マツダ

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マツダ株式会社
MAZDA Motor Corporation
Mazda logo.svg
Mazda head office 2008.JPG
マツダ本社(2008年5月撮影)
種類 株式会社
市場情報
東証1部 7261
略称 マツダ
本社所在地 日本の旗 日本
730-8670
本社:
広島県安芸郡府中町新地3番1号
北緯34度22分37秒 東経132度30分11秒 / 北緯34.377058度 東経132.503011度 / 34.377058; 132.503011 (本社)座標: 北緯34度22分37秒 東経132度30分11秒 / 北緯34.377058度 東経132.503011度 / 34.377058; 132.503011 (本社)
東京本社:
東京都千代田区内幸町1丁目1番7号NBF日比谷ビル18F
北緯35度40分18秒 東経139度45分28秒 / 北緯35.671767度 東経139.757682度 / 35.671767; 139.757682 (東京本社)
設立 1920年大正9年)1月30日
業種 輸送用機器
事業内容 乗用車・トラックの製造・販売等(車種一覧を参照)
代表者 金井誠太(代表取締役会長)
小飼雅道(代表取締役社長兼CEO)
丸本明(代表取締役副社長)
資本金 2,589億5,709万6,762円
(2014年3月期)
発行済株式総数 5億9,987万5,479株
(2014年3月期)
売上高 単体:2兆576億1,400万円
連結:2兆6,922億3,800万円
(2014年3月期)
営業利益 単体:1,534億7,600万円
連結:1,821億2,100万円
(2014年3月期)
純利益 単体:1,660億900万円
連結:1,356億9,900万円
(2014年3月期)
純資産 単体:6,782億6,500万円
連結:6,768億3,700万円
(2014年3月期)
総資産 単体:1兆7,971億9,000万円
連結:2兆2,460億3,600万円
(2014年3月期)
従業員数 単体:2万473人
連結:4万892人
(2014年3月現在)
決算期 毎年3月31日
主要株主 日本トラスティ・サービス信託銀行:6.6%
日本マスタートラスト信託銀行:5.2%
三井住友銀行:2.2%
フォード・モーター:2.1%
(2014年3月31日現在)
関係する人物 松田重次郎(事実上の創業者)
外部リンク http://www.mazda.co.jp/
http://www.mazda.com/jp/
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マツダ株式会社英語MAZDA Motor Corporation)は、日本の自動車メーカーである。

概要[編集]

自動車及び同部品の製造・販売を事業としている。本社は広島県安芸郡府中町新地3番1号。2013年度の世界販売台数は133万台[1]

世界で唯一ロータリーエンジンを搭載した自動車を量産していたほか、ロードスターは「2人乗り小型オープンスポーツカー」の生産累計世界一としてギネスブックの認定を受けている[2]1991年には日本メーカーとしては唯一ル・マン24時間レースでの総合優勝を果たした[3]。近年では「Zoom-Zoom」のキャッチフレーズの下、スポーティな車作りに特化し、オーストラリアアクセラ2012年の販売台数首位に立つなど海外での評価が高い[4]

1979年以来、フォードとの提携関係が長く、1996年5月には同社の傘下に入りプラットフォームや生産施設などの共有化が進められたが、2010年11月の株式売却によりフォードグループから事実上独立した[5]。今後は海外生産を拡大して2015年度までに国内生産比率を50%にまでに下げ[6]、顧客との間に強い絆をもった「プレミアムなブランド」を目指すとしている[7]

1920年に「東洋コルク工業株式会社」として創業。1927年以来、「東洋工業株式会社」が正式社名であったが、1984年にブランド名に合わせて「マツダ株式会社」に改称した。英語表記は「MAZDA」。コーポレートマークの「mazda」は1975年から、「M」を模ったエンブレム(通称フライング・M)は1997年から使用されている。現在の社名は、事実上の創業者である松田重次郎の姓と、叡智・理性・調和の神を意味するゾロアスター教の最高神アフラ・マズダー (Ahura Mazdā)にちなみ、自動車産業の光明となることを願ってつけられたことに由来する[8][9]

沿革[編集]

