ロジャー・フェデラー

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ロジャー・フェデラー Tennis pictogram.svg
Roger Federer at the 2009 Wimbledon Championships 02.jpg
ロジャー・フェデラー
基本情報
ラテン文字名 Roger Federer
国籍 スイスの旗 スイス
出身地 同・バーゼル
生年月日 1981年8月8日(32歳)
身長 185cm
体重 85kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1998年
ツアー通算 87勝
シングルス 79勝
ダブルス 8勝
4大大会最高成績・シングルス
全豪 優勝(2004・06・07・10)
全仏 優勝(2009)
全英 優勝(2003-07・09・12)
全米 優勝(2004-08)
優勝回数 17(豪4・仏1・英7・米5)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 3回戦(2003)
全仏 1回戦(2000)
全英 ベスト8(2000)
全米 3回戦(2002)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 1位(2004年2月2日)
ダブルス 24位(2003年6月9日)
獲得メダル
男子 テニス
オリンピック
2008 北京 ダブルス
2012 ロンドン シングルス
2014年6月15日現在

ロジャー・フェデラー(Roger Federer ドイツ語発音: [ˈrɔdʒər ˈfeːdərər]1981年8月8日 - )とは、スイスバーゼル出身の男子プロテニス選手。身長185cm、体重85kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。男子プロテニス界にて重要視される数々の記録を塗り替え、築き上げている事から史上最高のテニスプレーヤーとの呼び声が高い[1][2][3][4]。また、テニスの教本のように正確無比でエレガントなプレースタイルから、最も完成度の高い選手とも呼ばれている。その規模の大きさから、スポーツのアカデミー賞と呼ばれるローレウス世界スポーツ賞2005年から2008年にかけて4度受賞し、優秀なアスリートとして競技の枠を超えて高い評価を受けている。

選手経歴[編集]

プロ入りから4大大会初優勝へ[編集]

フェデラーは、ボリス・ベッカーに憧れて、8歳からテニスを始めた。17歳の時に、ウィンブルドン選手権男子ジュニアのシングルス・ダブルス両部門で優勝を果たし、同年にプロ転向を表明。翌1999年には、ブレストで開催されたATPツアー参戦への登竜門となるATPチャレンジャーで初優勝を飾っている。2000年シドニー五輪の男子シングルス部門の銅メダル決定戦でアルノー・ディ・パスカルに敗れた頃から急成長を始め、2001年1月には国別対抗戦であるホップマンカップにて母国スイスの優勝に貢献し、同年2月のミラン・インドアーズでようやくATPツアー・シングルス部門のタイトルを手中に収めた。この頃のフェデラーは専門家の間で期待されていたものの、メジャーな大会で目立った活躍は無く、既に輝かしい活躍を魅せていた同世代のレイトン・ヒューイットマラト・サフィンフアン・カルロス・フェレーロに隠れた存在であったが、2001年ウィンブルドン4回戦で第1シードのピート・サンプラスを3時間41分のフルセット 7-6, 5-7, 6-4, 6-7, 7-5 の末に破る大金星を挙げ、大きな注目を集めた。当時サンプラスは1993年大会から2000年大会の8年間に7度も優勝に輝き、ウィンブルドンでは無敵の強さを誇っていたため、この出来事はサンプラス時代の終焉が近い事を予感させる出来事となった。翌2002年には四大大会に次ぐ大規模トーナメント群であるマスターズ・シリーズ(現:ATPマスターズ1000)に所属するハンブルグ・マスターズでマラト・サフィンを破って優勝し、同年に世界ランキングでトップ10入りを果たす。

そして2003年7月、サンプラスを破った舞台であるウィンブルドンマーク・フィリプーシスをストレートで下して4大大会初優勝を果たし、スイス出生の男子プロテニス選手として初の四大大会優勝者となった。

男子テニス界の頂点へ[編集]

四大大会の初優勝を遂げた2003年には、11月までにATPツアー大会で6度の優勝を飾っており、世界ランキングを自己最高の2位に押し上げる活躍を見せていた。そしてこの年のATPツアー最終戦 テニス・マスターズ・カップで、これまで勝つ事の叶わなかったアンドレ・アガシを初めて破り、大会初優勝を果たすと共に、フェデラーは選手として大きな転換期を迎えた。

2004年、昨年4回戦で終わっていた全豪オープンに初めて決勝まで勝ち上がり、マラト・サフィンを破って初優勝を果たす。その後、2月2日から世界ランキング1位の座に就くと、全仏オープンは3回戦敗退に終わるも、ウィンブルドン決勝でアンディ・ロディックを破って選手権2連覇を、全米オープン決勝でレイトン・ヒューイットを破って大会初優勝を果たし、1988年マッツ・ビランデル以来16年ぶりの4大大会年間3冠という偉業を達成する。この年のフェデラーは非常に好調で、四大大会に次ぐトーナメント群であるマスターズ・シリーズで3大会、更にマスターズ・カップでも昨年に続く優勝を飾り、ランキング・トップ10同士の対戦で無敗を誇った。成績は 11大会優勝、74勝6敗(勝率92.5%)を記録。年間勝率の9割達成は1989年イワン・レンドル以来15年ぶりの快挙であった。2004年アテネ五輪開会式でスイス選手団の旗手を務めたが、テニス競技ではシングルス2回戦でチェコ代表のトマーシュ・ベルディハに 6-4, 5-7, 5-7 で敗れている。

2005年[編集]

2005年も好調を維持し、全豪オープンマラト・サフィンに、全仏オープンラファエル・ナダルに、いずれも準決勝で敗れたものの ウィンブルドンではアンディ・ロディックを、全米オープンではアンドレ・アガシを破って優勝を果した。また、ATPツアー史上初となるマスターズシリーズ年間4冠を達成する等、非常に優秀な成績を収めると共に、ジョン・マッケンローが持つ年間勝率歴代最高記録を更新する勢いで勝ち星を重ねていった。年末の欧州インドア・シーズン中に負った怪我を押して出場した年間最終戦マスターズ・カップでは、記録更新の掛かった決勝戦でダビド・ナルバンディアンに 7-6, 7-6, 2-6, 1-6, 6-7 の逆転負けを喫し、快挙達成に至らなかった。この年も11大会で優勝し、年間成績は 81勝4敗(勝率95.3%)を記録した。

2006年[編集]

全豪オープン決勝でキプロスの新星マルコス・バグダティスを退けて2年ぶり2度目の優勝を果たすと、インディアンウェルズ・マスターズマイアミ・マスターズで優勝。ドバイ・テニス選手権では決勝でラファエル・ナダルに敗れ、2005年から続いていたハードコートでの連勝(歴代最多56連勝)を止められてしまった。続く欧州クレー・シーズンではモンテカルロ・マスターズローマ・マスターズ全仏オープンといった出場した全ての大会で決勝進出し、いずれもクレーコートを得意とするナダルに阻まれた。二人はウィンブルドンでも決勝対決となり、フェデラーが連敗の雪辱を果たして選手権4連覇を達成。全米オープン前哨戦のシンシナティ・マスターズでは2回戦でイギリスの新星のアンディ・マレー(当時ランク21位)に敗れてしまい、この年で唯一決勝進出を逃した大会となった。続くカナダ・マスターズで優勝。全米オープンアンディ・ロディックを下し自身2度目の4大大会年間3冠を成し遂げた。秋、ジャパン・オープン出場の為に初来日し、決勝でティム・ヘンマンを下して初来日を優勝で飾っている。その後の欧州インドア・シーズンはマドリード・マスターズを含む出場した全ての大会で優勝し、マスターズ・カップは決勝でジェームズ・ブレークを圧倒して2年ぶり3度目の優勝を果たした。この年は17大会に出場して16大会で決勝進出、12大会優勝、戦績92勝5敗(勝率94.8%)とテニス史上類を見ない驚異的な成績を収めた。

2007年[編集]

