レアル・マドリード
| レアル・マドリード | ||||
|---|---|---|---|---|
| 原語表記 | Real Madrid Club de Fútbol | |||
| 愛称 | El Madrid, Merengues, Blancos, Vikingos, Los Galacticos, Real レアル, 白い巨人 |
|||
| クラブカラー | 白、紫 | |||
| 創設年 | 1902年 | |||
| 所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | |||
| 所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン | |||
| ホームタウン | マドリード | |||
| ホームスタジアム | エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ |
|||
| 収容人数 | 85,454 | |||
| 代表者 | ||||
| 監督 | ||||
| 公式サイト | 公式サイト | |||
|
|
||||
| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | ||||
レアル・マドリード・クルブ・デ・フトボル(Real Madrid Club de Fútbol)は、スペインの首都 マドリードに本拠地を置くサッカークラブチーム。
目次 |
概要 [編集]
1902年に創設。現在のホームスタジアムはエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ。現在はリーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオンに所属し、同リーグにおいて32回の最多優勝記録を持つほか、FCバルセロナとアスレティック・ビルバオと共にリーガ・エスパニョーラの創立以来、一度もプリメーラ・ディビシオンから降格したことがない世界を代表する名門クラブである。さらに、UEFAチャンピオンズカップおよびUEFAチャンピオンズリーグにおいても合計9回の最多優勝記録を持つ。FIFAには20世紀最高のクラブに[1]、国際サッカー歴史統計連盟からはヨーロッパにおける20世紀最高のクラブに認められた[2]。2013年には、世界有数の経済誌『フォーブス』によるスポーツチームの資産価値の格付けにおいて33億ドルと算出されており、世界一の資産価値のクラブとなっている[3]。
スペインサッカー連盟は1909年に創設されたものであり、同チーム創設当初のスペインにはサッカーを統括する団体が存在しなかった。また、同チームが唯一のサッカー団体であったため、スペインを代表してFIFAの創設メンバーに名を連ねた。
同じスペイン3大名門クラブに並び称されるFCバルセロナとアトレティコ・マドリードの両クラブとはライバル関係にある。FCバルセロナとの対戦はエル・クラシコ (El Clásico) と呼ばれ、100年以上に渡り因縁の対決を続けている。同じマドリードを本拠地とするアトレティコ・マドリードとの対戦はマドリードダービー (El Derbi Madrileño) と呼ばれる[注 1]。首都マドリードに本拠地を置いているレアル・マドリードは、歴史的な背景からカタルーニャやバスクなどの地域のクラブから強い対抗心を抱かれている[4]。
また、サッカーのクラブチームのほか、バスケットボールのクラブチームも持つ総合スポーツクラブである。スペインバスケットボールリーグ1部ACBのレアル・マドリード・バロンセストがそれであり、優勝回数1位を誇る屈指の名門クラブである。
下部組織 [編集]
Bチームであるレアル・マドリード・カスティージャを始めとするユースチームも運営しており、これまで国内外で活躍する多くの選手を輩出している。カスティージャは、1980年にコパ・デル・レイ決勝に進出してレアル・マドリードのトップチームと決勝戦を戦い、下部組織出身者をチームの中心に据えた1980年代はリーガ・エスパニョーラ5連覇を果たした。
しかし、レアル・マドリードは他のクラブから有名選手を獲得することが多く[5]、2000年にフロレンティーノ・ペレスが会長に就任して以降はその傾向が特に顕著となったため、トップチームに定着する下部組織出身者は非常に少ない。元カスティージャ出身の選手であり、下部組織の総責任者を務めていたミチェルは、2008年にクラブのカンテラ軽視を理由に職を辞している[6]。
経営について [編集]
デロイト・フットボール・マネー・リーグによれば世界一収入のあるフットボールクラブであり[7]、経営収入は1999年から2011年まで毎年平均14%ずつ増加している。その内訳はスタジアム収入、テレビ収入、マーケティング収入の3つがほぼ均等となっている[8]。クラブブランドや潤沢な資金力を活かして、これまで多くの大物選手の獲得に成功している。
特筆すべきものとして、レアル・マドリードはいち早くプレシーズンのワールドツアーを採用し、PRも兼ねて大きな資金を得た。また、多くの場合選手に対して肖像権の半分をクラブ側が持つという契約を提示するため[9][10]、ユニフォームなどのグッズ売り上げ以外にも所属選手による収入がある。リーガ・エスパニョーラの放映権収入に関しては、現在レアル・マドリードとFCバルセロナの2クラブで約半分を独占する形になっており、経済格差やそれを背景としたリーグの2強化も相まってこの分配システムには不満の声が多く上がっている[11]。
イギリスメディアが2012年に公表した調査によると、レアル・マドリードの平均年俸は約779万ドルであり、FCバルセロナに次いで、世界で2番目に平均年俸が高いクラブであることが判明した。これはアメリカのスポーツチームで最も平均年俸が高いロサンゼルス・レイカーズやニューヨーク・ヤンキースよりも高い給与水準である[12]。
呼称 [編集]
当クラブの日本語公式ウェブサイトでは「レアル・マドリードC.F.」を用いている[13]。ただし、Real Madrid Club de Fútbol は一般的なスペイン語では「レアル・マドリー・クルブ・デ・フッボル」と発音し、マドリード首都圏では前半部分を「レアル・マドリース」と発音する(→マドリード#名称参照)。そのため、スペイン語の発音に沿って「レアル・マドリー」と表記するメディアもある[14]。また、英語風に「レアル・マドリッド」と表記するマスメディアもあり、日本語表記は統一されていない。なお、「レアル」は「王の」「王立の」という意味で、英語のRoyalと同じである。