1945年米軍作成の広島市地図。右下猿猴川下流東側が現在の府中本社に当たる。"Tōyō Aircraft Industry"表記のとおり当時米軍には航空機部品加工業と思われていたことがわかる。
コスモスポーツ(1967年)
サバンナRX-7(1978年)
ファミリア(1980年・BD型)
CX-5(2012年)
  • 1920年(大正9年)1月 - 東洋コルク工業株式会社として設立。初代社長に海塚新八が就任。
  • 1921年(大正10年)3月 - 2代目社長に松田重次郎が就任。
  • 1927年(昭和2年)9月 - 社名を東洋工業株式会社に変更。
  • 1931年(昭和6年)10月 - 3輪トラックマツダ号を生産開始。
  • 1945年(昭和20年)8月6日の広島市への原子爆弾投下に際し、郊外にあった本社・工場は直接の被災を免れた。これに伴い、同月から本社施設の一部を広島県に貸与、県庁の全機能が一時的に設置される(-1946年7月)。
  • 1950年(昭和25年)6月 - マツダ初の小型4輪トラックCA車発売。
  • 1951年(昭和26年)12月 - 3代目社長に松田恒次就任。
  • 1957年(昭和32年)1月 - 生産累計20万台達成。
  • 1960年(昭和35年)5月 - 軽乗用車R360クーペ発売。マツダ初の量産型乗用車となる。
  • 1961年(昭和36年)7月 - NSU社およびバンケル社とロータリーエンジンについて技術提携。
  • 1962年(昭和37年)3月 - ベルトーネと乗用車設計について技術提携。
  • 1963年(昭和38年)3月 - 生産累計100万台達成。
  • 1966年(昭和41年)11月 - 宇品乗用車専門工場が完成。
  • 1967年(昭和42年)5月 - 初のロータリーエンジン搭載車コスモスポーツ発売。
  • 1969年(昭和44年)1月 - 生産累計300万台達成。
  • 1970年(昭和45年)
    • 1月 - 日産自動車・東洋工業・フォードの合弁により「日本自動変速機株式会社」(現・ジヤトコ)設立、出資比率は、フォード50%、日産自動車25%、東洋工業25%。
    • 4月 - 対米輸出開始。
    • 11月 - 4代目社長に松田耕平が就任。
  • 1972年(昭和47年)
    • 11月 - 宇品第2工場完成。
    • 12月 - 生産累計500万台達成。
  • 1975年(昭和50年)1月 - タイで現地組立を開始。
  • 1977年(昭和52年)12月 - 5代目社長に山崎芳樹が就任。
  • 1978年(昭和53年)
    • 3月 - サバンナRX-7発売。
    • 11月 - ロータリーエンジン車生産累計100万台達成。
  • 1979年(昭和54年)
    • 6月 - 生産累計1000万台達成。
    • 11月 - フォードが株式の24.5%を取得し資本提携。
  • 1981年(昭和56年)12月 - オートラマ設立。
  • 1983年(昭和58年)9月 - 起亜自動車へ資本参加。
  • 1984年(昭和59年)
    • 5月 - 社名をマツダ株式会社へ変更。
    • 11月 - 6代目社長に山本健一が就任。
  • 1985年(昭和60年)1月 - 米国生産会社MMUCを設立。
  • 1986年(昭和61年)4月 - ロータリーエンジン車生産累計150万台達成。
  • 1987年(昭和62年)
    • 4月 - 生産累計2000万台を達成。
    • 6月 - 横浜に技術研究所を設立。
    • 12月 - 7代目社長に古田徳昌が就任。
  • 1989年(平成元年)
  • 1990年(平成2年)4月 - M2を設立。
  • 1991年(平成3年)
  • 1992年(平成4年)
    • 2月 - 防府第2工場操業開始。
    • 6月 - 米国生産会社MMUCの社名をオートアライアンスインターナショナル(AAI)に変更し、フォードとの合弁企業化。
  • 1993年(平成5年)12月 - フォードとの新戦略的協力関係構築を発表。
  • 1995年(平成7年)
    • 4月 - 生産累計3000万台達成。
    • 11月 - タイでオートアライアンスタイランド(AAT)設立。
  • 1996年(平成8年)
    • 4月 - アンフィニ店をマツダアンフィニ店に呼称変更、ユーノス店をマツダアンフィニ店またはマツダ店に統合。
    • 6月 - フォードが出資比率を33.4%に引き上げ。9代目社長にフォード出身のヘンリーD. G. ウォレスが就任。
  • 1997年(平成年9)
    • 6月 - 新ブランドシンボルを制定。
    • 11月 - 10代目社長にジェームズE. ミラーが就任。
  • 1999年(平成11年)
    • 8月 - ジヤトコの株式を日産に売却。
    • 12月 - 11代目社長にマーク・フィールズが就任。
  • 2000年(平成12年)11月 - 中期経営計画「ミレニアムプラン」を発表。
  • 2001年(平成13年)9月 - 宇品第2工場を閉鎖。
  • 2002年(平成14年)
    • 4月 - 新ブランドメッセージ「Zoom-Zoom」を展開。
    • 5月 - 初代アテンザ発売。
    • 6月 - 12代目社長兼CEOにルイス・ブースが就任。
  • 2003年(平成15年)
    • 1月 - 新世代ロータリーエンジンRENESISの生産を開始。
    • 8月 - 13代目社長兼CEOに井巻久一が就任。
  • 2004年(平成16年)
    • 4月 - 本社第1工場での生産を終了。
    • 5月 - 宇品第2工場を再稼働。
    • 12月 - 宇品第1工場で火災発生。
  • 2005年(平成17年)4月 - 宇品第1工場塗装ライン稼働。
  • 2006年(平成18年)5月 - MINEサーキットを買収し、美祢自動車試験場として開所。
  • 2007年(平成19年)
    • 3月 - 新中期計画「マツダ アドバンスメントプラン」および技術開発の長期ビジョン「サステイナブル“Zoom-Zoom”宣言」を策定。
    • 7月 - 国内生産累計4000万台を達成
  • 2008年(平成20年)11月 - 14代目社長兼CEOに山内孝が就任。フォードが株式を13%残して売却。
  • 2009年(平成21年)11月 - 953億円の増資を実施。
  • 2010年(平成22年)
    • 3月 - トヨタとハイブリッドシステムの技術供与に合意。
    • 10月 - SKYACTIV TECHNOLOGY発表。
    • 11月 - フォードが株式を3.5%残して売却。
  • 2011年(平成23年)
    • 2月 - ロードスターが累計生産90万台を達成、ギネス記録更新を申請。
    • 6月 - 北米生産からの撤退を発表[10]メキシコに車両組立及びエンジン組立工場建設を決定[11]
  • 2012年(平成24年)
    • 2月 - 「構造改革プラン」を発表[12]
    • 3月 - 1442億円の増資を実施。同時に劣後ローンにより700億円を調達。
    • 11月 - トヨタとメキシコ工場における北米向けトヨタ車の生産について合意。
    • 10月 - ロシア工場の操業開始[13]
  • 2013年(平成25年)
    • 1月 - タイに変速機工場建設を決定[14]
    • 3月 - フィアットとオープン2シータースポーツカーにおける事業契約を締結。
    • 6月 - 15代目社長兼CEOに小飼雅道が就任。
    • 8月 - 防府工場の生産累計台数1000万台を達成[15]
  • 2014年(平成26年)
    • 1月 - メキシコ工場操業開始[16]
    • 4月 - コロンビア生産から撤退[17]

歴代社長[編集]

