サンクトペテルブルク大学

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サンクトペテルブルク大学
Санкт-Петербургский государственный университет
サンクトペテルブルク大学の紋章
サンクトペテルブルク大学の紋章
ラテン語名称Universitas Petropolitana
校訓 Hic tuta perennat
創立 1724年
1819年独立
学校種別 公立
学長 ニコライ・クロパチェフ(ru:Кропачев, Николай Михайлович)
職員 15000人
学生 39000人
学部生 32000人[1]
所在地 ロシアの旗 ロシアサンクトペテルブルク
住所 Санкт-Петербург, 199034, Университетская наб., 7/9
キャンパス 都市
郊外
ウェブサイト www.спбгу.рф
Saint petersburg state university.jpg
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サンクトペテルブルク大学ロシア語: Санкт-Петербургский Государственный Университетラテン文字表記の例:Saint Petersburg State University)は、ロシアサンクトペテルブルクにある公立大学モスクワ大学と並ぶロシアの名門大学であり、帝政ロシアソ連時代を通じて、ロシアの教育、文化面で多大な役割を果たし、ロシア最多のノーベル賞受賞者(2013年時点で7人、モスクワ大学6人)など有為の人材を多く輩出した。正式名称はサンクトペテルブルク国立総合大学。ロシアでは通常СПбГУ(エス・ぺ・べ・ゲ・ウー、SPbSU)と呼ばれる。世界大学ランキング(QS World University Ranking 2013)では240位であり、モスクワ大学(120位)についでロシアで二番目の位置にある。

サンクトペテルブルク市ワシリー島にあるサンクトペテルブルク大学本校舎および学長事務局本部のある「12棟の学院館(The Twelve Collegia)」。1722年にピョートル大帝の命令により建設された。

歴史[編集]

1724年ピョートル大帝によって帝國科学アカデミー(現在のロシア科学アカデミー)と同時に設立された。1819年に科学アカデミーから分離され、独立した大学となった。1755年にモスクワ大学が創設されたので、ロシア最古の大学といわれている。

1753年の12棟の学院館
1820年の12棟の学院館

1861年には正規学生が1270人、非正規学生が167人所属しており、そのうち498人が最も大きな学部である法学部に所属していた。しかし1861年から62年にかけて学生暴動がおき、二度も学校が閉鎖となった。学生の集会は警察に規制され、公共の言論は禁止され、多くの学生が退学になり、騒動の後の1865年には学生は524人しか残っていなかった。1869年に再び学生暴動がおきるが、以前のものと比べると小規模のもので、1869年には2588人が大学を卒業している。

第二次世界大戦のあった1941年から44年までのレニングラード包囲戦の際、多くの学生と教員が餓えや戦闘、粛清により死亡した。しかし、1941年から42年にかけてサラトフに学校機能を移転して学校教育は続けられた。1944年に最高会議は、創立125周年の記念とこれまでの科学と文化への貢献を認めてレーニン勲章を授与した。

1940年代後半には、イデオロギーや反ユダヤ主義による粛清が強くなった。とくに1949年には何人かの主要な言語学の教授が愛国心のない世界主義者として糾弾され、学校を去らなければならなかった。そして戦後の冷戦時代、レニングラード大学に入学するユダヤ人には定員制限が存在し、それはペレストロイカまで続いた。また1949年から50年にかけて、レニングラード事件の調査のために監獄にいれられた何人かの教授がそのまま死亡した。

1966年には、数学と科学系の学部を郊外のペトロドヴァレーツ地区に移転することになり、1990年にすべての移転が完了する。1969年には、最高会議は労働赤旗勲章を授与した。

名称は時代によって変更され、帝政時代には、サンクトペテルブルク大学(ペテルブルク大学)、第一次世界大戦勃発により、ペテルブルクがペトログラードに改称したことに伴い、ペトログラード大学ロシア革命により、ジダーノフ記念レニングラード国立大学(レニングラード大学)となり、1991年の八月革命によって「サンクトペテルブルク国立大学」になった。

大学年表
  • 1819年2月8日, 皇帝アレクサンドル1世 により、主要な教育機関であった三つの学院をサンクトペテルブルグ大学の三つの学部(哲学法学部・史学言語学部・物理数学部)として改められた。
  • 1850年:哲学学部の第一学科が史学言語学部、哲学部の第二学科が物理数学部に振り向けられる。この物理数学学部には、生物学や化学も含まれていた。
  • 1855年: 東洋学が史学言語学部から分離され、第四の東洋言語学部が開設される。
  • 皇帝 アレクサンドル2世の命令により、1863年2月18日に学長が選挙により選出されるようになる。また、芸術歴史理論学部が史学言語学部から分離する。
  • 1920年代には、ソ連時代の他の高等教育機関と同様に教育実験の対象となった。学部と学科の構成は変えられ、多くの学部は合併し、分離し、名称変更された。
  • 1925年:地質学部が開設される。
  • 1930年代:いくつかの新設学部が開設される。生物学(1930年)、地質学部(1931年)、化学部(1932年)、数学・力学部(1933年)、史学部(1934)、言語学部(1937年)。哲学部と経済学部は歴史学部から1940年に分離した。
  • 1944年:東洋学部が言語学部から分離する。法学部が再編成される。
  • 1961年: 言語学部からジャーナリズム学部が分離する。
  • 1966年: 哲学部から、心理学部が分離する。
  • 1969年: 応用数学部が数学・力学部から分離する。
  • 1989年: 社会学が新設される。
  • 1991年: 大学名称がサンクトペテルブルク大学に変更になる。
  • 1990年代: 三つの新設学部が開設される。経営学部(1993年)、国際関係学部(1994年)、薬学部(1995年)。
  • 2008-2010年:三つの新設学部が開設される。政治科学部、芸術学部、歯学部。