愛称・略称は、チームカラーの白をとってエル・ブランコ(El Blanco)やメレンゲ(Merengue)。その他にも、年代ごとにそれぞれ特殊な愛称も存在する。アルフレッド・ディ・ステファノらスタープレイヤーを擁してUEFAチャンピオンズカップ5連覇を成し遂げた1950年代後半は一般的にエポカ・ドラダ(Epoca Dorada, 黄金時代)と表現され[15]、8度のリーガ・エスパニョーラ優勝を成し遂げた1960年代はビートルズの楽曲、シー・ラヴズ・ユーの歌詞より[16]イエイエ・マドリード(Yé-yé Madrid)[注 2]、リーグ5連覇を成し遂げた1980年代後半のチームは、エミリオ・ブトラゲーニョの愛称である「エル・ブイトレ(El Buitre)」からキンタ・デル・ブイトレ(Quinta del Buitre, ハゲワシ部隊)と呼ばれた。2000年代前半の第一次ペレス会長時代は、在籍している選手の豪華さからロス・ガラクティコス(Los Galácticos)とも呼ばれていた。日本のメディアではレアル、「エル・ブランコ」を意訳した「白い巨人」、「ロス・ガラクティコス」を訳した「銀河系軍団」や「スーパースター軍団」という呼び名も用いられる。 スペインのマスコミ表記では「El Madrid」(エル・マドリー)が多く使われる。
クラブの歴史 [編集]
創成期 [編集]
1895年、オックスフォード大学やケンブリッジ大学の卒業生がマドリードにフットボール・スカイ(Football Sky)というクラブを設立。1900年に分裂し、ニュー・フットボール・クラブ(New Foot-Ball de Madrid)とフリアン・パラシオス会長のエスパニョール・デ・マドリード(Club Español de Madrid)という2クラブが新たに生まれた。そして、1902年にフアン・パドロスが会長となり、レアル・マドリードの前身のクラブであるマドリード・フットボールクラブ(Madrid Foot-Ball Club)が誕生した。
1905年には初のタイトルであるコパ・デル・レイ優勝を達成[注 3]。1912年にはクラブ史上初のホームスタジアムであるオドネル・スタジアムが建設されたほか、サンティアゴ・ベルナベウが選手としてデビューした。1920年、アルフォンソ13世によってクラブ名がレアル・マドリードとなり、クラブのエンブレムにもブルボン家を象徴する王冠が加えられた[17]。「レアル」の名を授けられたことによりクラブ会員が急増したため、オドネル・スタジアムよりも大きなスタジアムを建設[18]。1924年に、エスタディオ・チャマルティンが完成する。1929年からリーガ・エスパニョーラが開幕し、初シーズンとなった1929-30シーズンは2位に終わった。
1930年代にはリカルド・サモラ、ジョゼップ・サミティエール、ジャシント・キンコセス、シリアコ・エラスティらを獲得。1931-32シーズンはシーズン無敗を記録して初のリーガ・エスパニョーラ優勝、1932-33シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たした。しかし、1936年にスペイン内戦が起こり、1939年までリーガ・エスパニョーラは中断を余儀なくされた。また、1931年にアルフォンソ13世が国外に亡命したことによって、その後10年強の間エンブレムの王冠と共に「レアル」の名を外された。
サンティアゴ・ベルナベウ会長時代 [編集]
| UEFAチャンピオンズカップ 1959-60 決勝のスターティングメンバー |
1943年にサンティアゴ・ベルナベウが会長に就任。1944年には、スペイン内戦の影響で廃墟と化した[19]エスタディオ・チャマルティンに代わるスタジアムであるヌエボ・エスタディオ・チャマルティンを起工した[注 4]。1953年にはアルフレッド・ディ・ステファノを獲得し、アトレティコ・マドリード、FCバルセロナ、アスレティック・ビルバオの3強だった当時のスペインサッカーの勢力図を塗り替えた[20]。1953-54シーズンと1954-55シーズンにかけてリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。その後、リーガ・エスパニョーラを1956-57シーズンと1957-58シーズンにかけて2連覇、さらに1955-56シーズンから始まったUEFAチャンピオンズカップにおいて1955-56シーズンから1959-60シーズンまで5連覇を達成した。
1960-61シーズンはリーガ・エスパニョーラ、また同シーズンから始まったインターコンチネンタルカップにて優勝を達成した。その後、1964-65シーズンまでリーガ・エスパニョーラ5連覇、1965-66シーズンはUEFAチャンピオンズカップ優勝を果たし、さらに1966-67シーズンから1968-69シーズンまでリーガ・エスパニョーラ3連覇を記録したうえ、1961-62シーズンと1969-70シーズンはコパ・デル・レイ優勝を果たした。フランシスコ・ヘントがキャプテンを務め、これらの実績を残した当時のチームはイエイエ・マドリードと称された。
1971年にはサンティリャーナらを獲得し、1971-72シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を果たす。ギュンター・ネッツァーが加わり、カスティージャCFからホセ・アントニオ・カマーチョを昇格させた1973-74シーズンはコパ・デル・レイ優勝を果たすも、リーガ・エスパニョーラでの成績不振から13年6ヵ月にわたって監督を務めたミゲル・ムニョスは解任された。パウル・ブライトナーを獲得した1974-75シーズンはリーガ・エスパニョーラとコパ・デル・レイにて優勝を達成し、1975-76シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。フアニートやウリ・シュティーリケが加わった1977-78シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を達成した。なお、1978年6月2日にベルナベウは死去した。
ルイス・デ・カルロス会長時代 [編集]
1978年、ルイス・デ・カルロスが会長に就任。1978-79シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。1979-80シーズンはリーガ・エスパニョーラ3連覇、コパ・デル・レイ優勝を達成した。1981-82シーズンはチェンドをレアル・マドリード・カスティージャから昇格させ、コパ・デル・レイ優勝を達成。1983-84シーズンはマヌエル・サンチス・オンティジュエロをレアル・マドリード・カスティージャから昇格させた。1984-85シーズンはUEFAカップ優勝を達成した。
ラモン・メンドーサ会長時代 [編集]
1985年、ラモン・メンドーサが会長に就任。エミリオ・ブトラゲーニョ、ミチェルらをレアル・マドリード・カスティージャから昇格させ、1985年夏の移籍市場ではウーゴ・サンチェスらを獲得。1985-86シーズンはリーガ・エスパニョーラの優勝とUEFAカップ2連覇を達成し、1988-89シーズンはリーガ・エスパニョーラとコパ・デル・レイ、スーペルコパ・デ・エスパーニャにて優勝を達成。1989年夏の移籍市場ではフェルナンド・イエロらを獲得し、1989-90シーズンはクラブ史上3度目となるリーガ・エスパニョーラ5連覇、さらに1990-91シーズンにはスーペルコパ・デ・エスパーニャ3連覇を達成した。これらの実績を残した当時のチームはキンタ・デル・ブイトレと称された。
