レアル・マドリード

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レアル・マドリード
原語表記 Real Madrid Club de Fútbol
愛称 El Madrid, Merengues, Blancos,
Vikingos, Los Galacticos
エル・マドリード、マドリード、メレンゲス、白い巨人
クラブカラー 白、紫
創設年 1902年
所属リーグ リーガ・エスパニョーラ
所属ディビジョン プリメーラ・ディビシオン
ホームタウン マドリード
ホームスタジアム Santiagobernabeupanoramav3.jpg
エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ
収容人数 85,454
代表者 スペインの旗 フロレンティーノ・ペレス
監督 イタリアの旗 カルロ・アンチェロッティ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

レアル・マドリード・クルブ・デ・フトボル西: Real Madrid Club de Fútbol)は、スペイン首都 マドリードに本拠地を置くサッカークラブチーム。

概要[編集]

1902年に創設。現在のホームスタジアムエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ。現在はリーガ・エスパニョーラプリメーラ・ディビシオンに所属し、同リーグにおいて32回の最多優勝記録を持つほか、FCバルセロナアスレティック・ビルバオと共にリーガ・エスパニョーラの創立以来、一度もプリメーラ・ディビシオンから降格したことがない世界を代表する名門クラブである。さらに、UEFAチャンピオンズカップおよびUEFAチャンピオンズリーグにおいても合計9回の最多優勝記録を持つ。FIFAには20世紀最高のクラブ[1]国際サッカー歴史統計連盟からはヨーロッパにおける20世紀最高のクラブに認められた[2]2013年には、世界有数の経済誌『フォーブス』によるスポーツチームの資産価値の格付けにおいて33億ドルと算出されており、世界一の資産価値のクラブとなっている[3]

サンティアゴ・ベルナベウにあるトロフィールーム

スペインサッカー連盟1909年に創設されたものであり、同チーム創設当初のスペインにはサッカーを統括する団体が存在しなかった。また、同チームが唯一のサッカー団体であったため、スペインを代表してFIFAの創設メンバーに名を連ねた。

同じスペイン3大名門クラブに並び称されるFCバルセロナとアトレティコ・マドリードの両クラブとはライバル関係にある。FCバルセロナとの対戦はエル・クラシコ (El Clásico) と呼ばれ、100年以上に渡り因縁の対決を続けている。同じマドリードを本拠地とするアトレティコ・マドリードとの対戦はマドリードダービー (El Derbi Madrileño) と呼ばれる[注 1]。首都マドリードに本拠地を置いているレアル・マドリードは、歴史的な背景からカタルーニャバスクなどの地域のクラブから強い対抗心を抱かれている[4]

また、サッカーのクラブチームのほか、バスケットボールのクラブチームも持つ総合スポーツクラブである。スペインバスケットボールリーグ1部ACBレアル・マドリード・バロンセストがそれであり、優勝回数1位を誇る屈指の名門クラブである。

下部組織[編集]

Bチームであるレアル・マドリード・カスティージャを始めとするユースチームも運営しており、これまで国内外で活躍する多くの選手を輩出している。カスティージャは、1980年コパ・デル・レイ決勝に進出してレアル・マドリードのトップチームと決勝戦を戦い、下部組織出身者をチームの中心に据えた1980年代はリーガ・エスパニョーラ5連覇を果たした。

しかし、レアル・マドリードは他のクラブから有名選手を獲得することが多く[5]2000年フロレンティーノ・ペレスが会長に就任して以降はその傾向が特に顕著となったため、トップチームに定着する下部組織出身者は非常に少ない。元カスティージャ出身の選手であり、下部組織の総責任者を務めていたミチェルは、2008年にクラブのカンテラ軽視を理由に職を辞している[6]

経営について[編集]

デロイト・フットボール・マネー・リーグによれば世界一収入のあるフットボールクラブであり[7]、経営収入は1999年から2011年まで毎年平均14%ずつ増加している。その内訳はスタジアム収入、テレビ収入、マーケティング収入の3つがほぼ均等となっている[8]。クラブブランドや潤沢な資金力を活かして、これまで多くの大物選手の獲得に成功している。

特筆すべきものとして、レアル・マドリードはいち早くプレシーズンのワールドツアーを採用し、PRも兼ねて大きな資金を得た。また、多くの場合選手に対して肖像権の半分をクラブ側が持つという契約を提示するため[9][10]、ユニフォームなどのグッズ売り上げ以外にも所属選手による収入がある。リーガ・エスパニョーラの放映権収入に関しては、現在レアル・マドリードとFCバルセロナの2クラブで約半分を独占する形になっており、経済格差やそれを背景としたリーグの2強化も相まってこの分配システムには不満の声が多く上がっている[11]

イギリスメディアが2012年に公表した調査によると、レアル・マドリードの平均年俸は約779万ドルであり、FCバルセロナに次いで、世界で2番目に平均年俸が高いクラブであることが判明した。これはアメリカのスポーツチームで最も平均年俸が高いロサンゼルス・レイカーズニューヨーク・ヤンキースよりも高い給与水準である[12]

呼称[編集]

当クラブの日本語公式ウェブサイトでは「レアル・マドリードC.F.」を用いている[13]。ただし、Real Madrid Club de Fútbol は一般的なスペイン語では「レアル・マドリー・クルブ・デ・フッボル」と発音し、マドリード首都圏では前半部分を「レアル・マドリース」と発音する(→マドリード#名称参照)。そのため、スペイン語の発音に沿って「レアル・マドリー」と表記するメディアもある[14]。また、英語風に「レアル・マドリッド」と表記するマスメディアもあり、日本語表記は統一されていない。なお、「レアル」は「王の」「王立の」という意味で、英語のRoyalと同じである。

