ロジャー・フェデラー
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ロジャー・フェデラー |
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|---|---|---|
| 基本情報 | ||
| ラテン文字名 | Roger Federer | |
| 国籍 | ||
| 出身地 | 同・バーゼル | |
| 生年月日 | 1981年8月8日(27歳) | |
| 身長 | 185cm | |
| 体重 | 80kg | |
| 利き手 | 右 | |
| バックハンド | 片手打ち | |
| ツアー経歴 | ||
| デビュー年 | 1998年 | |
| ツアー通算 | 68勝 | |
| シングルス | 60勝 | |
| ダブルス | 8勝 | |
| 4大大会最高成績・シングルス | ||
| 全豪 | 優勝(2004・06・07) | |
| 全仏 | 優勝(2009) | |
| 全英 | 優勝(2003-2007・09) | |
| 全米 | 優勝(2004-2008) | |
| 優勝回数 | 15(豪3・仏1・英6・米5) | |
| 4大大会最高成績・ダブルス | ||
| 全豪 | 3回戦(2003) | |
| 全仏 | 1回戦(2000) | |
| 全英 | ベスト8(2000) | |
| 全米 | 3回戦(2002) | |
| キャリア自己最高ランキング | ||
| シングルス | 1位(通算237週) | |
| ダブルス | 24位 | |
| オリンピック | ||
|---|---|---|
| 男子 テニス | ||
| 金 | 2008 | ダブルス |
ロジャー・フェデラー(Roger Federer, 1981年8月8日 - )は、スイス・バーゼル出身の男子プロテニス選手。現在の男子プロテニス界を牽引するオールラウンド・プレーヤーである。身長185cm、体重80kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。数々の記録を打ちたて、史上最高のテニスプレーヤーとの呼び声も高い[1][2]。
男子史上6人目となるキャリア・グランドスラムを達成した。男子シングルス4大大会15勝は歴代1位の記録。
目次 |
[編集] 略歴
- 1998年 プロデビュー。
- 2000年 シドニー五輪の男子シングルスでベスト4進出。
- 2001年 ウィンブルドンで大会4連覇中のピート・サンプラスを4回戦で破る。
- 2003年 ウィンブルドンで4大大会初優勝。
- 2004年 全豪オープン・ウィンブルドン・全米オープンで4大大会年間3冠を獲得。2月2日から世界ランキング1位になる。
- 2005年 ウィンブルドン・全米オープン優勝で4大大会2冠を獲得。
- 2006年 全ての4大大会で決勝進出。全仏オープンのみ準優勝。他の3大会で優勝。10月に初来日し、AIGジャパン・オープンで優勝。歴代1位の年間獲得賞金額を記録。
- 2007年 全ての4大大会で決勝進出。全仏オープンのみ準優勝。他の3大会で優勝。全豪オープンにて4大大会史上4人目の全試合ストレート勝ちによる優勝。ウィンブルドンで「5連覇」を達成。世界ランキング1位連続保持記録でも世界最長記録を更新し、12月2日には史上初の「200週」に到達。
- 2008年 全豪オープン準決勝で敗れ、4大大会連続決勝進出記録が「10大会」で止まる。ウィンブルドン決勝で敗れ、芝生コートでの連勝記録が65、ウィンブルドンでの連勝記録が40、同選手権の連続優勝が5で止まる。北京五輪の男子ダブルスでスタニスラス・ワウリンカと組んで金メダルを獲得。8月18日、世界ランキング1位連続保持記録が「237週」で止まる。全米オープンで「5連覇」を達成。
- 2009年 全仏オープン初優勝。キャリア・グランドスラム達成。ウィンブルドンで4大大会優勝回数男子歴代単独1位となる15勝目を記録。
[編集] 選手経歴
[編集] プロ入りから4大大会初優勝へ
フェデラーはボリス・ベッカーに憧れて、8歳からテニスを始めた。1998年ウィンブルドンの男子ジュニア部門で単複優勝を果たし、同年にプロ転向。2000年シドニー五輪の男子シングルスでベスト4に進出し、銅メダル決定戦でフランスのアルノー・ディパスカルに敗れたが、その直後から急成長を始めた。
2001年ウィンブルドン4回戦、同選手権で既に7度の優勝を誇り前年まで4連覇中だった第1シードのピート・サンプラスを3時間41分のフルセット(スコア:7-6, 5-7, 6-4, 6-7, 7-5)で破った。1993年~2000年までの8年間を通して、サンプラスが同選手権の優勝を逃したのは1996年大会の1度だけであったため、この試合はサンプラス時代の終焉が近いことを告げる出来事となった。快挙を成し遂げた19歳のフェデラーは大きな注目を集めた。
