良品計画

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株式会社良品計画
Ryohin Keikaku Co.,Ltd.
種類 株式会社
市場情報
東証1部 7453
本社所在地 〒170-8424
東京都豊島区東池袋4-26-3
電話番号 03-3989-4403
設立 1979年5月
(良品計画としては1989年6月30日
業種 小売業
事業内容 「無印良品」の企画・卸売・小売
代表者 松井忠三(代表取締役会長兼執行役員)
金井政明(代表取締役社長兼執行役員)
資本金 67億6,625万円(2008年2月29日現在)
売上高 連結1,628億円 単独1,428億円
(2008年2月期)
総資産 連結891億円 単独814億円
(2008年2月期)
従業員数 4,312人(うち3,248人パートタイム)(2008年2月29日現在)
決算期 毎年2月末日
主要株主 日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 14.49%
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) 10.16%
(2007年8月31日現在)
主要子会社 関連子会社の項目を参照
外部リンク ryohin-keikaku.jp
特記事項:旧セゾングループの中ではクレディセゾンが株主
  

株式会社良品計画(りょうひんけいかく)は、「無印良品(むじるしりょうひん)」を展開する専門小売業者。

東京証券取引所第一部上場。本社は東京都豊島区東池袋4-26-3。

目次

[編集] 概要

無印良品はもともと西友プライベートブランドとして始まった。発案はセゾングループを率いる堤清二とデザイナー田中一光(故人)との個人的な交流の中から。既存ブランドに対する"対抗(アンチ)"が基本コンセプトだった。

「無印良品」の店舗を展開しているほか、最近になってファミリーマートと資本提携[1]をするなどして関係を再強化し、同チェーンでの取扱商品の数も増えている。また、西武百貨店や西友のショッピングセンター内に入っている店舗も多く、同じセゾングループだった店舗との関係は今なお深い。なお、旧セゾングループの中では、ファミリーマートの他、クレディセゾンが株主。海外では「MUJI」ブランドで展開し、最近では日本でもブランド統一のために「MUJI」ロゴを前面に出していたが、無印良品アドバイザリーボードの原研哉らによって、漢字の力強さのある「無印良品」に再び一本化された(国内では東京ミッドタウンのみがMUJI)。後述するように、一時の行き過ぎた多角化路線は修正されたが、現在でもカフェやキャンプ場なども経営している。

[編集] 沿革

[編集] 歴史

「ノーブランド、高い品質」を端的に表現する「無印良品」は、<わけあって、安い。>と宣言して、西友のプライベートブランド(PB)として始まった。当時「脱・大衆消費」を志向し、文化戦略を先導していたセゾングループ堤清二氏も起案に関わった。スーパー系PB商品そのものは1960年代から登場していたが、とりわけ無印良品が大きく躍進したのは、ブランドを魅力的に演出し発展させることに長けた、セゾン系の風土によるところが大きい。 その結果日本のスーパー系プライベートブランドとしては知名度が高いと言えるまでになった。

1980年、スタート時は食品中心にアイテム数40。あくまで西友に並ぶ商品であることから、コスト削減・ムダの排除による低価格化など、価格競争力をアピールするものだった。しかし、ユニークなコンセプトや、異なった発想から生まれた商品群、商品の一つ一つにメッセージ性を託したのは、既存のナショナルブランドには見られなかった試みであり、非常に好対照をなした。

1983年に青山に出した路面店は話題となり客が殺到した。青山店は広告塔の位置づけであったが、オンリーショップの実験モデルとなり、以後店舗拡大。こうして、「西友の商品」から早めに決別して、ブランド特化へと舵を切ったことが奏功した。また、当時の西武/セゾンの上質なイメージともうまく融合した。年々ヒット商品を生み出しアイテムは次第に増えていった。