氏名 在任期間 備考
初代 海塚新八 1920年09月 - 1921年03月 広島産業銀行頭取。倒産寸前の清谷商会を再建するため、広島の財界人に呼びかけて東洋コルク工業株式会社を設立したが、病気のため半年ほどで辞任し、松田重次郎に社長の椅子を譲った。
2代 松田重次郎 1921年03月 - 1951年12月 実質的な創業者。社名を東洋工業株式会社に改称。オート三輪製造へ進出して成功、日本国内の小型自動車業界での地歩を築く。広島市への原子爆弾投下の影響により、広島県庁に本社施設を一時提供。
3代 松田恒次 1951年12月 - 1970年11月 松田重次郎の長男。4輪車業界進出・ロータリーエンジン開発を推進し、コスモスポーツ発売。大ヒットモデル・ファミリアルーチェカペラ発売。広島東洋カープ初代オーナー。社長現職のまま死去。
4代 松田耕平 1970年11月 - 1977年12月 松田恒次の長男。低公害車のルーチェAP登場。コスモ復活。広島東洋カープ2代目オーナー。野球殿堂特別表彰者。広島東洋カープ3代目(現)オーナー・松田元広島エフエム放送社長・松田弘の父。
5代 山崎芳樹 1977年12月 - 1984年11月 松田家以外の初の社長。サバンナRX-7発売。ファミリア、カペラFF化。大型ワンボックスボンゴブローニィ登場。社名をマツダ株式会社に変更。サンフレッチェ広島の前身・東洋工業サッカー部の初代監督。
6代 山本健一 1984年12月 - 1987年11月 マツダの元技術者。ロータリーエンジン開発リーダー。R360クーペの生みの親。
7代 古田徳昌 1987年12月 - 1991年12月 通商産業省(現・経済産業省)出身、初の外部出身の社長。販売5チャンネル化推進。往年の軽自動車・キャロルがオートザムブランドで復活。高級セダンセンティア、カペラセダンの後継車・クロノスロードスター発売。サンフレッチェ広島初代球団社長。
8代 和田淑弘 1991年12月 - 1996年06月 住友銀行(現・三井住友銀行)出身。バブル崩壊で経営悪化、5チャンネル化が影響。ブローニィの後継ワンボックス・ボンゴフレンディ登場。カペラセダン復活。タクシー専用車から撤退。
9代 ヘンリー・ウォレス
(Henry Wallace)
1996年06月 - 1997年11月 フォード出身、初の日本人以外の社長。経営危機のマツダを救ったコンパクトカー、デミオ発売。
10代 ジェームズ・ミラー
(James Miller)
1997年11月 - 1999年12月 フォード出身者としては2代目。ミニバン・MPV初のモデルチェンジ。プレマシー発売。軽自動車完全OEM化。最高級車センティアの生産中止、FRセダン市場から撤退。
11代 マーク・フィールズ
(Mark Fields)
1999年12月 - 2002年06月 フォード出身者としては3代目。新キャッチコピー「ZOOM-ZOOM」展開。独自開発のSUVトリビュート、カペラの後継・アテンザ発売。
12代 ルイス・ブース
(Lewis Booth)
2002年06月 - 2003年08月 フォード出身者としては最後の4代目。英国出身。RX-8発売、デミオ初のモデルチェンジ。
13代 井巻久一 2003年08月 - 2008年11月 日本人では和田以来7年ぶり、生え抜きでは山本以来16年ぶりのトップ。ファミリアの後継・アクセラ発売。ミレーニア生産終了、高級車市場から完全撤退。ベリーサCX-7ビアンテ発売。ロードスター、デミオ、アテンザがモデルチェンジ。2010年6月まで代表取締役会長[18]
14代 山内孝 2008年11月 - 2013年06月 代表取締役副社長からの昇格。アクセラがモデルチェンジ。SKYACTIV TECHNOLOGY展開開始。CX-5発売。アテンザがモデルチェンジ。構造改革プランの発表。メキシコタイロシアに工場建設を決定。北米生産から撤退。2010年6月より代表取締役会長兼任[18]
15代 小飼雅道 2013年06月 - 取締役専務執行役員からの昇格。アクセラがモデルチェンジ。メキシコ工場操業開始。コロンビア生産から撤退。

車種一覧[編集]

技術[編集]

開発思想[編集]

マツダは「際立つデザイン」、「抜群の機能性」、「反応の優れたハンドリングと走行性能」を車づくりの指針とし[19]、この指針に基づいて「デザイン」と「パッケージング」、「足回り性能」では世界最高性能を実現する社内規定を設けている[20]。IT技術の採用にも積極的で、特にCAEを用いた開発力については業界随一と他社から評されている[21]

2011年には、自動車を構成する諸要素の全てを刷新し、SKYACTIV TECHNOLOGYとして発表した。SKYACTIV TECHNOLOGYを全面的に搭載した車両は、この取り組みと並行的に進められてきた生産分野の改革「モノ作り革新」により、1ドル77円でも日本国内から輸出して全ての地域で利益を生み出せるコスト競争力を持つ[22]

ロータリーエンジン[編集]

マツダにとって象徴的なエンジンであり、ある役員は「我々の魂の一部」であると語っている[23]。マツダは世界で唯一ロータリーエンジンを搭載した自動車を生産しているメーカーであったが、2012年6月RX-8の生産を終了したため、現在では新車で購入可能なロータリーエンジン搭載車は存在しない[24]。ただし、ロータリーエンジンの研究開発自体は継続されており、スポーツカー担当主査は2017年にもロータリーエンジン搭載車を復活させる予定であると語っている[25]

デザイン[編集]

コンセプトカー(2011年)

1980年代からは「ときめきのデザイン」の名の下、ユーノス500ロードスターといった名車を生み出した。この時期のデザイン力についてあるマツダのデザイナーは、「自他共に認める世界ナンバー1」であったと自負している[26]

フォードが経営の実権を握ってからはフォード出身のデザイン本部長が続き、1999年にはデザインテーマ「コントラスト・イン・ハーモニー」により、ファミリーフェイスを5角形のファイブポイントグリルに統一する事を決定[27]。2001年9月からはモーレイ・カラムの指揮の下、デザインテーマを「アスレティック」とし、初代アテンザRX-8でスポーティーなブランドイメージを定着させた。2006年5月からはローレンス・ヴァン・デン・アッカーが指揮を執り、「(NAGARE)」の名のもと、大気葉風といったコンセプトカーを生み出し、2007年には流雅ルイ・ヴィトン・クラシック・コンセプト・アワードを受賞した[28]

2009年4月にはアッカーのルノーへの転職に伴い、デザイン本部長に前田育男が就任し、2010年に新デザインテーマ「魂動(こどう)-Soul of Motion」をコンセプトカー(SHINARI)と共に発表した[29]。魂動デザインを採用したコンセプトカー(TAKERI)に基づいて開発された3代目アテンザは、2013年の世界・カー・オブ・ザ・イヤーのワールドカーデザインオブザイヤー部門のベスト3に選出されている[30]

マツダ工業技術短期大学校[編集]

マツダ工業技術短期大学校は、 職業能力開発促進法に基づく職業能力開発短期大学校である。技術・技能者を育成するために1988年に設立された。設置学科は機械システム系生産技術科(2年制)のみで、定員は1学年64名。教育施設として、教育研修棟とマツダ本社施設(自動車工学実習場、 製図室、体育館、プール等)を利用する。企業内学校であるため入校者は全てマツダの社員であり、新規の高等学校卒業者と社内選抜者で構成されている。高等学校卒業者の場合は入校のための入社試験を実施し、社内選抜者は生産職場に配属された20歳代前半の社員の中から職場推薦を受けた者を対象に試験が行われる。