全豪オープン決勝でフェルナンド・ゴンサレスを下し、全試合ストレート勝ちで優勝を果たす。4大大会では1980年全仏オープンビョルン・ボルグ以来27年ぶり史上4人目で、全豪オープンでは1971年のケン・ローズウォール以来36年ぶりの達成であった。その後の春の北米ハードコート・シーズンはインディアンウェルズ・マスターズマイアミ・マスターズにてギリェルモ・カナスに連敗し、欧州クレー・シーズンではローマ・マスターズフィリポ・ボランドリに敗れてしまう。しかし、モンテカルロ・マスターズ(当時)ハンブルグ・マスターズ全仏オープンでは決勝に進出し、いずれもラファエル・ナダルと対戦。ハンブルグではナダルのクレーコート連勝記録を81で止めて優勝。両者はウィンブルドン決勝でも顔を合わせ、3時間45分のフルセットの末にフェデラーが競り勝ち、ビョルン・ボルグ以来の選手権5連覇という偉業を成し遂げた。続く全米オープン前哨戦のカナダ・マスターズでは決勝でセルビアの新星ノバク・ジョコビッチに敗退するも、シンシナティ・マスターズ決勝でジェームズ・ブレークを破って優勝。ATPツアー・シングルス・タイトル獲得数が「50」に到達。8月27日、彼の世界ランキング1位連続座位記録は「187週」に入り、同記録の最長保持者シュテフィ・グラフの186週を抜いて、歴代最長記録を樹立。 その後、全米オープン決勝でジョコビッチを下し、大会4連覇を達成すると同時に自身3度目の4大大会年間3冠という偉業を成し遂げた。続く欧州インドア・シーズンはマドリード・マスターズ決勝とパリ・マスターズ準決勝でダビド・ナルバンディアンに連敗するもスイス・インドアで2連覇達成。また、マスターズカップの決勝でダビド・フェレールに勝利して、通算4度目の優勝を果たす。12月には世界ランキング1位連続在位期間が「200週」に到達。この年は8大会で優勝し、戦績 68勝9敗(勝率88.3%)を記録した。

2008年[編集]

北京五輪にて

全豪オープン準決勝でノバク・ジョコビッチに敗れ、 大会3連覇を逃すと同時に2005年ウィンブルドンから続いていた4大大会連続決勝進出記録が10大会で途絶えてしまった。その後の北米ハードコート・シーズンで平凡な成績が続き、マスメディアからフェデラー時代の終焉の声が目立つようになる。欧州クレー・シーズンではモンテカルロ・マスターズ(当時)ハンブルク・マスターズ全仏オープンにて決勝に進出。いずれもラファエル・ナダルに阻まれた。続くウィンブルドンではウィリアム・レンショーが1881年~1886年にかけて達成した選手権6連覇の達成が期待されたが、決勝でナダルに4-6, 4-6, 7-6, 7-6, 7-9で4時間48分にも及ぶウィンブルドン決勝史上最長の激闘の末に敗れてしまい、偉業達成とはならなかった。また、2003年から続いていた芝生コートにおける連勝(歴代最多65連勝)も止められてしまった。

北京オリンピックで、フェデラーは2大会連続でスイス代表旗手を務めた。男子シングルス部門では準々決勝でジェームズ・ブレークに 4-6, 6-7 のストレートで敗れたものの、スタニスラス・ワウリンカと組んだ男子ダブルス部門では決勝でスウェーデン代表のシーモン・アスペリン&トーマス・ヨハンソン組を 6-3, 6-4, 6-7, 6-3 で下して金メダルを獲得。オリンピック翌週の8月18日、フェデラーは世界ランキング1位の座をナダルに明け渡し、世界ランキング1位連続座位記録は237週で止まった。その後、全米オープン前哨戦は平凡な成績が続いた。不安を抱えて挑んだ全米オープンでは決勝でアンディ・マレーを 6-2, 7-5, 6-2 で下し、対マレー戦の連敗を止めて大会5連覇を達成。これは1920年~1925年にかけて全米選手権6連覇を達成したビル・チルデンの5連覇以来84年ぶりの出来事であり、4大大会シングルス部門における2大会5連覇は史上初の快挙であった。その後の欧州インドア・シーズンはスイス・インドアダビド・ナルバンディアンを下して3連覇を果たした。2008年度をもって終了するマスターズ・カップでは準決勝進出をかけたラウンド・ロビンにて1勝2敗とし、敗退。この年はシングルス部門の優勝は4大会に止まったものの、戦績 66勝15敗(勝率81.5%)と好成績を挙げた。

2009年[編集]

全豪オープン決勝でラファエル・ナダルに5-7, 6-3, 6-7, 6-3, 2-6で4時間19分に及ぶ激闘の末に敗れた。その後のインディアンウェルズ・マスターズ準決勝でアンディ・マレーに、マイアミ・マスターズ準決勝でノバク・ジョコビッチに敗れた。

続く欧州クレーコート・シーズンは、マドリード・マスターズ決勝でナダルのクレーコート連勝数を33勝で止めて優勝。続く2009年全仏オープンは、ラファエル・ナダルが4回戦でロビン・セーデリングに敗れた事で、フェデラーにキャリア・グランドスラムの達成が期待された。そんな中で準々決勝でガエル・モンフィスを下し、四大大会準決勝連続進出記録を20大会連続に伸ばし、準決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロを下して四大大会決勝進出回数でイワン・レンドルの19大会目に並んだ。決勝でセーデリングを 6-1, 7-6, 6-4 で破り、悲願の全仏オープン初優勝を果たし、史上6人目となるキャリア・グランドスラムを達成。サンプラスの歴代1位と並ぶ四大大会14度目の優勝を挙げた。

2009年ウィンブルドン、準々決勝でイボ・カロビッチを下し、四大大会連続準決勝進出数を更新。準決勝ではトミー・ハースを下し、レンドルが持つ四大大会決勝進出数を更新する20回に到達。決勝ではロディックと対戦し、四大大会男子シングルス決勝史上最多ゲーム数を更新する77ゲームに及ぶ 5-7, 7-6, 7-6, 3-6, 16-14 の激闘の末に2年ぶり6度目の優勝を果たし、四大大会優勝数を15度に伸ばした。また、ウィンブルドン選手権7年連続決勝進出は現行のトーナメント方式になった1922年以降初めての事で、更に全仏とウィンブルドンの同一年度優勝は、前年のラファエル・ナダルに続いて、1968年の四大大会オープン化以降では史上4人目の達成であった。7月6日に発表された世界ランキングで、およそ11ヶ月ぶりに1位に返り咲いた。続く全米オープン前哨戦シンシナティ・マスターズ決勝で、ジョコビッチを下して優勝。2009年全米オープン決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに 6-3, 6-7, 6-4, 6-7, 2-6 の惜敗。大会6連覇は成らなかった。その後の欧州インドア・シーズンはスイス・インドア決勝でジョコビッチに敗れ、2009年度からロンドンに移転した年間最終戦ATPワールドツアー・ファイナルも準決勝で敗退。この年は4大会で優勝を挙げ、戦績61勝12敗(勝率83.6%)とした。

2010年[編集]

全豪オープン決勝でアンディ・マレーを破って優勝。これによって、自身の4大大会優勝最多記録を16に伸ばした。また、2月22日発表のランキングでイワン・レンドルの「270週」を抜いて歴代2位となった。

しかし、全仏オープンでは準々決勝でロビン・セーデリングに 6-3, 3-6, 5-7, 4-6 で敗れ、連続準決勝以上進出記録が23大会で途切れ、世界ランキング1位通算在位も歴代1位のピート・サンプラスの「286週」まであと1週と迫っていたが、6月7日発表の世界ランキングで2位に転落。続くウィンブルドンでも準々決勝にて第12シードのトマーシュ・ベルディハに 4-6, 6-3, 1-6, 4-6 で敗れてしまう。フェデラーが同大会決勝進出を逃したのは実に8年ぶりのことであり、大会後のランキングでは3位に転落してしまった。