それから2年後、2003年ウィンブルドンの男子シングルス決勝でマーク・フィリプーシス(オーストラリア)を 7-6, 6-2, 7-6 のストレートで破り、4大大会初優勝を達成する。こうしてフェデラーは、スイス出身の男子テニス選手として最初の4大大会優勝者になった。
[編集] 世界1位へ
2004年には全豪オープン、ウィンブルドン、全米オープンの年間3冠を獲得したが、これは1988年のマッツ・ビランデル以来16年ぶりの快挙であった。この年はATPツアーでも年間11勝を挙げている。全豪オープン初優勝の後、2004年2月2日から世界ランキング1位の座についた。2004年のアテネ五輪開会式でスイス選手団の旗手を務めたが、テニス競技ではシングルス2回戦でチェコ代表のトマシュ・ベルディヒに 6-4, 5-7, 5-7 で敗れた。
2005年もウィンブルドンと全米オープンで優勝し、4大大会年間2冠を獲得する。ウィンブルドンでは2年連続の決勝対決となったアンディ・ロディックに快勝し、大会史上8人目となる3連覇を達成。全米オープンではアンドレ・アガシを 6-3, 2-6, 7-6, 6-1 で破り、大会2連覇を果たす。男子テニス年間最終戦テニス・マスターズ・カップでは、決勝でダビド・ナルバンディアン(アルゼンチン)に 7-6, 7-6, 2-6, 1-6, 6-7 で逆転負けを喫した。
[編集] 2006年
2006年全豪オープンでは決勝でキプロスの新星マルコス・バグダティスに勝ち、2年ぶり2度目の優勝。4大大会決勝初進出から「7連勝」はテニス史上の新記録となった。ところが、全仏オープンの決勝戦で、苦手のラファエル・ナダルに 6-1, 1-6, 4-6, 6-7 で敗れてしまい、初めての準優勝を全仏で経験した。
ウィンブルドンでは1回戦でリシャール・ガスケ(フランス)を破った勝利により、スウェーデンのビョルン・ボルグが持っていた芝生コートの最多連勝記録「41連勝」を更新した。同大会の決勝戦では、全仏決勝で敗れたナダルに雪辱を果たす。同年の全米オープンでは年間3冠とともに、史上3人目の大会3連覇を達成した。
10月、AIGジャパン・オープン(AIGオープン)で初来日した。決勝ではティム・ヘンマンを 6-3, 6-3 のストレートで破って優勝した。この大会の準々決勝では、当時1078位だった日本の鈴木貴男選手に 4-6, 7-5, 7-6 と苦戦する場面もあった。
11月に開催されたテニス・マスターズ・カップでは、決勝戦でジェームズ・ブレークを 6-0, 6-3, 6-4 のストレートで破り、2年ぶり3度目の優勝を果たす。これでフェデラーの2006年度のATPツアー優勝は、4大大会年間3冠を含む「12勝」となり、史上初となる「3年連続・年間10勝以上」をマークした。年間獲得賞金では、ピート・サンプラスが1997年に記録した金額を大幅に更新する約843万ドルという歴代最高記録を残した。
[編集] 2007年
2007年全豪オープンでは、初戦から決勝までの7戦を1セットも失わず、2年連続3度目の優勝を達成した。4大大会男子シングルスにおける全試合ストレート勝ちは、1980年全仏オープンのビョルン・ボルグ以来27年ぶり史上4人目で、全豪オープンでは1971年のケン・ローズウォール以来36年ぶりであった。2月26日、フェデラーの世界ランキング1位連続保持記録は「161週」に入り、それまでの男子歴代1位記録保持者ジミー・コナーズの「160週」を抜いた。
全仏オープンでは、2年連続でラファエル・ナダルに敗れて準優勝になる。この後、ナダルとはウィンブルドンでも決勝で対戦し、フェデラーの4大大会決勝戦としては初めて最終第5セットまでもつれ、同大会がオープン化されて以降、史上3番目に長い「3時間45分」という激戦の末、この宿敵を 7-6, 4-6, 7-6, 2-6, 6-2 で退け、ウィンブルドンで1976年~1980年のビョルン・ボルグ以来となる「5連覇」を達成した。なお、この決勝戦でフェデラーが放ったサービスエース24本は、彼のキャリア最高タイ記録である(2001年のウィンブルドン4回戦、対ピート・サンプラス戦でも同数のサービスエースを記録している)。
8月19日、フェデラーはシンシナティ・マスターズ決勝でジェームズ・ブレークを破り、ATPツアーでシングルス「50勝」を挙げた。26歳11日での50勝到達は、男子ツアー史上5番目の年少記録となる。8月27日、彼の世界ランキング1位連続保持記録は「187週」に入り、女子歴代1位記録保持者シュテフィ・グラフの「186週」も抜いて、テニス界最長記録を更新した。12月2日、彼は史上初めて世界ランキング1位連続保持記録を「200週」に乗せた。
[編集] 2008年
2008年全豪オープンでは大会前に食中毒を起こしたこともあり、3回戦でヤンコ・ティプサレビッチとフルセット(4時間27分)を戦うなどそれまでにない苦戦が続き、準決勝でノバク・ジョコビッチに 5-7, 3-6, 6-7 で敗れ、全豪3連覇を逃した。この敗戦により、2005年ウィンブルドンから続いてきた4大大会連続決勝進出記録が「10大会」で止まった。全仏オープン決勝では、宿敵のナダルに 1-6, 3-6, 0-6 のストレートで完敗し、同大会で3年連続の準優勝に終わった。全仏オープンでの対ナダル戦は4連敗となる。さらにウィンブルドン決勝でも、それまでの同大会男子シングルスの決勝最長試合時間「4時間48分」と最多ゲーム数「62」を記録する激闘の末、4-6, 4-6, 7-6, 7-6, 7-9 のフルセットでナダルに敗れ、ウィリアム・レンショー(1881年~1886年)以来となる122年ぶりの6連覇達成はならなかった。