愛称・略称は、チームカラーの白をとってエル・ブランコ(El Blanco)やメレンゲ(Merengue)。その他にも、年代ごとにそれぞれ特殊な愛称も存在する。アルフレッド・ディ・ステファノらスタープレイヤーを擁してUEFAチャンピオンズカップ5連覇を成し遂げた1950年代後半は一般的にエポカ・ドラダ(Epoca Dorada, 黄金時代)と表現され[15]、8度のリーガ・エスパニョーラ優勝を成し遂げた1960年代ビートルズの楽曲、シー・ラヴズ・ユーの歌詞より[16]イエイエ・マドリード(Yé-yé Madrid)[注 2]、リーグ5連覇を成し遂げた1980年代後半のチームは、エミリオ・ブトラゲーニョの愛称である「エル・ブイトレ(El Buitre)」からキンタ・デル・ブイトレ(Quinta del Buitre, ハゲワシ部隊)と呼ばれた。2000年代前半の第一次ペレス会長時代は、在籍している選手の豪華さからロス・ガラクティコス(Los Galácticos)とも呼ばれていた。日本のメディアではレアル、「エル・ブランコ」を意訳した「白い巨人」、「ロス・ガラクティコス」を訳した「銀河系軍団」や「スーパースター軍団」という呼び名も用いられる。 スペインのマスコミ表記では定冠詞をつけて「El Madrid」(エル・マドリード)が多く使われる。

クラブの歴史[編集]

創成期[編集]

1905年のチーム

1895年オックスフォード大学ケンブリッジ大学の卒業生がマドリードにフットボール・スカイ(Football Sky)というクラブを設立。1900年に分裂し、ニュー・フットボール・クラブ(New Foot-Ball de Madrid)とフリアン・パラシオス会長のエスパニョール・デ・マドリード(Club Español de Madrid)という2クラブが新たに生まれた。そして、1902年にフアン・パドロスが会長となり、レアル・マドリードの前身のクラブであるマドリード・フットボールクラブ(Madrid Foot-Ball Club)が誕生した。

1905年には初のタイトルであるコパ・デル・レイ優勝を達成[注 3]1912年にはクラブ史上初のホームスタジアムであるオドネル・スタジアムが建設されたほか、サンティアゴ・ベルナベウが選手としてデビューした。1920年アルフォンソ13世によってクラブ名がレアル・マドリードとなり、クラブのエンブレムにもブルボン家を象徴する王冠が加えられた[17]。「レアル」の名を授けられたことによりクラブ会員が急増したため、オドネル・スタジアムよりも大きなスタジアムを建設[18]1924年に、エスタディオ・チャマルティンが完成する。1929年からリーガ・エスパニョーラが開幕し、初シーズンとなった1929-30シーズンは2位に終わった。

1930年代にはリカルド・サモラジョゼップ・サミティエールジャシント・キンコセスシリアコ・エラスティらを獲得。1931-32シーズンはシーズン無敗を記録して初のリーガ・エスパニョーラ優勝、1932-33シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たした。しかし、1936年スペイン内戦が起こり、1939年までリーガ・エスパニョーラは中断を余儀なくされた。また、1931年にアルフォンソ13世が国外に亡命したことによって、その後10年強の間エンブレムの王冠と共に「レアル」の名を外された。

サンティアゴ・ベルナベウ会長時代[編集]

UEFAチャンピオンズカップ 1959-60
決勝のスターティングメンバー

1943年サンティアゴ・ベルナベウが会長に就任。1944年には、スペイン内戦の影響で廃墟と化した[19]エスタディオ・チャマルティンに代わるスタジアムであるヌエボ・エスタディオ・チャマルティンを起工した[注 4]1953年にはアルフレッド・ディ・ステファノを獲得し、アトレティコ・マドリードFCバルセロナアスレティック・ビルバオの3強だった当時のスペインサッカーの勢力図を塗り替えた[20]。1953-54シーズンと1954-55シーズンにかけてリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。その後、リーガ・エスパニョーラを1956-57シーズンと1957-58シーズンにかけて2連覇、さらに1955-56シーズンから始まったUEFAチャンピオンズカップにおいて1955-56シーズンから1959-60シーズンまで5連覇を達成した。

黄金期を築いたディ・ステファノとプスカシュ

1960-61シーズンはリーガ・エスパニョーラ、また同シーズンから始まったインターコンチネンタルカップにて優勝を達成した。その後、1964-65シーズンまでリーガ・エスパニョーラ5連覇、1965-66シーズンはUEFAチャンピオンズカップ優勝を果たし、さらに1966-67シーズンから1968-69シーズンまでリーガ・エスパニョーラ3連覇を記録したうえ、1961-62シーズンと1969-70シーズンはコパ・デル・レイ優勝を果たした。フランシスコ・ヘントキャプテンを務め、これらの実績を残した当時のチームはイエイエ・マドリードと称された。

1971年にはサンティリャーナらを獲得し、1971-72シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を果たす。ギュンター・ネッツァーが加わり、カスティージャCFからホセ・アントニオ・カマーチョを昇格させた1973-74シーズンはコパ・デル・レイ優勝を果たすも、リーガ・エスパニョーラでの成績不振から13年6ヵ月にわたって監督を務めたミゲル・ムニョスは解任された。パウル・ブライトナーを獲得した1974-75シーズンはリーガ・エスパニョーラとコパ・デル・レイにて優勝を達成し、1975-76シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。フアニートウリ・シュティーリケが加わった1977-78シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を達成した。なお、1978年6月2日にベルナベウは死去した。

ルイス・デ・カルロス会長時代[編集]

1978年、ルイス・デ・カルロスが会長に就任。1978-79シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。1979-80シーズンはリーガ・エスパニョーラ3連覇、コパ・デル・レイ優勝を達成した。1981-82シーズンはチェンドレアル・マドリード・カスティージャから昇格させ、コパ・デル・レイ優勝を達成。1983-84シーズンはマヌエル・サンチス・オンティジュエロをレアル・マドリード・カスティージャから昇格させた。1984-85シーズンはUEFAカップ優勝を達成した。

ラモン・メンドーサ会長時代[編集]

1985年、ラモン・メンドーサが会長に就任。エミリオ・ブトラゲーニョミチェルらをレアル・マドリード・カスティージャから昇格させ、1985年夏の移籍市場ではウーゴ・サンチェスらを獲得。1985-86シーズンはリーガ・エスパニョーラの優勝とUEFAカップ2連覇を達成し、1988-89シーズンはリーガ・エスパニョーラとコパ・デル・レイスーペルコパ・デ・エスパーニャにて優勝を達成。1989年夏の移籍市場ではフェルナンド・イエロらを獲得し、1989-90シーズンはクラブ史上3度目となるリーガ・エスパニョーラ5連覇、さらに1990-91シーズンにはスーペルコパ・デ・エスパーニャ3連覇を達成した。これらの実績を残した当時のチームはキンタ・デル・ブイトレと称された。