1992-93シーズンはコパ・デル・レイにて、1993-94シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャにてそれぞれ優勝を達成。1994年夏の移籍市場ではフェルナンド・レドンド、ミカエル・ラウドルップらを獲得したほか、レアル・マドリード・カスティージャからラウル・ゴンサレスを昇格させ、1994-95シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を果たした。しかし、1992年からエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウの改修を行い、この改修費用などでレアル・マドリードは多額の負債を抱えることとなり、1995-96シーズン途中の1995年11月20日にメンドーサは会長職を辞任した。
ロレンソ・サンス会長時代 [編集]
ラモン・メンドーサの退任後、クラブの副会長を務めていたロレンソ・サンスが会長に就任。1995-96シーズンは無冠に終わるも、1996-97シーズンはファビオ・カペッロを監督に招聘し、1996年夏の移籍市場ではプレドラグ・ミヤトヴィッチ、ダヴォール・シューケル、クラレンス・セードルフ、ロベルト・カルロスらを獲得。同シーズンはリーグ史上最多となる勝ち点92を記録してのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たすも、シーズン終了後にカペッロは解任される。
1997年夏の移籍市場ではフェルナンド・モリエンテスらを獲得し、1997-98シーズンは32季ぶりとなるUEFAチャンピオンズリーグ優勝を達成。1998-99シーズンはインターコンチネンタルカップ優勝を果たす。
1999年夏の移籍市場ではミチェル・サルガド、イバン・エルゲラらを獲得し、レアル・マドリード・カスティージャからイケル・カシージャスを昇格させた。1999-2000シーズンはシーズン途中にビセンテ・デル・ボスケが監督に就任し、UEFAチャンピオンズリーグ優勝を達成する。一方、クラブの負債は悪化の一途を辿った。
第一次フロレンティーノ・ペレス会長時代 [編集]
フロレンティーノ・ペレスは会長職に就任すると、旧練習場敷地であるシウダード・デポルティバの売却で前会長時代までに膨らんだ負債を完済。さらに「毎年一人はビッグネームを獲得する」と宣言し、銀河系軍団と称されるチームを形成した。
| UEFAチャンピオンズリーグ 2001-02 決勝のスターティングメンバー |
2000年夏の移籍市場ではルイス・フィーゴを獲得し、2000-01シーズンは4季ぶりとなるリーガ・エスパニョーラ優勝を果たす。さらに2001年夏の移籍市場ではジネディーヌ・ジダンを獲得し、2001-02シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ制覇と過去5年以内で3度目となるUEFAチャンピオンズリーグ優勝を達成。2002年夏の移籍市場ではロナウドを獲得。2002-03シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝、UEFAスーパーカップ制覇、インターコンチネンタルカップ制覇を達成するも、シーズン終了後に監督を務めていたビセンテ・デル・ボスケは解任された。
2003年夏の移籍市場ではデビッド・ベッカムを獲得し、フェルナンド・イエロ、フェルナンド・モリエンテス、クロード・マケレレらを放出した。2003-04シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ制覇を果たした。2004年夏の移籍市場ではマイケル・オーウェン、ジョナサン・ウッドゲート、ワルテル・サムエルらを獲得し、2005年冬の移籍市場ではトーマス・グラヴェセンを獲得するも、2004-05シーズンは9季ぶりとなる無冠に終わる。2005年夏の移籍市場ではロビーニョ、ジュリオ・バティスタ、セルヒオ・ラモスらを獲得し、フィーゴ、サムエル、オーウェンらを放出。さらに、2006年冬の移籍市場ではアントニオ・カッサーノ、シシーニョを獲得するも、2005-06シーズンは2季連続の無冠に終わり、シーズン途中の2006年2月27日にペレスは会長職を辞任した[21]。
その後、会長職に就任したフェルナンド・マルティン・アルバレスは、ペレス会長時代の銀河系軍団の構想を真っ向から否定し、クラブへの貢献度を給料査定の基準にしたうえで、「給料分働かない者はクラブから出て行ってもらう」と発言したが、2か月で会長職を辞任した。
ラモン・カルデロン会長時代 [編集]
ラモン・カルデロンは会長職に就任すると、ファビオ・カペッロを監督に招聘。2006年夏の移籍市場ではファビオ・カンナヴァーロ、ルート・ファン・ニステルローイらを獲得。また、2007年冬の移籍市場ではマルセロ、フェルナンド・ガゴ、ゴンサロ・イグアインを獲得し、ロナウドを放出した。2006-07シーズンは4季ぶりのリーガ・エスパニョーラ優勝を達成するも、シーズン終了後にカペッロは解任される[22]。
2007年夏の移籍市場ではペペ、ヴェスレイ・スナイデル、アリエン・ロッベンらを獲得し、デビッド・ベッカム、ロベルト・カルロス、イバン・エルゲラらを放出。2007-08シーズンは18季ぶりとなるリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成し、2008-09シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝を達成した。なお、2009年1月にカルデロンはクラブ総会での不正投票操作疑惑が浮上[23]してその責任および混乱収拾のため会長職を辞任。その後は副会長だったビセンテ・ボルダが暫定的に会長を務めた。
第二次フロレンティーノ・ペレス会長時代 [編集]
2009年6月14日に会長選が行われる予定だったが、元会長のフロレンティーノ・ペレス以外の候補者が出馬条件を満たせなかったため[24]、同年6月1日付でペレスが会長に返り咲いた[25]。マヌエル・ペジェグリーニが監督に就任し、同年夏の移籍市場ではカカ、クリスティアーノ・ロナウド、カリム・ベンゼマ、シャビ・アロンソらを獲得したほか、ミチェル・サルガド、アリエン・ロッベン、ヴェスレイ・スナイデルらを放出した。しかし、2009-10シーズンは4季ぶりとなる無冠に終わり、シーズン終了後にペジェグリーニは解任された。
その後、ジョゼ・モウリーニョが監督に就任。2010年夏の移籍市場ではアンヘル・ディ・マリア、リカルド・カルヴァーリョ、サミ・ケディラ、メスト・エジルらを獲得し、ラウル・ゴンサレス、グティらを放出した。2010-11シーズンは18季ぶりのコパ・デル・レイ優勝を果たした。なお、当シーズンはリーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグにて計5試合のエル・クラシコが行われ、特に2011年4月16日から同年5月3日までの間に行われた計4試合はクアトロ・クラシコ(Cuatro Clásico、4回のクラシコという意味)と呼ばれた。2011-12シーズンはリーグ史上最多記録となる勝ち点100、121得点を記録して4季ぶりのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たした。
