ネナド・ジモニッチ

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ネナド・ジモニッチ Tennis pictogram.svg
Zimonjić 2009 US Open 01.jpg
ネナド・ジモニッチ
基本情報
ラテン文字名 Nenad Zimonjić
愛称 ジキ/ジモ/ジモネ
国籍 セルビアの旗 セルビア
出身地 同・ベオグラード
生年月日 1976年6月4日(38歳)
身長 190cm
体重 91kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1995年
ツアー通算 43勝
シングルス 0勝
ダブルス 43勝
4大大会最高成績・シングルス
全豪 1回戦(2001)
全英 3回戦(1999)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 準優勝(2010)
全仏 優勝(2010)
全英 優勝(2008・09)
全米 ベスト8(2006・09)
優勝回数 3(仏1・英2)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 優勝(2004・08)
全仏 優勝(2006・10)
全英 ベスト8(2003・06)
全米 準優勝(2005)
優勝回数 4(豪2・仏2)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 176位(1999年3月29日)
ダブルス 1位(2008年11月17日)
2011年11月27日現在

ネナド・ジモニッチNenad Zimonjić, セルビア語: Ненад Зимоњић, 1976年6月4日 - )は、セルビアベオグラード出身の男子プロテニス選手。長年にわたりダブルスのスペシャリストとして活動してきた。これまでにATPツアーでダブルス43勝を挙げる(シングルス優勝はない)。4大大会では男子ダブルス3勝、混合ダブルス4勝の計7勝を挙げている。身長190cm、体重91kg、右利き。彼には“Ziki”(ジキ)“Zimo”(ジモ)“Zimone”(ジモーネ)などの愛称がある。 「ネナッド・ジモンイッチ」の表記もみられる。

来歴[編集]

ネナド・ジモニッチは父親が土木技師、母親は銀行員という家庭に生まれ、9歳からテニスを始めた。1995年にプロ入りし、直ちに男子テニス国別対抗戦・デビスカップユーゴスラビア代表選手に選ばれる。ユーゴスラビア・チームは2003年に解体するまで、デビスカップの「ユーロアフリカン・ゾーン」に属していた。(デビスカップの仕組み:世界最上位の「ワールドグループ」16ヶ国を除く参加国は、地域別に「アメリカン・ゾーン」「アジア・オセアニアゾーン」「ユーロアフリカン・ゾーン」に分かれ、各ゾーンごとに4つのグループに分かれている。)チーム名は2004年から「セルビア・モンテネグロ」となるが、2006年にセルビア・モンテネグロが分離する。この間にチームは大幅にレベルを上げ、2006年に初めて「ワールドグループ・プレーオフ」へ進出した。2007年から「セルビア」チームが発足し、チームは2008年にワールドグループ初昇格を果たした。ジモニッチはユーゴスラビア → セルビア・モンテネグロ → セルビアの代表チームでデ杯に連続出場を続け、2010年にはセルビアの初優勝に貢献した。

1999年2月、ジモニッチはアメリカフロリダ州開催の「デルレイビーチ国際テニス選手権」でマックス・ミルヌイベラルーシ)とペアを組んで男子ツアーダブルス初優勝を果たした。それ以来、彼は男子ツアーのダブルスで毎年タイトルを獲得し続け、ダブルスのスペシャリストとして世界的に知られるようになる。2001年全豪オープンで、彼は初めて男子ダブルス準決勝に進んだが、この時のパートナーはウェイン・アーサーズオーストラリア)だった。2004年全豪オープンで、ジモニッチはエレーナ・ボビナロシア)と混合ダブルスのペアを組み、セルビア出身の男子選手として最初の4大大会優勝者になった。ジモニッチとボビナは、決勝でリーンダー・パエスインド)&マルチナ・ナブラチロワ(アメリカ)組を 6-1, 7-6 で破って最初のタイトルを獲得した。半年後のウィンブルドンで、ジモニッチはユリアン・ノールオーストリア)と組んで男子ダブルス決勝に進出したが、部門3連覇を目指したトッド・ウッドブリッジ(オーストラリア)&ヨナス・ビョークマンスウェーデン)組に 1-6, 4-6, 6-4, 4-6 で敗れて準優勝になった。

2006年から2008年まで、ネナド・ジモニッチは全仏オープン混合ダブルスでカタリナ・スレボトニクスロベニア)と組んで3年連続の決勝戦に進出した。2006年にはダニエル・ネスターカナダ)&エレーナ・リホフツェワロシア)組を 6-3, 6-4 で破って優勝したが、2007年2008年は2年連続準優勝になる。2008年全豪オープンで、ジモニッチは孫甜甜中国)とペアを組んで4年ぶり2度目の混合ダブルス優勝を果たした。これで彼の4大大会混合ダブルス優勝は、全豪オープン2勝・全仏オープン1勝で総計「3勝」になる。この間に、彼は2006年ウィンブルドンで2年ぶり2度目の男子ダブルス決勝進出があった。パートナーはファブリス・サントロフランス)で、この決勝戦ではボブ・ブライアン&マイク・ブライアンアメリカ、双子の兄弟のペア)に 3-6, 6-4, 4-6, 2-6 で敗れた。

2007年ウィンブルドンまで、ジモニッチはサントロとペアを組み続けたが、同年10月から2010年までカナダダニエル・ネスターとペアを組むようになる。ネスターは10年以上続けたマーク・ノールズバハマ)とのペアを解消し、ジモニッチとの組み合わせを好むようになった。2008年、ジモニッチとネスターは男子ツアーで年間5勝を獲得し、両者の宿願だったウィンブルドン初優勝も成し遂げた。ジモニッチにとっては2年ぶり3度目のウィンブルドン男子ダブルス決勝で、2人はヨナス・ビョークマン&ケビン・ウリエットジンバブエ)組を 7-6, 6-7, 6-3, 6-3 で破って初優勝を決めた。ウィンブルドン優勝後、ジモニッチは北京五輪セルビア代表選手として出場したが、ノバク・ジョコビッチと組んだ男子ダブルスは1回戦で敗退した。2009年ウィンブルドンで、ジモニッチとネスターは「ブライアン兄弟」を 7-6, 6-7, 7-6, 6-3 で破り、ウィンブルドン男子ダブルス2連覇を達成した。2010年もネスターとのペアで全仏オープンなど7勝を挙げたが2010年度限りでネスターとのペアを解消し、2011年からはミカエル・ロドラとペアを組んでいる。

シングルスでのジモニッチは、4大大会本戦出場は2度のみであるが、1999年ウィンブルドングスタボ・クエルテンブラジル)との3回戦に進出したことがある。時折シングルスにエントリーを続けていたが、2009年2月の地元ベオグラードで行われたチャレンジャー大会が最後のシングルス出場になっており、現在はダブルスに専念している。

4大大会ダブルス優勝[編集]

外部リンク[編集]