ディーラー[編集]

現在のディーラー[編集]

マツダ店
メイン店舗。商用車・乗用車の全車種を販売している。
マツダアンフィニ
旧マツダオート店。乗用車を中心としたディーラーとして登場し、1991年11月アンフィニ店に改称、1996年4月にはユーノス店との統合と同時にマツダの名を冠しマツダアンフィニ店となる。アンフィニ店時代はRX-7MS-8などの専売車種があったが、現在はマツダ店同様全車種扱いである。
マツダオートザム
元々は軽自動車・小型車を中心としたチャンネルで1989年にオートザム店として開設。経営母体は町の整備工場や中古車ディーラーが多かった。1998年から一定の基準を満たす店舗にマツダの名を冠し現在の名称に変更。軽自動車・小型車のみならずアクセラ、プレマシー、MPVなども取り扱うようになった。

過去に存在したディーラー[編集]

マツダモータース店
経営母体は主に町の整備工場で、他チャンネルへの統合等は行われなかった。マツダ販売会社グループには属しておらず、実質淘汰された。
ユーノス
1989年9月開設。高級車志向のチャンネル。ロードスターやコスモなどの名車を生んだほかシトロエン車の販売も行ったが、販売が伸び悩み、1996年4月アンフィニ店に統合。
オートラマ
フォード車のチャンネルとして、レーザーテルスターなどマツダ車の姉妹車を数多く販売した。現在は「フォード店」として営業中であり、マツダ製の車種は扱っていない。

販売方針[編集]

マツダは1988年に、海外販売に依存していた経営体質を改善するため、国内販売を倍増させるとする「B‐10計画」を策定し、従来のマツダ、マツダオート、オートラマに加え、1989年にユーノスとオートザムの独自ブランドと販売網を新たに設立し、当時のトヨタや日産と同様の国内5チャンネル体制を敷いた[31]。1991年にはマツダオートの名称をアンフィニに改称し、高級車専門店とした。しかし、ラインナップの差別化が十分ではなかったためにブランドイメージが混乱し、急激なモデル数の増加による研究開発費や固定費の増大を招いた上に、バブル崩壊後の景気低迷の影響も受け、結果的に5チャンネル体制は失敗に終わった[32]

以来、住友銀行の主導の下、1994年から5チャンネルに広がった販売網の統廃合を進め、1996年にはマツダブランドに再び一本化された[33]。しかし、国内販売では大幅な値引きや安売りに頼った販売拡大策を推し進めたためマツダ車の中古車査定価格は下落し、他社のディーラーに下取りに出そうとしても査定価格が低すぎるため、結果としてマツダ車以外の他社の車に乗り換えられないマツダ地獄と揶揄される状態を招き、ブランドイメージの低下と販売不振を深刻化させる悪循環に陥った。

フォードの傘下に入ってからは、「Zoom-Zoom」のキャッチフレーズの下、スポーティなブランドイメージを構築する戦略を進め、大幅値引きに頼る販売を段階的に止めて、メーカーとディーラーとが一体となってマツダのブランドイメージ向上に努めている。2011年のSKYACTIV TECHNOLOGY導入以降は、世界的に「売り方革新」と呼ばれる販売改革を進めており、インセンティブの削減、正価販売の定着をこれまで以上に進めていくとしている[34]

キャッチコピー[編集]

メイン・キャッチコピー[編集]

  • クルマの主流をかえるロータリーのマツダ(1970年代)
  • Better & Better(1970年代後半)
  • 社会にとってのBetterへ 走ることのBetterへ(1970年代後半)
  • 個性あざやかに 品質のマツダ(1980年代)
当時の広告、カタログでは、品質のマツダがついていたが、CM、プロモーションビデオの最後の部分は、品質のマツダがなかった。(上に、「個性あざやかに」下に「Mazda」の文字。)社名変更後は使われなくなった。
  • 新しいマツダ、始めます。(1995年-1996年)
  • For mobility pleasure(1995年-1996年)
  • 使えるクルマ・楽しいクルマ。That`s Mazda(1996年-1999年)
  • 心を動かす新発想(1999年-2002年)
  • ZOOM-ZOOM (2002年-現在)

サブ・キャッチコピー[編集]

  • 走る歓びと環境安全性能の調和をめざすマツダ
  • 翼をもったクルマへ (2011年)
  • 世界基準の走りとエコを (2012年)
  • 基本が変われば、パフォーマンスも変わる SKYACTIV TECHNOLOGYのマツダ (2013年)
  • 自分の行く道は、自分で決めた方が楽しいに決まっている。Be a driver. (2014年)

他社との関係[編集]

日本国内[編集]

住友グループ
メインバンクである三井住友銀行をはじめ、住友グループとは関係が深い。オイルショック後の1974年には当時の住友銀行から役員の派遣を受け、バブル崩壊後の1991年には住友銀行出身の和田淑弘が社長に就任し、銀行主導でフォードとの提携が進められた[35]。2010年にフォードがマツダの株式を売却した際には、三井住友銀行住友商事が株式の一部を引き受けている[36]。また、住友商事とはメキシコでの生産事業およびブラジルでの販売事業を合弁で行っている[37]。2012年6月には、本社工場などの土地を三井住友ファイナンス&リースに139億円で売却し、これらの施設について今後はリース契約を結んで引き続き使用すると発表した[38]
トヨタ自動車
2010年3月、ハイブリッド技術のライセンス供与で合意した[39]。また2012年11月には、現在建設中のメキシコ工場で製造する予定のデミオをOEM供給し、2015年よりトヨタブランドで北米で販売することを発表した[40]
日産自動車
商用車であるADのOEM調達を受け、ファミリアバンとして販売している。逆に、マツダからはボンゴプレマシーをOEM供給し、それぞれバネットラフェスタ ハイウェイスターとして販売している。
スズキ
軽自動車のOEM調達を受け、それぞれキャロルスクラムAZ-オフロードフレアフレアワゴンフレアクロスオーバーとして販売している。また、インドネシアでは小型MPVエルティガのOEM調達を受け、VX-1の名で販売している[41]
以前は、エンジンプラットフォームの供給を受け、キャロルやAZ-1を製造していた。さらに、AZ-1をスズキにOEM供給し、キャラとして販売していた。また、普通自動車エスクードのOEM調達を受け、プロシードレバンテとして販売していた。
いすゞ自動車
商用車であるエルフのOEM調達を受け、タイタンとして販売している。以前はディーゼルエンジンの供給を受け、タイタンやファミリアに搭載していた。
プレス工業
商用車であるボンゴ・トラックの製造を委託している。 