1992-93シーズンはコパ・デル・レイにて、1993-94シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャにてそれぞれ優勝を達成。1994年夏の移籍市場ではフェルナンド・レドンドミカエル・ラウドルップらを獲得したほか、レアル・マドリード・カスティージャからラウル・ゴンサレスを昇格させ、1994-95シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を果たした。しかし、1992年からエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウの改修を行い、この改修費用などでレアル・マドリードは多額の負債を抱えることとなり、1995-96シーズン途中の1995年11月20日にメンドーサは会長職を辞任した。

ラウルは後にクラブ最多出場、最多得点記録を更新した

ロレンソ・サンス会長時代[編集]

ラモン・メンドーサの退任後、クラブの副会長を務めていたロレンソ・サンスが会長に就任。1995-96シーズンは無冠に終わるも、1996-97シーズンはファビオ・カペッロを監督に招聘し、1996年夏の移籍市場ではプレドラグ・ミヤトヴィッチダヴォール・シューケルクラレンス・セードルフロベルト・カルロスらを獲得。同シーズンはリーグ史上最多となる勝ち点92を記録してのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たすも、シーズン終了後にカペッロは解任される。

1997年夏の移籍市場ではフェルナンド・モリエンテスらを獲得し、1997-98シーズンは32季ぶりとなるUEFAチャンピオンズリーグ優勝を達成。1998-99シーズンはインターコンチネンタルカップ優勝を果たす。

1999年夏の移籍市場ではミチェル・サルガドイバン・エルゲラらを獲得し、レアル・マドリード・カスティージャからイケル・カシージャスを昇格させた。1999-2000シーズンはシーズン途中にビセンテ・デル・ボスケが監督に就任し、UEFAチャンピオンズリーグ優勝を達成する。一方、クラブの負債は悪化の一途を辿った。

第一次フロレンティーノ・ペレス会長時代[編集]

フロレンティーノ・ペレスは会長職に就任すると、旧練習場敷地であるシウダード・デポルティバの売却で前会長時代までに膨らんだ負債を完済。さらに「毎年一人はビッグネームを獲得する」と宣言し、銀河系軍団と称されるチームを形成した。

トヨタカップ2002のスターティングメンバー。

2000年夏の移籍市場ではルイス・フィーゴらを獲得し、2000-01シーズンは4季ぶりとなるリーガ・エスパニョーラ優勝を果たす。さらに2001年夏の移籍市場ではジネディーヌ・ジダンらを獲得し、2001-02シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャUEFAチャンピオンズリーグにて優勝を果たした。2002年夏の移籍市場ではロナウドらを獲得。2002-03シーズンはリーガ・エスパニョーラ、UEFAスーパーカップインターコンチネンタルカップにて優勝を果たすも、シーズン終了後に監督のビセンテ・デル・ボスケは解任された。

銀河系軍団と呼ばれていた当時チームメイトだったジダンとベッカム

2003年夏の移籍市場ではデビッド・ベッカムらを獲得。2003-04シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ制覇を果たした。続く2004-05シーズンと2005-06シーズンは2季連続の無冠に終わり、2005-06シーズン途中の2006年2月27日にペレスは会長職を辞任した[21]

その後、会長職に就任したフェルナンド・マルティン・アルバレスは、ペレス会長時代の銀河系軍団の構想を真っ向から否定し、クラブへの貢献度を給料査定の基準にしたうえで、「給料分働かない者はクラブから出て行ってもらう」と発言したが、2か月で会長職を辞任した。

ラモン・カルデロン会長時代[編集]

ラモン・カルデロンは会長職に就任すると、ファビオ・カペッロを監督に招聘。2006年夏の移籍市場ではファビオ・カンナヴァーロルート・ファン・ニステルローイらを獲得し、2007年冬の移籍市場ではマルセロフェルナンド・ガゴゴンサロ・イグアインを獲得。2006-07シーズンは4季ぶりのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たすも、シーズン終了後にカペッロは解任される[22]

2007年夏の移籍市場ではペペヴェスレイ・スナイデルアリエン・ロッベンらを獲得。2007-08シーズンは18季ぶりとなるリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たし、2008-09シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝を果たした。なお、2009年1月にカルデロンはクラブ総会での不正投票操作疑惑が浮上[23]してその責任および混乱収拾のため会長職を辞任。その後は副会長だったビセンテ・ボルダが暫定的に会長を務めた。

第二次フロレンティーノ・ペレス会長時代[編集]

2011-12シーズンのリーガ・エスパニョーラ第35節、FCバルセロナ戦のスターティングメンバー。

2009年6月14日に会長選が行われる予定だったが、元会長のフロレンティーノ・ペレス以外の候補者が出馬条件を満たせなかったため[24]、同年6月1日付でペレスが会長に返り咲いた[25]マヌエル・ペジェグリーニが監督に就任し、同年夏の移籍市場ではサッカー界史上最高額でクリスティアーノ・ロナウドを筆頭に、カカカリム・ベンゼマシャビ・アロンソらを総額で2億以上の巨費を投じて獲得。しかし、2009-10シーズンは当時のクラブ新記録となる勝ち点が96を積み重ねたが、カカとベンゼマの不調でコパ・デル・レイでは当時2部B(実質は3部リーグに当たる)アルコルコン相手に4回戦で敗退すると、CLでは国内リーグでは不調ながら、当時4回対戦して一度も勝てていないオリンピック・リヨンに敗れた事で6年連続のベスト16敗退。4季ぶりとなる無冠に終わり、シーズン終了後にペジェグリーニは任を解かれた。

リーグ史上初となる勝ち点100での優勝に大きく貢献したC.ロナウド

その後、ジョゼ・モウリーニョが監督に就任。2010年夏の移籍市場ではアンヘル・ディ・マリアリカルド・カルヴァーリョサミ・ケディラメスト・エジルらを獲得。2010-11シーズンは18季ぶりのコパ・デル・レイ優勝を果たした。2011-12シーズンはジョゼップ・グアルディオラが率いていた過去3シーズンは全く勝てなかったバルセロナにクラシコで勝利する等、リーグ史上最多記録となる勝ち点100、121得点を記録して4季ぶりのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たす。2012-13シーズンは4季ぶりとなるスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝を果たしたものの、リーガ・エスパニョーラでは、昨シーズン限りでグアルディオラが退任したバルセロナに攫われ、コパ・デル・レイ決勝ではのアトレティコ・マドリードに14シーズンぶりに公式戦で敗れた事が祟り、モウリーニョはシーズン終了後に監督を退任した。