学部[編集]

芸術学部
東洋学部・言語学部
数学・力学部
医学部
物理学部
哲学部
ジャーナリズム学部
法学部

全部で24の学部があり、そのうち15の学部が都市部のワシリー島にある。選択できるのは通常の昼間課程の他に夜間部・通信講座・予科の課程で、学部課程・専門課程・修士課程・準博士課程・博士課程が用意されている。規模や入試難易度などで有名な学部は、法学部、数学・力学部、哲学部であり、特に法学部の卒業生には著名な政府要職者が多いことで有名。したがって、ロシアで近年一番人気のある法学部はサンクトペテルブルク大学である[2]。サンクトペテルブルク大学法学部はモスクワ大学法学部と同じかそれ以上の高いプレステージがあると言われており、将来政府機関で働きたい学生からは特に人気がある。具体的な卒業生としてはウラジミール・プーチン第2・4代大統領、ドミートリー・メドヴェージェフ第3代大統領、アレクサンドル・コノヴァロフ司法大臣、ドミトリー・コザク副首相、ヴィタリー・ムトコ観光スポーツ青少年政策大臣、アナトーリー・セルジュコフ国防大臣、ヴィクトル・エヴトゥホフ商工業省副大臣、アレクサンドル・スミルロフ司法省主席副大臣、エレーナ・ボルセンコ司法省副大臣、ユーリ・アレクセイエフ内務省副大臣等がおり卒業生は現在のロシア政治エリートの主流派となっている。その他にも下院議員・州知事・検察官・憲法裁判所裁判官・ガスプロム役員など法学部卒業生は多分野で活躍している[3]。またロシア革命の指導者ウラジーミル・レーニンが学んでいたのも現在のサンクトペテルブルク大学法学部である。その他にも、ロシアではピョートル大帝の時代からモンゴル、中国、チベットなどの文献の収集がおこなわれており、その東洋学研究が引き継がれた東洋学部は世界的な東洋学の研究機関として有名である。また、経営学部所属のビジネススクール「Graduate School of Management」(GSOM)は、2005年にSkolkovo Moscow School of Managementと共にロシア連邦政府のリーディング・ビジネススクール優先育成プロジェクトに選ばれ、MBAの取得などでロシアでもっとも充実したビジネス教育環境が整備された。その結果、現在ロシア国内・全東ヨーロッパともにGSOMはビジネススクールランキングで1位[4]、世界全体で60位[5]となっている(ハーバード大学1位、復旦大学29位、ソウル大学56位、東京大学68位、モスクワ大学91位)。


イサク寺院の屋上からみた大学の建物の風景。右端に見えるのが12棟の学院館、その左隣が東洋学言語学部の建物。右奥にはジャーナリスト学部と経営学部の建物が点在している。
ウニベルシテートスカヤ・ナーベレジナヤ(大学の沿岸)通りに見えるサンクトペテルブルグ大学の12棟の学院館。目の前の橋を渡るとすぐにエルミタージュ美術館がある。
12棟の学院館の廊下
1838年のサンクトペテルブルク大学創設記念のメダル


  • 自然科学系学部
    • 応用数学部
    • 生物・土壌学部
    • 化学部
    • 地質学部
    • 地理・環境学部
    • 数学・力学部
    • 医学部
    • 薬学部
    • 物理学部
  • 人文系学部
    • 経済学部
    • 史学部
    • 国際関係学部
    • ジャーナリズム学部
    • 法学部
    • 軍事学部
    • 経営学部
    • 東洋学部
    • 言語学部
      • 言語学部付属ロシア言語文化センター(外国人のためのロシア語学校)
    • 哲学部
    • 心理学部
    • 芸術学部
    • 政治科学部
    • 社会学部
    • スポーツ・体育学部


入学試験[編集]

学部課程および専門課程の入学試験は、原則として統一国家試験Единый государственный экзамен(ЕГЭ)の結果により判断される。一部の専門的知識を前提とする学部ではЕГЭの代わりに独自の試験が設定されている。また、通常の入試の他に学生オリンピック優秀者や障がい者が別枠で入学できるシステムも存在する。 学部・専門課程の2012年度の入学試験には40915人が出願し最終合格して入学したのは2884人であった(合格率7%、競争率約14.2倍)。出願者中、35630人が国費による入学希望者、5285人が私費による入学希望者である。2013年度の出願者は、44800人(国費希望者38900人)でありロシア全体の出願者が減少しているにもかかわらず前年度よりも7%増加している。もっとも人気のあったのは「人的資源管理」のプログラムで、競争率は72.4倍であった(大学新記録)[6]

学術交流提携校[7][編集]

著名な教育者[編集]


出身者[編集]

ウラジミール・プーチン大統領
2011年の経済フォーラムでのドミートリー・メドヴェージェフ首相

脚注[編集]

外部リンク[編集]