ジム・クーリエ(Jim Courier, 1970年8月17日 - )は、アメリカ・フロリダ州サンフォード出身の男子プロテニス選手。1990年代初頭に活躍し、全豪オープンと全仏オープンでそれぞれ大会2連覇を達成した。アメリカの同世代男子選手にはアンドレ・アガシ、ピート・サンプラス、マイケル・チャンなどがいて、特にアガシとは少年時代からのライバルだった。ATPツアーでシングルス23勝、ダブルス6勝を挙げる。身長185cm、体重82kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。フルネームは James Spencer Courier (ジェームズ・スペンサー・クーリエ)という。クーリエは元野球少年だったことから、バックハンド・ストロークはまるで野球のスイングのようなフォームであった。フォアハンド・バックハンドともに、ガツンとボールにラケットにぶち当てる強力なグラウンド・ストロークを武器にした。
経歴 [編集]
1988年に18歳でプロ転向。1991年の全仏オープン決勝戦でアンドレ・アガシを 3-6, 6-4, 2-6, 6-1, 6-4 のフルセットで破り、4大大会初優勝を飾る。(全仏で2年連続の準優勝に終わったアガシは、この当時“万年準優勝男”と呼ばれた。)それからめきめきと頭角を現したクーリエは、この年の全米オープンでも決勝に進出したが、ステファン・エドベリに敗れている。1992年に全豪オープンと全仏オープンで4大大会2連勝を達成。年間グランドスラムへの期待がかけられたが、苦手な芝生のウィンブルドン3回戦で予選勝者のアンドレイ・オルホフスキー(ロシア)に敗退する。
1993年の全豪オープンでもステファン・エドベリを破り、大会2連覇を果たした。ところが大会3連覇を目指した全仏オープンの決勝で、クーリエはセルジ・ブルゲラ(スペイン)に 4-6, 6-2, 2-6, 6-3, 3-6 のフルセットで敗れてしまう。続くウィンブルドンでは大会期間中、全く雨の降らない好天の中で初の決勝進出を果たしたが、同じアメリカのピート・サンプラスに 6-7, 6-7, 6-3, 3-6 で敗れて準優勝に終わる。この決勝2連敗で意気消沈したクーリエは、全米オープンの4回戦で第15シードのセドリック・ピオリーン(フランス)に敗れ去り、一気に急降下していった。
1994年の夏に一時的な「休養宣言」を発表する。世界ランキング1位に通算「58週」在位したが、ピート・サンプラスに比べると“短命な王者”に終わり、1995年以後は全盛期の勢いを取り戻すことはできなかった。
クーリエは2000年5月に現役引退を表明した。2005年7月9日に国際テニス殿堂入りを果たしている。2011年からパトリック・マッケンローに変わり、男子テニス国別対抗戦・デビスカップのアメリカチーム代表監督に就任した。
4大大会優勝 [編集]
- (ウィンブルドン準優勝1度:1993年、全米オープン準優勝1度:1991年)
| 年 |
大会 |
対戦相手 |
試合結果 |
| 1991年 |
全仏オープン |
アンドレ・アガシ |
3-6, 6-4, 2-6, 6-1, 6-4 |
| 1992年 |
全豪オープン |
ステファン・エドベリ |
6-3, 3-6, 6-4, 6-2 |
| 1992年 |
全仏オープン |
ペトル・コルダ |
7-5, 6-2, 6-1 |
| 1993年 |
全豪オープン |
ステファン・エドベリ |
6-2, 6-1, 2-6, 7-5 |
外部リンク [編集]
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男子テニス世界ランキング1位 |
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| 1973年8月23日のATPランキング導入以降の記録 · (最初に在位した年-最後に在位した年 - 在位総週) · 現在の1位は強調表示, 2013年5月13日更新 |
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