ジョー=ウィルフリード・ツォンガ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ジョー=ウィルフリード・ツォンガ Tennis pictogram.svg
Jo-Wilfried Tsonga on the practice court.jpg
ジョー=ウィルフリード・ツォンガ
基本情報
ラテン文字名 Jo-Wilfried Tsonga
フルネーム Jo-Wilfried Tsonga Petsonga
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 同・ル・マン
生年月日 1985年4月17日(29歳)
身長 188cm
体重 91kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2004年
ツアー通算 14勝
シングルス 10勝
ダブルス 4勝
4大大会最高成績・シングルス
全豪 準優勝(2008)
全仏 ベスト4(2013)
全英 ベスト4(2011・12)
全米 ベスト8(2011)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(2008)
全仏 1回戦(2002・03・09)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 5位(2012年2月27日)
ダブルス 33位(2009年10月26日)
獲得メダル
男子 テニス
オリンピック
2012 ロンドン ダブルス
2012年11月19日現在

ジョー=ウィルフリード・ツォンガJo-Wilfried Tsonga, 1985年4月17日 - )は、フランスル・マン出身の男子プロテニス選手である。2008年全豪オープン男子シングルス準優勝者。これまでにATPツアーでシングルス10勝、ダブルス4勝を挙げている。自己最高位ランキングはシングルス5位、ダブルス33位。身長188cm、体重91kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

来歴[編集]

ツォンガはフランス人の男子テニス選手として、リシャール・ガスケガエル・モンフィスらと同年代に位置している。彼の醸し出す独特な雰囲気から“テニス界のモハメド・アリ”と呼ばれることがある。プロサッカー選手のシャルル・ヌゾクビアは、ツォンガのはとこにあたる。

ツォンガの家族は、父親はコンゴ共和国から移住した元ハンドボール選手で、母親はフランス人の教師である。彼はジュニア選手時代、2003年全米オープンのジュニア男子シングルス決勝でマルコス・バグダティスキプロス)を 7-6, 6-3 で破って優勝したことがあり、2004年からプロテニス選手になった。ところが、ツォンガはプロ転向直後から数多くの病気に悩まされる。2004年11月から2005年3月まで椎間板ヘルニアを患い、2005年後半から2006年にかけては右肩・背中・腹部などの故障を抱えたため、テニスツアーへの出場さえおぼつかない時期が長期間続いた。

彼が初めて世界的な知名度を獲得したのは、2007年ウィンブルドンの4回戦進出である。この大会では、ツォンガは世界ランキング110位から勝ち上がり、4回戦で少年時代からのライバルの1人だったリシャール・ガスケに敗れた。この頃から、彼の雰囲気は「モハメド・アリに似ている」と評判になったという[1]。続く全米オープンでも、ツォンガは3回戦まで勝ち進んだが、この時の2回戦でティム・ヘンマン4大大会最後の対戦相手になっている。長年イギリスの国民的英雄だった33歳のヘンマンは、9月中旬のデビスカップ「ワールドグループ・プレーオフ」イギリス対クロアチア戦を最後に現役を引退することを表明していた。そのヘンマンを 7-6, 2-6, 7-5, 6-4 で破ったツォンガは、続く3回戦で第2シードのラファエル・ナダルに 6-7, 2-6, 1-6 で敗退した。10月に母国フランス・リヨン開催大会のダブルスで同国のセバスチャン・グロジャンと組み、男子ツアーのダブルス初優勝を果たす。

ツォンガは2008年全豪オープンで旋風を起こし、世界ランキング38位のノーシードから決勝に勝ち進んだ。1回戦で第9シードのアンディ・マレーイギリス)を破った勝利から始まり、4回戦でライバルのガスケ、準々決勝でミハイル・ユージニーロシア)を破ると、準決勝でも第2シードのナダルを 6-2, 6-3, 6-2 のストレートで破り、旋風を沸き起こした。ツアー経歴で最初のシングルス決勝進出をグランドスラム大会で決めた選手は、1997年全仏オープンで世界ランキング66位から初優勝したグスタボ・クエルテンブラジル)以来の快挙となった。決勝では、準決勝で世界1位のロジャー・フェデラーを破った第3シードのノバク・ジョコビッチセルビア)に 6-4, 4-6, 3-6, 6-7 で敗れ、この大会の準優勝者になった。

全豪オープン終了後、ツォンガは男子テニス国別対抗戦・デビスカップフランス代表選手に初選出され、ワールドグループ1回戦の対ルーマニア戦で代表デビューした。ところが、デビスカップのシングルス第2試合(アンドレイ・パベルと対戦)で右膝の故障に見舞われ、全仏オープンウィンブルドンの出場を断念する。その後全米オープンから復帰し、第19シードとしてトミー・ロブレドスペイン)との3回戦まで進出した。全米オープン終了後のタイバンコク大会決勝で、ツォンガは(全豪決勝で敗れた)ノバク・ジョコビッチを 7-6, 6-4 のストレートで下し、男子ツアーのシングルス初優勝を果たす。初来日となったジャパン・オープンではビクトル・トロイツキセルビア)との3回戦を途中棄権したが、10月末のパリ・マスターズ決勝でダビド・ナルバンディアンアルゼンチン)を 6-3, 4-6, 6-4 で破り、ATPマスターズシリーズでも初優勝を決めた。これにより、彼の世界ランキングは7位に上がった。男子ツアー年間最終戦のテニス・マスターズ・カップにも初出場したが、ここでは予選敗退に終わっている。

