バイエルン放送交響楽団
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バイエルン放送交響楽団(Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks)はドイツのミュンヘンを本拠として 活動しているバイエルン放送協会の専属オーケストラ(放送交響楽団)であり、戦後設立の比較的歴史の浅いオーケストラながらベルリン・フィルと並ぶ、ドイツを代表するオーケストラのひとつである。また、同じミュンヘンにあるミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団とも高レベルでのライバル関係を築いている。拠点はミュンヘンのレジテンツ内にあるヘラクレス・ザール。
第二次世界大戦終結直後からドイツ各地で放送オーケストラの設立ラッシュが始まり、各放送局が自前のオーケストラを持つようになったが、バイエルン地域の放送オーケストラの設立はそれらの放送オーケストラに遅れる事数年、1949年にようやく設立の運びとなった。
初代首席指揮者はオイゲン・ヨッフムに決まり、設立記念公演は同年7月13日に行われた。このコンサートにはリヒャルト・シュトラウスも招かれ、自作の歌劇「カプリッチョ」の一部を指揮している。シュトラウスはこの公演の2ヶ月後に死去しており、この公演は彼の最後の指揮となった。初の公開コンサートは同年9月29日、初の定期公演は1950年の10月5日にいずれもヨッフムの指揮によって行われている。ヨッフムの指導のもとバイエルン放送響は短期間の間に急成長を遂げ、ドイツを代表するオーケストラという評価が定着する。ヨッフムのレパートリーはドイツの古典派・ロマン派の作品が中心を占めていたが、バイエルン放送響としては、1951年から「ムジカ・ヴィヴァ」という現代音楽シリーズを開催、現代音楽の紹介という放送オーケストラらしい活動も怠る事はなかった。
1960年、ヨッフムはアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に転出、後任はチェコ出身のラファエル・クーベリックが襲名した。クーベリックとのコンビは1978年まで続き、バイエルン放送響はマーラーやチェコの作品を積極的に採り上げるようになる。このオーケストラの初来日が実現したのもクーベリック時代の1965年の事である。
クーベリックの後、数年間首席を置かない形での活動が続き、ようやく1982年の秋からキリル・コンドラシンの首席就任が内定したものの、前1981年にコンドラシンが急逝した事により、1983年秋からコリン・デイヴィスが首席に就任する事になる。1980年代にはレナード・バーンスタインもバイエルン放送響にしばしば客演しており、このコンビでの録音もいくつか遺された。
デイヴィスの後、1993年から2003年までロリン・マゼールが首席を務め、2003年の秋からマリス・ヤンソンスが首席の地位を守っている。
[編集] 歴代首席指揮者
- オイゲン・ヨッフム(1949 - 1960)
ドイツ - ラファエル・クーベリック(1961 - 1978)
チェコ(チェコスロバキア) - コリン・デイヴィス(1982 - 1992)
イギリス - ロリン・マゼール(1993 - 2002)
アメリカ合衆国(生まれはフランス) - マリス・ヤンソンス(2003 - )
ラトビア


