マツダ

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マツダ株式会社
MAZDA Motor Corporation
Mazda logo.svg
Mazda head office 2008.JPG
マツダ本社 2008年5月撮影
種類 株式会社
市場情報
東証1部 7261
略称 マツダ
本社所在地 日本の旗 日本
〒730-8670
広島県安芸郡府中町新地3番1号
北緯34度22分37.3秒 東経132度30分10.8秒 / 北緯34.377028度 東経132.503度 / 34.377028; 132.503
設立 1920年1月30日
業種 輸送用機器
事業内容 乗用車・トラックの製造・販売等
代表者 代表取締役社長 山内孝
資本金 1,865億円
(2010年3月31日現在)
売上高 単体1兆6515億円
連結2兆1639億円
(2010年3月期)
純資産 単体5292億円
連結5098億円
(2010年3月31日現在)
総資産 単体1兆7741億円
連結1兆9477億円
(2010年3月31日現在)
従業員数 単体2万1330人
連結3万9317人
(2009年12月31日現在)
決算期 毎年3月31日
主要株主 アメリカ合衆国の旗 ザ チェース マンハッタン バンク 385036 7.1%
(2010年11月25日現在)
主要子会社 株式会社マツダオートザム
関係する人物 松田重次郎(事実上の創業者)
松田恒次(3代目社長)
外部リンク www.mazda.co.jp
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マツダ株式会社: MAZDA Motor Corporation)は、広島県安芸郡府中町に本社を置く日本自動車発動機メーカー。通称「マツダ」。

目次

[編集] 概要

乗用車トラックの製造、販売等を事業とし、ロータリーエンジンを搭載した自動車を量産し続けている世界で唯一の企業である。特に、ドイツ英国を中心とする欧州やオーストラリアでのブランド評価は高く、2011年のオーストラリアのモデル別自動車販売台数ではアクセラが首位となった。[1]

また、国内生産にこだわっており輸出比率は80%に達している。今後、輸出比率を85%まで伸ばすと山内孝社長が明言している[2]

現在の企業キャッチフレーズは「ZOOM-ZOOM[3]

[編集] 社名について

社名は、創業者・松田重次郎の姓から。東洋コルク工業株式会社に端を発し、1927年東洋工業株式会社となる。 1984年に社名をブランド名のマツダ株式会社に変更。現社名のラテン文字表記をヘボン式ローマ字表記のMATSUDAとせず、MAZDAとしたのは、その字面が悪いこと、またゾロアスター教の主神アフラ・マズダーの綴りとのダブル・ミーニングをも意図してという由来・理由がある[4]。現在の「mazda」ロゴは1975年から、「M」を模ったマーク(通称:カモメマーク)は1997年から使用されている。

自動車検査証上の表記や一般的な通称は「マツダ」、アルファベット表記「MAZDA」。中国語表記は、中国では「马自达」(馬自達)、香港では「萬事得」(万事得)、台湾では「馬自達」(馬自達)となっている。