2009年度の成績は、全豪オープンはベスト8で止まったが、全仏オープン全米オープンで初の4回戦進出があった。10月第2週に、彼は2年連続2度目のジャパン・オープンに出場し、第2シードから大会初優勝を果たした。

2010年全豪オープンで、ツォンガは2年ぶり2度目のベスト4に勝ち上がった。準々決勝では、2年前の同大会決勝戦で敗れたジョコビッチを 7-6(10-8), 6-7(5-7), 1-6, 6-3, 6-1 で破ったが、続く準決勝で第1シードのフェデラーに 2-6, 3-6, 2-6 で完敗し、2年ぶりの決勝進出はならなかった。

2011年ウィンブルドンでは、準々決勝で第3シードのフェデラーを 3-6, 6-7, 6-4, 6-4, 6-4 の大逆転[2]で破り、自身初の準決勝進出。準決勝では第2シードのジョコビッチに 6-7, 2-6, 7-6, 3-6 で敗れた。全米オープンでは全米では初のベスト8に進出。準々決勝ではフェデラーに 4-6, 3-6, 3-6 で敗れた。9月のメス大会では決勝でイワン・リュビチッチを 6–3, 6–7(4), 6–3 で破り2年ぶりのツアー6勝目を挙げた。最終戦のATPワールドツアー・ファイナルで初めての決勝に進出したが、フェデラーに 3–6, 7–6(6), 3–6 で敗れた。

2012年は開幕戦のドーハ大会決勝でガエル・モンフィスを 7–5, 6–3 で破りシングルス8勝目を挙げた。全豪オープンでは4回戦で錦織圭に 6-2, 2-6, 1-6, 6-3, 3-6 で敗れた。2月27日付のランキングで自己最高の5位を記録している。全仏オープンでは自己初のベスト8に進出した。準々決勝では第1シードのノバク・ジョコビッチに 1–6, 7–5, 7–5, 6–7(6), 1–6 でマッチポイントを逃して敗れた。ウィンブルドンでは2年連続のベスト4に進出し準決勝でアンディ・マリーに 3–6, 4–6, 6–3(6), 5–7 で敗れた。

2012年7月のロンドン五輪で五輪に初出場した。2回戦ではミロシュ・ラオニッチに 3-6, 6-3, 25-23 で勝利した。試合時間は3時間57分でゲーム数の66は五輪最多記録となった。準々決勝でノバク・ジョコビッチに 1-6, 5-7 で敗れた。ミカエル・ロドラと組んだダブルスでは、準決勝でスペインのダビド・フェレール&フェリシアーノ・ロペス組に 6-3, 4-6, 18-16 で勝利し決勝に進出した。決勝ではボブマイクのブライアン兄弟組に 4-6, 6-7 で敗れ銀メダルを獲得した。

ATPツアー決勝進出結果[編集]

シングルス: 19回 (10勝9敗)[編集]