2012年夏の移籍市場ではレアル・マドリード・カスティージャからアルバロ・モラタ、ヘスス・フェルナンデス、ナチョを昇格させたほか、ルカ・モドリッチ、マイケル・エッシェンを獲得。2012-13シーズンには4季ぶりとなるスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝を果たしたものの主要タイトルは獲得できず、シーズン終了直前にモウリーニョの退団が決定した。
タイトル [編集]
国内タイトル [編集]
- プリメーラ・ディビシオン : 32回
- 1931-32, 1932-33, 1953-54, 1954-55, 1956-57, 1957-58, 1960-61, 1961-62, 1962-63, 1963-64, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69, 1971-72, 1974-75, 1975-76, 1977-78, 1978-79, 1979-80, 1985-86, 1986-87, 1987-88, 1988-89, 1989-90, 1994-95, 1996-97, 2000-01, 2002-03, 2006-07, 2007-08, 2011-12
- コパ・デル・レイ : 18回
- 1904-05, 1905-06, 1906-07, 1907-08, 1916-17, 1933-34, 1935-36, 1945-46, 1946-47, 1961-62, 1969-70, 1973-74, 1974-75, 1979-80, 1981-82, 1988-89, 1992-93, 2010-11
- コパ・デ・ラ・リーガ : 1回
- 1984-85
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 9回
- 1988, 1989, 1990, 1993, 1997, 2001, 2003, 2008, 2012
国際タイトル [編集]
- UEFAチャンピオンズリーグ : 9回









- 1955-56, 1956-57, 1957-58, 1958-59, 1959-60, 1965-66, 1997-98, 1999-00, 2001-02
- ラテン・カップ : 2回
- 1955, 1957
- コパ・イベロアメリカーナ : 1回
- 1994
- UEFAカップ : 2回
- 1984-85, 1985-86
- UEFAスーパーカップ : 1回
- 2002
- インターコンチネンタルカップ : 3回


- 1960, 1998, 2002
- スモールワールドカップ : 2回
- 1952, 1956
過去の成績 [編集]
| リーグ戦 | P | W | D | L | Pts | カップ戦 | スーパーカップ | UEFA EL | UEFA CL | チームキャプテン | チーム得点王[注 5] | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1955-56 | 3位 | 30 | 18 | 2 | 10 | 38 | ベスト4 | - | - | 優勝 | ルイス・モロウニー | アルフレッド・ディ・ステファノ |
| 1956-57 | 優勝 | 30 | 20 | 4 | 6 | 44 | ベスト16 | - | - | 優勝 | ミゲル・ムニョス | アルフレッド・ディ・ステファノ |
| 1957-58 | 優勝 | 30 | 20 | 5 | 5 | 45 | 準優勝 | - | - | 優勝 | アルフレッド・ディ・ステファノ | |
| 1958-59 | 準優勝 | 30 | 21 | 5 | 4 | 47 | ベスト4 | - | - | 優勝 | フアン・アロンソ | アルフレッド・ディ・ステファノ |
| 1959-60 | 準優勝 | 30 | 21 | 4 | 5 | 46 | 準優勝 | - | - | 優勝 | フェレンツ・プスカシュ | |
| 1960-61 | 優勝 | 30 | 24 | 4 | 3 | 52 | 準優勝 | - | - | ベスト16 | ホセ・マリア・サラガ | フェレンツ・プスカシュ |
| 1961-62 | 優勝 | 30 | 19 | 5 | 6 | 43 | 優勝 | - | - | 準優勝 | フェレンツ・プスカシュ | |
| 1962-63 | 優勝 | 30 | 23 | 3 | 4 | 49 | ベスト4 | - | - | ベスト16 | フランシスコ・ヘント | フェレンツ・プスカシュ |
| 1963-64 | 優勝 | 30 | 22 | 2 | 6 | 46 | ベスト8 | - | - | 準優勝 | フェレンツ・プスカシュ | |
| 1964-65 | 優勝 | 30 | 21 | 5 | 4 | 47 | ベスト16 | - | - | ベスト8 | ラモン・グロッソ | |
| 1965-66 | 準優勝 | 30 | 19 | 5 | 6 | 43 | ベスト8 | - | - | 優勝 | フランシスコ・ヘント | |
| 1966-67 | 優勝 | 30 | 19 | 9 | 2 | 47 | ベスト8 | - | - | ベスト8 | ラモン・グロッソ | |
| 1967-68 | 優勝 | 30 | 16 | 10 | 4 | 42 | 準優勝 | - | - | ベスト4 | アマンシオ・アマロ | |
| 1968-69 | 優勝 | 30 | 18 | 11 | 1 | 47 | ベスト16 | - | - | ベスト16 | アマンシオ・アマロ | |
| 1969-70 | 5位 | 30 | 13 | 9 | 8 | 35 | 優勝 | - | - | ベスト16 | アマンシオ・アマロ | |
| 1970-71 | 4位 | 30 | 17 | 7 | 6 | 41 | ベスト32 | - | - | ピッリ | ||
| 1971-72 | 優勝 | 34 | 19 | 9 | 6 | 47 | ベスト4 | - | ベスト32 | イグナシオ・ソコ | サンティリャーナ | |
| 1972-73 | 4位 | 34 | 17 | 9 | 8 | 43 | ベスト16 | - | ベスト4 | サンティリャーナ | ||
| 1973-74 | 8位 | 34 | 13 | 8 | 13 | 34 | 優勝 | - | ベスト64 | オスカル・マス ピッリ |
||
| 1974-75 | 優勝 | 34 | 20 | 10 | 4 | 50 | 優勝 | - | アマンシオ・アマロ | ロベルト・フアン・マルティネス サンティリャーナ |
||
| 1975-76 | 優勝 | 34 | 20 | 8 | 6 | 48 | ベスト16 | - | ベスト4 | サンティリャーナ | ||
| 1976-77 | 9位 | 34 | 12 | 10 | 12 | 34 | ベスト32 | - | ベスト16 | ピッリ | ピッリ | |