日本国外[編集]

フォード
1979年11月に発行済み株式の25%を取得して以来、長らく筆頭株主であった。この時期にはマツダ車をベースとした車両をアジア・太平洋地域向で販売したり、日本国内ではマツダ車をオートラマ店(現・フォード店)でフォードブランドとして販売していた。バブル崩壊以後、マツダの経営状況が悪化したため、メインバンクの住友銀行(当時)の呼びかけに応じる形で1996年5月に出資比率を33.4%に引き上げ、経営権を握るに至った。これ以降、社長を始め多数の役員を派遣し、同じくフォードグループであるボルボも含めたプラットフォームやパワートレーンの共同開発・共有化が進められた。
しかし、2007年世界金融危機により業績が悪化したフォードは、2008年11月に保有していたマツダ株式の大半を資金調達のために売却し、さらに2010年には追加売却が行われたことでマツダは会計上フォードの関連会社ではなくなり、実質的にフォードグループから独立した。現在の出資比率は2.1%に留まるが[42]、中国およびタイでの生産合弁事業は継続されている。
フィアット
2013年1月、次期ロードスターをベースに開発したスポーツカーを、傘下のアルファ・ロメオブランドで発売することで合意した[43]。それぞれ独自のエンジンを搭載し、2015年から広島の本社工場で生産される予定である。
第一汽車
中国での生産委託および合弁販売事業を行っている。
長安汽車
共同で出資する「長安マツダ汽車有限会社」を設立し、中国で開発、生産、販売を行っている[44]
ソラーズ
折半出資の合弁企業「マツダソラーズマヌファクトゥリングルース」を設立し、ロシアでCX-5、マツダ6(アテンザ)の生産を行っている[45]
ベルマツ
折半出資の合弁生産・販売会社を設立し、マレーシアでCX-5とアクセラの生産を行っている[46]。2013年6月には、イノコムに委託している現地工場の所有権を取得することを発表した[47]

過去[編集]

三菱自動車工業
1999年から2011年までボンゴをOEM供給し、デリカバン/デリカカーゴとして販売していた。
ホールデン
品供給契約を結び、ロードペーサーを製造した。
起亜自動車
かつて技術提携をしており、特にボンゴに関しては名称もそのままに現地生産が行われた。その影響で、かつての日本同様に韓国においても「ボンゴ」の名称はワンボックスカー全体を指す語となっているとされる。

モータースポーツ[編集]

マツダ・787B

かつては世界ラリー選手権(WRC)ル・マン24時間レースなどにワークスマツダスピード)として積極的に参戦していた。ロータリーエンジン搭載車でのエントリーが主体であるが、レシプロエンジン搭載車であるファミリアWRCに参戦、ランティスJTCCに参戦していたこともある。2000年以降、日本法人のマツダとしては全くモータースポーツにはエントリーしておらず、現在はモータースポーツへの参戦を停止している状態である。マツダスピードはブランド名だけ残して事実上解散してしまい、ノウハウと人材は社外に放散され失われた。なお、マツダ本社がモータースポーツから完全撤退した後も、アメリカやオーストラリアの現地法人では、活発なモータースポーツ活動が継続されている。

レース実績[編集]

Grand Am GX MAZDA6 SKYACTIV-D Racing (2013年)
  • 1970年代サバンナ(RX-3)が国内レースで活躍。日産・スカイラインの連勝記録をストップさせた。
  • 1991年ル・マン24時間レースで総合優勝。(ロータリーエンジン搭載車として、また日本車として唯一の総合優勝)
  • サバンナRX-7IMSAで通算100勝を達成。
  • スパ・フランコルシャン24時間耐久レースでサバンナRX-7が日本車初の総合優勝。
  • オーストラリアでのバサースト12時間耐久レースで、アンフィニRX-7が1992年から94年まで、3年連続でクラス優勝。(現地法人)
  • ロードスターRX-8のワンメイクレース主催。
  • ファミリア世界ラリー選手権(WRC)への参戦。87年スウェディッシュ、88年スウェディッシュ、ニュージーランド優勝。
  • アメリカ合衆国カリフォルニア州モントレーにあるサーキット「ラグナ・セカ」は、マツダが筆頭スポンサーであるため、その名が冠されており、同社における新型車の関連イベントなどにも使用されている。
  • 2005年、クラージュ(Courage) C65 LMP2 車をロード・アトランタでのアメリカン・ル・マンレースに参戦。20B型3ローターエンジンを搭載。
  • 2004年より英国で行われている女性ドライバーによる年間シリーズ「フォーミュラ・ウーマン」は、RX-8のワンメイクシリーズである。
  • 2006年より、アメリカチャンプカー・ワールドシリーズの下位カテゴリーである、チャンプカー・アトランティックシリーズ(フォーミュラカーレースのF3に相当するカテゴリー)にエンジンを供給するコスワースに出資し、マツダエンジンとしてのバッジネームを取得。シリーズ名にも「チャンプカー・アトランティック・パワード・バイ・マツダ」の名が冠せられている。
  • 2008年デイトナ24時間レースのGTクラスでRX-8がクラス優勝を果たした。(現地法人)
  • 2012年6月、マツダが2.2L直列4気筒ディーゼルターボエンジンを、ル・マン24時間レースに出場するLMP2クラスに供給し、2013年にエンジンサプライヤーとしてレースに復活する方向であることが発表された。マツダが参入するLMP2クラスは、2012年のエントリー車1/4に及ぶ13台で、日産製の4.5L V8(VK45DE LMP2:GT500で使用されていたエンジンを改良したもの)エンジンが使用されている。

レース車両[編集]

マツダ767B 兵庫県セントラルサーキット 2007年7月8日

スポンサー[編集]

スポーツ[編集]