大会グレード
グランドスラム (0-1)
ATPワールドツアー・ファイナル (0-1)
ATPワールドツアー・マスターズ1000 (1-1)
ATPワールドツアー・500シリーズ (1-2)
ATPワールドツアー・250シリーズ (8–4)
サーフェス別タイトル
ハード (10–8)
クレー (0-0)
芝 (0-1)
カーペット (0-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2008年1月31日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ 6–4, 4–6, 3–6, 6–7(2)
優勝 1. 2008年9月28日 タイ王国の旗 バンコク ハード (室内) セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ 7–6(4), 6–4
優勝 2. 2008年11月2日 フランスの旗 パリ ハード (室内) アルゼンチンの旗 ダビド・ナルバンディアン 6–3, 4–6, 6–4
優勝 3. 2009年2月2日 南アフリカ共和国の旗 ヨハネスブルグ ハード フランスの旗 ジェレミー・シャルディー 6–4, 7–6(5)
優勝 4. 2009年2月16日 フランスの旗 マルセイユ ハード (室内) フランスの旗 ミカエル・ロドラ 7–5, 7–6(3)
優勝 5. 2009年10月5日 日本の旗 東京 ハード ロシアの旗 ミハイル・ユージニー 6–3, 6–3
準優勝 2. 2011年2月13日 オランダの旗 ロッテルダム ハード (室内) スウェーデンの旗 ロビン・セーデリング 3–6, 6–3, 3–6
準優勝 3. 2011年6月13日 イギリスの旗 ロンドン イギリスの旗 アンディ・マリー 6–3, 6–7(2), 4–6
優勝 6. 2011年9月25日 フランスの旗 メス ハード (室内) クロアチアの旗 イワン・リュビチッチ 6–3, 6–7(4), 6–3
優勝 7. 2011年10月30日 オーストリアの旗 ウィーン ハード (室内) アルゼンチンの旗 フアン・マルティン・デル・ポトロ 6–7(5), 6–3, 6–4
準優勝 4. 2011年11月13日 フランスの旗 パリ ハード (室内) スイスの旗 ロジャー・フェデラー 1–6, 6–7(3)
準優勝 5. 2011年11月27日 イギリスの旗 ロンドン ハード (室内) スイスの旗 ロジャー・フェデラー 3–6, 7–6(6), 3–6
優勝 8. 2012年1月7日 カタールの旗 ドーハ ハード フランスの旗 ガエル・モンフィス 7–5, 6–3
優勝 9. 2012年9月23日 フランスの旗 メス ハード (室内) イタリアの旗 アンドレアス・セッピ 6–1, 6–2
準優勝 6. 2012年10月7日 中華人民共和国の旗 北京 ハード セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ 6–7(4), 2–6
準優勝 7. 2012年10月21日 スウェーデンの旗 ストックホルム ハード (室内) チェコの旗 トマーシュ・ベルディハ 6-4, 4-6, 4-6
優勝 10. 2013年2月24日 フランスの旗 マルセイユ ハード (室内) チェコの旗 トマーシュ・ベルディハ 3–6, 7–6(6), 6–4
準優勝 8. 2013年9月22日 フランスの旗 メス ハード (室内) フランスの旗 ジル・シモン 4-6, 3-6
準優勝 9. 2014年2月23日 フランスの旗 マルセイユ ハード (室内) ラトビアの旗 エルネスツ・ガルビス 6–7(5), 4–6

ダブルス: 8回 (4勝4敗)[編集]

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2007年10月28日 フランスの旗 リヨン カーペット (室内) フランスの旗 セバスチャン・グロジャン ポーランドの旗 ルカシュ・クボット
クロアチアの旗 ロブロ・ゾブコ
6–4, 6–3
優勝 2. 2008年1月7日 オーストラリアの旗 シドニー ハード フランスの旗 リシャール・ガスケ アメリカ合衆国の旗 ボブ・ブライアン
アメリカ合衆国の旗 マイク・ブライアン
4–6, 6–4, [11–9]
優勝 3. 2009年1月11日 オーストラリアの旗 ブリスベン ハード フランスの旗 マルク・ジケル スペインの旗 フェルナンド・ベルダスコ
ドイツの旗 ミーシャ・ズベレフ
6–4, 6–3
優勝 4. 2009年10月18日 中華人民共和国の旗 上海 ハード フランスの旗 ジュリアン・ベネトー ポーランドの旗 マリウシュ・フィルステンベルク
ポーランドの旗 マルチン・マトコフスキ
6–2, 6–4
準優勝 1. 2011年2月20日 フランスの旗 マルセイユ ハード
(室内)
フランスの旗 ジュリアン・ベネトー オランダの旗 ロビン・ハーセ
イギリスの旗 ケン・スクプスキ
3–6, 7–6(4), [11–13]
準優勝 2. 2012年2月26日 フランスの旗 マルセイユ ハード
(室内)
ドイツの旗 ダスティン・ブラウン フランスの旗 エドゥアール・ロジェ=バセラン
フランスの旗 ニコラ・マユ
6–3, 3–6, [6–10]
準優勝 3. 2012年8月4日 イギリスの旗 ロンドン五輪 フランスの旗 ミカエル・ロドラ アメリカ合衆国の旗 ボブ・ブライアン
アメリカ合衆国の旗 マイク・ブライアン
4–6, 6–7(2)
準優勝 4. 2013年9月22日 フランスの旗 メス ハード
(室内)
フランスの旗 ニコラ・マユ スウェーデンの旗 ヨハン・ブランシュトロム
デンマークの旗 フレデリク・ニールセン
6-4, 7-6(5)

4大大会シングルス成績[編集]

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 通算成績
全豪オープン A A A A 1R F QF SF 3R 4R QF 24–7
全仏オープン LQ LQ 1R A A A 4R 4R 3R QF SF 17–6
ウィンブルドン A A A A 4R A 3R QF SF SF 2R 19–6
全米オープン A LQ A A 3R 3R 4R A QF 2R A 12–5

: 2009年ウィンブルドン2回戦の不戦勝は通算成績に含まない

脚注[編集]

  1. ^ The Muhammad Ali of tennis”. BBC Sport (2008年1月25日). 2008年1月25日閲覧。
  2. ^ フェデラーが2セット先取した試合はこの試合を含めて179試合あったが、そこから負けたのは初めて。

外部リンク[編集]