山本耀司

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山本 耀司(やまもと ようじ、1943年10月3日 - )は、東京都生まれのファッションデザイナー。また、ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)は彼が展開するプレタポルテ(高級既製服)ブランド。

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[編集] 人物・来歴

制作のスタイルは「アンチモードによってモードを制する」。パリコレ等のモードの最前線で、モードを否定する服を発表する。ハイヒールを嫌い、メンズアイテムを好むなど基本的に山本自身の服作り対するスタンスは20数年間大きな変化はなく、その時々の流行に媚びることのないコレクションを展開している。例えば、オーバーサイズなシルエットで独特なラインを作ったり、ねじれを取り入れたり、体型との差異や運動によって自然に変化するドレープ(ルーズなヒダやヨレ)をウールギャバジンのような生地で躍動的に見せるのが定番となっている。また、服に使われる色は黒や白を基調とした無彩色が多く占め、コレクションが行われる時期(春夏と秋冬の年2回)にかかわらず、色使いが少ないのも特徴の1つである。服のデザインは、彼自身の価値観や反骨精神が反映されたものが多く、その思考や精神に共感したり魅了された消費者は熱烈なファンとなる。山本が作り出す独特なシルエットや雰囲気を持つ服は、もはや単なる洋服の枠組みを超え、一種の芸術作品とも言える域に達しつつあると言っても過言ではない。

こういったカリスマ的デザイナーのブランドが、80年代に国内外で続々と高い評価を受け、川久保玲コム・デ・ギャルソン三宅一生イッセイミヤケ等と並んで『DCブランドブーム』を形成した(DCとはDesigner's & Character'sの略。現在ではこの呼称はあまり使われず、大企業に属さずにデザイナーが会社としての経営も行うブランドを指して『デザイナーズブランド』等と呼ばれることが多い)。

1990年には東海旅客鉄道(JR東海)の新制服をデザインし、その洗練されたデザインは大いに話題となった。 1993年のバイロイト音楽祭ワーグナーオペラトリスタンとイゾルデ」の衣装を担当した。 最近の活動としては『BROTHER』・『Dolls』・『座頭市』等、北野武の映画作品の衣装を手がけたことでも知られている。北野は山本の服を愛用している。

ちなみに山本の長女・里美(りみ)も、自身のブランド「LIMI feu」(リミフゥ)のデザイナー。

[編集] 経歴

オーダーメイドの洋装店を営む両親のもとに生まれる。1966年慶應義塾大学法学部を卒業後、文化服装学院セツ・モードセミナーへ入学、1969年卒業。同年に第25回装苑賞受賞。以降、プレタポルテを志向するようになる。 

[編集] 主なブランドライン名

  • Yohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)

 レディースのコレクションライン。下記のHOMMEに対する意味でYohji Yamamoto FEMME(ヨウジヤマモトファム)と書かれることもある。

  • Yohji Yamamoto POUR HOMME(ヨウジヤマモト プールオム)

 メンズのコレクションライン。

  • Yohji Yamamoto + NOIR(ヨウジヤマモト プリュス ノアール)

 レディースライン。実は「FEMME」はカジュアルラインであり「NOIR」はフォーマルライン(FEMMEの18時以降の服)という意味合いがある。“黒”をテーマに、アクセントといくつかの色・柄によって構成。

  • Y's(ワイズ)

 レディースライン。自立した女性がテーマ。

  • Y's for men(ワイズフォーメン)

 Y'sのメンズライン。もともとはY'sを着ている女性の隣にいる男性が似合う服、というコンセプト。

  • Y-3(ワイスリー)

 アディダスとのコラボレーション。

  • Y(ワイ)

 イタリア生産のスーツライン。

  • Y's for living(ワイズフォーリビング)

 生活雑貨のブランド。

Yohji Yamamotoはいわゆるコレクションライン(もっとも他ラインもコレクションに参加している)であり、デザイナーの表現が最もストレートに形になったものといえる。このラインを開始した理由として、パリコレ初出展の際にワイズ(Y's)の名は「モードの帝王」とされ神格化されていたイヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)と似ていると非難されたためと言われている。その後はヨウジヤマモトの名でパリを拠点にコレクションを展開している。Yohji Yamamotoラインに対してY'sではより、リアルクローズとして衣服をとらえ、実用性が比較的重視されている傾向にある。Y-3はスポーツファッションとモードとの融合が試されているラインである。

[編集] エピソード

[編集] オートクチュール期間中のプレタポルテ

2002年に開催されたパリコレから数期にわたり、山本はプレタポルテの立場に身をおいたままオートクチュールの発表期間中にショーを行った。オートクチュールはいわば各メゾンが妥協のない最高級の素材や加工を用いてゴージャスな装飾や斬新なデザインが競われている場であり、既成・量産を前提にしているプレタポルテとは別の次元の物として見られるきらいがある。 発表された山本の服の生地は木綿や羊毛などきわめてシンプルな素材で、派手な演出も施されなかった。この行為は現地で『クチュールへの挑戦(挑発)』とも受け取られたが、続いてショーを行ったクリスチャン・ディオールも『反クチュール』をテーマにしたり、以後プレタポルテ期間外にショーを設けるメゾンが増えて管理側から規制が出るなど、豪華絢爛一辺倒になりつつあったオートクチュールの流れに少なからず変化を与えるものとなったといえる。

[編集] 外部リンク