| 1977-78 | 優勝 | 34 | 22 | 3 | 9 | 47 | ベスト16 | - | サンティリャーナ | |||
| 1978-79 | 優勝 | 34 | 16 | 15 | 3 | 47 | 準優勝 | - | ベスト16 | サンティリャーナ | ||
| 1979-80 | 優勝 | 34 | 22 | 9 | 3 | 53 | 優勝 | - | ベスト4 | サンティリャーナ | ||
| 1980-81 | 2位 | 34 | 20 | 5 | 9 | 45 | ベスト8 | - | 準優勝 | ミゲル・アンヘル | フアニート | |
| 1981-82 | 3位 | 34 | 18 | 8 | 8 | 44 | 優勝 | - | ベスト8 | フアニート | ||
| 1982-83 | 2位 | 34 | 20 | 9 | 5 | 49 | 準優勝 | 準優勝 | サンティリャーナ | |||
| 1983-84 | 2位 | 34 | 22 | 5 | 7 | 49 | ベスト4 | フアニート | ||||
| 1984-85 | 5位 | 34 | 13 | 10 | 11 | 36 | ベスト16 | 優勝 | ホルヘ・バルダーノ | |||
| 1985-86 | 優勝 | 34 | 26 | 4 | 4 | 56 | ベスト4 | 優勝 | ウーゴ・サンチェス | |||
| 1986-87 | 優勝 | 44 | 27 | 12 | 5 | 66 | ベスト4 | ベスト4 | サンティリャーナ | ウーゴ・サンチェス | ||
| 1987-88 | 優勝 | 38 | 28 | 6 | 4 | 62 | ベスト4 | ベスト4 | ウーゴ・サンチェス | |||
| 1988-89 | 優勝 | 38 | 25 | 12 | 1 | 62 | 優勝 | 優勝 | ベスト4 | ホセ・アントニオ・カマーチョ | ウーゴ・サンチェス | |
| 1989-90 | 優勝 | 38 | 26 | 10 | 2 | 62 | 準優勝 | 優勝 | ベスト16 | チェンド | ウーゴ・サンチェス | |
| 1990-91 | 3位 | 38 | 20 | 6 | 12 | 46 | ベスト16 | 優勝 | ベスト8 | エミリオ・ブトラゲーニョ | ||
| 1991-92 | 2位 | 38 | 23 | 8 | 7 | 54 | 準優勝 | ベスト4 | フェルナンド・イエロ | |||
| 1992-93 | 2位 | 38 | 24 | 9 | 5 | 57 | 優勝 | ベスト8 | イバン・サモラーノ | |||
| 1993-94 | 4位 | 38 | 19 | 7 | 12 | 45 | ベスト8 | 優勝 | マヌエル・サンチス | イバン・サモラーノ | ||
| 1994-95 | 優勝 | 38 | 23 | 9 | 6 | 55 | ベスト16 | ベスト16 | イバン・サモラーノ | |||
| 1995-96 | 6位 | 42 | 20 | 10 | 12 | 70 | ベスト16 | 準優勝 | ベスト8 | ラウル・ゴンサレス | ||
| 1996-97 | 優勝 | 42 | 27 | 11 | 4 | 92 | ベスト16 | ダヴォール・シューケル | ||||
| 1997-98 | 4位 | 38 | 17 | 12 | 9 | 63 | ベスト16 | 優勝 | 優勝 | フェルナンド・モリエンテス | ||
| 1998-99 | 2位 | 38 | 21 | 5 | 12 | 68 | ベスト4 | ベスト8 | ラウル・ゴンサレス | |||
| 1999-00 | 5位 | 38 | 16 | 14 | 8 | 62 | ベスト8 | 優勝 | ラウル・ゴンサレス | |||
| 2000-01 | 優勝 | 38 | 24 | 8 | 6 | 80 | ベスト64 | ベスト4 | ラウル・ゴンサレス | |||
| 2001-02 | 3位 | 38 | 19 | 9 | 10 | 66 | 準優勝 | 優勝 | 優勝 | フェルナンド・イエロ | ラウル・ゴンサレス | |
| 2002-03 | 優勝 | 38 | 22 | 12 | 4 | 78 | ベスト8 | ベスト4 | ロナウド | |||
| 2003-04 | 4位 | 38 | 21 | 7 | 10 | 70 | 準優勝 | 優勝 | ベスト8 | ラウル・ゴンサレス | ロナウド | |
| 2004-05 | 2位 | 38 | 25 | 5 | 8 | 80 | ベスト16 | ベスト16 | ロナウド | |||
| 2005-06 | 2位 | 38 | 20 | 10 | 8 | 70 | ベスト4 | ベスト16 | ロナウド | |||
| 2006-07 | 優勝 | 38 | 23 | 7 | 8 | 76 | ベスト16 | ベスト16 | ルート・ファン・ニステルローイ | |||
| 2007-08 | 優勝 | 38 | 27 | 4 | 7 | 85 | ベスト16 | 準優勝 | ベスト16 | ラウル・ゴンサレス | ||
| 2008-09 | 2位 | 38 | 25 | 3 | 10 | 78 | ベスト32 | 優勝 | ベスト16 | ラウル・ゴンサレス ゴンサロ・イグアイン |
||
| 2009-10 | 2位 | 38 | 31 | 3 | 4 | 96 | ベスト32 | ベスト16 | クリスティアーノ・ロナウド | |||
| 2010-11 | 2位 | 38 | 29 | 5 | 4 | 92 | 優勝 | ベスト4 | イケル・カシージャス | クリスティアーノ・ロナウド | ||
| 2011-12 | 優勝 | 38 | 32 | 4 | 2 | 100 | ベスト8 | 準優勝 | ベスト4 | クリスティアーノ・ロナウド | ||
| 2012-13 | 2位 | 準優勝 | 優勝 | ベスト4 |
現所属メンバー [編集]
- 2013年1月26日現在
|
|
※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
レンタル移籍 [編集]
- in
|
- out
|
歴代所属選手 [編集]
詳細は「:Category:レアル・マドリードの選手」を参照
歴代監督 [編集]
| 氏名 | 国籍 | 期間 |
|---|---|---|
| アーサー・ジョンソン | 1910-1920 | |
| フアン・デ・カルセル | 1920-1926 | |
| ペドロ・ジョレンテ | 1926 | |
| サンティアゴ・ベルナベウ | 1926-1927 | |
| ホセ・ベラオンド | 1927-1929 | |
| ホセ・キランテ | 1929-1930 | |
| リッポ・ヘルザ | 1930-1932 | |
| ペドロ・ジョレンテ | 1932 | |
| ロベルト・フィアスト | 1932-1933 | |
| フランシスコ・ブル | 1934-1941 | |
| フアニート・アルメ | 1941-1943 | |
| ラモン・エンシナス | 1943-1945 | |