その後は好調さ取り戻し、全米オープンの前哨戦となるシンシナティ・マスターズで優勝を飾り全豪以来7ヶ月ぶりのタイトルを獲得する。しかし、全米オープン準決勝でノバク・ジョコビッチに 7-5, 1-6, 7-5, 2-6, 5-7 とマッチポイントを握るも敗退。これにより7年連続の同大会決勝進出を逃す。地元バーゼルスイス・インドア決勝ではジョコビッチを6-4, 3-6, 6-1 で破りツアー65勝目を挙げ、ピート・サンプラスの64勝を抜いて歴代単独4位となった。その後もATPワールドツアー・ファイナル決勝でナダルを 6-3, 3-6, 6-1 で破り3年ぶり5度目の優勝を果たした。この年は5大会で優勝を挙げ、戦績65勝13敗(勝率83.3%)とした。

2011年[編集]

開幕戦カタール・エクソンモービル・オープン決勝でニコライ・ダビデンコをストレートで下し、ツアー67勝目を挙げた。ディフェンディングチャンピオンとして挑んだ全豪オープンは準決勝でノバク・ジョコビッチにストレートで敗退した。フェデラーは続くドバイ・テニス選手権決勝とインディアンウェルズ・マスターズ準決勝もジョコビッチに敗退。更に、マイアミ・マスターズでは準決勝でラファエル・ナダルに敗退した。ハードコート・シーズンを良い成績で終えたものの、ジョコビッチが出場した全ての大会を制覇した関係で、ランキング3位に転落してしまった。

クレーコート・シーズン、モンテカルロ・マスターズは準々決勝で第7シードのユルゲン・メルツァーにストレートで敗退。続くマドリード・マスターズの初戦でフェリシアーノ・ロペスに 7-6, 6-7, 7-6 の苦戦を強いられながらも押し切り、その後の準決勝でナダルに敗退。ローマ・マスターズは、3回戦でリシャール・ガスケに6-4, 6-7 , 6-7で早期敗退とやや失速してしまった。全仏オープン、ナダルとジョコビッチの席巻が注目される中、フェデラーはそれを覆す勢いで勝ち星を重ねて行き、準決勝で絶好調のジョコビッチをセットカウント3-1で退けて決勝進出を果たす。これによりジョコビッチの開幕戦からの連勝記録を41で止め、対ジョコビッチ戦の連敗も3で止めた。しかし、決勝ではナダルにセットカウント1-3で敗退。続くウィンブルドンは準々決勝で第12シードのジョー=ウィルフリード・ツォンガに 6-3, 7-6, 4-6, 4-6, 4-6 の逆転負けを喫した。これはフェデラーにとって、4大大会における初めての2セットアップからの逆転劇であった。

全米オープンでは準決勝でノバク・ジョコビッチにマッチポイントを握るも敗退。2年連続で同じラウンド・同じ対戦相手にマッチポイントを握りながらも逆転され敗退することとなった。これにより自身2002年以来となる四大大会無冠に終わった。その後の欧州インドア・シーズンは出場したスイス・インドアパリ・マスターズATPワールドツアー・ファイナルの全てで優勝。ツアー・ファイナルでは自身100回目の決勝を70回目の優勝で飾っており、更には歴代最多となる同大会6度目の優勝を果たした。この年は4大会で優勝を挙げ、戦績64勝12敗(勝率84.2%)とした。

2012年[編集]

年始に開催されたドーハ大会準決勝は背中の不調を理由に試合を棄権。続く全豪オープンは準決勝でラファエル・ナダルにセットカウント1-3で敗退。2月にはABNアムロ世界テニス・トーナメントドバイ・テニス選手権の2大会で優勝。その後迎えたインディアンウェルズ・マスターズでも、6年ぶりの優勝を果たし、早くもシーズン3勝目挙げた。5月のマドリード・マスターズではトマーシュ・ベルディハに勝利し、6度目の優勝を飾った。

全仏オープンでは、1回戦の勝利で史上初の全グランドスラム各50勝を達成。続く2回戦で4大大会通算234勝目を挙げ、ジミー・コナーズを抜く歴代最多のマッチ勝利数を更新するも、準決勝でノバク・ジョコビッチにストレートで敗退。

ウィンブルドンでは、準決勝で前年の覇者ジョコビッチを破り、ウィンブルドン史上最多タイとなる8回目の決勝進出。決勝ではイギリス勢74年ぶりの決勝進出を果たしたアンディ・マレーを4-6, 7-5, 6-3, 6-4で破り、ウィリアム・レンショーピート・サンプラスに並ぶ史上最多タイとなる7度目の優勝を飾ると同時に、4大大会通算17勝目を挙げた(4大大会優勝は2010年全豪オープン以来2年半ぶり)。そして、この優勝により大会翌日更新の世界ランキングにて、約2年ぶりに世界ランキング1位に返り咲き、その翌週のランキングで1位在位期間が通算287週となって、サンプラスの記録を抜いて男子歴代単独1位となった。

8月にウィンブルドンを会場にして行われたロンドンオリンピックでは、準決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに大逆転勝ちを収めて初の決勝進出を果たし、史上3人目のゴールデンスラムの期待も高まったが、地元イギリスのアンディ・マレーにストレートで敗退し、銀メダルに終わった。しかし、オリンピックシングルス部門では4度目の出場で初のメダル獲得となった。その後のシンシナティ・マスターズでは、決勝でノバク・ジョコビッチをストレートで破り、シーズン6勝目を挙げた。

全米オープンでは準々決勝でトマーシュ・ベルディハに6-7, 4-6, 6-3, 3-6で敗れ、同大会9年ぶりにベスト4進出を逃してしまう。10月の上海マスターズでは、準決勝でマレーに敗退するも、大会後のランキングでは1位を守り、男子初の在位総週300週を超える。その後のスイス・インドアでは決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに4-6, 7-6, 6-7の接戦で敗れた。11月5日のランキングで、昨年優勝した大会の欠場によるポイント失効などで、ジョコビッチに世界ランキング1位の座を明け渡してしまい、1位在位記録の更新は302週で止まった。

ツアー・ファイナルでは、準決勝でマレーを破り決勝進出するも、決勝ではジョコッビッチにストレートで敗退し3連覇を阻まれた。この年は6大会で優勝し、戦績 71勝12敗(勝率85.5%)と2007年以来の好戦績を収めた。

2013年[編集]

全豪オープンでは、準決勝でアンディ・マレーにフルセットの末敗退。その後、前年覇者として臨んだABNアムロ世界テニス・トーナメントドバイ・テニス選手権インディアンウェルズ・マスターズの3大会ではいずれも決勝に進むことができず、徐々に調子を落としていく。

クレーコートシーズンでも、マドリード・マスターズ3回戦で第14シードの錦織圭に敗退。翌週のローマ・マスターズでは半年ぶりにツアー大会決勝進出をするも、ラファエル・ナダルにストレートで完敗。全仏オープンでは、4回戦の勝利によりオープン化後男子史上4人目となるキャリア900勝を達成。しかし準々決勝で、ジョー=ウィルフリード・ツォンガにストレートで敗退しベスト8に終わった。

芝前哨戦ゲリー・ウェバー・オープンでは、決勝でミハイル・ユージニーを下してシーズン初優勝。これは2001年以降で最も遅いシーズン初タイトルとなった。ウィンブルドンでは、2回戦で世界ランク116位のセルジー・スタコフスキに7-6, 6-7, 5-7, 6-7で敗退してしまう。フェデラーが4大大会2回戦という早いラウンドで敗退するのは、2003年全仏以来実に10年ぶりの出来事で、2004年ウィンブルドンから続いていた36大会連続ベスト8進出記録も途絶えてしまった。また、大会後のランキングでも10年ぶりにランキングトップ4から陥落することとなった。その後急遽エントリーしたクレーコート2大会では、背中の怪我の影響もあったがランキング50位以下の相手に連敗。

8月のシンシナティ・マスターズでは準々決勝でナダルに敗退。ランキングを7位まで下げて迎えた全米オープンでは、4回戦で第19シードの過去負けなしだったトミー・ロブレドに敗退してしまう。これにより、2002年以来初めて4大大会の決勝に進めなかった年となった。