2013-14シーズンはカルロ・アンチェロッティが監督に就任。2013年夏の移籍市場ではイスコアシエル・イジャラメンディガレス・ベイルらを獲得し、ヘセ・ロドリゲスらをレアル・マドリード・カスティージャから昇格させた。






タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

1931-32, 1932-33, 1953-54, 1954-55, 1956-57, 1957-58, 1960-61, 1961-62, 1962-63, 1963-64, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69, 1971-72, 1974-75, 1975-76, 1977-78, 1978-79, 1979-80, 1985-86, 1986-87, 1987-88, 1988-89, 1989-90, 1994-95, 1996-97, 2000-01, 2002-03, 2006-07, 2007-08, 2011-12
1904-05, 1905-06, 1906-07, 1907-08, 1916-17, 1933-34, 1935-36, 1945-46, 1946-47, 1961-62, 1969-70, 1973-74, 1974-75, 1979-80, 1981-82, 1988-89, 1992-93, 2010-11, 2013-14
1984-85
1988, 1989, 1990, 1993, 1997, 2001, 2003, 2008, 2012

国際タイトル[編集]

スーペルコパ獲得に歓喜する選手たち
1955-56, 1956-57, 1957-58, 1958-59, 1959-60, 1965-66, 1997-98, 1999-00, 2001-02
1955, 1957
1994
1984-85, 1985-86
2002
1960, 1998, 2002
  • スモールワールドカップ : 2回
1952, 1956

過去の成績[編集]

リーグ戦 P W D L Pts カップ戦 スーパーカップ UEFA EL UEFA CL 監督 チームキャプテン チーム得点王[注 5]
1955-56 3位 30 18 2 10 38 ベスト4 - - 優勝 ホセ・ビジャロンガ ルイス・モロウニー アルフレッド・ディ・ステファノ
1956-57 優勝 30 20 4 6 44 ベスト16 - - 優勝 ミゲル・ムニョス アルフレッド・ディ・ステファノ
1957-58 優勝 30 20 5 5 45 準優勝 - - 優勝 ルイス・カルニグリア アルフレッド・ディ・ステファノ
1958-59 準優勝 30 21 5 4 47 ベスト4 - - 優勝 フアン・アロンソ アルフレッド・ディ・ステファノ
1959-60 準優勝 30 21 4 5 46 準優勝 - - 優勝 マヌエル・フレイタス フェレンツ・プスカシュ
1960-61 優勝 30 24 4 3 52 準優勝 - - ベスト16 ミゲル・ムニョス ホセ・マリア・サラガ フェレンツ・プスカシュ
1961-62 優勝 30 19 5 6 43 優勝 - - 準優勝 フェレンツ・プスカシュ
1962-63 優勝 30 23 3 4 49 ベスト4 - - ベスト16 フランシスコ・ヘント フェレンツ・プスカシュ
1963-64 優勝 30 22 2 6 46 ベスト8 - - 準優勝 フェレンツ・プスカシュ
1964-65 優勝 30 21 5 4 47 ベスト16 - - ベスト8 ラモン・グロッソ
1965-66 準優勝 30 19 5 6 43 ベスト8 - - 優勝 フランシスコ・ヘント
1966-67 優勝 30 19 9 2 47 ベスト8 - - ベスト8 ラモン・グロッソ
1967-68 優勝 30 16 10 4 42 準優勝 - - ベスト4 アマンシオ・アマロ
1968-69 優勝 30 18 11 1 47 ベスト16 - - ベスト16 アマンシオ・アマロ
1969-70 5位 30 13 9 8 35 優勝 - - ベスト16 アマンシオ・アマロ
1970-71 4位 30 17 7 6 41 ベスト32 - - ピッリ
1971-72 優勝 34 19 9 6 47 ベスト4 - ベスト32 イグナシオ・ソコ サンティリャーナ
1972-73 4位 34 17 9 8 43 ベスト16 - ベスト4 サンティリャーナ
1973-74 8位 34 13 8 13 34 優勝 - ベスト64 オスカル・マス
ピッリ
1974-75 優勝 34 20 10 4 50 優勝 - ミリャン・ミリャニッチ アマンシオ・アマロ ロベルト・フアン・マルティネス
サンティリャーナ
1975-76 優勝 34 20 8 6 48 ベスト16 - ベスト4 サンティリャーナ
1976-77 9位 34 12 10 12 34 ベスト32 - ベスト16 ピッリ ピッリ
1977-78 優勝 34 22 3 9 47 ベスト16 - ルイス・モロウニー サンティリャーナ
1978-79 優勝 34 16 15 3 47 準優勝 - ベスト16 サンティリャーナ
1979-80 優勝 34 22 9 3 53 優勝 - ベスト4 ヴヤディン・ボシュコヴ サンティリャーナ
1980-81 2位 34 20 5 9 45 ベスト8 - 準優勝 ミゲル・アンヘル フアニート
1981-82 3位 34 18 8 8 44 優勝 - ベスト8 フアニート
1982-83 2位 34 20 9 5 49 準優勝 準優勝 アルフレッド・ディ・ステファノ サンティリャーナ
1983-84 2位 34 22 5 7 49 ベスト4 フアニート
1984-85 5位 34 13 10 11 36 ベスト16 優勝 アマンシオ・アマロ ホルヘ・バルダーノ
1985-86 優勝 34 26 4 4 56 ベスト4 優勝 ルイス・モロウニー ウーゴ・サンチェス
1986-87 優勝 44 27 12 5 66 ベスト4 ベスト4 レオ・ベーンハッカー サンティリャーナ ウーゴ・サンチェス
1987-88 優勝 38 28 6 4 62 ベスト4 ベスト4 ウーゴ・サンチェス
1988-89 優勝 38 25 12 1 62 優勝 優勝 ベスト4 ホセ・アントニオ・カマーチョ ウーゴ・サンチェス
1989-90 優勝 38 26 10 2 62 準優勝 優勝 ベスト16 ジョン・トシャック チェンド ウーゴ・サンチェス
1990-91 3位 38 20 6 12 46 ベスト16 優勝 ベスト8 アルフレッド・ディ・ステファノ エミリオ・ブトラゲーニョ
1991-92 2位 38 23 8 7 54 準優勝 ベスト4 ラドミル・アンティッチ
レオ・ベーンハッカー
フェルナンド・イエロ
1992-93 2位 38 24 9 5 57 優勝 ベスト8 ベニト・フローロ イバン・サモラーノ
1993-94 4位 38 19 7 12 45 ベスト8 優勝 ビセンテ・デル・ボスケ マヌエル・サンチス イバン・サモラーノ
1994-95 優勝 38 23 9 6 55 ベスト16 ベスト16 ホルヘ・バルダーノ イバン・サモラーノ
1995-96 6位 42 20 10 12 70 ベスト16 準優勝 ベスト8 アルセニオ・イグレシアス ラウル・ゴンサレス
1996-97 優勝 42 27 11 4 92 ベスト16 ファビオ・カペッロ ダヴォール・シューケル
1997-98 4位 38 17 12 9 63 ベスト16 優勝 優勝 ユップ・ハインケス フェルナンド・モリエンテス
1998-99 2位 38 21 5 12 68 ベスト4 ベスト8 フース・ヒディンク
ジョン・トシャック
ラウル・ゴンサレス
1999-2000 5位 38 16 14 8 62 ベスト8 優勝 ビセンテ・デル・ボスケ ラウル・ゴンサレス
2000-01 優勝 38 24 8 6 80 ベスト64 ベスト4 ラウル・ゴンサレス
2001-02 3位 38 19 9 10 66 準優勝 優勝 優勝 フェルナンド・イエロ ラウル・ゴンサレス
2002-03 優勝 38 22 12 4 78 ベスト8 ベスト4 ロナウド
2003-04 4位 38 21 7 10 70 準優勝 優勝 ベスト8 カルロス・ケイロス ラウル・ゴンサレス ロナウド
2004-05 2位 38 25 5 8 80 ベスト16 ベスト16 ホセ・アントニオ・カマーチョ
マリアノ・ガルシア・レモン
ロナウド
2005-06 2位 38 20 10 8 70 ベスト4 ベスト16 ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ
フアン・ラモン・ロペス・カロ
ロナウド
2006-07 優勝 38 23 7 8 76 ベスト16 ベスト16 ファビオ・カペッロ ルート・ファン・ニステルローイ
2007-08 優勝 38 27 4 7 85 ベスト16 準優勝 ベスト16 ベルント・シュスター
ファンデ・ラモス
ラウル・ゴンサレス
2008-09 2位 38 25 3 10 78 ベスト32 優勝 ベスト16 ラウル・ゴンサレス
ゴンサロ・イグアイン
2009-10 2位 38 31 3 4 96 ベスト32 ベスト16 マヌエル・ペジェグリーニ クリスティアーノ・ロナウド
2010-11 2位 38 29 5 4 92 優勝 ベスト4 ジョゼ・モウリーニョ イケル・カシージャス クリスティアーノ・ロナウド
2011-12 優勝 38 32 4 2 100 ベスト8 準優勝 ベスト4 クリスティアーノ・ロナウド
2012-13 2位 38 26 7 5 85 準優勝 優勝 ベスト4 クリスティアーノ・ロナウド

