ノーベル賞

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ノーベル賞スウェーデン語: Nobelpriset、ノルウェー語:Nobelprisen、英語: Nobel Prize)は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年に始まった世界的な賞である。1年に1回行われる。

ノーベル文学賞の決定機関であるスウェーデン・アカデミー(2005.08)

目次

[編集] 部門

6部門からなり、それぞれが世界的な権威を持つ。特に自然科学部門のノーベル物理学賞、化学賞、生理学・医学賞の3部門における受賞は科学分野における最大級の栄誉であると考えられている。近年は医学・生理学賞と化学賞、物理学賞との境界が曖昧な分野が増えてきている。

複数人による共同研究や、共同ではないが複数人による業績が受賞理由になる場合は、一度に3人まで同時受賞することができる。ただし性質上「複数人による業績」が考えづらい文学賞は例外で、定数は一度に1人と定められている。また、基本的に個人にのみ与えられる賞であるが、平和賞のみ団体の受賞が認められており、過去に国境なき医師団などが受賞している。

2001年から現在まで賞金額は1,000万スウェーデン・クローナ(約1億円)である。賞金の配分については、受賞者が2人(団体)の場合は全賞金を折半する。受賞者が3人(団体)の場合は、「1人ずつが単独の研究による受賞」「3人の共同研究による受賞」であれば1/3ずつ分けられ、「1人が単独、2人が共同研究による受賞」であれば単独受賞の人物が1/2、共同受賞の2人が残りの1/2(1人あたり1/4)を得る形になる。

[編集] 選考

選考は物理学賞、化学賞、経済学賞の3部門についてはスウェーデン科学アカデミーが、生理学・医学賞はカロリンスカ研究所が、平和賞はノルウェー国会が、文学賞はスウェーデン・アカデミーがそれぞれ行う。受賞者へは賞状とメダルと賞金が与えられる。

受賞者に与えられる賞金の原資は、ノーベルの遺産をその遺言に基づいてノーベル財団が運営している。しかし、経済学賞は1968年に設立され(1969年から授賞)、その原資はスウェーデン中央銀行の基金による。そのため、この賞は正式名称を「アルフレッド・ノーベルを記念した経済学におけるスウェーデン中央銀行賞」としており、厳密にはノーベル賞には含めない。

現在は、受賞者が自然人の場合、10月の受賞者発表時点で生存していることが条件とされる。発表された後、12月10日の授賞式までの間に死亡しても、いったん発表された賞が取り消されることはない。

原則的にノーベル賞の選考過程は公表されていない。よって「ノーベル賞の候補」というものは公的には存在しないことになるが、「いつか受賞するだろう」と目される人物が各分野に存在するのも事実である。ロイター(トムソン・ロイター)は毎年独自にノーベル賞候補を選定発表しているが、これは近年の論文の引用数などから算出したものである。ただしノーベル賞はアカデミズムにおいて業績の評価がある程度定着してから決定されることが多いので、必ずしもこの基準で賞が決まるわけではない。

[編集] 授賞式

授賞式は、ノーベルの命日である12月10日に、平和賞を除く5部門はストックホルムスウェーデン)のコンサートホール、平和賞はオスロノルウェー)の市庁舎で行われ(古くはオスロ大学の講堂で行われた)、受賞者には、賞金の小切手、賞状、メダルがそれぞれ贈られる。

ノーベル賞受賞者は受賞後にノーベル・レクチャーと呼ばれる記念講演を行うのが通例になっている。

その後、ノーベル賞受賞者はストックホルム大学やストックホルム経済大学などの大学の学生有志団体が毎年持ち回りで行うパーティーに出席し、そこで大学生らと希望する受賞者はさらなる躍進を願っていっせいに「蛙跳び」をするのが慣例となっている。

[編集] ノーベル賞のメダル

受賞時に渡されるメダルは1902年から使用され、ノーベル財団によって商標登録されている。1901年の第1回受賞時にはメダルが間に合わなかったため、第2回目からの授与となっている。