国内チーム

広島東洋カープ
プロ野球セントラル・リーグ所属の球団で、持分法を適用していないマツダの非連結子会社。1968年に当時の社長であった松田恒次が球団筆頭株主になって以降、事実上の親会社であり、メインスポンサーでもある。その際、当時の球団名「広島カープ」に当時の社名である東洋工業の「東洋」がついて現在の球団名になった。マツダは球団筆頭株主ではあるが、運営はマツダ創業者一族であり球団株を合計50%以上取得している松田家一族が行っている。そのため球団オーナーは、松田耕平松田元と松田家から輩出している。現在の常務取締役球団本部長の鈴木清明はマツダからの出向である。
2009年、広島東洋カープの新本拠地(広島市民球場)が完成するとマツダが命名権を獲得し、「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」と称することになった。同球場のカープパフォーマンス席上にマツダの広告看板があり宇品・防府で生産する最新車種の宣伝を行っている。
日本選手権シリーズではカープが日本一に輝いた場合の最優秀選手に対してはマツダ提供の高級乗用車が贈られた。(過去、1979年・1980年・1984年の3回。カープ以外の優勝であればトヨタ自動車協賛)2007年から乗用車の副賞は廃止されたが、マツダが日本野球機構(NPB)パートナーであることから、2007年以後カープを含む優勝球団の最優秀選手に対するマツダ賞の賞金として100万円が贈られている。
サンフレッチェ広島
Jリーグ所属のサッカークラブで、マツダの関連会社。マツダ(東洋工業)のサッカー部を母体としており、1992年の設立当初は球団筆頭株主で、2007年からは次席株主である。主要スポンサーの一つでもあり、1992年から現在までユニフォームスポンサーを務めている。
埼玉ブロンコス
bjリーグ所属のプロバスケットボールチーム。マツダオート東京(現・関東マツダ)のバスケットボール部が前身だが、現在はマツダとの直接の関連はない(同業他社である富士重工業が一スポンサーとなっている)。
マツダブルーズーマーズ
マツダの社会人ラグビーチーム。現在同社のシンボルチームの一つ。

海外チーム

大会スポンサー

番組提供[編集]

現在

過去

研究開発拠点[編集]

三次自動車試験場。1974年当時
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
  • 本社研究開発部門 (広島県安芸郡)
    商品・技術企画、デザイン開発、商品開発および育成、重要新技術の先行研究
  • マツダR&Dセンター横浜 (神奈川県横浜市)
    先行商品・先行デザインの調査研究および開発、重要新技術の先行研究
  • マツダノースアメリカン オペレーションズ (アメリカカリフォルニア州アーバインミシガン州フラットロック)
    北米市場における技術・市場動向などの調査・研究、デザインの開発、現地商品適合性評価
  • マツダモーターヨーロッパ (ドイツヘッセン州)
    欧州市場における技術・市場動向などの調査・研究、デザインの開発、現地商品適合性評価
  • マツダ(中国)企業管理有限公司中国技術支援センター (中国上海市)
    中国市場における技術・市場動向などの調査・研究

試験場[編集]

生産拠点[編集]

現在[編集]

国内[編集]

  • 本社工場(広島県安芸郡、広島市南区)
    • 本社(1931年3月操業):ガソリンレシプロエンジン、自動車用手動変速機
    • 宇品(1964年12月操業):ガソリンレシプロエンジン、ディーゼルエンジン
    • 宇品第1工場(1966年11月操業):MPVCX-5CX-9ロードスターベリーサビアンテボンゴデミオ(初代~DE系(1996年~2014年)まで)
    • 宇品第2工場 (1972年12月操業):プレマシー、CX-5
  • 三次事業所 (広島県三次市・1974年5月操業):ガソリンレシプロエンジン
  • 防府工場(山口県防府市
    • 中関(1981年12月操業):自動車用手動変速機、自動変速機
    • 防府第1工場(1982年9月操業):アクセラセダン、アクセラスポーツ、デミオ(2014年7月~(DJ系以降))
    • 防府第2工場(1992年2月操業):アクセラセダン、アテンザセダン、アテンザワゴン
  • プレス工業尾道工場): ボンゴトラック

中米[編集]

欧州[編集]

中国[編集]

  • 一汽乗用車有限公司(吉林省長春市・2003年3月操業)
    • アテンザ、MPV
  • 長安フォードマツダ汽車有限公司南京公司(江蘇省南京市・2007年10月操業)
    • デミオ、アクセラ
  • 長安フォードマツダエンジン有限公司(江蘇省南京市・2007年4月操業)
    • 自動車用エンジン

アジア・太平洋[編集]

その他の地域[編集]

  • フォードモーターカンパニーオブ サザンアフリカ(南アフリカプレトリア・1963年6月操業)
    • BT-50
  • ウィローベールマツダモーターインダストリーズ(ジンバブエ・ハラレ・1980年7月操業)
    • BT-50
  • マヌファクトゥラス アルマドゥリアス イ レプエストス エクアトリアノス S.A.(エクアドルキト・1986年11月操業)
    • BT-50

過去[編集]

  • オートアライアンス・インターナショナル(アメリカ・ミシガン州フラットロック・1987年9月操業 - 2012年8月生産停止[48]
    • アテンザ
  • コンパニアコロンビアナアウトモトリスS.A.(コロンビアボゴタ・1983年4月操業 - 2014年4月生産停止)
    • デミオ、アクセラ、BT-50

統括拠点[編集]

マツダノースアメリカンオペレーションズの本社ビル(カリフォルニア州アーバイン

日本[編集]

  • 広島本社(広島県安芸郡府中町新地3-13-1)
  • 東京本社(東京都千代田区内幸町1-1-7)
  • 大阪支社(大阪府大阪市北区大淀中1-1-88-800)

北米[編集]

  • マツダノースアメリカンオペレーションズ(アメリカ・カリフォルニア州アーバイン、ミシガン州フラットロック)
    • マツダモーターオブアメリカ(アメリカ・カリフォルニア州アーバイン)
    • マツダカナダ(カナダオンタリオ州
    • マツダ・モトール・デ・メヒコ(メキシコ・メキシコシティ

欧州[編集]

中国[編集]

  • マツダ(中国)企業管理有限公司(上海市浦東新区
  • マツダ(中国)企業管理有限公司 北京分公司(北京市朝陽区
  • マツダ(中国)企業管理有限公司 中国技術支援センター(上海市嘉定区
  • 一汽マツダ汽車販売有限公司(吉林省長春市)
  • 長安フォードマツダ汽車有限公司販売分公司長安マツダ事業部(北京市朝陽区)