10月、スイス・インドアでは決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに惜敗。続くパリ・マスターズでは準決勝でノバク・ジョコビッチに逆転で敗れた。ATPワールドツアー・ファイナルではラウンドロビン2勝1敗で準決勝に進出するがナダルに敗退。しかし、この3大会ではシーズン中盤の不調から脱したような戦いぶりを見せた。

2013年はツアー大会優勝が1大会のみに留まり、戦績45勝17敗(勝率72.6%)と過去10年間で最も成績が悪く、マスターズ1000以上の大きな大会でのタイトルが1つも取れなかったのは2001年以来のことであった。

2014年[編集]

年初のブリスベン国際では、決勝でレイトン・ヒューイットに敗退。続く全豪オープンでは、準決勝で第1シードのラファエル・ナダルに敗退したものの、4大大会では4大会ぶりにベスト4まで勝ち上がることができた。

2月のドバイ・テニス選手権では、準決勝でノバク・ジョコビッチに勝利し決勝進出。決勝ではトマーシュ・ベルディハを破り大会6度目の優勝とともにシーズン初優勝を飾った。また、この優勝でツアータイトル数が「78」となり、ジョン・マッケンローを抜いて歴代単独3位の獲得数となった。インディアンウェルズ・マスターズでは、決勝でジョコビッチに6-3, 3-6, 6-7の惜敗。続くマイアミ・マスターズでは、準々決勝で第20シードの錦織圭に6-3, 5-7, 4-6で敗退したが、大会後のランキングでは約9ヶ月ぶりにトップ4に復帰した。

欧州クレーコートシーズン、モンテカルロ・マスターズでは6年ぶりに決勝進出をするが、同胞のスタニスラス・ワウリンカに逆転で敗れ準優勝。ローマ・マスターズでは初戦敗退。全仏オープンでは、4回戦で第18シードのエルネスツ・ガルビスにフルセットの末敗退し、同大会10年ぶりにベスト8進出を逃すこととなった。

芝の前哨戦ゲリー・ウェバー・オープンで優勝。好調を維持して臨んだウィンブルドンでは、サーブ&ボレーなどの技術を駆使し、安定したプレーで2年ぶりに決勝進出。決勝では歴代単独最多8回目の優勝を目指して第1シードのジョコビッチと対戦したが、7-6, 4-6, 6-7, 7-5, 4-6のフルセットの末に敗退した。

その他経歴[編集]

慈善活動にも熱心に取り組んでおり、2003年にはロジャー・フェデラー基金を設立し、アフリカの子供たちの支援や、タイでおきた津波災害のときも自ら率先してチャリティイベントを企画して募金活動を行うなど、その活動はスポーツの枠を超えて世界中から高く評価されている。 2006年4月には、ユニセフ親善大使にも任命され、ユニセフとATPが結ぶグローバル・パートナーシップであるACE(Assisting Children Everywhere)という活動の中心人物として、世界中の子どもたちに健康と教育の機会を確保し、様々な困難から子どもたちを守るためのプログラムを推進している[1]

2005年2008年の4年連続で「ローレウス・スポーツ賞」の男子最優秀選手賞を受賞した。2000年に創設されたこの世界的なスポーツ賞で、男子最優秀選手賞の4年連続受賞は史上初めてである。

ツアーの選手同士の中から選ばれる「ステファン・エドバーグ・スポーツマンシップ賞」を2004年から2013年の間に9度も受賞しており、試合中のマナーやフェアプレイなども高く評価されている。[5]

私生活[編集]

2012年ロンドン五輪を観戦するフェデラー夫妻

2000年シドニー五輪がきっかけで、3歳年上のテニス選手ミルカ・バブリネックと交際を始め、2009年4月11日に結婚している。2009年7月に双子の娘が、2014年5月6日には双子の息子が誕生している。

サッカーのEURO2008がスイスで開催された際には、ミハエル・シューマッハF1ドライバー)やシモーネ・ニグリ=ルーダーオリエンテーリング選手)、ペーター・ザウバー(F1チーム・ザウバーオーナー)らとともに親善大使に選出された。

2011年6月、米経済誌フォーブス誌が「最も稼いでいる30歳未満のセレブ」のランキングを発表し、2010年5月からの1年間で4,700万ドル(日本円で約37億6,000万円)を稼いで4位にランクインしている。[6]

2013年6月、同じくフォーブス誌での「最も稼いでるアスリート(スポーツ選手長者番付)」では、2012年から1年間でスポンサー契約等を含み7,150万ドル(日本円で約68億円)を稼いでタイガー・ウッズに次ぐ2位にランクインした。[7]

サッカーの熱心なファンである。出身地のクラブであるFCバーゼルのファンであると公言している。また、12歳までは実際にサッカーをプレーしており、テニスプレーヤーとしてのスケジュールが多忙を極めたため、サッカーを断念せざるを得なかったとも語っている。 [8]

2014年6月、アメリカの経済誌フォーブス世界のアスリートの年収を公表した。フェデラーの年収は5620万ドル(約57億3000万円)であり、世界のアスリートの中で7位。テニス選手の中ではラファエル・ナダルを上回り、1位となった[9]

各種記録一覧[編集]

4大大会[編集]

男子シングルス最多優勝記録「17回」
ピート・サンプラスラファエル・ナダルの14回を上回り歴代最多。
ウィンブルドン選手権男子シングルス最多優勝記録「7回」
2012年ウィンブルドンで7度目の優勝を達成。ウィリアム・レンショーピート・サンプラスと並ぶ歴代最多タイ記録。
4大大会通算マッチ勝利数最多記録「274勝(2014年全英まで)」
ジミー・コナーズの233勝を抜いて歴代最多。
全豪オープンでの最多マッチ勝利数記録「73勝(2014年大会まで)」
ステファン・エドベリの56勝を抜いて大会最多。
最多決勝進出記録「25大会」
2014年全英時点で、ラファエル・ナダルの20大会を上回り歴代最多。
連続決勝進出記録「10大会連続」
2005年ウィンブルドン2007年全米オープンにかけて達成。
1930年代(オープン化以前)に達成されたジャック・クロフォードの「7大会連続」をも上回る歴代最多記録。
2006年・2007年の全仏オープン以外は全てに勝利。2008年全豪オープンノバク・ジョコビッチに準決勝で敗れた事で途切れた。
また、上記の記録を樹立後、2008年全仏オープンから2010年全豪オープンにかけて歴代2位の「8大会連続」も記録。
2010年全仏オープン準々決勝でロビン・セーデリングに敗れ、自己記録の更新はならず。
ウィンブルドン選手権男子シングルス最多決勝進出記録「9回」
2014年大会で9度目の決勝に進出。ウィリアム・レンショーアーサー・ゴアの8回を抜いて大会最多記録となった。
ウィンブルドン選手権男子シングルス連続決勝進出年数「7年連続」
2003年~2009年までの記録。ウィリアム・レンショービョルン・ボルグの6年連続を抜いて大会最長記録である。
最多準決勝進出記録「35大会」
2014年全英時点で、ジミー・コナーズの31大会を抜いて歴代最多。
連続準決勝進出記録「23大会連続」
2004年ウィンブルドン2010年全豪オープンにかけて記録。上記セーデリングとの対戦で途切れた。
ノバク・ジョコビッチの14大会連続を大きく上回る歴代最多記録。
最多準々決勝進出記録「42大会」
2014年全英時点で、ジミー・コナーズの41大会を抜いて歴代最多。
連続準々決勝進出記録「36大会連続」
2004年ウィンブルドン2013年全仏オープンにかけて記録。2位ノバク・ジョコビッチの21大会連続(継続中)を大きく上回る歴代最長記録。
2013年ウィンブルドン2回戦でセルジー・スタコフスキに敗退したことで途切れた。
4大大会連続出場記録「59大会連続(2014年全英まで)」(継続中)
2000年全豪オープンから4大大会連続出場。ウェイン・フェレイラの56大会連続を抜き、男子では歴代最長記録。
第1シードでの4大大会出場最多記録「23大会」
2012年全米オープン時点でピート・サンプラスの22大会を抜いて歴代最多。
初の決勝進出からの決勝連勝記録「7連勝」
2003年ウィンブルドン2006年全豪オープンにかけて記録。史上初の達成。
全試合ストレート勝ち
2007年全豪オープンで達成。男子テニス史上4人目の記録で、全豪オープンでは1971年ケン・ローズウォール以来の達成。
2大会における5連覇
ウィンブルドン(2003年-07年)・全米オープン(2004年-08年)で記録。史上初の達成。

