ケネス・カールセン(Kenneth Carlsen, 1973年4月17日 - )は、デンマーク・コペンハーゲン出身の男子プロテニス選手。彼はATPツアーでシングルス3勝を挙げたが、その中には2002年のジャパン・オープン男子シングルス優勝もある。自己最高ランキングはシングルス41位、ダブルス134位。左利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。
来歴 [編集]
9歳からテニスを始め、1992年にプロ入り。すぐに男子テニス国別対抗戦・デビスカップのデンマーク代表選手に選ばれ、同年のバルセロナ五輪でオリンピックに初出場を果たす(シングルス・ダブルスともに1回戦敗退)。9月末のオーストラリア・ブリスベン大会で初の決勝戦に進んだ後、10月の「セイコー・スーパー・テニス」で初来日する。1993年の全豪オープンで4大大会にデビューし、いきなりミヒャエル・シュティヒとの4回戦まで進出した。同年6月7日付で、彼は世界ランキング「41位」に入り、男子テニスツアーのコンピューター・ランキングで50位以内に入った最初のデンマーク人選手となった。この年は全般的に好調で、ウィンブルドンでもセドリック・ピオリーンとの3回戦に進んでいる。しかし、彼の4大大会挑戦は決して順調ではなかった。
1996年、カールセンはアトランタ五輪で2度目のオリンピックに出場し、シングルス3回戦まで勝ち進んだ。1回戦でマーク・ノールズ(バハマ)、2回戦でジェイソン・ストルテンバーグ(オーストラリア)を破って勝ち進んだ彼は、3回戦で当年度のウィンブルドン準優勝者マラビーヤ・ワシントン(アメリカ)に 7-6, 0-6, 2-6 で逆転負けした。デビスカップでは、デンマーク・チームはしばらくの間「ワールドグループ」(世界最上位のグループ、16ヶ国で構成)1回戦敗退 → ワールドグループ・プレーオフ勝利による残留を繰り返していたが、1996年9月20日-22日のワールドグループ・プレーオフでスペインに1勝4敗で敗れたため、1997年以後は「ヨーロッパ・アフリカゾーン」に転落してしまう。その後、デンマークはいまだワールドグループ復帰を実現させていない。
1998年4月、カールセンは香港大会のシングルス決勝でバイロン・ブラック(ジンバブエ)を 6-2, 6-0 で破り、ここでツアー初優勝を果たした。これはデンマーク人の男子選手がATPツアーで獲得した最初のシングルス・タイトルである。その後左肩の故障に悩み、2000年のシーズンを棒に振る。2度の手術で1年8ヶ月のブランクを経験し、2001年6月にようやくツアー復帰を果たした。2002年9月のジャパン・オープンで、カールセンは決勝でマグヌス・ノーマン(スウェーデン)を 7-6, 6-3 で破り、4年ぶりのツアー2勝目を挙げた。この優勝により、カールセンは世界ランキングを65位まで戻した。2004年、ウィンブルドンで10年ぶり3度目の3回戦進出を果たす。2005年2月、アメリカ・テネシー州メンフィス大会の決勝でマックス・ミルヌイ(ベラルーシ)を破り、ツアー3勝目を達成した。
2006年全仏オープンの1回戦敗退を最後に、カールセンは4大大会の本戦出場から遠ざかる。2007年6月、彼は当年度限りでの現役引退を表明し、10月のスウェーデン「ストックホルム・オープン」とデンマーク・コルディング大会を最後に、16年間の現役生活に終止符を打った。最後の年には、2003年以来4年ぶりのデビスカップ戦もこなし、通算「40勝25敗」(シングルス29勝13敗、ダブルス11勝12敗)の成績を残した。デ杯デンマーク代表選手としての通算勝利数とシングルス勝利数は、クルト・ニールセン、トルベン・ウルリッヒに続くチーム歴代3位記録となった。
ATPツアー決勝進出結果 [編集]
シングルス: 7回 (3勝4敗) [編集]
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| サーフェス別タイトル |
| ハード (3–2) |
| クレー (0-0) |
| 芝 (0-1) |
| カーペット (0-1) |
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ダブルス: 3回 (0勝3敗) [編集]
4大大会シングルス成績 [編集]
- 略語の説明
| W |
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SF-B |
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W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.
外部リンク [編集]