アジア・太平洋[編集]

その他の地域[編集]

経営再建と他企業との関係[編集]

バブル期の経営拡大路線が要因となり1990年代中盤に経営不振に陥るも、メインバンクである住友銀行(現・三井住友銀行)の協力や、以前から提携関係にあったフォード・モーターの経営参画により経営体質の改善に努めた。その結果、2000年代に入ってから販売不振にあえぐフォード本体とは対照的に、本来得意とする洗練されたスポーティなデザインと走行性能を重視した独自の商品戦略で、長期低迷していた業績の回復を果たした。特に欧米で販売好調が続き、2007年度の営業利益は過去最高の1,585億円を記録した。

これと同時にフォードグループの中・小型車部門において非常に重要な役割を担うようになった。フォードとは、以前からアジアオセアニア地域向け車両をマツダの車両ベースで販売したり、日本国内ではオートラマ店(現・フォード店)扱いで、マツダ車を日本フォードブランドとして販売する関係であったが、フォード主導での経営再建後は、マツダの得意分野であるFUNな乗り味や若々しいデザインを活かし、フォードグループのエンジン開発やフォードグループ共通のプラットフォーム開発など、フォード本体の車両開発に大きく関わるようになり、マツダはフォードグループの一員としての重責を果たすようになる。

マツダの経営再建に関わったフォードは筆頭株主となり、かつてはマツダ株式の33.4%を保有していた。しかし、世界金融危機 (2007年-)により自動車市場が縮小して業績が悪化したフォードは、自社が保有していたマツダ株式の大半を資金調達のために売却した。現在のフォードは持株比率3.53%の第4位の株主になっている[49]。2010年以降、マツダは会計上フォードの関連会社ではなくなっているが、両社の戦略的提携関係は継続されている。

なお、住友グループ白水会には名を連ねていないが、三井住友銀行(前身の住友銀行時代から)がメインバンクであることから、住友グループとは関係が深い。一部の資料では、マツダを住友グループに含めているものがある(このような企業は他にアサヒビールパナソニックなどがある)。 その関係からか、三井住友銀行をメインバンクとする企業の社用車にはマツダ車が多い。マツダは2012年6月、本社工場などの固定資産を三井住友ファイナンス&リースに139億円で売却し、これらの施設について今後はリース契約を結んで引き続き使用すると発表している。

バブル期から1990年代末にかけて、フランスシトロエン車やイタリアランチアの輸入をしていた時代もある。シトロエンは系列のユーノス店 (ほぼ全店舗) でBXZXエグザンティアが販売され、ランチアは一部のオートザム店でテーマデルタアウトビアンキ/ランチア・Y10を販売していたが、フォードとの関係強化に伴い撤退した。

事件・不祥事[編集]

職場上司のパワハラによる社員の自殺[編集]

2007年、当時25歳であった男性社員がうつ病を基に自殺した。男性は、入社20年のベテラン社員が担当していた購買業務を引き継ぐ形で異動し、時間外労働は自殺直前に月80時間を超えていた。しかし上司は男性を叱責し続け、孤立無援の状態に置かれた男性はうつ病を発症し、社宅の自室で首つり自殺した。この上司は男性の自殺後にも、職場で笑いながら「あ、亡くなったわ」「この忙しいのに」と発言したり、同僚が男性の机に花を飾ろうとしたときに「大っぴらにするな」と制したりした。葬儀の場でも、弔文原稿に目を通しながら冗談めいた口調で「泣かすよなあ」と発言した。
マツダは遺族側と裁判で争い、「過重労働はなく、上司もサポートしていた」などと主張していたが、2011年2月、神戸地裁にて「質的、量的に過剰な労働で、自殺は業務に起因する。一方で上司の適切なサポートもなく、同社は安全配慮義務を怠った」として過労自殺が認められ、約6400万円の支払いが命じられた[50][51][52]

下請法違反[編集]

2008年6月、公正取引委員会がマツダに対して、下請事業者への代金支払に関して違法行為があったとして、勧告を行った。2005年7月から2006年11月の間、マツダが取引先から購入した部品について、下請事業者の合意無しに単価を一方的に引き下げた結果、下請代金支払遅延等防止法(下請法)にて禁止されている代金減額が生じたと判断された。これを受けてマツダは、公取から指摘された減額代金全額を、2008年3月に下請事業者へ返還した[53][54]

マツダ本社工場連続殺傷事件[編集]

派遣法違反[編集]

2009年6月、マツダが法定期間(3年)を超えて派遣社員を工場に勤務させたのは、労働者派遣法違反の疑いがあるとして、広島労働局が文書で指導を行った。マツダは本社工場や防府工場に派遣された5人の派遣社員を途中、期間従業員として約3か月間だけ直接雇用し、再び派遣社員で受け入れる方法で、法律上の直接雇用義務が生じる連続3年の派遣期間を超えないように操作していた。県労連は「全国初のケースではないか」としている[55]

関東マツダによる修理費不正請求[編集]

2012年1月、マツダの連結子会社である関東マツダは、事故車両の修理費を損害保険会社に水増し請求する不正があったと公表した[56]。不正は2006年4月以降、2978件あり、水増しした請求額は計約7707万円に上った[57]。このため国土交通省関東運輸局は関東マツダに調査を指示し、行政処分を下した[58]。なお、事件発覚時に関東マツダ代表取締役を務めていた西山雷太社長は2013年5月にマツダ本社の執行役員に昇格している[59]

関連会社[編集]

連結子会社[編集]

