ピアノソナタ第29番 (ベートーヴェン)

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冒頭楽譜
ピアノソナタ第29番 (ベートーヴェン)




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ピアノソナタ第29番変ロ長調作品106は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンによる4楽章ピアノソナタ(全10曲)最後の大曲である。《ハンマークラヴィーア "Hammerklavier"》と呼ばれている。ベートーヴェンはシュタイナー社への手紙の中で、作品101以降のピアノソナタに、ピアノフォルテに代わりドイツ語表記でハンマークラヴィーアと記すように指定している。作品106に限ってハンマークラヴィーアと呼ばれることは、ベートーヴェンの意思に反するだろうが、現在ではこの曲の通称として広く親しまれている。後に続く最後の3曲とは対照的に、規模の巨大さが特徴である。演奏は現在でも非常に困難なものとされ、多くのピアニストにとって“壁のような存在”と言われる。

曲の構成[編集]

第1楽章 Allegro
変ロ長調。ソナタ形式。第2主題はト長調。展開部は四声のフーガである。再現部の後に二次展開部を持つ。
第2楽章 Scherzo. Assai vivace
変ロ長調。スケルツォ。終わり近くに2拍子が差し挟まれる。
第3楽章 Adagio sostenuto
嬰ヘ短調ソナタ形式。20分に及ぶ深遠な楽章。
第4楽章 Largo - Allegro risoluto
変ロ長調。幻想曲風の序奏と、3声のフーガ、コーダからなる。

解説[編集]

ベートーヴェンのピアノ作品中はもちろん、古今のピアノ作品中未曾有の規模を持つ傑作。ピアノ独奏曲・ソナタとして歴史の一角を為すに相応しい高度で膨大な内容を有し、ピアノの持つ表現能力の可能性を極限まで追求している。その技術的要求があまりに高すぎたため、当時のピアノ及びピアニストには演奏不可能だったと言われる。しかし、ベートーヴェン自身は「50年経てば人も弾く!」と一切の妥協をせず、作品の音楽的価値(芸術性)のために考えうるすべてを駆使した。作曲に対する彼の後期様式を強く示す1曲でもある。ピアノソナタながら4楽章を有し、交響曲にも匹敵するほどの高度な内容と演奏時間(約44分)をもつ。

現実には、作曲後20数年でクララ・シューマンフランツ・リストがレパートリー化して、各地で演奏した。またブラームスは自身のピアノソナタハ長調の中で第一楽章同士に酷似した開始をさせている。

この曲を弟子のフェルディナント・リースが出版するとき、ベートーヴェンから1通の手紙が届く。受け取ったその手紙には、第3楽章 Adagio の最初にA-Cisの2つの音符を加えるようにとの指示があった。リースは回想している。「正直に言って、先生は頭がどうかしたのではないかと疑った。これほどまでに徹底的に考え抜かれ、半年も前に完成している大作に、たった2つの音符を送って来るとは。…しかし、この音符がどれほどの効果をもたらすかを知った時、私はさらに増して驚嘆した。」ベートーヴェンが細部まで徹底的にこだわり抜いたことを伝えるエピソードである。

フェリックス・ワインガルトナーは、1926年に管弦楽用の編曲を行って録音(1930年)も残している。

グレン・グールドはインタビューの中で「鏡に映すと右手と左手がそっくり一緒になるパッセージが第4楽章にあり、確実に意図的だ」という指摘を示した。

曲とピアノの発達について[編集]

この曲の成立には当時ベートーヴェン所有の2つのピアノが大きく関係している。すなわち、F1~f4(ドイツ表記、以下同様)の音域を持つシュトライヒャーとC1~c4の音域を持つブロードウッドのピアノの音域が楽章によってそのまま反映されている点が特徴的で、具体的には第1楽章~第3楽章はシュトライヒャーで作曲され、第4楽章はブロードウッドで作曲されている。言い方を変えれば、作曲当時のベートーヴェンの演奏環境では第1楽章~第3楽章はシュトライヒャーでなければ高音域が演奏できないし、第4楽章はブロードウッドでしか低音が演奏できない状態であった。しかも、第4楽章114~115小節目には、実際に楽譜には書かれてはいないがブロードウッド最低音のC1よりも更に低いB2を示唆している箇所さえある(このB2を実際に弾く演奏者もいる)。

事実、第3楽章を作曲中の時期にブロードウッドを手に入れた経緯があったとは言え、何故この様な形で完成となったのか詳しい理由は不明であるが、ベートーヴェンの時代はピアノを含め様々な楽器の改良・発展が盛んであった[1]為、全楽章を一台で弾く事のできるピアノの登場はそう遠くなく実現するだろうと予測しての事であるとの見方が一般的である。 加えて、作曲当時はベートーヴェン本人以外にこの曲を弾ける人間がおらず、上記の様に「50年経てば人も弾く!」と語っていた事から考えても、あまり作曲当時の演奏環境にこだわらなかったものとも考えられる。

また、第3楽章に関してシュトライヒャーではなくブロードウッドの為に書かれたと言う文献を目にする事があるが、第3楽章にはブロードウッドでは演奏不可能な高音のcis4が存在する事と、高音域に関してはベートーヴェンは演奏不可能な音符をほとんどの場合書かない[2]為、ブロードウッドの為に書かれたという説はそのままでは信用し難い。ただし、先にも記した様にベートーヴェンは第3楽章の作曲の途中時期に低音をC1まで演奏できるブロードウッドを入手しており、その影響かどうかは判らないが63小節目にはシュトライヒャーでは演奏が不可能な低音のD1が括弧付きではなく通常の音符として大抵の版に存在している事も混乱を助長している。更に、これまでシュトライヒャーのピアノでは指定する事があまりなかった、弱音ペダル[3]の細かな使用指定が第3楽章では顕著に見られる事もあり、「音域はシュトライヒャーで響きはブロードウッド」の様な楽器を想定している感さえある。今後更なる研究が待たれるところではある。

なお、第1番からこの曲の第3楽章までのベートーヴェンのピアノソナタには、作曲当時のピアノでは演奏不可能であった低音(主にC1~E1)を校訂者によって所々補強されている事があり、Peters版などはその傾向が顕著である。実際の演奏に即してこれらの補強低音を弾くかどうかはシューベルトの場合[4]と同様、演奏者の判断に委ねられる。また、この曲の第4楽章以降に作曲されたベートーヴェンのピアノ曲は基本的にブロードウッドを想定して書かれている。[5]

脚注[編集]

  1. ^ 金管楽器のバルブもちょうどこの頃発明されている。
  2. ^ ピアノ協奏曲第1番の第1楽章やピアノソナタ第17番「テンペスト」の第3楽章が有名。最後のピアノソナタである第32番ですら、第1楽章115小節目でブロードウッドで弾けない高音をメロディーラインを変更して音域内に収めている。例外は少なく、ピアノソナタ第5番第1楽章128小節第3拍のges3(この曲を作曲当時は最高音がf3であった)などが挙げられる。
  3. ^ シュトライヒャーは2弦及び3弦張りで弱音ペダルは3つであったが、ブロードウッドは総3弦張りで弱音ペダルは4つあり弱音ペダルの効果が大きかった。
  4. ^ シューベルトはF1~f4の音域のピアノしか持っていなかった。
  5. ^ ピアノソナタ第30~32番やディアベリ変奏曲などはC1~E1の音域を使用している。

外部リンク[編集]