北京五輪で、フェデラーは2大会連続でスイス代表の旗手を務めた。男子シングルスでは準々決勝でジェームズ・ブレークに 4-6, 6-7 のストレートで敗れたが、スタニスラス・ワウリンカと組んだ男子ダブルスでは、決勝でスウェーデン代表のサイモン・アスペリン&トーマス・ヨハンソン組を 6-3, 6-4, 6-7, 6-3 で破って優勝し、金メダルを獲得した。オリンピック翌週の8月18日、フェデラーは世界ランキング1位の座をナダルに明け渡し、世界ランキング1位連続保持記録は「237週」で止まった。第2シードで迎えた全米オープンでは、決勝でアンディ・マレーを 6-2, 7-5, 6-2 のストレートで破って優勝し、全米選手権の5連覇を達成した。これは、1920年~1925年にかけて6連覇したビル・チルデン以来84年ぶりとなる(チルデンの5連覇目だった1924年から起算している)。この年は年間最終戦テニス・マスターズ・カップでも予選敗退に終わり(予選のラウンド・ロビンでジル・シモンとアンディ・マレーに敗れたため)ツアーのシングルス年間優勝は「4勝」止まりに終わり、2003年以来、マスターズ・シリーズ無冠に終わった。
この年「世界ランキング1位連続保持記録」・「芝生コートでの連勝記録」・「4大大会での連続決勝進出記録」などがことごとく途絶え、それまでにないような呆気ない負け方も見られたことから、フェデラー時代の終焉も囁かれ始めていた[3]。
[編集] 2009年
2009年全豪オープンでは4回戦でチェコのトマシュ・ベルディヒに2セットダウンに追い込まれ苦戦するも、準々決勝でアルゼンチンの新星フアン・マルティン・デル・ポトロを2つのベーグルで一蹴する。サンプラスの持つ4大大会最多優勝記録14回に並ぶ最多タイ記録がかかった決勝ではフルセット、4時間19分の激戦の末に惜しくもナダルに敗れ、試合後の受賞式のスピーチでは涙する場面もあった。その後、3月のマイアミ・マスターズ準決勝でジョコビッチに敗れた試合では、珍しくラケットを叩きつけ、破壊し、放り投げるシーンも見られた。
全仏直前のクレーコートのマドリード・マスターズではナダルに6-4、6-4で勝利し、ナダルのクレーコートでの連勝を33で止め、また自身の対ナダル戦の連敗も5で止め、通算15度目となるマスターズ優勝を飾った。
2009年全仏オープンでは2回戦のホセ・アカスソ、4回戦のトミー・ハースに苦戦するも着実に勝ち上がり、20大会連続4大大会準決勝以上を記録した。4大大会での決勝進出回数も、イワン・レンドルと並んで歴代1位タイとなる19回目を記録した。決勝ではロビン・ソデルリング(スェーデン)を 6-1, 7-6, 6-4 のストレートで破り、全仏オープン初優勝を果たし、男子史上6人目となるキャリア・グランドスラムを達成するとともに、4大大会の優勝回数でピート・サンプラスと並ぶ14勝目をあげ、歴代1位タイとなった。
2009年ウィンブルドンでは、準々決勝でイボ・カルロビッチを破って21大会連続4大大会準決勝以上進出を決めた。準決勝ではトミー・ハースを破って4大大会での決勝進出回数を20回に伸ばし、19回のイワン・レンドルの記録を抜いて歴代最多記録を樹立した。決勝では昨年の決勝で記録した同大会男子シングルスの決勝最多ゲーム数を更新する「77」ゲームの激戦の末、アンディ・ロディックを 5-7, 7-6, 7-6, 3-6, 16-14 のフルセットで下し、2年ぶり6回目の優勝を果たすと共に、4大大会優勝回数で男子歴代単独1位となる15勝目を記録した。
尚、ウィンブルドンでの7年連続の準決勝・決勝進出は、共に現行のトーナメント方式になった1922年以降初めての記録。また、全仏・ウィンブルドンの同一年度での優勝は、前年のラファエル・ナダルに続いて、1968年のオープン化以降史上3人目となる。
[編集] その他経歴
慈善活動にも熱心に取り組んでおり、2003年にはロジャー・フェデラー基金を設立し、アフリカの子供たちの支援や、タイでおきた津波災害のときも自ら率先してチャリティイベントを企画して募金活動を行うなど、その活動はスポーツの枠を超えて世界中から高く評価されている。 2006年4月には、ユニセフ親善大使にも任命され、ユニセフとATPが結ぶグローバル・パートナーシップであるACE(Assisting Children Everywhere)という活動の中心人物として、世界中の子どもたちに健康と教育の機会を確保し、様々な困難から子どもたちを守るためのプログラムを推進している[1]。
2005年~2008年の4年連続で「ローレウス・スポーツ賞」の男子最優秀選手賞を受賞した。2000年に創設されたこの世界的なスポーツ賞で、男子最優秀選手賞の4年連続受賞は史上初めてである。
[編集] プレースタイル