| パブロ・エルナンデス・コロナド | 1945 | |
| ジャシント・キンコセス | 1945-1946 | |
| バルタサール・アルベニス | 1946-1948 | |
| マイケル・キーピング | 1948-1950 | |
| エクトル・スカローネ | 1951-1952 | |
| フアン・アントニオ・イピーニャ | 1952-1953 | |
| エンリケ・フェルナンデス | 1953-1955 | |
| ホセ・ビジャロンガ | 1955-1957 | |
| ルイス・カルニグリア | 1957-1959 | |
| ミゲル・ムニョス | 1959 | |
| ルイス・カルニグリア | 1959 | |
| マヌエル・フレイタス | 1959-1960 | |
| ミゲル・ムニョス | 1960-1973 | |
| ルイス・モロウニー | 1974 | |
| ミリャン・ミリャニッチ | 1974-1977 | |
| ルイス・モロウニー | 1977-1979 | |
| ヴヤディン・ボシュコヴ | 1979-1982 | |
| ルイス・モロウニー | 1982 | |
| アルフレッド・ディ・ステファノ | 1982-1983 | |
| アマンシオ・アマロ | 1983-1984 | |
| ルイス・モロウニー | 1985-1986 | |
| レオ・ベーンハッカー | 1986-1989 | |
| ジョン・トシャック | 1989-1990 | |
| アルフレッド・ディ・ステファノ | 1990-1991 | |
| ラドミル・アンティッチ | 1991 | |
| レオ・ベーンハッカー | 1992 | |
| ベニト・フローロ | 1992-1993 | |
| ビセンテ・デル・ボスケ | 1993-1994 | |
| ホルヘ・バルダーノ | 1994-1995 | |
| ビセンテ・デル・ボスケ | 1995-1996 | |
| アルセニオ・イグレシアス | 1996 | |
| ファビオ・カペッロ | 1996-1997 | |
| ユップ・ハインケス | 1997-1998 | |
| ホセ・アントニオ・カマーチョ | 1998 | |
| フース・ヒディンク | 1998-1999 | |
| ジョン・トシャック | 1999 | |
| ビセンテ・デル・ボスケ | 1999-2003 | |
| カルロス・ケイロス | 2003-2004 | |
| ホセ・アントニオ・カマーチョ | 2004 | |
| マリアノ・ガルシア・レモン | 2004 | |
| ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ | 2004-2005 | |
| フアン・ラモン・ロペス・カロ | 2005-2006.5 | |
| ファビオ・カペッロ | 2006.5-2007.6 | |
| ベルント・シュスター | 2007.6-2008.12 | |
| ファンデ・ラモス | 2008.12-2009.6 | |
| マヌエル・ペジェグリーニ | 2009.6-2010.5 | |
| ジョゼ・モウリーニョ | 2010.5-2013 |
歴代会長 [編集]
| 氏名 | 国籍 | 期間 |
|---|---|---|
| フリアン・パラシオス | 1900-1902 | |
| フアン・パドロス | 1902-1904 | |
| カルロス・マドロス | 1904-1908 | |
| アドルフォ・メレンデス | 1908-1916 | |
| ペドロ・パラヘス | 1916-1926 | |
| ルイス・デ・ウルキホ | 1926-1930 | |
| ルイス・ウセラ | 1930-1935 | |
| ラファエル・サンチェス | 1935-1936 | |
| アドルフォ・メレンデス | 1936-1940 | |
| アントニオ・サントス | 1940-1943 | |
| サンティアゴ・ベルナベウ | 1943-1978 | |
| ルイス・デ・カルロス | 1978-1985 | |
| ラモン・メンド-サ | 1985-1995 | |
| ロレンソ・サンス | 1995-2000 | |
| フロレンティーノ・ペレス | 2000-2006 | |
| ラモン・カルデロン | 2006-2009 | |
| ビセンテ・ボルダ | 2009 | |
| フロレンティーノ・ペレス | 2009- |
クラブ記録 [編集]
出場試合数 [編集]
| 順位 | ポジション | 選手名 | 所属期間 | 試合数 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | FW | 1994-2010 | 741 | |
| 2 | DF | 1983-2001 | 710 | |
| 3 | GK | 1999- | 654 | |
| 4 | FW | 1971-1988 | 645 | |
| 5 | FW | 1953-1971 | 602 | |
| 6 | DF | 1989-2003 | 601 | |
| 7 | DF | 1973-1989 | 577 | |
| 8 | MF | 1964-1979 | 561 | |
| 9 | MF | 1981-1996 | 559 | |
| 10 | MF | 1995-2010 | 542 |
総得点数 [編集]
| 順位 | ポジション | 選手名 | 所属期間 | 得点数 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | FW | 1994-2010 | 323 | |
| 2 | FW | 1953-1964 | 308 | |
| 3 | FW | 1971-1988 | 290 | |
| 4 | FW | 1958-1966 | 242 | |
| 5 | FW | 1985-1992 | 208 | |
| 6 | FW | 2009- | 197 | |
| 7 | FW | 1953-1971 | 182 | |
| 8 | MF | 1964-1980 | 172 | |
| 9 | FW | 1983-1995 | 171 | |
| 10 | FW | 1962–1976 | 155 |
メモリアルゴール [編集]
| 得点 | 選手名 | 対戦相手 | 試合日時 |
|---|---|---|---|
| 1st | FCバルセロナ | 1902年5月13日 | |
| 1000th | アスレティック・ビルバオ | 1950年11月5日 | |
| 2000th | ポンテベドラCF | 1963年11月9日 | |
| 3000th | UDサラマンカ | 1982年1月20日 | |
| 4000th | レアル・バリャドリード | 1994年12月22日 | |
| 5000th | CDヌマンシア | 2008年9月14日 |
各種クラブ記録 [編集]
- 最多得点差勝利 11-1 1942-43 コパ・デル・レイ、FCバルセロナ戦
- 最多得点差敗北 1-8 1929-30 リーガ・エスパニョーラ、RCDエスパニョール戦