その他[編集]

世界ランキング1位 連続在位記録「237週」
2004年2月2日~2008年8月18日までの、男女を通じた世界最長記録。2007年2月26日にジミー・コナーズの男子歴代最長記録「160週」を抜き、同年8月27日にシュテフィ・グラフの女子歴代最長記録「186週」をも更新。同年12月2日付で史上初の「200週」に到達。2008年8月18日、ラファエル・ナダルが世界ランキング1位となり、記録は「237週」で止まった。フェデラーは初めて世界ランキング1位の座についてから、約4年半もの間ランキング1位を守り続けた。
この快挙を称えて、スイスの郵政省は2007年4月1日にフェデラーを印刷した切手を発行[10]。これにより、フェデラーは存命のスイス人として初めて切手の印刷面を飾った人物となった。なお、この記念切手にはウィンブルドンの優勝トロフィーを掲げたフェデラーの姿が印刷されており、2010年2月8日にオーストリアで新たに発行された記念切手には全仏オープンでプレーするフェデラーの姿が印刷されている。
世界ランキング1位 通算在位記録「302週」
男子歴代最長記録。2010年6月7日付のランキングで、当時ピート・サンプラスの持っていた男子歴代最長記録「286週」に残り1週と迫っていたが、2位に転落してしまう。その後一時は4位までランキングを落としたが、2012年ウィンブルドン優勝により約2年ぶりにランキング1位に復帰した。その翌日更新のランキングでサンプラスの記録に並び、翌週も1位を守りきって男子歴代単独1位の記録をつくった。
10月15日付のランキングにて、男子では史上初の世界ランキング1位通算在位300週を達成(女子ではシュテフィ・グラフマルチナ・ナブラチロワが達成)した。11月5日付のランキングでジョコビッチに1位の座を明け渡し、在位総週の更新は302週で止まった。
また、現在フェデラーが最後にランキング1位に在位していた年齢「31歳2ヶ月」は、アンドレ・アガシの「33歳4ヶ月」に次ぐ歴代2番目の年長記録である。
芝生コートでの連勝記録「65連勝」
芝生コートにおける歴代最多連勝。2003年ハーレから2008年ウィンブルドン決勝でナダルに敗れるまでの記録。それまでビョルン・ボルグが保持していた41連勝を大幅に更新。
芝生コートでの最多優勝記録「14大会」
ピート・サンプラスの10大会を抜いて歴代最多。
ハードコートでの連勝記録「56連勝」
ハードコートにおける歴代最多連勝。2005年ロッテルダムから2006年ドバイ・テニス選手権決勝でナダルに敗れるまでの記録。また、2006から2007年にかけて歴代2位の36連勝も記録している。(3位は2011年にノバク・ジョコビッチが記録した35連勝である。)
ハードコートでの最多優勝記録「53大会」
ジミー・コナーズの48大会を抜いて歴代最多。
男子プロテニスツアー決勝戦での連勝記録「24連勝」
2003年10月のバンク・オーストリア・テニスカップから2005年の年間最終戦マスターズ・カップの決勝戦でダビド・ナルバンディアンに敗れるまでの記録。2位はビョルン・ボルグの15連勝である。
ランキングトップ10選手との連勝記録「26連勝」
2003年~2005年に記録。コンピューターランキング制度導入以降の最多連勝。また2006年~2007年に歴代2位となる17連勝も記録。3位にはノバク・ジョコビッチラファエル・ナダルの14連勝(いずれも2012~2013年)がある。
通算獲得賞金最多記録「79,218,415ドル」(2013年シーズン終了時点)[11]
ピート・サンプラスが保持していた歴代1位の記録「43,280,489ドル」を更新中。現在はラファエル・ナダルが歴代2位につけている。
3年連続ツアー年間10勝以上
2004年~2006年の記録。年間10勝以上を3回達成している選手はフェデラーの他にジミー・コナーズがいるが、3年連続というのは男子プロテニス協会によるコンピューターランキング制度導入以降史上初である。
ATPワールドツアー・ファイナル最多優勝記録「6回」
イワン・レンドルピート・サンプラスの5回を抜いて歴代最多。
ATPワールドツアー・ファイナル最多マッチ勝利数「44勝」
イワン・レンドルの39勝を抜いて歴代最多。

ATPツアー決勝進出結果[編集]

シングルス: 119回 (79勝40敗)[編集]

