全米オープン (テニス)

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テニス4大大会
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全米オープン

全米オープンU.S.Open Championships) は、アメリカニューヨーク市郊外のフラッシング・メドウで毎年8月の最終月曜日から2週間の日程で行われる世界の4大メジャーテニス選手権の一つ。観客動員数、賞金総額等において世界最大のテニストーナメントである。会場はUSTAナショナルテニスセンター。主催は全米テニス協会United States Tennis Association)。

目次

[編集] 歴史

1881年に「全米シングルス選手権」(U.S. National Singles Championship)と「全米男子ダブルス選手権」(U.S. National Men's Doubles Championship)の第1回大会が開催され、全米シングルス選手権(男子シングルス)の初代優勝者はリチャード・シアーズ1861年 - 1943年)であった。シアーズは1887年まで大会7連覇を達成している。女子シングルスはそれから6年後、1887年に第1回大会が行われ、エレン・ハンセル1869年 - 1937年)が初代優勝者となった。ダブルスについては、男子ダブルスは創設年と同じ1881年から「全米男子ダブルス選手権」が始まり、女子ダブルスは1889年、混合ダブルスは1892年から競技が開始された。最初期の全米選手権は、5部門がそれぞれ違う会場で行われていた。やがて男女シングルスの会場はニューヨーククイーンズ区の「フォレストヒルズ」(Forest Hills)に移転し、やがて「フォレストヒルズ」は全米選手権やデビスカップ決勝戦を指す代名詞のような言葉として、テニス選手たちの目標となった。

1968年からテニス界の「オープン化措置」(プロテニス選手の4大大会出場を解禁する措置)が実施されて、現在のような「全米オープン」となった。この時から、男女シングルス・男女/混合ダブルスの5部門がすべて1ヶ所の会場(フォレストヒルズ)で行われるようになった。1970年代後半に、全米オープンの会場は「フォレストヒルズ(サーフェースは芝、後年はクレー)」からニューヨーククイーンズ区のフラッシング・メドウへ移転し、コート・サーフェス(表面)もクレーからハードコートに変更された。(グランドスラム・トーナメントで2度もサーフェスが変わったのは、この全米オープンだけである。)1997年にUSTAナショナルテニスセンターに、新しく「アーサー・アッシュ・スタジアム」が建設され、2万5千人以上を収容できる世界最大のテニス・コートが完成した。1996年までセンター・コートとして用いられたコートには「ルイ・アームストロング・スタジアム」の名前が与えられた。

[編集] 最近の優勝者

全米オープンのセンターコート。「アーサー・アッシュ・スタジアム」の名前がある
[フェデラーがオープン化以降最多となる大会4連覇を達成]
[サンプラスは6年ぶり5度目の優勝、4大大会通算14勝。これが彼の現役最後の試合になった。]
[ウィリアムズ姉妹が初めて「4大大会の姉妹対決決勝」を実現させた大会。この大会が終了した2日後、9月11日に米国同時多発テロが勃発した。ニューヨーク市内の大会会場は世界貿易センターに近いところにある。]
[ダベンポートは1986年全仏オープンのクリス・エバート以来、12年ぶりに合衆国出身の選手として4大大会優勝を果たす]
[この年に新しいセンター・コートが完成し、「アーサー・アッシュ・スタジアム」と命名される。従来のセンター・コートには「ルイ・アームストロング・スタジアム」という名前が与えられた。]
[グラフはこの優勝で4大大会総計「18勝」となり、クリス・エバートマルチナ・ナブラチロワの両選手の総計に並んだ]
[ともに大会2連覇]
[セレシュは当時ユーゴスラビア国籍]
[サンプラスは大会最年少優勝記録「19歳28日」を樹立]

[編集] テレビ放送

日本では1979年から1983年まではNHK総合テレビが独占放送したが、1987年から2004年までTBSテレビが製作を務めており、JNN系列全国28局ネットで放送していた。セールスはテレ・プランニング・インターナショナルとビデオプロモーションが担当しており、マスターズ・トーナメントと同様、アナウンサー提供コメントなしで放送していた。2005年からはWOWOWが独占放送している。

アメリカではシングルスはCBSで、ダブルスはESPN2テニス・チャンネルで放送される。

[編集] 優勝賞金(男女シングルス)

年月日(大会最終日) 金額 1ドル
1989年9月10日 30万0000ドル 147.65円
1990年9月9日 35万0000ドル 139.50円
1991年9月8日 40万0000ドル 135.20円
1992年9月13日 50万0000ドル 124.85円
1993年9月12日 53万5000ドル 106.00円
1994年9月11日 55万0000ドル 98.95円
1995年9月10日 57万5000ドル 99.50円
1996年9月8日 60万0000ドル 109.25円
1997年9月7日 65万0000ドル 121.25円
1998年9月13日 70万0000ドル 132.70円
1999年9月12日 75万0000ドル 108.60円
2000年9月10日 80万0000ドル 106.15円
2001年9月9日 85万0000ドル 120.20円
2002年9月8日 90万0000ドル 118.70円
2003年9月7日 100万0000ドル 117.30円
2004年9月12日 100万0000ドル 109.49円
2005年9月11日 110万0000ドル 109.50円
2006年9月10日 120万0000ドル 116.82円
2007年9月9日 140万0000ドル 112.79円
2008年9月8日 150万0000ドル 107.75円

為替レートは大会最終日翌日の対顧客相場仲値三菱東京UFJ銀行:発表)

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク

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