現所属メンバー[編集]

2014年1月3日現在
No. Pos. 選手名
1 スペインの旗 GK イケル・カシージャス (Captain sports.svg)
2 フランスの旗 DF ラファエル・ヴァラン (Flag of Martinique.svg)
3 ポルトガルの旗 DF ペペ (Flag of Brazil.svg)
4 スペインの旗 DF セルヒオ・ラモス(副主将)
5 ポルトガルの旗 DF ファビオ・コエントラン
6 ドイツの旗 MF サミ・ケディラ (Flag of Tunisia.svg)
7 ポルトガルの旗 FW クリスティアーノ・ロナウド
9 フランスの旗 FW カリム・ベンゼマ (Flag of Algeria.svg)
11 ウェールズの旗 MF ガレス・ベイル
12 ブラジルの旗 DF マルセロ (Flag of Spain.svg)
13 スペインの旗 GK ヘスス・フェルナンデス
14 スペインの旗 MF シャビ・アロンソ
No. Pos. 選手名
15 スペインの旗 DF ダニエル・カルバハル
16 ブラジルの旗 MF カジミーロ
17 スペインの旗 DF アルバロ・アルベロア
18 スペインの旗 DF ナチョ・フェルナンデス
19 クロアチアの旗 MF ルカ・モドリッチ
20 スペインの旗 FW ヘセ・ロドリゲス
21 スペインの旗 FW アルバロ・モラタ
22 アルゼンチンの旗 MF アンヘル・ディ・マリア (Flag of Italy.svg)
23 スペインの旗 MF イスコ
24 スペインの旗 MF アシエル・イジャラメンディ
25 スペインの旗 GK ディエゴ・ロペス

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

レンタル移籍[編集]

in
No. Pos. 選手名
out
No. Pos. 選手名
-- トルコの旗 MF ヌリ・シャヒン (ボルシア・ドルトムント)
-- ロシアの旗 MF デニス・チェリシェフ (セビージャFC)(Flag of Spain.svg)

歴代所属選手[編集]

歴代監督[編集]

