ピアノソナタ第14番 (ベートーヴェン)

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Bernd KruegerによるMIDIデジタルピアノ演奏(2007年)

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ピアノソナタ第14番嬰ハ短調『幻想曲風に』(ドイツ語: Klaviersonate Nr. 14 cis-moll "Quasi una Fantasia"作品27の2は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン1801年に作曲したピアノソナタ。一般には『月光ソナタ』として知られており、ベートーヴェンの三大ピアノソナタのひとつに含まれる。

概要[編集]

1802年初版譜表紙

ベートーヴェンのピアノソナタでも人気がある曲のひとつであり、8番『悲愴』23番『熱情』と並んで3大ピアノソナタと呼ばれることもある。

この曲は前作のピアノソナタ第13番と組になってひとつの作品(作品27)として発表されており、両者とも「幻想曲風ソナタ」という題名が書かれている。ただし、本作の通称「月光」があまりにも有名になったため、本作を「幻想曲風ソナタ」と呼ぶことはほとんどない。

「月光」という標題は作曲者の意図するところではなく、ベートーヴェンの死後、1832年ルートヴィヒ・レルシュタープドイツ語版が第1楽章について「ルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」とコメントしたことに由来するが、月の光のような印象があるのは第1楽章のみで、「月光」という語には単にこの曲の通称という以上の意味はない。

作曲の経緯[編集]

1801年、ベートーヴェンが30歳のときの作品。ベートーヴェンの弟子で、恋人でもあったイタリアの伯爵令嬢ジュリエッタ・グイチャルディに捧げるために作曲された。ジュリエッタは当時17歳でありベートーヴェンとは14歳差になるが、ベートーヴェンが苦しめられたのは年齢差よりも身分の差であったという。なお、ジュリエッタはシントラーの伝記で「不滅の恋人」であるとされている。

なお、後述の尋常小学校の物語が引用されることがあるが、作り話である。

曲の構成[編集]

第1楽章に緩徐楽章を配置するという、変わった構成をしている。このため「幻想曲風」というタイトルを付けたのではないかと思われる。また、4楽章ソナタの標準的な構成である「アレグロ、緩徐楽章、舞曲、終曲」という構成から第1楽章に相当するアレグロ楽章を省略したものであるとする意見もある。

ストコフスキー編曲による管弦楽バージョンもある。

曲全体は、完成度が非常に高く、楽章ごとにテンポが速くなるという序破急的な展開となっている。

第1楽章 Adagio sostenuto (attacca)
嬰ハ短調複合三部形式。「月光の曲」として知られ、ピアノ音楽の中でも有名な曲のひとつである。右手の三連符と左手の重厚なオクターヴが中心。難曲のひとつであろう。
第2楽章 Allegretto
変ニ長調複合三部形式。軽快なスケルツォAllegroでなくAllegretto楽章であり、軽快さよりも柔和な浮揚感をもって演奏される。
第3楽章 Presto agitato
嬰ハ短調。ソナタ形式無窮動的な終曲。第1楽章、第2楽章と比べテクニック面においては難度が高い。最も重点が置かれる楽章。分散和音が上昇していく主題は作曲者のイディオムである。第二主題には、短調のソナタ形式としては珍しく、属調である嬰ト短調が用いられている(通例は平行調など、長調を用いる)。再現部の後には、協奏曲のカデンツァ風の長大な終結部が置かれている。最後に現れるオクターヴはピアノ協奏曲の第1楽章のそれとほぼ同一であり、協奏曲の持つ名人芸効果をもたらしている。

「月光の曲」[編集]

日本では戦前の尋常小学校の国語の教科書に、「月光の曲」と題する仮構が読み物として掲載されたことがあった。

この物語は19世紀にヨーロッパで創作され、愛好家向けの音楽新聞あるいは音楽雑誌に掲載された。日本では、1892年に上梓された小柳一蔵著『海外遺芳巻ノ一』に『月夜奏琴』という表題で掲載された(中村とうよう1974『ロール・オーヴァー・ベートーヴェン』)。『月光の曲』は、この『月夜奏琴』を読みやすい口語調に書き直したもの。

あらすじ[編集]

ベートーヴェンが月夜の街を散歩していると、ある家の中からピアノを弾く音が聞こえた。良く見てみるとそれは盲目の少女であった。感動したベートーヴェンはその家を訪れ、溢れる感情を元に即興演奏を行った。自分の家に帰ったベートーヴェンはその演奏を思い出しながら曲を書き上げた。これが「月光の曲」である。

ピアノソナタ第14番を題材にした作品[編集]

外部リンク[編集]