メダルは表面にアルフレッド・ノーベルの肖像(横顔)と生没年を記している。表面のデザインは物理学賞・化学賞・医学生理学賞・文学賞では同じであるが、平和賞と経済学賞は若干異なる。 裏面のデザインは賞によって異なるが、物理学賞と化学賞は共通のデザインで、自然の女神のベールを科学の女神がそっと外して横顔を覗いているデザインとなっている。 1980年以前のメダルは24Kの純金であったが、落としただけで曲がってしまったり、傷がつきやすいということもあって、現在では18Kを基材として、24Kでメッキした金メダルが使用されている。重量は約200g、直径約6.6cm。

[編集] 科学史としてのノーベル賞

ノーベル賞、特に自然科学部門の賞はその性質として必然的に19世紀末以降の科学史をなぞるようになっている。その歴史は基本的には輝かしいものであるが、誤った業績への授与、あるいは人種差別なども行われていることから負の側面も少なからず存在している。

前述のようにノーベル賞の自然科学分野における受賞者は欧米の研究者を中心としており、黄色人種であることを理由とされて受賞候補から外されるというような負の一面も存在していた[要出典]。欧米以外の国で研究活動を行った非欧米人では、1930年にインド人のチャンドラセカール・ラマンが物理学賞を受賞したのが最初である。日本人である湯川秀樹朝永振一郎らがやはり物理学賞で受賞している。

[編集] 日本人の受賞

詳細は「日本人のノーベル賞受賞者」を参照

日本人としては、第1回から北里柴三郎野口英世などが候補としてエントリーされていたが、受賞はしなかった。北里にいたっては、共同研究者であったエミール・アドルフ・フォン・ベーリングが受賞したにも関わらず、抗毒素という研究内容を主導していた北里が受賞できないという逆転現象が起こっていた。これは後年に公開されたノーベル財団の資料から、北里が黄色人種であったことが原因と判明している[要出典]。また、山極勝三郎市川厚一は、ウサギの耳にコールタールを塗布し続け、1915年に世界初の人工癌発生に成功したが、1926年のノーベル賞は癌・寄生虫起源説のヨハネス・フィビゲルに授与された。世界初のビタミンB1単離に成功した鈴木梅太郎は、ドイツ語への翻訳で「世界初」が誤って記されなかったため注目されず、1929年のノーベル賞を逃した。また、1970年大澤映二豊橋技術科学大学教授はフラーレン (fullerene C60)の存在を理論的に予言したものの、英語論文にせず邦文でのみ発表したため、1996年のノーベル賞を逃し、顛末は当時の雑誌(Nature 384, 608 [26 December 1996])にも掲載された。1998年、スーパーカミオカンデでニュートリノ振動を確認し、ニュートリノの質量がゼロでないことを世界で初めて示した戸塚洋二もノーベル賞候補と目されていたが、2008年に逝去された。

日本人の受賞は戦後の湯川秀樹が初めてである。2008年現在、日本は非欧米諸国の中で最も多くの受賞者を輩出している。現時点での受賞者は、帝国大学とそれを前身とする大学の出身者が多数を占め、白川英樹東京工業大学)、下村脩(現長崎大学・旧制長崎医科大学)を加えると、全てが国立大学の卒業生となる。

なお、日本居住者がノーベル賞受賞に際して受け取った賞金は、日本では所得税法9条13号ホに基づき非課税となる(ただし、経済学賞の賞金については課税される)。これは湯川秀樹がノーベル賞を受賞した時、賞金に課税されることに世論の反発が起こり、1949年11月24日に、「贈與(個人からの贈與及び個人以外のものからの贈與のうち、学術、技芸、慈善その他文化的又は社会的貢献を表彰するものとして交付する報奨金品)を非課税とする」と所得税法が改正された結果である。

氏名 受賞年 部門 理由等
湯川秀樹 1949年 物理学賞 中間子の存在の予想。コロンビア大学在籍中に受賞。
朝永振一郎 1965年 物理学賞 量子電気力学分野での基礎的研究。
川端康成 1968年 文学賞 雪国』、『千羽鶴』、『古都』等の作品。
江崎玲於奈 1973年 物理学賞 半導体におけるトンネル効果の実験的発見。IBM在籍中に受賞。
佐藤栄作 1974年 平和賞 非核三原則の提唱。
福井謙一 1981年 化学賞 化学反応過程の理論的研究。
利根川進 1987年 生理学・医学賞 多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明。MIT在籍中に受賞。
大江健三郎 1994年 文学賞 万延元年のフットボール』、『燃え上がる緑の木』三部作等の作品。
白川英樹 2000年 化学賞 導電性高分子の発見と発展。
野依良治 2001年 化学賞 キラル触媒による不斉合成反応の研究。
小柴昌俊 2002年 物理学賞 天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献。
田中耕一 2002年 化学賞 生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発。
小林誠 2008年 物理学賞 対称性の破れによるクオーク世代の予言(小林・益川理論)。
益川敏英 2008年 物理学賞 対称性の破れによるクオーク世代の予言(小林・益川理論)。
南部陽一郎 2008年 物理学賞 自発的対称性の破れ量子色力学
下村脩 2008年 化学賞 緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見とその開発。ボストン大学在籍中に受賞