史上最強のオールラウンダー、ロジャー・フェデラーのプレーは現役アスリートの最高峰として過去の名選手や現役のライバルたちから絶賛されている。非常に難しいショットでも鮮やかにやってのけてしまうため、フェデラーのテニスを見ていると「テニスが簡単に見えてしまう」と言われる[要出典][誰?]。
流れる様な美しいフォームから放たれるフォアハンドは彼の最大の武器で、パワー・スピード・コースなどあらゆる面で最高の完成度を誇る。その特徴は、深さと角度を自在にコントロールできるという点にある。他の誰よりも優れているのは力の加減であり、極力リラックスした状態からインパクトの瞬間に、必要なタイミングで必要な分だけ手首を解放する技術に長けている[4]。
彼独特の片手打ちバックハンドも随一の美しさを持ち、欠点の少ない武器となっている。トップスピンとスライスを巧みに使い分け、相手の強打にも負けずに打ち返せるし、チャンスが来れば、バックでエースを取ることもできる[5]。しかし、片手打ち特有の弱点に漬け込んだバック側の集中攻撃を受けてプレーを崩される事があり、現在はその戦略に対抗するべくフォームを調整している。
「ゴッドハンド」とも称される天性のラケットタッチを持ち[6]、幅広い打点に対応する能力と精密かつ多彩なショットを両立させている。高い技術が要求されるボールの上がり際を叩くライジングショットは正に巧みなラケットタッチによるもので、彼が得意とする攻撃力抜群のショットである。故に、ベースラインから下がって打つ事は少なく、早いテンポで打ち返すので、相手に時間的余裕を与えず畳み掛ける事が出来る。カウンターやパッシングにもよく用いる。
ネットプレーにも非凡さが発揮される。自在なタッチで相手を翻弄する時もあれば、スイングボレーやハイボレー、高いロブのスマッシュなども鮮やかにやってのける。サーブ&ボレーの織り交ぜ方が効果的で、決定力が高い。ボレーは、リストが強くラケットの支えが非常にしっかりしているが、柔らかさも備えている。しっかり打つことも、繊細なタッチで微妙なコントロールもできる「強さと柔らかさ」を両立させている点が最大の特徴と言える[7]。
サービスも同様に美しい無駄のないフォームが特徴。両足を閉じた状態でジャンプしてインパクトへ向うため、重心移動が少ない分だけパワーでは劣るものの精度が増し、相手に予測を許さず、どのコースにも自在に打てることが大きな武器になっている[8]。1stで良く使うフラットサーブは190~210km/hが中心。170km/h台のスライスサーブもキレが鋭い。2ndサーブは主に高く跳ねるキックサーブを使う事が多い。サーブにおける彼の強みは、球種や狙い所に関係なくほぼ同じ動作の中から打てる事で、相手に的を絞らせない[9]。いわゆるビッグ・サーバーにも引けを取らないサービス・エースの数を量産しているのは そのためである。ティム・ヘンマンは「とにかく読みづらい。最速でも最強でもない。エースもそれほど多くないが、後のプレーに効いてくる。」と、その威力を証言した[10]。 しかし、体のことを考慮し、サービスの練習はオフシーズンなどの時間があるとき以外、ほとんどしていないという[11]。
リターンにも隙はなく、200km/hを超える様な高速サーブにも素早く的確に対応する。高速サーブに対しては、その速さを利用するいわゆるブロック・リターンを多用するが、決して甘く返球する事無く相手に付け入る隙を与えない。余裕がある時や勝負どころではフルスイングで叩き返すが、基本的には冷静に対処する。リターンのポジションは主にベースライン付近、またはその内側にとる事が多い。これも打ち返すタイミングを早める事で、相手に時間的余裕を与えずにゲームの主導権を握ろうとする目的がある。
フットワークも美しく、足運びが軽やかでショットを打つポジションに入るのが早く的確。彼の魅力である一連の動きの美しさはこの要素が大きく貢献している。
決勝での高い勝率が示す通りメンタル面も非常に強靭で、試合の行方を左右する局面での集中力は驚異的である。自らのチャンスの場面では一気に畳みかけて試合の主導権を握り、またピンチの場面でもプレッシャーを撥ね退けて最高のパフォーマンスを発揮して危機を脱する。選手のメンタル面の強さを測る上で一つのバロメーターとなるタイブレークの奪取率も高い。基本的にプレー中は“ポーカー・フェース”を貫く冷静な試合巧者である。ジュニア時代は意外にも、試合中に癇癪を起こしたりラケットを投げつけたりとマナーの悪い選手であったが、メンタルトレーニングを経て今の彼になった。
技術面、肉体面、精神面、何れにおいても高い完成度を誇り、その強さはとりわけハードコート・グラスコートで圧倒的に際立つが、特定のサーフェスを苦にすることなく全てのサーフェスで素晴らしい成績を残している。
[編集] 各種記録一覧
[編集] 4大大会
- 最多優勝回数「15勝」
- ピート・サンプラスの14勝を抜いて歴代1位の記録。
- 最多決勝進出記録「20大会」
- イワン・レンドル19大会を抜いて歴代1位の記録。
- 連続決勝進出記録「10大会」