氏名 国籍 期間
アーサー・ジョンソン イングランドの旗 イングランド 1910-1920
フアン・デ・カルセル スペインの旗 スペイン 1920-1926
ペドロ・ジョレンテ スペインの旗 スペイン 1926
サンティアゴ・ベルナベウ スペインの旗 スペイン 1926-1927
ホセ・ベラオンド スペインの旗 スペイン 1927-1929
ホセ・キランテ スペインの旗 スペイン 1929-1930
リッポ・ヘルザ ハンガリーの旗 ハンガリー 1930-1932
ペドロ・ジョレンテ スペインの旗 スペイン 1932
ロベルト・フィアスト オーストリアの旗 オーストリア 1932-1933
フランシスコ・ブル スペインの旗 スペイン 1934-1941
フアニート・アルメ スペインの旗 スペイン 1941-1943
ラモン・エンシナス スペインの旗 スペイン 1943-1945
パブロ・エルナンデス・コロナド スペインの旗 スペイン 1945
ジャシント・キンコセス スペインの旗 スペイン 1945-1946
バルタサール・アルベニス スペインの旗 スペイン 1946-1948
マイケル・キーピング イングランドの旗 イングランド 1948-1950
エクトル・スカローネ ウルグアイの旗 ウルグアイ 1951-1952
フアン・アントニオ・イピーニャ スペインの旗 スペイン 1952-1953
エンリケ・フェルナンデス ウルグアイの旗 ウルグアイ 1953-1955
ホセ・ビジャロンガ スペインの旗 スペイン 1955-1957
ルイス・カルニグリア アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1957-1959
ミゲル・ムニョス スペインの旗 スペイン 1959
ルイス・カルニグリア アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1959
マヌエル・フレイタス パラグアイの旗 パラグアイ 1959-1960
ミゲル・ムニョス スペインの旗 スペイン 1960-1973
ルイス・モロウニー スペインの旗 スペイン 1974
ミリャン・ミリャニッチ ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 1974-1977
ルイス・モロウニー スペインの旗 スペイン 1977-1979
ヴヤディン・ボシュコヴ ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 1979-1982
ルイス・モロウニー スペインの旗 スペイン 1982
アルフレッド・ディ・ステファノ アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1982-1983
アマンシオ・アマロ スペインの旗 スペイン 1983-1984
ルイス・モロウニー スペインの旗 スペイン 1985-1986
レオ・ベーンハッカー オランダの旗 オランダ 1986-1989
ジョン・トシャック ウェールズの旗 ウェールズ 1989-1990
アルフレッド・ディ・ステファノ アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1990-1991
ラドミル・アンティッチ ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア 1991
レオ・ベーンハッカー オランダの旗 オランダ 1992
ベニト・フローロ スペインの旗 スペイン 1992-1993
ビセンテ・デル・ボスケ スペインの旗 スペイン 1993-1994
ホルヘ・バルダーノ アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1994-1995
ビセンテ・デル・ボスケ スペインの旗 スペイン 1995-1996
アルセニオ・イグレシアス スペインの旗 スペイン 1996
ファビオ・カペッロ イタリアの旗 イタリア 1996-1997
ユップ・ハインケス ドイツの旗 ドイツ 1997-1998
ホセ・アントニオ・カマーチョ スペインの旗 スペイン 1998
フース・ヒディンク オランダの旗 オランダ 1998-1999
ジョン・トシャック ウェールズの旗 ウェールズ 1999
ビセンテ・デル・ボスケ スペインの旗 スペイン 1999-2003
カルロス・ケイロス ポルトガルの旗 ポルトガル 2003-2004
ホセ・アントニオ・カマーチョ スペインの旗 スペイン 2004
マリアノ・ガルシア・レモン スペインの旗 スペイン 2004
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ ブラジルの旗 ブラジル 2004-2005
フアン・ラモン・ロペス・カロ スペインの旗 スペイン 2005-2006.5
ファビオ・カペッロ イタリアの旗 イタリア 2006.5-2007.6
ベルント・シュスター ドイツの旗 ドイツ 2007.6-2008.12
ファンデ・ラモス スペインの旗 スペイン 2008.12-2009.6
マヌエル・ペジェグリーニ チリの旗 チリ 2009.6-2010.5
ジョゼ・モウリーニョ ポルトガルの旗 ポルトガル 2010.5-2013
カルロ・アンチェロッティ イタリアの旗 イタリア 2013-

歴代会長[編集]

氏名 国籍 期間
フリアン・パラシオス スペインの旗 スペイン 1900-1902
フアン・パドロス スペインの旗 スペイン 1902-1904
カルロス・マドロス スペインの旗 スペイン 1904-1908
アドルフォ・メレンデス スペインの旗 スペイン 1908-1916
ペドロ・パラヘス スペインの旗 スペイン 1916-1926
ルイス・デ・ウルキホ スペインの旗 スペイン 1926-1930
ルイス・ウセラ スペインの旗 スペイン 1930-1935
ラファエル・サンチェス スペインの旗 スペイン 1935-1936
アドルフォ・メレンデス スペインの旗 スペイン 1936-1940
アントニオ・サントス スペインの旗 スペイン 1940-1943
サンティアゴ・ベルナベウ スペインの旗 スペイン 1943-1978
ルイス・デ・カルロス スペインの旗 スペイン 1978-1985
ラモン・メンド-サ スペインの旗 スペイン 1985-1995
ロレンソ・サンス スペインの旗 スペイン 1995-2000
フロレンティーノ・ペレス スペインの旗 スペイン 2000-2006
ラモン・カルデロン スペインの旗 スペイン 2006-2009
ビセンテ・ボルダ スペインの旗 スペイン 2009
フロレンティーノ・ペレス スペインの旗 スペイン 2009-

クラブ記録[編集]

出場試合数[編集]

順位 ポジション 選手名 所属期間 試合数
1 FW スペインの旗 ラウル・ゴンサレス 1994-2010 741
2 DF スペインの旗 マヌエル・サンチス・オンティジュエロ 1983-2001 710
3 GK スペインの旗 イケル・カシージャス 1999- 654
4 FW スペインの旗 サンティリャーナ 1971-1988 645
5 FW スペインの旗 フランシスコ・ヘント 1953-1971 602
6 DF スペインの旗 フェルナンド・イエロ 1989-2003 601
7 DF スペインの旗 ホセ・アントニオ・カマーチョ 1973-1989 577
8 MF スペインの旗 ピッリ 1964-1979 561
9 MF スペインの旗 ミチェル 1981-1996 559
10 MF スペインの旗 グティ 1995-2010 542

総得点数[編集]

順位 ポジション 選手名 所属期間 得点数
1 FW スペインの旗 ラウル・ゴンサレス 1994-2010 323
2 FW アルゼンチンの旗コロンビアの旗スペインの旗 アルフレッド・ディ・ステファノ 1953-1964 308
3 FW スペインの旗 サンティリャーナ 1971-1988 290
4 FW ハンガリーの旗スペインの旗 フェレンツ・プスカシュ 1958-1966 242
5 FW ポルトガルの旗 クリスティアーノ・ロナウド 2009- 240
6 FW メキシコの旗 ウーゴ・サンチェス 1985-1992 208
7 FW スペインの旗 フランシスコ・ヘント 1953-1971 182
8 MF スペインの旗 ピッリ 1964-1980 172
9 FW スペインの旗 エミリオ・ブトラゲーニョ 1983-1995 171
10 FW スペインの旗 アマンシオ・アマロ 1962–1976 155

