サンクトペテルブルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

サンクトペテルブルク
冬宮
サンクトペテルブルクの市旗
サンクトペテルブルクの市章
市旗 市章
愛称: "Piter"
位置
の位置図
座標: 人) 59°56′N, 30°20′E
行政
市長 ワレンチナ・マトヴィエンコ
地理
面積  
  市域 606 km²
    陸上
    水面   {{{水面面積(平方キロ)}}} km²
      水面面積比率
  市街地
  都市圏
標高 3 ~ 175 m
人口動態
人口 (2002年現在)
  市域 4,661,219 人
    人口密度   3330/km²
  市街地
    市街地人口密度
  都市圏 600万人
    都市圏人口密度
備考
その他
等時帯 MSK (UTC+3
  夏時間
{{{郵便番号の区分}}} {{{郵便番号}}}
市外局番 {{{市外局番}}}
ナンバープレート {{{ナンバープレート}}}
ISO 3166-2 {{{ISOコード}}}
公式ウェブサイト: http://eng.gov.spb.ru/
サンクトペテルブルク周辺の人工衛星写真ラドガ湖から南西に流れ出したネヴァ川は北西に流路を変え、フィンランド湾最深部に流れ込む。サンクトペテルブルグの街はネヴァ川河口の三角州を中心に発達した。
サンクトペテルブルク周辺の人工衛星写真ラドガ湖から南西に流れ出したネヴァ川は北西に流路を変え、フィンランド湾最深部に流れ込む。サンクトペテルブルグの街はネヴァ川河口の三角州を中心に発達した。

サンクトペテルブルクロシア語Санкт-Петербург サンクトピチルブールク)は、ロシア都市レニングラード州の州都である。かつてのロシア帝国の首都。ソ連時代はレニングラードЛенинград リニングラート)であった。

目次

[編集] 地理

[編集] 規模

モスクワと並ぶロシア大都市で、連邦市としてロシア連邦を構成する86連邦構成主体のひとつとなっている。人口は約470万人で、モスクワにつぐロシア第2の都市。面積は1,439km²。

[編集] 概要

北緯59度56分、東経30度20分に位置する。

2003年5月29日には、300周年記念として様々な祭典が催された。

運河をたたえた美しい町であり、北のヴェネツィアと称されることもある。

ロシア文学において重要な位置を占め、プーシキンゴーゴリドストエフスキー他、多くの文学作品の舞台となっている。

エルミタージュ美術館冬宮殿エカテリーナ宮殿アレクサンドル・ネフスキー修道院等の歴史地区は、1990年世界遺産サンクト・ペテルブルク歴史地区と関連建造物群)に登録されている。

[編集] 歴史

[編集] 名前の変遷

都市の名は「聖ペテロの街」を意味する。これは、建都を命じたピョートル大帝ラテン語でペテロ)が自分と同名の聖人ペテロの名にちなんで付けたもの。隣国フィンランドではサンクトペテルブルクを、ペテロのフィンランド語名そのままにピエタリ(Pietari)の名で呼んでいる。

聖ニコライ聖堂
聖ニコライ聖堂

当初はオランダ語風にサンクト・ピーテルブールフСанкт-Питер-Бурх)後にドイツ語風にサンクト・ペテルブルクСанкт-Петербург)と呼ばれるようになる。ちなみにドイツ語で正確には、ザンクト・ペーテルス(現在のドイツ語発音だとペータース)ブルク(Sankt Petersburg)と呼ばれる。ロシア帝国の首都として長く定着していた。

第一次世界大戦ロシアドイツと戦争状態に入ってからロシア語風にペトログラードПетроград1914年から)と改められ、さらにソビエト連邦時代にはレーニンにちなんでレニングラードЛенинградリニングラート1924年から)と改称され、この名称が半世紀続いた。

しかしソ連崩壊を受けて、1991年に住民投票によってロシア帝国時代の現在の名称に再び戻った。ロシア人の間ではピーテルПитерピーチェル)の愛称で呼ばれる。なお、州名は従来どおりレニングラード州となっている。

サンクトペテルブルクの地図(1910年時点)
サンクトペテルブルクの地図(1910年時点)

[編集] 都市の歴史

ピョートル大帝によって1703年5月27日グレゴリオ暦。当時のロシアで使われていたユリウス暦では5月13日)に築かれた人工都市であり、モスクワとサンクトペテルブルクは母性と父性として対比されることもある。その背景としては、モスクワが「大地信仰」を根底とするロシア(「母なる大地、母なるロシア」という表現が用いられる)を象徴する土着の都であったのに対し、ペテルブルクは西欧に倣って「人工的」に建設された西欧的・キリスト教的な父性支配を象徴する都と考えられる、ということがある。

大北方戦争の過程で、スウェーデンから奪取したバルト海フィンランド湾沿岸のイングリアに新都として造営された。河口付近には、ペトロパブロフスク要塞も同時並行で建設されるなど、建造作業は過酷なもので、多くの人命が失われた。その数は1万とも言われる。

ロシア革命では二月革命十月革命の2つの革命の中心地となり、武装蜂起によるボリシェヴィキの政権奪取やレーニンによる憲法制定会議の解散が起こった。その後、ソヴィエト政権は首都をモスクワに移転し、1922年に正式に定められたことで、この町は政治の中心地から外れた。