- 2005年ウィンブルドン~2007年全米オープンにかけて記録。1933年全豪選手権~1934年ウィンブルドンまで「7大会」連続で進出したジャック・クロフォード(オーストラリア)の記録を上回る新記録を樹立。2006年・2007年の全仏オープン以外は全てに勝利。
- 連続準決勝以上進出記録「21大会」
- 2004年ウィンブルドン~2009年ウィンブルドンにかけて記録(現在も継続中)。イワン・レンドルとロッド・レーバーの10大会連続を大きく更新中。
- 初の決勝進出からの決勝連勝記録「7連勝」
- 2003年ウィンブルドン~2006年全豪オープンにかけて記録。
- 全試合ストレート勝ち
- 2007年全豪オープンで達成。男子テニス史上4人目の記録で、全豪オープンでは1971年のケン・ローズウォール以来となる。
[編集] その他
- 世界ランキング1位連続保持記録
- 2004年2月2日~2008年8月18日までの「237週」は、男女を通じた世界最長記録。2007年2月26日にジミー・コナーズの男子歴代1位記録「160週」を抜き、同年8月27日にシュテフィ・グラフの女子歴代1位記録「186週」をも更新。同年12月2日付で史上初の「200週」に到達。2008年8月18日、ナダルが世界ランキング1位となり、記録は「237週」で止まった。
- 芝生コートでの連勝記録「65連勝」
- 芝生コートにおける歴代最多連勝。ビョルン・ボルグの41連勝を更新。2008年ウィンブルドン決勝でナダルに敗れるまでの記録。
- 男子プロテニスツアー決勝戦での連勝記録「24連勝」
- 2003年10月のバンク・オーストリア・テニスカップから2005年の年間最終戦マスターズ・カップの決勝戦でダビド・ナルバンディアン(アルゼンチン)に敗れるまでの記録。
- 年間獲得賞金「843万ドル」
- 2006年に記録。ピート・サンプラスが保持していた歴代1位の記録を更新。
- 通算獲得賞金「4331万7870ドル」(2008年10月16日時点)[12]
- ピート・サンプラスが保持していた歴代1位の記録「4328万489ドル」を更新中。
- 3年連続年間10勝以上
- 2004年~2006年の記録。男子プロテニス協会によるコンピューター・ランキング導入以降史上初。
[編集] 4大大会優勝
- 全豪オープン:3勝(2004年,2006年~2007年)
- 全仏オープン:1勝(2009年)〔準優勝3度:2006~2008年〕
- ウィンブルドン:6勝(2003年~2007年,2009年)〔準優勝1度:2008年〕
- 全米オープン:5勝(2004年~2008年)
| 年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
|---|---|---|---|
| 2003年 | ウィンブルドン | 7-6, 6-2, 7-6 | |
| 2004年 | 全豪オープン | 7-6, 6-4, 6-2 | |
| 2004年 | ウィンブルドン | 4-6, 7-5, 7-6, 6-4 | |
| 2004年 | 全米オープン | 6-0, 7-6, 6-0 | |
| 2005年 | ウィンブルドン | 6-2, 7-6, 6-4 | |
| 2005年 | 全米オープン | 6-3, 2-6, 7-6, 6-1 | |
| 2006年 | 全豪オープン | 5-7, 7-5, 6-0, 6-2 | |
| 2006年 | ウィンブルドン | 6-0, 7-6, 6-7, 6-3 | |
| 2006年 | 全米オープン | 6-2, 4-6, 7-5, 6-1 | |
| 2007年 | 全豪オープン | 7-6, 6-4, 6-4 | |
| 2007年 | ウィンブルドン | 7-6, 4-6, 7-6, 2-6, 6-2 | |
| 2007年 | 全米オープン | 7-6, 7-6, 6-4 | |
| 2008年 | 全米オープン | 6-2, 7-5, 6-2 | |
| 2009年 | 全仏オープン | 6-1, 7-6, 6-4 | |
| 2009年 | ウィンブルドン | 5-7, 7-6, 7-6, 3-6, 16-14 |
| テニス4大大会男子シングルス優勝記録 | ||
|---|---|---|
| 順位 | 優勝回数 | 選手名 |
| 1位 | 15勝 | * |
| 2位 | 14勝 | |
| 3位 | 12勝 | |
| 4位タイ | 11勝 | |
| 6位 | 10勝 | |
| 7位タイ | 8勝 | |
| 12位タイ | 7勝 | |
| *は現役選手 | ||
[編集] 脚注
- ^ a b ロジャー・フェデラーの足跡
- ^ サンプラス「フェデラーは史上最高の選手」
- ^ Sports@nifty「フェデラー敗れる!!」
- ^ 手首の解放が抜群にうまいフォアハンド
- ^ 世界一のオールラウンドプレイを支える多彩なバックハンド
- ^ “ゴッドハンド”と呼ばれる天才的なボールタッチが武器
- ^ 強さと柔らかなタッチが両立した現役最高のボレーヤー
- ^ フェデラー自在サーブ、「超ライジング」も
- ^ サーブに頼ってはいないがエースを取るには十分な威力
