ハートの女王

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ジョン・テニエル画:『不思議の国のアリス』のハートの女王とアリス

ハートの女王(ハートのじょおう、:Queen of Hearts)は、ルイス・キャロルの児童小説『不思議の国のアリス』(1865年)の登場人物。トランプの「ハートの女王」をモチーフにしたキャラクターであり、ハートのキングや他のトランプの従者をひきつれて物語の後半に登場する。極度のかんしゃく持ちとして描かれており、些細なことで激昂して口癖のように「首をはねろ!」という台詞を頻発するが、しかし作中で実際にその要求が遂行されることはない。また『不思議の国のアリス』では物語に関連して「ハートの女王」と呼ばれる詩が引用されており、これは現在マザー・グースの一つとして親しまれている。

作中の描写[編集]

ハートの女王の存在は公爵夫人(第6章)や帽子屋(第7章)などによってあらかじめ言及されるが、初登場は第8章「女王のクロッケー場」である。金の鍵を使って扉をくぐり花園に出たアリスは、そこでトランプの庭師たちと出会い、続いてハートの女王が、王や兵士、賓客(白ウサギも混じっている)などを伴ってアリスのそばにやってくる。女王は庭師やアリスを詰問してろくに会話もせずに首をはねさせようとするが、王のとりなしなどによってうやむやになり、女王はアリスをクロッケー大会に参加するように促す。

しかしそのクロッケーは、槌はフラミンゴ、球はハリネズミ、ゲートは生きたトランプであるうえ、女王がひっきりなしに参加者に死刑宣告を行うのでたちまち成り立たなくなる。そこにチェシャ猫が空中に現われ、女王はその首をはねるよう要求するが、チェシャ猫は首だけを現しているため処刑人は困惑する。アリスの助言によって、女王はチェシャ猫の飼い主である公爵夫人を連れてこさせるが、公爵夫人がやってくるころにはチェシャ猫は姿を消している。その後女王は、アリスに「代用ウミガメ」の身の上話を聞いてくるようにと促し、グリフォンに道案内をさせる。

第11章および第12章では、ハートの女王の作ったタルトを盗んだという疑いで、ハートのジャックの裁判が行われる。裁判官役はハートの王で、女王も傍に臨席する。また布告役を白ウサギが務めており、白ウサギはハートのジャックの罪状として後述の詩(「ハートの女王」)を読み上げる。アリスはこの裁判で証人として発言を求められるが、「刑が先、判決は後」などといったハートの女王らの不条理な裁判の進め方に憤慨し、「あんたたちなんか、ただのトランプのくせに!」と叫ぶ。このアリス自身の台詞が、不思議の国から現実の世界へ呼び覚まされるきっかけとなる。

イメージ[編集]

ジョン・テニエルの挿絵によるハートの女王はしばしばヴィクトリア女王に似ていると指摘されており、マイケル・ハンチャーはその著書『アリスとテニエル』(1990年)のなかで、『不思議の国のアリス』と同年に描かれたテニエルによるヴィクトリア女王の絵と比較し、確かな類似を確認している[1]。ハンチャーによれば、ハートの女王にはまた、テニエルがそれ以前に『パンチ』誌に描いた、『ハムレット』のパロディ作品の中のガートルード妃にも似ているという。ここからハンチャーは、ハートの女王がアリスに与えている脅威が母性的、かつ性的なものであることが裏付けられると述べている[2]

さらにハンチャーは、テニエルの挿絵の中のハートの王たちが、トランプの標準的なハートの絵札に準じた服装をしているのに対し、ハートの女王だけはむしろそのライバルであるスペードの女王のような服装をしていることを指摘している。スペードの女王は伝統的に死や復讐と結び付けられてきたカードである[3]。『不思議の国のアリス』と同年に刊行されたトランプ占いの本には、ハートの女王が「愛情、献身、そして分別の規範となるべき人物」とされているのに対し、スペードの女王は「腹を立てさせたらただではすまない、無礼は決して忘れない、意地の悪い人物」と書かれている[4]

ルイス・キャロル自身は、後年の記事「舞台のアリス」(1886年)の中で、「始末におえない激情―盲目的な、手に負えない怒りの化身と言おうか、そういうものとしてハートの女王を作り出した」と述べている。『アリス』の注釈者マーティン・ガードナーはこれに関連して、子供の読み物の中の強暴さを批判する児童文学評論家たちの意見に疑問を呈している[5]

童謡「ハートの女王」[編集]

1901年のマザー・グース集に付けられた「ハートの女王」の挿絵。ウィリアム・ウォレス デンズロウによる。
同上

『不思議の国のアリス』第11章の裁判の場面では、ハートのジャックに対する罪状として、白ウサギが以下の詩を読み上げる。

The Queen of Hearts
She made some tarts,
All on a summer's day;
The Knave of Hearts
He stole the tarts,
And took them clean away.

