い、殴り合りあい野次や足踏みなどで音楽がほとんど聞こえなくなり、ついには、ニジンスキー自らが舞台袖から拍子を数えてダンサーたちに合図しなければならないほどであった。
- 有名なこの初演時のエピソードだが、西洋クラシック音楽において、特に初演時に騒動がおきたことはこの曲に限ったことではない。他に近代の曲では、シェーンベルクの弦楽四重奏曲2番でも、初演時に大騒動になった記録が残っている。また指揮者の岩城宏之は、ヨーロッパで聴きにいった現代音楽の演奏会で何度か、聴衆間で怒声が飛び交う事態になったことがあるとエッセイに記している。
当時の新聞には「春の虐殺」(Le "massacre" du Printemps)という見出しまでが躍った。サン=サーンスは冒頭を聞いた段階で「楽器の使い方を知らない者の曲は聞きたくない」といって席を立ったと伝えられる。しかし翌年の演奏会形式での再演では大成功を収め評価を確立し、ロンドンやニューヨークでも高い評価を得ることとなった。
[編集] 演奏史
1953年にピエール・ブーレーズは、論文「ストラヴィンスキーは生きている」[1]において、この作品の斬新な作曲技法を解明するとともに、自ら演奏・録音を行いこの曲の解釈に一石を投じた。
ニジンスキー以降、レオニード・マシーン、モーリス・ベジャールなどの振付師による振付が知られてきた。一方、ニジンスキーによる初演の振付は、彼が結婚してバレエ・リュスを解雇されたためにわずか8日間しか上演されず、その後は完全に忘れ去られていた。1979年から8年かけて舞踏史学者のミリセント・ホドソンとケネス・アーチャー夫妻によって、現存していた資料やランベルクなど関係者の証言などから復元され、1987年についに復活上演された。現在ではオペラ座の定番となっている。
近年では、演奏時間も30数分と適当なことから、指揮者コンクールの課題曲に選ばれることもある。ストラヴィンスキー自身は、終結部の複雑な部分を、通常の四分の四拍子で振ることもあった。
『火の鳥』や『ペトルーシュカ』のように大規模ではないが、この作品でも何度も改訂が行われた。①自筆の初演版と②1921年の初版の他に、③1929年の初版第2刷、多くの改訂がされた④1947年版、さらに修正を加えて版を新たに起こした⑤1967年版がある。
「リハーサル中でさえ直す」というストラヴィンスキーの改訂癖は有名だが、初演指揮者のモントゥーはこの改訂癖について「最初の版が一番良い」と苦言を呈した。ゲオルク・ショルティが何故改訂したのか=どの版を使えば良いのかロバート・クラフトに質問した際「(終曲に代表される)変拍子をストラヴィンスキー自身が指揮出来なかったため」という返答があった。
[編集] 編成
- 木管
- 金管
- 打楽器
- 弦五部(普通は16型を当てる)
[編集] 構成
2部構成で、演奏時間は約34分。
春を迎えたある2つの村同士の対立とその終息、大地の礼賛と太陽神イアリロの怒り、そしてイアリロへの生贄として一人の乙女が選ばれて生贄の踊りを踊った末に息絶え、長老たちによって捧げられる、という筋である。場所などの具体的な設定は無く、名前があるのは太陽神イアリロのみである。キリスト教化される以前のロシアの異教徒たちの世界が根底にあるといわれる。
この筋は友人の画家ニコライ・リョーリフ(レーリッヒ)が1910年4月28日付(ユリウス暦)の『ペテルブルク新聞』に発表したバレエの草案が元になっており、彼は台本と共に美術を担当した。この曲はリョーリフに献呈されている。ちなみに、ストラヴィンスキーの自伝には、彼自身が原案を思いついたと書かれているが、このことからわかる通り事実ではない。
各部の表題は67年版スコアには英語とフランス語のみ記載されているが、それ以前の版にはロシア語でも記載がある。それぞれ意味は同じではないので注意が必要である。下記の表題は英語版に従っている。
[編集] 第1部 大地の礼賛
- 序奏
- 春のきざし(乙女達の踊り)
- ホ長調主和音(E, G#, B)と変イ長調属和音第1転回形(G, B♭, D♭, E♭)が複調で弦楽器を中心に同時に力強く鳴らされる同じ和音の連続とアクセントの変化による音楽。この和音構成は平均律上の異名同音で捉えると変イ短調和声短音階(G#, A#, B, C#, D#, E, G)と同じであるが、初めて聴くものには強烈な不協和音の印象を与える。また木管楽器によって対旋律として現れる(E, G, C, E, G, E, C, G)というスタッカートのアルペジオはハ長調を示し、これによって五度圏上で正三角形を成し長三度ずつの移調関係にあるハ長調、ホ長調、変イ長調が結ばれる。これはベートーヴェンの後期三大ピアノソナタ(あるいはもっと前のヴァルトシュタインソナタやハンマークラヴィーアソナタなども)においても転調の過程で順次提示されるように既に援用が見られる調関係だが、同時に鳴らすのは音楽史上この曲が初めてであろう。
- 誘拐
- 春の輪舞
- 敵の部族の遊戯
- 長老の行進
- 長老の大地への口づけ
- 極めて短い。激しい不協和音が弦楽器のフラジオレットで奏される。
- 大地の踊り
[編集] 第2部 生贄の儀式
- 序奏
- 乙女の神秘的な踊り
- 選ばれし生贄への賛美
- 祖先の召還
- 祖先の儀式
- 生贄の踊り(選ばれし生贄の乙女)
- 最も難曲かつ作曲学上システマティックに書かれた部分。5/8, 7/8などの変拍子が組み合わされて徹底的に複雑なリズムのポリフォニーを作り上げる。オリヴィエ・メシアンはこの部分を「ペルソナージュ・リトミック(リズムの登場人物)」[2]、ピエール・ブーレーズは「リズムの細胞」と呼んでそれぞれ分析結果を発表している。メシアンによればこの曲は、複雑な変拍子の中でそれぞれ提示されたリズム動機について、拡大する動機、縮小する動機、発展せず静的な動機の3つの類型のリズムから成り立つという。
なお、改訂版では曲の終了と同時にギロが鳴る。
[編集] エピソード
ウォルト・ディズニー制作のアニメ映画『ファンタジア』にも使われ、地球の誕生から生命の発生、恐竜とその絶滅までのドラマがこの曲に合わせて繰り広げられる。
また演奏困難な曲に数えられ、数々の逸話が残っている。日本初演の際にも指揮者が曲の進行を見失い、もう少しで終わらなくなりそうだったと言う。また、岩城宏之もこの曲の演奏を失敗して中断した事があり、その顚末について著書『楽譜の風景』に記述している。
[編集] 脚注
- ^ 『ブーレーズ音楽論 - 徒弟の覚書』 ピエール・ブーレーズ (著), 船山 隆 (翻訳), 笠羽 映子 (翻訳) 晶文社 (1982年1月初版発行)
- ^ («Technique de mon langage musical» Olivier Messiaen. Ed.: Alphonse Leduc, 1944. 日本語訳:『わが音楽語法』 オリヴィエ・メシアン著. - 教育出版, 1954年初版発行、絶版)メシアンはトゥランガリーラ交響曲など数々の自作にもこの「ペルソナージュ・リトミック」を応用させている。


