神田松永町
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神田松永町(かんだまつながちょう)は、東京都千代田区の町名。2009年10月1日現在の人口は80人(住民基本台帳による。千代田区調べ)[1]。面積は21,100平方メートル[1]。郵便番号は101-0023。
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[編集] 地理
千代田区の北東部に位置し、神田地域に属する。町域北部は、台東区秋葉原に接する。東部は昭和通りに接し、これを境に台東区台東一丁目、千代田区神田和泉町にそれぞれ接する。南部は千代田区神田佐久間町一丁目に接する。南西部は千代田区神田花岡町に接する。西部は千代田区神田相生町・神田練塀町に接する。神田松永町は秋葉原駅付近の昭和通り沿いの一角で、主に商業地として利用される。
[編集] 歴史
元禄11年(1698年)、現・外堀通りが現・鎌倉橋から数寄屋橋にかけての区間で拡幅工事が行われ、神田鎌倉町(現・千代田区内神田二丁目南部)から京橋西紺屋町(現・中央区銀座西縁)にかけての15ヶ町で道路沿いの土地が召し上げられた。翌年5月8日、住民は神田佐久間町北側に代地を与えられ、神田松永町が成立した。享保年間にこの場所が火除地となり、北側の徒士組屋敷跡に移転した。江戸時代の外神田一帯は町域が複雑に入り組んでおり、神田松永町も3箇所に散らばって存在し、北から大通・中通・片町と呼ばれた。
明治2年(1869年)11月の火災で中通・片町を含む一帯が火除地となり、明治7年(1874年)神田花岡町に編成された。住民は小倉藩小笠原家中屋敷跡に移転し、周囲の町と合併して神田栄町となった。明治5年(1872年)北に延びる御徒町と呼ばれる武家地の一部を編入し、南北に長い町域となった。昭和18年(1943年)北端が下谷区に編入され、後に台東区秋葉原となった。
[編集] 交通
[編集] 施設
[編集] 脚注
- ^ a b 人口・面積-千代田区ホームページ, (PDF),2011-03-06閲覧。
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