[編集] 歴代社長

氏名 在任期間 備考
海塚新八 1920年9月
1921年3月
広島産業銀行頭取。倒産寸前の清谷商会を再建するため、広島の財界人に呼びかけて東洋コルク工業株式会社を設立したが、病気のため半年ほどで辞任し、松田重次郎に社長の椅子を譲った。
松田重次郎 1921年3月
1951年12月
創業者。社名を東洋工業株式会社に改称。広島市への原子爆弾投下の影響により、広島県庁に本社施設を一時提供。
松田恒次 1951年12月
1970年11月
松田重次郎の長男。4輪車業界進出・ロータリーエンジン開発を推進し、コスモスポーツ発売。大ヒットモデル・ファミリアルーチェカペラ発売。広島東洋カープ初代オーナー。社長現職のまま死去。
松田耕平 1970年11月
1977年12月
松田恒次の長男。低公害車のルーチェAP登場。コスモ復活。広島東洋カープ2代目オーナー。野球殿堂特別表彰者。広島東洋カープ3代目(現)オーナー・松田元の父。
山崎芳樹 1977年12月
1984年11月
松田家以外の初の社長。サバンナRX-7発売。ファミリア、カペラFF化。大型ワンボックスボンゴブローニィ登場。社名をマツダ株式会社に変更。サンフレッチェ広島の前身・東洋工業サッカー部の初代監督。
山本健一 1984年12月
1987年11月
マツダの元技術者。ロータリーエンジン開発リーダー。R360クーペの生みの親。
古田徳昌 1987年12月
1991年12月
通商産業省(現・経済産業省)出身、初の外部出身の社長。販売5チャンネル化推進。往年の軽自動車・キャロルがオートザムブランドで復活。高級セダンセンティア、カペラセダンの後継車・クロノスロードスター発売。サンフレッチェ広島初代球団社長。
和田淑弘 1991年12月
1996年6月
住友銀行(現・三井住友銀行)出身。バブル崩壊で経営悪化、5チャンネル化が影響。ブローニィの後継ワンボックス・ボンゴフレンディ登場。カペラセダン復活。タクシー専用車から撤退。
ヘンリー・ウォレス
(Henry Wallace)
1996年6月
1997年11月
フォード出身、初の日本人以外の社長。経営危機のマツダを救ったコンパクトカー、デミオ発売。
ジェームズ・ミラー
(James Miller)
1997年11月
1999年12月
フォード出身者としては2代目。ミニバン・MPV初のモデルチェンジ。プレマシー発売。軽自動車完全OEM化。最高級車センティアの生産中止、高級車市場から撤退。
マーク・フィールズ
Mark Fields
1999年12月
2002年6月
フォード出身者としては3代目。新キャッチコピー「ズーム・ズーム」展開。独自開発のSUVトリビュート、カペラの後継・アテンザ発売。
ルイス・ブース
Lewis Booth
2002年6月
2003年8月
フォード出身者としては最後の4代目。英国出身。RX-8発売、デミオ初のモデルチェンジ。
井巻久一 2003年8月
〜2008年11月
日本人では和田以来7年ぶり、生え抜きでは山本以来16年ぶりのトップ。ファミリアの後継・アクセラ発売。ミレーニア生産終了、高級車市場から完全撤退。ベリーサCX-7ビアンテ発売。ロードスター、デミオ、アテンザがモデルチェンジ。
山内孝 2008年11月
〜現在
代表取締役副社長からの昇格。アクセラがモデルチェンジ、「SKYACTIV-TECHNOLOGY」展開開始。CX-5発売。

[編集] キャッチコピー

  • クルマの主流をかえるロータリーのマツダ(1970年代)
  • Better & Better(1970年代後半)
  • 社会にとってのBetterへ 走ることのBetterへ(1970年代後半)
  • 個性あざやかに 品質のマツダ(1980年代)

当時の広告、カタログでは、品質のマツダがついていたが、CM、プロモーションビデオの最後の部分は、品質のマツダがなかった。(上に、「個性あざやかに」下に「Mazda」の文字。)

  • 新しいマツダ、始めます。(1995年~1996年)
  • For mobility pleasure(1995年~1996年)
  • 使えるクルマ・楽しいクルマ。That`s Mazda(1990年代後半)
  • 心を動かす新発想(2000年代前半)
  • ZOOM-ZOOM -もっと乗りたくなる。-(2002年-現在)
  • また提供クレジットでは、走る歓びと環境安全性能の調和をめざすマツダというキャッチコピーもある。

