イーゴリ・ストラヴィンスキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
イーゴリ・ストラヴィンスキー
И́горь Страви́нский
ロストロポーヴィチ(左)と(1962年9月1日)
ロストロポーヴィチ(左)と(1962年9月1日)
基本情報
出生名 イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー (И́горь Фёдорович Страви́нский)
出生 1882年6月17日
Romanov Flag.svg ロシア帝国 オラニエンバウム(現・ロモノソフ
死没 1971年4月6日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
ジャンル 原始主義、新古典主義セリー主義
職業 作曲家指揮者ピアニスト

イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキーロシア語: И́горь Фёдорович Страви́нскийラテン翻字: Igor Fyodorovitch Stravinsky1882年6月17日 - 1971年4月6日)は、ロシア作曲家である。

同じくロシアの芸術プロデューサーであるディアギレフから委嘱を受け作曲した初期の3作品(『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』)で知られるほか、指揮者ピアニストとしても活動した。20世紀を代表する作曲家の1人として知られ、20世紀の芸術に広く影響を及ぼした音楽家の1人である。ニューヨークで没した。

略歴[編集]

1921年撮影

1882年6月17日サンクトペテルブルク近郊のオラニエンバウム(現・ロモノソフ)に生れた。ウクライナ系またはポーランド系ロシア人の父フョードルはペテルブルク・マリインスキー劇場バス歌手で、家には図書館並みの20万冊もの蔵書を持っていた。

イーゴリは法律を学ぶために現在のサンクトペテルブルク大学に入学した。しかし在学中に作曲家となる意思を固め、1902年から1908年まで、リムスキー=コルサコフに作曲法と管弦楽法を学ぶ。大学でリムスキー=コルサコフの息子と知り合い、仲介してもらったという。1906年には、 従妹エカチェリーナ・ノセンコと結婚。翌年には息子テオドール、翌々年に娘リュドミラを授かる。作曲家のスリマは末子。

1908年に、自作曲『幻想的スケルツォ』と『花火』が初演される。ロシア・バレエ団の主宰者セルゲイ・ディアギレフに認められる。『花火』はもともと師リムスキー=コルサコフの娘の結婚祝いに書いたものであった。

1910年には、ディアギレフの依頼でロシア・バレエ団のための第1作『火の鳥』を創作し、パリオペラ座で初演、大成功を収める。翌1911年には、第2作『ペトルーシュカ』が委嘱され、これも成功を収める。さらに1913年、第3作『春の祭典』がパリで初演される。この上演は楽壇をセンセーショナルな賛否両論の渦に巻き込む。これら3作によってストラヴィンスキーは若手の革命児として名を刻まれる事になった。

1914年第一次世界大戦勃発とともにスイスに居を定める。1917年に起きたロシア十月革命により故国の土地は革命政府に没収される。

1920年パリで『プルチネルラ』を初演。ほか『きつね』、『結婚』、『八重奏曲』、『詩篇交響曲』、『ダンバートン・オークス協奏曲』などを発表するが、この年から1950年までは、彼の新古典主義の時代といわれ、バロック音楽への回帰の時期とされる。

1938年、長女を結核で失い、翌年には妻と母を失う。当時ナチス政府は前衛的なストラヴィンスキーを快く思っておらず、翌1939年秋にアメリカ合衆国へ亡命する。アメリカではハーバード大学で教鞭をとり、その後ハリウッドに住む。画家のヴェラと再婚。『3楽章の交響曲』、バレエ『オルフェウス』、『ミサ曲』、オペラ『放蕩者のなりゆき』などがこの時代の代表作である。

1950年頃より、これまで否定的だった十二音技法を採用して新たな創作の可能性を開く。『七重奏曲』、『エレミア哀歌による「トレニ」』、『バリトンと室内オーケストラのためのバラード「アブラハムとイサク」』、『J.F.ケネディへの哀歌』などを作曲。

1959年、来日し、日比谷公会堂で演奏会を行う。また日本の若手作曲家の武満徹を見出して世界に紹介する。これはのちにバーンスタインが、ニューヨーク・フィル125周年記念の曲を武満に委嘱するきっかけになった。

1962年ソ連を訪問する。1914年に祖国を離れて以来、最初にして最後の帰郷であった。

1969年ニューヨークに転居し、1971年4月6日に89歳で没する。ディアギレフの眠るヴェネツィアサン・ミケーレ島に埋葬された。のちに、妻ヴェラもイーゴリの隣に埋葬された。

作風[編集]

生涯に、原始主義新古典主義セリー主義と、作風を次々に変え続けたことで知られ、「カメレオン」というあだ名をつけられるほど創作の分野は多岐にわたった。さまざまな分野で多くの作品を残しているが、その中でも初期に作曲された3つのバレエ音楽(『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』)が名高く、特に原始主義時代の代表作『春の祭典』は、20世紀の最高傑作と言われている[1]