ロシア・フィンランドの国境に近い為、スターリンはフィンランドに対して「大砲の射程内の地域」の割譲を要求したが、フィンランドはこれを拒み、1939年冬戦争が勃発。フィンランドは善戦したが、結局翌1940年、当該地域の割譲で講和がなされ、この戦争が中立的であったフィンランドの枢軸陣営参加を招いた。第二次世界大戦中は、フィンランド、ドイツ両軍を基幹とする枢軸軍によって約400日にわたる包囲を受けた(レニングラード包囲戦)が、凍結した湖から細々と物資輸送を行うなどして耐え抜いた。

戦後もレニングラードはソ連第2の都市として存在したが、その歴史的経緯からモスクワとは違った文化や風土を維持した。また、レニングラードの共産党第一書記になることは、ソビエト体制の中で重要な位置を占めることと同義であり、クレムリンでの権力ゲームでも影響力を持つことになった。とはいえ、ペテルブルク出身の人物がロシアのトップに上り詰めたことは、革命以降ウラジーミル・プーチン大統領の登場まで絶えてなかった。

1998年に周辺の8市17町(ツァールスコエ・セロークロンシュタット等)を編入し、市域が拡大した。

2008年5月に首都モスクワから憲法裁判所が移転することが決定している。この措置により、サンクトペテルブルクはロシアの首都機能の一部を担うこととなる。

[編集] 行政

[編集] 歴代市長

[編集] 行政機構

サンクトペテルブルク市の行政機構は、市長を頂点に市政府、市長官房(事務局)The Governor's Chancellery、以下の委員会からなる。

[編集] 行政区

サンクト・ペテルブルクには、18の行政区が設置されている。

  • アドミラルチェイスキー区
  • ワーシリエオストロフスキー区
  • ヴィボルグスキー区
  • カリーニンスキー区
  • キーロフスキー区
  • コルピノ区
  • クラスノグヴァールジェイスキー区
  • クラスノセルスキー区
  • クロンシュタットスキー区
  • クロールチヌイ区
  • モスコフスキー区
  • ネフスキー区
  • ペトログラードスキー区
  • ペトロドヴォレツォヴィ区
  • プリモルスキー区
  • プーシキンスキー区
  • フルンゼンスキー区
  • ツェントラーリヌイ区

[編集] 文化

[編集] 文学

サンクトペテルブルクは、ピョートル大帝による建都以来ロシア最大の文化都市として発展してきた。そのため、特に帝政時代にはこの都市を舞台に多くの文化人が活動し、詩や小説などの題材としても扱われてきた。『青銅の騎士』を物した詩人で作家のアレクサンドル・プーシキン、所謂「ペテルブルクもの」を物したウクライナ出身の作家ニコライ・ゴーゴリ、『罪と罰』を物したフョードル・ドストエフスキーなどがその代表である。また、イワン・ツルゲーネフの作品にも描かれるように帝政時代のモスクワはひどい「田舎」扱いされており、ペテルブルクで活躍することこそがエリートの絶対条件であると看做されていた。音楽家や画家もペテルブルクで活動するのが基本であり、特に帝政末期ペテルブルク以外で活動するようになった芸術家の一派は「移動派」と呼ばれた(ペテルブルク以外を巡業する派ということ)。こうしたことから、ペテルブルク人は文化意識・水準が高いという誇りを持っているとされている。

[編集] 音楽

エフゲニー・ムラヴィンスキーが指揮していた時代には、世界有数の実力を誇るオーケストラと言われた。
20年間に渡り音楽監督を務めているヴァレリー・ゲルギエフのもと、現在のロシアで最も評価の高いオペラハウスに成長。オペラ・バレエだけでなくコンサート(同劇場管弦楽団として)においてもレベルの高い演奏を続けている。

[編集] 観光名所

logo

サンクトペテルブルクの歴史的地区と関連する建造物群
ロシア

エルミタージュ美術館の内部
エルミタージュ美術館の内部
(英名) Historic Centre of Saint Petersburg and Related Groups of Monuments
(仏名) Centre historique de Saint-Pétersbourg et ensembles monumentaux annexes
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(1),(2),(4),(6)
登録年 1990年
拡張年
備考
公式サイト ユネスコ本部(英語)
世界遺産テンプレートを使用しています

サンクトペテルブルクの観光名所の多くがユネスコの世界遺産に登録されている。

[編集] 美術館

[編集] 教会・寺院・修道院

[編集] その他の建造物

[編集] 世界遺産登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

  • (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
  • (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

[編集] 主な出身者

[編集] 交通

[編集] 空港

プルコヴォ空港

[編集] 鉄道

サンクトペテルブルクには5つのターミナル駅があり、列車の発着地が駅名となっている。

モスクワ駅
ヴィチェプスク駅
バルチック駅
ラドジスキー駅
フィンランド駅

鉄道でフィンランドからモスクワへ向かう場合、サンクトペテルブルクのフィンランド駅に到着し、市内を移動してモスクワ駅からモスクワへ向けて出発、モスクワのレニングラード駅に到着することになる。

[編集] 近郊の都市

[編集] 姉妹都市

[編集] 双子都市

英語での名称が同一のため、「姉妹都市」でなく「双子都市」(Twin city)提携をしている。なお、セントピーターズバーグの市名はサンクトペテルブルク出身のロシア人移民が故郷にちなんでつけたものである。

[編集] 標準時

この地域は、モスクワ時間帯標準時を使用している。
時差は通常はUTC+3時間で、夏時間UTC+4時間である。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