ヤニック・ノア

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ヤニック・ノア Tennis pictogram.svg
Yannick Noa POPB Octobre 2004 - 01.jpg
ヤニック・ノア
基本情報
ラテン文字名 Yannick Noah
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 同・スダン
生年月日 1960年5月18日(54歳)
身長 193cm
体重 81kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1976年
引退年 1996年
ツアー通算 39勝
シングルス 23勝
ダブルス 16勝
生涯通算成績 689勝319敗
シングルス 476勝210敗
ダブルス 213勝109敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト4(1990)
全仏 優勝(1983)
全英 3回戦(1979・85)
全米 ベスト8(1983・85・89)
優勝回数 1(仏1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(1990)
全仏 優勝(1984)
全英 ベスト8(1987)
全米 準優勝(1985)
優勝回数 1(仏1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 3位
ダブルス 1位

ヤニック・ノアYannick Noah, 1960年5月18日 - )は、フランススダン出身の元男子プロテニス選手。1983年全仏オープン男子シングルス優勝者で、フランス人の男子選手としては現時点で最後のグランドスラム大会シングルス優勝者である。サービス・アンド・ボレーのプレースタイルを得意とした選手で、華麗なパフォーマンスで高い人気を持っていた。自己最高ランキングはシングルス3位、ダブルス1位。ATPツアーでシングルス23勝、ダブルス16勝を挙げた。身長193cm、体重81kg、右利き。

ヤニック・ノアの父親はカメルーン出身で、フランスのCSスダン・アルデンヌで活躍していた元プロサッカー選手であり、母親はフランス人であった。父親は試合中の怪我によりサッカー選手を引退してカメルーンに帰国したため、ヤニックもカメルーンで育った。ヤニックが11歳の時、黒人テニス選手の先駆者として活躍したアーサー・アッシュがカメルーンを訪問した際、ヤニックの非凡な才能を見出し、アーサー・アッシュの全面支援の元で、南フランスのニースでテニス選手としてのキャリアをスタートさせた。子供の頃からジミ・ヘンドリックスなどの音楽に憧れたが、職業はテニス選手の道を選び、1980年にプロ入りする。1983年全仏オープン決勝で、ノアは大会2連覇を狙ったスウェーデンマッツ・ビランデルを 6-2, 7-5, 7-6 で破り、地元の大会で1946年マルセル・ベルナール1914年 - 1994年)以来37年ぶりのフランス人男子シングルス優勝者に輝いた。これを最後に、フランス人の男子テニス選手は4大大会のシングルス・タイトルを獲得できない状態が続いている。

1991年に現役を引退し、男子国別対抗戦・デビスカップや女子国別対抗戦・フェドカップの監督として、フランス・チームを優勝に導いた。デ杯の優勝は1991年1996年1997年の3度達成し、フェド杯も1997年に初優勝を実現させている。2005年7月9日に国際テニス殿堂入りを果たした。現在はもうひとつの 夢であった歌手として世界的に活動している。また、自身の名を冠した基金を設立し、テニスを通じた若者への慈善事業も行っている。これは自らもまた、アーサー・アッシュの力添えで成長したことに拠るものである。

ヤニック・ノアはこれまでに2度結婚している。最初の妻は1978年のミス・ユニバースのスウェーデン代表で、モデルとして活躍後に彫刻家に転向したセシリア・ロディ。なお彼女との間に生まれた子供の1人がNBAバスケットボールのシカゴ・ブルズに所属するジョアキム・ノアである。ジョアキムはNCAAトーナメントで、フロリダ大の中心選手として2連覇を達成した後、シカゴ・ブルズに入団した。また2番目の妻は1980年代から1990年代初頭にかけて、スーパーモデルとして人気を博したイギリス出身のへザー・スチュワート・ホワイトである。そして現在は音楽関係のビジネスに携わるイザベラ・カムズと暮らしている。

外部リンク[編集]