大会グレード
グランドスラム (17-8)
ATPワールドツアー・ファイナル (6-2)
オリンピック (0-1)
ATPワールドツアー・マスターズ1000 (21-15)
ATPワールドツアー・500シリーズ (13-6)
ATPワールドツアー・250シリーズ (22-8)
サーフェス別タイトル
ハード (53-16)
クレー (10-14)
芝 (14-5)
カーペット (2-5)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2000年2月13日 フランスの旗 マルセイユ カーペット (室内) スイスの旗 マルク・ロセ 6–2, 3–6, 6–7(5–7)
準優勝 2. 2000年10月29日 スイスの旗 バーゼル カーペット (室内) スウェーデンの旗 トーマス・エンクビスト 2–6, 6–4, 6–7(4–7), 6–1, 1–6
優勝 1. 2001年2月4日 イタリアの旗 ミラノ カーペット (室内) フランスの旗 ジュリアン・ブテー 6–4, 6–7(7–9), 6–4
準優勝 3. 2001年2月25日 オランダの旗 ロッテルダム ハード (室内) フランスの旗 ニコラス・エスクード 5–7, 6–3, 6–7(5–7)
準優勝 4. 2001年10月28日 スイスの旗 バーゼル カーペット (室内) イギリスの旗 ティム・ヘンマン 3–6, 4–6, 2–6
優勝 2. 2002年1月13日 オーストラリアの旗 シドニー ハード アルゼンチンの旗 フアン・イグナシオ・チェラ 6–3, 6–3
準優勝 5. 2002年2月3日 イタリアの旗 ミラノ カーペット (室内) イタリアの旗 ダビデ・サンギネッティ 6–7(2–7), 6–4, 1–6
準優勝 6. 2002年3月31日 アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード アメリカ合衆国の旗 アンドレ・アガシ 3–6, 3–6, 6–3, 4–6
優勝 3. 2002年5月19日 ドイツの旗 ハンブルク クレー ロシアの旗 マラト・サフィン 6–1, 6–3, 6–4
優勝 4. 2002年10月13日 オーストリアの旗 ウィーン ハード (室内) チェコの旗 イリ・ノバク 6–4, 6–1, 3–6, 6–4
優勝 5. 2003年2月16日 フランスの旗 マルセイユ ハード (室内) スウェーデンの旗 ヨナス・ビョルクマン 6–2, 7–6(8–6)
優勝 6. 2003年3月2日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード チェコの旗 イリ・ノバク 6–1, 7–6(7–2)
優勝 7. 2003年5月4日 ドイツの旗 ミュンヘン クレー フィンランドの旗 ヤルコ・ニエミネン 6–1, 6–4
準優勝 7. 2003年5月11日 イタリアの旗 ローマ クレー スペインの旗 フェリックス・マンティーリャ 5–7, 2–6, 6–7(8–10)
優勝 8. 2003年6月15日 ドイツの旗 ハーレ ドイツの旗 ニコラス・キーファー 6–1, 6–3
優勝 9. 2003年7月6日 イギリスの旗 ウィンブルドン オーストラリアの旗 マーク・フィリプーシス 7–6(7–5), 6–2, 7–6(7–3)
準優勝 8. 2003年7月13日 スイスの旗 グシュタード クレー チェコの旗 イリ・ノバク 7–5, 3–6, 3–6, 6–1, 3–6
優勝 10. 2003年10月12日 オーストリアの旗 ウィーン ハード (室内) スペインの旗 カルロス・モヤ 6–3, 6–3, 6–3
優勝 11. 2003年11月16日 アメリカ合衆国の旗 ヒューストン ハード アメリカ合衆国の旗 アンドレ・アガシ 6–3, 6–0, 6–4
優勝 12. 2004年2月1日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード ロシアの旗 マラト・サフィン 7–6(7–3), 6–4, 6–2
優勝 13. 2004年3月7日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード スペインの旗 フェリシアーノ・ロペス 4–6, 6–1, 6–2
優勝 14. 2004年3月21日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード イギリスの旗 ティム・ヘンマン 6–3, 6–3
優勝 15. 2004年5月16日 ドイツの旗 ハンブルク クレー アルゼンチンの旗 ギリェルモ・コリア 4–6, 6–4, 6–2, 6–3
優勝 16. 2004年6月13日 ドイツの旗 ハーレ アメリカ合衆国の旗 マーディ・フィッシュ 6–0, 6–3
優勝 17. 2004年7月4日 イギリスの旗 ウィンブルドン アメリカ合衆国の旗 アンディ・ロディック 4–6, 7–5, 7–6(7–3), 6–4
優勝 18. 2004年7月12日 スイスの旗 グシュタード クレー ロシアの旗 イゴール・アンドレエフ 6–2, 6–3, 5–7, 6–3
優勝 19. 2004年8月1日 カナダの旗 トロント ハード アメリカ合衆国の旗 アンディ・ロディック 7–5, 6–3
優勝 20. 2004年9月12日 アメリカ合衆国の旗 全米オープン ハード オーストラリアの旗 レイトン・ヒューイット 6–0, 7–6(7–3), 6–0
優勝 21. 2004年10月3日 タイ王国の旗 バンコク ハード (室内) アメリカ合衆国の旗 アンディ・ロディック 6–4, 6–0
優勝 22. 2004年11月21日 アメリカ合衆国の旗 ヒューストン ハード オーストラリアの旗 レイトン・ヒューイット 6–3, 6–2
優勝 23. 2005年1月9日 カタールの旗 ドーハ ハード クロアチアの旗 イワン・リュビチッチ 6–3, 6–1
優勝 24. 2005年2月20日 オランダの旗 ロッテルダム ハード (室内) クロアチアの旗 イワン・リュビチッチ 5–7, 7–5, 7–6(7–5)
優勝 25. 2005年2月27日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード クロアチアの旗 イワン・リュビチッチ 6–1, 6–7(6–8), 6–3
優勝 26. 2005年3月20日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード オーストラリアの旗 レイトン・ヒューイット 6–2, 6–4, 6–4
優勝 27. 2005年4月3日 アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード スペインの旗 ラファエル・ナダル 2–6, 6–7(4–7), 7–6(7–5), 6–3, 6–1
優勝 28. 2005年5月15日 ドイツの旗 ハンブルク クレー フランスの旗 リシャール・ガスケ 6–3, 7–5, 7–6(7–4)
優勝 29. 2005年6月13日 ドイツの旗 ハーレ ロシアの旗 マラト・サフィン 6–4, 6–7(6–8), 6–4
優勝 30. 2005年7月3日 イギリスの旗 ウィンブルドン アメリカ合衆国の旗 アンディ・ロディック 6–2, 7–6(7–2), 6–4
優勝 31. 2005年8月21日 アメリカ合衆国の旗 シンシナティ ハード アメリカ合衆国の旗 アンディ・ロディック 6–3, 7–5
優勝 32. 2005年9月11日 アメリカ合衆国の旗 全米オープン ハード アメリカ合衆国の旗 アンドレ・アガシ 6–3, 2–6, 7–6(7–1), 6–1
優勝 33. 2005年10月2日 タイ王国の旗 バンコク ハード (室内) イギリスの旗 アンディ・マレー 6–3, 7–5
準優勝 9. 2005年11月20日 中華人民共和国の旗 上海 カーペット (室内) アルゼンチンの旗 ダビド・ナルバンディアン 7–6(7–4), 7–6(13–11), 2–6, 1–6, 6–7(3–7)
優勝 34. 2006年1月8日 カタールの旗 ドーハ ハード フランスの旗 ガエル・モンフィス 6–3, 7–6(7–5)
優勝 35. 2006年1月29日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード キプロスの旗 マルコス・バグダティス 5–7, 7–5, 6–0, 6–2
準優勝 10. 2006年3月5日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード スペインの旗 ラファエル・ナダル 6–2, 4–6, 4–6
優勝 36. 2006年3月19日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード アメリカ合衆国の旗 ジェームズ・ブレーク 7–5, 6–3, 6–0
優勝 37. 2006年4月2日 アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード クロアチアの旗 イワン・リュビチッチ 7–6(7–5), 7–6(7–4), 7–6(8–6)
準優勝 11. 2006年4月23日 モナコの旗 モンテカルロ クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 2–6, 7–6(7–2), 3–6, 6–7(5–7)
準優勝 12. 2006年5月14日 イタリアの旗 ローマ クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 7–6(7–0), 6–7(5–7), 4–6, 6–2, 6–7(5–7)
準優勝 13. 2006年6月11日 フランスの旗 全仏オープン クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 6–1, 1–6, 4–6, 6–7(4–7)
優勝 38. 2006年6月18日 ドイツの旗 ハーレ チェコの旗 トマーシュ・ベルディハ 6–0, 6–7(4–7), 6–2
優勝 39. 2006年7月9日 イギリスの旗 ウィンブルドン スペインの旗 ラファエル・ナダル 6–0, 7–6(7–5), 6–7(2–7), 6–3
優勝 40. 2006年8月13日 カナダの旗 トロント ハード フランスの旗 リシャール・ガスケ 2–6, 6–3, 6–2
優勝 41. 2006年9月10日 アメリカ合衆国の旗 全米オープン ハード アメリカ合衆国の旗 アンディ・ロディック 6–2, 4–6, 7–5, 6–1
優勝 42. 2006年10月8日 日本の旗 東京 ハード イギリスの旗 ティム・ヘンマン 6–3, 6–3
優勝 43. 2006年10月22日 スペインの旗 マドリード ハード (室内) チリの旗 フェルナンド・ゴンサレス 7–5, 6–1, 6–0
優勝 44. 2006年10月29日 スイスの旗 バーゼル カーペット (室内) チリの旗 フェルナンド・ゴンサレス 6–3, 6–2, 7–6(7–3)
優勝 45. 2006年11月19日 中華人民共和国の旗 上海 ハード (室内) アメリカ合衆国の旗 ジェームズ・ブレーク 6–0, 6–3, 6–4
優勝 46. 2007年1月28日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード チリの旗 フェルナンド・ゴンサレス 7–6(7–2), 6–4, 6–4