- リーグ最多勝利 32試合/38試合 2011-2012
- リーグ最少勝利 7試合/18試合 1929-30
- リーグ最多得点 121得点 2011-12
- リーグ最少得点 24得点 1930-31
- リーグ最多失点 71得点 1950-51
- リーグ最少失点 15得点 1931-32
- リーグ最多勝ち点 100ポイント[注 6] 2011-12
- リーグ最少勝ち点 17ポイント[注 7] 1929-30
- 公式戦連勝記録 15試合 1960-61 ほか
各種個人記録 [編集]
- 1シーズン最多得点者 60得点 クリスティアーノ・ロナウド 2011-12
- 1試合最多得点者 6得点 フェレンツ・プスカシュ レアル・ベティス戦 1961年6月18日 ほか
- 最年少得点者 17歳117日 アルベルト・リベラ セルタ・デ・ビーゴ戦 1995年6月10日
- 最年長得点者 38歳233日 フェレンツ・プスカシュ FCセビージャ戦 1965年11月21日
- 最速得点者 14秒 ロナウド アトレティコ・マドリード戦 2003年12月3日
- 最速ハットトリック 8分 ペピーリョ レアル・ソシエダ戦 1960年4月10日
ユニフォーム [編集]
チームカラーは白、青。胸スポンサーには、2007年からオンラインカジノの運営会社であるbwinのロゴを入れている。メーカーはアディダス。
白いユニフォームは、コリンシアンFCをモデルにしている。また、イングランドの古豪リーズ・ユナイテッドのユニフォームも白であり、1960年代前半にドン・レヴィーが監督に就任したときに青と金のユニフォームから変更になった。これは、当時UEFAチャンピオンズカップ5連覇などを成し遂げたレアル・マドリードにあやかってチーム作りをしようとしたためだと言われている[26]。スペインのクラブとして初めて背番号があるユニフォームを着用したクラブでもあり、1947年11月23日のアトレティコ・マドリード戦で背番号入りのユニフォームを導入した[27]。
レアル・マドリードのセカンドユニフォームは青や紺、黒などの比較的落ち着いた色を使用することが伝統であった。しかし、2011-12シーズンのチャンピオンズリーグ用セカンドユニフォームには、上下とも赤という明るい色を38年ぶりに採用した[28][29]。また、その翌シーズンにはユニフォームのサードカラーを緑とすることが決定。過去にレアル・マドリードが公式戦で緑のユニフォームを着用したことはなく、親善試合などを含めても1965-66シーズン前の南米遠征でベネズエラのカラカスにてCAリーベル・プレートとの試合で着用して以来およそ半世紀ぶりとなる[30]。
背番号7は特別な番号とされており、レイモン・コパやアマンシオ・アマロ、フアニート、エミリオ・ブトラゲーニョなどそれぞれの時代のクラブを代表するアタッカーが背負ってきた。特に近年ではラウル・ゴンサレスによってその価値はさらに高められた[31]。また、背番号9もアルフレッド・ディ・ステファノやサンティリャーナ、ウーゴ・サンチェス、ロナウドといった名手に背負われてきた[32]。
メーカーと胸スポンサー [編集]
| 年度 | メーカー | 胸スポンサー |
|---|---|---|
| 1980–1982 | アディダス | - |
| 1982–1985 | Zanussi | |
| 1985–1989 | ヒュンメル | Parmalat |
| 1989–1991 | Reny Picot | |
| 1991–1992 | Otaysa | |
| 1992–1994 | Teka | |
| 1994–1998 | KELME | |
| 1998–2001 | アディダス | |
| 2001–2002 | - | |
| 2002–2005 | Siemens mobile | |
| 2005–2006 | Siemens | |
| 2006–2007 | BenQ Siemens | |
| 2007– | bwin.com |
サポーター [編集]
レアル・マドリードのファンはマドリディスタ(madridista)と呼ばれている[注 8]。2000年にフロレンティーノ・ペレスが会長に就任したときに、スペインサッカーの実体を理解するためにスペイン各地でスペイン人2000人に応援しているクラブを尋ねたところ、29.2パーセントがレアル・マドリードのファンであると答え[33]、2007年の社会意識調査では国内の32.8パーセントがレアル・マドリードのファンであることが明らかになった[17]。2006年にハーバード大学が行った調査によると世界中に2億2,800万人いるとされており、この数字はマンチェスター・ユナイテッドFCを6,000万人上回り、世界一の数字である[1]。同じくマドリードを本拠地とするアトレティコ・マドリードは主に労働者階級の支持を受けているのに対し、レアル・マドリードは富裕層の支持を受けているのが特徴である。現地サポーターはレアル・マドリードがタイトルを獲得した際、シベーレスの噴水に集まり祝福する。
攻撃的なサッカーを好む傾向にあり、ファビオ・カペッロは2度監督に就任し、その2度ともリーガ・エスパニョーラ優勝を成し遂げたにもかかわらず、あまりに守備的すぎるという理由から1年で解任されている。1989-90シーズンにレアル・マドリードを率いて、最多得点記録を更新してのリーグ優勝を果たしたジョン・トシャックも、守りすぎだと批判された[34]。2005年11月20日のエル・クラシコ、2008年のUEFAチャンピオンズリーググループステージ、対ユヴェントスFC戦などでは、対戦相手にスタンディングオベーションを送っている[35][36]。
レアル・マドリードの下部組織に所属していたビセンテ・デル・ボスケやフリオ・イグレシアスのほか、プラシド・ドミンゴ、ラファエル・ナダル、フェルナンド・アロンソ、セルヒオ・ガルシアらスペインの著名人がクラブの名誉会員に名を連ねている[37][38]。
メディア [編集]
1999年2月14日からはレアル・マドリードTVが始まり、選手やスタッフのインタビューや過去のものを含む試合を放送している。2005年にはクラブ初の正式公認映画である[39]レアル・ザ・ムービーが制作され、当時の所属選手も多数出演した。その他、GOAL!シリーズの主人公であるサンティアゴ・ムネスは、GOAL!2にてレアル・マドリードに移籍。この作品にも、所属選手が出演した。
クラブ会員やファンクラブのメンバーには、Hala Madridというファンクラブ誌が毎月発行される[注 9]。試合のレポートや下部組織の情報、インタビューなどを掲載している。
2012年、アラブ首長国連邦に“レアル・マドリード・リゾートアイランド”なるアイランドリゾートを10億ドルをかけて建設することを発表した[40]。
脚注 [編集]
注釈 [編集]
- ^ 厳密には、マドリードダービーはレアル・マドリードとアトレティコ・マドリードのみならず、マドリード市などマドリード都市圏(マドリード首都圏)に本拠を置くチーム同士が対戦するダービーマッチのことを指す。