[編集] ロータリーエンジン

マツダのブランドイメージの象徴的なエンジンである。 現在、ロータリーエンジンを搭載した自動車を生産しているメーカーは世界でマツダのみとなっている。

[編集] 車種一覧

[編集] 国内現行車種

[編集] 乗用車

車種 初登場年 現行型 備考
発表 マイナーチェンジ
セダン
AXELA アクセラ 2003年 2009年6月11日(2代目) 2011年9月27日 ファミリア後継
ATENZA アテンザセダン 2002年 2008年1月29日(2代目) 2010年1月26日 カペラ後継
クーペ/コンバーチブル
RX-8 RX-8 2003年 2003年4月9日 2008年3月10日 ロータリーエンジン搭載
ROADSTER ロードスター 1989年[5] 2005年8月25日(3代目) 2008年12月9日 ギネス記録保持
SUV/クロスオーバーSUV
CX-5 CX-5 2012年 2012年2月16日 CX-7の事実上の後継
ステーションワゴン
ATENZA アテンザスポーツワゴン 2002年 2008年1月29日(2代目) 2010年1月26日 カペラワゴン後継
ミニバン/1BOX
MPV MPV 1990年[6] 2006年2月2日(3代目) 2008年1月15日 マツダの最上級ミニバン
PREMACY プレマシー 1999年 2010年7月1日(3代目)  
BIANTE ビアンテ 2008年 2008年7月8日
ハッチバック/2BOX[7]
AXELA アクセラスポーツ 2003年 2009年6月11日(2代目) 2011年9月27日 ファミリアS-ワゴン後継
ATENZA アテンザスポーツ 2002年 2008年1月29日(2代目) 2010年1月26日
DEMIO デミオ 1996年 2007年7月5日(3代目) 2011年6月9日 レビューの実質的な後継
VERISA ベリーサ 2004年 2004年6月28日 2006年8月4日 プレミアムコンパクトカー
MAZDASPEED AXELA マツダスピードアクセラ 2006年 2009年6月11日(2代目) 2011年9月27日
軽自動車
AZ-OFFROAD AZ-オフロード 1998年 1998年10月13日 2004年10月25日 スズキジムニーOEM車種
AZ-WAGON AZ-ワゴン 1994年[8] 2008年9月29日(4代目) スズキワゴンRのOEM車種
CAROL キャロル 1962年[9] 2009年12月17日(6代目) スズキアルトのOEM車種[10]
SCRUM WAGON スクラムワゴン 1989年[11] 2005年9月13日(4代目) スズキエブリイのOEM車種

[編集] 商用車

[編集] 日本国外専売車種

[編集] 今後の車種展開

[編集] メーカーより今後販売終了が公表されている車種

[編集] 過去の販売車種

[編集] セダン/ハードトップ

プレステージサルーン

[編集] クーペ/コンバーチブル

(マツダ初のロータリーエンジン搭載車。スポーツは特撮TV番組、「帰ってきたウルトラマン」にて使用。また、ユーノスコスモは量産車として世界で唯一、3ローターエンジンを搭載した高級パーソナルクーペ)

[編集] SUV/クロスカントリー/ピックアップトラック

[編集] ステーションワゴン

[編集] ミニバン/1BOX

[編集] コンパクトカー/2BOX

[編集] 軽自動車

[編集] 商用車

[編集] マイクロバス
[編集] タクシー / 教習車

[編集] その他

[編集] 無人牽引車
  • ロボコン

 ※1970年代半ばまで構内作業用の電動無人牽引車の製造販売を行っていた。種類も豊富で、特に6トン以上の牽引力を有する中・大型無人牽引車の製造は、国産ではマツダが先駆けであった。昭和40年代に発行された「自動車ガイドブック」にも掲載されている。

[編集] 過去に発表されたコンセプトカー

RX-500
  • RX-500(1970年発表。2008年に外装レストアし再公開。2009年夏、動態修復。)
  • RX-01 (1995年発表。RX-8デザインの源流となる。)
  • 流雅
  • 葉風
  • 大気
  • 風籟


[編集] 過去の販売製品(自動車以外)

  • コルク(東洋コルク工業時代)
  • さく岩機(マツダ株式会社に社名変更後も一貫して「TOYOさく岩機」のブランドで展開。1989年に子会社のマツダアステック株式会社に事業移管後、同社を2002年にスウェーデンのサンドビックグループに営業譲渡し撤退。)
  • 工作機械(1929年の東洋工業時代に製造を始め、1989年に事業を子会社のトーヨーエイテック株式会社に移管。)