優勝 47. 2007年3月3日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード ロシアの旗 ミハイル・ユージニー 6–4, 6–3
準優勝 14. 2007年4月22日 モナコの旗 モンテカルロ クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 4–6, 4–6
優勝 48. 2007年5月29日 ドイツの旗 ハンブルク クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 2–6, 6–2, 6–0
準優勝 15. 2007年6月10日 フランスの旗 全仏オープン クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 3–6, 6–4, 3–6, 4–6
優勝 49. 2007年7月8日 イギリスの旗 ウィンブルドン スペインの旗 ラファエル・ナダル 7–6(9–7), 4–6, 7–6(7–3), 2–6, 6–2
準優勝 16. 2007年8月12日 カナダの旗 モントリオール ハード セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ 6–7(2–7), 6–2, 6–7(2–7)
優勝 50. 2007年8月19日 アメリカ合衆国の旗 シンシナティ ハード アメリカ合衆国の旗 ジェームズ・ブレーク 6–1, 6–4
優勝 51. 2007年9月9日 アメリカ合衆国の旗 全米オープン ハード セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ 7–6(7–4), 7–6(7–2), 6–4
準優勝 17. 2007年10月21日 スペインの旗 マドリード ハード (室内) アルゼンチンの旗 ダビド・ナルバンディアン 6–1, 3–6, 3–6
優勝 52. 2007年10月28日 スイスの旗 バーゼル ハード (室内) フィンランドの旗 ヤルコ・ニエミネン 6–3, 6–4
優勝 53. 2007年11月18日 中華人民共和国の旗 上海 ハード (室内) スペインの旗 ダビド・フェレール 6–2, 6–3, 6–2
優勝 54. 2008年4月20日 ポルトガルの旗 エストリル クレー ロシアの旗 ニコライ・ダビデンコ 7–6(7–5), 1–2 途中棄権
準優勝 18. 2008年4月27日 モナコの旗 モンテカルロ クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 5–7, 5–7
準優勝 19. 2008年5月18日 ドイツの旗 ハンブルク クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 5–7, 7–6(7–3), 3–6
準優勝 20. 2008年6月8日 フランスの旗 全仏オープン クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 1–6, 3–6, 0–6
優勝 55. 2008年6月15日 ドイツの旗 ハーレ ドイツの旗 フィリップ・コールシュライバー 6–3, 6–4
準優勝 21. 2008年7月6日 イギリスの旗 ウィンブルドン スペインの旗 ラファエル・ナダル 4–6, 4–6, 7–6(7–5), 7–6(10–8), 7–9
優勝 56. 2008年9月8日 アメリカ合衆国の旗 全米オープン ハード イギリスの旗 アンディ・マレー 6–2, 7–5, 6–2
優勝 57. 2008年10月26日 スイスの旗 バーゼル ハード (室内) アルゼンチンの旗 ダビド・ナルバンディアン 6–3, 6–4
準優勝 22. 2009年2月1日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード スペインの旗 ラファエル・ナダル 5–7, 6–3, 6–7(3–7), 6–3, 2–6
優勝 58. 2009年5月17日 スペインの旗 マドリード クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 6–4, 6–4
優勝 59. 2009年6月7日 フランスの旗 全仏オープン クレー スウェーデンの旗 ロビン・セーデリング 6–1, 7–6(7–1), 6–4
優勝 60. 2009年7月5日 イギリスの旗 ウィンブルドン アメリカ合衆国の旗 アンディ・ロディック 5–7, 7–6(8–6), 7–6(7–5), 3–6, 16–14
優勝 61. 2009年8月23日 アメリカ合衆国の旗 シンシナティ ハード セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ 6–1, 7–5
準優勝 23. 2009年9月14日 アメリカ合衆国の旗 全米オープン ハード アルゼンチンの旗 フアン・マルティン・デル・ポトロ 6–3, 6–7(5–7), 6–4, 6–7(4–7), 2–6
準優勝 24. 2009年11月8日 スイスの旗 バーゼル ハード (室内) セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ 4–6, 6–4, 2–6
優勝 62. 2010年1月13日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード イギリスの旗 アンディ・マレー 6–3, 6–4, 7–6(13–11)
準優勝 25. 2010年5月16日 スペインの旗 マドリード クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 4–6, 6–7(5–7)
準優勝 26. 2010年6月13日 ドイツの旗 ハーレ オーストラリアの旗 レイトン・ヒューイット 6–3, 6–7(4–7), 4–6
準優勝 27. 2010年8月15日 カナダの旗 トロント ハード イギリスの旗 アンディ・マレー 5–7, 5–7
優勝 63. 2010年8月23日 アメリカ合衆国の旗 シンシナティ ハード アメリカ合衆国の旗 マーディ・フィッシュ 6–7(5–7), 7–6(7–1), 6–4
準優勝 28. 2010年10月17日 中華人民共和国の旗 上海 ハード イギリスの旗 アンディ・マレー 3–6, 2–6
優勝 64. 2010年10月24日 スウェーデンの旗 ストックホルム ハード (室内) ドイツの旗 フロリアン・マイヤー 6–4, 6–3
優勝 65. 2010年11月7日 スイスの旗 バーゼル ハード (室内) セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ 6–4, 3–6, 6–1
優勝 66. 2010年11月28日 イギリスの旗 ロンドン ハード (室内) スペインの旗 ラファエル・ナダル 6–3, 3–6, 6–1
優勝 67. 2011年1月8日 カタールの旗 ドーハ ハード ロシアの旗 ニコライ・ダビデンコ 6–3, 6–4
準優勝 29. 2011年2月26日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ 3–6, 3–6
準優勝 30. 2011年6月5日 フランスの旗 全仏オープン クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 5–7, 6–7(3–7), 7–5, 1–6
優勝 68. 2011年11月6日 スイスの旗 バーゼル ハード (室内) 日本の旗 錦織圭 6–1, 6–3
優勝 69. 2011年11月13日 フランスの旗 パリ ハード (室内) フランスの旗 ジョー=ウィルフリード・ツォンガ 6–1, 7–6(7–3)
優勝 70. 2011年11月27日 イギリスの旗 ロンドン ハード (室内) フランスの旗 ジョー=ウィルフリード・ツォンガ 6–3, 6–7(6–8), 6–3
優勝 71. 2012年2月19日 オランダの旗 ロッテルダム ハード (室内) アルゼンチンの旗 フアン・マルティン・デル・ポトロ 6–1, 6–4
優勝 72. 2012年3月3日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード イギリスの旗 アンディ・マレー 7–5, 6–4
優勝 73. 2012年3月18日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード アメリカ合衆国の旗 ジョン・イスナー 7–6(9–7), 6–3
優勝 74. 2012年5月13日 スペインの旗 マドリード クレー チェコの旗 トマーシュ・ベルディハ 3–6, 7–5, 7–5
準優勝 31. 2012年6月17日 ドイツの旗 ハーレ ドイツの旗 トミー・ハース 6–7(5–7), 4–6
優勝 75. 2012年7月8日 イギリスの旗 ウィンブルドン イギリスの旗 アンディ・マレー 4–6, 7–5, 6–3, 6–4
準優勝 32. 2012年8月5日 イギリスの旗 ロンドン五輪 イギリスの旗 アンディ・マレー 2–6, 1–6, 4–6
優勝 76. 2012年8月19日 アメリカ合衆国の旗 シンシナティ ハード セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ 6–0, 7–6(9–7)
準優勝 33. 2012年10月28日 スイスの旗 バーゼル ハード (室内) アルゼンチンの旗 フアン・マルティン・デル・ポトロ 4–6, 7–6(7–5), 6–7(3–7)
準優勝 34. 2012年11月12日 イギリスの旗 ロンドン ハード (室内) セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ 6–7(6–8), 5–7
準優勝 35. 2013年5月19日 イタリアの旗 ローマ クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 1–6, 3–6
優勝 77. 2013年6月16日 ドイツの旗 ハーレ ロシアの旗 ミハイル・ユージニー 6–7(5–7), 6–3, 6–4
準優勝 36. 2013年10月27日 スイスの旗 バーゼル ハード (室内) アルゼンチンの旗 フアン・マルティン・デル・ポトロ 6–7(3-7), 6–2, 4–6
準優勝 37. 2014年1月5日 オーストラリアの旗 ブリスベン ハード オーストラリアの旗 レイトン・ヒューイット 1–6, 6–4, 3–6
優勝 78. 2014年3月1日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード チェコの旗 トマーシュ・ベルディハ 3–6, 6–4, 6–3
準優勝 38. 2014年3月16日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ 6–3, 3–6, 6–7(3–7)
準優勝 39. 2014年4月20日 モナコの旗 モンテカルロ クレー スイスの旗 スタニスラス・ワウリンカ 6–4, 6–7(5–7), 2–6
優勝 79. 2014年6月15日 ドイツの旗 ハーレ コロンビアの旗 アレハンドロ・ファジャ 7–6(7–2), 7–6(7–3)
準優勝 40. 2014年7月6日 イギリスの旗 ウィンブルドン セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ 7–6(9–7), 4–6, 6–7(4–7), 7–5, 4–6

