ムーンライダーズ

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ムーンライダーズ
基本情報
出身地 日本 東京
ジャンル ロック
ポップロック
ニュー・ウェイヴ
活動期間 1975年-
レーベル ワーナー・パイオニア
日本クラウン
ジャパン
RVC
ポニー・キャニオン
東芝EMI
ファンハウス
キューン
ジョイライド
EAST WEST/ドリームマシン
ムーンライダーズレコーズ
公式サイト moonriders.net
メンバー
鈴木慶一ボーカルギター
岡田徹キーボードコーラス
武川雅寛ヴァイオリントランペット、コーラス)
かしぶち哲郎ドラムス、コーラス)
鈴木博文ベース、ギター、コーラス)
白井良明(ギター、シタール、ギタギドラ、コーラス)(1977年-)
旧メンバー
椎名和夫(ギター)(-1977年)
  

ムーンライダーズMoonriders)は、1975年に結成、1976年にアルバムデビューした日本ロックバンド

目次

[編集] 略歴

[編集] 結成

ムーンライダーズは、はちみつぱい1971年結成、1974年解散)を母体として1975年に結成されたロック・バンドである。同時代にもうひとつのムーンライダーズ(1972年結成、1974年解散)が存在(メンバーは鈴木順鈴木博文松本隆矢野誠山本浩美)していたが、鈴木博文が在籍していた事を除けば、完全に別物である。彼らは便宜上、後にオリジナル・ムーンライダーズと呼ばれることになった。

「ムーンライダーズ」とは、稲垣足穂の小説「一千一秒物語」の一節から鈴木慶一が命名したもので、オリジナル・ムーンライダーズの解散後にメンバーの鈴木博文にムーンライダーズの名前の再利用の承諾を得て、その名前を使うことになった。初期の表記には「ムーンライダース」(雑誌やテレビ等)も見られたが、徳間時代に「ムーンライダーズ」に統一された。

彼らははちみつぱいで為せなかった「音楽で食べていく」事を優先させるため、まず、アグネス・チャンのバックバンドを行うことによりバンドの経済的基盤を確立させた。1975年2月1日青森県五所川原にて初めてアグネス・チャンのステージに立った。その後、香港ツアーにも帯同するなどしてバックバンド活動は1976年2月まで続いた。こうした活動はキャンディーズなどのバッキングへと続く。ただし、かしぶち哲郎は、途中、活動から離脱し細野晴臣のトロピカル・ダンディーズに参加するなどした。

1976年1月25日、「鈴木慶一とムーンライダーズ」として『火の玉ボーイ』でアルバムデビュー。当初、鈴木慶一のソロ・アルバムとして制作が進められていたが、手違いに近い形でバンド名がクレジットされることになった。再発の際に鈴木慶一の単独名義になった時期もあったが、現在リリースされている物は再び「鈴木慶一とムーンライダーズ」名義に戻っている。

[編集] クラウン時代

1977年2月25日にようやく「ムーンライダーズ」としてアルバム『ムーンライダーズ』(クラウンレコード)を発表。サウンドがアメリカ的なものから欧州的になるにつれ、バンド内で抗争が起き、1977年3月24日のライブを最後に、音楽性の相違で椎名和夫が脱退。その後、『火の玉ボーイ』にも参加していたギタリスト白井良明が加入し、現行のメンバーが揃う事になった。

『イスタンブール・マンボ』(1977年)『ヌーベル・バーグ』(1978年)ではさらにその路線を押し進め、サウンドは欧州的から無国籍的な物へと変化していった。『ヌーベル・バーグ』の収録曲「いとこ同士」でシンセサイザーを積極的に楽曲に取り入れたことを皮切りに、バンド内でニュー・ウェイヴ化とアメリカ受容が進み、『モダーン・ミュージック』(1979年)の頃には、ディーヴォのような格好をして、既存の楽曲を解体・再構築するニュー・ウェイヴ・バンドと化した。その格好はすぐに止める事になるが、アルバム制作の際に「縛り」を入れるというルールが残った。『カメラ=万年筆』(1980年)は「架空の映画のサウンド・トラック」をテーマにヌーヴェルヴァーグの映画のタイトルを借用し、楽曲は別物にすり替えた曲が中心となるコンセプト・アルバムになった。

[編集] ジャパン・レコーズ時代~活動休止

1981年にはジャパン・レコーズへ移籍。移籍第1弾アルバム『マニア・マニエラ』は全編にコンピュータを取り入れ、またドラム等の楽器をパーツごとに別々に録音するなど、実験的なレコーディングが試みられ、テクノ・ミュージックやニュー・ウェイヴの頂点ともいうべき作品に仕上がっている。しかし、経費が高額となりレコード会社から「難解すぎる」「これでは売れない」と評されたため、メンバー自ら発売中止を決定した。直後、次作『青空百景』のレコーディングを開始。『マニア・マニエラ』は、当時まったく普及していなかったCDで発売(後に1984年にカセットブック、1986年にキャニオン・レコードよりLPとして発売)された。

以来、RVCキャニオン・レコードへ移籍しながらコンスタントにアルバムを発表した。その後、1986年11月21日の『DON'T TRUST OVER THIRTY』発表後、結成10周年記念として行われた、東京・恵比寿ファクトリー(東京都渋谷区:現在は閉鎖)でのライブの影響や、鈴木慶一の耳などの病気により5年間にわたって活動を停止。メンバーは任天堂のゲームソフト「MOTHER」の音楽制作(鈴木慶一の作品)や音楽プロデュース、ソロアルバムの制作など活発なソロ活動を展開していた。