[編集] 日本国外向け車名解説

仕向け地により、日本国内とは異なる車名となる場合がある。

  • Mazda8 - MPV
  • Mazda6 - アテンザ
  • Mazda5 - プレマシー 2010年7月にフルモデルチェンジされる。
  • Mazda3 - アクセラ
  • Mazda2 - デミオ 「121」の後継で、本来「1」となるところ、「I」(アイ)と紛らわしいため「2」とした。
  • Xedos 9 - ユーノス800/ミレーニア 日本国内では「9」系(ルーチェ/センティア)の下位で「8」。
  • Xedos 6 - ユーノス500 日本国内では「6」系(クロノス他)の中で唯一小振りなため、「5」とされた。
  • 110S - コスモ
  • RX-2 - カペラロータリー
  • RX-3 - サバンナロータリー
  • RX-4 - ルーチェロータリー
  • RX-5 - コスモAP
  • Bシリーズ - プロシード フォード製V6・V8搭載車もある。
  • Eシリーズ - ボンゴ/ボンゴ ブローニイ
  • Tシリーズ - タイタン

[編集] フォードからの委託生産車種

[編集] フォードへの委託生産車種

[編集] 起亜自動車への委託生産車種

[編集] 販売チャンネル

  • マツダ店(メイン店舗。商用車・乗用車の全車種を販売している)
  • マツダアンフィニ(旧マツダオート店。乗用車を中心としたディーラーとして登場し、1991年11月アンフィニ店に改称、1996年4月にはユーノス店との統合と同時にマツダの名を冠しマツダアンフィニ店となる。アンフィニ店時代はRX-7やMS-8などの専売車種があったが、現在はマツダ店同様全車種扱いである。)
  • マツダオートザム店(元々は軽自動車・小型車を中心としたチャンネルで1989年にオートザム店として開設。経営母体は町の整備工場や中古車ディーラーが多かった。1998年から一定の基準を満たす店舗にマツダの名を冠し現在の名称に変更。軽自動車・小型車のみならずアクセラ・プレマシー・MPVなども取り扱うようになった。)
  • マツダ中販株式会社(業者向け中古車販売。元はユーザー向け販売も行っていたが、現在はオークション出品など、業者向け営業に特化。)

※その他のチャンネル

  • マツダモータース店 - 経営母体は主に町の整備工場で、他チャンネルへの統合等は行われなかった。マツダ販売会社グループには属しておらず、実質淘汰された格好。
  • ユーノス店(1989年9月開設。高級車志向のチャンネル。ロードスターやコスモなどの名車を生んだほかシトロエン車の販売も行ったが、販売が伸び悩み1996年4月アンフィニ店に統合。チャンネル廃止。)
  • オートラマ店(フォードブランド車のチャンネルとして、レーザーやテルスターなどマツダ車の姉妹車を数多く販売。現在は「フォード店」として営業中であり、マツダ製の車種は扱っていない。)

現在は、地方ディーラーの広域経営統合など販売網の再編成が行われ、「マツダ店」「マツダアンフィニ店」「マツダオートザム店」の体制になっている。

[編集] 国内販売での企業努力

  • マツダは過去に、1973年後半に勃発した第一次オイルショックでガソリン価格の高騰と国民全体に省エネルギー志向が強まった影響で、燃費性能の良くないロータリーエンジンが販売不振に陥った「ロータリーショック」と、バブル経済絶頂期の90年代前半にはブランドイメージの向上を狙い、従来の「マツダ」ブランドの他に「ユーノス」「アンフィニ」「オートザム」の独自ブランドと販売網を新たに設けて販売網を拡大したもののバブル経済崩壊後の景気低迷の影響で結果的に失敗に終わり、マツダの低迷期が長く続いていた汚名返上と国内販売拡大を図る目的で、他メーカーに対抗して「大幅値引き」や「安売り広告」による販売拡大策を推し進めていたが、結果的に、マツダ車の代替時に他メーカーディーラーでのマツダ車の下取り価格に大幅な下落が生じ、マツダ車ユーザーやマツダ車ファンからマツダに対する信頼低下を招いたり、自動車ファンや自動車業界内で存在していた「マツダ地獄」や「マツダパターン」の比喩に代表されるマツダ全体の低迷とマツダのブランドイメージ低下に拍車を掛ける悪循環に陥っていた。
  • しかし、フォード傘下入り以降から、ユーザーに「魅力的かつ他社競合車種とのキャラクターの違いがハッキリしている」商品を揃える「ZOOM-ZOOM」のキャッチコピーに代表されるイメージアップ広告の積極化、絶対的な販売台数を減らしてでも大幅値引きに頼る販売を段階的に止めて、メーカーとディーラーとが一体となってマツダのブランドイメージ向上に努めている。