- ^ tennis365.net 2006年7月1日
- ^ 長塚京子 公式ブログ
- ^ フェデラーが歴代最多賞金
[編集] 外部リンク
- ロジャー・フェデラー公式ホームページ
- ロジャー・フェデラー - ATPツアーのプロフィール(英語)
- デビスカップ成績表
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| (1905年)ロドニー・ヒース | (1906年)アンソニー・ワイルディング | (1907年)ホーレス・ライス | (1908年)フレッド・アレクサンダー | (1909年)アンソニー・ワイルディング | (1910年)ロドニー・ヒース | (1911年)ノーマン・ブルックス | (1912年)ジェームズ・パーク | (1913年)アーニー・パーカー | (1914年)アーサー・オハラウッド | (1915年)ゴードン・ロウ | 1916年-18年 第一次世界大戦 | (1919年)アルガーノン・キングスコート | (1920年)パット・オハラウッド | (1921年)リス・ゲメル | (1922年)ジェームズ・アンダーソン | (1923年)パット・オハラウッド | (1924年・25年)ジェームズ・アンダーソン | (1926年)ジョン・ホークス | (1927年)ジェラルド・パターソン | (1928年)ジャン・ボロトラ | (1929年)コリン・グレゴリー | (1930年)エドガー・ムーン | (1931年-33年)ジャック・クロフォード | (1934年)フレッド・ペリー | (1935年)ジャック・クロフォード | (1936年)エイドリアン・クイスト | (1937年)ビビアン・マグラス | (1938年)ドン・バッジ | (1939年)ジョン・ブロムウィッチ | (1940年)エイドリアン・クイスト | 1941年-45年 第二次世界大戦 | (1946年)ジョン・ブロムウィッチ | (1947年)ディニー・ペイルズ | (1948年)エイドリアン・クイスト | (1949年・50年)フランク・セッジマン | (1951年)ディック・サビット | (1952年)ケン・マグレガー | (1953年)ケン・ローズウォール | (1954年)メルビン・ローズ | (1955年)ケン・ローズウォール | (1956年)ルー・ホード | (1957年・58年)アシュレー・クーパー | (1959年)アレックス・オルメド | (1960年)ロッド・レーバー | (1961年)ロイ・エマーソン | (1962年)ロッド・レーバー | (1963年-67年)ロイ・エマーソン | (1968年)ビル・ボウリー |
| オープン化時代(1968年以後) |
| オープン化以後 | (1969年)ロッド・レーバー | (1970年)アーサー・アッシュ | (1971年・72年)ケン・ローズウォール | (1973年)ジョン・ニューカム | (1974年)ジミー・コナーズ | (1975年)ジョン・ニューカム | (1976年)マーク・エドモンドソン | (1977年1月)ロスコー・タナー | (1977年12月)ビタス・ゲルレイティス | (1978年・79年)ギレルモ・ビラス | (1980年)ブライアン・ティーチャー | (1981年・82年)ヨハン・クリーク | (1983年・84年)マッツ・ビランデル | (1985年)ステファン・エドベリ | (1986年)大会開催なし | (1987年)ステファン・エドベリ | (1988年)マッツ・ビランデル | (1989年・90年) イワン・レンドル | (1991年)ボリス・ベッカー | (1992・93年)ジム・クーリエ | (1994年)ピート・サンプラス | (1995年)アンドレ・アガシ | (1996年)ボリス・ベッカー | (1997年)ピート・サンプラス | (1998年)ペトル・コルダ | (1999年)エフゲニー・カフェルニコフ | (2000年・01年)アンドレ・アガシ | (2002年)トーマス・ヨハンソン | (2003年)アンドレ・アガシ | (2004年)ロジャー・フェデラー | (2005年)マラト・サフィン | (2006年・07年)ロジャー・フェデラー | (2008年)ノバク・ジョコビッチ | (2009年)ラファエル・ナダル | |