[6]ハートの女王
タルトつくった
夏の日 1日中かけて
ハートのジャック
タルト盗んだ
タルトを全部もってった

この詩はキャロルの創作ではなく、『ヨーロピアンマガジン』誌1782年4月号に掲載されていた四連の詩をそのまま流用したものである。引用部分はこの詩の一連目の前半であり、もとの詩は以下のように続く。

The King of Hearts
Called for the tarts,
And beat the Knave full sore;
The Knave of Hearts
Brought back the tarts,
And vowed he'd steal no more.

ハートの王様
タルト返せと
ジャックを何度もむち打った
ハートのジャック
タルト返した
もうしませんと約束した

『ヨーロピアンマガジン』掲載の詩ではここからさらにスペード、クラブ、キングのそれぞれの絵札たちの騒動が一連ずつ描かれている[7]。しかし『不思議の国のアリス』ではハートの女王のみが扱われているために、もっぱら一連目のみが歌われるようになった[8]。のちにマザー・グース集にも取り入れられたが、この詩が著名になったのはキャロルが作中で使用したためらしい[9]。なお童謡編纂者のオーピー夫妻は、『ヨーロピアンマガジン』掲載の詩が、もっと古い童謡を第一連として、それに新たに三連を加えたものである可能性を指摘している[10]

翻案映画での扱い[編集]

ディズニーによる翻案アニメ映画『ふしぎの国のアリス』(1951年)では、ハートの女王の言動には、「すべての道は私に従うのだ」などをはじめ、『鏡の国のアリス』の「赤の女王」(チェスの駒を基にしたキャラクター)の言動が取り入れられている。声はベルナ・フェルトン(日本語版は小沢寿美恵)、カメオ出演しているディズニーの『ハウス・オブ・マウス』(2001年)やゲーム『キングダム ハーツ』(2002年)ではトレス・マクニールが声を担当している(日本語版は前者は片岡富枝、後者は小沢寿美恵)。

ティム・バートン監督の映画『アリス・イン・ワンダーランド』では、「赤の女王」にその性格や言動が継承されており、この映画では赤の女王は原作の「ハートの女王」「赤の女王」の組み合わせであるのに加えて、公爵夫人(『不思議の国のアリス』)の外見をもとにした巨大な頭部を持つキャラクターとなっている。この赤の女王を演じているのはヘレナ・ボナム=カーターである。

脚注・出典[編集]

  1. ^ マイケル・ハンチャー 『アリスとテニエル』 石毛雅章訳、東京図書、1997年、106-108頁。
  2. ^ ハンチャー、前掲書、111-112頁。
  3. ^ ハンチャー、前掲書、112-116頁。
  4. ^ ハンチャー、前掲書、276頁(注9)。
  5. ^ マーティン・ガードナー注釈 ルイス・キャロル 『不思議の国のアリス』 石川澄子訳、東京図書、1980年、119頁。
  6. ^ 以下の日本語訳は、鳥山淳子著『もっと知りたいマザーグース』(スクリーンプレイ、2002年)、鷲津名都江著『ようこそ「マザーグース」の世界へ』(日本放送出版協会、2007年)、藤野紀男著『図説 マザーグース』(河出書房新社、2007年)等を参考に、記事作成者が行ったものである。細部の解釈については、諸般の訳本を参照されたい。
  7. ^ マーティン・ガードナー注釈 ルイス・キャロル 『新注 不思議の国のアリス』 高山宏訳、東京図書、1994年、207-209頁。
  8. ^ 鳥山淳子著『もっと知りたいマザーグース』(スクリーンプレイ、2002年)、鷲津名都江著『ようこそ「マザーグース」の世界へ』(日本放送出版協会、2007年)、および藤野紀男著『図説 マザーグース』(河出書房新社、2007年)、参照。
  9. ^ 前掲 ガードナー注釈 『新注 不思議の国のアリス』 207頁。
  10. ^ I. Opie and P. Opie, The Oxford Dictionary of Nursery Rhymes (Oxford: Oxford University Press, 1951, 2nd edn., 1997), pp.427.

関連項目[編集]