[編集] 開発・生産拠点

[編集] 本社

本社工場(本社地区)

[編集] 開発専門

[編集] 生産機能

[編集] 工場概要

  • 出典:“Mazda in Brief 2004”
生産工場 拠点 生産車種 生産台数(2003)
本社工場(本社) 広島県 安芸郡 府中町広島市  
本社工場(渕崎) 広島県 広島市  
本社工場(向洋・むかいなだ 広島県 広島市  
宇品第1工場(U1) 広島県 広島市 南区 ロードスター、CX-9、RX-8、デミオ、ベリーサ、MPV、ボンゴバン、ボンゴブローニイバン、ビアンテ
12車種混流可能
2004年12月15日に発生した、塗装ライン火災の影響で、2005年1月6日まで操業中止。
スリー・ウエット・オンに対応した新塗装ラインによる完全復旧は、4月27日。
宇品第2工場(U2) 広島県 広島市 南区 プレマシー/日産・ラフェスタハイウェイスター、デミオ、CX-7
2001年9月1日から2004年5月26日まで生産調整のため閉鎖。
防府工場(中関)1981年12月 - 山口県 防府市 トランスミッション
防府第1工場(西浦)1982年 山口県 防府市 アテンザ、アクセラ、プレマシー、トリビュート
防府第2工場(西浦)1992年 山口県 防府市 アテンザ、アクセラ、プレマシー、トリビュート
AutoAlliance International, Inc. アメリカ ミシガン州 Mazda6(アテンザ)
Ford Motor Kansas City Assembly アメリカ ミズーリ州 トリビュート
Ford Motor Edison Assembly アメリカ ニュージャージー州 B-シリーズ
Ford Motor Twin Cities アメリカ ミネソタ州 B-シリーズ
Ford Motor Valencia Body & Assembly スペイン バレンシア州 Mazda2(デミオ) 40,927
Faw Hainan Motor Co., Ltd.
一汽海南汽車有限公司(中止)
中国 海南省 323(ファミリア)、プレマシー 55,320
FAW Car Co. Ltd.
一汽轎車股有限公司
中国 吉林省 Mazda6(アテンザ) 29,980
Chang'an Automobile (Group) Co., Ltd.
重慶長安汽車股有限公司
中国 重慶 Mazda2(デミオ)、Mazda3(アクセラ)
Ford Lio Ho Motor Co., Ltd.
福特六和汽車股公司
台湾 桃園県中壢市 Mazda3(アクセラ)、323(ファミリア)、プレマシー、トリビュート 15,434
AutoAlliance (Thailand) Company Limited タイ ラヨーン県 B-シリーズ 30,652
Swaraj Mazda Ltd. インド パンジャブ州 T-シリーズ 9,635
P.T. National Assembler インドネシア ジャカルタ E-シリーズ 542
Vietnam Motors Corporation ベトナム ハノイ 323(ファミリア)、Mazda6(アテンザ)、プレマシー 2,022
Associated Motors Industries マレーシア スランゴール州 B-シリーズ 620
Ford Motors Philippines Co. フィリピン ラグナ州 323(ファミリア)、Mazda3(アクセラ)、トリビュート 新工場
Compania Colombiana Automotriz S. A. コロンビア ボゴタ Mazda3(アクセラ)、Mazda6(アテンザ)、BT-50、Mazda2(デミオ) 13,428
Manufacturas, Armadurias y Repuestos Equatorianos S. A. (M.A.R.E.S.A.) エクアドル キト 323(ファミリア)、B-シリーズ 3,405
Bahman Motor Center イラン テヘラン 323(ファミリア)、B-シリーズ 9,997
Willowvale Mazda Motor Industries (PVT) Ltd. ジンバブエ ハラレ 323(ファミリア)、626(カペラ)、B-シリーズ、T-シリーズ 2,320
Ford Motor Company of Southern Africa. (Pty) Ltd. 南アフリカ ハウテン州 323(ファミリア)、B-シリーズ 16,492