| 1925年以後 | (1925年)ルネ・ラコステ | (1926年)アンリ・コシェ | (1927年)ルネ・ラコステ | (1928年)アンリ・コシェ | (1929年)ルネ・ラコステ | (1930年)アンリ・コシェ | (1931年)ジャン・ボロトラ | (1932年)アンリ・コシェ | (1933年)ジャック・クロフォード | (1934年)ゴットフリート・フォン・クラム | (1935年)フレッド・ペリー | (1936年)ゴットフリート・フォン・クラム | (1937年)ヘンナー・ヘンケル | (1938年)ドン・バッジ | (1939年)ドン・マクニール | 1940年-45年 第二次世界大戦 | (1946年)マルセル・ベルナール | (1947年)ヨージェフ・アシュボード | (1948年・49年)フランク・パーカー | (1950年)バッジ・パティー | (1951年・52年)ヤロスラフ・ドロブニー | (1953年)ケン・ローズウォール | (1954年・55年)トニー・トラバート | (1956年)ルー・ホード | (1957年)スベン・デビッドソン | (1958年)メルビン・ローズ | (1959年・60年)ニコラ・ピエトランジェリ | (1961年)マニュエル・サンタナ | (1962年)ロッド・レーバー | (1963年)ロイ・エマーソン | (1964年)マニュエル・サンタナ | (1965年)フレッド・ストール | (1966年)トニー・ローチ | (1967年)ロイ・エマーソン |
| オープン化時代(1968年以後) |
| オープン化以後 | (1968年)ケン・ローズウォール | (1969年)ロッド・レーバー | (1970年・71年)ヤン・コデシュ | (1972年)アンドレス・ヒメノ | (1973年)イリ・ナスターゼ | (1974年・75年)ビョルン・ボルグ | (1976年)アドリアーノ・パナッタ | (1977年)ギレルモ・ビラス | (1978年-81年)ビョルン・ボルグ | (1982年)マッツ・ビランデル | (1983年)ヤニック・ノア | (1984年)イワン・レンドル | (1985年)マッツ・ビランデル | (1986年・87年)イワン・レンドル | (1988年)マッツ・ビランデル | (1989年)マイケル・チャン | (1990年)アンドレス・ゴメス | (1991年・92年)ジム・クーリエ | (1993年・94年) セルジ・ブルゲラ | (1995年)トーマス・ムスター | (1996年)エフゲニー・カフェルニコフ | (1997年)グスタボ・クエルテン | (1998年)カルロス・モヤ | (1999年)アンドレ・アガシ | (2000年・01年)グスタボ・クエルテン | (2002年)アルベルト・コスタ | (2003年)フアン・カルロス・フェレーロ | (2004年)ガストン・ガウディオ | (2005年-08年)ラファエル・ナダル | (2009年)ロジャー・フェデラー | |
| (1877年)スペンサー・ゴア | (1878年)フランク・ハドー | (1879年・80年)ジョン・ハートリー | (1881年-86年)ウィリアム・レンショー | (1887年)ハーバート・ローフォード | (1888年)アーネスト・レンショー | (1889年)ウィリアム・レンショー | (1890年)ウィロビー・ハミルトン | (1891年・92年)ウィルフレッド・バデリー | (1893年・94年)ジョシュア・ピム | (1895年)ウィルフレッド・バデリー | (1896年)ハロルド・マホニー | (1897年-1900年)レジナルド・ドハティー | (1901年)アーサー・ゴア | (1902年-06年)ローレンス・ドハティー | (1907年)ノーマン・ブルックス | (1908年・09年)アーサー・ゴア | (1910年-13年)アンソニー・ワイルディング | (1914年)ノーマン・ブルックス | 1915年-18年 第一次世界大戦 | (1919年)ジェラルド・パターソン | (1920年・21年)ビル・チルデン | (1922年)ジェラルド・パターソン | (1923年)ビル・ジョンストン | (1924年)ジャン・ボロトラ | (1925年)ルネ・ラコステ | (1926年)ジャン・ボロトラ | (1927年)アンリ・コシェ | (1928年)ルネ・ラコステ | (1929年)アンリ・コシェ | (1930年)ビル・チルデン | (1931年)シドニー・ウッド | (1932年)エルスワース・バインズ | (1933年)ジャック・クロフォード | (1934年-36年)フレッド・ペリー | (1937年・38年)ドン・バッジ | (1939年)ボビー・リッグス | 1940年-45年 第二次世界大戦 | (1946年)イボン・ペトラ | (1947年)ジャック・クレーマー | (1948年)ボブ・ファルケンバーグ | (1949年)テッド・シュローダー | (1950年)バッジ・パティー | (1951年)ディック・サビット | (1952年)フランク・セッジマン | (1953年)ビック・セイシャス | (1954年)ヤロスラフ・ドロブニー | (1955年)トニー・トラバート | (1956年・57年)ルー・ホード | (1958年)アシュレー・クーパー | (1959年)アレックス・オルメド | (1960年)ニール・フレーザー | (1961年・62年)ロッド・レーバー | (1963年)チャック・マッキンリー | (1964年・65年)ロイ・エマーソン | (1966年)マニュエル・サンタナ | (1967年)ジョン・ニューカム |
| オープン化時代(1968年以後) |