- ^ 優勝した1965-66シーズンのUEFAチャンピオンズカップにて、選手達が決勝前の写真撮影にビートルズの髪型を模したカツラを着用して臨んだことに由来。また「イエイエ」は当時のスペインにおける若者風情の一つであり、1960年代に流行した音楽やファッションなどを総称してそう呼ぶ。
- ^ ただし、当時のコパ・デル・レイは参加クラブが少なく、この年に参加したクラブはマドリードFCを含め3クラブのみだった。
- ^ それ以前はエスタディオ・チャマルティンでプレーしていたが、この頃からは「アトレティコ・アビアシオンの会員はレアル・マドリードの試合を無料で観られる」という条件のもと、当時のアトレティコ・アビアシオンのホームスタジアムであったエスタディオ・メトロポリターノ・デ・マドリードでプレーした。
- ^ そのシーズンに行われた全ての公式戦での得点数。太字はピチーチ賞受賞。
- ^ 試合数38。勝利時の獲得ポイントが3。
- ^ 試合数18。勝利時の獲得ポイントが2。
- ^ レアル・マドリードに所属している、もしくは過去に所属していた選手もこう呼ばれる場合がある。
- ^ 「Hala Madrid」はレアル・マドリードを賞賛する文句であり、クラブの応援歌にも同名のタイトルが付けられている。
出典 [編集]
- ^ a b 106 years of history Real Madrid C.F.、2008年3月6日
- ^ Europe's Club of the Century IFFHS
- ^ Soccer's Most Valuable Teams: At $3.3 Billion, Real Madrid Knocks Manchester United From Top Spot
- ^ 特集 各国歴代最強イレブン【20】スペイン(1) - 時事ドットコム
- ^ ボール 2004 265頁
- ^ マドリー、カンテラのトップが辞任 goal.com、2008年12月5日
- ^ “世界で最も裕福なクラブ”. Real Madrid C.F. (2009年2月12日). 2009年10月9日閲覧。
- ^ “収入、前年比8.6%増”. Real Madrid C.F. (2011年9月16日). 2011年9月17日閲覧。
- ^ “【レアル】C・ロナウド、ユニフォーム売り上げ130億円。ベッカム抜きクラブ新記録”. wowow.co.jp (2010年4月15日). 2011年9月17日閲覧。
- ^ “サントスへの不満を募らせるバルセロナ”. goal.com (2011年9月16日). 2011年9月17日閲覧。
- ^ “セビージャ会長:「大多数が公平な放映権料分配を望んでいる」 アトレティコ&バレンシアが新たな会議を招集”. Goal.com (2011年10月5日). 2012年3月25日閲覧。
- ^ 2012年にイギリスメディア『sportingintelligence.com』が調査した、世界のスポーツチームの平均年俸ランキング
- ^ レアル・マドリードC.F.
- ^ 活字メディアでは「ワールドサッカーキング」、「フットボリスタ」、放送メディアでは「J SPORTS」など。
- ^ ボール 2002 182頁
- ^ ボール 2002 174頁
- ^ a b “レアル・マドリードの基礎知識”. wowow.com. 2013年4月28日閲覧。
- ^ ボール 2004 99頁
- ^ ボール 2004 144頁
- ^ “R・マドリード、本拠地の名称として名を刻むベルナベウ氏のデビューから100周年”. wowow.co.jp (2012年3月5日). 2012年7月29日閲覧。
- ^ “一時代に別れを告げたマドリー”. uefa.com (2006年2月28日). 2009年11月14日閲覧。
- ^ “マドリー、カペッロ監督を解任”. uefa.com (2007年6月28日). 2009年10月8日閲覧。
- ^ “カルデロン会長、ソシオ集会で不正発覚”. livedoor スポーツ (2009年1月15日). 2009年10月8日閲覧。
- ^ ペレス会長が推し進めるR・マドリーの歴史的な大改革 - ocn sports
- ^ “レアル・マドリーにペレス会長復帰”. livedoor スポーツ (2009年6月1日). 2009年10月9日閲覧。
- ^ ボール 2002 151頁
- ^ Real Madrid turns 106 (V)Real Madrid C.F.
- ^ La segunda camiseta de la Champions es roja as.com、2011年8月11日
- ^ “38年ぶりの“赤い”レアルがD・ザグレブ下し白星スタート”. searchina (2011年9月15日). 2011年9月15日閲覧。
- ^ ““白い巨人”レアルがセビージャ戦で緑色のユニフォーム着用へ”. soccer king (2012年9月15日). 2012年9月21日閲覧。
- ^ コラム:ラウールの背番号7を継ぐべきは? goal.com、2010年8月8日
- ^ R・マドリー、C・ロナウドの背番号を認定?! livedoor スポーツ、2009年5月9日
- ^ ボール 2004 62頁
- ^ ボール 2004 40-41頁
- ^ 2005年のロナウジーニョから2009年のメッシへ livedoor スポーツ、2009年1月8日
- ^ ベルナベウの観客を魅了したデル・ピエロ uefa.com、2008年11月5日
- ^ “3人の著名人を名誉会員に”. Real Madrid C.F. (2011年3月17日). 2012年8月14日閲覧。
- ^ “公式声明”. Real Madrid C.F. (2012年3月16日). 2012年8月14日閲覧。
- ^ レアル ザ・ムービー. real-movie.jp
- ^ ““レアル・マドリード・リゾートアイランド”が起工”. Real Madrid C.F. (2012年3月29日). 2012年4月21日閲覧。
参考文献 [編集]
- フィル・ボール著、近藤隆文訳 『バルサとレアル スペイン・サッカー物語』 NHK出版、2002年。ISBN 978-4140806739。
- フィル・ボール著、野間けい子訳 『レアル・マドリー ディ・ステファノからベッカムまで』 ネコ・パブリッシング、2004年。ISBN 978-4777050369。
関連項目 [編集]
- フランシスコ・フランコ - スペインの独裁者。
- トロフェオ・サンティアゴ・ベルナベウ - プレシーズンに行われる親善試合。
- G-14 - ヨーロッパビッグクラブ連合体。
外部リンク [編集]
- レアル・マドリード公式モバイルサイト (日本語)
- レアル・マドリード公式ウェブサイト (日本語)
- レアル・マドリード公式 (realmadridjapan) - Twitter - (日本語)
- Real Madrid - Facebook - (スペイン語)(英語)
- Real Madrid - 公式YouTubeチャンネル(Flash Video) - (スペイン語)
- Real Madrid C.F. - Google+
|
|
|---|
|
|
|||||
|
|||||
|
|||||
|
|||||