また、オーケストラ作品ではリムスキー=コルサコフ仕込みの管弦楽法が遺憾なく発揮され、さらにそこから一歩踏み込んだ表現力を実現することに成功している。これらの作品によって、ベルリオーズラヴェル、師のリムスキー=コルサコフなどと並び称される色彩派のオーケストレーションの巨匠としても知られるに至っている。

ストラヴィンスキーは晩年まで「商品価値のつく個人語法、かつ同時代性を有する未聴感は何か?」を追い求めた。過去の作品への執着もつよく、「原曲の著作権料がアメリカでは入ってこない」という理由もあって、演奏頻度の高い『火の鳥』以下3曲のバレエ音楽の改訂を行い続けた。また、自分の演奏が録音されるチャンスがあるとわかれば、指揮やピアノの録音を残した。

後期は現代音楽界からやや離れた次元で、自分の為の音楽を本当に書くことができたが、この時期の音楽は現在も賛否が割れている。

ストラヴィンスキーは、かつてのドイツやロシアの管弦楽に見られるような不明瞭なアーティキュレーションによる残響を毛嫌いした。『火の鳥』1945年版組曲の最終部の自身の演奏にその特徴が顕著に現れている。

また、最晩年にはベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲レコードばかり聴き、セリー主義に転向した際に賞賛したヴェーベルンの音楽も、自分の曲も、決して聴こうとはしなかったという。

原始主義時代[編集]

ストラヴィンスキーの作風は大きく3つの時代に分けることができるが、その最初が原始主義時代である[2]。主な作品として、3つのバレエ音楽(『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』)が挙げられる。複調変拍子、リズム主題の援用などが特徴である。『結婚』を最後にこの傾向は終息する。

新古典主義時代[編集]

バレエ音楽『プルチネルラ』以降はストラヴィンスキーの新古典主義の時代とよばれる。この時期はバロック音楽古典派のような簡素な作風に傾倒した。和声の響きは初期に比べてかなり簡明になった。1939年から1940年に行われた講義の内容を基にした著作『音楽の詩学』がこの時代の音楽観をよく表している。その一方で、新古典主義時代ながら『詩篇交響曲』ではセリー的操作を用いている。これは後の研究で明らかにされた。ストラヴィンスキーが他の楽派の音楽語法も常に見張っていたことが良くわかる。

セリー主義(十二音技法)時代[編集]

第二次世界大戦後は、それまで敵対関係であったシェーンベルクらの十二音技法を取り入れ、またヴェーベルンの音楽を「音楽における真正なるもの」などと賞賛するようになった。これには同じくアメリカに亡命していたクシェネクの教科書からの影響もある。ストラヴィンスキー自身は、「私のセリーの音程は調性によって導かれており、ある意味、調性的に作曲している」と語っており、あくまで調性的な要素の強いセリー音楽である。各楽器をソロイスティックに用いる傾向が一段と強まり、室内楽的な響きを多くのセクションで優先するために、初期の豪華な響きの光沢は全く聞かれなくなった。

ストラヴィンスキーが本当にこの時代に追求したことは音列の絡み具合ではなく、諸様式の交配で得られる一種のポリスタイリズム(多様式)的な感覚である。晩年には「レクイエム」と題する作品も2作残しているが、その中でオケゲムのリズム法に十二音を無理やり当てはめたり、楽譜が十字架を描いたりと、より個人的な作風へ化していった。国際派時代に世界中のオーケストラを指揮して威圧するイメージは、もはや聞かれなくなっていたし、ストラヴィンスキー本人がそう願っていたからでもあった。『レクイエム・カンティクル』のラストではチェレスタグロッケンのデュオに教会の鐘を想起させる模倣を行っており、晩年になってもさらに新しい音楽を求めていたことが良くわかる。

主要作品[編集]

バレエ音楽[編集]

バレエ以外の舞台作品[編集]

交響曲[編集]

協奏曲[編集]

管弦楽曲[編集]

ピアノ曲[編集]

室内楽曲[編集]

  • 11楽器のためのラグタイム(Ragtime pour 11 instruments
  • 八重奏曲Octuor
  • 七重奏曲Septet
  • イタリア組曲Suite italienne) - チェロとピアノ。5曲。
  • イタリア組曲 - ヴァイオリンとピアノ。6曲。
  • ポルカ(1915)(ツィンバロン)(Polka) - 「3つの易しい小品」第3曲の編曲
  • カノン(1917)(Canons) - 2ホルン。未出版
  • 弦楽四重奏のための3つの小品3 Pièces pour quatuor à cordes
  • 弦楽四重奏のためのコンチェルティーノ(Concertino pour quatuor à cordes, 1920年)
  • 弦楽四重奏のための二重カノン (ラウール・デュフィ追悼のための)(Double Canon for string quartet, 1959年)
  • エレジー(Elégie) - ヴァイオリンとピアノ
  • パストラールPastorale) - ヴァイオリンとピアノ
  • バラッド(Ballade) - ヴァイオリンとピアノ
  • 2つのファゴットのための二重奏曲(Duet
  • ヴァイオリンとピアノのための協奏的二重奏曲
  • ヴァイオリンとピアノのためのディヴェルティメント

