全仏オープン

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テニス4大大会
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全仏オープンぜんふつオープン、フランス語:Les Internationaux de France, Le Tournoi de Roland-Garros, 英語:The French Open)は、テニスの4大国際大会(グランドスラム)の1つ。フランスの首都パリの名所「ブローニュの森」の隣にあるスタッド・ローラン・ギャロス(Stade Roland Garros)にて、5月末から6月初めにかけて開催される。

目次

[編集] 概要

飛行家ローラン・ギャロス1888年 - 1918年)の功績を称えて、会場には彼の名前が冠されている。このため本大会は「ローラン・ギャロス・トーナメント」(Le Tournoi de Roland Garros)とも呼ばれる。

全仏オープンは4大大会で唯一、クレー(赤土=レンガの粉)コートを利用することでも知られており、他の大会とは違った展開が楽しめる。毎年の大会は展開が波乱に富み、上位シード選手の早期敗退が多いことから「赤土には気まぐれな神が棲んでいる」と評されることも多い。特にピート・サンプラスは男子歴代1位の「14度」4大大会を制しながらも、全仏オープンは最後まで制覇できなかった。最近の男子シングルス優勝者には、“クレーコート・スペシャリスト”たちが大半を占める傾向が強くなっていて、キャリア・グランドスラムを目指す最大の障壁となっている。

技術だけでなく、強い精神力が勝敗を左右する、最も過酷なトーナメントとも言われるグランドスラム大会である。

日本での試合中継はWOWOWテレビ東京が放送している(両局が共同で放映権を持っている)。しかし、2008年の大会はテレビ東京は実況アナウンサーの現地への派遣や解説者の不足を理由に予選ラウンド~決勝までの全てを中継せず、WOWOWからの映像提供でスポーツニュース枠(「メガスポ!」)の時間で伝える程度となってしまい、生中継はWOWOWの独占放送だった。2009年大会については昨年までと同様の対応を予定していたが、見送られて、2008年同様にWOWOWの独占放送になる事が明らかになった。(理由は不明。)よってテレビ東京での放送は「メガスポ!」の後継番組である「neo sports」のみしか放送されない。(WOWOWからの映像提供扱い。)

[編集] 歴史

  • 1891年 - フランス選手権(Championnat de France)として創設。最初は男子シングルスと男子ダブルスの2部門のみだった。
  • 1897年 - 女子シングルス部門を追加。
  • 1902年 - 混合ダブルス部門を追加。
  • 1907年 - 女子ダブルス部門を追加。
  • 1925年 - 規約を改定し、国際大会となる(それまではフランス人選手しか出場資格を得られなかった)。正式大会名をフランス国際大会(Internationaux de France)と改名。
  • 1928年 - 開催地をスタッド・ローラン・ギャロスに移転。
  • 1968年 - 四大大会で初のオープン大会となり、アマチュア・プロの別を問わず参加可能になる。
  • 1995年 - センターコート「コート・フィリップ・シャトリエ」(Court Philippe-Chatrier)を増築。
  • 2007年 - 車いすテニス部門を追加。詳細は全仏オープン (車いすテニス)を参照。

[編集] 最近の優勝者

[フェデラーはこの優勝でアンドレ・アガシ以来のキャリアグランドスラムを達成と同時に、ピート・サンプラスに並ぶ14度目の4大大会制覇となる。]
[男子のナダルは1978~81年のボルグ以来、27年振りの大会4連覇。女子のイワノビッチはセルビア人女性初の4大大会優勝]
[ともに3連覇。男子のナダルは1978~81年のボルグの4連覇以来、女子のエナンは1990~92年のセレシュ以来の3連覇]
[ともに大会2連覇。女子のエナン=アーデンは、1995年・1996年のグラフ以来10年ぶりの連覇を達成]
[男子優勝者のナダルは、初出場で「19歳2日」の年少優勝記録を樹立。10代の男子テニス選手の4大大会優勝は、1990年全米オープンに「19歳28日」で優勝したピート・サンプラス以来15年ぶりの偉業となった。]
[ミスキナはロシアの女子テニス選手として初の4大大会優勝者になる]
[エナン・アーデンはベルギー人選手として初のテニス4大大会優勝者になる]
[グラフは3年ぶり6度目の優勝、4大大会総計22勝に到達。これがグラフの現役最後の優勝になった。アガシはこの大会でキャリア・グランドスラムを達成させた。]
[クエルテンはブラジル人選手として、マヨリはクロアチア人選手として、初のテニス4大大会優勝者になる]
[カフェルニコフはロシア人選手として初のテニス4大大会優勝者になる(8年後の同大会においてミスキナが女子初の優勝者になった)。グラフはこの大会で4大大会総計19勝となり、往年の名選手ヘレン・ウィルス・ムーディの総計に届いて女子歴代2位に躍進した。]
[ムスターはオーストリア人選手として初のテニス4大大会優勝者になる。女子では伊達公子が日本人選手初のベスト4進出を果たしたが、準決勝でアランチャ・サンチェスに敗れた。]
[ともに大会連覇(クーリエは2連覇、セレシュは3連覇)。女子決勝のセレシュ対グラフの激戦は歴史的な名勝負となった。]
[セレシュは大会最年少優勝記録「16歳6ヶ月」を樹立。当時はユーゴスラビア国籍であった。]

[編集] 優勝者一覧

[編集] 優勝賞金(男女シングルス)

年月日(大会最終日) 金額(男子) 金額(女子) レート
1889年6月11日 29万1752USドル 25万7379USドル 148.70
1990年6月10日 37万0000USドル 29万3000USドル 153.70円
1991年6月9日 244万8000仏フラン 223万7000仏フラン 23.48円
1992年6月7日 268万0000仏フラン 247万0000仏フラン 23.75円
1993年6月6日 292万0000仏フラン 270万0000仏フラン 19.73円
1994年6月5日 316万0000仏フラン 293万0000仏フラン 18.56円
1995年6月11日 332万0000仏フラン 310万0000仏フラン 17.15円
1996年6月9日 345万2000仏フラン 322万4000仏フラン 21.12円
1997年6月8日 366万8000仏フラン 345万0000仏フラン 19.60円
1998年6月7日 385万2000仏フラン 362万4000仏フラン 23.67円
1999年6月6日 404万0000仏フラン 384万0000仏フラン 19.16円
2000年6月11日 424万0000仏フラン 402万8000仏フラン 15.42円
2001年6月10日 453万8000仏フラン 431万2000仏フラン 15.61円
2002年6月9日 78万0000ユーロ 76万0500ユーロ 117.57円
2003年6月8日 84万0000ユーロ 81万9000ユーロ 138.41円
2004年6月6日 86万0000ユーロ 83万8500ユーロ 136.52円
2005年6月5日 88万0000ユーロ 86万7000ユーロ 131.82円
2006年6月11日 94万0000ユーロ 94万0000ユーロ 144.26円
2007年6月10日 100万0000ユーロ 100万0000ユーロ 162.34円
2008年6月8日 100万0000ユーロ 100万0000ユーロ 165.71円
2009年6月7日 106万0000ユーロ 106万0000ユーロ 137.75円

為替レートは大会最終日翌日の対顧客相場仲値三菱東京UFJ銀行:発表)

[編集] 協賛スポンサー

[編集] 外部リンク

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