ジミー・コナーズ
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ジミー・コナーズ
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| 基本情報 | ||||
| ラテン文字名 | Jimmy Connors | |||
| フルネーム | James Scott Connors | |||
| 愛称 | ジミー | |||
| 国籍 | ||||
| 出身地 | 同イリノイ州ベルビル | |||
| 生年月日 | 1952年9月2日(59歳) | |||
| 身長 | 177cm | |||
| 体重 | 70kg | |||
| 利き手 | 左 | |||
| バックハンド | 両手打ち | |||
| ツアー経歴 | ||||
| デビュー年 | 1972年 | |||
| 引退年 | 1996年 | |||
| ツアー通算 | 124勝 | |||
| シングルス | 109勝 | |||
| ダブルス | 15勝 | |||
| 生涯通算成績 | 1395勝347敗 | |||
| シングルス | 1222勝269敗 | |||
| ダブルス | 173勝78敗 | |||
| 4大大会最高成績・シングルス | ||||
| 全豪 | 優勝(1974) | |||
| 全仏 | ベスト4(1979・80・84・85) | |||
| 全英 | 優勝(1974・82) | |||
| 全米 | 優勝(1974・76・78・82・83) | |||
| 優勝回数 | 8(豪1・英2・米5) | |||
| 4大大会最高成績・ダブルス | ||||
| 全豪 | 3回戦(1974) | |||
| 全仏 | 準優勝(1973) | |||
| 全英 | 優勝(1973) | |||
| 全米 | 優勝(1975) | |||
| 優勝回数 | 2(英1・米1) | |||
| キャリア自己最高ランキング | ||||
| シングルス | 1位 | |||
ジミー・コナーズ(Jimmy Connors, 1952年9月2日 - )は、アメリカ・イリノイ州ベルビル出身の元男子プロテニス選手。フルネームは James Scott Connors (ジェームズ・スコット・コナーズ)という。ライバルのビョルン・ボルグ、ジョン・マッケンローらと並び、男子テニスの歴史を通じて最も輝かしい黄金時代を築いた名選手のひとりである。左利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。4大大会通算8勝は、フレッド・ペリー、ケン・ローズウォール、イワン・レンドル、アンドレ・アガシと並ぶ男子テニス歴代7位タイ記録である。ATPツアーでシングルス109勝を挙げた。闘志溢れるプレーで高い人気を集め、観客を自分の味方につける術にも優れていた。
[編集] 来歴
1972年にプロ転向。1973年のウィンブルドン男子ダブルスでイリ・ナスターゼ(ルーマニア)と組んで優勝。1974年、22歳のコナーズは全豪オープン、ウィンブルドン選手権、全米オープンで4大大会男子シングルスの年間3冠を獲得する。ウィンブルドンと全米オープンでは、当時39歳を迎えていたオーストラリアのベテラン選手、ケン・ローズウォールに連勝した。同年7月、初めて世界ランキング1位になり、それから「160週」連続で世界1位の座を保持した。この頃コナーズは女子プロテニス選手のクリス・エバートと交際し、テニス界のビッグ・カップルとして話題を集めたが、後日婚約破棄に終わった。
コナーズは1974年から1978年まで、5年連続で全米オープン決勝戦に進出した。ローズウォールを破った初優勝の後、1976年と1978年の決勝戦ではビョルン・ボルグを破って優勝する。1975年の男子シングルス決勝ではマニュエル・オランテス(スペイン)に敗れて準優勝になったが、ナスターゼと組んだ男子ダブルスで1973年ウィンブルドン以来の優勝を遂げた。1977年の全米決勝戦ではギレルモ・ビラス(アルゼンチン)に敗れている。
その後、コナーズはしばらく4大大会の優勝から遠ざかっていたが、1982年のウィンブルドンで8年ぶり2度目の優勝を飾る。大会2連覇を目指したジョン・マッケンローとの4時間15分の熱戦を制し、4年ぶりのグランドスラム優勝を決めると、続く全米オープンでも4年ぶり4度目の優勝を果たす。1983年の全米オープンで2年連続5度目の優勝、4大大会通算8勝目を挙げた。これはコナーズのプロ通算「100勝目」の記念碑的な優勝となる。最後の2度の全米オープン決勝戦では、チェコスロバキアのイワン・レンドルに2連勝した。全米オープン5勝は、ピート・サンプラスと並ぶ大会歴代3位タイ記録である。全仏オープンのみ優勝できず、4度の準決勝止まりに終わった。
最後の優勝から8年後、1991年の全米オープンで、コナーズは39歳のノーシード選手ながらベスト4に進出した。準決勝で当年度の全仏オープン優勝者ジム・クーリエに敗れたが、コナーズの久々の活躍はアメリカのテニスファンを大いに沸かせた。1992年に40歳で第一線を退いたコナーズは、世界ランキング1位の生涯保持記録「268週」(2010年2月8日付けのランキングでロジャー・フェデラーが世界ランキング1位在位269週目に入り、男子歴代4位となった)を残した。
現役引退後、35歳以上の選手を対象にした男子テニスのシニア・ツアーを提唱したのはコナーズである。1998年に国際テニス殿堂入りを果たした。2006年7月26日、コナーズはアンディ・ロディックのコーチに就任することを表明した。現在は、シニアツアー参戦の最低年齢は「30歳」に引き下げられている。
コナーズが持っていた世界ランキング1位連続保持記録「160週」は、30年間男子テニス界における世界1位連続保持の最長記録として残っていたが、2007年2月26日にロジャー・フェデラーがコナーズの記録を更新して男子歴代1位になり、2008年8月17日まで「237週」世界ランキング1位を連続保持し、コナーズの記録を77週上回った。
[編集] 4大大会優勝
- 全豪オープン 男子シングルス:1勝(1974年)
- ウィンブルドン 男子シングルス:2勝(1974年、1982年)/男子ダブルス:1勝(1973年)
- 全米オープン:5勝(1974年、1976年、1978年、1982年、1983年)/男子ダブルス:1勝(1975年) [大会歴代3位タイ記録]
| 年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
|---|---|---|---|
| 1974年 | 全豪オープン | 7-6, 6-4, 4-6, 6-3 | |
| 1974年 | ウィンブルドン | 6-1, 6-1, 6-4 | |
| 1974年 | 全米オープン | 6-1, 6-0, 6-1 | |
| 1976年 | 全米オープン | 6-4, 3-6, 7-6, 6-4 | |
| 1978年 | 全米オープン | 6-4, 6-2, 6-2 | |
| 1982年 | ウィンブルドン | 3-6, 6-3, 6-7, 7-6, 6-4 | |
| 1982年 | 全米オープン | 6-3, 6-2, 4-6, 6-4 | |
| 1983年 | 全米オープン | 6-3, 6-7, 7-5, 6-0 |
| テニス4大大会男子シングルス優勝記録 | ||
|---|---|---|
| 順位 | 優勝回数 | 選手名 |
| 1位 | 16勝 | * |
| 2位 | 14勝 | |
| 3位 | 12勝 | |
| 4位タイ | 11勝 | |
| 6位タイ | 10勝 | |
| 8位タイ | 8勝 | |
| *は現役選手 | ||
[編集] 外部リンク
- ジミー・コナーズ - ATPツアーのプロフィール (英語)
- ジミー・コナーズ - デビスカップのプロフィール (英語)
- ジミー・コナーズ - 国際テニス連盟のプロフィール (英語)
- ジミー・コナーズ - 国際テニス殿堂のプロフィール(英語)
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