メモリアルゴール[編集]

得点 選手名 対戦相手 試合日時
1st イングランドの旗 アーサー・ジョンソン FCバルセロナ 1902年5月13日
1000th スペインの旗 パイーニョ アスレティック・ビルバオ 1950年11月5日
2000th スペインの旗 フランシスコ・ヘント ポンテベドラCF 1963年11月9日
3000th スペインの旗 フアニート UDサラマンカ 1982年1月20日
4000th チリの旗 イバン・サモラーノ レアル・バリャドリード 1994年12月22日
5000th スペインの旗 グティ CDヌマンシア 2008年9月14日

各種クラブ記録[編集]

  • 最多得点差勝利 11-1 1942-43 コパ・デル・レイFCバルセロナ
  • 最多得点差敗北 1-8 1929-30 リーガ・エスパニョーラRCDエスパニョール
  • リーグ最多勝利 32試合/38試合 2011-2012
  • リーグ最少勝利 7試合/18試合 1929-30
  • リーグ最多得点 121得点 2011-12
  • リーグ最少得点 24得点 1930-31
  • リーグ最多失点 71得点 1950-51
  • リーグ最少失点 15得点 1931-32
  • リーグ最多勝ち点 100ポイント[注 6] 2011-12
  • リーグ最少勝ち点 17ポイント[注 7] 1929-30
  • 公式戦連勝記録 15試合 1960-61 ほか

各種個人記録[編集]

ユニフォーム[編集]

創設当時のユニフォーム

チームカラーは白、青。2013年からドバイを本拠地とする航空会社のエミレーツ航空が胸スポンサーとなっている。メーカーはアディダス

白いユニフォームは、コリンシアンFCをモデルにしている。また、イングランドの古豪リーズ・ユナイテッドのユニフォームも白であり、1960年代前半にドン・レヴィーが監督に就任したときに青と金のユニフォームから変更になった。これは、当時UEFAチャンピオンズカップ5連覇などを成し遂げたレアル・マドリードにあやかってチーム作りをしようとしたためだと言われている[26]。スペインのクラブとして初めて背番号があるユニフォームを着用したクラブでもあり、1947年11月23日アトレティコ・マドリード戦で背番号入りのユニフォームを導入した[27]

レアル・マドリードのセカンドユニフォームは青や紺、黒などの比較的落ち着いた色を使用することが伝統であった。しかし、2011-12シーズンのチャンピオンズリーグ用セカンドユニフォームには、上下とも赤という明るい色を38年ぶりに採用した[28][29]。また、その翌シーズンにはユニフォームのサードカラーを緑とすることが決定。過去にレアル・マドリードが公式戦で緑のユニフォームを着用したことはなく、親善試合などを含めても1965-66シーズン前の南米遠征でベネズエラカラカスにてCAリーベル・プレートとの試合で着用して以来およそ半世紀ぶりとなる[30]

背番号7は特別な番号とされており、レイモン・コパアマンシオ・アマロフアニートエミリオ・ブトラゲーニョなどそれぞれの時代のクラブを代表するアタッカーが背負ってきた。特に近年ではラウル・ゴンサレスクリスティアーノ・ロナウドによってその価値はさらに高められた[31]。また、背番号9もアルフレッド・ディ・ステファノサンティリャーナウーゴ・サンチェスロナウドといった名手に背負われてきた[32]

メーカーと胸スポンサー[編集]

年度 メーカー 胸スポンサー
1980–1982 アディダス -
1982–1985 Zanussi
1985–1989 ヒュンメル Parmalat
1989–1991 Reny Picot
1991–1992 Otaysa
1992–1994 Teka
1994–1998 KELME
1998–2001 アディダス
2001–2002 -
2002–2005 Siemens mobile
2005–2006 Siemens
2006–2007 BenQ Siemens
2007–2013 bwin.com
2013– Fly Emirates

ファン[編集]

マドリードダービーでの応援風景

レアル・マドリードのファンはマドリディスタ(madridista)と呼ばれている[注 8]2000年フロレンティーノ・ペレスが会長に就任したときに、スペインサッカーの実体を理解するためにスペイン各地でスペイン人2000人に応援しているクラブを尋ねたところ、29.2パーセントがレアル・マドリードのファンであると答え[33]2007年の社会意識調査では国内の32.8パーセントがレアル・マドリードのファンであることが明らかになった[17]2006年ハーバード大学が行った調査によると世界中に2億2,800万人いるとされており、この数字はマンチェスター・ユナイテッドFCを6,000万人上回り、世界一の数字である[1]。同じくマドリードを本拠地とするアトレティコ・マドリードは主に労働者階級の支持を受けているのに対し、レアル・マドリードは富裕層の支持を受けているのが特徴である。現地サポーターはレアル・マドリードがタイトルを獲得した際、シベーレスの噴水に集まり祝福する。

攻撃的なサッカーを好む傾向にあり、ファビオ・カペッロは2度監督に就任し、その2度ともリーガ・エスパニョーラ優勝を成し遂げたにもかかわらず、あまりに守備的すぎるという理由から1年で解任されている。1989-90シーズンにレアル・マドリードを率いて、最多得点記録を更新してのリーグ優勝を果たしたジョン・トシャックや、2010-11シーズンから2012-13シーズンまで指揮し2011-12シーズンは史上最多勝ち点と史上最多得点を記録して優勝したジョゼ・モウリーニョも守りすぎだと批判された[34]

2005年11月20日のエル・クラシコ、2008年UEFAチャンピオンズリーググループステージ、対ユヴェントスFC戦などでは、対戦相手にスタンディングオベーションを送っている[35][36]

レアル・マドリードの下部組織に所属していたビセンテ・デル・ボスケフリオ・イグレシアスのほか、プラシド・ドミンゴラファエル・ナダルフェルナンド・アロンソセルヒオ・ガルシアらスペインの著名人がクラブの名誉会員に名を連ねている[37][38]

メディア[編集]

1999年2月14日からはレアル・マドリードTVが始まり、選手やスタッフのインタビューや過去のものを含む試合を放送している。2005年にはクラブ初の正式公認映画である[39]レアル・ザ・ムービーが制作され、当時の所属選手も多数出演した。その他、GOAL!シリーズの主人公であるサンティアゴ・ムネスは、GOAL!2にてレアル・マドリードに移籍。この作品にも、所属選手が出演した。