[編集] 活動再開以降

活動停止期間中には、このまま自然消滅か?との憶測も流れたが、1991年4月26日東芝EMI移籍第1弾アルバム『最後の晩餐』を発表。この年のNHKホール東京都渋谷区)におけるライブのチケットは即日ソールドアウトとなり、待望の復活を果たした。さらに、この後もファンハウスキューン・ソニーレコードと移籍を繰り返しながらも作品を次々と発表し、1999年にはワーナーミュージック・ジャパンのDREAM MACHINEレーベルに移籍し、関係者を驚かせた。そして2年後の2001年には、デビュー25周年を記念してアルバム『Dire Moron TRIBUNE』とファーストアルバム『火の玉ボーイ』の再発売盤をリリースした。2004年には自らのバンド名を冠したレーベルMoonriders Recordsを創立する。2006年にはデビュー30周年を迎え、日比谷野外音楽堂での多くのゲストを招いての記念ライブ、年末の全国ツアーライブ、アルバム『MOON Over the ROSEBUD』のリリースなど、活発な活動を行った。

[編集] 音楽性

彼らの音楽的先進性については、アルバム『ヌーベル・バーグ』(1978年発売)に収録されている楽曲において、当時登場したばかりのシンセサイザーを積極的に楽曲に取り入れたこと、アルバム『モダーン・ミュージック』(1979年)では当時最先端であったニュー・ウェイヴを取り入れたこと、『マニア・マニエラ』(1981年11月24日から録音開始)において、ローランド MC-4というミュージックシーケンサーを取り入れたことなどからもわかる。

テクノムーブメント、サブカルチャー興隆の1980年代後半のアーティストとその客層に重なる高学歴層から徐々に広い地盤を築き[要出典]、現在もソロ活動、音楽プロデューサーなどメンバー個人の活動のほか、アルバム制作やライブ活動も精力的におこなっている。メンバー全員がソングライティングやプロデュース業、スタジオ・ミュージシャン業をこなすという稀有なバンドであり、その膨大な作品群は2001年より「ムーンライダーズのイイ仕事」シリーズとしてビクター、フォーライフ、ユニバーサル、徳間ジャパン、クラウン、東芝EMI、ワーナー、ポニーキャニオンなど各社よりオムニバスアルバムとしてリリースされている。

楽曲のスタイルは常に変遷しているが、メンバーの全員がリードボーカルを担当しており、主要曲は男性ユニゾンとコーラスワークを基本とした曲作りとなっている。また、メンバーそれぞれ多くのCM曲を手がけており、近年では「PlayStation」、「アロエリーナ」、「ドコモダケ」等がある。

アルバムや楽曲のタイトルには、海外の映画や芸術運動の名前を引用することが多い。同様にタイトルや歌詞に犬が頻繁に登場することも特徴といえる。

[編集] メンバー

[編集] 現メンバー

[編集] 元メンバー

[編集] ディスコグラフィー

[編集] アルバム

[編集] マキシ・ミニアルバム

[編集] ベストアルバム

  • BEST SELECTION
  • ゴールデン☆ベスト
  • Anthology moon riders BEST
  • アンソロジー 1976-1996
  • NEW DIRECTIONS OF MOONRIDERS VOL.1

[編集] アーカイブシリーズ

  • Moonlight Recital 1976
  • Kubokudo 1979
  • 1980.2.23 Recital - Modern Music の彼方

[編集] 書籍

  • ユリイカ 2005年6月号 特集 ムーンライダーズ 薔薇がなくちゃ生きてゆけないんだってば!
  • ミュージック・マガジン増刊 ムーンライダーズの30年(2006年)
  • 月光下騎士団大事典~ムーンライダーズデビュー30周年記念目録(2007年)

[編集] ビデオ・DVD

  • DREAM MATERIALIZER
  • moonriders LIVE at SHINJUKU LOFT 2006.4.15 (2008年)
  • The Postwar Babies Show(2005年)
  • 月面讃画~ムーンライダーズ・月面サマーツアー1998

[編集] その他

  • のちのミュージシャン漫画家作家などにも多大な影響を与えた。江口寿史[1]貞本義行[2]わかつきめぐみ[3]松田洋子[4]やまだないと[5]山本直樹[6]みうらじゅん[7]いしかわじゅん[8]及川光博[9]辻仁成[10]らがそれである。また、「ムーンライダーズの弟バンド」と称されたバンドにカーネーション、GRANDFATHERSがいる。
  • 「我々はバンドに起こりうる出来事はすべて経験してきた。自殺と逮捕以外は」と慶一が語るように、メンバー脱退、メンバーの病気、活動休止、レコード会社移籍などさまざまな試練を乗り越え、30余年にわたって活動を続けてきた。中でもバンド史上最大の危機とされたのが、武川のハイジャック事件遭遇。「もしかしたら武川がいなくなってしまうかもしれない」という緊迫した状況下、「ムーンライダーズはこの6人でなければならない」と全員の結束が強固なものとなった。ちなみに無事生還した武川を祝う曲がアルバム「ムーンライダーズの夜」に収録されている。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 「江口寿史の爆発ディナーショー」あとがきより
  2. ^ ファンであることを公言、ジャケットも手がける
  3. ^ コミックで紹介しており、アルバム「宝船ワールド」は鈴木慶一が担当
  4. ^ 「F vol.41」より
  5. ^ コミックス、作品に楽曲タイトルを使用。また鈴木慶一とのコラボ作品「Yの思い出」がある
  6. ^ 大学時代からのファン、「F vol.41」では対談も果たしている
  7. ^ 影響されて作った楽曲があり、メンバーとの交流もある
  8. ^ 「20世紀のムーンライダーズ '98」より
  9. ^ いくつかの楽曲をカヴァーしている
  10. ^ 戯曲「フラジャイル」にスズキケイイチA,B,Cなる人物が登場し、単行本では鈴木慶一と対談している

[編集] 外部リンク