[編集] 医療機関

マツダ病院

[編集] 物流拠点・国内港

苫小牧小名浜千葉衣浦瀬野川防府多度津、須恵、東郷(福井市

[編集] 他社への委託

[編集] スポーツ

[編集] モータースポーツ

マツダ787B 2005年2月5日

かつては世界ラリー選手権(WRC)ル・マン24時間レースなどにワークスマツダスピード)として積極的に参戦していた。ロータリーエンジン搭載車でのエントリーが主体であるが、レシプロエンジン搭載車であるファミリアWRCに参戦、ランティスJTCCに参戦していたこともある。2000年以降、日本法人のマツダとしては全くモータースポーツにはエントリーしておらず、現在はモータースポーツへの参戦を停止している状態である。しかし、アメリカやオーストラリアの現地法人においては、依然活発なモータースポーツ活動がなされている。

1999年頃までは、マツダのワークスであるマツダスピードがレース活動をしていたが、レース活動の終了をもって、マツダスピードはブランド名だけ残して事実上解散してしまい、ノウハウと人材は社外に放散され失われた。

レース実績など
レース車両
マツダ767B 兵庫県セントラルサーキット 2007年7月8日

etc

[編集] 関連団体

広島東洋カープ
プロ野球セントラル・リーグ所属。1968年に当時の社長であった松田恒次が球団の筆頭株主になって以降、主要株主およびメインスポンサー。その際、当時の球団名「広島カープ」に当時の社名である東洋工業の「東洋」がついて現在の球団名になった。
現在、マツダは球団筆頭株主ではあるが、運営はマツダ創業者一族であり球団株を合計50%以上取得している松田家一族が行っている。そのため球団オーナーは、松田耕平松田元と松田家から輩出している。
2009年、広島東洋カープの新本拠地(広島市民球場)が完成するとマツダが命名権を獲得し、「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」(マツダスタジアム)と称することになった。
なお、日本選手権シリーズではカープが日本一に輝いた場合の最優秀選手に対してはマツダ提供の高級乗用車が贈られた。(過去、1979年・1980年・1984年の3回。カープ以外の優勝であればトヨタ自動車協賛)2007年から乗用車の副賞は廃止されたが、マツダが日本野球機構(NPB)パートナーであることから、2007年以後カープを含む優勝球団の最優秀選手に対するマツダ賞の賞金として100万円が贈られている。
サンフレッチェ広島
マツダ(東洋工業)のサッカー部を母体としたサッカークラブ(Jリーグ所属)で、1992年の設立当初は球団筆頭株主、2007年からは次席株主。主要スポンサーの一つであり、1992年から現在までユニフォームスポンサーを務めている。
マツダブルーズーマーズ
マツダの社会人ラグビーチーム(トップキュウシュウ所属)。現在同社のシンボルチームの一つ。
埼玉ブロンコス
bjリーグ所属のプロバスケットボールチーム。旧マツダオート東京(現・関東マツダ)のバスケットボール部が前身(1996年廃部→クラブチーム化、後にプロ移行)だが、現在はマツダとの直接の関連はない(同業他社である富士重工業が一スポンサーとなっている)。