持分法適用会社[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 【MAZDA】業績ハイライト|業績・財務データ”. 2014年8月15日閲覧。
  2. ^ 「マツダ ロードスター」が累計生産90万台を達成、ギネス記録更新を申請”. 2013年6月2日閲覧。
  3. ^ 【MAZDA】ルマン優勝20周年記念スペシャルサイト|ロータリーエンジン”. 2013年6月2日閲覧。
  4. ^ Car sales 2012: Mazda3 retains its title as Australia’s most popular car”. 2013年6月2日閲覧。
  5. ^ 【MAZDA】マツダ、フォードの持株比率の変更について|ニュースリリース”. 2013年6月2日閲覧。
  6. ^ 【MAZDA】中長期施策の枠組み|経営方針”. 2013年6月2日閲覧。
  7. ^ 【MAZDA】マツダのビジョン|マツダについて”. 2013年11月27日閲覧。
  8. ^ 【MAZDA】マツダのビジョン|マツダについて”. 2013年6月2日閲覧。
  9. ^ なお、白熱電球における同名ブランドも綴り及び由来が同じだが偶然である
  10. ^ マツダ、次期北米向けCDセグメントカーを防府で生産”. 2013年11月27日閲覧。
  11. ^ マツダ、住友商事とメキシコでの生産事業およびブラジルでの販売事業で合弁事業に合意”. 2013年11月27日閲覧。
  12. ^ 2012年3月期 第3四半期 決算説明会 (PDF)”. 2014年8月15日閲覧。
  13. ^ マツダソラーズ、ロシア合弁会社の設立記念式典を実施 (PDF)”. 2013年11月27日閲覧。
  14. ^ マツダ、タイに新トランスミッション工場建設を決定”. 2013年11月27日閲覧。
  15. ^ マツダ、防府工場の累計生産台数1,000万台を達成”. 2013年9月11日閲覧。
  16. ^ マツダ、メキシコ新工場での量産開始”. 2014年1月7日閲覧。
  17. ^ “マツダ、コロンビアにおいて新販売統括会社の営業を開始” (プレスリリース), マツダ株式会社, http://www.mazda.com/jp/publicity/release/2014/201405/140523a.html 
  18. ^ a b 役員人事異動 - マツダ 2010年5月12日
  19. ^ 【MAZDA】マツダの特徴について|個人投資家の皆様へ”. 2013年6月26日閲覧。
  20. ^ マツダ-フォード10年 「世界」が社内にやってきて > 第2部 新型開発”. 2013年6月26日閲覧。
  21. ^ “競争力、エンジン役はIT、マツダ、開発効率高め復活挑む、「アテンザ」生産前倒し。”. 日経産業新聞. (2012年8月1日) 
  22. ^ 「1米ドル=77円でも利益」、マツダが推進するモノづくりの真髄”. 2013年6月26日閲覧。
  23. ^ Has Mazda Rotary Reached End of Road?”. 2013年6月26日閲覧。
  24. ^ 「マツダ RX-8 SPIRIT R」を来月発売”. 2013年6月26日閲覧。
  25. ^ Mazda RX-7 Returning In 2017: Yamamoto”. 2013年6月26日閲覧。
  26. ^ 【CX-5のデザインができるまで #2】チーフデザイナー中山さん<2>”. 2013年6月26日閲覧。
  27. ^ Mazda Annual Report 1999”. 2013年11月27日閲覧。
  28. ^ 株主のみなさまへ 第144期 株主通信 (PDF)”. 2013年6月26日閲覧。
  29. ^ マツダ、「動き」を表現した新デザインテーマ“魂動(こどう)-Soul of Motion”を発表”. 2013年6月26日閲覧。
  30. ^ World Car Awards - Press Release March 30, 2013”. 2013年6月26日閲覧。
  31. ^ 【誤算の研究】マツダ 相次ぐ新車開発で負担増 販売5系列体制もあだ”. 2013年6月26日閲覧。
  32. ^ ロータリー生みの親 山本健一相談役 半世紀を語る<下>”. 2013年6月26日閲覧。
  33. ^ マツダの日々 第3部 フォードの傘 (7)住友銀行”. 2013年6月26日閲覧。
  34. ^ Tokyo Motor Show Investors Conference (PDF)”. 2013年6月26日閲覧。
  35. ^ フォード抜きで生き残れぬ 住友銀行相談役 巽外夫氏インタビュー”. 2013年6月8日閲覧。
  36. ^ 【新聞ウォッチ】マツダ株、伊藤忠や住友商事が取得へ”. 2013年6月8日閲覧。
  37. ^ 住友商事、マツダとメキシコでの生産およびブラジルでの販売分野で合弁事業に合意 (PDF)”. 2013年6月8日閲覧。
  38. ^ 固定資産の売却に関するお知らせ (PDF)”. 2013年6月8日閲覧。
  39. ^ トヨタとマツダ、ハイブリッドシステムの技術ライセンス供与に合意 (PDF)”. 2013年6月8日閲覧。
  40. ^ トヨタとマツダ、メキシコでの生産について合意 (PDF)”. 2013年6月8日閲覧。
  41. ^ 【新聞ウォッチ】マツダ、インドネシアでもスズキからOEM調達
  42. ^ 【MAZDA】株式状況|株式・社債情報”. 2013年6月8日閲覧。
  43. ^ マツダとフィアット、アルファ ロメオ車の生産に向けた 事業契約を締結 (PDF)”. 2013年6月8日閲覧。
  44. ^ 新会社「長安マツダ汽車有限会社」を本日設立
  45. ^ マツダソラーズ、ロシア合弁会社の設立記念式典を実施 (PDF)”. 2013年6月8日閲覧。
  46. ^ マツダ、マレーシアでベルマツ社と合弁生産・販売会社の設立に向けた協議を開始 (PDF)”. 2013年6月8日閲覧。
  47. ^ マツダ、マツダ・マレーシアによる現地組立体制の強化策を発表”. 2013年6月8日閲覧。
  48. ^ マツダ、米国現地生産を終了…最終モデルはアテンザ”. 2013年6月2日閲覧。
  49. ^ 主要株主である筆頭株主の異動のお知らせ (PDF)
  50. ^ 鬱で社員自殺、マツダ6400万円賠償命令「上司サポート無し」認定
  51. ^ 過労自殺で「会社の責任認める」判決が増えたワケ
  52. ^ 社員自殺、マツダに過失 地裁支部が6千万円支払い命令
  53. ^ マツダ、下請代金支払遅延等防止法に違反…公取から勧告
  54. ^ マツダ株式会社に対する勧告について
  55. ^ 労働局がマツダを文書指導 派遣社員、3年超受け入れ
  56. ^ 関東マツダ 板金塗装修理に伴う不正行為について”. 2013年11月27日閲覧。
  57. ^ 関東マツダ 板金塗装修理における不正請求に関わる調査について”. 2013年11月27日閲覧。
  58. ^ 「関東マツダ 板金・塗装修理」における過大請求事案について”. 2013年11月27日閲覧。
  59. ^ 代表取締役および役員の異動に関するお知らせ”. 2013年11月27日閲覧。

関連項目[編集]

技術[編集]

スポーツ[編集]

人物[編集]

企業施設[編集]

外部リンク[編集]