大学別(学部卒時点)受賞者数。

自然科学系
なお、受賞時の博士号取得者は2008年時点で受賞者中12名である。4名が、米国の大学または、研究機関在籍中の受賞である。
人文・社会科学系

[編集] 受賞条件と辞退

ノーベル賞は受賞者が自然人の場合、「本人が生存中」が受賞条件だが、かつては、ノミネート時点で生存していれば、受賞決定時に死亡していてもよいこととされており、そのケースに当てはまる受賞者には、1931年文学賞のエリク・アクセル・カールフェルトと、1961年平和賞のダグ・ハマーショルドがいる。1973年から、10月の発表時点で生存している必要があるが、その後死亡しても取り消されないことになり、その規定により1996年経済学賞のウィリアム・ヴィックリーは授賞式前に亡くなっても受賞が取り消されなかった。

これまでにノーベル賞の受賞を辞退した人は、サルトルレ・ドゥク・トの2人である。

[編集] エピソードと評価

数学にノーベル賞が存在しないのは、ノーベルが知人の数学者を嫌っていたためなど諸説ある。また、文学以外の芸術に対する賞がないのは、ノーベルの関心が向けられなかったからといわれている。経済学賞が創設されたのは、ノーベルの経営者としての才覚を評価したゆえであった。

設立当初は受賞者が欧米人が主だったので批判があった。またスウェーデンから受賞者が多かったので批判があったが、現在のようなグローバルな賞ではなく、当初はローカルな賞としてスタートしたことから、やむを得ないとも言える。

毎年1賞あたりの受賞者が3人に制限されていること、ノーベル賞も時代の制約を免れないことなどから、今から考えれば明らかに不適切な賞の選考や、選考に対する激しい議論も後を絶たない。

クリスティアーン・エイクマンビタミンB1の発見によって生理学・医学賞を受賞しているが、エイクマンは米ぬかの中に脚気の治癒に効果のある栄養素(ビタミン)の存在を示唆したにすぎず、実際にその栄養素をオリザニンビタミンB1)として分離・抽出し発見したのは鈴木梅太郎である。

ヨハネス・フィビゲル寄生虫によるガン発生を唱えて生理学・医学賞を受賞しているが、同時期に刺激説を唱えていた山極勝三郎が受賞を逃している。後年、フィビゲルの説は限定的なものであるとして覆され、今日のガン研究はすべて山極の研究に拠っている。

アントニオ・エガス・モニスロボトミー手術による受賞はその技法に疑いがあり、現在では禁止されている。

文学賞は西側の文化や主張を取り入れた作品が多く受賞したので批判があった(近年是正されたが「大陸持ち回り」との批判が出ている)。文学賞は歴史書や哲学書も受賞したことがあったが、イギリス元首相ウィンストン・チャーチルの「第二次世界大戦回顧録」の受賞が選考対象の定義をめぐって論争になり、これ以降純文学に限るとした。

平和賞は戦争を起こした当事者が受賞して批判になった。ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー元米国務長官と北ベトナムのレ・ドゥク・ト元共産党書記がベトナム戦争終結を約したパリ協定の功労による平和賞を受賞したが、レ・ドゥク・トは受賞拒否して戦争も続いている。1945年国連創設の功労で授与されたコーデル・ハルは日本に対米開戦を決意させたハル・ノートを提示した国務長官である。平和賞は受賞した人の国から反発されることがよくある。その例として、ドイツのカール・フォン・オシエツキー、ソ連のアンドレイ・サハロフ、チベットのダライ・ラマ14世(彼の場合反発はチベットを支配している中国からである)、ミャンマーのアウンサンスーチーが有名。

[編集] 備考

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

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