マルセロ・メロ
|
||||
|---|---|---|---|---|
マルセロ・メロ
|
||||
| 基本情報 | ||||
| ラテン文字名 | Marcelo Melo | |||
| フルネーム | Marcelo Pinheiro Davi de Melo |
|||
| 愛称 | Girafa (ジラファ) | |||
| 国籍 | ||||
| 出身地 | 同・ベロオリゾンテ | |||
| 生年月日 | 1983年9月23日(29歳) | |||
| 身長 | 203cm | |||
| 体重 | 87kg | |||
| 利き手 | 右 | |||
| バックハンド | 両手打ち | |||
| ツアー経歴 | ||||
| デビュー年 | 1998年 | |||
| ツアー通算 | 10勝 | |||
| シングルス | 0勝 | |||
| ダブルス | 10勝 | |||
| 4大大会最高成績・ダブルス | ||||
| 全豪 | 2回戦(2009) | |||
| 全仏 | ベスト8(2010・12) | |||
| 全英 | ベスト4(2007) | |||
| 全米 | ベスト8(2007) | |||
| 4大大会最高成績・混合ダブルス | ||||
| 全仏 | 準優勝(2009) | |||
| キャリア自己最高ランキング | ||||
| シングルス | 273位(2005年11月21日) | |||
| ダブルス | 17位(2012年10月22日) | |||
| 2012年11月18日現在 | ||||
マルセロ・ピンヘイロ・ダビ・デ・メロ(Marcelo Pinheiro Davi de Melo, 1983年9月23日 - )は、ブラジル・ベロオリゾンテ出身の男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとして活動し、2009年の全仏オープン混合ダブルスで、バニア・キング(アメリカ)と組んで準優勝した。これまでにATPツアーでダブルス10勝を挙げる。自己最高ランキングはシングルス273位、ダブルス17位。身長203cmの長身からついた“Girafa”(ジラファ、「キリン」の意味)というニックネームがある。
目次 |
来歴 [編集]
メロは7歳の時から、家族揃ってテニスを始めた。15歳まではサッカーもプレーしたが、テニスに専念する決心をして1998年にプロ入りする。彼は男子ツアー下部大会(フューチャーズ、チャレンジャー)での長い下積み時代を経て、2007年からATPツアー大会に本格参戦を始め、4月末のポルトガル・エストリル大会でアンドレ・サと組んでツアー初優勝を果たした。同年のウィンブルドン男子ダブルスで、メロとサはベスト4に進出した。ブラジルペアの2人は、準決勝でフランスペアのアルノー・クレマン&ミカエル・ロドラ組に 6-7, 3-6, 3-6 のストレートで敗れた。ところが、メロがウィンブルドン直前の6月10日、イギリスのトーナメントで「イソメテプテン」(興奮剤、抗片頭痛薬)に陽性反応を示したことが発覚する。軽微な違反として、彼は国際テニス連盟から2007年9月10日-11月9日まで2ヶ月間の出場停止処分を受けた[1]。
2008年、マルセロ・メロとアンドレ・サは男子ツアー大会でダブルス年間4勝を挙げ、北京五輪の男子ダブルスにも出場した。ブラジルペアは2回戦で、ドイツ代表のライナー・シュットラー&ミヒャエル・コールマン組に 6-7, 3-6 で敗れた。2009年は5月中旬のオーストリア・キッツビュール大会で優勝があった。
メロは2006年まで、フューチャーズやチャレンジャー大会でシングルス戦にも出場したが、ATPツアーでは1度しかシングルスへのエントリーがない。男子テニス国別対抗戦・デビスカップのブラジル代表選手としても、すべてダブルス戦のみに出場している。
2009年の全仏オープンで、マルセロ・メロはアメリカのバニア・キングと混合ダブルスのペアを組み、決勝戦まで勝ち進んだ。決勝戦で2人は第1シードペアのボブ・ブライアン&リーゼル・フーバー組と対戦し、7-5, 6-7 で1セット・オールになった。全仏オープンのダブルスでは、混合のみ10ポイント・タイブレーク決戦方式(通称:スーパータイブレーク方式)で勝敗を決定する。この方式では、1セット・オールになった時は10点制のタイブレークを行い、先に10ポイント取った方が勝者になる。メロとキングはタイブレークを 7-10 で落とし、全仏混合ダブルス準優勝者になった。
2010年からはブルーノ・ソアレスとペアを組むようになった。2010年全仏オープンダブルスでベスト8に進出している。2012年7月のロンドン五輪で2度目のオリンピックに出場し2回戦でチェコのトマーシュ・ベルディハ&ラデク・ステパネク組を 1-6, 6-4, 24-22 で破りベスト8に進出した。準々決勝ではフランスのジョー=ウィルフリード・ツォンガ&ミカエル・ロドラ組に 4-6, 2-6 で敗れた。9月のデビスカッププレーオフではロシアのアレックス・ボゴモロフ・ジュニア&ティムラズ・ガバシュビリ組を 7-5, 6-2, 7-6(7) で破りブラジルの10年ぶりワールドグループ復帰に貢献した[2]。
ATPツアー決勝進出結果 [編集]
ダブルス: 21回 (10勝11敗) [編集]
| 結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 優勝 | 1. | 2007年4月29日 | クレー | 3–6, 6–2, [10–6] | |||
| 優勝 | 2. | 2008年1月6日 | ハード | 6–3, 3–6, [10–7] | |||
| 優勝 | 3. | 2008年2月11日 | クレー | 4–6, 6–2, [10–7] | |||
| 優勝 | 4. | 2008年5月19日 | クレー | 7–5, 6–7(3–7), [13–11] | |||
| 準優勝 | 1. | 2008年6月15日 | 芝 | 4–6, 6–7(3–7) | |||
| 優勝 | 5. | 2008年8月23日 | ハード | 7–5, 6–2 | |||
| 準優勝 | 2. | 2009年3月1日 | ハード | 4–6, 4–6 | |||
| 優勝 | 6. | 2009年5月23日 | クレー | 6–7(9–11), 6–2, [10–7] | |||
| 準優勝 | 3. | 2009年6月14日 | 芝 | 4–6, 6–4, [6–10] | |||
| 準優勝 | 4. | 2009年7月26日 | クレー | 3–6, 3–6 | |||
| 準優勝 | 5. | 2010年1月11日 | ハード | 5–7, 4–6 | |||
| 優勝 | 7. | 2010年5月22日 | クレー | 1–6, 6–3, [10–5] | |||
| 準優勝 | 6. | 2010年8月1日 | クレー | 3–6, 7–6(7–4), [9–11] | |||
| 準優勝 | 7. | 2010年9月26日 | ハード (室内) |
3–6, 3–6 | |||
| 優勝 | 8. | 2011年2月5日 | クレー | 6–3, 7–6(7–3) | |||
| 優勝 | 9. | 2011年2月12日 | クレー | 7–6(7–4), 6–3 | |||
| 準優勝 | 8. | 2011年2月26日 | クレー | 1–6, 3–6 | |||
| 準優勝 | 9. | 2011年9月25日 | ハード (室内) |
4–6, 6–7(7–9) | |||
| 準優勝 | 10. | 2011年10月23日 | ハード (室内) |
1–6, 3–6 | |||
| 準優勝 | 11. | 2012年2月26日 | ハード (室内) |
6–4, 5–7, [7–10] | |||
| 優勝 | 10. | 2012年10月21日 | ハード (室内) |
6–7(4–7), 7–5, [10–6] |