[編集] その他

  • マツダSC - 現在の同社のサッカークラブ。
  • 東洋工業サッカー部 - かつて存在した同社のサッカークラブで、サンフレッチェ広島やマツダSCの前身。
  • マツダオート広島サッカー部 - かつて存在した同社地元(広島県)ディーラーのサッカークラブ。
  • マッハ隼人 - プロレスラー、元社員。
  • 石田義久 - メキシコシティおよびミュンヘンオリンピック日本代表、第2回アジア選手権金メダリスト。元社員。
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[編集] 経営再建と他企業との関係

バブル期の経営拡大路線が要因となり1990年代中盤に経営不振に陥るも、メインバンクである住友銀行(現・三井住友銀行)の協力や、以前から提携関係にあったフォード・モーターの経営参画により経営体質の改善に努めた。その結果、2000年代に入ってから販売不振にあえぐフォード本体とは対照的に、本来得意とする洗練されたスポーティなデザインと走行性能を重視した独自の商品戦略で、長期低迷していた業績の回復を果たした。特に欧米で販売好調が続き、2007年度の営業利益は過去最高の1,585億円を記録した。

これと同時にフォードグループの中・小型車部門において非常に重要な役割を担うようになった。フォードとは、以前からアジアオセアニア地域向け車両をマツダの車両ベースで販売したり、日本国内ではオートラマ店(現・フォード店)扱いで、マツダ車を日本フォードブランドとして販売する関係であったが、フォード主導での経営再建後は、マツダの得意分野であるFUNな乗り味や若々しいデザインを活かし、フォードグループのエンジン開発やフォードグループ共通のプラットフォーム開発など、フォード本体の車両開発に大きく関わるようになり、マツダはフォードグループの一員としての重責を果たすようになる。

マツダの経営再建に関わったフォードは筆頭株主となり、かつてはマツダ株式の33.4%を保有していた。しかし、世界金融危機 (2007年-)により自動車市場が縮小して業績が悪化したフォードは、自社が保有していたマツダ株式の大半を資金調達のために売却した。現在のフォードは持株比率3.53%の第4位の株主になっている[12]。2010年以降、マツダは会計上フォードの関連会社ではなくなっているが、両社の戦略的提携関係は継続されている。

なお、住友グループ白水会には名を連ねていないが、三井住友銀行(前身の住友銀行時代から)がメインバンクであることから、住友グループとは関係が深い。一部の資料では、マツダを住友グループに含めているものがある(このような企業は他にアサヒビールパナソニックなどがある)。 その関係からか、三井住友銀行をメインバンクとする企業の社用車にはマツダ車が多い。

バブル期から1990年代末にかけて、フランスシトロエン車やイタリアランチアの輸入をしていた時代もある。シトロエンは系列のユーノス店 (ほぼ全店舗) でBXZXエグザンティアが販売され、ランチアは一部のオートザム店でテーマデルタアウトビアンキ/ランチア・Y10を販売していたが、フォードとの関係強化に伴い撤退した。

[編集] 事件・不祥事

[編集] 職場上司のパワハラによる社員の自殺

2007年、当時25歳であった男性社員がうつ病を基に自殺した。男性は、入社20年のベテラン社員が担当していた購買業務を引き継ぐ形で異動し、時間外労働は自殺直前に月80時間を超えていた。しかし上司は男性を叱責し続け、孤立無援の状態に置かれた男性はうつ病を発症し、社宅の自室で首つり自殺した。この上司は男性の自殺後にも、職場で笑いながら「あ、亡くなったわ」「この忙しいのに」と発言したり、同僚が男性の机に花を飾ろうとしたときに「大っぴらにするな」と制したりした。葬儀の場でも、弔文原稿に目を通しながら冗談めいた口調で「泣かすよなあ」と発言した。
マツダは遺族側と裁判で争い、「過重労働はなく、上司もサポートしていた」などと主張していたが、2011年2月、神戸地裁にて「質的、量的に過剰な労働で、自殺は業務に起因する。一方で上司の適切なサポートもなく、同社は安全配慮義務を怠った」として過労自殺が認められ、約6400万円の支払いが命じられた[13][14][15]