クラブ会員やファンクラブのメンバーには、Hala Madridというファンクラブ誌が毎月発行される[注 9]。試合のレポートや下部組織の情報、インタビューなどを掲載している。

2012年アラブ首長国連邦に“レアル・マドリード・リゾートアイランド”なるアイランドリゾートを10億ドルをかけて建設することを発表した[40]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 厳密には、マドリードダービーはレアル・マドリードとアトレティコ・マドリードのみならず、マドリード市などマドリード都市圏(マドリード首都圏)に本拠を置くチーム同士が対戦するダービーマッチのことを指す。
  2. ^ 優勝した1965-66シーズンのUEFAチャンピオンズカップにて、選手達が決勝前の写真撮影にビートルズの髪型を模したカツラを着用して臨んだことに由来。また「イエイエ」は当時のスペインにおける若者風情の一つであり、1960年代に流行した音楽ファッションなどを総称してそう呼ぶ。
  3. ^ ただし、当時のコパ・デル・レイは参加クラブが少なく、この年に参加したクラブはマドリードFCを含め3クラブのみだった。
  4. ^ それ以前はエスタディオ・チャマルティンでプレーしていたが、この頃からは「アトレティコ・アビアシオンの会員はレアル・マドリードの試合を無料で観られる」という条件のもと、当時のアトレティコ・アビアシオンのホームスタジアムであったエスタディオ・メトロポリターノ・デ・マドリードでプレーした。
  5. ^ そのシーズンに行われた全ての公式戦での得点数。太字はピチーチ賞受賞。
  6. ^ 試合数38。勝利時の獲得ポイントが3。
  7. ^ 試合数18。勝利時の獲得ポイントが2。
  8. ^ レアル・マドリードに所属している、もしくは過去に所属していた選手もこう呼ばれる場合がある。
  9. ^ 「Hala Madrid」はレアル・マドリードを賞賛する文句であり、クラブの応援歌にも同名のタイトルが付けられている。

出典[編集]

  1. ^ a b 106 years of history Real Madrid C.F.、2008年3月6日
  2. ^ Europe's Club of the Century IFFHS
  3. ^ Soccer's Most Valuable Teams: At $3.3 Billion, Real Madrid Knocks Manchester United From Top Spot
  4. ^ 特集 各国歴代最強イレブン【20】スペイン(1) - 時事ドットコム
  5. ^ ボール 2004 265頁
  6. ^ マドリー、カンテラのトップが辞任 goal.com、2008年12月5日
  7. ^ 世界で最も裕福なクラブ”. Real Madrid C.F. (2009年2月12日). 2009年10月9日閲覧。
  8. ^ 収入、前年比8.6%増”. Real Madrid C.F. (2011年9月16日). 2011年9月17日閲覧。
  9. ^ 【レアル】C・ロナウド、ユニフォーム売り上げ130億円。ベッカム抜きクラブ新記録”. wowow.co.jp (2010年4月15日). 2011年9月17日閲覧。
  10. ^ サントスへの不満を募らせるバルセロナ”. goal.com (2011年9月16日). 2011年9月17日閲覧。
  11. ^ セビージャ会長:「大多数が公平な放映権料分配を望んでいる」 アトレティコ&バレンシアが新たな会議を招集”. Goal.com (2011年10月5日). 2012年3月25日閲覧。
  12. ^ 2012年にイギリスメディア『sportingintelligence.com』が調査した、世界のスポーツチームの平均年俸ランキング
  13. ^ レアル・マドリードC.F.
  14. ^ 活字メディアでは「ワールドサッカーキング」、「フットボリスタ」、放送メディアでは「J SPORTS」など。
  15. ^ ボール 2002 182頁
  16. ^ ボール 2002 174頁
  17. ^ a b レアル・マドリードの基礎知識”. wowow.com. 2013年4月28日閲覧。
  18. ^ ボール 2004 99頁
  19. ^ ボール 2004 144頁
  20. ^ R・マドリード、本拠地の名称として名を刻むベルナベウ氏のデビューから100周年”. wowow.co.jp (2012年3月5日). 2012年7月29日閲覧。
  21. ^ 一時代に別れを告げたマドリー”. uefa.com (2006年2月28日). 2009年11月14日閲覧。
  22. ^ マドリー、カペッロ監督を解任”. uefa.com (2007年6月28日). 2009年10月8日閲覧。
  23. ^ カルデロン会長、ソシオ集会で不正発覚”. livedoor スポーツ (2009年1月15日). 2009年10月8日閲覧。
  24. ^ ペレス会長が推し進めるR・マドリーの歴史的な大改革 - ocn sports
  25. ^ レアル・マドリーにペレス会長復帰”. livedoor スポーツ (2009年6月1日). 2009年10月9日閲覧。
  26. ^ ボール 2002 151頁
  27. ^ Real Madrid turns 106 (V)Real Madrid C.F.
  28. ^ La segunda camiseta de la Champions es roja as.com、2011年8月11日
  29. ^ 38年ぶりの“赤い”レアルがD・ザグレブ下し白星スタート”. searchina (2011年9月15日). 2011年9月15日閲覧。
  30. ^ “白い巨人”レアルがセビージャ戦で緑色のユニフォーム着用へ”. soccer king (2012年9月15日). 2012年9月21日閲覧。
  31. ^ コラム:ラウールの背番号7を継ぐべきは? goal.com、2010年8月8日
  32. ^ R・マドリー、C・ロナウドの背番号を認定?! livedoor スポーツ、2009年5月9日
  33. ^ ボール 2004 62頁
  34. ^ ボール 2004 40-41頁
  35. ^ 2005年のロナウジーニョから2009年のメッシへ livedoor スポーツ、2009年1月8日
  36. ^ ベルナベウの観客を魅了したデル・ピエロ uefa.com、2008年11月5日
  37. ^ 3人の著名人を名誉会員に”. Real Madrid C.F. (2011年3月17日). 2012年8月14日閲覧。
  38. ^ 公式声明”. Real Madrid C.F. (2012年3月16日). 2012年8月14日閲覧。
  39. ^ レアル ザ・ムービー. real-movie.jp
  40. ^ “レアル・マドリード・リゾートアイランド”が起工”. Real Madrid C.F. (2012年3月29日). 2012年4月21日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]