有楽町

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有楽町を走る東日本旅客鉄道(JR東日本)京浜東北線

有楽町(ゆうらくちょう)は東京都千代田区町名である。住居表示では一丁目から二丁目まである。郵便番号は100-0006。

地理[編集]

有楽町は千代田区南部の有楽町駅周辺に広がり、皇居の南東側に位置する。東京高速道路をはさんだ東側は銀座である。 大手町・丸の内と合わせて「大丸有(だいまるゆう)エリア」と呼ばれることもある。

由来[編集]

一般に広く流布されている説によれば、江戸開府の際に織田信長の弟、織田長益(有楽斎)が徳川家康より数寄屋橋御門周辺の土地を拝領し、屋敷を設けた。このことから、この辺りを「有楽原」(うらくはら)、「有楽ヶ原」(うらくがはら)と呼ぶようになり[1]、明治時代に「有楽町」という地名が名付けられたといわれている(読みもその際、「ゆうらくちょう」に改められたとするが、その証拠はない。)。 しかし、織田有楽斎は、生涯のほとんどを上方で過ごしており、江戸に屋敷を拝領したという記録も、江戸に来たという記録も現存していない。また、江戸開府期には、この辺りまで海が入り込んでいた(日比谷入江)ことから、水辺の地名の「浦原」「浦ヶ原」から転じたのではないか、という説もある。

現在の研究では、地名学者、歴史研究家の間では、織田有楽斎説は、歴史を学ばない住民などが、「有楽」という共通の言葉から連想したいわゆる民間語源説、つまり歴史を無視した俗説で、有楽町と有楽斎は全く関係がないとの考えが有力である。町名としての「有楽町」は、明治初めに誕生したが、その時、近くに「永楽町」が誕生している。地名研究家の櫻井澄夫は、有楽、永楽は明らかにペアの地名であって、明治初期の新政府(東京)による町名確定の際、新造されたいわゆる瑞祥地名の一種であり、これが最も説得力がある説としている。

歴史[編集]

1707年宝永4年)には南町奉行所が開設された。

日劇(1952年)

明治時代に入ると、1872年(明治5年)に有楽町一丁目ないし三丁目ができた。1898年(明治31年)に東京市役所が設置された[2]1910年明治43年)には山手線が延伸され、有楽町駅が開業。1933年昭和8年)に日劇が、1934年東京宝塚劇場がオープンし、有楽町は劇場街と化した。また、毎日朝日新聞社の本社と讀賣新聞社有楽町別館が置かれ、その界隈は「新聞街」と呼ばれていた[3]。戦前の有楽町は、まだ庶民には遠い存在だったといえる。戦争末期には空襲をうけた。

1960年頃の有楽町

戦後、第一生命ビルが接収され、連合国最高司令官総司令部(GHQ)となった[4]。戦後の混乱期に、すし屋横丁ができ、また街娼が集まるようになる一方で[5]、続々と映画館が誕生した。1954年深夜放送オールナイトニッポン」でおなじみのラジオ局、ニッポン放送が本社を設けた。1957年には讀賣新聞が経営する讀賣会館のテナントとしてそごう東京店がオープン。そのコマーシャルソングの「有楽町で逢いましょう」をビクターフランク永井が歌った。また、そごうの東京進出に一役買っていた大映映画がキャンペーンのための同名の映画を京マチ子主演で製作した。映画も歌もヒットし、有楽町の名が全国に広まった。1965年、すしや横丁および周辺が整理されて東京交通会館が開業した。

1980年代にはいると、新旧交替が始まった。1981年(昭和56年)から有楽町の顔とも言えた朝日新聞社と日劇の建物が解体され、1984年有楽町センタービル(通称・有楽町マリオン)がオープンし、新たなシンボルが誕生した。2000年平成12年)には有楽町そごうが閉店し、その後に新たにビックカメラがオープンした。また、有楽町駅前の再開発が行われ、2007年10月には丸井などの入店する新ビル「有楽町イトシア」が開業した。

交通[編集]

施設[編集]

有楽町マリオン
東京宝塚ビル
DNタワー21

上記には現在の丸の内三丁目辺りにあるものが含まれている。ここがかつて有楽町一丁目、二丁目だった名残である。「千代田区の町名」参照。

同名の地名がある自治体[編集]

青森県つがる市(旧西津軽郡木造町、うらくまち)/ 秋田県秋田市/ 栃木県足利市/ 埼玉県所沢市/ 岐阜県高山市/ 福井県福井市/ 愛知県豊橋市/ 愛知県半田市/ 三重県桑名市/ 山口県周南市

脚注[編集]

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  1. ^ 千代田区公式ウェブサイト
  2. ^ 日本歴史地名大系(平凡社)
  3. ^ 通信手段として伝書鳩が使われたので各新聞社の屋上には鳩小屋があり、訓練のため放たれた鳩が空を飛び交った。戦後、1948年11月12日東京裁判において被告達への判決言い渡しが行われた際には、新聞社の判決速報を聞くために、周辺一帯に黒山の人だかりができた。
  4. ^ 日本歴史地名大系(平凡社)
  5. ^ NHK『街頭録音』(1947年4月22日)において「ガード下の娘たち」としてインタビューを受けた街娼の1人は、有楽町だけで知り合いの街娼が150人はいると言っている。街娼のなかでは「楽町お時(らくちょうおとき)」が有名である。アナウンサーの藤倉修一がインタビューした。(NHK解説委員会ブログ)[リンク切れ]ラクチョウのお時kotobank