平成不況と呼ばれた1990年代は、まさに無印の時代であった。ファッションでは「モノトーン・無機質・ミニマリズム」に代表されるモードが世界的潮流となり、インテリアではシンプルを基調とする北欧モダンがトレンドとなった。「癒しブーム」を反映して、穏やかな色使いを基調とする無印はいっそうトレンドに乗った。熱狂的な無印ファン(ムジラー)が出現した。

しかし、東証一部上場を機に、ナショナル・チェーンを目指したことが誤算となった。すでに多店舗展開で希少性が薄れてつつあったところに、フルラインナップ投入を急いだ結果、店頭には凡庸な商品があふれた。自動車(MujiCar1000)・ネット事業・クレジットカード事業・分譲住宅・カフェ事業といった多角化は、ものづくりに徹した往年のイメージを失わせた。こうしたことが(生活必需品ではなく)ファッション・イメージで捉えられていた無印良品にとってはブランド価値を落とす結果となり、顧客の大量離反を招いた。そして100円ショップユニクロなどの価格破壊勢力と競合し、対抗値下げを断行。こうした迷走により、創業以来の右上がり成長は止まり株価は暴落。現在では、原点に立ち戻った丁寧な商品企画(無印スタンダード)や、増えすぎたアイテム数の削減、アパレル商品のデザイン強化に努め、売上は回復基調である。絶頂期のカリスマ的イメージは失われたが、有名専門店の一つに挙げられ、幅広い客層に支持されている。

[編集] 無印良品(MUJI)

無印良品香港店
無印良品香港店
  • 独自企画・定価販売のため雑貨類であっても利益率は良い。
  • 可能であれば値下げを行い、相応の根拠はタグに記されるルールがあった(「わけあって安い」)。しかし低迷時に安売り(根拠なき値下げ)に走った反省から、商品を再度見直している。
  • 布地を漂白・染色しない「生成り」は無印が広めた[要出典]
  • 無印良品西友成増店や東松山店など、西友の営業時間に合わせて24時間営業を行う店舗もある。
  • 定番商品であるポリプロピレン製の収納ケースを無印から受託製造しているリス株式会社は、類似商品を販売する株式会社伸和を不正競争行為として告訴。しかし「独創性は認められない」と無印側の敗訴。「ありふれたデザイン」の創作性をどう解釈するのか一石を投じた。
  • 2005年7月に中国での1号店を上海にオープンした。しかし、香港の企業(盛能投資有限公司)が、被服履物について「無印良品」「MUJI」の商標を1994年に先行登録していたため、中国本土での衣料品の販売ができなかった。2005年12月に商標登録の無効の訴えが認められた。
  • 製品デザインには様々な著名デザイナーが関わっている。プロダクトデザインでは深澤直人[2]エンツォ・マーリ[3]サム・ヘクトアズミズジャスパー・モリソン[4]、ファッションデザインでは山本耀司[5]、無印の家プロジェクトでは建築家北山恒難波和彦、空間デザイナーの吉岡徳仁などである[6]
  • 全体のアートディレクションは故田中一光に代わり、アドバイザリーボードによって行われている。広告のアートディレクションはグラフィックデザイナーの原研哉が務めている[7]
  • 家具の世界的な見本市ミラノサローネにも出展している。
  • 2006年からデザインコンペティションMUJI AWARDを主催している。

[編集] 店舗数

2008年5月現在で、下記の数の店舗を展開している。

[編集] 国内店舗

  • 国内直営店191店舗
  • ライセンスト・ストア69店舗
  • 西友インショップ店78店舗

[編集] 外国店舗

欧州

アジア

北米

[編集] その他

このほか、ファクトリー・アウトレット御殿場、大阪、福岡入間)や、カフェの「Café MUJI」および食事も出来る「Meal MUJI」、3か所の「無印良品キャンプ場」(群馬県嬬恋村新潟県津南町岐阜県高山市)等がある。

[編集] アドバイザリーボード

[編集] 評価

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[編集] 関連子会社

  • ムジ・ネット株式会社
  • 株式会社花良品
  • 株式会社ニューイデー

[編集] 関連項目

[編集] 脚注・出典

[編集] 外部リンク