| オープン化以後 | (1968年・69年)ロッド・レーバー | (1970年・71年)ジョン・ニューカム | (1972年)スタン・スミス | (1973年)ヤン・コデシュ | (1974年)ジミー・コナーズ | (1975年)アーサー・アッシュ | (1976年-80年)ビョルン・ボルグ | (1981年)ジョン・マッケンロー | (1982年)ジミー・コナーズ | (1983年・84年)ジョン・マッケンロー | (1985年・86年)ボリス・ベッカー | (1987年)パット・キャッシュ | (1988年)ステファン・エドベリ | (1989年)ボリス・ベッカー | (1990年)ステファン・エドベリ | (1991年)ミヒャエル・シュティヒ | (1992年)アンドレ・アガシ | (1993年-95年) ピート・サンプラス | (1996年)リカルド・クライチェク | (1997年-2000年)ピート・サンプラス | (2001年)ゴラン・イワニセビッチ | (2002年)レイトン・ヒューイット | (2003年-07年)ロジャー・フェデラー | (2008年)ラファエル・ナダル | (2009年)ロジャー・フェデラー | |
| (1881年-87年)リチャード・シアーズ | (1888年・89年)ヘンリー・スローカム | (1890年-92年)オリバー・キャンベル | (1893年・94年)ロバート・レン | (1895年)フレッド・ホビー | (1896年・97年)ロバート・レン | (1898年-1900年)マルコム・ホイットマン | (1901年・02年)ウィリアム・ラーンド | (1903年)ローレンス・ドハティー | (1904年)ホルコム・ウォード | (1905年)ビールズ・ライト | (1906年)ウィリアム・クローシャー | (1907年-11年)ウィリアム・ラーンド | (1912年・13年)モーリス・マクローリン | (1914年)リチャード・ウィリアムズ | (1915年)ビル・ジョンストン | (1916年)リチャード・ウィリアムズ | (1917年・18年)リンドレイ・マレー | (1919年)ビル・ジョンストン | (1920年-25年)ビル・チルデン | (1926年・27年)ルネ・ラコステ | (1928年)アンリ・コシェ | (1929年)ビル・チルデン | (1930年)ジョン・ドエグ | (1931年・32年)エルスワース・バインズ | (1933年・34年)フレッド・ペリー | (1935年)ウィルマー・アリソン | (1936年)フレッド・ペリー | (1937年・38年)ドン・バッジ | (1939年)ボビー・リッグス | (1940年)ドン・マクニール | (1941年)ボビー・リッグス | (1942年)テッド・シュローダー | (1943年)ジョー・ハント | (1944年・45年)フランク・パーカー | (1946年・47年)ジャック・クレーマー | (1948年・49年)パンチョ・ゴンザレス | (1950年)アーサー・ラーセン | (1951年・52年)フランク・セッジマン | (1953年)トニー・トラバート | (1954年)ビック・セイシャス | (1955年)トニー・トラバート | (1956年)ケン・ローズウォール | (1957年)マルコム・アンダーソン | (1958年)アシュレー・クーパー | (1959年・60年)ニール・フレーザー | (1961年)ロイ・エマーソン | (1962年)ロッド・レーバー | (1963年)ラファエル・オスナ | (1964年)ロイ・エマーソン | (1965年)マニュエル・サンタナ | (1966年)フレッド・ストール | (1967年)ジョン・ニューカム |
| オープン化時代(1968年以後) |
| オープン化以後 | (1968年)アーサー・アッシュ | (1969年)ロッド・レーバー | (1970年)ケン・ローズウォール | (1971年)スタン・スミス | (1972年)イリ・ナスターゼ | (1973年)ジョン・ニューカム | (1974年)ジミー・コナーズ | (1975年)マニュエル・オランテス | (1976年)ジミー・コナーズ | (1977年)ギレルモ・ビラス | (1978年)ジミー・コナーズ | (1979年-81年)ジョン・マッケンロー | (1982年・83年)ジミー・コナーズ | (1984年)ジョン・マッケンロー | (1985年-87年)イワン・レンドル | (1988年)マッツ・ビランデル | (1989年)ボリス・ベッカー | (1990年)ピート・サンプラス | (1991年・92年)ステファン・エドベリ | (1993年)ピート・サンプラス | (1994年)アンドレ・アガシ | (1995年・96年) ピート・サンプラス | (1997年・98年)パトリック・ラフター | (1999年)アンドレ・アガシ | (2000年)マラト・サフィン | (2001年)レイトン・ヒューイット | (2002年)ピート・サンプラス | (2003年)アンディ・ロディック | (2004年-08年)ロジャー・フェデラー | |