合唱曲[編集]

  • カンタータ『星の王』(Le roi des étoiles
  • ミサ曲(Mass
  • クレド(使徒信経)
  • 信経(正教会版のニケア・コンスタンチノープル信経
  • 哀歌-預言者エレミアの哀歌(Threni - Id est Iamentationes Jeremiae Prophetae
  • 説教、物語と祈り(A Sermon, a Narrative and a Prayer
  • イントロイトゥス(Introitus

歌曲[編集]

  • パストラール
  • 2つの歌 Op.6
  • ヴェルネーヌの2つの詩 Op.9(2 Poèmes de Verlaine
  • 戦争に行くきのこ
  • 日本の3つの抒情詩(3 Poégies de la lyrique japonaise
  • 子守歌(Berceuse
  • ナディア・ブーランジェの誕生日のためのカノン
  • 梟と猫(The Owl and the Pussycat
  • 小さな音楽の枝

編曲作品[編集]

著作[編集]

  • ストラヴィンスキー 『音楽とは何か』(佐藤浩訳、ダヴィッド社、1955年) 
    • 『音楽の詩学』(笠羽映子訳、転換期を読む:未來社、2012年8月刊)
      ※大学での講義をまとめたもので、原題はPoétique musicale(音楽の詩学)。
  • 『ストラヴィンスキー自伝』(塚谷晃弘訳、全音楽譜出版社、1981年)
    • 『私の人生の年代記 ストラヴィンスキー自伝』(笠羽映子訳、転換期を読む:未來社、2013年3月刊)
  • ストラヴィンスキー談 『118の質問に答える』(ロバート・クラフト編、吉田秀和訳、音楽之友社、1960年)

演奏家としてのストラヴィンスキー[編集]

ストラヴィンスキーは作曲家であるとともに、指揮者、ピアニストとしても知られていた。特に、1950年代から60年代にかけて、コロンビア交響楽団カナダのCBC交響楽団を指揮して主要な自作のほとんどを録音している(CDにして22枚分)。「自作自演」の録音を、彼ほど大量に残した作曲家は絶無である。彼の自作自演盤は、指揮の精度やオーケストラの技術については専門の指揮者による録音に一歩譲るものの、作者自身が想定していた自作のイメージを伝える貴重な遺産となっている。

日本訪問[編集]

1959年大阪東京NHK交響楽団を指揮するために観光を兼ねて来日、約1ヵ月ほど滞在した。

この来日の際、NHK武満徹の「弦楽のためのレクイエム」(武満の作品は、過去に評論家の山根銀二らに「音楽以前」などと酷評されていた)のテープを聴き彼を絶賛する。ストラヴィンスキーに認められたことで、武満の評価は国内外で上昇の一途を辿る。

脚注[編集]

  1. ^ [1][2][3][4]など
  2. ^ デビュー当初は原始主義を標榜していない。

参考文献[編集]

  • 深井史郎『ストラヴィンスキイ』(普及書房/1933年)
  • 柿沼太郎『ストラヴィンスキーの音楽と舞踊作品研究』(新興音楽出版社/1942年)
  • エリク・ホワイト『ストラヴィンスキー』(柿沼太郎訳/音楽之友社/1955年)
  • 宗像喜代次、河野保雄『音楽とは何か ストラヴィンスキー論』(垂水書房/1963年)
  • ロベール・ショアン『ストラヴィンスキー』(遠山一行訳/白水社/1969年)
  • ミシェル・フィリッポ『ストラヴィンスキー』(松本勤、丹治恒次郎訳/音楽之友社/1972年)
  • 船山隆『ストラヴィンスキー 二十世紀音楽の鏡像』(音楽之友社/1985年)
  • C・F・ラミュ『ストラヴィンスキーの思い出』(後藤信幸訳/泰流社/1985年)
  • ヴォルフガング・デームリング『ストラヴィンスキー』(長木誠司訳/音楽之友社/1994年)
  • 『作曲家別名曲解説ライブラリー25 ストラヴィンスキー』(音楽之友社/1995年)
  • 遠山一行『「辺境」の音 ストラヴィンスキーと武満徹』(音楽之友社/1996年)
  • ロバート・クラフト『ストラヴィンスキー友情の日々(上下巻)』(小藤隆志訳/青土社/1998年)
  • 黛敏郎 「イゴール・ストラヴィンスキー印象記」 『音楽の友』 1959年7月号、音楽之友社、1959年
  • 山崎浩太郎 「ストラヴィンスキー来日のころ」 『DVD・大阪国際フェスティバル1959』(ライナーノーツ)、TDKコア2004年
  • Mark McFarland. “Igor Stravinsky.” In Oxford Bibliographies Online: Music. Edited by Bruce Gustavson. New York: Oxford University Press, 2011. http://oxfordbibiographiesonline.com.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]