ダブルス: 14回 (8勝6敗)[編集]

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2000年10月29日 スイスの旗 バーゼル カーペット (室内) スロバキアの旗 ドミニク・フルバティ アメリカ合衆国の旗 ドナルド・ジョンソン
南アフリカ共和国の旗 ピート・ノーバル
6–7(11–13), 6–4, 6–7(4–7)
優勝 1. 2001年2月25日 オランダの旗 ロッテルダム ハード
(室内)
スウェーデンの旗 ヨナス・ビョルクマン チェコの旗 ペトル・パラ
チェコの旗 パベル・ビズネル
6–3, 6–0
優勝 2. 2001年7月15日 スイスの旗 グシュタード クレー ロシアの旗 マラト・サフィン オーストラリアの旗 マイケル・ヒル
アメリカ合衆国の旗 ジェフ・タランゴ
0–1, 途中棄権
優勝 3. 2002年2月24日 オランダの旗 ロッテルダム ハード
(室内)
ベラルーシの旗 マックス・ミルヌイ バハマの旗 マーク・ノールズ
カナダの旗 ダニエル・ネスター
4–6, 6–3, [10–4]
準優勝 2. 2002年3月17日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード ベラルーシの旗 マックス・ミルヌイ バハマの旗 マーク・ノールズ
カナダの旗 ダニエル・ネスター
4–6, 4–6
優勝 4. 2002年10月6日 ロシアの旗 モスクワ カーペット (室内) ベラルーシの旗 マックス・ミルヌイ オーストラリアの旗 ジョシュア・イーグル
オーストラリアの旗 サンドン・ストール
6–4, 7–6(7–0)
準優勝 3. 2003年2月23日 オランダの旗 ロッテルダム ハード
(室内)
ベラルーシの旗 マックス・ミルヌイ オーストラリアの旗 ウェイン・アーサーズ
オーストラリアの旗 ポール・ハンリー
6–7(4–7), 2–6
優勝 5. 2003年3月30日 アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード ベラルーシの旗 マックス・ミルヌイ インドの旗 リーンダー・パエス
チェコの旗 デビッド・リクル
7–5, 6–3
優勝 6. 2003年10月12日 オーストリアの旗 ウィーン ハード
(室内)
スイスの旗 イブ・アレグロ インドの旗 マヘシュ・ブパシ
ベラルーシの旗 マックス・ミルヌイ
7–6(9–7), 7–5
準優勝 4. 2004年10月3日 タイ王国の旗 バンコク ハード
(室内)
スイスの旗 イブ・アレグロ アメリカ合衆国の旗 ジャスティン・ギメルストブ
アメリカ合衆国の旗 グレイドン・オリバー
7–5, 4–6, 4–6
優勝 7. 2005年6月12日 ドイツの旗 ハーレ スイスの旗 イブ・アレグロ スウェーデンの旗 ヨアキム・ヨハンソン
ロシアの旗 マラト・サフィン
7–5, 6–7(6–8), 6–3
優勝 8. 2008年8月16日 中華人民共和国の旗 北京五輪 ハード スイスの旗 スタニスラス・ワウリンカ スウェーデンの旗 シーモン・アスペリン
スウェーデンの旗 トーマス・ヨハンソン
6–3, 6–4, 6–7(4–7), 6–3
準優勝 5. 2011年3月19日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード スイスの旗 スタニスラス・ワウリンカ ウクライナの旗 アレクサンドル・ドルゴポロフ
ベルギーの旗 グザビエ・マリス
4–6, 7–6(7–5), [7–10]
準優勝 6. 2014年6月15日 ドイツの旗 ハーレ スイスの旗 マルコ・キウディネッリ ドイツの旗 アンドレ・ベゲマン
オーストリアの旗 ジュリアン・ノウル
6–1, 5–7, [10–12]

4大大会優勝[編集]

  • 全豪オープン:4勝(2004,06&07,10年)〔準優勝1度:2009年〕 歴代2位タイ。(オープン化後では歴代1位タイ)
  • 全仏オープン:1勝(2009年)〔準優勝4度:2006-08,11年〕
  • ウィンブルドン:7勝(2003-07,09,12年)〔準優勝2度:2008,14年〕 歴代1位タイ。
  • 全米オープン:5勝(2004-08年)〔準優勝1度:2009年〕 歴代4位タイ。(オープン化後では歴代1位タイ)
大会 対戦相手 試合結果
2003年 ウィンブルドン オーストラリアの旗 マーク・フィリプーシス 7-6, 6-2, 7-6
2004年 全豪オープン ロシアの旗 マラト・サフィン 7-6, 6-4, 6-2
2004年 ウィンブルドン アメリカ合衆国の旗 アンディ・ロディック 4-6, 7-5, 7-6, 6-4
2004年 全米オープン オーストラリアの旗 レイトン・ヒューイット 6-0, 7-6, 6-0
2005年 ウィンブルドン アメリカ合衆国の旗 アンディ・ロディック 6-2, 7-6, 6-4
2005年 全米オープン アメリカ合衆国の旗 アンドレ・アガシ 6-3, 2-6, 7-6, 6-1
2006年 全豪オープン キプロスの旗 マルコス・バグダティス 5-7, 7-5, 6-0, 6-2
2006年 ウィンブルドン スペインの旗 ラファエル・ナダル 6-0, 7-6, 6-7, 6-3
2006年 全米オープン アメリカ合衆国の旗 アンディ・ロディック 6-2, 4-6, 7-5, 6-1
2007年 全豪オープン チリの旗 フェルナンド・ゴンサレス 7-6, 6-4, 6-4
2007年 ウィンブルドン スペインの旗 ラファエル・ナダル 7-6, 4-6, 7-6, 2-6, 6-2
2007年 全米オープン セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ 7-6, 7-6, 6-4
2008年 全米オープン イギリスの旗 アンディ・マレー 6-2, 7-5, 6-2
2009年 全仏オープン スウェーデンの旗 ロビン・セーデリング 6-1, 7-6, 6-4
2009年 ウィンブルドン アメリカ合衆国の旗 アンディ・ロディック 5-7, 7-6, 7-6, 3-6, 16-14
2010年 全豪オープン イギリスの旗 アンディ・マレー 6-3, 6-4, 7-6
2012年 ウィンブルドン イギリスの旗 アンディ・マレー 4-6, 7-5, 6-3, 6-4
テニス4大大会男子シングルス優勝記録
順位 優勝回数 選手名
1位 17勝 *スイスの旗 ロジャー・フェデラー
2位タイ 14勝 アメリカ合衆国の旗 ピート・サンプラス | *スペインの旗 ラファエル・ナダル
4位 12勝 オーストラリアの旗 ロイ・エマーソン
5位タイ 11勝 オーストラリアの旗 ロッド・レーバー | スウェーデンの旗 ビョルン・ボルグ
7位 10勝 アメリカ合衆国の旗 ビル・チルデン
8位タイ 8勝 イギリスの旗 フレッド・ペリー | オーストラリアの旗 ケン・ローズウォール | アメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズ | チェコスロバキアの旗 イワン・レンドル | アメリカ合衆国の旗 アンドレ・アガシ
*は現役選手

4大大会シングルス成績[編集]

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 通算成績
全豪オープン LQ 3R 3R 4R 4R W SF W W SF F W SF SF SF SF 73–11
全仏オープン 1R 4R QF 1R 1R 3R SF F F F W QF F SF QF 4R 61–15
ウィンブルドン 1R 1R QF 1R W W W W W F W QF QF W 2R F 73–9
全米オープン LQ 3R 4R 4R 4R W W W W W F SF SF QF 4R 67–9

: 2004年全米4回戦、2007年ウィンブルドン4回戦、2012年全豪2回戦、2012年全米4回戦の不戦勝は通算成績に含まない

脚注[編集]

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外部リンク[編集]