[編集] 下請法違反事件

2008年6月、公正取引委員会がマツダに対して、下請事業者への代金支払に関して違法行為があったとして、勧告を行った。2005年7月から2006年11月の間、マツダが取引先から購入した部品について、下請事業者の合意無しに単価を一方的に引き下げた結果、下請代金支払遅延等防止法(下請法)にて禁止されている代金減額が生じたと判断された。これを受けてマツダは、公取から指摘された減額代金全額を、2008年3月に下請事業者へ返還した[16][17]

[編集] マツダ本社工場連続殺傷事件

[編集] 派遣法違反事件

2009年6月、マツダが法定期間(3年)を超えて派遣社員を工場に勤務させたのは、労働者派遣法違反の疑いがあるとして、広島労働局が文書で指導を行った。マツダは本社工場や防府工場に派遣された5人の派遣社員を途中、期間従業員として約3か月間だけ直接雇用し、再び派遣社員で受け入れる方法で、法律上の直接雇用義務が生じる連続3年の派遣期間を超えないように操作していた。県労連は「全国初のケースではないか」としている[18]

[編集] 工業技術短期大学校

マツダ工業技術短期大学校は、技術・技能者を育成するために1988年に設立された、厚生労働省認定の2年制企業内短大である。施設はマツダ本社構内にある。設置学科と定員は、機械システム系生産技術科(2年制)、1学年64名である。教育施設として、教育研修棟とその他マツダ本社施設(自動車工学実習場、 製図室、体育館、プール等)を利用する。入校者は新規の高等学校卒業者と社内選抜者で構成され、全てマツダの社員である。新卒者の場合は入校のための入社試験を実施し、社内選抜者は生産職場に配属された20歳代前半の社員の中から職場推薦を受けた者を対象に選抜試験を行い決定している。

[編集] 関連会社

[編集] 脚注

  1. ^ マツダ車、豪で初の販売1位
  2. ^ 国内生産堅持、マツダの大義に勝算はあるか
  3. ^ もともと、映画、「オンリー・ザ・ストロング」(Only The Strong)がきっかけで 、各国のモーターショーやテレビCM曲にも使われている。2005年から放映されている日本国内向けのCMでは、「♪ZOOM-ZOOM-ZOOM〜走る喜び〜」から始まる日本語の歌詞が加えられた「ZOOM-ZOOM」の曲に変更されている。「ZOOM-ZOOM」の語源は、英語圏の子供が自動車のことを「ZOOM-ZOOM(ブーブー)」と言うところからきている
  4. ^ マツダについて - マツダ公式サイト
  5. ^ マツダブランドへ移行したのは1998年。それ以前はユーノスブランド
  6. ^ 北米市場では1988年に先行登場。1991年から1997年まではアンフィニブランド
  7. ^ アクセラスポーツ、アテンザスポーツ、マツダスピードアクセラに至っては、マツダのWebサイト等ではスポーツカーに分類されている。かつてはデミオ、ベリーサがワゴンに分類された時期もあった。
  8. ^ マツダブランドに移行したのは1997年。それ以前はオートザムブランド
  9. ^ 初代販売終了の1970年から2代販売開始の1989年まで空白期間が存在する。1989年から1997年まではオートザムブランド
  10. ^ OEMになったのは4代目以降
  11. ^ 初代と2代は商用車登録。乗用車登録に移行したのは1999年の3代目以降。1989年初頭と1997年以降を除きオートザムブランド
  12. ^ 主要株主である筆頭株主の異動のお知らせ (PDF)
  13. ^ 鬱で社員自殺、マツダ6400万円賠償命令「上司サポート無し」認定
  14. ^ 過労自殺で「会社の責任認める」判決が増えたワケ
  15. ^ 社員自殺、マツダに過失 地裁支部が6千万円支払い命令
  16. ^ マツダ、下請代金支払遅延等防止法に違反…公取から勧告
  17. ^ マツダ株式会社に対する勧告について
  18. ^ 労働局がマツダを文書指導 派遣社員、3年超受け入れ

[編集] 関連項目

[編集] 企業・資本参加

[編集] ディーラー

[編集] その他

[編集] 外部リンク

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